0259 鮮血と退廃の都に交錯する死戦(2)[視点:その他]
西オルゼ地方において、売買の対象となる『奴隷』の供給源は多い。
『長女国』が建国以来続けている【懲罰戦争】において、亜人諸勢力が一致して【西方諸族連盟】を結成して対抗してはいるものの、それは彼らが一枚岩に結束しているわけでも、非常に友好的な関係にあるわけでもないのである。
例えば戦亜達の3ヵ国。
【ウル=ベ=ガイム氏族連邦】、【イシル=ガイム至天国】とそして【ムスルゥ=ガイム海縁国】。
いずれも広義の『戦亜』種族による国家であるが、『至天国』も『海縁国』も、どちらも元は『氏族連邦』内の大派閥であった【飛空閥】と【海棲閥】を構成する氏族群が、丸ごと、凄惨な独立闘争を経て分離した国家である。
後二者はいずれも自らを【空亜】、【海亜】と称し、このような成立の経緯からして、3国は恒常的な対立と抗争状態にある。
つまり、実際のところ【懲罰戦争】での捕虜(大半が”枯れ井戸"の流民だが)たる『神の似姿』種や、あるいは正規戦では圧倒されるためのゲリラ・奇襲的要素を備えた『氏族連邦』による組織的な”奴隷狩り”は、彼らの奴隷制度における「供給源」としては上位を占めるものではない。
むしろ、こうした『諸族連盟』内の争いや対立・戦い・紛争と、そして非正規な”奴隷狩り”によって虜囚とされて奴隷に落とされた者の方が多く、次いで借金などによって破産した結果、自分自身を労働力として売り払わざるを得なくなった(あるいはさせられた)契約的な奴隷が最多なのであった。
……ただし、それでも外交上、【西方諸族連盟】は『長女国』の攻撃と圧迫という脅威に対する西オルゼ諸族の団結と抵抗を起源とするまとまりではある。
このため、堂々と”盟友”を「奴隷」として売買しているというなどとした大っぴらな体裁を取ることはできず――シャンドル=グームの特殊な立ち位置もここに絡んでくる。隠れた支配層を形成している吸血種達にとっては『隷畜』扱いの人間種の取り扱いが微妙な問題となる、といった要素が絡むことで、最終的には、実質的な奴隷商店はいずれも『人材斡旋所』や『手配屋』としての看板を掲げることとなっていたわけである。
無論、奴隷ごとにその形態や”経緯”が異なる以上は、全てを十把一絡げに処理するというものでもない。刑罰によって奴隷に落とされたような、純然たる使い潰し前提の者や、実質的に『隷畜』化のために吸血種達がまとめて買い取っていく「人間種」のような者もあれば、ある種の労働契約のような雇用条件が一定程度定められた契約奴隷、身代金を切り取ることが前提の捕虜なども入り混じっていた。
――それでも、実態は果物や肉と同じように奴隷が陳列あるいは展示され、それらを前に客と店主が喧々囂々とやかましい交渉を行う……という意味では、その『商店』性は全く変わらないのであるが。
【阿修羅閥】の【連眼】のビフロスケィン氏族出身のラクーギーが切り盛りする『斡旋所』もその1つであり、他所と異なるのは”高級品”を取り扱っている、という点であった。
そして、不定期の興行の1つとして「子供の奴隷」を専門的に取り扱った”競り”を準備しており、その情報を嗅ぎつけた『人売り』キプシー=プージェラットの”ついで”の目的とされ、彼がこの日までシャンドル=グームに滞在する理由となったわけであった。
――だが、この日、ラクーギーの『斡旋所』においては非常に珍しい、それこそ異常事態であるとすら言えるような、特殊な、特殊な、特殊な、と念を何度も押すような”商品”が入荷を余儀なくされていたのである。
ラクーギーに先導され、微妙な距離を空けて並び歩くキプシーと【爛れ眼】殿。
彼らが案内されたのは、通常はよほど太いVIP客でも滅多に通されない人材達の管理房であった。
地下通路を通って、地上部の館とは一見別の区画に建てられた管理房には、阿修羅閥の気質を反映したような過剰な装飾やその英名を誇示するような調度の飾りつけは皆無。だが、取り扱う商品が商品ということもあって、常時、数名の店員がせわしなく動き回っており、下手な貧民街の住民よりもずっと快適な待遇であるようには見受けられる様子。
――その、最奥の一角。
他の管理房からも離され、そこだけ、厳重かつ堅牢な扉と何重もの魔法陣によって堅牢に封じられたる一室が、あった。
その取り扱う商品の性質上、たとえば魔法の心得を持ったような者がいることもある。故に高級なる『斡旋所』では、こうした”対策”が取られることもあるが――キプシーの【異形:重瞳】をして、その厳重さは、どこか異様かつ極度の警戒を保っているようにも思われた。
「ほう。店主、これは『蛇国』が残していった術式のさらにその上から……重ねたのか?」
「……秘蔵どころか祖父様からの家宝扱いの『封印』術式を大枚はたいて重ね掛けしておいたんですよ、”爛れ眼”殿。売れても大赤字、売れなきゃさらに大赤字ってところですかねぇ」
その声色は、しかし、どこかすがるような期待を”爛れ眼”の貴人に投げかけているようにも聞き取れる。店主ラクーギーは最初から”爛れ眼”との交渉が主であったようであり、この意味では、どちらとも偶々に旧知であったキプシーは、非常に珍しいものを視ることができるのではないか――と、まるで彼自身の期待が乗り移ったかのように己が【異形】がくるくるとその回転を早めるのを鼓動のように自覚するのである。
事実、彼は『人売り』と呼ばれてはいるが……いや、呼ばれているからこそ、人材というものが大好きなのであった。
『次兄国』の領域を挟んで【ネレデ内海】の東西に並ぶ二大商都。
シャンドル=グームに対する、東の【マギ=シャハナ光砂国】の交易都市『サンナ=ラハズーハル』から、わざわざ、この”爛れ眼”の大物が訪れるなどというのは珍しいことであるだとかそのような次元では断じてあり得ないことなのである。
……そして、話しぶりからするに――どうもそれは『蛇国』絡み。
オルゼ地方(東西含めて)に住まう民からすれば、きっと、その一生のうちに活動したり訪れたりすることのできる最も東端が、広大な砂漠とその中に点在するオアシス諸都市を支配する『光砂国』であろう。
だが、大陸はさらに広いことは知識としては知られている。
オルゼ=ハルギュア大陸の”ハルギュア”を冠する地方が広がっており――『長兄国』が歴代の【大東征】を重ね仕掛け続ける中央ハルギュア高原の南方、ハルギュア砂漠地帯に【マギ=シャハナ光砂国】が位置しており、彼らは、さらにその東に歴史的な宿敵として『蛇国』~正式名称【ザカ=ダハーク蛇輪国】~と呼ばれる文明と対峙している、らしい。(なお、”蛇”は”蛇”でも、キプシーの特徴である【異形】とは関係がなく、彼は別にこの地域の出身等でもない生粋の【闇世】の民である)
そしてこの『蛇国』もまた、【ウル=ベ=ガイム氏族連邦】とはその背景も歴史的な由来も、意味も目的もきっと異なるであろうが、「奴隷狩り」文化を持っているとキプシーは知識として知っていたのであった。
(『蛇国』からの”奴隷”が……西オルゼに流れてくるだなんてね? シシシシッ、俺も長く生き延びては来たが、これはちょっと初めてのことだねぇ)
空前にして未聞であると、少なくとも『神の似姿』種よりは長命を誇る【ルフェアの血裔】として、そしてその中でも【人世】に明るいという特殊な立ち位置にある『旅侠』として、キプシーはそう舌を巻くのである。
それこそ、鬼が出るか、蛇が出るのか、はたまた魔物や怪物の類でも出るのか、と半ば期待にその蛇の舌を巻くようなシシシシッという笑いを、”爛れ眼”殿が不快そうにチラリと横目に見やってくるのも特に気にせず。厳重なる『封印』を解いて、客人兼購入候補者を内側に案内するラクーギーについて中に入っていく――。
そしてキプシーは、彼を視た。
やや薄暗い、清潔さは保たれつつも、その重苦しい淀んだ空気が座敷牢を連想させるような部屋の奥に居たのは、小さく小柄な影であった。
(少年。年齢は……10、いや、9歳かな? だがこの線の細さと彫りの薄い顔つきは――へぇ、『イェルーン人』種か?)
そこに一人の幼い少年が、居た。
西オルゼでも東オルゼでも、ましてや『光砂国』の文化圏でも見られない、幾重もの生地がグラデーションを組むように織り重ねられた独特な衣を羽織っている。長旅か、はたまたこれまでにいささかな扱いを受けたのか、ところどころがあるいは汚れ、あるいはほつれ、あるいは破れてはいるものの、織り込まれた宝石糸の類が薄暗さの中でほんのりとした煌めきを放っていた。
「丁重さ」の一貫としてか、部屋の中で焚かれた香の香りが、いくらかはその薄暗さと重苦しさを打ち消していることにもキプシーは気づく。そうした様々な要素が相まってか、そのやんごとなきであろう気高さと来歴が暗に主張されているようであった。
少年は、扉が開かれた瞬間。
びくりと体を震わせて跳ね起き、次いで警戒するように3名を睥睨する。
――その眼は、荒布で何重にも厳重に厳重を重ねた執念深さを感じるほど、キツく縛られていたのであった。
目元が擦り切れて血が滲んでいるほどである。
だが、少年は確かに3名を視ていたのだ。
瞬間、キプシーはぞわりと背筋が粟立つような緊張を一瞬だけ覚えた。
その”眼”を覆う何重もの荒布越しに視られた、ということだけではない。その”眼差し”が、どうにも、9歳程度の少年の体躯からは違和感を覚えるほど巨大な何かの気配を感じた――のだが。
ほう、とキプシーと、そして”爛れ眼”の両名は直後に目を見張ることとなる。
少年から放たれた違和なる気配が二人を視た瞬間、それは消え失せ、且つ、その幼い貴人と思しき少年は即座にその居住まいを正し。
座して両足を組むいわゆる”胡座”という姿勢を取り、両の手指の先を床にそっと触れるか触れないかの位置につけて、そのまま深く頭を垂れるような、幼いながら明らかに洗練された所作であると見受けられる一連たる「礼」を3人に向けたのであった。
――些細なことであるが、キプシーは一連の少年の所作に違和感を覚えた。
「……吾れらは、何ぞ。童に何の用である――いや、何ぞを求める?」
作法は完璧だが、呼吸の微かな荒さをキプシーは見逃していなかった。
その”育ち”を窺わせるような、咄嗟に考えてできるような洗練された所作でないことは明白ではあるのだが――。
(この小僧、この俺を……いや、”爛れ眼”殿を観察したな? 面白いじゃないか、シシシシッ)
呼吸、眼差し――目隠しの荒布越しにではあるが確かにその”視線”は3人に向けられている――と、所作と居住まい。そして声色に宿る緊張感。
美しく保たれた礼法に先立つ形で、この幼き異邦人と呼ぶべき少年は、キプシーと”爛れ眼”殿とラクーギーを瞬時に観察し、そしておそらくそれぞれの地位や力関係の差異をも見抜いた。
その上で、彼は特に”爛れ眼”殿の素性を見抜き、主に彼に向け、彼にその視線を合わせるように体を傾け、只今の「礼」を示したのであった。
――いっそ、必死であると言えるほどに。
口調こそ(東西オルゼの文化圏ではまず聞かない話し方ではあるが)、貴人の子弟に特有の彼我の微妙な地位の差を示すかのようなものである。
だが、そこには同時に、彼我の立場の差や置かれた状況が生み出す力関係を測る……という意味での、全力を込めた「観察」の気配が宿っている。
決して、ただ恐怖を感じているだけでも、虚勢を張っているものとも違う。
育ちと毛並みが良いだけで、箱に入れられ続けた結果会得するある種の品の良さから来る、無知故の無鉄砲なる威嚇の類とも違う。
少年は、突如現れた素性も知れぬ大人達(店主とは何度か会っていたかもしれないが)が自らの生殺与奪を握っているという前提と想定で、その中で、生き延びるための最善を成すためにその全霊を賭して、3人を観察していたのである。
そして、最もそうした地位と権力があると見抜いた”爛れ眼”殿をターゲットとし、おそらくだが、非常に高位の相手にでも向けるべきであろう「礼」の作法を示してみせたのだ。
これはもはや「交渉の型」とでも呼ぶべきものである。
一体全体、どういう経験を経たならば――ただの貴人の小僧だという第一印象しか持てなかった少年が、この状況下で咄嗟にここまでできるものであろうか。
……同じ印象を抱いたかのように、ラクーギーが舌打ちをする。
その様子にキプシーは、少年がこの奴隷店主との過去数度の顔合わせでは、なるほど、相応の態度であったのだろうと推察して、口元を隠しつつも、隠す気の無い声量で「シッシッシッシ」と嘲笑う。
その【連眼】を時間差で、じろじろり、と向けてくるラクーギーであったが、キプシーは彼を無視した。
その顔面をターバンと包帯で覆い、炎というよりはある種の【呪詛】によって”爛れ”させられたとすら思わせるほどに剥かれた眼差しで――やはり「同じ印象」を少年に抱いたであろう、”爛れ眼”殿が思案気に息を吐き、顎に手を当てたことに気づいたのである。
「やんごとなき身分とお見受けするが、事情があり、私はここでは素性を明かすことはできない。だが、代わりに、貴方の名前を教えてもらえるだろうか? ――東より来る少年よ」
キプシーもラクーギーも既に、いや、少年が彼らを観察したその初手で既に蚊帳の外であったと言える。
『蛇国』に関わる因縁が、この彼らにとっての異邦の地で両名を結びつけたかのように――まるで初めからそうなると神によって筋書かれていたかのように、これは彼らの邂逅なのだ。
それが、キプシーには、わかるのだ。
当初の目的は果たせそうにないが――とても珍しいものを視ることができる。
そのような内なる歓喜に人知れず震えるかのように、キプシーの【異形:重瞳】が、今のこの場にてその本領を発揮していた。
果たしてそれは【悪童】か、はたまた【黒き神】の何れなる柱の示しであるや。
固有技能【天命紙背】。
【闇世】の双子月の軌道の如くくるくると回る彼の”眼”には、視えていたのだ。
彼の気まぐれなる重瞳に映る者の「運命」が。
彼の眼に映る者が持つ「可能性」とでも呼ぶべきものが視えていた。
それが神によって戯れに与えられたる彼彼女が辿る事となる一つの筋書きである――と気づくのにさほどの時間が必要とはならなかったほど、キプシーは、己が異形のその特殊な性質で以て様々な『人』を視てきたのであった。
――片や【虹砕の英雄雛】。
――片や【爛れし眼の使者】。
それこそが、おそらくは神々による何らかの深謀遠慮を成すための遠大なる図らいによってこの地で出会わされた二人の運命なのである。
当初の目的とは全く異なる展開ではあったが、奇しくも、そのような場面にキプシーはこうして居合わせ立ち会ったのである。
「そうか。それならば、童もまた、姓までは言えぬ。ただの『カイ=セン』と呼んでくれ――【焉】の地に連なる者よ」
「それは……」
キプシーの知識にも覚えのない語が、カイ=センと名乗った少年の口から発される。
瞬時に様々な文化圏、歴史的事象を【闇世】まで含めて脳裏に巡らせたキプシーであったが、無駄であると判断し、すぐに”爛れ眼”殿の観察に切り替える。
この「東」の商都の貴人はわずかばかりその”爛れ”た眼を揺らしたが――やや険しくなった眼差しをカイ=セン少年に向けるのみ。まるでそのことには触れるな、と言わんばかりに話を変え進める。
「私も多くは言わないことにしよう。貴方の『国』について多くを知るわけではないが……【蛇輪国】から受けた扱いについて報せてくれるならば、帰れるように取り計らうつもりだが?」
「……童には、帰り場所などないのじゃ」
その言に、貴人でも英雄雛でも何者でもない、年齢相応の素の感情と弱音が込められていたことに気づいたキプシーが、思わず蛇の舌を鳴らす。大凡の話が見えてきたなと思ったのと、ただの傍観者でありこの交渉事からは蚊帳の外に置かれていると思っていたが――存外、一枚噛むことができる目が見えた、と判断すべきであったろうか。
イェルーン人のただの少年カイ=センは、彼の故郷からも、彼を攫ったはずの『蛇国』――”爛れ眼”殿にとっての「敵国」である【ザカ=ダハーク蛇輪国】(通称『蛇国』だが、この通称は、その主要な構成種族の身体的特徴による、らしい)――からも、そして巡り回って彼を押し付けられたシャンドル=グームの奴隷店主からも、誰からも”厄介者”として取り扱われ、流転してきたに相違ないのだ。
ならば、ここは意外や意外にも、呼ばれるはずのなかったこの『人売り』の出番なのではないか?
【人世】で居場所を失った人材の成れの果て達が、最後に落ち延びて来る場所もまた、【黒き神】の「一握の土くれ」による創世以来変わらぬ【闇世】の在り方の一つに相違無いなれば――”居場所”が無い者に”居場所”をくれてやること、大いに結構じゃないかと、一人で内心盛り上がり。
互いの目的を探るように言葉をかわし始めた”爛れ眼”殿とカイ=セン少年に、どのタイミングで声を掛けてやろうかと思案しながら一歩前に踏み出そうとした。
その時のことだった。
いくつかのことが同時に起きる。
いくつものことが諸共入り乱れる。
但し、そのいずれもが”破壊”という要素によって結びつけられていた。
一瞬、視界が揺らいだかのように、その場のいずれもその「眼」に特殊事情を持つ4名がそれぞれその瞳を見開いた。
空間そのものが揺らぐ。軋む。歪む。
それも、同時多発的多重斑にグラデーション状に。
だが、それをいっそ空間の捻れという光景の一瞬性で捉えることが出来たのは――ある意味で、彼らの「眼」が良すぎたからなのかもしれない。
刹那、現実に巻き起こされたのは、大規模な殲滅魔法でも解き放たれたかのような、嵐のごとき破壊の暴風であった。
【崩壊】属性とさらに複数の元素系の属性によって構築された【魔剣】が、突如、管理房の天井と壁を空間ごとずたずたに切り裂くようにして現れ、そしてそのまま【魔球】に変化して、込められたるありったけの魔素の本流のままに、管理房全体を薙ぎ吹き飛ばすかの如く、その全てを打ち砕いたのであった。
否。
「殲滅魔法でも」ではない。
それは局所的な大規模崩壊をもたらす【殲滅魔法】と呼ばれる形式の魔法術式そのものであり、そのものであるという論理的な帰結は――。
荒れ狂い吹き荒れた魔力の奔流の只中。
大小に崩れひび割れた瓦礫と、奴隷もその管理者としての店員達との違いも無しに、文字通り木っ端の如く微塵と化し犠牲となった痕跡を示す血しぶき、血溜まりが朱染めを和えたかの如き惨状の中心に、すっと降り立つように出で立つ影が、現れていた。
「――ほう? 今の一撃を凌ぐのか」
淡々と抑揚の少ない、だがしかし、独り言というにはそのよく周囲に通る声質。
それが、この破壊をもたらした者が現れて発せられた際に、その破壊の被害を受けたであろう者達にどのような印象を与えるのか――そうした些事は一顧だにせず、全て、余計な雑事であるとその精神からは切り捨てられて捨象されるが如き、泰然たる態度。
華美で派手な異装に身を包む旅芸座の役者か、大都市の劇場で歌舞く花形役者か、と見紛う酔狂なる飾りと外連味の織り交ぜられた色使いの魔導衣に身を包み。
この場に現れたるは【魔剣】のフィーズケール家が血脈たる【剣魔】デウフォン・サレイア=フィーズケールであった。
――次に、それぞれの「眼」を持った4人が、如何にして、この血と退廃と密輸の商都『シャンドル=グーム』を襲った場違いも極まる大規模殲滅魔法から辛くも難を逃れたのかを述べよう。
カイ=セン少年の周囲には、紫色の海が現れていた。その中でごぼとぼと泡を吐きつつ、苦しげにその両目を覆う荒布を押さえつける彼だが――異質であったのは、その「海」の現れ方。
まるでその場に絵画が投げ出されたのか、とでもいうように、その空間だけまるで置き換えられたかのように四角く、立方体に切り取られ、元の瓦礫も壁も部屋も破壊の衝撃の魔法の奔流さえもが忽然と消失して入れ替わったかのように出現していたのであった。
……のだが、それも長くは続かない。
まるで周囲の、元の瓦礫の光景に溶け込むように「紫海」の四角い”枠”が霧散し、カイ=セン少年は崩れ落ちながら激しくむせ込んで海水を吐き、そしてその海水もまた現実性を失ったかのように霧散していったのであった。
斯様なるやんごとなきはずの少年の苦悶の様子を見つめながら、キプシーは、その旅侠として【闇世】の各所を文字通りの意味で渡り歩いた身体能力で以て、最も破壊が少ない箇所に飛び退いていた。ラクーギーの襟元をついでとばかりに引っ掴み、引きずり倒して投げ飛ばすように一緒に避難させてやりながら。
故に、彼らは飛散する瓦礫や吹き荒れたる魔力の奔流からも、わずかに衣服やターバンを焦げ付かせる程度の被害で済んでいる。
キプシーはその眼を一度だけ、カイ=セン少年が示した”異能”に注がれつつ――シシシシッとこの状況下においてあえて心から不敵に笑った。
既に、あの娘が疾走してきたことを察知していたからだ。
シャンドル=グームであれやこれやと行方を晦ませ、奴隷扱いで適当な商店をまるで倉庫のように借りて放置していた――【鉄使い】からの”お届けもの”たるじゃじゃ馬が、である。
そして最後に、キプシーから”爛れ眼”殿と呼ばれたる顔中を覆いその「爛れ」た眼のみを剥き出しにしていた青年だが、彼は、デウフォンに劣らず、しかし彼のように歌舞く様子もなくただ静かな木のようにそこに立ち続けたまま、周囲の様子を眼だけ動かして睥睨していた。
瓦礫にも、魔力によっても傷つけられてはいない。
何故ならば、何処より現れたるか、一人の偉丈夫と言っていい巨体なる恵体の【戦士】が現れ――”爛れ眼”殿の盾となるようにその全身に闘気を漲らせ、大剣を構えてデウフォンを睨みつけている。
その巨体の戦士は――女であった。
筋骨隆々、鈍い金髪に深緑の碧眼を備え、顔面に一文字、またその半分以上が剥き出しにされた肉体には歴戦の戦士と呼ぶべきいくつもの傷跡があったが、それでも、その体躯の曲線比率や胸の膨らみなどから、彼女、と描写されるべき人物だったのである。
そして、キプシーは「彼女」が如何なる種族であるのかを、咄嗟に判定することができない。『神の似姿』ではあろうが、ハルギュア人種系か、イェルーン人種系か、それほど露わにされていた身体的特徴などからも直ちにはわからなかったのである。
(この俺の知らない何かが、この短期間の間に次々と現れるとはねぇ! これは――この俺もまた、運命って奴に導かれつつあるのかな? シシシシッ、自分のは視れない、てのが不便だねぇ)
だが、意外そうにその正体を口にしたのは【剣魔】であった。
「女蛮戦士だと。こんな西の地で……? 面白い」
「もっと面白くなるのは、これからみたいだぞ。フィーズケール」
その剣気が噴き上がる機先を制するかのように言葉を返したのは”爛れ眼”殿であった。
その眼が、油断なく周囲を見やり、そしてカイ=セン少年に向けられていたことにキプシーは気づいていた。
――果たして。
”爛れ眼”殿の言に反応するように、周囲に探るような気配を飛ばし始めたデウフォンとの睨み合いが、数秒、十秒、数十秒かと続くかと思われた直後のことである。
「でぇえええええええいりゃああああああああああああああああ!!」
「はああぁぁぁぁああああッッッ」
響き渡るは2つの鬨たる怒声。
巻き上がる粉塵と風威と共に十数本もの剣戟が文字通り雨あられの如く白刃と軌跡を多重に閃かせて叩き込まれ、且つ、同時に、爆裂する血飛沫が意思を持った小旋風となったかのような塊の如く大斧を振り回しながら眼にも止めることのできぬ速度で、デウフォンと女蛮戦士が睨み合うそのど真ん中に、両名、諸共に飛び込み殴り込んできたのであった。