0254 嘲笑は母の鏡を指差すが如く(1)[視点:半魔]
御方様とその眷属たる『エイリアン』達による撤収は、静かに、そして迅速に行われた。
あらかじめ都市ナーレフを外堀から【領域】によって覆い隠すことで、外部の頭顱侯どもの魔法的感知を遮断。都市の内部においても、今回の標的であった『罪花』めの支部【染みの桃花】を囲うように――吸血種ユーリルらが”夜狩り”によって、非合法またはならず者の集団・組織・集まり……要は『走狗』組織どもの目となりうる連中を先んじて潰して回っていた。
また、ルクらリュグルソゥム一族の到着が終盤であったのは、単に相性の悪さを警戒しただけではない。こうした”地鳴らし”を土台として、さらに周辺で【精神】魔法を駆使して”人払い”のための各術式を掛けて回っていたためである。
当然、【染みの桃花】店の下部組織であった『路端の草』などという連中の所属者は、すべて御方様が仕掛けた『生還者(エイリアン=パラサイト入り)』がもたらした情報網によって特定されている。彼ら彼女らを避け、あるいは欺き、あるいは秘密裏に籠絡または始末し――【染みの桃花】店の情報探知能力などというものは、とっくに減殺されていたのだ。
このようにして、私が”商会の使者”として【染みの桃花】を訪れる頃には、奴らもそれなりに周辺状況の変化を察して警戒してはいたようだが、もはや徒労である。
あの時点で、すでに御方様による「封鎖」は成っていた。
思い返せば、実際にナーレフに赤あたまの奴とユーリルと乗り込み、御方様より【ウルシルラ商会】を任されたマクハードめと、連絡坊主となったラシェットらと情報を収集・交換。ウーヌスら眷属にして従徒たる、御方様の副脳と状況分析を分担していった。
その中で、計画や行動の微修正や臨機的な対応などはあったが……全て、御方様の見立て通りに成ったのである、と私もまた自負している。
御方様が私めに共有してくださった『経済圏構想』というものが上位にあり、そのためには、どうしても『次兄国』への伝手を拡大しなければならない。一応、マクハードめは彼の国で修行をしたということだが……御方様はそれでは不十分である、と判断された。
その中で、私達もルクらリュグルソゥム家による分析に基づいて調べは進めてはいた。
が、どうも、この都市ナーレフにおいては頭顱侯マルドジェイミ家の走狗『罪花』が、一手に、彼の国の”商人”どもを籠絡し取り込み囲い込んで閉じ込めている、ということがわかったのである。
御方様は、どうあっても『罪花』どもは排除しなければならない、と結論を出されていた。
その理由はいくつかあり、例えば、奴らめの能力――私や御方様が属する【ルフェアの血裔】種にも通じるようになれば確かに脅威である【精神】魔法――そのものが【異星窟】を感知しかねないということなどが挙げられる。
そこに、今回新たに「経済構想の競合相手」という視点が加わった、というのが御方様からこの私めへの講義。
……今も、私は『政治学』や『法学』、『行政学』なる概念について、御方様とその副脳達から継続的に「学び」を受けている最中にあったが、今回、そこに新たに『経済学』というものが追加されたのであった。
御方様は、更なる【異星窟】の拡大とその中での役割の分化や変遷までをも見越しておられる。
そして僭越にして光栄ながら、この私めにも、その一部を将来的に担わせたいと思っておられるようであり――長らく『半小醜鬼』に押し固められていたこの私めを――その大いなるご期待に応えなければならない。
御方様が必要と判断されたならば、【第一の従徒】として、この私は死さえも凌駕してそれを学び乗り越え、生まれ変わらなければならないのだから。
――故に、これもまた、御方様の『大いなる構想』の一環である。
そのはずであろうな?
「ああ~~~ん! す、素敵ですわっ! 素晴らしすぎますっ、ル・ベリ様! も、もっと! もっと視させてください……! 感じさせてくださいっ!」
響き渡る不快な嬌声。
狂気の中に混ぜ込まれた性的歓喜と、実際にそのような生理的生態的”反応”を繰り返すように、恍惚たる絶頂を繰り返す眼前の狂女に対し、私はもう幾度目かもわからぬため息を深く吐き出す他は無かった。
”これ”も無駄であったか、と、手の中にあった小醜鬼もどきの大腿骨を握り潰し、【異形:四肢触手】による第6の触手に持ち替えてから、周囲を行き来していた労役蟲の1体に、ごみ処理のために預け――【弔辞の魔眼】の発動を解除。
右目を休ませるために、まぶたを閉じるとともに、軽く左手で顔を覆った。
「うん……予想と予測の1つではありましたけれど、その、だいぶぶっ飛んでますよね? マルドジェイミ家の所属者って。『罪花』の構成員までもがそうだってのは、ちょっと、予想外だったんですけど」
現在、私達がいるのは都市ナーレフの地下に『地中班』のエイリアン達が作り上げた【領域】の一つ。
だが、代官邸の地下、ではない。
現在、急速に建築が進められている、マクハードやゼイモント、メルドットめらを中心とした【ウルシルラ商会】の本拠となるべき商会館の候補地の地下であった。
御方様は既に、この都市を掌握した先の【異星窟】の【人世】への拡張と勢力拡大を見込まれており――『迷宮都市計画』と仰られていた――つまりこの【領域】は、単なる物資置き場やユーリルらが隠れたり、エイリアン達が出撃したり移動するための拠点ではない。【闇世】側を模したような、一通りの『設備』が揃っている。
その1つが、私と主にリュグルソゥム一族の者が扱う『仕事部屋』だ。
そして、私達の現在の仕事の結果は、眼前で繰り広げられる痙攣した嬌態からも明らかだったが、あまりにも芳しいものと言えたものではない。
――嫌な予感はしていたが、まさか”こう”なるとは。
「『止まり木』での折檻も結果は同じでしたよ。この女……逃げも隠れもしますけど、抵抗だけはしませんでした。とー様も困惑していましたし、」
「……かー様はかー様で、なんか、逆にちょっと楽しそうで怖かった」
「とー様とにー様ねー様、ドン引きしてたよね……」
呆れとも疲れ、それと困惑ともつかぬ、気だるげな声でため息を同時についたのはリュグルソゥム家の次双子アーリュスとティリーエである。現世側での私の”手伝い”として、ダリド・キルメの長双子と交代でこの場にいる。
13の仇敵達の中でも、かねてより宿敵格であったマルドジェイミ家の走狗『罪花』において、特に、今回露骨に怪しい動きをしてあろうことか御方様にまで汚らわしき接触を試みてきたこの女、シーシェ。【染みの桃花】店を襲撃する直前での行動を思えば……ただの一介の『花』であるなどと信じる者は、この私を含めて誰もいない。
確かに、彼女が御方様にもたらした「情報」はそのほとんどが真実であった。
『蜂』と『花』達の配置から役割分担、そして内部の防衛用の魔法陣の配置や構造など。無論、そのようなものが無かったとしても御方様の計画が狂うはずは無かったが、あったならばあったで、より手早く片を付けることができる……という意味では有益ではあったと言える。
それを以て御方様は、明確な素性や正体・目的などが敵対的なものと判明しない限りにおいては……シーシェを「功有り」と判断され、その崇高なる信賞必罰のご信念から、虜囚半分・客人半分という判断を下された。
もっとも、娼館内部において若干混乱させられた「階数認識」のズレであるだとか、御方様の戦術目標であった重要な客どもが、面妖なるもその精神を『花』や『蜂』といった『罪花』の乙女達と混ぜられていた事に関して、この女は事前に何も情報提供をしていないわけであるが。
消極的な撹乱をされた、と受け取ることもできる。
それで、私達に『尋問』を命じられたわけだ。
正直なところ、わけの分からぬ呼び方でこの私に、何が気に入ったのかやたら絡みつくように絡んでくるこの女と直接相対するのは非常に――非常に骨が折れる作業なのだが、御方様のご命令とあらばこの私が適任であるという状況にも甘んじなければならない。
その中で、対『罪花』の【精神】魔法使い達への尋問手法として、リュグルソゥム家が御方様の副脳達とあの襲撃の中で確立させた「手順」に私も【魔眼】で以て参じたのだが――結果は、全くの逆効果であったというべきか。
今しがた処分を労役蟲に任せた小醜鬼もどきの”遺骸”は、それなりに長時間かけて死の苦痛を味あわせた個体だったはず。
痛覚という痛覚を、最も感覚神経が集中している箇所に時間を掛けて集中させ――小醜鬼もどきどもの無感性の限界を確かめるための実験台でもあったわけだが――た、まぁこの私の最近の自信作である。
要するに、私の【弔辞の魔眼】を尋問と拷問のために、最も効率的・効果的となるように仕立て上げた……”試作”のようなものだったが、この女にはただただ歓喜の刺激としてしか受け止められていなかったのだ。
――なんたる驚愕と屈辱であるか。腹立たしい。
思わず感情が【異形:四肢触手】に乗ったか、うねうね、わなわなと苛立ちが募るように波打つのを感じる。
「感覚神経はどうなっているのだ……? 痛覚の受容体は? この女、おのれ、御方様が”客人”扱いとしなければ、この俺自らが解剖して、その特殊なる生理的構造の奇異さをも暴き出してくれるところだというのに」
「ル・ベリさん、ル・ベリさん! 言いにくいんですけど、その言葉だけでこの女悦んでます……」
「うえぇ、気持ち悪いよぉ」
御方様の【第一の従徒】たる範を示す意味で、私は御方様以外に対しては己の一人称を「俺」としている。だが、心の中で自問する時と、御方様の前ではそれは「私」である。あるいは、今の姿――御方様曰く【異形特化】の【ルフェアの血裔】となったことで、より強く、奥底にある母の記憶が蘇ったか。
母リーデロットをそのまま、性別だけ変えた生き写しのような私自身に「母」の記憶が反響したように、私は、私を、今は私として認識しているのも確かなこと。
解剖しそこなった女シーシェに話を戻せば、そんな私と同じような体験を、既にリュグルソゥム一族も彼らの精神共有空間『止まり木』で何度も味合わされた様子であることは、本当に吐き気を催しているらしいティリーエの生理反応から見ても明らかであった。
……この女、御方様にとってさえも危険なエイリアンである黒瞳茸を一目見た瞬間、その特性を察した挙げ句。「その必要はありませんわ」などと意味のわからないことを口にした次の瞬間、なんと、突然に自分で自らを【精神】崩壊としか言えない状態と化し、招かれる必要もないと言わんばかり、自らリュグルソゥム家の『止まり木』に大人しく連れ去られたという。
マルドジェイミ家の術士が「旧」リュグルソゥム家の天敵であった時とは異なるのだ。
今のルクら「新」リュグルソゥム家は、御方様の副脳達の助けと補強を受けている。その意味では、隙をついて彼らを【精神】攻撃をするつもりであったなどということならば浅知恵の極みであったわけだが……その意図は全く呆れさせられるもの。
自ら【精神】崩壊状態になって「おかあさん、おかあさん」などとうわ言を呟き出したシーシェを、困惑しながらも『止まり木』に連行したリュグルソゥム家だったが、ミシェール曰く、どれほどぐちゃぐちゃにしても――その刺激すべてを歓喜と受け止めるかのように哄笑、嬌笑を繰り返すのみ。
その【精神】が反映された姿を取るという『止まり木』の性質において、なんとその姿を72通りにも変化させ(もはや怪異の類ではないか)、そのそれぞれ異なる姿で、リュグルソゥム家による【精神】世界での折檻を喰らい続け――まるで様々な角度から味わうように受け止め――それでなお、反抗は言うに及ばず、その自我が完全に崩壊する兆候が一切無く。
『止まり木』での時の経過は現世ではわずか数秒足らず、つまり「肉体的」な疲労はほとんど無いにも関わらず、なぜか、戻って来た際には目元に相当な隈を溜めている様子から、その苦労は察されるに余りある。
……もっとも、口ぶりからすれば、どうも彼らの母――ミシェールがやけに「乗り気」でシーシェを折檻しており、それを押し留めようと気を揉むような場面も多かった――ということが、私としては少し気になったところだったが。
「それで、結果はどうだったのだ? やはりこの女は……御方様が仰られた『誰か』とは、関わりがあったのか?」
白目を剥き、ほとんど意識を失っているにも関わらず、この私の触手の波打ちに合わせて何故かびくびく反応している有り様を見続けるのが心底嫌になり、アーリュスとティリーエにそう問いかけた。
御方様が最も警戒されていたのが、その可能性だったからである。
現状、神の似姿種にしか通じず、通じたとしても、今回確立した【精神】世界折檻によって戻すという対処法が確立してはいる。
だが、あの『ヴァニシッサ』という【染みの桃花】店の責任者を名乗っていた「人格」を持った者が、まるで伝染性の病のように、次々と他の者に感染するというのは、御方様にとって脅威に感じられたようである。確かに、仮に街の一部にでも『ヴァニシッサ』が数百か、数千人でも蔓延したとなれば……都市ナーレフから『長女国』の頭顱侯どもの直接の影響力と監視を排除するために御方様が『罪花』を襲撃した意味がほとんど失われてしまう。
現在、並行してユーリルめらの『夜狩り』部隊と御方様の「エイリアン=パラサイト」の『生還組』が駆使・協働されて、『路端の草』の関係者達を中心に”洗い出し”を進めているようだが――同時に、一つの懸念として、この女シーシェもまた「そう」である可能性が最も高いのだ。
……ただ、この私自身の直感ではあるが。
シーシェめは隠し事・秘密の類のみならず曰くも怪しさも腹の中の一物も満天ではあったが、それでも御方様の仰る『誰か』とは、別物であるように思われた。
御方様にあえて伝えてもいないことであるが――眷属心話によって私が収集した情報を、御方様はとうに把握されておられる――【商会】の使者として『罪花』に初めて乗り込み、そしてシーシェと遭遇したあの日。
悲鳴とも嬌声ともつかぬ有り様で逃げていく半裸の数名の”客”の男どもをくすくすと見送るように現れたこの女は、この私が【精神】魔法の通じぬ【ルフェアの血裔】であるとも、都市ナーレフの新たな事実上の支配勢力となった御方様の手の者であるとも見抜くよりも先に。
――私を一目見てから、目を細め、ぞっとするほど妖艶に笑いながら、こう問うたのだった。
「あら、惚れ惚れするような伊達男様? あなたをお産みなさったお母様は……きっと、それはお美しかったのでしょうね?」
強く、慈しみに溢れ。
さぞ、狂っていたのでしょうね、と。
今思えば大いなる不覚であることよ。
母が子の前で強く、慈しみに溢れ、そして美しく見えるのは亥象においてすら当然のこと。そして、生きとし生ける者で「狂気」を秘めておらぬ者などありはしないのだ。
さしずめ『花』としての手管という奴であるか。
……あのようなどうとでも取れる言葉”遊び”に反応を見せてしまったのが、この私の運の尽きか?
『使者』であることを知られた後は、『ヴァニシッサ』より”交渉役”となることを何やら強引に認めさせ、シーシェはひたすら付きまとうようになった。それも、娼館の外でまで――『蜂』としても訓練を受けたに違いない無駄に機敏な身体制御能力を駆使しおってからに。
如何なる手段によってか、熟練の破壊工作員であるユーリルに、武人としての知覚能力は優れているソルファイドでさえも舌を巻くほどにその気配を察させることなく、この私の行くところ行くところに出没し、誰何してきた。
ただ、今思えば――それもまた、その【精神】の自己崩壊による”人格”の入れ替えのような技を駆使することで、御方様が都市ナーレフに張り巡らせた「エイリアン=パラサイト」の情報網を掻い潜っていたのかもしれないが。
御方様の【情報閲覧】という技能の天敵に位置取ろうなど、無礼極まりないことだが、それが【異星窟】全体に対するより大きな災いとなる前に、早期に『罪花』を叩くべしと見抜いた御方様の即断力こそ、やはり真似のできるものではないというもの。
あの異常な女に通用しなかっただけで、『罪花』そのものに対する対抗策は、ほぼ今回完成させることができたのは大いに有益ではあるのだ。
……そして、そういうことを含めて。
シーシェの狙いがこの私だったにせよ、あるいは御方様の御許に入り込むことのいずれだったにせよ。
どうにも私には、あの女シーシェの思惑が『誰か』とのそれとは異なるように感じられた。
あの『誰か』が私達の想定以上に【染みの桃花】店を支配していたならば、御方様を翻意させてまでその軍門に降ろうと思うならば、もっとやりようはあったはず。
少なくとも、当初の『ヴァニシッサ』に代わって『真のヴァニシッサ』である、として出現させたあの若い『蜂』をそのまま自死させる意味はあまりないのではないか。
御方様とリュグルソゥム一族が対抗手段を編み出した、ということは『止まり木』での闘争で嫌というほど思い知らされたはずであり、その上で、あの『誰か』めが、自身が既に『罪花』の中に蔓延している……などという事情を私達に曝け出すというのは、間諜を送り込むつもりならば悪手である。
それが、一周回ってこの女をこそ本命の間諜とするための隠れ蓑であったとしても……そうであるなら、その目的は御方様の前でこの私に醜態を晒させた時点で、業腹ではあるが、達されているはず。
どうにも、シーシェの行動は『罪花』の【染みの桃花】店の乙女達の行動と噛み合っていないと思えた。
ここで、私がつい先ほど、御方様の頭脳達から共有された重大な事実がある。
死した『花』や『客』達から抽出された情報であったが――その中に、不可思議なことだが「シーシェ」という人物に関する一切の情報が無かったという連絡がもたらされたのであった。
だが、私は確かにシーシェを館内で見たのだ。
この女が、その奇矯な本性と癖をおくびにも出さず、優雅に他の『花』や『蜂』達と語らい、客をからかい踊り歩いていたのを見ていたのである。
――このこともまた、私が受けた印象を強めるものとなっている。
そしてそれは、リュグルソゥム家の次双子を通した『止まり木』での様子と有り様から、ほぼ確定に至っていた。
シーシェのみは、リュグルソゥム一族が『止まり木』で次々に追い詰め、その本性と正体、要するに「本来の人格」を暴き出して元に戻すことができた『誰か』の感染者達とは、異なる。
彼女は本当に、同時にその72人の人格の持ち主であるかのようであり、同時に私の眼前に付きまとう「シーシェ」という女であるかのようであったという。
「最低でも『シーシェ』は、ル・ベリ様からの情報も綜合すると、【染みの桃花】店の『公主蜂』であった可能性が高い……と、リュグルソゥム家としては考えています」
「でも多分、彼女は【精神】魔法でその記憶を、自分で消しているんじゃないかって思うんです。ううん、それだけではなく、」
「【染みの桃花】店全体からさえも、自身の痕跡を全部消したかもしれません。もちろん彼女ではなくて、あの『誰か』がそうした可能性ももちろんありますけれど、その場合だと、」
「『シーシェ』さんと例の『誰か』は、敵対していた可能性があります。最低でも、利用し合う関係だった」
「それは――お前達にとっては、興味深い情報なのかもしれないな」
『シーシェ』と『誰か』が対立関係にあったとしよう。
そのシーシェが、本来の【染みの桃花】店の長であったにもかかわらず――その役割も、己の存在さえも、段階的に消失させた。そして入れ替わるように【染みの桃花】店には『執事蜂』という名の代理として『ヴァニシッサ』という人格を持つ存在が、まるで泡のように浮かび現れた。
「シーシェが避けたのか? それとも、喚び出したのか?」
「どちらであるかまではわかりません。故に、敵対または利用、というのが暫定的な今の仮説です」
リュグルソゥム家はリュグルソゥム家で、奇妙な相違点を見出していたようであった。
『誰か』がリュグルソゥム家の『止まり木』を熟知したかのように、嘲るように逃げ回り抵抗して、それなりの戦闘訓練にはなった一方で――。
「かー様、やっぱりちょっとおかしかったよねぇ」
「だよね。キルメねー様も、ちょっと気にしてた」
それは、私に聞かせようと思って口にしたものではおそらくないだろう。
直接『止まり木』でその有り様を見たわけではない私には、話から推測するしかできないことではあるが、シーシェとミシェールの間にはただならぬ気配が――さながら「因縁」に近い何かがあるのではないか、と思われるほどの様子であったという。
しかし、ルクらがやんわり問いただしても、女の勘だとか、気に入らないだとか、一見するとそれらしい納得できそうな理由ではぐらかされるのみであったという。
かの【精神】空間では、その念じたことが具現化するため、一族同士の間に”隠し事”は無しである――というのが『止まり木』の特性であると聞く。実際にそこで家族と――父と母と子らで、この現世よりも長き時を過ごすリュグルソゥム家の有り様を、私は想像することしかできないが、それでもそこに困惑と……誤解を恐れずに言うならば、小さな疑念の種のようなものが生まれていることを感じ取るのである。
『止まり木』での尋問の「詳細」は、無論、ルクらが既に報告されているだろう。
だが、一応、これは私から御方様に伝達はしておくべきであろうか?
――ただ、リュグルソゥム家は共に迷宮の従徒として、御方様に仕える信頼すべき仲間であった。私自身としても、あまり「母」と「子」が疑い合うような状況というものは、不快に感じる。
御方様の配下となる前の『長女国』との因縁もあるので、最低でも、それはルクから確かめるべき事柄ではないだろうか。
どれだけ長き時を共に過ごせたとしても、それが心の本様を露わにしてしまう【精神】空間であったとしても、「母」が「子」に見せる顔は、また一つの面に過ぎない。そしてそれがどれほど狂ったと評されるものであろうとも――それが我が子への愛である以上は、あまり、彼ら一族の内側の問題に私が踏み込むのは出過ぎたことであるのかもしれない。
そう思って、私は改めて、眼前でよだれを垂らすシーシェが目に入り、またも強烈なため息を出さざるを得ない。
御方様の言葉を借りれば、自身の「認識」さえも上書きすることができる『別人化』こそが、この女シーシェや『誰か』が備える重要な特性であると言える。
『止まり木』においてその本性を暴露する、という対策を構築できはしたが、さらにそれを嘲笑うかのように「情報を渡さない」形で掻い潜って入り込んできた『シーシェ』は、狙ったのかはわからないが、自らがマルドジェイミ家の知られざる秘部に関わる存在であることを示唆することで、あのリュグルソゥム家の、それも最も仇敵達を憎むミシェールにさえも「生かしておく価値」を認めさせることに成功したのだった。
怪しすぎて監視はすべきだが、逆に、怪しすぎるからこそどう対処して飼い殺せば良いかがはっきりしている、という意味で、結果だけを見ればシーシェは完全に【異星窟】にその立ち位置を確保しつつあるのは、この私とて認めざるを得ない。
そしてそうなった場合の監視役が誰に任されるのかと言えば――。
御方様曰く。
「お前に任せるわ」とのこと。
……厄介事を押し付けられた、と思わないでもない。
だが、そのような邪心は御方様への清冽なる忠誠心の前ではただの子供じみたわがままというもの。
そして、私が思っていた以上に――御方様が視るに、私とこの女シーシェには、御方様にとってこの世界の秘されし法則や、歴史の中に埋もれた謎を解き明かす上での、重要な共通点があるということを、私は告げられていた。
御方様曰く。
「この【狂い姫】は――【嘲笑と鐘楼の寵姫】の加護者だ」とのこと。
奇しくも、御方様によって生まれ変わったその折に、この私に加護を与えたる【闇世】の九大神が一柱。その同じ神によって、狂える景色――御方様曰く「バグ画面のような」――の様相を呈するシーシェの【情報】の只中にて、その『称号』と【技能】だけが、変わることなく在り続けていたという。
【人世】においてかつて【闇世】と争い、その侵攻を撃退した【英雄王】アイケルの子孫たる『四兄弟国』が一角【輝水晶王国】の為政者層に、斯様な”隠れ信仰”があったという事実。
そのこと自体は、実は御方様は既にあのサイドゥラ=ナーズ=ワイネンめから看破されていたとのことであったが……それが【遺灰】家に限定された話であったのか、はたまた、『長女国』の【破約】派全体において共通する事項であるのかは、重大な違いであった。
事は、単に『長女国』における【破約派】という頭顱侯の大派閥の秘奥や、事によっては200年前の【大粛清】と、その再来の様相を来しつつあるリュグルソゥム家の「誅滅」事件に触れるだけでは、ない。
御方様にとって、その御身をこの世界シースーアに引き寄せ招き入れたであろう諸神達の思惑――世界の法則とそれを巡る太古からの歴史と争乱の背後の真実を窺うための、その手がかりの一つとしての価値を帯びた、ということに他ならないのである。
御方様曰く。
「好かれている、という事をぜひとも有効活用してくれ」とのこと。
……そこまで重ねてお命じになられたとあらば、従徒として、この私は自らの嫌悪感などすべて捨て投げ打って、この女から搾り取れる限りの【情報】を搾り取り、御方様の思惟に役立てるためのわずかでも有用と成すことができるように、すべきである。
――決して。
決して、我が母リーデロットについて、さも知ったような事を口にしたこの女シーシェに、その浅知恵・浅薄・浅慮・浅越さを思い知らせてやる機会を望んでいる――などというものでは、ない。
得られるべき情報が得られ、御方様とルク・ミシェールらリュグルソゥム家にとって必要な情報が十分に得られたならば、この女は、もはや【異星窟】に囲っておく理由の無い『毒花』なのである。
そう私は強く己を確信させながら祈念し、電流に打たれた芋虫のように痙攣しているこの奇怪な珍生物をさらに観察・分析・解析すべき決意を新たにするのであった。





