0253 異物において排除と混入は背反せず
やろうと思えば、襲撃の最初期の段階で黒瞳茸を投入することはできた。
マルドジェイミ家が【精神】属性魔法の使い手である以上、『蜂』も『花』も、そうした超常を駆使することはわかっており、それを破壊するために動くことはできたのだ。
手法や運用思想こそ大きく異なっていたとはいえ――想定よりもいささか過激だったが――既に俺はリュグルソゥム家という同じく【精神】属性魔法に依存する一族を迷宮の従徒としていたからだ。
だが、保険の意味を込めて、俺はそうしなかった。
――そして、その理由が今まさに眼前で起きる。
彼女もまた『ヴァニシッサ』としては「真の」とか「暫定版」とか「括弧仮」とつけることしかできない存在である。
俺をまっすぐに見据えながら、被食者を前にした肉食獣のように息を荒く吐き出して哄笑する様は煽情的であり、挑発的であり、上気さえした表情は、この場が激しい襲撃と戦闘の只中の跡地のど真ん中であることに目を瞑れば、いっそ高級娼館としての、そういう嗜虐的な趣向の『歓待』の一環とすら思えるかもしれない。
ぎりぎりと手首に痕が痣が血が滲むかのように、魔法封じの臓漿手枷が食い込んで皮膚が肉が裂けるのも厭わず、痙攣するかのように力任せにそれを引きちぎろうとする様は、うら若い乙女の皮を被った獣がその本性と牙を剥き出したかのように思えるが――それすらも認知・認識上の幻弄であったか。
ル・ベリがひょいと眉を上げて警戒するように身構えるが……その必要は無い、とばかりに、ルクが軽く手で制した。次に何が起きるのかを、リュグルソゥム一家は、既に『止まり木』内での散々な尋問で悟っているようであった。
不快気に目を細めるルクと、珍しく微妙な顔をして口に手を当てているミシェール。
そして、崩れた2階の瓦礫の一部に器用に腰掛けて、頭上から様子をうかがうサイドゥラらが見守る中のこと。
ぐひっ、ぐひっ、と。
あえて言ってしまえば、乙女達の『花』という物語性を台無しにするかの如き、さながら下品な家畜のような鳴き声を上げ、その興奮と煽情性が最高潮に達する哀れな彼女。
一人で盛り上がり、一人で盛り上がり、その果てに。
その【精神】に閉じ込められ魔法や礼法という形で外部に表現しえぬ”何か”が急激に張り詰めていく緊張さえもが、それを感じ取ることのできる誰にとってもピリピリとチリつくような予兆の波の如くに感じ取られ。
何かが破裂する、との予感が脳裏に浮かんだ、だが、次の瞬間。
ふっ――――と。
水で打たれたように全てが静まり返り、全ての揺らぎも気配も静まり返って停まり落つり、集中せられていたあらゆる”情念”としか言いようのない【精神】属性上の感応波が発散し、放散し、消散し。
これ以上ないほどに「糸の切れた人形」という表現が相応しい有り様はないと言わんばかりの型通りの様式美の終幕といわんばかりに、第二のヴァニシッサだった彼女の全てが消え失せるようにして、ドシャリ、と小柄な肉塊のように崩れ落ちたのであった。
――その今際の一瞬にだけ。
俺は、彼女の本来のものであったかもしれない『名前』を【情報閲覧】の青白い仄窓に見た。
名前の項目での『ヴァニシッサ』という文字が崩れ、霧散し、きっとその若い少女の本来の”名前”であった綴りを一瞬だけ幻しながら。
そうして、勝利の余韻とも【精神】魔法の使い手達の秘密を暴いて制圧した高揚とも安堵とも自負とも、いずれとも異なる後味の悪さがその場を支配した。
「……最後っ屁という奴だよねぇ。まさか本当に、とは思ったけれど」
おっとり刀といった様子で、サイドゥラが【風】魔法を軽く起こしながら降りてくる。
続いて吸血種ユーリルとルクが、次いでル・ベリがその『偽』ヴァニシッサその2の遺体に近づき、手早く慣れた様子で検死を開始する。
「完全に脈も止まっております、御方様。しかし……内臓にも、一切の損傷や異常は見られません」
「”血”の方もな。てっきり脳の血管を自分でぶち切ったのか? とか思ったけれど」
斯くの如き【精神】的突然死テロの影響をその身に帯びたのは、最後の最期に、ようやくその名前と存在を取り返した(と俺が信じているだけかもしれない)彼女のみであった。
だが、これは偶然でも不幸中の幸いでもない。
「これで一旦、全てが終わったか。できたら”こいつ”からも、もっと色々聞いておきたかったところだったけれどな」
「お許しを――我が君。我が一族の総力を結集して追い込みましたが、こうする他には……」
「いいや、責めているんじゃないさ。ただの感傷だ、ミシェール」
結論から言おう。
この少女は確かに【染みの桃花】店の『執事蜂』ヴァニシッサという役職を持っていた。
そして、俺達が最初に接した淑女もまた『執事蜂』ヴァニシッサであった。
いいや、それだけではない。何なら、精神的突然死に巻き込まれなかった――そう、巻き込まれなかったのだ――この場に集められた他の乙女や客どももまた『執事蜂』ヴァニシッサで有り得た。
そういう絡繰であった。
「『ヴァニシッサ』という存在の大本が”実在”するのかは、定かではありません。ですが、この『罪花』の連中は――遍くその全員に、まるでヤドリギのようにそれの”種”が植え付けられていた、といったところです」
……もしもルクが細菌やウイルスという生物的概念を持っていたならば、きっとそちらに喩えただろう。俺には、むしろそれが一番説明しやすいと感じたからだ。
『罪花』の乙女達の連携の要でもあった『蜂の踊り』は、単なる非魔法型の身体暗号やその訓練方法を兼ね備える技術体系ではなかった。
それは言うなれば、まるでウイルスのように、他者の精神の中で自己増殖する”何者か”の「仮想的精神」を自己増殖させるための、人格汚染のための伝染源にして暗示装置だったのである。
つまり【染みの桃花】店の乙女達はおろか、役割入れ替え遊びに組み込まれていた「客」達でさえもが、誰もが、まるで潜伏期間からの劇的な発症のように『ヴァニシッサ』という”何者か”になり得たのだ。
だが、それでは一応の『執事蜂』を頂く客商売としては混乱が起きうるのではないか? と、もっともな疑問をソルファイドが呈す。だが、まさにそのために、通常は1名にのみ、その人格が現れていたに過ぎなかったのであろう――そしてそれもまた『蜂の踊り』によって制御されていたと思われた。
「……私ら以外を『止まり木』に引き込んだのは、そりゃ確かに初めてだったけど」
「おや? すっかり忘れられてしまったのかな? それとも、もう僕はその『私ら』に入れてもらえているって受け取っていいのかい?」
「茶化さないでよサイドゥラ兄! ……ええっと、」
「現世での”常識”もちゃんと僕らは持っている。『止まり木』で、あんな風に化けまくるなんて、意味不明だったよ……だったんです、オーマ様」
キルメの言をダリドが続け、ミシェールの言った”追い込み”がどのようなものであったのかの片鱗が共有される。
かつて一族から裏切ったクレイモルの事件のトラウマにより、共有精神世界である『止まり木』に、特に【歪夢】家の関係者を招き入れることなどは有りえないことであった。
だが、サイドゥラという外部者の助けと、そしてこの俺の迷宮と深く結びつきはじめ、リュグルソゥム家は、特に副脳蟲どもの【共鳴心域】ネットワークとの連携を深めた。
これにより『罪花』が駆使する【精神】魔法――例えば【青き軛の杭】などに対抗できる算段がついたが故の戦術であったわけだが、その効果を応用する形で、まさに『罪花』の術者達をこそ『止まり木』へ拉致して「精神的リンチ」を加えて無力化する……というのが当初からの基本計画。
だが、その精神的戦場の最前線において暴き出されたのは、『罪花』の乙女達を”連携”させていたのは、単なる人格入れ替えだけでなく、その中にさらに『ヴァニシッサ』の人格が埋め込まれていた、という事実であった。
『止まり木』に組み込まれた者は、現世での肉体ではなく、その本来の「精神の形」に沿った姿で再構築される。
……このため、『罪花』の関係者達は乙女の姿とその本来の姿(客か、あるいは乙女にされる以前の町娘の類か)が常時揺らいで切り替わり続け、本人も錯乱して暴れ逃げ惑う有り様であったという。
リュグルソゥム家はそれを戦闘訓練の一環として、1名ずつ追い詰めて無力化していき、【精神】世界においてそれぞれに「本来の人格」を取り戻させて行こうとしていたが――その中で出現したのが『ヴァニシッサ』だったわけである。
何故か『止まり木』世界における”戦い方”を熟知していた『彼女』は、次々に乙女あるいは客らの”身体”を乗っ取って逃げ回り、あるいは同時多発的に複数名で出現し、リュグルソゥム一家にとっては思った以上に効果的な戦闘訓練となったようであったが――。
「……それで、最後に『ヴァニシッサ』を追い込んで、追い詰めて、閉じ込めたのがその娘だった、というわけか――面妖にも限度があるというものだな」
「一応、オーマ閣下の御心を休んずらせてもらうと、その娘が一番深い”根”みたいなものだったと特定した上でのことだからね? んで、二番目がその寝てるお姉さん。最初に『ヴァニシッサ』さんとして、閣下達のお相手をした人だね」
いつの間にか、サイドゥラの影のように付き従っている【瑠璃瓶商会】の連絡員の存在に気付いたキルメが眉をひそめ、『ねぇねぇあの二人どういう関係なの?』『ちょっとお姉ちゃん今そんな話は……』などとティリーエとひそひそと話し始めた。
中性的な顔立ちで少年とも少女ともつかない、年齢も一目ではわからない存在であるが……まぁ、リュグルソゥム家の監視に一旦は任せ、俺は『ヴァニシッサ』という人格的存在に思考を戻す。
あらかじめ楽師蟲アインスが見破り、イオータがその狂える”踊り”の中によって「意味的な繋がり」を破砕していたこともあり、『罪花』の『蜂の踊り』は明らかに弱体化させられていたことも大きく、『止まり木』でのリュグルソゥム家による疑似『ヴァニシッサ』集団の制圧と解体と――そして分離が目論見通り完了。
それでもサイドゥラ曰く「荒療治」だったとのことで、現世での彼らが物理的に目覚めるにはまだ時間がかかりそうだとのことであり、ル・ベリも医術的見地からその見立てを支持している。
斯くして、ヴァニシッサという人格は、ここ【染みの桃花】店周辺における”感染源”であると特定された「精神」と「肉体」の中に追い詰められ、追い込まれ、最期の最後の最終手段として『罪花』が備えていたであろう究極の情報隠滅技術であろう「精神的突然死」に及んだわけであった。
――おそらくだが、この情報隠滅は、本来ならば『花』も『蜂』も、そして『客』も、およそ『ヴァニシッサ』という人格が感染した全員において、同時に起きるべきものだったのだ。
つまり壮絶なる「口封じ」が行われる寸前だったのである。
この意味では、リュグルソゥム家がやってくれたことは、単なる追い込みでも戦闘訓練でもなく、危険極まりない致死性の地雷の除去作業であった……とでも評価できるだろうか。
俺が当初から【精神】属性殺しの役割を持つ黒瞳茸を投入しなかったのは、まさに、初手からこちらに強力な対策どころか妨害策があることを悟られれば、もっと早いこちらが阻止できない段階で「同時自害」される可能性があったため。
……流石に【精神】属性魔法の使い手達を相手する以上、味方であっても、そうした暗示などによって情報隠滅を図る手立ては有しているはず、という当初の見立てである。
その判断は奏功し、許容量の範囲に犠牲は収まったわけだが――。
「問題は……これが、ていうか、こいつ? が、どこまでマルドジェイミ家の中にいるのか、いや、広がっているのか……ってことだよな? オーマさん」
ユーリルが核心を突いた。
【生命の紅き皇国】の【血の影法師】として、リュグルソゥム家とは異なる観点からの『長女国』各頭顱侯家の情報を持つ。それと、リュグルソゥム家の知識と、そして今回の事象を組み合わせると――【歪夢】のマルドジェイミ家と『罪花』の関係性、そして、リュグルソゥム家との関係性における疑念と懸念が浮かび上がってくるのである。
――繰り返すが、ヴァニシッサという人格的存在は、念じれば精神世界で事物が具現化するという『止まり木』の性質を熟知していたかのように、狡猾にルクら新リュグルソゥム家の”追い込み漁”に抵抗していたのだ。
「どうしたって、クレイモル……を連想してしまいますね」
ぽつりと、次男アーリュスがこぼす。
ルクらの表情は一様に微妙だが、おそらく既に散々『止まり木』で議論をしてきたのであろう、特に険しくなるなどという様子はない。
かつて、リュグルソゥム家で精神融合事故を引き起こし、マルドジェイミ家に『止まり木』の秘密がバレる原因を作った一族の追放者。
特に【青き軛の杭】というリュグルソゥム家への天敵魔法が生み出されたことなど、一族にとっては憎々しい存在であるが――では、彼は果たしてどのようにして、マルドジェイミ家がこの術式を生み出す原因と、成った、のであろうか。
――単にマルドジェイミ家に投降して洗脳されて情報を根こそぎ抜き取られた、だとか、魔法実験の対象として徹底的に搾り取られたか、だとか、そうしたものとはまるで違った”視点”に、ルク達は気づいてしまったのだ。
というのも、マルドジェイミ家の血族達には、一つ、非常に”変わった”性癖があることが、ユーリルがもたらした吸血種側の情報が綜合されることで判明していた。
彼らは『罪花』の娼館で客、あるいは乙女達に【精神】を同調させ、その物語を愉しんでいるのだという。
……時には、少々、いや、露骨に過激かつ過剰な形で、その物語が終焉するという嗜虐的かつ被虐的な展開をも――同調した対象が受ける壮絶な情動と苦痛が自らの精神に逆流してくるのを愉しむ、という、なかなかに忌まわしい夢を繰り返しているのだという。
故に【歪夢】。
故に『罪花』は、最も主客逆転した存在であると言われているわけであった。
主家の欲望を忠実に叶えているという意味では、彼らは確かに忠実なる走狗組織ではあるのである。
乙女の多くが、通常は『罪花』が進出した都市において”現地雇用”され、訓練されるというのは、才無き枯れ井戸達にとっては一つの生き延びるための道であることは確かだが――文字通りにこの胸糞の悪い頭顱侯一族に喰われて消費されている、ということを最も端的に示している事例と言えるかもしれない。
――精神的支配を施した上での性上納、か。
かつてオーマとなる以前の俺の中にある『■■■■会』とかいう記憶がフラッシュバックしかけるが、今は、呆けている場面ではないとそれを【ルフェアの血裔】としての【強靭なる精神】で抑え込んだ。
決して、その残酷度という意味で「どちらの方がマシ」と比較できるようなものでもないのだが。
『罪花』が性搾取をしている組織であろうことは、一国の売春業界を取り仕切る以上、当然に予測していたことではあったが……人格をも搾取していた、という意味で、俺の想像力をさらに超えていただけのことではあるのだから。
思考を戻そう。
果たして、この『ヴァニシッサ』という”人格”について。
もしもこれが、マルドジェイミ家あるいは『罪花』に取り込まれたかつての『クレイモル』という”存在”の成れの果てのようなものであるとしたら? そのような疑念が浮かぶのである。
「クレイモルが単にマルドジェイミ家に先に、オーマ様の言葉を借りれば”汚染”された、って線も普通にありますけれど」
果たして、この『ヴァニシッサ』または『クレイモル』または『誰でもない誰か』が”汚染”しているのは、『罪花』という組織だけであろうか。
ルクが言うように、マルドジェイミ家が生み出して使役しているだけの存在である可能性も否定はできない。だが、同時に、この『誰か』は既にマルドジェイミ家自体をも喰ってしまっている可能性があるのであった。
「まぁ、オーマ閣下。仮にそいつが『クレイモル』だとすると、違和感はあるんだけれどさ」
「……グストルフと仲が良かったお前がそう言うってことは――【転霊童子】とは”別口”だと思ったわけか?」
しゃらりと灰飾りを鳴らし、考え込むようにサイドゥラ青年が腕を組む。
「そうだね。彼なら、あいつなら、あの野郎なら……こんな形での”再会”はきっと趣味じゃない。感覚的な話だけれどね」
リュグルソゥム家が『止まり木』で行った議論の中では、【春疾火の乱】の一環で迎撃した『廃絵の具』の部隊についてきた、リリエ=トール家御曹司グストルフ……として生きていた【転霊童子】という怪物が、やけに、『止まり木』であらかじめ詰み手を幾通りもシミュレーションしてからそれを現世で再現するというリュグルソゥム家との戦闘スタイルを相手するのに慣れていた――ということを訝る意見も出ていたようだ。
だが、それは仮に奴がその名の通りに輪廻転生を繰り返す存在であるならば、単に、リュグルソゥム家と敵対してきた者の中に何度か混じっていた、ということでも説明することはできる。
それでも慣れ過ぎていた、ということを慎重なアーリュスが気にしてはいたが。
理想は、この暫定『誰か』の感染中継源であった眼前の少女を、遺体にさせずに情報を搾り取ることであったろう。
だが、自己認知さえも書き換えられ、さらに人格”ウイルス”のようなものにまで侵された彼女から、エイリアン=パラサイトや、あるいはル・ベリの【弔辞の魔眼】の力でも正確な情報が取り出せるかは少々怪しいところではあったが……真の己を最期に取り戻せた一瞬の、安堵とも戸惑いともつかない呆然とした表情を思えば、情報に対してあまり欲深くなりすぎてはいけないか、と俺は己を戒めたのであった。
――『長女国』と対峙していく以上は、今後も、マルドジェイミ家を含めたこの『誰か』の正体を探る機会は訪れるだろう。
元々、【染みの桃花】店自体が、ナーレフの中でも独自に人払いを行い、周囲から半ば自己隔離して独立したように存在していたのである。
惜しくも生きて取り逃がしたイセンネッシャ家のツェリマと異なり、超常的にも、物理的にも、迷宮の【領域】的にも、【染みの桃花】店は完全に封鎖状態に置いた上で制圧を行ったため、俺が「何をしたか」の詳細は『罪花』の本部には伝えられていないと判断して良いだろう。
【エイリアン使い】の力をも組み合わせたリュグルソゥム家による「精神世界リンチ」により、仮に、マルドジェイミ家か『罪花』に『止まり木』に似た技術があったとしても、特に黒瞳茸の力によってそれは逆封鎖されていたはずであるから。
そして、現在の「新」リュグルソゥム家にとって、マルドジェイミ家は復讐対象であることに加えて、過去の「旧」一族に秘められながら今に引き継がれる”謎”に迫る存在であるかもしれないという意味で、その重要度を増していたのであった。
その故に――。
「『罪花』の”店”には、店長扱いの『公主蜂』がいる店と、店長代理扱いの『執事蜂』がいる店が分かれている――ということは知っていました。そしてこれはまだ仮説ですが、この『執事蜂』がいる、つまり、『公主蜂』がいないということが、オーマ様の言う”汚染”の条件であるとしたら」
「私達に素敵な情報をくださった、あのシーシェさん。彼女が本当は【桃花】店の『公主』だった……のかもしれませんね? 我が君、そして――ル・ベリさん」
今回の件で、襲撃の寸前とも言えるベストタイミングで滑り込んできた『シーシェ』という名前の『花』にリュグルソゥム家の疑念が向くのもまた当然のことであった。
ル・ベリと彼女の”馴れ初め”は、次の通りである。
俺の命を受けて【染みの桃花】店に交渉のため訪れたル・ベリ。
あらかじめ分析していた、VIPの一人であり正式にナーレフに赴任してきたジェロームという男(現在「乙女」達の中に混じってガクガク震えているのが見える)向けの特別な”商品”ということで、そういう用途向けに見せかけながら今回の作戦のために「調整」した小醜鬼を納品するのが目的である。
【ウルシルラ商会】の面々ではなくル・ベリに任せたのは、言うまでもなく【精神】属性魔法による洗脳を避けるため。加えて、ル・ベリは『瓶詰め脳』をそのテストも兼ねて持っていっており――効果自体は侯都グルトリアス・レリアにおけるリュグルソゥム家の諜報活動で確認できていた――万が一の対策となしていたわけだが。
だが、ル・ベリを応対していた『花』の一人であるというシーシェが、世間話の中で、彼が自身の経験と合わせた”外向け”のストーリーに脚色した「母の故郷を探す」というキーワードが何かの琴線に触れたらしく(ル・ベリ談)、予備交渉の後も街中で付きまとうようになり。
実力でもって黙らせようと考え始めたル・ベリに、彼が予防のために持っていた『瓶詰め脳』の存在に気づいている節をアピールしつつ、さらに、自身が「情報提供者」になるということをアピールしつつ。
「いえ、いいえ、御方様。はっきり言わせていただきますが、あの女のしつこさは――『アピール』などという生易しい言葉では決して」
≪きっと技能【ル・ベリさん感知】があるのだと思うほどの出現率さんだったのだきゅぴぃ≫
「あぁ、わかったわかった、わかったから」
それでもル・ベリは、ナーレフの裏社会のうち、ハイドリィが掌握できていなかった領域をも手に入れるためのこの俺の計画実現の足を引っ張らぬよう、せめてこの『罪花』の襲撃計画実行の日まで……と、耐えて我慢して泳がせてきた。
無論、いかにも怪しい『情報提供者』となる申し出をル・ベリ自身は受けなどしておらず、適当に撒き続け、【桃花】店の襲撃後にそれでもシーシェが生きて捕らえられたならば程度にあしらうつもりだったようであるが――結果は、俺がナーレフを訪れ、しかも『罪花』への攻撃をその日に実行するという思惑を嗅ぎつけ、あの「さまぁ~~ん」な嬌声と「ぐるぐる簀巻き」な姿と共に鮮烈なる印象を与えてくれたわけである。
もっとも、その場で彼女がこの俺に提供してくれた情報は、『ヴァニシッサ(一人目)』や『蜂』と『花』の詳細な館内の配置と役割や、館内の防備耐性(特に防衛用の魔法陣の配置)や構造(ただし「2階」と「3階」の違いについてはの”認知操作”は注釈されず)といった襲撃計画を立てる側からは急所を掴んだとも言えるクリティカルな情報ばかりであり。
それが嘘であり罠であるという可能性さえも加味して、少なくとも、事前の計画を実行段階に向けてさらに細部を調整させる役には立ったと言え、結果的にではあるが、犠牲者を減らすことに寄与はしていると評価はできた。
……そしてその情報の中には、その時点ではまさかここまで『罪花』にとっての核心的な技術であるとは思っていなかった『蜂の踊り』もあったのである。
アインスによる解析が、解析を通り越して狂踊蛇イオータによる撹乱にまで発展したのは、確実にこの影響による。それは、引いてはリュグルソゥム家を【共鳴心域】ネットワークによって「精神世界リンチ」でサポートする役にも立っており――。
「【桃花】店を潰したかった、ということまでは誰でもわかるよな」
「そうだね、吸血種君。で、問題はその理由だろうねぇ」
「……あんたならもうわかっていて、それをこれからオーマさんやみんなに披露すると思ってたんだけど? 【放蕩者】のサイドゥラ兄さん」
「君みたいな”殺し屋”にまで知れ渡るほど、別にシャンドル=グームで派手に遊んでいたわけじゃないんだけどなぁ」
焼きが回ったかな、というサイドゥラの自虐を生暖かくリュグルソゥム家の面々がスルーしつつ、話はシーシェの処遇に戻り移っていく。
彼女は現在、ル・ベリを監視役としつつ、現在は、ベネリーの酒場兼宿屋地下室とは別の拠点に移送し(ぐるぐる簀巻きのまま)、一時的に黒瞳茸と道化蟲モノに監視を任せていた状態である。
モノはその足で、先ほどの『蜂の踊り』崩しに参加し、そして、今また戻ったというわけ。副脳蟲ネットワーク上で、ル・ベリになぜ付きまとうのかについてモノが面白おかしくシーシェと”対話”している情報が共有されているが――俺はそっとそれがル・ベリに伝わらないように「この俺専用回線」にそのやり取りを移動させつつ。
――焦点の一つは、シーシェの中にも『ヴァニシッサ』だか『クレイモル』だかわからない『誰か』がいるのではないか、ということであった。
だが、俺の直観は、彼女がマルドジェイミ家と深い関わりのある『何か』であったのだとしても、少なくともそれは今回対峙することとなった、この『誰か」とは、”別口”ではないか、というもの。
理由は非常に単純で、もしもシーシェが『誰か』ならば、彼女にとって「仲間を売る」行動のメリットは――実は本当にル・ベリに近づきたいと思っていたとかいう乙女心な理由が真実であった場合を除き「御方様!!?? ご無体な!」ええい俺の思考に割り込むな! 割り込ませるな副脳蟲ども! ≪きゅぴぃ!? どうしてバレたさん!?≫ ――おほん。
彼女の行動がもたらしたのは、ナーレフの掌握を巡る一連の闘争の勝者であるこの俺の勢力に、監視付きとはいえ、潜り込むことができたという程度のメリットしかないことである。
そして、仮に『誰か』がそれを狙っていたのだとすれば、ここまで回りくどく対抗してくる必要がない。まぁ、この俺がマルドジェイミ家の勢力は排除する、という強い意志で臨んだこともあるにはあるため、もしも先にそれを読み取られていたのであれば、見事にシーシェは抱え込む羽目になってはいるが――そもそも排除と壊滅という俺の意図を読み取ることができていたのならば、その時点で撤収か「同時突然死」をさせれば済む話である。
従って、シーシェの”寝返り”は『誰か』の保菌者として説明できなくもないが、同時に、彼女自身の思惑が存在しており、それに基づいて、意図的に今回の襲撃計画に乗っかってきた――という説明も十分にすることができる。
「確かに結果を見れば【桃花】店は壊滅した、と。主殿とミシェールは、それが、シーシェという女の目的だった、と読むわけか」
「見立て通りです、ソルファイド様。リュグルソゥム家に害を成す者同士で食い合う様は小気味良いことですが、」
「事情を知って逃げるでもなく。あの『ヴァニシッサ』どもが巣食っている……とわかった上で、【桃花】店を壊滅させるつもりで、オーマ様に接触したのなら、あの女シーシェは、むしろマルドジェイミ家の傍系で固められた忠実なる『公主』の側である可能性が、ある。そんなところです」
果たして、毒をもって毒を制そう、とでも意図していたのか。
『誰か』がマルドジェイミ家に使役される存在ではなく、むしろマルドジェイミ家自体を冒す獰猛なウイルスにして災厄であるならば――それを除くために『蜂の踊り』の秘密まで全開示してきたシーシェは、その検疫と防疫と駆除を目的としている、という見方もまたできるのであった。
「まぁ、最低でも『止まり木』で尋問をしておく必要はあるけどねー」
「そうだね。それではっきりするし……すると思います、オーマ様」
ダリドとキルメの長双子が、そのように当面の対応方針をまとめる。
『罪花』の”特性”をここまでは看破できておらず、その意味ではぶっつけ本番であったとはいえ、曲がりなりにも『誰か』を暴き出すための方法論は確立することができたが故の判断である。
その精神的”闇鍋”化を砕き、この俺の【情報閲覧】技能に対する認知的メタを覆すことができるようになった――という意味では、当初の想定とは全く異なる成果であったとは言えるだろう。
少なくともシーシェが『誰か』であるかどうかは、はっきりさせることができる、とルクは自信を持って述べるのであった。
まぁ、リュグルソゥム家にとっても、この俺の迷宮の力への依存を前提としたものではあるが、かつて苦渋を飲まされ「旧」一族が壊滅される決定打となった【青き軛の杭】を破る術を得たという意味で、より積極的に『罪花』やマルドジェイミ家に対して打って出ていくことができるようになるという意味でも転換点かもしれない。
そして、と俺は頭と視点をまた切り替える。
今回の襲撃の成功から、一つの重要な状況推察が可能だったからだ。
「大した結束だな。どうやら、心配したほどには【破約】派内部で『この俺』の情報は、まだ、出回って共有はされていないらしいな?」
『罪花』は彼らの主家との関係においては倒錯した主客逆転状態ではあるものの、他の頭顱侯家からすれば、対等とは扱われない一走狗組織に過ぎない。加えて、各走狗組織がハイドリィの調整下で進出していたとはいえ、まとまった”戦力”と数えられる程度の人員を送り込んできていたのは、他には【人攫い教団】と『廃絵の具』程度であり――いずれもこの俺の迷宮が叩き潰した。
その意味では、元から、すぐに情報共有されて連携されるとは思っておらず、しかし可能な限り「真の脅威が露見していない」というアドバンテージを活かすために、ナーレフに壮大な地下臓漿ネットワークを形成してまで「遮断」して陥とす、という徹底した手を打ったのだ。
だが、それでも頭顱侯各家に【魔人】の脅威という警告が、取り逃がしたツェリマを通じてイセンネッシャ家から適切に発されれば――この場面での【桃花】店や、その中に取り込まれていた各走狗組織の連絡員達の行動や取り扱い、連携にもまた違いが見られたに違いない。
その強度を測る、という目的も、今回の襲撃にはあったわけである。
故に、よもや『罪花』が籠絡して取り込んでいた「連絡員」達の一部を生きたまま確保することができたのは、今後の構想において、俺にとって重要なプラス要因にして加速要素となるのだと言えた。
そのような”今後”に向けた戦略を練り直しつつ、臓漿越しにぞくぞくと現れ始めた労役蟲やら『運搬班』やら『土木班』やらの眷属たるエイリアン達に、ジェロームら一部の今すぐ利用したいVIPを除いた捕虜や情報をせめて抜き取りたい遺骸の回収を含めた戦後処理を任せ、俺は従徒達と共に撤収を開始したのであった。





