0248 蜂が踊るは泥魔土香が混じる鍋中(かちゅう)(2)
高級娼館である【罪花】の店舗は、ただ客が花と戯れるのみの場ではない。
その前後もまた伽の物語であるが故に”饗応”が行われる。
具体的には、食料品貯蔵庫や酒蔵が設置されているだけでなく、様々な需要に応えた衣装品・小道具に加えて、果たしてそれが館の運営という本来の用途として使われているのか、はたまた”饗応”に利用されているのか、もはや曖昧化している拷問部屋なども存在している。
――だが、その詳細はもはや語るまい。
それなりに充実した地下設備があり、それなりに充実した「地下空間」がある、ということ。そして、それらが今まさに爆破され――瓦礫の山と崩落せしめられた、ということが重要であった。
――ヴァニシッサの命によって、である。
苟も『長女国』の頭顱侯家を支える走狗の一員として、彼女は種々の違和感と、そして分析によってその脳裏には直ちに「坑道攻撃」の可能性がよぎる。
そしてよぎった際に、その正体は判然とせずとも――異装の商会主オーマに宿るある主の「力ある者の自信」を感じ取った彼女の決断は迅速であった。
守勢側において、相手が「坑道」戦術を採用してきた際に、どのように対応すべきか?
それは魔法使いとしてではなく、群れを成して巣を守護する『蜂』を率いる者としての戦術的な知見による即応であった。
一つ、対抗坑道を構築して迎撃戦によって撃退する。
――人手不足のため、これは困難にある。
一つ、河川などを引き込んで水没させる。または、液体性の毒物を流し込んで封殺する。
――前者には相応の土木工事と備えが必要だが、まさか、西方の最前線から離れたナーレフの地でそのような襲撃が発生すること自体を想定できず。ただし、後者については、『罪花』の支店としての標準的な蓄えはある。
そして、最後に最も緊急的に採ることのできる手が、一つ。
――すなわち、地下空間を爆砕することによって土砂と瓦礫によって埋め尽くし、侵入経路そのものを封鎖することである。
斯くして、『蜂の踊り』によって伝播される指令により、地下施設の各部屋・各通路に仕掛けられた魔法陣が速やかに『蜂』達によって【土】属性と【崩壊】属性を織り込んだ破壊的な術式に変貌。
連鎖的かつ決断的な地鳴りと共に、例え侵入を試みてくる者が【空間】魔法の使い手であろうが、その身を血飛沫に変異させて隙間をすり抜けようとする吸血種達であろうが、防ぐための土砂の防壁と成したのである。
なぜならば、この崩落せる瓦礫には、地下酒蔵の”毒酒”もまた染み込まされていた。
『罪花』謹製の蜂蜜酒・蜂蜜茶は、特殊な製法により、調味料を調製することによって後から毒とも薬とも成すことのできる代物。結果、十数樽にも及ぶ「生物の体液によく混ざる毒」が生み出されて土砂に混じり込む。
これこそが、わずかな隙間を血飛沫化してすり抜けようとする吸血種達を筆頭に、生物に対して極めて強力な毒の障壁として機能するものとなるのである。
相手の正体の全容を掴めぬ中において、それでも、その機先をさらに先んじて潰そうという即席の対処としては、ヴァニシッサの指令は、決して間違ったものではなかっただろう。
「……何やら、地下が騒がしいようで」
巣を揺さぶられようとも、必ずしも『蜂』達は五月蝿て狂奔するわけではない。
さも涼やかに、自らの上気した反応を見せてみたオーマの困惑さえも材料として呑んだつもりのヴァニシッサであったが――。
「そうだな、確かに騒がしい。まるで天地がひっくり返って、大地が、噴き出しているかのようだ。そうだろう?」
果たして、【ルフェアの血裔】の種族技能【強靭なる精神】が、そこで初めて発動されたことに、【精神】属性の大家の家人として得も言われぬ直感が働いたか。すうっと、眼前の青年の表情から困惑と、ある種の憐憫にも似た感情が、少なくとも超常的な作用によるものとしか思えぬ不自然さによって消えたことを察知するヴァニシッサ。
彼女もまた職業技能【群蜂の直覚】によって、事態が急転し、そして開始せるを悟る、と同時に、蜂が最大限の警戒を以てその羽を不協和音的にさざめかせるが如く。
椅子に座った姿勢から、下段から振り上げる座り居合いの如く神速の踵蹴りを一閃。
魔法格闘術による加速が込められたヒールごと仕込み刃により、東方より取り寄せたる樹蝋光沢の机ごと両断する斬撃を見舞うが――ぞくりと皮膚を生理的嫌悪感で泡立たせるような悪寒。
と同時に、みちりと、まるで肉の糸を束ねて作った綱としか表現できない不気味な弾力性によって足撃の刃を包まれ受け止められる感覚。
【魔人】の語が脳裏を更なる瞬閃と共によぎる。
だが、それは決して、異装の青年オーマの身体からその衣服の下から、まさに今喩えた通りの幾条もの肉の繊維を束ねたものを更に肉肉しく束ねみちりと軋むかのような生物学的な強靭さを突き詰めるために捻りよじったものであるとしか言いようの無い蠢く触手が、拳大の大きさしかない【空間】魔法による”門”から飛び出してヴァニシッサのヒールの踵を押し包むという異様極まる光景を眼にし、精神的な作用ではなく生理的な作用によって吐き気をすんでで噛み殺すかのような嫌悪感を生じせしめられるという未体験の感覚を覚えたから、だけではなかった。
互いの配下と部下もまた、ヴァニシッサの先制とほぼ同時に、弾かれたかのようにそれぞれを制圧せんと動き出していた――が。
地下より。
ヴァニシッサの想定し得なかった更なる地響きが――まるで激流か濁流にも似た、まるで大地が滑るかのような、眼前の肉なる生理的嫌悪とはまた異なる自然的恐怖感を惹起しうるような怖気だつ凄まじい轟音と共に、1階より。
***
ヴァニシッサが行った地下潰しは迎撃策としては模範的な回答であった。
イセンネッシャ家の【空間】魔法テロリスト達も、吸血種の暗殺者達も、いずれも地下を選ぶのは、直接侵入経路としても活用するためであった。然もなくば建築物の基礎を崩落させることで、建物ごと倒壊させる破壊工作であるが……当初からそれを想定して、自ら瓦礫で埋めて潰してしまえば、その思惑は阻止できるだろう。
だが、その一手は、結論から言えばオーマ麾下の地下エイリアン部隊が構築した仕掛けに対して――文字通りに最後の一押しを与えるもの。
”第二波”は、”第一波”を成した地下構造物の連鎖的なひび割れと崩壊の余震と異なっていた。
まるでぐにゃりと大地が、瞬間的にぬかるんで歪んだかのような錯覚――を、地階と1階に近い者達の足の裏を通して――想定し得ないより大きく不穏な、立っていられないかのような予感が先走るように、そうした細かな、しかし緩急のある微細なる「波」を伴うように。
崩落し潰された地下区画の直下が、揺れたのだ。
1階で包囲体制と外部への迎撃のために備えていた『蜂』と『花』の乙女達が、そのような、ホール全体ががたがたと狂おしく揺さぶられるかのような不穏な振動を知覚する。
何かがおかしい、ととっさに床に手をつける者は、その指骨の隙間にまで滲み出るかのような、ぴりぴりとした震えを感じ取る。
1階ホールの中央部の床が、不自然に膨らみ。
そして床全体が、まるで苦悶に喘ぐ重病人の肺が嗚咽するかの如く、鼓動し。
異常に対して、魔法的な干渉が及ぼされていないかを確かめるために、数名の『蜂』が感知魔法を発動させながら近づいていく。だが、彼女らは、鼻腔をむっと押さえつけるかのような、わずかな金属錆と、そして湿った土と泥の香りに気づき――その次の瞬間。
幾百もの厚板が轟音と共に引き裂けて弾け吹き飛ぶ。
寸毫を待たずして膨大な土砂と泥の柱が垂直な濁流の逆巻きとなって夥しく噴き上がった。
悲鳴と怒号。何が起きたかもわからずに濁流に飲まれた乙女達と、それらをもろともに消し飛ばすような濁流の衝撃波。
壁に並んだ青い魔力灯は衝撃波に叩きつけられて一斉に砕け散って火花を飛び散らせ、1階ホールから2階への”吹き抜け”を文字通りに噴き抜けて突破した土砂と泥と臓漿と流壌の混合物は直上に狂奔するがままにシャンデリアに直撃。その躯体を天井に叩きつけるように押しなぎ倒して破砕し、ガラス片をも飲み込み、なおも、圧迫されにされたその激流の運動エネルギーを逃がし切ることなく――『染みの桃花』支店を内側から塗り潰すように爆ぜて飲み込む。
苦悶に身を悶え捩る巨大蛇の如く。
暴れる泥柱が重力に引かれて泥の飛沫となって激しくホール全体に降り注ぐ。
ぶちまけられた噴撃は乙女達に直撃するが、被害者となったのは、最も”火口”に接近していた彼女達だけではない。大勢の【水】属性の魔法使い達を集め、豪雨の時期に、河川の氾濫をも利用して行われるある種の水攻めか水責めさながらに、ホールの床に空いた大穴――その地下の区画のそのまた地下――から溢れ出す泥流の勢いに圧され、『花』も『蜂』も誰も彼も、膝上から腰に、さらに一部では肩の高さにまで泥に呑まれ、立っていることはおろかまともな呼吸をすることすら困難な状態に陥らされる。
ホール全体が茶色と黒と紫の霧のような粉塵混じりの砂煙に押し包まれ、青い濃淡の魔力灯の幻想が粉微塵に駆逐される。
加えて、この泥と臓漿と土砂と流壌の混合流体が、まるで押し出されるように溢れ出す勢いは留まることを知らず。呑まれ飲まれたそのままに転倒させられ、【活性】属性による身体強化の術式も間に合わず――乙女達は一様に、妨害魔法が無いにも関わらず『魔力阻害』の効果を受けたような魔法の発動し辛さを感じつつ――館の床を浚う泥の波濤に巻き込まれ押し流され叩きつけられたのであった。
――このように、『染みの桃花』支店が泥流に蹂躙されたのは、わずか数十秒足らずのことであった。
【エイリアン使い】オーマの指揮下、土棲系の能力や【遷亜】を与えられたエイリアン達は、ナーレフの都市区画の”地下”を、下水を処理するための暗渠設備などが十分ではない、旧市街や貧民街などを含む外縁部から攻略していった。
それはそのまま、一つの都市の直下の空間に迷宮領主としての広大なる【領域】を展開するための準備であると同時に、街の主要な機能や、重要な諸組織の拠点が固まる新市街を地下から包囲し、攻囲するための一手を成す。
その中でも最大の圧力として、オーマが標的としたのが【罪花】の支店であった。
新市街の地下に設置された暗渠のネットワークと、そこに接続して派生するような、各建築物の地下室や地下空間。これを一挙に制圧することで、文字通りに、地下組織ごと押さえてしまうのである。
これに対し、ヴァニシッサは『蜂』の乙女にして戦士であるが故の勘によって地下室”潰し”を敢行。
ただし、オーマは最初から地下崩落がヴァニシッサの対抗戦術であったと予期していたわけではない。
単に、それが彼の採用した戦術と、致命的に相性が悪かった、というだけのことであったのだ。
――オーマは最初から、この土砂の液状化・噴出現象による制圧を作戦の中核に据えていた。
『染みの桃花』点の地下室区画の、さらにそのまた地下にて。
”名付き”が一体『流没蚯蚓』ミクロンの率いる地下ネットワーク形成班のエイリアン達が形成したのは、ちょっとした兵舎がすっぽりと収まってしまうほどの範囲の臓漿溜まりを形成していたのである。
これはナーレフの地下深く、各所に形成されていた結節点としての臓漿溜まりと同じものではあったが、他と異なるのは、その大きさだけではない。配置された複数の震泳次元茸の内側に蓄えられていたのが『中継拠点セット』を成すファンガル系統エイリアン達ではなく、限界までなみなみと蓄えられた、純然たる臓漿(流壌によって水増し済)達だったことである。
この、土中に配されたエイリアン能力による次元の門達から、とめどなく臓漿が排出され続けていた。オーマが『染みの桃花』店に到達するよりもずっと前から。
しかし、鉱夫労役蟲や地泳蚯蚓らが【土】属性による干渉を行い、さらにリュグルソゥム家指南の「土中魔法陣」の軌跡を組み合わせることで、この”溜まり”を包む地中の土壁は魔法属性的に強化されることで決壊には至っていない。
さらにミクロンが、その繊細な土壌組成の範囲的な組み換え能力により――柔らかい土壌を引き寄せて、この臓漿・流壌混合物に混ぜ込むことで、その質量と体積は急速に膨張し、そして、その圧力をみしみしとメキメキと高めていた。
最中にて流没蚯蚓ミクロンは、オーマからの指示と、土中の臓漿ネットワークを経由した副脳蟲達の【共鳴心域】によって強化代行された【眷属心話】を通して、今か今かとその時を待っていたに過ぎない。
――許容量を超えていながらなおも絶えず注ぎ込まれる臓漿が”溜まり”内部の圧力を、過飽和状態のままに何倍、十数倍にも高めていく、その最中。
この”溜まり”を覆う地中の土壁の最上部。
そこだけが、わずかに、強度を落とされた噴火口に変化させられていた。
……だが、張り詰められ、緊張した均衡状態が、ごくわずかな刺激によって一気呵成劇的に反応が変転連鎖していくのは、化学的現象であろうが、超常的な現象であろうが、然ほどの大差は無いのかもしれない。
裏口からの侵入を防ぐという戦術的な動機によって敢行されたる地下崩落。
その帰結は、まさに、まさに、そのわずかな刺激と成り果てた。
複数の地下室が区画ごと爆破されて崩落した、その衝撃が、直下の臓漿・土砂混合溜まりの「蓋」に直接的な、無視できない程度の振動を与えたのであった。
ミクロンを中心とした土中組成制御によって、過飽和・過剰圧力が増大しつつも、表面上は静止したかのように停滞していた”溜まり”に、その崩落が伝わるや。
逃げ場を求めた臓漿と土砂土壌と流壌と泥流が、如何なる方角へその狂奔したる圧力の逃げ場を求め、そしてその結果どうなったかは、ご覧の通りの有り様である。
臓漿混合物の噴出せる泥流の衝撃波は1階ホールを1メートルと数十センチに及んで埋め尽くし、ほとんど制圧状態に置いたのだ。
ほとんど想定外の類の土攻、いや、泥攻とでも呼ぶべき戦術に、1階ホールに配されていた『蜂』と『花』の乙女が合わせて40名のうち、数名が即死。そして半数が泥流に呑まれ、このうちの半数が気を失うような形でほとんど戦闘不能となった。
単に”噴火口”から距離があったか、初動で【活性】魔法の身体制御を全力で活用して飛び退くか、【風】魔法による気流操作に乗って、最も危険な最初の数秒を泥から逃れた半数は大きな被害を逃れている。
それでも、彼女達の心理に与えられた被害は甚大……ということこそ無かったのは、彼女らが『罪花』の乙女だからである。およそ、魔法使いや魔法戦士として人であり心を持つ者である以上は、技術と実力にその精神の強さは比例するものではないのだが。
――ただの汚泥ではない。
という認識と共に、瞬く間に【明晰なる精神】、【アガクリェンの姿映し】、【ミストリンデの自己陶酔】、【トルクティオの逆違え】といった【精神】属性魔法が連鎖的に発動。
乙女達の心が、壮絶なる環境激変の最中にあって、互いに番い合わされ携え合わせられたような”支え合い”の状態に移行する。
既に『蜂の踊り』によって、つまり魔法の心得を持つ相手に対して、己の手管を隠しながら情報戦を行うような段階はとうにすっ飛ばされなぎ倒されていたからである。
それは、決してリュグルソゥム家が『止まり木』で随時打ち合わせながらの連携ではないが……互いの心と呼吸と思考が、ある程度であっても【共有】された一群となれるのであれば、それは精兵の一体と比較しても、同等以上の集団戦能力を発揮する。
魔力の障壁を生み出して泥を払う者。
【水】魔法を応用して泥流を逸らす者。
身体制御を駆使して負傷した仲間を救う者。
寸断された各種の魔法陣や、魔導的な防御の状況をすぐに確かめる者。
いくつかの魔法を試した直後、泥中に濃厚に混じる臓漿の魔力妨害性能を集団的認知によって看破した乙女達は、瓦礫でも千切れ飛んだカーテンやクロスの切れ端でも何でもまといながら、可能な限り泥への暴露を避けて迅速に体制を立て直そうとする。
――2階で、ヴァニシッサらとオーマが互いの配下を伴いながら戦闘を開始したことが、もはや”踊る”までもない種々の振動を通して伝達されてきていたからであった。
その事自体は、1階に待機していた者達が、外部からの襲撃に備えながら、オーマらの退路を防いで加勢に移って包囲するという戦術に沿ったものである。
むしろ、十数秒の泥の狂奔による暴虐の中にあっては、奇跡的とすら言える練度での対応速度であったと言えるだろう。
――だが。
このようにして地下室から1階ホールを貫通して2階シャンデリアまでぶちぬいた泥の柱がもたらしたる制圧的蹂躙など、単なる先制の一撃に過ぎなかった。
【エイリアン使い】による襲撃と侵攻の”本番”は、その直後からのことだったからである。
館の天井にまで叩きつけた泥の柱が折れ曲がって降り注ぎ、巨大な爪痕を残しつつも、圧縮され圧密され圧迫された末に解き放たれた暴力的な衝撃がそのピークを過ぎて、収まってきたかに見えた。それを確かめ、速やかに乙女達が体制の立て直しのために声と目配せと踊りと【精神】的連携術式を掛け合った、そのすぐ後のことであった。
「まずいッ! 【火】が……!?」
「そんな、【毒】が――!」
同時多発的に臓漿・泥土混合物から火柱と小爆発と噴煙が燃え上がる。
流壌・瓦礫混合物から、空気をしゅうしゅうと冒すような鋭い裂音と共に、さながら火山地帯で見られる光景の如く、目に見えて有毒であると本能的危機感を感じさせる濃霧が立ち込める。
いずれも、炎舞蛍と爆酸蝸らが生成した燃える酸と、礫棘蚯蚓パイローや塵喰蛆ラムダの他、瘴塵茸などから生成された劇物・毒物の類が臓漿と流壌の中に溶解された類。
それらは臓漿と共に蓄えられ、泥の柱が館内を襲ったタイミングで新たに震泳次元茸から供給されたものが、時間差で流出してきたもの。
しかも、そこにはヴァニシッサが地下を崩した際に、吸血種対策のために瓦礫に混入させた『罪花』謹製の毒蜜が混ざり合っており、この意味において裏目となったのである。
ただし、『罪花』の乙女達の対応も早い。
「狼狽えないで! 消火と、浄化を、すぐに!」
既に臓漿による魔法妨害効果がどの程度の強度であるかの知見が共有されつつあり、驚愕こそさせられたものの動揺はたちまちに【精神】魔法によって沈静化。
噴き上がる火柱や毒霧に対し、運悪く負傷してしまった者への応急処置も含めて、実に魔法を修めた戦士・術士らしく、咄嗟に対処と対応を成していく。
――しかし、それで良い、というのが当初からのオーマの計画。
この液状化した土砂の噴撃の後の虚を突く形での追い討ちは、彼女らがそれに対処することそれ自体を強いるという意味での、いわば対応リソースを削るための一手である。
噴射され、泥流となって1階ホールに人の身長ほどもの厚みで堆積した臓漿・泥土混合物の中には――何体もの球根蚯蚓達が紛れ込んでいた。
彼らは『拡腔』因子によって、その体内空間に保持されていた、遷亜されていない次元拡張茸達を次々に吐き出していくが、度重なる自然現象的暴威の前に、そのような生物学的な異変が文字通りの足元の泥中で起きていたことに、乙女達は気づくことができない。
この間に、泥流には乗らず、直接”溜まり”から地上に向けて垂直に浮上してきたミクロンの土中組成操作能力が1階ホールを埋め尽くす臓漿泥土混合物にまで及ぶ。そしてミクロンは泥底において、臓漿と泥土の分離を開始。
【土】属性に適応されていない純粋な次元拡張茸達が活動できる、純粋なる臓漿”空間”を形成するや。
次元門から次々に吐き出されてきたのは、小醜鬼。
――の体の一部を【共生】因子によってその身に生やしたる、ナーレフの夜を劫掠せる変転の尖兵としての表裏走狗蟲達。
……だが、そんな彼らでさえも、この場では門の一種としての役割でしかない。
***
「魔物、化け物、魔獣――魔人だったのですね? やはり――ッッ」
ヴァニシッサの足撃と蹴撃。
さらにその中に織り込まれる、流線の優美さを体現するような鋭い一撃。
加えて、説明せずとも互いの羽音に導かれた蜂が群がり来るかのような、配下達との連撃。
リュグルソゥム家のような異常な特性と比べてしまえば、格も練度も遥かに落ちるだろう。
だが、【エイリアン使い】として、エイリアン達の連携能力を識る俺だからこそ、『罪花』の乙女達が【精神】魔法を”正しく”使いこなした連携戦闘を実現していることを理解できる。
――見事だな、というのが偽らざる感想だ。
そんな敬意を込めながら、しかし俺は、その全ての打撃と斬撃と魔法撃を座ったままに、いなし、弾いて、そしてまだ残っている蜜茶を口につけた。
何のことはない。
迎撃と応戦をしているのは、この俺の生きたエイリアン神輿にして”座台”を成すレクティカであった。
レクティカを構成する幾条もの触肢茸や骨刃茸、鞭網茸らが物理的な攻撃を、そして今は一時的にレクティカに合流した”杖”たるカッパーが、魔法的な攻撃を迎え撃っている。
その上に座った俺が落ち着いて蜜茶の残りをすすれるように、戦闘の振動をほとんど感じさせないように衝撃吸収しながら、時に大きく動いて俺への直撃を避けつつ、ヴァニシッサのあらゆる戦闘技能上の隠し玉をさらけ出させるかのように。
何のことは、ないのだ。
最初から俺は、技能【矮小化】を極振りすることによって、ハムスターサイズにまで小型化させた専用の”次元拡張茸”を備えていたのだ。
そのままでは、この「ポケット」が生み出す門も比例したサイズに過ぎないが――そこに、【騙し絵】家との戦いの中で会得した【空間】属性に関する知見を、ただただ応用すれば良い。
この俺という迷宮領主自身の血肉として、あらかじめ”血”の一滴でも指を噛み切って用意しておけば、【領域転移】能力の拡張解釈的作用によって瞬時に次元門が膨張。
内部で身を潜めていたレクティカが飛び出すと同時に、俺を保護しながらヴァニシッサの先制を迎撃したというわけであった。
――そして。
デェイール、ツェリマ率いるイセンネッシャ家部隊との戦いを経て習得し、さらにそれを、この俺自身の【エイリアン使い】の特性によって存分に応用した形での【転移】魔法を利用した拠点攻撃の本命は、今まさに爆ぜるところであった。
1階ホールを埋め尽くした泥土の底に臓漿塊の中に吐き出されたる表裏走狗獣達。
小醜鬼の皮を【人攫い教団】の墨法師達に刻まれた【転移】魔法の人皮の代用とすることができたならば――この人混みに紛れて夜襲を行うために活用し、【共生】している部分どもにも、それを適用することに、何の問題も無い。
発動のために”人の形”が必要だと言うのであれば、集めてその形にすることができるように、表裏走狗獣部隊を構成するエイリアン達の共生部位を調整すれば良いだけのこと。
あらかじめル・ベリが売りつけていた小醜鬼達らが、最悪処分されるか、隔離されることなどは読めていたことであったのだから。
「毒と洗脳が乱れ飛ぶ優雅な茶会で歓待してくれたんだ、ヴァニシッサさん。だから、この俺も応じないといけないな? そうだな、化け物の”踊り”なんてどうだろう? きっと、熟練の戦士である貴女だって、見たことの無い珍しい光景だ」
そして、1階ホールの泥中に構築されたる本命の【空間】転移魔法の門からは――この俺の【報いを揺藍する異星窟】が誇る”名付き”が率いる部隊が、今まさに、次々に出現するのである。





