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0247 蜂が踊るは泥魔土香が混じる鍋中(かちゅう)(1)[視点:その他]

 『花』達の総出による優美なる歓待。

 たとえ『長女国』の一都市の有力者であっても、そう易々とは受けることのできぬ賓客扱いに対して、来訪せる黒髪異装の青年――【聖山の泉(ウルシルラ)協会】の真の支配者と推定される者――は、興味深そうな、しかし高慢さを讃えたように()()()見せる眼差しで応えた。

 さも、自らが賓客(そう)であることが当然であるかのような、鷹揚にして洗練されたる横柄さを演出している。


 だが、それがその「本質」を隠し、交渉を有利に進めようとする先制の演技(攻撃)であることを、読心に長けた『蜂』の部隊長たるヴァニシッサは見抜いている。


 階下、己が部下たる『蜂』達による一糸乱れぬ護送(連行)を受け、『迎賓の間(ラウンジ)』をゆっくりと歩き近づき来たる様子に、必要以上の警戒心は見られない。

 もっとも、随伴する手下達は、相手方の唇の動きにわずかでも不審があれば実力行使に出るとでもいうような剣呑で張り詰めた空気を(たた)えていたが。


 今回の商談(交渉)のきっかけを直接持ち込んだ、褐色の肌を持つ長身の青年。

 赤髪と顔面の一部を覆う赤燐を生やす、『長女国』で眼にかかることはまず珍しい竜人(ドラグノス)丈夫(じょうふ)

 ……そして、手下達の中では最も存在感が薄く、まるで影の如く最後方を歩いていた三白眼の少年。


 バルコニー上で紫煙を吐き出し、柔和で艶美なる笑みで、この謎の”実力者”――巷では【人物鑑定士】などと呼ぶ者もある異邦人(よそ者)――を見下ろし迎えながら、ヴァニシッサが真っ先に注目したのが、その少年であった。


 彼から、隠す気のない【血】の気配を感じ取ったからである。


 それは枯れ井戸(常人)には感知できるものでは、ない。

 だが、『長女国』に座を持つ熟練の魔法使い、それも最上位の魔導貴族達の藩屏を固めるべき水準を求められる者達のうち、決して少なくない者が、何らかの形で習得または身に帯びることを義務付けられている感知魔法の一つたる【腐れ血の帳簿】が、微かにだが反応していたのだ。



 ――【闇】に潜むはずの”吸血種(こうもり)”をこうも白昼堂々と従えて乗り込んでくるならば、やはり、リュグルソゥム家(復讐者)の兄妹が「奇襲役」ということになろう。



 まだ『採用』して1年にも満たない”新人”達のごく一部に例外的な動揺が走るが、それを察知した直属の部下の一人が【精神】魔法【アンテグティエリの頬縛り】を伝染(・・)させ、それを鎮めた。


 その様子を一瞥しながら、ヴァニシッサは煙管を口に当て、ふうと一息。

 館全体を薄く包む青き煙に、文字通り、ほんの一呼吸ばかりの”濃度”を追加する姿を見せるが――それはただの呼吸ではない。


 商人(成り上がり)どもから貴種(骨董品)どもに至るまでを幅広く”客”として相手取る『罪花』の乙女達は、巣箱(・・)で育てられる際に、まず多用な「礼法(おどり)」を学ばさせられるが――それは表向きの技術に過ぎない。

 この所作の中には、礼儀作法に溶け込まされる形で、外部の者には決して知られることのない、口伝による「作法(暗号)」が忍び込まされていたのである。


 それは『蜂の踊り』と呼ばれ、その単語と文法の意味さえもが絶えず調製される「礼法暗号(・・)」である。


 ヴァニシッサが2階バルコニーから、この()()なる『来賓』を見下ろす顔の角度、腕の組み方、膝の傾け方の1つ1つに”意味”が宿っている。例えば上方に腕を傾ければ「甲」、下方に傾ければ「乙」というように。

 そして次の話者()は、その”意味”にさらに別の”意味”を所作に含み持たせるのである。例えば人差し指を曲げるか曲げないかで「丙」と「丁」を、さらに次の話者がかかとをわずかに上げるか上げないかで、「戊」と「己」を表すならば――最終的には2通りの3乗すなわち8種の「文」が形成されることとなる。


 しかし、このままでは、単なる身体のサインによってあらかじめ定められた、ごく一般的な暗号に過ぎない。

 さらに、そもそも複数名で一体となって活動する『蜂』達において、()()()()()()でこれらの「意味(踊り)」が引き継がれてきたのかが、このままでは不明であり、不明であるならば、連鎖せる礼法(意味)が「文」を成す『蜂の踊り』はその前提を保ち得ない――。


 ――だが、それを解決する技術(わざ)こそが、『罪花』の乙女達の精神(こころ)緩やかに(・・・・)繋ぐ【精神】魔法による()連携なのであった。


 何のことはない。

 彼女達は【精神】魔法のゆるやかな繋がりによって――例えば「感情」の波にさらに裏の”意味”を与えて――踊った者の順番と、そして今回の(・・・)所作と意味の『対照表』のようなものを、あらかじめ伝播させられているのである。


 特に『蜂』達の訓練では、この技術の習得こそが最も重要な部分を成す。


 これはいわば、一種の「可変暗号」のようなものであった。

 その意味は共通の文章でありながら、ある時は「オルゼンシア語」、またある時は「西域共通語」へと、単語も文法もなまりも活用さえもが変貌してしまう『可変言語』というものを、一体どれほどの者が看破しえようか。


 つまり、所作(踊り)の”意味”は固定されることがない。

 踊る者達が都度に「今回の意味(暗号)」を変更でき、それは速やかに【精神】的な連帯によって伝播される。故に、まるで日差しの強弱の如く変化する様は、解読の試みに意味を持たせぬもの。


 ちょうど踊りの教本を渡された踊り子達が、都度、異なる演目を協同して踊って披露するかの如く。

 さながら、簡潔な身体所作の組み合わせのみによって、何キロも離れた土地の花畑の中から、正確に、目標とする一輪の花弁を仲間に伝達する『蜜蜂』達の踊り(暗号)の如く。


 『罪花』の乙女達の間でだけ共有され、維持されてきた【精神】魔法による”言語”は、まさにそれが「どう変化しているのか」を、同じ【精神】魔法によってゆるやかに繋げられた彼女達自身にしか、わかり得ない強力な武器にして防壁にして輪舞(ロンド)の紐帯を成すものなのである。


 ――魔法的な手段によって情報を伝達し、これを感知(傍受)し、それをまた妨害するといった「魔法戦」が発達している『長女国』であるからこそ、意外と、このような身体的・物理的な情報伝達技術は馬鹿にならない。

 彼の【魔導大学】であっても、彼らは魔導の探求者であって、こうした”暗号”戦の専門家ではないのであるから。


 斯くして、異装の青年にして【人物鑑定士】オーマの様子から判断された”対処”方針が、ヴァニシッサの煙管を持つ指の形に端を発し、リュグルソゥム家の残党が率いる魔法戦力による外部からの攻撃を最優先に想定する防衛体制の構築情報として、静かに、館の中に次々と”伝播”していく。


 それは、単に『花』や『兵隊蜂』達の配置に留まらない。想定される魔法攻撃パターンに応じた防衛用の各種魔法陣や、備蓄されている【紋章石】の配置といった領域にまで及ぶものとなっている。

 そして、たとえその中に個々の『蜂』や『花』達の個人的な違和感や、呼吸や足並みの乱れというものが発生したとしても――それらはすぐに、まるで共鳴現象か伝染現象のように、乙女達の【精神】的な連携の伝播(・・)の中によって均されてしまうため、いわば「ちょっと声が震えた」程度の影響しか持たず、その暗号としての「意味」には然ほどの影響をもたらさない。


 この技を以て『罪花』は「走狗であって走狗ではない」存在であると自らを自認していた。


 主家たる【歪夢】のマルドジェイミ家が、自らの欲望の世話をさせるために与えた【精神】魔法の技術は、他の頭顱侯家とその筆頭走狗組織達の関係性からは考えられないほど、もはや技術的には別体系の代物と言えるまでの水準に昇華したのである。

 およそ、リュグルソゥム家の異能を除けば、これほどまでに強力かつ有機的な連携を、ただの乙女に過ぎない『罪花』の『花』と『蜂』達が成し得るのは――まさに、種々の【精神】魔法によって、その心を一つに向けることができているからであった。


 声無き声と、形なき所作と、その意味の連鎖と変幻を成す、伝播の”踊り”。

 これらを通して、ヴァニシッサがナーレフの街中を諜報させていた下部組織【路端の草】や、その”協力者”達から収集された情報は、すでに綜合され分析されていた。


 元々、この地の【歪夢】家の『走狗』をまとめる者として、ヴァニシッサは、ハイドリィ=ロンドールがその配下に吸血種(敵対者)を飼っているという間接的な証拠は元々掴んでいた。

 彼の野心家の手下には、種々の密輸団から特務部隊、処刑部隊に、飼い殺しにされていた抵抗勢力の中心人物――現ウルシルラ商会の会頭――さらに側近として魔導大学の学者崩れに北方蛮族の戦士までもが引き込まれており、実に彩り豊かであった。


 だが、例えそれが主家からの借り物(・・・)であったとしても――”掌守伯(そうく)”に過ぎず、長らく頭顱侯に昇格できるような秘術(オリジナル)を開発する才覚すらも無かった金庫番(ロンドール家)風情が、麗しき『長女国』の数百年に渡る宿敵種の一派の手をも借りていたなどというのは、もはや、大胆を通りこして無謀というもの。


 「人」と「それ以外」をその精神構造から見抜くことに造作もない『罪花』が、このような重大な裏切りを見てみぬ振りをしてきたのは、単に、ロンドール家との手打ちによって、ナーレフという場では棲み分けていたに過ぎない。

 成り上がった後に、この地を【破約】派の新たな”会合地”にでもしようと画策したハイドリィは、無駄に様々な走狗組織の「支部」や「支店」を招き入れていたが――これについては同床異夢というべきものであろう。


 事ここに至ってみれば、ロンドール家の自業とはまさしく「そういう」ところに拠る自滅と言える。

 最終的にどの頭顱侯家の策動によってハイドリィが破滅させられたかにヴァニシッサは興味は無かった。しかし、宿敵種としての吸血種(ヴァンパイア)が、もはやロンドール家による仮初の手綱から外れ内側からナーレフを混沌に陥れようとしているのだとすれば困る(・・)ところであり――その暗躍と実在の裏取りを開始していた、まさにその矢先における、今回の「交渉」という事である。


 もはや代官邸とロンドール家の勢力は完全に瓦解し、夜な夜な()()され、今や草刈り場か無主の地である。そこで最も多くを――下手すれば何もかもを――劫掠していった新たな役者こそが【聖山の泉(ウルシルラ)商会】であろう。


 それこそ、まさにその尖兵として、ハイドリィの秘密の部下であったであろう吸血種(ヴァンパイア)が暗躍していることを裏付ける程度には――近頃のナーレフの夜は()()()()()過ぎた。

 獣にでも食わせたかのように、日が沈んで登るたびに、1つまた1つとかつてロンドール家と繋がりのあった集団が、その戦力の大小や立場の高低を問わずに消されていくことなど、とうにナーレフにおける頭顱侯家直属の走狗組織同士のネットワークでは共有された事象だったのだ。


 そのような、あからさまにこちら側の警戒心を抱かせるような手を打った上で、この場に吸血種(ヴァンパイア)という手駒を晒すことの意味を承知の上であるはず。


 ――このオーマという青年が、ナーレフを、旧ワルセィレ地域を、『長女国』をよく観察しており、そしてそこに復讐の修羅と化したリュグルソゥム家の兄妹の知識が加わっている。


 つまり、これは単なる頭顱侯家同士の駒遊戯(暗闘)の延長ではない。

 それは”絵画売り”に扮した尊大なる【騙し絵】家の貴公子の一行が、出撃した後、ついにその消息を途絶えさせたことからも推察できよう。侯子デェイールの護衛の一人の情婦となっていた『花』からの定時報告も含めて、ヴァニシッサは【聖山の泉(ウルシルラ)商会】の背後には、ある種の外部勢力が存在していると見ていた。


 だがそれは吸血種(ヴァンパイア)達の総本山たる【生命の紅き(アスラヒム)皇国】である、とは思われない。集めさせていた街中における【腐れ血の帳簿】の記録では――活動している吸血種(ヴァンパイア)は1人を超えることがなかったからである。


 ならば、このオーマという青年自身がその「外部勢力(異物)」であるか。


 ヴァニシッサを見上げるように、1階『迎賓の間(ラウンジ)』から2階に至る螺旋階段を今まさに上がって来ようとするその異装の青年は、口の端を軽く吊り上げて歪めるような笑みを浮かべてくる。


 自分が、『長女国』における魔導貴族同士、その走狗同士の”流儀”が通じる相手ではないぞ、と示すために。そして、この街において実質的に最外の治外法権的な独自の勢力圏を確固として確保確立し、今回のナーレフでの政変においても静観を保ち続けてきた『罪花』を、一連の「夜襲」における最終的なターゲットに選んだのだ。


 よりにもよって【精神】魔法の大家マルドジェイミ家の走狗たる『罪なる蜜と絢花の香』の拠点に少人数で乗り込んできておいて、よほどの自信があるのであろう。

 その心は、ナーレフの「裏」までをも完全に掌握し、あまつさえ、この地にひしめいていた他家の走狗達の支部にまで睨みを効かせる……というハイドリィが狙った”成果”をも貪欲に奪おうという魂胆であるか。


 様々な分析と計算、そして思念の交錯が込められたるヴァニシッサのオーマへの注視は、秒にも満たなかった。


 およそ『罪花』の”物語”にその身を染めた熟練の『花』や『蜂』達にとって、本心を表情に出すなどという行為は、肉体からも記憶からも、生理学的な反射からさえも忘れ(・・)られたものである。

 【ミストリンデの自己陶酔】という思考()()で発動される【精神】魔法を会得した乙女達は、常時、この種の雑念を身体的反射から切り離すことができるという恩恵を受けており――大概においては、わざわざ相手に【精神】魔法を仕掛けて意のままにする必要すら無いほど、彼女達は”交渉上手”なのである。


 だが、この相手には”本気”の交渉(歓待)を仕掛けねば、むしろ、むしろ、その事自体がある種の礼に(もと)るようなものであろう。



 ――それがどのようなものであれ。


 此方に存在意義(利用価値)を見出し、役割を与え求めて利用せん、という欲望を向けられることそのものは――『罪花』の乙女達にとっては、至って光栄なことなのである。


 ――如何なる『客』にも、至福の歓待を。


 それこそが、『罪花』を単なる頭顱侯の金庫番(財布)でも道具(捨て駒)でもない存在足らしめた、その原点にして原動力たる始まりの夢想(おどり)であったが故に。



 その矜持を胸に、ふっと生意気そうな笑みを装い浮かべ、ヴァニシッサはドレスの裾をそっと摘んで引き上げ、腰をかがめるような仕草での一礼を披露する。

 貴族位を持たぬ淑女から、貴族位を持つと仮定される他国の紳士に向けた礼法(暗号)――を部下達に向けながら、ヴァニシッサは『応接の間』までの短い歩みで青年に”探り(牽制)”を入れていく。


 例えば【人物鑑定士】とは、どういう意味なのであるか。

 例えば『ヘレンセル村』で慕われたらしい【治癒術士】とどう関係があるのか、など。


 このようなものは挨拶にもならないが、こちらが最低限の情報収集能力すら持たぬ者と思われて侮られても困る、という程度の反駁である。

 だが、そこに、常日頃【精神】魔法を駆使し、または駆使せずに、様々な人間の本質(よくぼう)と対峙……いや、求めてしまう『罪花』構成員としての純然たる好奇心もいくばくか込められていたことは否定できない。


 廊下を歩む間の二言三言の世間話(探り合い)

 その中で、特に必ず控えさせているであろう外部からの戦力がどのように配されているのかについて、読み取ることに専念。彼の反応に応じて『蜂の踊り(礼法)』を示しながら、細かく館の防衛体制を変化させ、また先制的な感知魔法も発動させながら状況の変化を観察することに徹する。


 そして、『長女国』においてマルドジェイミ家の【精神】属性魔法が恐れられるその所以を味わう覚悟など最初からできているはず、と、どこか期待を込めながら小手調べ。

 オーマ側の手下と正確に同数、3名の部下達が自然に合流しつつ、ヴァニシッサは館内に常に薄く漂う「青き煙」を経由した【精神】魔法を発動し、彼らの精神(たましい)感情(こころ)に真の意味での”探り”を入れようと試みた――が。


 逸らされる(・・・・・)

 といった感覚を、ヴァニシッサ達は一様に覚え、顔を見合わせることなく顔を見合わせることとなった。


 オーマ以下4名の精神を防護したのは、魔法的な対抗・妨害手段ではなかったからである。


 ……いや、むしろ【精神】魔法そのものは、逸らされつつも何か(・・)を確かに通ったのだ。

 通ったのだが、霞を掴もうと泉に落ちて溺れ死んだ愚者の故事の如く、まるで全くの無駄足であったかのような無反応。


「何か気になることでも? 麗しき【染みの桃花店】の館長ヴァニシッサさん?」


 その一瞬の間に滑り込まれた異装の青年オーマの言葉は、落ち着いた響きであった。

 つまり、今ヴァニシッサ達が感じた現象に対して――自覚している――ということを暗に物語っている。


 確かに「通用しない」事自体は予測していたが――その手段(・・)が、まったくヴァニシッサ達『蜂』の実働部隊の予測から外れていた。


 【騙し絵】のイセンネッシャ家の【空間】魔法ほど暴力的ではないが、【歪夢】のマルドジェイミ家の【精神】属性という特殊な魔法もまた『長女国』においては強大な脅威として知られる。この程度の”ちょっかい”でどうにかできてしまう相手ならば、ロンドール家を出し抜いて、このナーレフの市政を混乱の最中に掌握することなどできはしないだろう。


 つまり、狼の群れの前に単身乗り込む子羊の如き馬鹿でないならば、当然【精神】属性対抗の【紋章石】の1つでも持ってきているはず。

 それがロンドール家の隠し財産から押収したものか、はたまたリュグルソゥムの兄妹等に製作させたものであるのかを、その純度(・・)から測ろうという意図も込めた先制であったが――まさにこの意図ごと予期せぬ反撃を食らうこととなったのだ。


「……いえ、流石は【人物鑑定士】とも称される殿方。私達も、その眼力にあやからせていただきたいものです」


 曖昧な笑みを浮かべて誤魔化しつつも、一行を『応接の間』に迎え入れる。

 低い机を挟んでオーマと向かい合って座り、お互いの手下と部下が後ろに控えつつも、多義多様な意図の込められた視線を交錯させ合った。


 形は、まさにヴァニシッサが予期した通りの交渉(闘争)の本格的な開始である。


 しかし、つい先ほどの先制(ちょっかい)によって判明した予想外の展開への衝撃を飲み込みきれぬまま、オーマの片眉がひょいと吊り上がるのを見たヴァニシッサ。更なる先手を打たれるならばと、彼女は『ウルシルラ商会』に関する()事実(・・)を織り交ぜながら話を切り出すが――己の内心のどよめきが不穏さを増していることを自覚していた。


 そこで、確かめるために、もう一度。

 今度はより強度の高い【精神】属性感応術式である【アガクリェンの姿映し】を部下達と共に発動させるが――結果は変わらず、逸らされた(・・・・・)という感覚が返ってくるのみ。


 だが、新たにわかった事もある。

 逸らされたその上で――確かに、確かに【精神】魔法は通っており、囁きかけていたのだ。


 まるで人間ではない(・・・・)何か別もの(・・・・・)に。


 この時点でヴァニシッサは既に、オーマが「神の似姿(エレ=セーナ)以外(・・)」の人間種(または亜人種)である可能性を疑っていた。


 無論、竜人(ドラグノス)吸血種(ヴァンパイア)であることがほぼ確定している2名は、その精神構造からして「神の似姿(エレ=セーナ)()であるが――様々な客を相手に磨かれてきた『罪花』の【精神】魔法(わざ)は、たとえ”ちょっかい”であってもその程度ならば本来は判別可能。


 そして、そのことを差し引いても、そもそも逸らされた(・・・・・)という現象の説明にはならない。ならないのだが――術者たるヴァニシッサらの脳裏に示されたる【精神】の波形は、つい最近新たに『罪花』の辞書(コレクション)に加えられたる茶褐色(・・・)色のずんぐりとした小鬼(・・)のような醜き亜人種のもの、なのであった。


 ――そのことが何を意味しているのか。


「私達のような特殊な稼業の……”需要”、というものを理解してくれている商い主様は、とても貴重なのです。先日は素晴らしい”商品”を紹介していただいた――とても、特殊なお客様の嗜好を満たすことができました、感謝しておりますよ」


「まぁ、あれはお互い(・・・)にとって、とても重要な人物だから、当然のご提案ですとも」


 ちょうど、今まさにオーマの背後で苦虫を噛み潰したような顔でヴァニシッサらを睨めつけている男、つい先日に『予備交渉』で先触れていた「ル・ベリ」という名の男が、ウルシルラ商会からの”心付け”として提供してくれたもののそれ(波形)()()していたことがわかった――『資料庫』に走らせていた部下からの伝播(連絡)が返ってくるに、ヴァニシッサは素早く思考を巡らせた。


 【誘導魔法】に近い手段で【精神】魔法の発動対象が逸らされたか。または、ある種の【呪詛】の原理によって”肩代わり”されているのである。

 当然、その「誘導先」は、今既に【染みの桃花店】に納品された醜鬼(商品)達――現在は最上階の極楽の間(プレイルーム)――()()()()


 何らかの手段によって、【精神】魔法に対する身代わりとして、この館の内側(・・)に持ち込まれている別の醜鬼(・・)どもが存在している、としか思えない。

 だが、給仕役の『花』が運んできた蜜茶をどれだけ優美なる『蜂の踊り(礼儀作法)』で飲む所作を通して部下達に調べさせても――館内(・・)に異常は見出されない。


 ならば、やはり”外部”であるか。

 この【誘導】技術の射程がわからない以上、その可能性を考慮すべきである。


 やはり最初の読み通り、リュグルソゥム家の残党兄妹に加えて、西方の諸亜人種とも異なる、独自の「勢力」を保有しているのが、オーマという青年の真の顔であろう。

 交渉の決裂時には、未だその精神構造を解析し終えていない『醜い小鬼』達が武装して乱入してくる展開も想起される――のだが、その侵入経路(・・・・)はどこからとなるであろうか。


 なお、『醜い小鬼』自体が何らかの露骨な「罠」であることは、そもそも承知の上でのものであった。

 故に、そもそもウルシルラ商会側がそれを送り込んできた本当の狙いであるところの、つまりあのナーレフの次期(・・)代官となるべき男の籠絡(ろうらく)のためにのみ活用。彼を入り浸らせている、館の最上階の特別な『極楽の間(プレイルーム)』に、諸共に、隔離したのである。


 ――ちょうど、あの商人(・・)達と同じように。


 この【人物鑑定士】を標榜する男は、旧ワルセィレの土着勢力によるロンドール家支配の転覆に見せかけながら、その実は新興勢力として政権を掌握した。

 その手腕は大したものであるが――掌握後の”掃討”において、自分達をこそ狙ってきた、という点から、ヴァニシッサは彼がこの都市の価値をどのように見積もっているのか、彼の求めるもの(欲望)を推測できていたつもりであった。


 あの商人達(彼ら)を確保していることこそが、『罪花』がナーレフにおいて、あえて『公主(ひめ)蜂』を置かず……つまりより機動性と自律的かつ機動的な現場判断が柔軟にできる『執事蜂』差配の”代理体制”を執ってきた理由でもあるが故に。


 ――それは『罪花』という組織が、単なるマルドジェイミ家の「お守りと介護」をする組織である以上の存在に飛躍する可能性を切り開く鍵。

 ――ロンドール家が狙っていた構想(・・)の、その内実の最も太い重要な脈を抑えてしまう、そのような戦略を実現するための要。


 それでヴァニシッサは、ウルシルラ商会からの「贈り物」に込められた意図を、そうした”権益”に一枚噛ませろという街の新たな実力者からの脅しと接触である……と、受け止めたのである。


 伊達に『商会』を名乗っておらず、また、旧ワルセィレのまとめ役でありながらハイドリィの元でも見事に泳いでみせたマクハードを会頭に迎えているわけではない。才知と野心はあれども、所詮は魔導貴族、貴種としての極めて政治的な(まつりごとの)視点からしか物事を俯瞰することしかできなかったロンドール家などと比べてしまえば、ずっとずっと「経済」というものと、そして『罪花』のナーレフ支店の価値(・・)を理解した難敵。


 それが、ヴァニシッサによるオーマの当初の(・・・)評価である。


 だが、彼女こそは、全ての乙女達と、そして『罪花』無くばその()()()()()喪われるまでに依存する主家マルドジェイミ家のための、より多角的で強力なる組織への変貌を試みる一派に属する『蜂』なれば。


 ――安々と、この地で乙女達がその花弁を散らしながら確立してきた(権益)を、差し出してやるとは思わぬことだ。


 ……と、内心の勇みを新たにしたは良いものの。(「感情」を変化させて『蜂の踊り』の文法(・・)の変化を乙女達に伝播させつつ)


 いざ、この後に予定調和的にほぼ確実に訪れるであろう、交渉事における暴力的な側面(・・)に改めて思考を移すだに――ヴァニシッサは違和感を覚え始めた。


 具体的には、再度、侵入経路に対して何か見落としは無いかと思考を移したのである。

 流石に、大々的な【攻撃魔法】によって館の外壁に穴を開けて突入しようものならば、【紋章】家もこの地を捨て石にし続けることはできない。そしてこの場合、動くこととなる頭顱侯家が1家だけではなくなることは、オーマは理解しているはず。


 ――ならば【空間】魔法か?

 と、この時ヴァニシッサの脳裏には、リュグルソゥム家の元侯都グルトリアス=レリアが現在、【紋章】家と【歪夢】家、そして【明鏡】のリリエ=トール家によって3分割統治されていること、さらにそこでリュグルソゥム兄妹の残党の活動の痕跡が「支店長会議」で報告されたことがよぎっていた。


 無論、それだけならば【空間】魔法(この発想)には至らない。


 だが、『廃絵の具』の元部隊長と共に行方知れずの同期(姉妹)である、トリィシー=ヒェルメイデンという『蜂』が、西方の最前線で、どのようにリュグルソゥム家当主の弟一家を斃したのかを、ヴァニシッサは本人から(・・・・)聞かされていた。


 聞かされた、という記憶(・・)を彼女は有していた。


 ――【空間】属性が込められた【紋章石】などという、従来の理解と前提を超えた代物がその『鍵』となったのである。


 しかし、トリィシーは同じ蜜を飲まされて育てられた”姉妹”であると同時に、どの『支店』にも属さないどころか『本部』の指揮からも外れ、【歪夢】家に直属して働く『蜂』であったのだ。



 ――リュグルソゥム家の当主代理ガウェロットを()()()()()()()()、マルドジェイミ家に持ち帰った……などという重大な機密情報を、それなりに実力を認められて昇格したとはいえ、同じ()()で育ったに過ぎない自分になど漏らしたのか。



 じんわりと、ヴァニシッサの脳裏を不安と不穏が侵し始めていた。


 トリィシーが死んだという確信と確証は持っていないが、主家に直接奉仕する彼女のような特別な『蜂』と基本的に交流することは他の『蜂』にも許されていない。『罪花』風に言えば、異なる”踊り”を踊っている、のである。

 だが、そんな彼女がまるで遺言のように自分に秘密を漏らしたのは――何かを期待してのことか、はたまた、助力を願ってのことか。


 だが、そのような記憶(・・)を持っていることに違和感を覚えるヴァニシッサであったが――その違和感によって、護りに「穴」が無いかを気付かされたことで、彼女の思考はその(違和感)の方に向いてしまう。

 彼女(姉妹)の「真の任務」を知らされていない以上、全ては『蜂』の一部隊長の経験による推測に過ぎないものであったため、ヴァニシッサの思考は、より現実的な問題への対処に優先され、眼前のオーマとの”会話”に戻っていく。


 リュグルソゥム家の”特技”は『罪花』の正規メンバーであれば、誰でも承知している。

 殺害を免れた当主代理(ガウェロット)から、もしも【空間】魔法の秘密が、残党の兄妹に共有されたのであれば――それが再現されていてもおかしくはないだろう。


 そしてその場合、危険なのは――地下(・・)である。


 黒髪の若き異装の商会主(オーナー)もまた、ヴァニシッサに合わせるように、蜜茶に口を軽くつけ唇の中で含むように――即効性があるはずの『洗脳剤』も当然のように効いている様子が無い――味わう余裕を見せつけてくる中、表面上は、互いの組織の自己紹介を織り交ぜたような応酬が繰り広げられる。

 中でも、ヴァニシッサはオーマが「ヘレンセル村」で発生した【火】の災厄に関わった、という噂に関して重点的に語らせようと試みた。


 トリィシーと、彼女が合流したであろう【騙し絵】家侯子デェイールの部隊が消息を絶ったのも、まさにその地の『禁域の森』の付近であったからである。


 ――【精神】属性魔法を何らかの手段によって『醜い小鬼』に逸らす(・・・)という対策を講じてきた理由は、果たして、『罪花』という無策で臨めば忽ちに洗脳されてしまう危険な組織と対峙するため、だけであろうか?


 おとぎ話だが、いや、おとぎ話をこそ(・・・)生きる糧とする『罪花』の乙女の一人であるからこそ、ヴァニシッサは『禁域』の先に何があると語られているのかを、当然によく聞いていた。知っているのではなく、聞いていた。


 それは走狗組織として、実際に『荒廃』の顕現たる【魔獣】を狩る主家の者達以上に、である。


 そして「逸らす」ことができるということは――少なくともその絡繰を看破して破らぬ限りは、ヴァニシッサ達にはこのオーマという青年が、本当はどんな種族(何者)であるかを証す術は、この場には無い。


 だが、そうだとすると、彼にとっての『罪花』の――人間種の【精神】構造に入り込んで、その者の()()を暴いてしまえるような集団とは、どのような存在に映るだろうか。


 ――例えば彼が、おとぎ話に現れる、500年前の建国譚において偉大なる【英雄王】と戦った【闇世】の種族、【魔人】であったら、自分達のような存在に何を求めるのだろうか。



「オーマ様――貴方は、私達を滅ぼそうとしているのですか?」



 直感した瞬間。

 ヴァニシッサは『蜂』としての危機意識の発露にも近い瞬間的な感情の高鳴りを感じて、思わず口に出していた。

 それは上位の『蜂』となってしまって以降、長らく抑えつけてきた、一介の『罪花』の初心(うぶ)なる乙女としての感覚が、今まさに蘇ったかのような上気であった。



 ――それが殿方の望み(欲望)なれば。



 ヴァニシッサの変化を見抜いたかのように、臨時代官エリスへの称賛を口にしていたオーマがずいと身を乗り出し、気づいたか? とでも言いたげに真顔の眼光を向けてくる。

 だが、一瞬だけ、その黒い双眸にヴァニシッサの反応(上気)に対する困惑の色が宿ったことを、彼女は見逃さなかった。


 みしみしと、まるで地響きのような、幾百もの石畳が同時にひび割れるかのような振動が、びりびりと、蜂の巣を突つかんとするかの如く、館全体に伝播し始めたのは、その直後のことである。

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― 新着の感想 ―
ヴァニシッサの状況分析能力も『罪花』の半連携もすごいのに致命的なまでに情報不足なのが可哀そう。 半連携って共鳴心域の下位互換だし逆にオーマ側は超覚腫とぷるきゅぴ達で解析しそう。 リュグルソゥム家は二人…
〉茶褐色のずんぐりとした小鬼のような醜き亜人種のもの 遂にはデコイとしても活躍し出したマジで捨てるところがない家畜ゴブリンすごい() 〉反応上気に対する困惑の色 詐欺師ムーブして仮面を被っても騙…
侵略パート楽しみ! 現実でもデジタルのセキュリティがガチガチでも、画面を覗かれたり、ゴミを漁られたり等のアナログな方法で突破されるって聞きますし、高度なものの天敵は泥臭いアナログなんでしょうね。 …
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