0246 只この時にのみ通底せる土中の掌握
3/2 …… ”名付き”である1体に関する記述が不足していたため、関係箇所を修正しました
ここで『長女国』の諸都市における、一般的な”下水事情”について言及しておこう。
それこそが、俺がまさに今回、関所街ナーレフにおいて一気に侵出していくのに活用したポイントの一つであるがために。
――【騙し絵】家の走狗であった【幽玄教団】の『ハンベルス鉱山支部』の地下に埋まっていた、古代帝国時代の遺構。
まだまだ本格的な調査はこれからリソースを再割り当てしていくところだが(『商会』のメインの運営の任を解かれる”夢追コンビ”の予定)、ごく表層の調査により、それは魔導と科学的な機構が融合された「排水・下水処理」のための施設ではないかということが、判明しつつあった。
かつてオルゼ=ハルギュア大陸の大部分を支配し、諸神同士の争いにも深く関わった歴史上の大帝国【黄昏の帝国】。
今は西オルゼ、『長女国』と敵対する【西方諸族連盟】の一派に過ぎない『丘の民(あるいは丘小人)』達は、かつてこの超古代帝国を技術的に支えていたとされており――【闇世】Wikiより――こうした地下施設・遺構・遺跡の類は、東西のオルゼ地方を中心に、オルゼ=ハルギュア大陸の全土に存在することが推察されている。
俺が迷い込んでしまった、この異世界【シースーア】における直接的な歴史を解き明かしていくことは、いつか、俺が最終的に対峙すべき”何者か”に対して、知識を含めた様々な「前提」面におけるディスアドバンテージを可能な限り埋めていくための活動でもある。
従って、この「遺跡探索」に関してもこの俺の”構想”に組み込みながら進展させていく考えではいる。
それは、迷宮内に捕獲することに失敗したものの、「遺跡」内に閉じ込めることはできたと思しき2名の魔法戦士、【魔剣】家のデウフォンと『罪花』の術士トリィシーの捜索と捕縛も兼ねてである。
だが、この「古代遺跡」に関しての様々な知識そのものは――意外なことではあったが、対『長女国』では、即時に役立つ、というものではなかったのだ。
リュグルソゥム兄妹曰く。
『長女国』において、その学究と魔導の”正統”と”正論”を掌握して司る【魔導大学】(サウラディ家の走狗組織)は、明らかに、この「古代技術」を隠蔽する方向に動いてきたとしか思えない、とのこと。
≪少なくとも、大学の一般的な魔法使い修行者達はおろか、頭顱侯家の大半に対してさえもですが、≫
≪我が君が「古代技術」と呼ぶようなものを共有している、というようなことはありませんでした。いいえ、存在の示唆に言及しているということも、無かったようです≫
無論、【魔導大学】に頼らない形でそれぞれの家系で秘匿された独自の知識があるかどうかまではわからない、と付け加える兄妹だったが。
……あるいは王都の【封印書庫】に死蔵されたる禁断の知識はともかくとして、リュグルソゥム家もまた、精神共有空間『止まり木』においてそうした独自の知識を蓄え、伝承することで成長してきた一族である。
過去に【魔導大学】に送り込まれた係累者が、そこで学び得た知識もまた『止まり木』の中には含まれており――この俺の迷宮に降ってから、既にわずか数ヶ月にも満たぬ間に8人もの子を成した彼らは、『止まり木』において復興させることのできる「一族の記憶」のバリエーションを増やしていた。
それらと照らし合わせながら結論づけるに。
少なくとも『ハンベルス鉱山』地下で発見されたような「大規模排水・下水処理施設」の知識というものは、まず『長女国』では、全く活用されていないのである。
「これまでに判明している情報から……理由はいくつか考えられますな、御方様」
「そうだ。第一に、この国ではまぁそうした大抵のことは魔法の力でできてしまうよな? 【水】属性の職業魔法使い集団でもいれば、あえてそんな仕組みも解明できてるかわからない複雑なものに頼らなくても、街や、都市の水回りは大体管理できるだろう」
技術の発展とは、人の生来の力ではどうにもならない問題を解決しようと、知恵と観察によって自然法則を利用する営みから生まれるものであると言える。
ならば、そもそもその「法則」を超常によって最初から直接、その認識通りに実現できる魔法使いが存在する文明においては、あえて、市井の民がそのようなことにエネルギーを割く動機は薄かろう。
まして、まだざっくりとした大まかな観察と推定の初期段階でしかないが……この「古代技術」が魔法的な作用と自然現象に端を発する機械技術的なものを組み合わせた”機構”であるとした場合、結局、魔法に関する知識がなければその調査さえも覚束ないのである。
たとえば単純な話、稼働させるのにそれこそ【魔素】などが必要である可能性は高いが、それを「魔法の才無き」者達が独自に活用していくことは至難である。
どうしたって”魔法使い”側の協力が必要であるならば、こうしたオルゼ地方だけでも潜在的には数十から数百は埋まっているかもしれないと推計されている「遺構」を、たとえその技術が凄まじいものであったのだとしても、統治者側からも被統治者側からも積極的に活用する動機が現状存在していない。
――庶民は、自らの生活を楽にしたり、生き延びるためには、もっと楽なことにそのエネルギーを使うであろうよ。
≪そういう言い方をするなら、あれだね。むしろ、そうした力を持った魔法使い達との接点でも作ることに血道を捧げた方が合理的ってことだね? まぁ、分かるよ。頭顱侯家の端くれとして≫
歴史が浅く、またその特性的に業界壟断的な活動規模の小さかったリュグルソゥム家はともかくも、葬祭業界や廃棄物処理業などとの関わりが深かった【遺灰】のナーズ=ワイネン家の出身、【放蕩】者サイドゥラ青年の言には、妙な実感と納得感がこもっていた。
ただの魔法使いであったとしても、才無き”枯れ井戸”達からは強烈な羨みの眼差しと、そして事ある場面で卑屈に頼られるような経験をするものであるという。
似たような話はヒスコフや彼の配下達からも聞いていたし、【春疾火】の一件で得たナーレフにおける大量の「人間関係」に関する情報からも、そうした『長女国』社会における特徴を俺は理解しつつあった。
――そして、まさにこの”頼る”ということの一つの極致とは、最上位魔法貴族である『頭顱侯』達と彼らの直属の『走狗』達との関係性であると言えるだろう。
圧倒的な魔法の力によって、魔導貴族達が庶民を上から下まで抑圧している……と一面に切り捨てることもできない。下の側もまた、そういうことを前提として生き足掻き知恵を絞ることで、『長女国』の現在の社会システムが構築されているのである。
無論、その中には、これから攻撃を仕掛ける『罪花』と【歪夢】家の如く、もう少しそれぞれのバリエーションごとの複雑怪奇さを有する実態はあるのであるが。
話を『長女国』と「古代技術」の関係に戻そう。
そもそも魔法に長け様々な生活上・生存上の問題を解決することができる『長女国』の貴族達にとっては、それをあえて非魔法的な機械技術などと高度に組み合わせることで一種の汎用化・大規模化を実現しているが如き「古代技術」に頼ろうとする動機は、薄いことだろう。少なくとも”統治”という側面においては。
「――頭顱侯達は、別に社会や世界の”発展”を目指しているわけでは、ないんだろうな」
この俺が迷宮領主として、推測することができるに至った『位階・技能点システム』。これの存在を、迷宮領主ではない者達がそうそう明示的に知覚できているとは思わない。
ましてや、この世界の法則下では、既にある便利な何か(概念であれ)への依存度をほんの少し高める塩梅に調整されているのである。
『長女国』における枯れ井戸統治は、ゆるやかに、発展させず、進歩を大きく意識させることもなく、爆発的な人口増を保ちながら、それを厳にすり潰していくような……そんな塩梅に調整されているのだと言えた。
……だが、それはあくまでも”統治”という側面における視点。
ルクらが自認する通り、魔導貴族達は”貴族”ではあるものの、単なる政のみの存在ではない。
特に、頭顱侯13家は最高位の魔法使い家として、一般に広められている【魔法学】からはむしろ外れた超常の理をこそ、それぞれの家系の秘法となしているように、魔導の探求に突き動かされた者達であるという側面もまた大いに備えている。
この魔導という価値判断基準からすれば、頭顱侯家や野心ある掌守伯家あたりが、これらの遺跡・遺構を積極的に接収して取り込み、権力闘争や凄絶なる暗闘、あるいは西方の亜人諸族との激しい戦いのために、自らの一族の秘術を強化することなどに活用しても良いはず。
「ロンドール家が、事実、それを企んだな? ワルセィレ地域の【四季一繋ぎ】を利用してな」
古代の魔法科学帝国の遺構など、その点で大いなる「未知の力」であるはずだ。
だからこそ、リュグルソゥム一家に、サイドゥラ青年に、ヒスコフといった、【人世】に進出して以降次々とこの俺の迷宮に加わってきたこうした魔法戦士達から【従徒献上】される知識において、それが禁忌扱いとして隠蔽されている実態に俺は違和感を覚えていた。
「【魔法学】とやらが罠だとサーグトルが言っていた、ということだったな。主殿、そのことと関係はあるのか?」
「まぁ【魔導大学】だってがっつり統治に関わっている以上は、単なる教育・研究機関ではなくて宣伝戦略機関としての側面も強い、という頭顱侯家と逆の説明ももちろんできる」
――【魔導大学】もまた【人世】や『長女国』の”発展”を目指しているわけではない濁った存在である、ということか。
むしろ【魔法学】すなわち「16属性論」の存在を考えれば、むしろ頭顱侯ではない多数の魔法を学ぶ者達の”認識”を制限する方向に彼らは活動しているという見方もできる。
要するに「古代技術」はそれに抵触するものと受け止められているということであった。
≪最低でもサウラディ家にとっては、そう認識されている、というわけですね≫
夢追コンビが、元は【人攫い教団】の『ハンベルス鉱山支部』で”遺跡”を発見した。
彼らはその時から”夢”のために、上役であった『廃絵の具』に報告などしていなかったわけであるが、一般的に「古代遺跡」というものが地下に存在しているという知識自体を【騙し絵】家が持っていなかったはずはない。ならば【騙し絵】家は鉱山事業を掌握していた以上、その目的や意識の方向性を、そうした存在の発掘に向けることもできたはず。
……それでもサウラディ家に匹敵する派閥の領袖であり、頭顱侯家の中でも最上位であるため、リュグルソゥム家の知識とかつての情報網からは捉えられていない部分で「古代遺跡」との関わりについては未判明の部分もあるかもしれない。
だが、【騙し絵】家の嫡子だったデェーイールらが率いる部隊を迎撃した際の反応などからしても、少なくとも、積極的な活用や研究や知識共有はなされてはいないのではないか、と思われる。
そうした情報を積み上げれば、論理としては【黄昏の帝国】の古代技術は『長女国』における16属性論にとって都合の悪い存在である――という立ち位置にあるものと言えるだろう。
「……そこまで徹底的に【魔法】が管理されてる、てのは”里”でも考えたことはなかった。だってそれを言い出すと、そもそも吸血種が使っている【闇】属性だって、その『16属性』の一つではあるんだろ」
≪でも、吸血種に限らないよね? ちちう、父様達より前の世代がずっと「16属性論」で無理矢理説明してきたってだけで……その意味でなら戦亜も、森人も、丘の民も、巨人達も【魔法】は使っているってことになるし≫
『長女国』に対する破壊工作員として必要な分の知識しか教えられていなかっただろう、これまでに無かった視点に嘆息するユーリルに応じたのは、ダリドであった。
そもそも『長女国』では”禁術”扱いの【闇】属性が、彼らの敵国であり敵対種族の一派である【生命の紅き皇国】の吸血種の戦士達によって扱われている、ということになっているのであるから。
……そして、それはこの俺の【エイリアン使い】としての因子解析能力で捉える限り、確かに【闇】属性と定義された力なのである。決して、全くの別物を『長女国』側が【闇】属性と名付けているわけではない(認識の多数決理論の影響はあるかもしれないが)。
どうにも俺やルク達が当初想定していた以上に、【魔法学】という概念は、現在のシースーアの【人世】の……最低でも東西オルゼ地方に大きな大きな影響を与えている可能性が窺えた。
ならば、最左の”過激”思想にのめり込んでいたサーグトルが指摘した「魔法学=神々による大いなる罠」という視点は、その意図するところが未だ判然としないまでも、それが「罠」であるという前提でならば。
――その中における『長女国』と、その統治者達の立ち位置は、何であるのだろうか。特にサウラディ家にとっては。
――その中において【黄昏の帝国】とその「古代技術」は、どのような影響をこの世界に与えていたのだろうか。
フェネスのようなこの俺の【闇世】における”後援者”達にも、可能な限り知られず、報せずに、このことへの調査は続けていかなければならない。この俺の「構想」の中で覆い隠しながら。
蛇が出るか鬼が出るか仏が出るかはわからないが、そこに、この俺が迷い込んだという因縁を含めた謎の一端が、それもより能動的な形で調べることのできる対象として、存在しているのである。
≪なるほど~そんなところまで見据えていたからこそ、マスターは――地下基地さんを重視されていたということなのですね~≫
≪そうなのですわよきゅぴほほほ。造物主様がいきなり「下水道」さんの探検さんするように言い出した時は、イェーデンを除くみんな困惑わくわくさんだったのだきゅぴほほほ≫
――ここまでが前置き。
関所街ナーレフにおいて空前の権力の空白が生じ、その間隙を突く形で、俺は若き指差爵エリスを支援して政治的な影響力を増すことが、できた。
【春疾火の乱】から【聖なる泉】を巡る騒乱において、生ける者死せる者を問わず、エイリアン迷宮の権能の限りを尽くして記憶という名の情報を抜き取り、市井を覆う様々な関係性の網もまた手繰ることが、できた。
……だが、それだけでは、未だ俺が【人世】で計画している「構想」の。
その第一段階も開始することは、できない。
――物理的な浸透無くして、それを成すことはできない。
何故ならば、この俺は【領域】を広げその範囲における限定的全知を行使することでこそ、力を発揮することができる迷宮領主であるからだ。
本題に移ろう。
ナーレフの「下水事情」については、ロンドール家がその家財を投じ、必要限度のものを構築している。
すなわち、簡素だが頑丈な暗渠が地中に構築され、それを定期的に【水】属性を扱える下位の魔法使い(言い方は悪いが「魔法の才の薄き者」)の技術職が浚う、というものである。
だが、簡素であるとはいっても、それはあくまでも”古代遺跡”のそれと比べての話。
人為的に水流を生み出し、街の中枢からは遠くへ押し流して処理場まで運ぶことができるという意味では、俺の元の世界における中世・近世とは衛生事情が大きく異なるところなのである。
旧き十字教のような「水に触れれば悪魔に呪われる」みたいな迷信も、この世界には無いため、古代ローマ帝国や江戸時代ほどの”風呂好き”とまではいかないが、『長女国』の住民達にとって、湯浴みや水浴びによる衛生管理は忌避されるものではない。
≪【火】属性さんを使えばお湯もすぐに沸かせるよね~≫
≪そうそう! この地域には小川さんが少ないけれど、雪解け水さんや、地下水さんはみんな利用しているよね!≫
この意味において、都市インフラの一環としての上水・下水道の構築は、それが魔法を扱える職業の者が管理するという大前提はあれども、決しておざなりにされたものではない。
――ロンドール家が丹精込めて基盤を作り育ててきた『新市街』においては。
【四季一繋ぎ】の力を奪うために、最初から抑えつけてその反乱をコントロールしようとしていたワルセィレの民が隔離された『旧市街』や、まさに地域の要衝に『関所街』を建てることで寸断した村々に対しては、こうした「都市インフラ」面での恩恵はもたらされていない。
同様に、各地から流れ込んでくる流民・食い詰め者の類が集められた『貧民街』区画にもまた、そうした十分なインフラ投資は行われていない。
だが、これに関しては必ずしもロンドール家が悪意のみによって、これらの地域を見捨てていた、とまでは言えない。赫陽山脈の北側麓に位置するワルセィレ地域は水はけが非常に悪く、言ってしまえば土壌の泥濘が酷く、どうしても、土中に暗渠を張り巡らせるための工事が――たとえ魔導の叡智をもってしても、それなりに時間と労力のかかるものであった、ということだ。
≪確かに【土】で「16属性論」を突き抜けた力を持つ頭顱侯家は、それこそ【四元素】のサウラディ家くらいしかいませんからね≫
≪後は……対【空間】魔法テロ、でしたっけ?≫
眷属心話を通し、リュグルソゥム家の当主ルクの言を、次子アーリュスが繋いだ。
『長女国』こと【輝水晶王国】は、あくまでも魔法使いと、その中でも貴族位を占めている上位家系達と、彼らを取り巻く中下級の貴族家や”走狗”を頂点とする諸組織によって統治されている国家である。
その中で、決して避けることのできないこの国の宿痾としての頭顱侯同士の暗闘・抗争において、最も危険視されている【騙し絵】のイセンネッシャ家は【空間】魔法に長けるが、その凶性が発揮されていたのは、単に要人の拉致や暗殺といった工作に限られない。
かつて家祖イセンネッシャが率いた最初期の魔導テロ集団『廃絵の具』による破壊活動において、最も危険で、物理的な意味でも大きな被害を引き起こされていたのは都市部である。
建物の支柱であったり、堤防の結節点であったり、都市構造物を【空間】魔法によって直接物理法則を無視して寸断し、倒壊させるというのが、彼らの常套手段だったのだ。
≪三代目の当主の時代に、リュグルソゥム家は本格的にイセンネッシャ家と戦うようになりました。その時に、彼らは4つの頭顱侯家の侯都を崩落させているのです、我が君≫
「……まぁ、そんなんだったら『暗渠』なんて、絶好の破壊ポイントだな」
≪吸血種達にとっても絶好の侵入ポイントだよねぇ、ははは≫
うるせぇ、とユーリルが心話越しに茶々を入れてきたサイドゥラに向け、虚空を三白眼で睨めつけた。
だが、『長女国』においてこうした上下水道設備が最低限……とまでは言わないまでも、必要限度でしか整備されておらず、インフラ的な優先度が低めにされているのにはこうした事情もある。
厳密に、安全性を担保した形でそれを整備しようとするならば、どうしても【空間】魔法や吸血種などへの対策が必須なのである。
こうした事情は、ナーレフにおいても同様であった。
下水設備は『新市街』の必要な範囲でしか整備されていないのである。
――だが、これは言ってしまえば、土中における異常を感知するアンテナが、旧市街・貧民街側には広がっていないということを意味していた。
たとえ魔導の叡智を活用しても、それでもなお、土中開発には集中的な人材と資材と資本の投資が必要となる『長女国』に対して――【エイリアン使い】たるこの俺は、そうではないのだから。
この俺が迷宮で「進化祭り」のために眠っていたその間。
【人世】側では、具体的に、どのようにして「土中侵食」を進めさせていたのかを語ろう。
主力となったのは、因子の特性と【土】魔法への感応性によって土中を広く素早く潜泳する地泳蚯蚓。彼らを複数の班に分け、周囲の土壌を液状化させることができる流没蚯蚓――”名付き”の1体であるミクロン――を「牽引」させ、旧市街・貧民街の地下を網羅しつつナーレフの地下を「回遊」をさせたのである。
なお、この地泳蚯蚓達は【お姫蟲】の能力によって『運搬班』から”転職”したエイリアン達。
――鉱夫労役蟲達の出番は、まだなのである。
なぜならこの土中回遊の目的は、坑道を作ることではない。とにかく、可能な限り短期間で流没蚯蚓ミクロンを引き回させ、より広い領域を液状化させていくこと。
だが、【騙し絵】家の二番煎じの如き崩落を狙っているのではない。
そもそもミクロンによる液状化能力は一定範囲までにしか届かず、どれだけ位階を上昇させて系統技能を強化し、その他の煉因強化を乗せたとしても、流石に、都市一つを丸ごと沈めるには、今の俺ではまだまだ足りない。
それに、掌握するのが目的である都市を沈める意味もない。
そうではなく、俺が流没蚯蚓ミクロンを土中で地泳蚯蚓達に高速回遊させたのは――その液状化した、つまり浸透しやすくさせた土中に、薄く細長く伸ばした臓漿を根のように張り巡らせることを目的としていたのだ。
元『運搬班』としての経験を持つ地泳蚯蚓達に”牽引”させたのは、土中をまるで水中を泳ぐかのように高速潜泳させることができるようにする流没蚯蚓だけでなく、臓漿嚢と流壌嚢であった。
その泳いだ経路に、臓漿と流壌の混合物を、まるで地中に白線を引くか、飛行機が空中に飛行機雲を残すかの如くに、撒くように垂らし放出しながら仕込んでいったのであった。
流壌を混ぜた理由は、臓漿の”水増し”を兼ねた”保護”と”隠蔽”のためである。流壌は臓漿よりも生成量も生成速度も優秀であり、さらに、分解された際に魔力的超常的な痕跡をほとんど残さないことも、この配合を選んだ理由の一つである。
これは臓漿自身の、エイリアン達への補給機能や加速効果、眷属心話中継能力を弱めはするが……俺はとにかくナーレフ一帯(特に「新市街の下水設備」)を外側から覆う地下ネットワークの構築の速度を優先させた。
何故ならば、この臓漿・流壌混合”泥”は、不可欠な程度の魔素と命素を届けることさえできればそれでよい、必要最低限のネットワークとして構築できればそれで十分だったからだ。
――この地下運搬チームを構成する地泳蚯蚓達。
彼らは、実は『拡腔』『垂露』『血統』の3因子によって亜種化させた、その名も『球根蚯蚓』達という存在。(本当はミクロンを『球根』とするつもりだったが、第4世代としての進化直後から活動を開始しなければならなかったため、このタイミングでの投入であった)
要所要所でチームから離れ、目標地点に留まった『球根』達は、その地点で臓漿嚢達と協力して周囲に半径数メートルから十数メートルに及ぶ「臓漿溜まり」を形成。
その中心に座して、周囲に――体内で保管・運搬・養育していた幼蟲達を解き放ち、臓漿を経由して汎用副脳蟲どもによる代行の代行的進化指示の下、”溜まり”の中にて種々のファンガル系統エイリアン群による「中継点」を形成することが、彼らの任務なのである。
土中から地上部に向けて感知・監視を行うための超覚腫。
逆に魔法的な探知・感知を未然に妨害する属性障壁茸。
中継拠点の半自給性を担保するための凝素茸の魔素・命素セット。
以上、いずれも幼蟲時代に取得できるエイリアン=オリジンの系統技能【矮小化】と【環境耐性】によって持久力を上げた個体達。
――さらに次元拡張茸を『土属性適応』『土棲』によって亜種化させ、地中適性を高めたる、名付けて『震泳次元茸』。
これらを、眷属心話の中継者としても働かせる意味で『血統』因子を導入して選抜化させた球根蚯蚓が統括。さらに、鞭網茸によって相互に連結。
情報通信の中継・情報収集及び監視・感知阻害・地中で活動するエイリアン達の補給ポイント・そして【空間】魔法による軍事的展開機構を兼ねた、地中における1個の『中継拠点セット』と成し、この日までに、ナーレフ市とその周辺の地中に合計30箇所程度を形成させていたのであった。
繰り返すが、『新市街』の地下に構築されていた『下水網』を取り囲むように――である。
重ねて繰り返すが、『長女国』において過去にイセンネッシャ家が少々やり過ぎたことで、下水設備にさえも【紋章石】を始めとした【空間】魔法対策が施されるようになった。この意味で、これらの設備はある意味でその本来のインフラとしての役割以上に【騙し絵】家や吸血種といった極めて危険な存在の侵入に対する警報装置の役割をむしろ増していたが――何のことはない。
ならば、その警報装置が張り巡らされていない外側から、先にぐるりと取り囲んでしまえば良いだけのこと。
【人世】において、単に政治的冒険者的なだけではない迷宮領主としての”拠点”を手に入れる上で、最大の問題となっていた【領域】と、そして眷属心話の中継問題を、俺はナーレフの土中をこのように丸ごと掌握することで解決したのである。
――ユーリルがいかに優秀な吸血種の工作員であり、ナーレフで長く活動してきて市内を庭のように熟知し、ル・ベリやソルファイドの協力を得ていたのだとしても。
2、3週間程度という短期間で、他の走狗組織どもの介入を受けずに、ハイドリィ指揮下の特務部隊と繋がっていたナーレフ市内の主要なならず者組織や密輸団を立て続けに、それも情報が横に伝播する前に神出鬼没に殲滅するのは、いくらなんでも無茶なことであったのだ。
――この迅速に形成された地中臓漿溜まりによる『中継拠点』の存在が無かったならば。
これがユーリルと共に活動する表裏走狗蟲達の補給地点とも、移動地点ともなり、夜陰に乗じた壊滅・確保作戦を素早くかつ粛々と実行していくための重要な拠点となったわけであった。
≪しかもそうした蜜油団子さん達は、お決まりのように地下に隠れ家さんがあったのだきゅぴぃ≫
≪そうそう、あははは、それを僕らがさらに乗っ取っちゃって改造拡張しちゃってってわけさ≫
「流石の【紋章】家といえども、まさか、ただの土の塊の中にまで無造作に【紋章石】をばら撒いて埋め込むわけにはいかなかっただろうな? コスパが悪いだろ、いくらなんでも。【騙し絵】家が本格的に【土】魔法と組み合わせた”空間”制御能力でも獲得していたなら、話は別だったろうがな」
≪一応、愛してはいる祖国なので擁護しておきますけど。麗しき『長女国』とて「坑」の護りを怠っているわけではありませんからね? 西方では、丘の民どもの坑道奇襲は元より、黒森人どもだって【樹木】魔法を使って大規模に”根”を伸ばしてきますから≫
「リッケルと同じようなことか……だが、それも西方での話というわけだな」
≪まぁ、そういうことだよ、ソルファイドさん。流石にこんな西方戦線からは奥地のしかも南東方面にまでは、≫
≪流石の”黒き森”も物理的に侵食なんてできないから、誰も、まさか地中からの大規模なこんな襲撃なんて想定なんかしていないよね~≫
リュグルソゥム家の長子ダリドが述べたように、地下からの侵食が想定されていないこと。それもまた、この俺がナーレフの中でもわざわざ『木陰の白馬亭』や『救貧院』の地下を、拠点形成と拡大の拠点とした理由の一つであったのだ。
――だが、地中からの大規模襲撃に対抗する技術と戦略自体は『長女国』に存在はしている。
この意味では、まさに、今この瞬間においてしか通用することの無い「攻略」法であろう。
この俺の【エイリアン使い】の特性が情報として広まり、配下のエイリアン達の能力が学習されていけば(可能な限りそれを遅延はさせるが)、必ず対策される。いくつもの街に対して繰り返し通用する工事では、ない。
本来ならばもっと時間をかけて少しずつ行う想定であった。
たとえばハイドリィが盤石で付け入る隙が無ければ、俺は奴の軍門にむしろあえて転がりこんで、その野心を助長しながら内側から食い破る力を蓄えるか、いっそ『長女国』に対抗するために西オルゼか『次兄国』にでも先に赴いていただろう。
――だからこそ、今のこの瞬間は天与の好機であったのだ。
【紋章】のディエスト家を除けば、その逆の、破壊する側の同類という視点から、この俺による地下からの大規模な侵入と襲撃を察知しうることができたのは【騙し絵】のイセンネッシャ家であっただろう。
だが、ワルセィレを巡る趨勢と勝機の巡り合わせの中で、彼らをあらかじめ痛撃と共に撃退することができた。情報は持ち帰られたことは痛いが、嫡子を失い、精鋭を失い、別の後継者である女子は生還しつつも深傷を負っている。
ほぼ確実に、次は対策を練った上で攻撃をしてくるであろう。
だが、そんな形で彼らと再び相まみえることが不可避であるとしても、それは未だ先のことである。
――ならば、政治的な意味ではなく物理的な意味において、俺が、エイリアン使いとしての現時点で能うる全力を尽くして「都市を一つ」丸ごと、文字通りの意味でこの掌の中に握ることができる絶好の機会は――今をおいて他に無いのである。
そしてこの俺のナーレフへの到来に合わせ、土中では待機していた鉱夫労役蟲達に”掘削”開始の号令が下されていた。
――各々の”班”ごとに、大した距離ではない。
ただ単に、既に十分にそれぞれの『下水網』に、感知範囲ギリギリまで近づけられた『土中臓漿ネットワーク』から、至近の『中継拠点』から出撃して――掘り進め、そして繋げるだけ。
引き回される流没蚯蚓ミクロンによって掘りやすく液状化された地中を、鉱夫労役蟲と穿孔骨刃茸達が一気呵成に掘り進んでいく様子が、副脳蟲どもによるエイリアン=ネットワークを経由して――【人世】に降り立った当初からは比べ物にならないほどクリアな形で眷属心話として――脳裏に受け渡される。
それは人間の感覚とは全く異なる信号や波長によって構成された【エイリアン語】であると同時に、副脳蟲どもによって、概念のレベルでこの俺の脳裏のうちの認識に合わせて翻訳され、自然に受け取られる感覚でもあった。
「さぁ、着いたな?」
地中で稲妻の如く行われる”掘削”の振動が足下に伝わっている――かのように感じるのは、俺が迷宮領主【エイリアン使い】として、今そこでそれが行われていると知っているが故の一種の知覚過敏的な感覚によるものであろうか。
対し、地上においては、まるで何事もなく道中を連れ立つ旅人の一行の如く。
ル・ベリ、ソルファイド、ユーリルらの従徒達を伴い、『新市街』の外れにある――極めて計算され尽くした”演出”がなされたる『高級娼館』の正門前まで、俺はたどり着いていた。
号を【染みの桃花】という、頭顱侯マルドジェイミ家の走狗組織『罪花』の”ナーレフ支店”。
館全体からうっすらと漏れ出ている”青”の濃淡を織りなす煙が、ゆらゆらと風に揺れなびく様は、ぼんやりと幻想的である。だが、それは近寄るものを、その望みうる欲望と陶酔の夢の中に引きずり込んで溺れさせ絡め取り、逃れられない常連客とするための罠でもある。
『精神共有空間』で絆を深めるリュグルソゥム家でさえもが苦杯を喫する、非常に強力な【精神】魔法を操る魔術師と魔術師達の巣窟である。
何の対策も無く、無策に踏み込めば、たちまちのうちに物理的手段を用いることすらなく、その腹の底に食い尽くされて取り込まれてしまう魔境であろう。
だが。
既に腹の中に居るのがどちらであるかを、今から、思い知らせにいくとしよう。





