0245 嵐の直前に、狂花は忽然と失せ消ゆ
【エイリアン使い】としての俺の【第一の従徒】ル・ベリ、赤髪赤眼の竜人ソルファイドと、そしてもう一人。
お前はどこのクレオパトラだといった体で絨毯でぐるぐる巻きの簀巻きにされた、高級感のある香りを漂わせた「さまぁ~~ん女」が酒場の『地下室』に現れたのはその後のことだった。
……別に恵方ではない方角に巻かれた絨毯の片方から、はみ出た両足がじたばたともがいている様子は、アトラクションにでも放り込まれた児童めいた様子をかもしだしているが。
そんな「簀巻き」を、どこか呆れながらも実直かつ仏頂面で担いで入ってくるソルファイドと、いつもの2割増しかつ「疲労タイプ」な苦虫顔で降りてくる両名+1名を、ベネリー女史はあの後どんな顔で見送ったのやら。
どさり、とソルファイドがややぞんざいに「簀巻き女」を『地下室』の地面に転がす。
と同時に、古代地中海帝国のハゲ独裁官の眼前に躍り出た様を彷彿とさせるかのような所作――には程遠く、ぐるぐると簀巻かれたまま、無駄に機敏な動作で「さまぁ~~ん女」がしゅたっと立ち上がる。
さながら、できの悪いご当地キャラ「えほー君!」とでも言わんばかりに、足の生えた恵方巻型絨毯姿のまま、目隠し状態にも関わらずこの俺の方を向いて優雅に一礼――繰り返すが絨毯に巻かれたまま――すると同時に、体をよじって、しゅるしゅると絨毯を振りほどき、ローブに身をまとった姿を現したのであった。
「そこにいらっしゃいます、私の愛しいル・ベリ様の御主人様、偉大なるオーマ様におかれましては、ご機嫌麗しく――ああんっ」
すかさずル・ベリが膝裏から鞭の一撃を入れ、がくん、と元簀巻きが崩れ落ちて両膝をつく。その衝撃でローブのフードが外れ、やや銀がかった金髪がはらりとはだけるが――おそらくは相当に高級な”美女”である――その顔貌を向けてきたのであった。
――と同時に、カッパーが【精神】属性魔法を感知。
間髪入れずに『地下室』内の次元小部屋の1つに待機していた『黒瞳茸』が即応。【精神】属性に対する対抗魔法的力場を生み出し、この俺に対して向けられた何がしかの【精神】魔法を相殺して打ち消したのであった。
「知り難きこと観劇の垂れ幕の如し……通用するかどうかさえも、試させてはいただけないのですねぇ~?」
ほとんど同時にル・ベリが【四肢触手】による鞭を追加で数本繰り出して女を叩きつける。だが、乱暴に地べたに取り押さえられながらも、彼女はやや上気した表情で俺を見上げながら、煽情的な声色を向けてくるのであった。
――そして【精神】魔法によって視られるとほぼ同時に、俺もまた【情報閲覧】によって、彼女を視ていた。
【基本情報】
名称:シーシェ=ジェレクセオーニ
種族:人族[オゼニク人]<支種:魔導の民系>
職業:香しの歌妓[最高級](【嘲笑と鐘楼の寵姫】)
位階:???
状態:???
【称号】
『誰そ彼の狂い姫』
「いかにもこの俺はしがない【鑑定人】オーマ。貴女は『罪花』の最高級の娼婦たるシーシェ嬢とお見受けするが、こんなおどろおどろしい地下基地に、一体全体、何の御用だろうな?」
「あらまぁ! お名乗り申し上げてもおりませんに、やっぱり、やっぱり、オーマ様はお仲間さんだったのですかしらぁ~? 素敵です、とても素敵なことですわぁ!」
果たして黒瞳茸による対抗魔法に対してか。
はたまた、この俺の【情報閲覧】に対してであるか定かではないが――【精神】属性に反応し、またその自負があり、かつ、仕掛けてきておいてそれを隠そうともしない。
彼女こそは『長女国』において売春産業を牛耳る大組織『罪なる垂蜜と絢花の香』――頭顱侯【歪夢】のマルドジェイミ家の走狗に属する高級娼婦。
この俺が、ナーレフ入りした後に、交渉という名の先制の一撃を食らわそうとしていた組織の尖兵なのであった。
「でも、きっときっと愛しのル・ベリ様と同じ種族であるのでしょうね、それはそれは奇特なるお立場、ご出自。お隠しになられたい理由、このシーシェよくよくわかりまし……あいたっ! あぁん、ル・ベリ様、そんなご無体なぁ!」
「減らず口を……全く、お前という厄病神は、まったく、ああ、まったく……! 御方様のご質問にのみ答えて黙っていろ!」
うわぁ、ル・ベリさんちょっと締め上げ過ぎじゃ、変な軋み音がしてますけど――などと言いたげにユーリル少年が眼を細めている気がしつつ。締め上げられていることに、むしろ喜色の上気を深め息を荒げる『狂い姫』への観察を、俺は白眼無心の境地で続けた。
この俺の【領域】内でありながら、【情報閲覧】が通らない項目がいくつかあったことが、気になったからだ。
例えばシーシェが他の迷宮領主に属する存在であれば、【情報妨害】系の技能などが考えられる。だが、そうした迷宮の「ルール」に関わる部分については、必ず迷宮核によるシステム通知音が報せてくれると俺は考えていた。
それが無い以上、考えられるのはもう一つの可能性。
すなわち、シーシェの信仰についてである。
【人世】の神の加護者であったリシュリーと異なり、シーシェに加護を与えていると思しきは、【闇世】の側の女神【嘲笑と鐘楼の寵姫】だったのである。
【情報閲覧】技能が信仰系技能による阻害効果を凌駕できるのは、あくまでも、【闇世】の敵である【人世】の神々に対してのみ――であるというのが、このルールの更なる詳細であるのかもしれない。
……だが、【嘲笑と鐘楼の寵姫】であるか。
ル・ベリがここまで困惑し、振り回されているように見える理由の一端が、そこの因縁にあるのかもしれない。
俺がここナーレフにおいてル・ベリに与えていた特命とは、まさにマルドジェイミ家走狗『罪花』に対する接触と折衝、情報収集だった。
その過程で、何の因果か――いや、『称号』による導きか、この変態簀巻き女と遭遇ってしまったのだろう。俺は柄にもなく、信頼しているはずの配下に対して、非常に生暖かい同情的な気持ちに襲われた。
「それで、かぐわしきシーシェ嬢。もう一度お聞きするが、一体全体、この俺にどのような御用だろうか?」
「ル・ベリ様をくださいなっ!」
「ええい、この馬鹿ものがッッ! ……申し訳ありません、御方様。私めからお話いたします」
「最初からそうしていればよかったと思うが」
ぼそりとソルファイドが呟くのを聞き取った気もしたが、彼も相当にこの漫才の被害を受けていた様子――それはそれで興味深いのだが、この後の”予定”に大いに、大いに関わる事柄であったため、俺はル・ベリに続きを促した。
シーシェが、うぐぅ、と潰れたようなうめき声を上げるのを見届けながら、ル・ベリが肉体的以外の疲労を込めた苦虫顔をぴくつかせながら、曰く、次の通り。
「この馬鹿者……シーシェなる女は、『罪花』の情報を提供する、と。そう申し出てきたのでございます」
「情報ねぇ? 具体的には、どういう話をしてくれるつもりなんだ?」
「すべて、ですわ、用心深きオーマ様」
ひょいと片眉を釣り上げるような表情で、ル・ベリから、改めてシーシェに目を向ける。
すると、艶然とした様子は相変わらず、相手を大げさに煽るような調子も変わらず――しかし、その眼にゾッとするような女の凄みを込めた光を秘め、彼女は口角を釣り上げたのであった。
「『罪花』が、来たる会談の場において、あの忙しない蜜蜂に、兵隊蜂に、みんながどれだけの戦力で備えているか……そのすべてを、愛しのル・ベリ様の主たるオーマ様に包み隠さずお伝えいたしますわぁ」
***
都市ナーレフの新市街の外れの、そのギリギリ。
一見すると貧民街への入口かと見紛う寂れた区画。さながら、その景色と建築計画的予算の明確なる区域区分の”切り替わり”を伺わせるような、貧相な一角に、シックな塗り物で外装を誂えたかのようなのっぺりとした『館』が紛れ込んでいた。
繰り返すが、一見するとそこは貧民街か、はたまた”旧市街”への入口かと誤解されるような……ロンドール家による集中的な投資と都市開発からは廃れたような一角である、と思われることだろう。
一見の者には、さても、ナーレフには貧民街と旧市街の他に”第3”の寂れたる通りがあったのか、と思われるかもしれない。
……だが、そのぬらりとその存在感を放つ『館』は、ナーレフ市政の中心地である「代官邸」と経済の中心地である「新市街」の”表”通りから見て、ちょうど等間隔、2区画分ばかり離れた”裏の裏”の通りに佇んでいるのであった。
そして注意深く目端の効く者であるならば、そんな『館』の意匠について、あることに気づくだろう。
――この『第3』の寂れた地区は、まるで”寂れている”かのように、装われているのである。
壁面のひび割れも、塗装の剥げかかりも、褪せた色合いも。
全ては、最初から見るものに「そう」であると、さながら最初からそういう印象を与えるべき観劇の舞台の大道具であるかのように造形されたものである――。
と、幾分かの知識を持ち、物事をよく観察する者ならば気づくであろう。
ちょうどそんな塩梅が、冷徹に保たれているのである。
となれば、見る者が見れば、それはますます見る者に「そう」であるという印象を与えるように計算し尽くされた造形であるという思いを与えずにはいられない。
「寂れた」「町外れ」に「シックに」「佇む」。
そういう属性とでも呼ぶべきものの中に、ある種の控えめだが珠玉を思わせる”高級感”がまとわされている――他の街ならばもっと綺羅びやかな造形の店舗もあるが――複雑な占領統治と住民間対立がナーレフにおいては、「こう」いう雰囲気で、ちょっと控えめに存在感を保つ方が良い。
――というのが、この『館』の館主代理を務める『執事蜂』を務める女ヴァニシッサの考えであった。
『罪なる垂蜜と絢花の香』。
頭顱侯【歪夢】のマルドジェイミ家の走狗組織として知られ、輝水晶王国を網羅する巨大売春を牛耳る存在である。
この『館』は、彼らが運営する「ナーレフ店」に当たる存在であり、店舗としての名は【染みの桃花】。小さな支部であるため、他と異なり、店を切り盛りする館主に相当する『公主蜂』が置かれていない。
そのため、いわば「公主の代理」という体で、組織の階級においてはその下に置かれている『執事蜂』であるヴァニシッサが『"桃花"店』では、実質的な運営と管理責任者なのである。
そうした辺りは、最近潰されたようであるが、例えば【幽玄教団】の「ナーレフ支部」なども似たような状況であることをヴァニシッサは把握している。失脚したことが確定している執政ハイドリィ=ロンドールによる心血注いだ調整の賜物であったわけだが。
――新たな『物語』に向けて、今まさに彼女は臨まんとしているところであった。
そんな憂える『執事蜂』ヴァニシッサが見渡すは『館』の内部。
3階のギャラリー(内バルコニー)にて、手すりを、片手を添えるように掴みながら、ヴァニシッサは『迎賓の間』を見下ろしていた。
もう片方の手に持つのは長剣ほどもある長大な煙管である。それは『罪花』に属する”蜂”――すなわち戦闘要員――であるという身分を表す魔道具でもある。
仄暗いラウンジで『花』達との社交を愉しんでいる賓客達の頭上、2階のあたりに等間隔に並ぶ魔力灯は4色からなるが、これはまさに『染みの桃花』がこの地に根ざした店舗であるから。
つまり”四季”の移ろいが、ナーレフの歴史が、ここでは仄かに暗示されている。
加えて現地採用の、つまり旧ワルセィレ地域出身である低位の『花』達の存在が、この店舗における物語を窺わせていると言っても過言ではない。
――そんな『花』達に釣られるように、既に『館』に入場していた賓客達がそれぞれの房室へ誘われていく。その先で、さらにどのような夢が紡がれるかは、それぞれの想像力と表現力次第ではあるが……この日の賓客は少なかった。
迎賓の間には四季色の魔力灯だけでなく、ほんのりうっすらとではあるが、まるで夜半の森に立ち込めるかのような”霧”が立ち込めていたのである。
これらの霧は、あるいは煙の如く、青から紫がグラデーションのように移り変わる夜景のような雰囲気を作り出す意図も込められた舞台装置である。等間隔に並べられた各魔力灯の1本1本に、それぞれ、結わえられるような形で備え付けられた香木から、この紫煙達は燻り、薫り広がっている。
「ゲストの皆様の退避と『花』達の入れ替えはそろそろ完了しましたね?」
「はい、館主代理様。常連客の方々も、あと5名、誘導完了となります」
「大変結構。相手が相手ですからね、本来ならもっと人手が欲しいところですけれど……」
そして、この”紫煙”を生み出している存在には――ヴァニシッサと、今まさに彼女の元に状況報告のために馳せた『蜂』たる女給達も含まれている。
給仕や接客を行う『花』達や、他の『蜂』達もまた各々煙管を保持しており、そこから『罪花』の館の内部には、絶えず薄霞のように”紫煙”が漂い広がっているのである。
それは『罪花』に所属する魔術師達が【精神】属性の魔力を充満させ、また、伝達させるための主要な媒介物――訪れたる客に、良い”夢”を魅せるための必需品――なのであった。
――彼らは”夢”を売る。
――訪れる”客”に合わせて、その望みに最も相応しい”超常”を駆使する。
それが『花』たる乙女達。
そして、その『花』が香らせる御伽の幻想を、様々な裏側から支え、様々な意味において護るのが『蜂』たる淑女達。
これこそが『罪なる垂蜜と絢花の香』という組織を構成する2大職層である。
肌の露出こそ少ないものの、女性的な有線美が控えめに表された魔導服に身を包んでいるという意味では、ヴァニシッサの如き『蜂』達もまた『花』に付き随う存在であるが――それは戦闘用の魔導服でもある。
内側には物理的な斬撃にも耐えうる魔力の込められた錦糸による帷子が織り込まれており、普段は黒子に徹する『蜂』達は、いついかなる時であっても戦闘態勢に移行することができる戦士達なのであった。
「やはり……リュグルソゥム家、ですか?」
部下たる『蜂』の一人が警戒の念を込め、低い声で問う。
首肯する変わりにヴァニシッサは煙管をくるりと回して紫煙の軌跡を描き、またふうと青い吐息を吐いた。
「数が合いません。グルトリアス=レリアからの連絡では、捕捉こそはできずとも”痕跡”が確認されたという話だったのですけれど……悲劇の兄妹の2人が包囲から逃げ出せたとは思えませんが」
「そちらが陽動である可能性は――」
「だとすれば、その兄妹はよほどの”後ろ盾”を身に着けたのでしょう」
――例えば【精神】魔法【青き軛の杭】を通用しなくさせるような”裏技”を駆使できるような存在など。
館主代理にして歴戦の『執事蜂』たるヴァニシッサは、ナーレフにおけるじわりとした状況の”変化”を察知しつつあった。
その基点は――ハイドリィ=ロンドールが勇んで『聖なる泉』を目指して出兵し、よほどの壊滅的被害を受けて失脚し……その敗残兵達が、生き残った者達が、街の新たな為政者となったエスルテーリ家の小娘と共に帰還した辺りから。
それが、戦士と間諜の2つの素養が求められる『兵隊蜂』の指揮官層にある者としての勘である。
この読みを裏付けるように、街に放った『蜂』達が持ち帰った情報は『罪花』にとっては強い危機意識を覚えさせられるもの。
対抗魔法を学んだ魔術師ならいざ知らず――マルドジェイミ家の【精神】魔法が効きにくい『枯れ井戸』が出現している、などというものは、その存在を想定することのできない存在なのであった。
報告をしてきた部下曰く、「まるで、心の中にもう一つ語りかける別の精神が、異物のようなものがある」とのこと。
――そして、この影響が最も深刻である所以は。
そのようなイレギュラーの中には、『館』の外側で情報収集と工作を行わせるための『協力者』であるはずの住民が含まれていた、ということである。現地採用予定であった『花』と『蜂』の候補者達……の知己や親族などにも。
【精神】魔法ではない手段によるものである、ということも、大いなる危機感を覚えさせる。これが既に情報戦の一角を形成しているのであれば、『罪花』は後手に回ったと言わざるを得ないだろう。
予兆そのものは既にあった。
エリス=エスルテーリ臨時代官の執政下、にわかに、ロンドール家支配の下で暗躍していた数々の密輸系犯罪組織やならず者集団、地下集団、愚連隊、ヤクザ者集団――これらは『罪花』の外部下部組織『路端の草』の主な顧客だが――などが狙い撃ちにされるように摘発され、襲撃を受けるという”大掃除”が起きていたのだ。
加えて、【騙し絵】のイセンネッシャ家の走狗『廃絵の具』がナーレフを訪れた、かと思えば【人攫い教団】の”支部”の戦力ごと、いずこかへ消え失せて戻らず、そのまま『救貧院』を接収されている事実を、同じ「頭顱侯家の走狗」である『罪花』の支部をまとめる者としてヴァニシッサは過小評価していない。
過小評価こそしていないつもりだが……その実力はともかく、”目的”を見誤っている可能性を警戒していた。
一見すると、ロンドール家への対抗という観点でエスルテーリ家と【血と涙の団】が同盟。その裏では『長女国』への復讐に燃えるリュグルソゥム家の兄妹が手を引いている、という構図が想起される。
問題は、このような「対抗手段」の実行者が、今のところ『長女国』全体に恨みを持つ存在であり、かつ、高い魔導の実力を有した『リュグルソゥム家』の残党の兄妹によるものであるかどうかだ。
だが、たった2人しかいない兄妹がグルトリアス=レリアで活動した痕跡はほぼ確定しており――マルドジェイミ家は彼らの”天敵”として、その【精神】活動を見逃すことはない――同じ”痕跡”が、ナーレフの近郊においても察知されていたのである。
逃亡生活を余儀なくされていたただの若い兄妹2名が、この短期間でそれを破る法を2つも編み出すことなど、考えづらい。
故に「数が合わない」とヴァニシッサは答えた。
この観測が正しい場合は、新旧含めた情報のどれかが――例えばそれらの前提も含めて――誤っていることになる。
この故にヴァニシッサは、ナーレフを取り巻く雰囲気の変化を見て、知られざる技術か魔力か能力を備えた「後ろ盾」がいる可能性を強く疑って慎重に情報収集を進めていた。
……その最中に、【聖山の泉商会】によって新たに持ちかけられたのが、今宵の『交渉』なのである。
「あの茶けた”醜女”どもの監視を強化しておいてくださいね? ”術”が通用しない存在が現れた、という意味では、タイミングとして符合しすぎていますから。まぁ旧ワルセィレの方々のご成功を考えれば、わかりやすい仕掛けですが……」
件の【聖山の泉商会】との接触は、実は今回が初めてというわけではない。
東方の砂漠地帯の出身かとも思われる褐色の肌をした青年を交渉人として、彼らはとある獣蛮種――見た目はまぁまぁ『神の似姿』に近い亜人だったのだが、【精神】構造が違いすぎるため、ヴァニシッサとしてもこれを「人外」と認定――を使用人に、それもあろうことか『花』の一輪として売り込んできたのであった。
交渉を担当した部下からは、その「醜女」どもの体臭が酷い中、どう見ても商人慣れしていない嫌に苦虫顔なその交渉役との応酬と、後から現れた、これまた嫌に好々爺過ぎて調子の狂う壮年の男性2名に対する滝のような愚痴を報告される羽目となったヴァニシッサであったが――”商品”そのものは、最終的に受け入れたのが数週間前のことである。
理由は主に2つ。
【精神】構造が人間と違いすぎるのだとしても、それが「亜人」であるならば、時間をかけて解析することでマルドジェイミ家の【精神】魔法の対応範囲を拡大することができ、それはそのまま『罪花』が賓客に与えることのできる「夢」の拡充に繋がること。
……たとえ「亜人」ではなく、非常に珍しく、文献上でしかヴァニシッサも聞いたことがない「獣蛮」であるのだとしても、研究対象としては非常に有用であると言えるだろう。
そして――。
ナーレフにここ最近やってきた、とある大物の太客の癖を満たすことのできる存在として、彼を籠絡する道具と化することができた、まさに、理想的な存在だったからである。その浅黒く茶けた肌をしたずんぐりむっくりな醜女は。
ヴァニシッサとしては、【ウルシルラ商会】がどうやってその情報を得たのかが大いに気になるところではあったわけだが……その時点から、【ウルシルラ商会】と、さらにその後ろにいるであろう”後ろ盾”への警戒が深まったのも事実であった。
――それでも、慢心があるとすれば、ヴァニシッサが判断を誤ったのは、この瞬間であったのかもしれない。
元々彼女は、数年前に先代の館主代理の後任としてナーレフに赴任し、ハイドリィ=ロンドールという野心の塊でありいつか”事”を起こすだろう男との交渉を担当し続けていた。
その中にあって、ロンドール家が各走狗組織のバランスを取りながらむしろ力を蓄え、うまい具合に”共存”するために腐心してきた者である。
――ロンドール家という単なる”走狗”にして中級爵でしかない存在と、”走狗”でありながらも実質的にマルドジェイミ家という頭顱侯家を、その房室事情まで含めた家政一切を管理する『罪花』とでは、そもそもその立場が違っている。
単なる金庫番・倉庫番・番頭の位置にある者と、主の寝食に至る一切を管理する存在としては、同じ”走狗”として並び語られるものであるとしても、その「格」が大きく異なっている……とでもいうように。
故に、ヴァニシッサはハイドリィに大きく譲歩しながら共存をしてきた。
『罪花』自身は、彼の公然たる野心に対して協力も反対もなく、彼女達が彼女達であるが故を貫徹するための共存さえできればそれでよく、そしてそれを成すだけの強力な実力を有しており――故に、如何なる都市においても如何なる他家においても”籠絡”は容易かったのである。
――それが、何者か正体までは未だ掴めずとも、相手が同じ『人間』である以上は、例えそれが【西方諸族連合】のどこか秘境に属していた未だ世に知られていない「亜人」の一種だかなんだかであったのだとしても、今回の相手に対しても通じるはず。
そう判断し、”籠絡”のための、交渉に向けた準備を進めてきたわけであった。
荒事という寸劇は決して彼女だけでなく『罪花』に属する『花』や『蜂』達の積極的に好むところではないが――終幕へのクライマックスの過程で、多少、暴力的に事を進めあるいは進められることを好む賓客もまた多いことは事実。
迷い込んだ賓客が求める物語に応じた「実力」は示さねばならない。
それこそが『罪花』を構成する彼女達の意義と誇りなれば。
復讐という願いに燃えているであろうリュグルソゥムの兄妹ならばいざ知らず、彼らすらをも手駒に備えている存在が相手であるならば、逆に、その目的を見誤りさえしなければ「共存」の余地が、ある。
何より……次期ナーレフ代官として赴任してきたジェロームの癖を満たす道具を『罪花』に提供してくれたその意図は、相手もまた『共存』や『利用し合う』という関係を意図しているのではないのか? そう思われたからだ。
ならば、現状でも十分なる接待が可能である――とある大騒動において実は『罪花』は組織全体として各支部から人員を徴収しており、ナーレフの『桃花』店を含めた各店舗は深刻なる人手不足状況にあったが――と、ヴァニシッサは判断したのであった。
――とある一輪の『花』が。
――少々狂える『花』である、と知られていたはずの『花』が。
ヴァニシッサにも、そして『桃花』店の他の如何なる何者にも知られず、報せず、まるで初めからそのような者などいなかったかのように。
忽然と、あらゆる者の記憶からさえも既に消え失せているという事実は――館内を満たしている青い煙のように儚く淡く仄かに消え去り霧散してしまった。
ヴァニシッサも、彼女の部下たる『蜂』達も、そして他の『花』達も。
全く最初から、そのような一輪の『花』が存在していたことなど、もはや知らず、覚えてもおらず、認識することはなくなっていたことに、誰も彼も気づくことはない。
***
『止まり木』を妨害する特性を持つ【精神】魔法の大家マルドジェイミ家は、リュグルソゥム家の天敵である。その走狗たる『罪花』もまた【精神】魔法の使い手が多く所属している――直近では【騙し絵】家の部隊と共に攻め込んできた中にトリィシーという、ルクとミシェールの仇の一人がいた。
関所街ナーレフでは、前の執政ハイドリィがロンドール家の成り上がりの後に他家との伝手とするため、他の都市と異なり、様々な「走狗」組織の支部を呼び込んでいた。
その中でも『長女国』の売春産業を取り仕切る『罪花』の影響力は――この俺の構想とは相容れない部分で大きいことが、判明していたのである。
第一に、この俺の対『長女国』戦略の中核を担うリュグルソゥム一族にとって相性が悪い。いかに彼らが【精神】魔法への対抗策を研鑽しつつあっても、それは対抗であって、圧倒ではない。
第二に、トリィシーを迎撃した際に、小醜鬼種の「精神」はマルドジェイミ家の魔法技術をもってしても読み取られず、解析されず、洗脳・錯乱させられずにいたという情報がある。
これはより正確に言えば、マルドジェイミ家の【精神】魔法は「人間種ごとに」それぞれ適応させる術式が微妙に異なっている、ということであるとリュグルソゥム家が解明しつつあった。
だから『神の似姿』は元より、経験を積んだ【精神】魔術師は、森人や竜人に対しても【精神】魔法をある程度効かせることができるようであるが――【闇世】にしか存在しない『ルフェアの血裔』や『小醜鬼』などは、どれだけの手練れであっても初見だろう。
――その上で小醜鬼については、その特性を逆手に取って、非常に効果的な形で【ウルシルラ商会】を通して『罪花』へ潜り込ませることができたわけだが……それは俺と彼らの”共存”の可能性を意味するものではない。
【精神】魔法が「通用しない」ということを以て、今まさに『狂い姫』が減らず口で堂々と晒して証明して見せてくれたように、『罪花』の術者達は、この俺やル・ベリという存在――『長女国』に敵対する異物としての【魔人】の侵入――を他のどの魔術師よりも鋭敏に察知することが可能なのである。
――いくつかの小細工めいた「保険」をかけた上で、あえて『ルフェアの血裔』ル・ベリに交渉役を任せたのは、その点を見極めるためであった。
故に、潰す。
今後、13頭顱侯家をターゲットとするに当たって、大いに利用していく価値を検討していくべき他家の走狗組織どもとは異なり、迷宮検知器として働きかねない『罪花』の勢力をナーレフから完全に放逐しなければならない。
まぁ、実際には、先の「小醜鬼売り込み」の件を含めて、もう2つばかり政治経済的な理由があるのであるが……主要な攻撃理由はこれであった。
そしてその実証者として、シーシェをル・ベリが警戒した理由は納得できる。
迷宮の従徒として、シーシェに相対したル・ベリらが眷属心話を控えたのは、マルドジェイミ家の【精神】魔法の真価――下手をすると眷属心話が盗聴されかねない技術――への警戒からであったというわけである。
トリィシーは『罪花』の”兵隊蜂”ではあるが、それはいわば『歌妓』達の護衛者に過ぎない。マルドジェイミ家と主客逆転しているらしい『罪花』という大組織の中核と核心にあるのは、蜜を集める”蜂”達ではなく――その蜜を生み出す『花』達である。
故に、その中でも「最高級」などという職業にある存在が、どれほどヘンテコな変態であろうとも、決して油断すべきではないだろう。
事実、実際の組織における立ち位置はいざ知らず、職業面においてもたった今披露してくれた危険性面においても、この『狂い姫』こそはまさに【異星窟】の今後の戦略においては、むしろ最優先の排除対象となるべき存在そのものなのだ。
――その意味においても、ル・ベリを諜報役として派遣したのは、やはり正解だったか。
『ルフェアの血裔』として、ル・ベリは【精神】魔法による影響を受けることなく相対することができる、と同時に『罪花』側を訝しませて釣ることが、できる。
『罪花』側に異物をあえて察知させるデメリットよりも、派遣した交渉役がその【精神】魔法によって洗脳されてしまうことのデメリットを俺は避けた。前者のデメリットについては――どうせ”潰す”予定ならば、さほど影響は大きくはないのである。
加えて小醜鬼を「商品」の一輪として売りつけるという交渉姿勢を見せれば、最低でも、こちらの目的を見誤ってくれるはず。
それでも相手も『長女国』の表と裏を知り尽くす巨大”走狗”組織である以上、主導権を握ろうとするための実力の示威は準備しているだろうが――今宵の交渉そのものにはこうして漕ぎ着けることができた次第である。
……そんな交渉開始の、まさにその寸前のこと。
『狂い姫』が、そうと狙っていたのならば、まさに、最適絶好のタイミングで、彼女は自らこの俺の【領域】に自ら転がり込んできたのであった(簀巻きとなって)。
よもや、ル・ベリがこのような簀巻きの変態まで釣ってくるとは、流石のこの俺どころか副脳蟲どもでも予測できるわけも無しといったところである。
だが、今は『狂い姫』を排除するかどうかを決している暇は無い。
それに――【異星窟】とこの俺の存在を明確に認識し、そして自ら何かを望み、その上で”情報”を対価に訪れたのであるならば、たとえその精神の中に何があろうとも、迷宮領主【エイリアン使い】として、俺は彼女に報いねばならないだろう。今は。
「ル・ベリ。その”狂い姫”の監視役はお前に任せる。あぁ、ミシェールへの説明は俺からしておくから」
「御方様……? なんと、馬鹿なッッ!?」
「あぁ~りがとうございますわぁ!!」
≪きゅぴぃい! ル・ベリさんに与えられた特別任務さんを、僕達も全身繊維さんで応援しなければきゅぴぃぃいい!!≫
≪テンション上がりすぎて笑い方忘れてるじゃんウーヌス、あははは≫
悲鳴じみた驚愕の叫びと、嬌声じみた歓喜の叫びを後にしつつ、俺はソルファイド、ユーリルと目配せ。眷属心話を通して、副脳蟲どもと最終直前の段取りの再確認を行いつつ、出立の準備を開始したのであった。





