0244 崩壊の後に再構築さるる救世の否認
『我が武勇と誇りの誉れ高き従徒ソルファイドよ。一体、俺は何を見せられたのか教えてもらえるだろうか?』
……と思わず喉元までせり上がった疑念をため息と共に飲み込み、俺は猛き赤髪の竜人に目と顎でくいっと屋根の方を指した。
追ってこい、連れ戻してこい、という意図を込めた指図である。
既にこの世界に転移してきてから付き合いの長い配下であるソルファイドには、それで十分。特段の眷属心話による補足は無用。
「わかった」
と短く答え、腰に佩いた二振りの『火竜骨の双剣』と”尾”を揺らしながら――心なしか、やや呆れたように目を少しだけ細めて――つかつかと長靴の踵を鳴らしながら『木陰の白馬』亭を後にする。
「いや、ソルファイドで十分だ。お前は供をしろ、ユーリル」
さながら静謐な湖面にシュワシュワと生じた泡の如き、うっすらと浮かび上がるような【闇】属性の気配をカッパーにより強化された俺の魔法感知感覚が捉える。ソルファイド、そしてル・ベリと共に木陰亭で合流予定であった吸血種の少年ユーリルがいつの間にか、暗がりから姿を現していた。
そんなユーリルの存在に、眉をひそめ若干の警戒心を解き切れていないような眼差しで、少々露骨にベネリーがむっと凝視する。
……まぁ、ユーリルはハイドリィの直属ではなかったとはいえ、ナーレフの体制側に与しており、ネイリーの指揮下で【血と涙の団】に対する工作を行ってもいた存在である。なかなか、政権が転覆したとはいえ、はいそれと打ち解けるような関係にもないだろう。
ベネリーに肩をすくめて見せながら、俺は、やはりため息混じりにユーリルに問うた。
「で、ユーリル少年。ありゃ何だったんだ? ル・ベリとの付き合いは長いが、俺はあんなル・ベリ君は初めて見たぞ、うん。初めてだ」
「いや、その……なんというべきか」
――まぁ【闇世】の迷宮を中心に、俺のそばを基本離れずに忠実に邁進してくれてきた【第一の従徒】である。それが特別任務を与えていたとはいえ、一ヶ月も羽を伸ばしていたならば(【異形】的な意味ではない)……色恋沙汰だの痴話事であるだのが起きたとしても、驚きはするが、おかしいとは思わない俺だったが。
返ってきたのは、微妙に歯切れの悪いである反応。
そして、俺にだけわかるように、目線を寸分だけ傾けてベネリーをちら見する【血の影法師】の少年。
「……あぁ、なるほど。そういうことか」
それで俺は、いくらか状況を理解した。
あれの話は、ベネリーに”この場”では聞かせられない、ということ。
つまり、それは今日俺がル・ベリらをここ『白馬の木陰』亭に集めた、その”目的”に関係している話なのである。
既に、張り巡らされた「中継」ネットワークにより、眷属心話は必要十分程度の精度で【人世】でもできる環境が整えられている。
流石にナーレフ全体を【領域】としてしまうような力技は、どのようなフィードバックを生み、あるいは予期せぬ影響を『長女国』側に与え、解析されてしまうかを警戒したのでやっておらず、有効距離は【闇世】ほど長くはない、というのはあったが。
ユーリルは、別にそちらを経由して俺に「あの女」に伝えてもよかったのだ。
いや、もっと言えば、ル・ベリ自身が「よりにもよってこのタイミング」となる前に俺に伝えても良かっただろう。
そして従徒達がそうしなかった理由は、2つしか考えられない。
一つには、極めて判断が難しく、実際に俺に「見て」もらってから判断するしかないと考えたこと。
だが、むしろもう一つの方の可能性だろう――眷属心話を使用することが危険だと判断されるような、そんなパターンに当てはまるということである。
「なるほど、なるほど。だけどまぁ、あの様子を見ると……両方なのかもしれないな」
ユーリルに聞かせつつも、半ば独り言のように俺は納得した。
少しだけ三白眼を細めつつ、意味を理解できたか、やはり俺にだけわかるような、そうとわかっていなければ微細動にしか思えぬようなかすかな頷きで応えるユーリル少年であった。
ル・ベリに命じていた、とある折衝の任務。
その”交渉相手”へのご挨拶こそが、配下達とさらにその他大勢を伴っての、本日の主な行動目標だったわけであったが――あの「ル・ベリさまぁ~~ん」女が、まさにまさにそれに関わっているとユーリルが示唆するならば。
……まぁ、ル・ベリの反応も、ソルファイドの呆れも、ユーリルの困惑も、ベネリーの頭痛も全ては当然のことであるかもしれない。
≪いやいや、造物主様。そんなことはねぇのだきゅぴ……きゅほほほっ≫
≪あはは、あは。流石にル・ベリさんのあれは素さんだと思うや≫
≪ベネリーおばさんもね~≫
≪うーぬすしゃま!≫
≪ぶっ推理しろぉ!≫
そんなどうでもいい野次馬根性を【闇世】よりも帯域幅の狭い【人世】で、わざわざ通信量圧迫するために脳内送信してくるなよ、副脳蟲及びその部下きゅぴどもめ、と脳内で悪態を付きつつ(眷属心話にして送り返したりはしない)、俺は思考を続ける。
通りでは肌の露出も隠すような、地味だが全身を包むような長いローブ。
であるのに対し、見かけに全く寄らない、慣れた魔法の所作(ル・ベリを追った身体強化魔法)。
そして極めつけが、鼻腔に今でも微かに残る、キツすぎない品の良い、花の薄紅の如き香のかおり。
――あの女が、その組織の”関係者”であるならば、確かにこの俺がここで話を聞かなければならないだろう。
ソルファイドが呆れながら足早に行ったのは、そういう事情を従徒同士で既に共有していたからであろう。
なので、俺は「ル・ベリを連れ戻してこい」という意図を込めたわけであったが……この分ならば、ソルファイドはきっと両方を連れ戻してきてくれるはずであろう。
≪ぼ、僕達もお手伝い……しているよ……!≫
≪爆心ソルファイドさん号を全速前進サポート全開だぁ! いっけぇ!≫
何やら俺の意図しないところで捕り物めいたサポートをしていそうな副脳蟲どもであったが、いつものことなので無視する。
≪きゅぴぃ! 僕達だって造物主様と同じでおねむねむさんだったのだきゅぴ。きゅぴぐぇへへ、これがシャバさんのクッキーさんって奴きゅぴ……きゅほねぇ≫
ならば、ル・ベリと「さまぁ~~ん女」の関係性については、後で本題と合わせて直接当人達の口から聞くこととしよう。
そして、浮いたこの時間をせめて有効活用しようと、俺は「ついで」の用事の方を先に済ませるべく、ベネリーに顔を向けた。
妙齢。母性。男性遍歴。そして【血と涙の団】の「おっ母さん」。だが、【情報閲覧】によって青白の仄窓上に浮かび上がるは【情報屋の元締め】という情報操作と組織運営に長けた技能群を有する職業。
マクハードと同世代であり、ナーレフの”内側”という、ハイドリィとその手下達(『猫骨亭』など)に監視される日常を掻い潜ってきた大幹部たる女傑である。
泳がされていた側面はあろうが、その「泳がせる」という判断を相手にさせるギリギリのラインで、その気になれば摘発されて絞首台行きを避けて生き残り続け、ナーレフ市内において【血と涙の団】の構成員達の内外の連絡役を担ってきた。
……一方で、少々、彼女の回りには血なまぐさい男性遍歴がまとわりついている。
彼女の【元締め】としてのナーレフでの活動は、決して順風満帆だったわけでもなく、幾度も危ない橋もあったようだが――決まって、その時々で、彼女の回りの近い位置にいた男が身代わりになったように、死んでいっているのである。
そんな噂もまた【毒多き慈母】という『称号』から、俺ならば、推察を確信に変えることができるわけだが。
「さて、悪いな、ベネリーさん。無理を言って今日を貸し切りにしてもらって」
「はいはい、何も問題はありませんともさ。あんたは……オーマさんは、今や私らどころか”この街”の持ち主様ですからさ」
そんな俺の声掛けに、今度はベネリーが肩を竦めて返す番。
聴きようによっては塩気のある応答でもあるが、飾らず、媚びることもせず、はっきりと物を言っているのは――流石に状況が激変しすぎた事への諦念めいた開き直り的な適応の心理であるか。
「宴会の時間はまだ先だが、その前に、ちょっと地下の様子も見ておきたくてな? まぁ、ちょっと予定外のドタバタが随分とあったようだが……」
そう言って俺は、この『宿屋』を兼ねた『酒場』の内装を見渡した。
事前にこの日一日は「貸し切り」としておくように指示していたため、自然的な意味で雑然と置かれた机や椅子はどこか物寂しそうに並んでいる。貧民街にほど近い「酒場」としての在り様とは、この意味では、やや乱暴に椅子が引かれ、そこに陽気な粗暴さや鬱憤を喜怒哀楽の感情に載せて発散するような、気の大きくなった者達をねじ込むことで成立する場なのかもしれない。
――なお、『貸し切り』とは、2階から上の宿屋部分も含む。
そしてこちらは、実質、ほぼ永続的に借りており、名実ともに【聖なる泉商会】の拠点となっている。つまり、この俺の【報いを揺藍する異星窟】の拠点ということ。
「おや? やっとあいつらをどうにかしてくれるのかい。まったく……持ち主さんや、うちは”酒場”であって、疲れた男どもが飯を酒を飲み食いする場所だよ。倉庫だか牢屋だかみたいに使われるのは、これっきりにしてほしいね」
「わかっているさ。もうすぐこの街の”大掃除”が完了する、そうしたら、もっと良い倉庫をねぐらにでもできるからな? その時まで、今回ばかりだ。それに――地下に詰めていたあの連中には、【血と涙の団】も十分に助かった、そんな思いなんじゃないのか?」
”生還組”や、戦利品達から獲得した「記憶」という名の情報達。
そこから組み上げられたる、この街を覆う、人と物と情報の繋がりというのは、当然であるが、綺麗事ばかりでもなければ、俺が今後の戦略を練っていくために必要な社会経済的なマクロな視座から捉えられるようなダイナミックな動き、ばかりでもない。
「あたしは”情報”を、どこに何が、誰がどこに、って流すだけだからね。そのことには賛成も反対もしないでおくよ」
むしろそれは生の、今この街に生きる、そんな人間達の剥き出しの情念が、縦糸と横糸となって折り合わされたる紋様であった。
何が言いたいかというと、20年に渡り、征服されて抑圧されてきたワルセィレの民が、征服者とその領域から労働力として集められた各村の”食い詰め”てあぶれてきた流民達とが、共存させられていたのだ。
こうした流民達が形成したナーレフの貧民街は、道中でも反芻していた通り、ナーレフにおける種々の非合法組織への人材供給源となっており――。
「それでも、溜飲を下げることができた連中は多いだろう?」
要するにワルセィレの民にとって、個人レベルでは、暴行されたり、襲われたり、といったことをされた相手が多いのである。要するに復讐心の対象なのである。
ハイドリィとその側近集団、レストルト以下の特務部隊を、ある意味ではこの俺が横からかっさらうが如くに確保し、それが市政の政権崩壊にも繋がったという意味では、確かに圧政から解放はされたが――では、要するに要するに、彼らのもやもやとした感情はどこにぶつければ良いのだろうか、ということ。
――そんな中で、俺は、ちょうどいい情状酌量の余地の少ない”ならず者”達のうち、ユーリルが指揮を取った「夜狩り」で生き残った連中を捕らえておいたのである。
わざわざ『木陰の白馬』亭の地下に、我が眷属達による【領域】を作らせて。
「これが、あんたが、あたしらの『最後』の【涙の番人】様。あたしらを救ってくださった救世主様だとはねぇ」
ユーリルを手招きし、ベネリーの調理場の奥の方に作られた『隠し壁』の先にある下り階段へ向かおうとした俺の耳に、そんな、呟きとも取れるため息が届いたのであった。明らかに、ベネリーは俺に聞こえるように独りごちていた。
「あたしはあんたがわからないよ、【涙の番人】様。貴婦人……ルルナ様が、あんたに心から仕えているというのなら、きっと、相応なんだろうけれどさ」
そこにあるのは敵意ではない。
諦念めいた、しかしどこかしっくりこなさを感じているような困惑であった。
――まぁ、それもそうだろう。
グウィースとルルナの協力により、あの野心と傲慢さで己の顔面を覆い尽くす仮面を固めていた、あのマクハードが、仮面が剥がれ落ちるように大泣きしながら、心からの懺悔をワルセィレの民達に行うという意味での大盛況に終わったと報告を受けている『聖泉詣で』。
必然、その真の主催者であるこの俺を、ヘレンセル村で迎撃した【春疾火の乱】に参加していた者達であれば、そしてその者達から話を聞いていたワルセィレの民であれば、彼らの文化と経緯において相応に遇してくれるという読みは、あった。
今でも俺の右手には、ルルナから引き継いだ【春ノ司】が宿る感覚が、ある。
だが、俺は別に彼らの文化的リーダーになったわけでも、彼らの社会における道徳的模範存在になったわけでもなかった。
『聖泉詣で』も、溜飲下げも。
必要なこと、必要な”報い”であるとして、迷宮領主として可能な限りリアリストであろうと念じ、効率的に物事を処理して実行した事柄に過ぎないのであるから。
だが、俺は自身の行為の結果を彼女が――ワルセィレの民が――どう受け止めたかに、一喜一憂するつもりはない。
【ウルシルラ商会】を通してではあっても、本質的に、俺は【闇世】の迷宮領主である。それは、より長期的な関係を考えるならば、決して秘密にし続けることができるものでもない。
だから、そのことも含めて、彼らに対して俺は俺の在り様を示していく。
そう念じている。
この点でベネリーや、彼女を通してこの俺が直接旧【血と涙の団】の構成員達と話すべきことは、まだいくつかあるが、そのことを詰めるのは今でなくてよい。
重ねてそう念じながら、俺は『隠し扉』を開き、【領域】の気配が空気の琴線さえも変えて漂っている「地下室」へユーリルを伴い降りていった。
***
流没蚯蚓が泥濘ませ、地泳蚯蚓が耕し、鉱夫労役蟲達が整え固める。
さらに、その中に各属性因子によって遷亜させた【万色粘壌嚢】が生み出す『魔粘壌』を臓漿に混ぜて配置することで、【人世】の地下、それも水はけが非常に悪いこのワルセィレ地域の地下でも――それなりに活動させることのできる「空間」を構築することができる。
ナーレフを静かに侵食させている”地下”拠点の基点の一つが、ここ『木陰の白馬』亭の直下に作られており――ロンドール家は、『長女国』の魔導の下水設備・機構をわざわざ「旧市街」にまで投資せず――そこに、民家数件分程度にまで広げられた『地下室』が存在していた。
ベネリーの調理場の奥から通じる隠し階段はここに通じており、一見、坑道のような空間。
だがしかし、魔粘壌を通して様々な色合いの仄光が、まるで光れる網脈となって、魔素と魔力と共にこの【領域】を照らし出している様は、あるいは魔導の王国の民からすれば、隠されし超常の神髄めいた神秘さを感じさせるものであるか。
……床の土を一皮数センチも捲れば、そこには、およそ【人世】とは思えぬ剥き出しの腸をも想起させるであろう、臓漿の絨毯がうぞうぞと蠢いているのであるが。
それらを隠しているのは、つまり、一応クリティカルな情報の秘匿という観点や、来客にあまりショックを与えすぎないように配慮するという意味での、本当に気持ち程度、ささやかなる隠蔽である。
無論、ここで言う来客とは、用事があるが故に、ベネリーが流した「情報」に釣られて訪れたる旧ワルセィレの民達。彼らがほぼその溜飲を下げ終わって、そのための役目を終えた以上は――数センチ程度の土化粧で覆っている意味も理由も失せているため、徐々に、この俺の到来と合わせて、部屋は上下左右をおぞましき生命の機序によって調律さるる臓漿の合奏の如き、生ぬめかしい空間への変貌を遂げつつあるのであった。
――そんなショッキングな光景に、既に発狂し尽くした後であろうか。
30余名ほど、年は30~50ほどの、それぞれに人相あるいは表情あるいは具合の悪そうな「ならず者」達が、めいめいに倒れ、あるいはうわ言を呟き、あるいは悶え、あるいはただ怯えて震えていた。
影のように俺の後ろをついてきたユーリルは、眉一つ動かすことなく彼らに目をやる。
【闇】属性の感知魔法が発動されたことを俺は知るが、この場では護衛として、怯懦している振りをしているだけの凶徒が混じっていないかを見張っているのであろう。
「仕上がりは、いい感じみたいだな?」
「ル・ベリさんがだいぶえげつないこと、やっていたからな……でも、いいのか? オーマさん」
何が? とは問い返すまい。
殺しも破壊も戦闘における自傷も辞さず、種族的には人を食らう側であるはずの吸血種たるユーリル少年は、人間そのものと言って良いレベルでの倫理観を持っている。おそらく、ベネリーが俺を試すようにぶつけてくれた言葉に、ユーリルなりに思うことがあったのだろう。
――この空間で、現在、発狂するまで閉じ込められていた彼らは生き残りだったからだ。
俺は、ベネリーを通して【血と涙の団】の構成員や、旧ワルセィレの民の中でも特に復讐心を募らせていた者達に、まさに復讐の機会を与えたのである。
小醜鬼で十分に拷問の経験を積んだ上に、まさに拷問に相応しい【魔眼】を開花させていたル・ベリが監督をしたことで、それは、より徹底されたものとなったことは既に報告を受けている。
ル・ベリ自身には別の本来の任務があったため、常時この空間にいたわけではない。
それでも、武人ソルファイドや『影法師』ユーリルがいるならば、エイリアンの存在をまだワルセィレの民に明かさぬ間の監視の目としては十分過ぎるほどだろう。
「必要なことだから、やっただけだ。そうだな、これは言うならば……裏の『領内融和イベント』ってところか」
「ラシェットから聞いたけれど、あのめちゃくちゃみんなが泣いていたっていう『聖泉詣で』のことか? それの”裏”って、オーマさん」
「溜飲を下げられない奴が、新たな不穏分子になってしまったら、駆除も駆逐も粛清も永遠にやり続けないといけなくなる。ユーリル少年、お前だって別にそんな掃除ばかりで”時間”を浪費したくないだろ?」
「まぁ、言いたいことはわかるんだけど……」
無論、無制限に復讐を許したわけではなかった。
今回の『集団復讐私刑』に先立って、俺はリュグルソゥム家に”裁判”の『基準』を作らせてあった――この世界に生きる者達の感覚における応報の基準をだ。そこに、人間関係と組織関係のネットワークから収集された情報を照らし合わせ、その有罪の度合い・重さに応じて、どこまで痛めつけて良いかを決めていた。
――これで、例えばハイドリィにナイフをぶっ刺すことができず、ふくれ募った復讐心のやり場を失ったような旧ワルセィレの民や、解体された【血と涙の団】の元構成員が一時的なアイデンティティクライシスに陥って錯乱し、新市街の住民や、『関所』を通る商人なんかを襲うような芽は大いに摘まれたのだと思いたい。
その上で『長女国』の国内からこの街に流れ着いてきた流民や、街を開発するために移り住んできた者達、街を訪れ行き来し往来することとなる商人や、職人や、様々な層の者達に対するわだかまりを解いてもらわねばならない。
「あとで個別に『聖泉詣で』の”第二便”として送っておくってわけだ。せいぜい、ルルナになぐさめてもらって、それで綺麗に邪な感情を洗い流してきてもらえばいい」
「そうじゃなくてさ、オーマさん。それだとオーマさんがどう思われるか――」
”生き残り”達が蠢く様子に背を向け、そこだよ、と言う念を眼に込めて俺はユーリル少年を見据えた。
「どう思われるか。まさに、それこそが、俺がこうした目的だ」
ユーリル少年は未だピンと来ていない様子であったが、俺の気迫自体は伝わったか。
『影』らしく、主人の強い意志には一歩引いて従う素振りを見せる。
実際、今ユーリルにこの世界の『認識』という超常を完全に理解してもらうことまで求めているわけではない。これはどちらかというと――この俺による、この俺自身への一喝。『自己認識』における予防線のようなものでもあるか。
だって、そうだろう?
せっかく【春疾火の乱】では、ソルファイドに『焔眼馬』の霊体のようなものを宿らせて、さも彼が旧ワルセィレのシステムに対して重要な貢献をしたかのように見せたというのに――グウィースが仕込んだ『聖泉詣で』が大成功しすぎた。
その何がまずいかというと、このままでは、この俺が、ワルセィレの民という集団によって【涙の番人】として。強く強く印象付けられ、そしてそのように認識され――実際にそうなってしまう、かもしれない。
――確かにこの俺は迷宮領主【エイリアン使い】として、きっと『認識の多数決』においては不平等選挙のような強い影響力を一般人よりは有している。
だが、それもあくまでも【黒き神】の恩寵と付託を一身に受けることができる【闇世】でのことであり、【人世】でもその点が同じ比重である保証は、どこにもない。
今、俺がマクハードをさらに凌ぐ真なる【涙の番人】として、旧ワルセィレの民を一円的に掌握するのは想像を絶するほどに容易いことだ。元【泉の貴婦人】であるルルナを配下とし、【春ノ司】をも取り込み、もどきではない真なる迷宮の【領域】をきっと【人世】においても広げることができる。
だが、その行き着く先は「ワルセィレの民の民族的熱狂」である。
俺が彼らの文化の中から現れた英雄として認識されればされるほど――要するに、マクハードはこの路線を取ろうとしていたのだ――彼らは『長女国』とは決して相容れない集団となっていく。ロンドール家の政権を転覆させたという自信が、ディエスト家への報復、圧倒的な脅威と感じていた『長女国』全体への過激な対抗心の発露へと昇華しかねない。
確かに、俺は【人世】において自分自身の勢力を構築することを目指している。
俺自身の探し物のために。
そして【人世】と【闇世】、神々の戦いに端を発するこの世界の歴史的経過と能力の性質、ある面ではどうしようもなかった不幸なファーストコンタクトにおいて、俺は『長女国』とも相容れることはない。
だが、それでも今この瞬間に、この俺がワルセィレ・ナショナリズムの旗頭となってはいけないのである。
――『認識』を通した現実変容が生き方の誘導であるならば、『認識』を操ることができる”上流”の者は、『認識』された者の運命を掌握することができると言っても過言ではないのかもしれない。
ちょうど諸神が、望む展開への触媒として、一定の個人に『称号』をタグ付けして現世の動きに介入しようとするかの如く。
俺がワルセィレの英雄として彼らの熱狂による”流れ”に乗ってしまったら――マクハードが半ば作りかけていたそれを引き継ぐ形で――いかに強大な現実変容能力を持つ迷宮領主であるといえども、その影響に、抗いきれるか俺にはわからなかった。
だから、俺はこういう形で、早々に【エイリアン使い】オーマとしての在り様を、あえて、垣間見せるようなことを行ったのである。
結果として、ベネリーや元【血と涙の団】の関係者達が俺に隔意を抱いても構わない。むしろ、適度に抱いてくれて”中和”してもらうぐらいで、十分であるのかもしれない。
――俺が目指す「勢力」とは、そんな生易しいものではない。
――"ナショナリズム"とは、そんな容易いものではないのである。
本来、『木陰の白馬』亭では従徒達と打ち合わせをするだけの予定。
夜狩られたならず者や非合法組織の所属者や暴漢どもの”生き残り”の様子を確認しようと思い立ったのは――ル・ベリが珍事に巻き込まれて予定外の時間が空いたのもそうであるが、直前まで、街道で行き交う人々の『職業』を観察し、考察していたからに他ならない。
その時に「そういえば」と、この倉庫に集められていた彼らの存在を思い出したのだ。
ここでならば、実験ができるのではないか、と。
そうして、俺はユーリルに見てみろと言うように眼で示しながら、適当な”生き残り”に対して――【人世】ではあるが、確かに迷宮領主たるこの俺の【領域】であるこの場所――その生殺与奪を握る支配者としての「介入」の有り様を、見せつけてやる。
【情報閲覧】を諳んじると同時に、カッパーを通して【リュグルソゥムの仄窓】を発動して、そのステータス画面を可視化。
徹底的に痛めつけられた上に、さらには常識の通じないおぞましき異常なる空間において精神崩壊まで追い込まれ――まさに「己がどのように”生きる”者であるか」さえも狂気の中に亡失してしまった。
そんな【職業:未設定】と化していた者達の、その青白い仄窓に現れたる「職業選択画面」を、ユーリルに見せつけてやったのであった。
「な……ッ!?」
「これが、この世界の裏側の、その一端なんだよ。ユーリル」
かつてラシェット少年の『職業候補』の構成を見たことがあった。
そして、その時に彼に選択を強い、俺は彼の『職業』に文字通り手を差し込んだ。
あの時のラシェット少年は、未だその"生き方"が明確に定まっていない、つまりアイデンティティの確立がまだ為されていない子どもであった。シースーアの『位階・技能点システム』においては、そういう場合に、複数の職業候補が潜在的にその者に設定されており――そして、それは本人のそれまでの「生き方」によって誘導されてきた「自己認識」に大いなる影響を、受けている。
その”証拠”が、ユーリルや発狂者達自身の眼前に次々と写し出されている。
シースーアに生きる人々にとって、これまでの観察から、職業が定まるタイミングとはその「成人」のタイミングであると俺は考えていた。この場合の「成人」とは、それぞれの所属する集団の属する文化圏における支配的な価値観下での「成人」ということだが――要するに、周囲の者達によって、その生き方を決める時期にあると"認識"された者に――それが訪れるのである。
たとえばヘレンセル村では「成人」とみなされるのが、おおよそ数え年で15歳であるだとか。
そうした時期を境目に、一気に職業決定済者の割合が高まることがヘレンセル村での観察だけでなく、先程まで行ってきたナーレフ市内での観察からほぼほぼ確定していたが……何のことはない。
要は「生き方を決める時期」が訪れれば良いのである。
――何度でも。
例えば、既に決まっていたはずの生き方が崩壊する、とかな。
「それでこいつらを、壊した、ってことなのか? オーマさん」
「誰かから復讐されるのに相応なほどにやらかしたこいつらだったが、”死刑”になるほどの有罪さじゃ、なかった。だから、ちょうどいいから、俺は俺の迷宮領主としての一方的な優越的な立場から、彼らに勝手に『新しい』生きる道を与えて利用することにしたんだ」
――職業【迷宮間諜[エイリアン]】。
それが、それぞれに各々のこれまでの生き方が察されるような『職業』を仄窓に写していた30数名に、共通して表示されたる新たなる『選択可能職業』なのであった。
俺が、これからその候補者達にどんな言葉を掛けるかを、これからユーリルに細かく伝える必要などはあるまい。





