0242 泉に映し結ばるる双つ世の森(2)[視点:その他]
1/2 …… いくらか加筆
既にこの世の者ではないため直接会ったことは無いが、グウィースには「父」と「母」がいた。
例えば「魔法を知らず『生物学』しか知らない”枯れ井戸”の教授」などであれば一笑に付されてしまうだろう……などとルク=リュグルソゥムに言われ、きょとんとしたことではあるが――父が「卵」を、母が「精髄」を与えることで生まれる、などという奇想天外な誕生の仕方をしたのが、グウィースであった。
だが、それはグウィースが【黒き神】がより極端な超常で構築した【闇世】に誕生した"新種"としての感覚であったか。さほど、変なことともおかしなこととも思われない。
あるいは自身が、性を雌雄に別体として明確に分かつことが当然である『動物』と、そうではない『植物』のやや中間的存在であることから来る感覚であるのかもしれない。
この上、グウィースは迷宮領主【樹木使い】の”子”として、その力を一部引き継いである存在であるだけでなく、【エイリアン使い】オーマ――【客人】という特性を持つことで【闇世】の法則の中においてもさらに異質に世界と物事を俯瞰し実行する存在としての主――の影響を強く受けて、彼の迷宮【報いを揺藍する異星窟】の中においても特異な勢力内勢力を急速に発展させつつあった。
例えば、小人の樹精。
彼らもまた【イリレティアの播種】と総称されることとなる、グウィースによって生み出された存在として、既存の樹木種と融合・共生に近い形で(植物達にとっての共生は動物のそれとはまた異なる意味合いを持つがその話は割愛)各種類の樹木を顕す『若き樹精』へと進化した。
この2種が主要な繋ぎ手として、グウィースの『森』において彼が言うところの「いのちの流れ」の感覚を――およそ【闇世】は【最果ての島】の森であろうが、リッケルの残した一部の樹木系眷属どもであろうが、【人世】の『禁域の森』であろうが『聖山ウルシルラ』の泉の周辺の森であろうが――結びつける実働を担っているのである。
シースーアにおいて諸神がもたらした根源的ルールとして、意思者が認識した「必要」に応じて超常が発動せられ、現象の側が応じて変質する(オーマの現時点での解釈)とするならば――グウィースの「半人半樹」形態も、樹精達の「動物擬態」的な性質・形質も、そうした認識に応じて誕生した存在である。
そしてそれは、単に元樹木生物が動物的な形態を取ることで、いわば両者の仲立ちをするだけではない。
特に若き樹精達が――【エイリアン使い】オーマが生み出した【粘壌嚢】が、その誕生に関わった――いわば動植物だけではなくその在り方を【闇世】の法則、すなわち迷宮法則とさえも潜在的には仲立ちするという性質を秘めているのであった。
――こうした性質が、ついには【人世】における、小さな、しかし巨大な結実としての成果が『聖泉詣で』という一大行事の中に披露される有り様を、幼き『ヌシ』は森の中から見つめていた。
未だその素性と目的については黙して多くを語らない(樹木的な意味で)、はるか西の【星灯りの森】からやってきたという樹人エグドの肩に乗りながらも、その真っすぐな眼差しは、真剣そのものであった。
――『結び目』たることを”世界”に規定された存在として。
グウィースは、彼の中で言語化できてはいなかったが、この『聖泉詣で』の成功が――さらに何か、何か、【人世】における何かとヌシたる自身を経由して繋ぐであろう――そんなひらめきに近い直観を感じ取っていたのだ。まるで、額に第3第4の眼が開いたかのように、既存の感覚では説明できないものが比喩的な意味で視えているような心地と共に。
無論、新たにとても仲良くなったルルナの成功や、敬愛する「にいたま」と「おーまたま」の役に立つためのことだと理解して、そのために全霊を賭して頑張ってきたのも事実である。『造物主様寝起きドッキリなんじゃこのもじゃもじゃ森がじゃじゃ馬大作戦なのだきゅぴ!』と裏でグウィースを乗せに乗せて煽りに煽った演出ゅぴ家による教唆ももちろんあったが。
――斯様な一連の過程の中で、グウィースは、動物とも植物とも【闇世】とも迷宮とも違う、さらに別の何かに触れかけている、そんな感覚に支配されていたのである。
そして、そんなグウィースの緊張を最もよく理解してくれていたのが、黙して語らぬエグドであった。
この意味において、聖山再生の立役者でありながらも『聖泉詣で』という極めて政治的かつ迷宮的な思惑が優越するイベントにおいて、むしろグウィースは裏方である。
だが、その裏方という地点において、グウィースは、グウィースにしか感じ取ることのできない別の領域におけるある種の”真剣勝負”に近いほどの集中力を発揮していたのであった。
――兄から知識を共有しながら学んだ【闇世】の歴史における、亡き父リッケルが追い求めた【生きている森】という歴史に初めて触れた時のように。
――【最果ての島】をぐるりと囲う大海原で、オーマの海棲エイリアンの部隊に隠れ混じって探索をした際に、人魚と呼ばれるかつて"【闇世】落ち"した種族と対峙した時のように。
そして、そのような状況にあったグウィースに――。
***
≪ぷる池や~≫
≪あの世とこの世の≫
≪ぺちぺちさん!≫
ぺちんと音が響く。
はらりと涙が落つる。
ごく軽く噛み切られた指から流れた血が、ただの体液であるだけではないことは無論、湖中の微生物に栄養素を与えるだけでもなく――流された涙と共に魔素・命素的解釈によって循環する巡りが、ぽたり、はらり、ぺちりと幾星霜。
新緑と深緑が入り混じり、その豪奢なる緑の暴力的とすら言える生命の溢るるばかりの光景は、湖面をも大きな鏡として――まるで再生されたこの地の樹林が湖中の世界まで覆ってしまったことを擬しているかのよう。
誰も彼も、とても、つい先日まではこの地を基点として『長き冬』という災厄が渦巻き、銀氷と白雪が押し固められたような極寒の隔離世界的牢獄と化していたことなど想像もつかないだろう。
――深き山の、深き森の中にたたずむ、広大な湖面であった。
今、その湖面はかつての『四季』の呪縛から解き放たれたかのように鏡のような静謐を讃えつつ、しかし、同時に目には見えぬより大きな流れがうねりとなった中心点である。
その中心点から、ぬらりと現れたるが、この地の誇り高き『森と泉の民』の伝承と伝説に知られたる”半人半魚”の神性【泉の貴婦人】――だった存在。
そして彼女に一目まみえんと、マクハードや旧【血と涙の団】の者達の言に半信半疑でついてきた、おおよそ、1,000名には達そうかという数のワルセィレの民が、湖面の縁に沿ってあるいは立ちあるいは座って集まっていた。
いずれも『ゴブ皮』の”在庫処分”を兼ねて、権力の空白と『長女国』における魔法的監視に空いたであろう大きな間隙を縫う形で断行された【空間】魔法陣――【エイリアン使い】方式――によって呼び集められた、ワルセィレ地方の各村の住民達である。
関所街ナーレフからも、エリスの布告を受け、救貧院に集う形で参加した住民も混じっており――湖と【貴婦人】を取り囲む住民達からは少し距離を取りつつも、この地の「伝承」を一目見んとする”新住民”つまり『長女国』の各地から移住してきた者達もいた。
彼らの多くは商人や、ナーレフの混乱にあって代官邸に残ることを選択した吏員、関所街の兵士達などを含む者達であり……一部は【エイリアン使い】によって保護され、エイリアン=パラサイト系統を植え付けられた者達である。だが、それらによるささやかな意識誘導はあれども、ロンドール掌守伯家が二代に渡って進めてきた弾圧と分断が、圧されてきた抵抗組織による逆襲と報復によるものではなく、「融和」という形で――エリスの手腕によって――成就しつつあるこの劇的な情勢の変化と空気を、己の眼に焼き付けたいという欲求を抱いてこの場に参画することを志願したのは事実である。
彼らを治めるように、エリスと彼女を守るエスルテーリ家の戦力もまた、さらに離れた位置からこの『聖泉詣で』の様子を固唾を呑んで見守っていた。
そこは、この”祭り”と、そしてさらにその”先”までを見据えているであろう【ウルシルラ商会】による恐ろしいほどの早い手際により、既に「拠点」の基盤が作られつつある地点である。
千人程度が訪れても収容できるような、神殿――オーマはそれをマクハードやラシェットに対して「社」と表現した――を中心とした、簡易的ではあるが、ちょうどヘレンセル村に【幽玄教団】ナーレフ支部の者達が拠点群を構築したものと同じ。
湖から歩いて数百歩ほどのごく近い開けた地点にこの”社”は設営されていた。
何処ともわからぬ、まるで異界の森の珍味であるかのような数々の作物が食料として備蓄されており、少なくとも、総勢で1,000名に登る『参拝客』とその他の者達が数日を過ごすことのできる準備が整えられていたのである。
その2日目。
各村から集まった者達が近況を伝達しあい、一晩を過ごして後に湖に向かったのであった。
――期待と高揚の中に、失望への恐れが混じっていただけではない。
この一件は臨時代官エリスの布告によるものだが、一切を取り仕切ったマクハードの所業についてもまた、彼が各村で「懺悔」を行った折に、完全にワルセィレの民に共有はされていたからだ。
【ウルシルラ商会】という形で、結果的には、実質的にこの地に及んでいた『長女国』の支配の実質の多くをワルセィレの民の手に取り戻したとはいえ、【血と涙の団】による反ロンドール家の戦いに身を投じた者達の多くを犠牲に追いやる原因を作ったのも彼である。
そのマクハードの功罪に対して、思うところのある者も決して少なくはない。彼が、ワルセィレの民による抵抗運動としての【血と涙の団】の後見役の立場を、先代のトマイル老から引き継いだ存在であったからこそ。
この場で彼を殺めよう……などとまで思い詰めた者はいなかったが(血気盛んな【血と涙の団】の若い衆は既になだめられている)、彼が引き続き、形を変えて実質的にワルセィレの民の代表者のような立ち位置にいることへの訝しみを心の底に抱える者達があったのもまた、真実である。
……だからこそ、その意味でもこの『聖泉詣で』という”イベント”は不可欠のものであった、というのが【エイリアン使い】オーマの考えである。
より「ふぁんたじっくでえろてぃっくですきゃんだらすてぃっく」であるという演出ゅぴ家達(おもにウーヌスであることは言うまでもない)の”案”はあっさりと却下され、より静謐な形ではあったが――文字通り涙を流し固唾を飲んでその来臨を見守っていたワルセィレの民達の眼前。
湖中から、まるで睡蓮の花が浮き上がるように、ぬらりと現れるように浮かび上がり、湖上にその等身大を――下体の『ピラ=ウルク』部分を含めて登場させた元【泉の貴婦人】ことユートゥ=ルルナ。
元来は、年に1名選ばれる【涙の番人】しか彼女と見えることはできなかった。
その姿は、言葉で説明してしまえば異形的でありながらも、多くのワルセィレの民にとって、いわゆる『魔獣』の類との相違は歴然としたものである。数百年の昔より、彼らの先祖も、そして彼ら自身もまた『血と涙』を捧げることで、彼女と彼女が移ろわせる【四季一繋ぎ】の流れの中で繋がっていたのだから。
――喩えるならば、この瞬間、その場にいたワルセィレの民は誰もが【涙の番人】となったのだ。
だが――伝承に伝えられるような「1日が1年と等しい」激しく巡りまわる春夏秋冬が1,000名に訪れた、という意味ではない。
既に、かつて【泉の貴婦人】と呼ばれた彼女はその神性から解放され、一人の『ユートゥ=ルルナ』となっていたからである。
代わりに――まるで水鳥のようにすいすいと、朗らかな調子でルルナは湖面からワルセィレの民達に向かって泳ぎ。湖岸にたどり着いて、ずずい、とそのピラ=ウルクの魚体を乗り上げるようにして上陸し。
ワルセィレの民達に向けて、ひどく人間的な柔和な笑みを浮かべ、一礼をして見せたのであった。
その身には神性の残滓という意味での、ある種の神々しさも感じ取られることはない。
既に【四季ノ司】達が去り、ワルセィレを覆っていた【四季一繋ぎ】の”ひととせ”という感覚が、なんとなくより大きな、自然的な意味での自然の中に霧散してしまったような感覚を、実は誰もがどこかで感じ取っていたからだ。
そのことが、ちょうど、浮上前に湖の底でルルナ自身が感じていたものと同じような寂寥感として群衆に伝染していくが――。
「ねぇ、だっこして~」
「ま、マリューショ、待ちなさい……!」
幼子の楽しげな声が、それを吹き晴らす。
とてとてとて、とヘレンセル村から父母と共に詣でて来たその幼い女児は、異形性にも神性の残り香にも臆することもない。その本能にも近い恐れ知らず好奇心と――どこか彼女の曽祖父であった故トマイル老を想起する名残を感じたかのように、父母の手を離れて、ルルナに向かって飛び出し――その胸に飛び込んだのであった。
ルルナの”人間部分”の上体が抱きとめるや、ちょうど、女児マリューショのお尻が”魚体部分”の頭部に乗っかかるように座ることとなる。ルルナの「本体」はこのピラ=ウルクな”魚体”であるため、驚きまじりの慈しみと共に、頭にのしかかり座った女児に眼を向けるが――そこで、ヘレンセル村の一部の者ならばよく知る音が鳴り響く。
屈託なく笑いながら、ぺちんぺちんと、マリューショはルルナの魚体の頭部を叩いたのであった。
ちょうど、彼女の亡き曽祖父のかつての禿頭にそうしていたように。
その妙に張りのある”ぺちぺち音”が小気味よく――そしてリズミカルに響く様子に、湖中の”裂け目”から眷属心話で状況を把握していた副脳蟲達も思わず一句詠んだ次第。
だが、そこで不思議なことが起きた。
ぺちんぺちん、きゃっきゃっとマリューショがルルナの魚頭を叩き、ルルナも満足そうに眼を細めながら、女児をくるくると回して高い高いし始める様子に、誰もが、かつて【血と涙の団】の創設にも携わり、各村で尊敬を集めた人物であった老翁トマイルのことを思い出したような気がしたのであった。
――そしてルルナが、はっと何かに気づいた表情を一瞬だけ浮かべる。
そしてマリューショを抱き、くるくるとあやしながら、彼女を父母の手元に預け返してから――浮かんだかつての老翁トマイルの記憶について。
かつて、彼が【涙の番人】であった頃の1日を、歌うように語り聞かせたのであった。
――故人であることを、ルルナもまた感じ取っている。
そう、感じ取れているのである。
それがルルナにとっての驚きであり、そして、彼女からその”歌”を聞き取ったマリューショの父母、トマイルの孫夫婦の驚きであった。
そして話は、孫夫婦自身によって捧げられた「涙」と「血」に込められた想いに移ろう。かつて、それに基づいて、四季の領域ではワルセィレの民達にささやかなる幸運を与えていたのであるから。
その残滓のような力ではあったが、ルルナは、たった今捧げられた民達の20年分の想いを受け止めており――間接的なものでありながら直接的である――談笑に至るのである。
不可侵に近かった、限られ選ばれた【番人】のみが、そのお務めを侍って癒やすためにしか知ることのできなかった神性としてではなく、一個の、ただの存在として。
だが、そのやり取りを、神妙に、そして驚きと共に見守るワルセィレの民達の眼前。
ルルナは彼女に預けられ、託されたる「20年分」の想いに応え、受け止め、それが広がっていく。
総勢1,000名分。
ルルナは、自らに預けられた「血と涙」を受け止めた上での応答を続けた。時に自身の興味の赴くままに話を脱線させ、くるくると、マリューショを真似して近寄ってきた子供たちや、幼子と同じことをすることを躊躇した少年や少女達も抱き上げて「水しぶき高い高い」を副脳蟲どもの耳打ちによって実行してやり――交流を、続ける。
それは内容だけを聞けば、他愛の無いやり取りに過ぎなかっただろう。
既にワルセィレ独自の【領域】法則は失われているため、ルルナ自身には、かつてのように新たに彼らの「悩み」をささやかに解決してやるような幸運を与える神性は持たない。ただ聞いて、反応を返して、共に感情を通わせるだけである。
だが、重要なのは、この「20年」は、旧ワルセィレの民にとっては近親者や友人や隣人の多くをかつて失い、奪われた「20年」でもあった、ということだ。
――別にトマイルや、マリューショの家族だけが特別ということではなかったのだ。
ルルナは確かに【泉の貴婦人】としての神性と力は失ったものの。
一人と話してその「血と涙」を受け取るたびに、彼女の身と存在に、まるで溜め込まれているように蓄えられ――ある意味では淀んでいたとすら言える――”故人”のかつての「血と涙」が、無数の泡がしゅわしゅわと湖面に浮かんで空気中に帰っていくかのように、昇華されていくのを確かに感じていた。
そしてそれは、故人のかつての「血と涙」をルルナを通して受け取った旧ワルセィレの民もまた同じ。
あの日、父を失った者。夫を失った者。
子を失った者。友を失った者。
自立せる民としての伝統と誇りを奪われた者達。
つまり、まるで200年の長きに渡り、【泉の貴婦人】という装置に集められていた【血と涙】が、それぞれの縁者の元に還されていったのだ。
それは、確かに旧来の関係性の解消と昇華・消滅・終焉を改めて意味するものではある。
――だが、ルルナは気づいていた。
(マスター=イノリと、マスター=オーマと、そして、グウィースちゃんのおかげということですかね~?)
何のことはない。
『湖』に200年に渡って蓄えられ続け、旧ワルセィレの地に200年に渡って溜まり続けていた、ある種の【命素】と【魔素】と、そして生命エネルギーを擬する何がしかの循環が、より大きな循環の中に受け止められて解き放たれたのである。
だから、その意味において、ルルナとワルセィレの民の”繋がり”は、希薄化したのではなくむしろより大きなもの――『幼きヌシ』の森の中にであるか、はたまた【エイリアン使い】の迷宮の中にであるか――に包みこまれたような形に変化していたのだ。
軽やかだが、薄いということでは、ない。
そして、ルルナを通して、この『聖泉詣で』に参じたワルセィレの民の誰しもがその感覚を共有したのである。
死した者の”想い”もまた、湖の中に溶け込んで、ずっと存在していたということに。
そしてかつて【泉の貴婦人】であった存在が、ただの、魔獣ではないが人間でもない一個の存在としてその任から解き放たれたことで、溜められた”想い”が、再生した森全体に溶け出して、解き放たれたことで、時を経て再び巡り感じ合うことができたのだということに。
――伝統として、伝習として、森と泉の法則の中に捧げて「幸運」を得るためではない、心からの意味における『涙』が、1,000対の双眸からはらり、はらり、はらりと流れ落ちた。
その有り様に、無論、こうした魔法的超常的な詳細や旧ワルセィレという地域を覆う法則に関する知識は無くとも、まるで中てられて呑まれたかのように、エリス=エスルテーリ女指差爵や関所街ナーレフの”新”住民である者達も、もらい泣くように目頭が熱くなるのを感じる。
――実は、死した者の”想い”が解き放たれた、という意味では。
それはただ単に、20年前の【紋章】家による侵攻と征服によって犠牲となった旧ワルセィレの民達だけが対象ではなかったからだった。
***
「父、上……父様……」
ぽつりと言葉をこぼしたエリスに驚きつつ、ラシェットがそっと身を寄せて、崩れないように支える。だが、ラシェット自身も胸と目頭から込み上げてくる熱い感覚に戸惑ってもいた。
旧ワルセィレで果てた、エリスと彼女の母を守って散った元ナーレフ守備部隊の隊長であった父の”想い”のようなものが、まるで湖から湧き上がってきた風に乗って頬に届いたような感触に、思わず慟哭しかけたからだった。
それでも、オーマの元で竜人ソルファイドや”半”魔人ル・ベリらに鍛えられる中で身につけた状況確認の心構えに基づいて周囲を見渡すラシェットであったが――同じような状態で、中には露骨に慟哭しかけている者のなんと多かったことか。
堅物であると思っていたエリスの従士長であるセルバルカまでもが、目頭を押さえて、うずくまるように哭いているとは。エスルテーリ家が特殊な役割を負ってロンドール家の下に配される中、ヘレンセル村の村長を務めるなどの立場にあって水面下でロンドール家と対峙してきた老臣の心と脳裏には、一体、どれだけのこの地で斃れた者達の想いが流れ込んだことであろうか。
――そして”縁者”がそのような影響を受けるという意味ならば、エリスもまた、同じことなのだ。
オーマ先生は一体全体、何をしたんだ? という念に囚われつつ、しかし、ラシェットは直感していた。
おそらくは【エイリアン使い】オーマが狙っていた以上の作用が発生したのではないか――と。
それは、ふらふらと、潰れるように泣き崩れ、実際に潰れたように、しかし気力と執念によって”湖”に向けて這い進んでいったマクハード=ラグラセイレという男の姿を見て確信に変わった。
「オーマ先生」という存在は、彼に相対する存在の態度や行動や成したことに対して、まるで鏡のように報いを返す。だが、それは彼の中の何らかの”こだわり”のようなものに……つまり、きっと自分のような若輩の新しい配下に対して胸襟を開くことはないだろうが、しかしそうしたものに基づくものである。
今後のことを考え、また、マクハードという男が成したことに対して、オーマはそれを祓う機会を与えようとしているのだろう。そして実際にそのように命じて、だからこそ、マクハードは参事としての激務の合間をなんとか縫って各村への「行脚」も行ってきた。
……その「総仕上げ」こそがこの『聖泉詣で』であって、これはこれで、さらにエリスの”手柄”とさせることで彼女を取り込むと同時に自らの勢力の影響下において守りつつ、そして、彼自身の「探しもの」のためにここ【人世】において関所街ナーレフを含めた旧ワルセィレ地域を掌中に収めるための『策』なのであった。
だが、策は策。
そもそものこの祭りの原型を考案したのは元『長女国』の魔導貴族の少年少女達である――要するに、この展開はその狙いと比較して、あまりにもストレートに旧ワルセィレの民の心と感情を打ち鳴らし過ぎるものであるように思われたのだ。
――きっと、オーマ先生は「ここまで」ワルセィレの人々の心を強く打つ作用が発生することを想定していなかったに違いない。
旧神性であるユートゥ=ルルナという異形の存在によって、マクハードが赦されることによって、彼と旧ワルセィレの民との間に刻み込まれてしまった罪咎という形での溝の解消こそが、この『聖泉詣で』の本来の本命であったのだから。
マクハードが「ルルナ」という存在によって赦されれば、少なくとも、旧ワルセィレにおける分断は修復される。その後、マクハードが個人としてさらにどのようにワルセィレの民達の一人ひとりに誠意ある形で埋め合わせていくかは、彼の残りの人生における課題であったからだ。
だが、その結末が、明らかにこうした当初オーマが想定したであろう形を劇的に超えて展開されている。ラシェットは思考を必死で追いつかせようと、無意識に、ただ【伯楽】の眼を以て見極めようとする。
マクハードの存在とその様子に気付いたワルセィレの群衆が、自然に彼に道を開ける。
再びマリューショに飛びつかれ、その他のワルセィレの子ども達に取り囲まれていたルルナが、そっとその慈愛の眼差しを彼に向けながら迎え入れる。
彼女の後背には――きっと、20年前とこの20年間の間に旧ワルセィレで死した者達の「血と涙」が幻視されたことだろう。マクハード当人と、旧【血と涙の団】の戦士達と、ベネリー以下の幹部達と、そして各村から半信半疑ながらも集ったワルセィレの民達の眼には、ありありと浮かび上がったであろう。
エリスやセルバルカにきっと亡き先代のアイヴァン=エスルテーリ指差爵らの”想い”が視えており、ラシェットには亡き父の姿が視えているように。
あの絶望的な【氷】の戦場で、オーマ先生の『策』によって半ば必要な犠牲として巻き込まれ投げ込まれる形で葬り去られた者達――マクハードが自らの野心と、ワルセィレを守るためにワルセィレの民を犠牲にするという決意の犠牲とした者達――こそが、今、マクハードを始めとした旧ワルセィレの民達には視えているのだろう。
――このどこか暖かで、どこかおかしな『森』の作用によるものとしか思えない中で。
マクハードが許しを乞う。
跪いて這いつくばって、ラシェットにも、多くのワルセィレの民にとっても見たことが無いような、他の者を犠牲にしたとしても信念によって行動しその結果をもって、旧ワルセィレを守るために自らが選んだ所業を自認しようとしてきたマクハードという男の、全ての懺悔と決壊を、その場の誰もが聞いていた。
それは、聖泉詣でにワルセィレの民を誘うために行われた"政治的"なものとは異なる。
彼の心からの、己を正当化させていた小さな何かが崩れ去った跡地から現れた、きっと、本心からの「懺悔」だったのだ。
表面上は、オーマが構想した通りに、マクハードはユートゥ=ルルナによって赦されたと言えるだろう。
だが、それは彼が既に各村で行ってきた、今後に向けた各種の懺悔を――全て拭い去って上書きして根底から定義し直すようなものであった。
【泉の貴婦人】は単なる憑坐に過ぎず。
200年の歴史が解き放たれる中で、再び、死者と生者の想いが巡り合う、この奇妙なる、聖泉を覆い尽くして取り込んだ『森』の幻の中で。
マクハードの所業を赦したのは『森と泉』の連綿たる人の営みと歴史と四季を含むという意味での自然そのものであるかのように、この点では部外者であるに過ぎないラシェットにすら、感じ取られたのであった。
そして、ラシェットは、オーマ先生の軍門に降ったマクハードという男に感じていたある種の危うさについて、その危険性が遠のいたことを感じる。同胞を救うために同胞を犠牲にしようとした彼の所業は、少なくとも、その全てを赤裸々に明らめられる中で受け止められたのであったから。
だが――。
それならば、とラシェットは自らの”気づき”を恐れた。
そして、エリスの様子を気遣う、とりあえず彼女を設営の後方に連れて行って一旦休ませることを他の指差爵家兵士達と合図し合いながら、その”気づき”を思考の片隅に追いやった。
それならば――。
まるで、気づいてはいけない部分に気づいてしまったかのように。
今、触れてはいけない部分に触れかけてしまい、更なる【悲劇】を回避すべく本能的に【運命】を流転させるべく行動したかのように。
ここでマクハードさんが自らの所業をこうして赦されたのだとすれば、オーマ先生は、オーマ先生がやっていることややろうとしていることは、いいや、あるいはラシェットの知らない彼がやってきたことは、一体全体、この先誰によって赦されるのであろうか――と。
***
グウィースは、確かに”何か”の声を聞いた。
それは当然、敬愛する「おーまたま」の迷宮領主としての眷属心話による声ではないし、触れたこともあったこともない『諸神』達の声でもなければ、グウィースの中に”想い”という形で息づいている「リッケル」の声でもない。
だが【双つ世】の『森』を結んだグウィースだからこそ、聞き取ることのできた、まるで生命の流れを手繰り寄せるようにグウィースを見つけて、語りかけてきたかのような、とてもとてもとても、とても「おおきななにか」が、届けてきた、そのような”声”であった。
曰く。
『幼く、そして新しい"星の子"よ。南の海の”森”達を、どうか、助けてあげて』
――と。
「えっぐん。ご め ん ね ?」
自分を優しく力強く肩に乗せて遠くを見させてくれる樹巨人エグドに、グウィースは心から申し訳無さそうに声をかけた。
「あと回しに、なっちゃう。ご め ん ね」
対し、寡黙なる樹巨人は、グウィースを見つめ返しながらゆっくりと首を振った。気にするな、とも、どこまでもついていく、とも強く語りかけているかのように。





