0241 泉に映し結ばるる双つ世の森(1)[視点:逆魚]
彼女はただの「小魚」だった。
この「小魚である」という表現の含意は「知性種ではない、ただの畜生であった」という意味である。
環境の中で鍛造され、適切な形質を有した形態に淘汰され、栄養を食みつつ、自らが栄養にならないように逃げつつ、環境の中で、卵を産んで死んでまた生まれて世代を超えて栄えていく……ただそのことだけに生と意識を洗練された存在であることをいう。
それを「いきもの」という。
――こうした趣旨の物言いが、記憶の中に宿る、200年前の迷宮領主であった少女のものである。
元【泉の貴婦人】にして、現在は【エイリアン使い】オーマの従徒となったユートゥ=ルルナ。
彼女は、【報いを揺藍する異星窟】の【人世】側の出口が新たに配置されたる場所――聖山ウルシルラの聖なる”泉”の底ほどにて、ふわふわと、たゆたうように仰向けに潜泳しながら物思いにふけっていた。
魚腹も、人魚(疑似餌)部分の腹も、水底から見上げたる水面に向けた姿勢のままである。
海藻色の豪奢な髪の毛が、まさに繁茂する海藻の生命力を体現するかのように水中の浮力によってゆらゆらと揺れ広がっている。
キラキラと、波打つ水面から降りてくる陽の光は、泉の水底にまで届くかのようであった。
だが、それは決して泉の内側が澄んでいるというわけではない。
何故ならば、こと「生命」という視点から捉えれば――水中という環境での「澄んでいる」とは「枯れている」と同義なのである。それもまた、かつて【水源使い】と呼ばれた者から聞いた話。
聖山ウルシルラの泉はむしろ濁っていたのだ。
灰色だか土色だかに緑色がわずかに混じったかのような”滋養”が、ふわふわと泳ぐルルナの周りでかき混ぜられるように、何条ものもやの塊となってうねり踊っているのである。
それらは『ぷらんくとん』と呼ばれる――前の主曰く、とても微かで小さな”幼生”達。
彼らはこの”泉”の中で、知性種であっても尋常の手段では見ることすら叶わない『栄養素』というものを――命素とも魔素とも違う――食べ、取り込み、そしてこの水面から差し込む陽光をも食べて繁茂しているのだという。
そんな植物性の「ぷらんくとん」達は、とても小さいが、まるで苔や草花や木々と同じように、そうした能力を持って繁茂しているのだという。
そして富んだ彼らをさらに大きな”動物性”のぷらんくとん達が食べる。
それらを今度は小魚が食べる。そして小魚は大魚に食べられ、さらに巨きな魚に食べられ、という形で、栄養と生命と環境を巡る「生態系」というものが連綿と形作られている。
――ならば”小魚”とは、食って、そして食わるるだけの中間的な存在に過ぎぬのか?
陽光を、そして、今やこの泉を取り囲む『森』から『泉』へと流れ込む栄養を、斯様な『ぷらんくとん』達が一つ塊により合わせたものを、さらに「小魚」という器に集め合わせたものを、さらに濃縮させていくための、単なる途中過程に過ぎないものであるのか?
……だとすると、自分にとっての「大魚」は何であるのだろう。
水面から差し込む日差しと、今や栄養で溢れたる泉中と、さらには、ルルナ自身が驚くほど、色とりどりにして多様な『藻』や『苔』の類が、泉底の土壌や岩部に繁茂しつつある真っ只中をゆらゆらと漂流しながら。
ルルナは『知性種』らしく思考をしてみたのだ。
それは【泉の貴婦人】として【四季】という法則の央にあり続けた時期には、決して、考えることのないような事柄に対してであった。
『長き冬』の災厄によって凍てつかされ、全てが閉じ込められ、そして停滞していた時間とは大きく異なる。それは前の主――マスター=イノリ――による【呪詛】であったかもしれないが、1秒と1年が等価のひととせとなる時間感覚の只中にあったその時期。
彼女の領域にして檻でもあったかもしれない泉は、それをさらに外側から包んでいる『森』の只中にあって、絶えず、大きくそして細かく動いていたのだ。
だが、現在との違いは、その動きが【魔素】と【命素】によってのみ構築されていたということである。
これこそが、かつての【森と泉】を覆っていた【四季一繋ぎ】と呼ばれる法則であったが、今回の一連の出来事の果てに、ルルナの配下であった四柱の【司】達が解消して解き放つ決断をしていたのだった。
その意味するところは、ワルセィレの民から【血】と【涙】を捧げることを通した”繋がり”の断絶と終焉である。
事態の収拾のためにはどうしても必要なことであった。とはいえ、ルルナにとっては、長きにわたる”お役目”の終了であると同時に――この土地との超常的な繋がりが解かれてしまう、そのような寂寥を強く感じさせるものであった。
あるいは自らの中に、そうした”お役目”の終わりへの慕情が実は存在しているのか。それもまた【雪ふりうさぎ】が、ルルナをこそ護ろうとしすぎる心となったことに影響を与えたか。そのような念が『逆さま人魚』たる彼女の2つの脳裏に去来する。
自分は、ただ『小魚』から『知性種』にまで存在昇格させられただけではない。
【水源使い】によって特別な役割を与えられ、単なる『知性種』を超えて、一つの超常の領域を管理する存在とされていたのだが――”小魚”とまでは言わずとも、まるで単なる”小娘”の頭脳のように、その意味について、ルルナはうんうん唸っても(人体と魚体の両方で腕と胸ビレを組みつつ)答えを出すことができなかった。
……だが、理解ったことは、あった。
かつてこの”泉”そのものであった彼女は、力強く、まるで鼓動のように、周囲の『森』から流し込まれて送り込まれる新たな栄養をその全身で感じ取っていたのである。
そして、そこには仄かな【魔素】と【命素】もまた、変わらぬようでいて、根本から異なる法則であるかのように、栄養と分かちがたく結びついている。
さながら、彼女が”泉”そのものとなる遥か彼方には、知性を持たぬ小魚でしかなかった時代に、本能のレベルで慣れ親しみ当たり前のように全身の神経を包むように繋がっていた、あの【闇世】の暖かなる水と感じられるかのように、自然な感覚として。
――つまり、繋がりは断たれてなどいなかった。
そんな悟りが脳裏に去来した時、ルルナは少しだけ「生命」というものを理解したような心地に浸っていた。
(グウィースさんは、すごいんですね~)
ごぼごぼと泉中に泡を吐き出すように口ずさむ。
水が入ればたちまちに溺れてしまう「肺」を持つ地上の生物――【海亜】などの一部の知性種を除く――には、同じ芸当はできない。これは、あくまでもルルナの「人間部分」が疑似餌であるために可能なことである。
かつて【泉の貴婦人】として、ルルナは【四季】というより大きな大きな季節と環境と年輪の巡りを通して、ワルセィレの民と繋がっていた。
彼らの捧げる【血】と【涙】を通して、擬似的な迷宮領主とでも呼ぶべき存在として、その『願い』をささやかに叶えるだけの力を持っていた。
……だから、気づけなかった。
【森と泉】などという領域を任されていながら――『森』というものの、その本当の意味を、である。
かつてグウィースと問答した折に、其の幼き【魔人樹】の斯くの如く曰く。
『小さくてね! でも、お お き い んだよ!』
果たしてルルナは、時間を超えたある種の概念の連続をそこに見る。
まるで彼女の旧主が言っているのと同じようなことを、この小さき半人半樹は言っているものと思われたのだ。
小さきもの達が束ねられて、より大きな法則となっている――と。
ならば、"小魚"や、"大魚"や、"知性種"とは、その途中途中における「ろ過装置」のようなものであるのかもしれない。そんなことを思ったが、ルルナの『誤解』を糺して諭すかのように、其の幼き『森のヌシ』はこう云うのだ。
『ううん、違うよ。集めたら、ゆ す る ん だよ! ……こう、ふ わ ふ わ って! そうしたら、いい感じに、またぐるぐるって、ま わ る んだよ』
それは、今の主たる【エイリアン使い】オーマが、その『進化』のための一ヶ月ばかりの”眠り”につく前に、グウィースとルルナに共同でのウルシルラ周辺の「環境整備」を命じた折のやり取り。
寡黙なる樹巨人エグドの肩に乗り、自らが生み出した多数の”新種”の樹精――その身に【闇世】と【人世】の種々の樹木をまとわせた――達をぞろぞろと引き連れながら、【闇世】と【人世】を繋ぐ幼き「ヌシ」グウィースは、そうして聖山と呼ばれていた領域に、ルルナの知らなかった意味での”四季”をもたらしたのであった。
【魔素】と【命素】と、そして【いのち】と呼ぶべきものの巡り。
【冬ノ司】によって凍てつかされ、草木花の相が激変して傷ついた聖山の彩りは、大地に向かって踏ん張って万歳運動を繰り返すグウィースの「儀式」によってみるみるうちに快復していった。
当然、それは『森』の草木花に限った話ではない。
一見して生き方も食べ方も育ち方もまるで違う、植物と動物もまた、繋がっていることをルルナは知る。
新主オーマは、【人世】に降り立ったごく初期に、とあるキッカケによってこの地の”異変”に気付いていた。それはまさに”生物相”の異変であり、具体的には『痺れ大斑蜘蛛』を始めとしたウルシルラ周辺に生息する生物種達が、麓から先の平野部地域の森と村々に”避難”しており――そうした『ずれ』もまた、徐々にしかし急速に修復されていったのである。
この『痺れ大斑蜘蛛』に関して言えば、彼らが本来の生息地であった『泉』周辺の『湖汲み樹』と呼ばれる、長く枝垂れた髪の毛のような種類の葉をつける系列によって構成される樹林が、通例を超える分厚い氷雪によってほとんど壊滅してしまったことが原因であった。
グウィースは、それを蘇らせるだけでなく【闇世】の木々と混ぜることで、より複雑に補強したのである。
無論、これらは一朝一夕に行われたものではない。
新主オーマは、この地に進出してから、【冬ノ司】が引き起こした災厄を観察しながら、その根源と、そして”解決”について当初から考察と検討をしてきており、故に、既に解決の道筋を方向づけていたのである。
例えば、生物相の調査という形で、ゼイモントとメルドットの2名に「大型捕食種の”追い込み猟”」を命じていたのもこの一環であったわけだ。そしてそれが、ラシェットという少年を良い意味で巻き込んだが、これもまた彼の神の似姿としての【運命】が流転するという宿命の産物であるか。
ともあれ、グウィースと彼の「子ら」である若き樹精達が仲立ちを行い、【報いを揺藍する異星窟】産の【魔素】と【命素】を含んだ特殊な土壌が『森』に持ち込まれ、混ざり合うことによって、この地の快復は、わずか数週間という、単に分厚い銀雪と白氷に覆われて停滞していた大地がついに雪解けした、とかいうだけでは説明できない驚異的なスピードで進行したのである。
無論、これは本来的な意味での自然法則とその中のありうべき命の巡りが【闇世】の超常によって少々加速されたものではある。
だが、たとえ知識のみならず、実感として、この地に結びついていたはずのワルセィレの者達であったとしても、この短期間の変容には驚かずにはいられないだろう。
まるで今でも彼らと心が繋がっているかのように、この変容と修復と”巡り”が、まさにまさに、ワルセィレの民のためのものでもあるということを、ルルナこそは、かつての【泉の貴婦人】たる彼女こそは理解できていた。
それは皮肉か、はたまた、歓喜であるのか。
【四季】という迷宮もどきの法則から解き放たれた結果、より大きな、【魔素】と【命素】によって擬せられていた「四季の巡り」さえもがその一部として自然に取り込まれているかのような、さらにもう一つ外側の法則の中に、そもそも自分は存在していたのだ、と、もはや貴婦人ではないただの一頭の小魚は直観していたのだ。
要するに、ルル=ムーシュムーとして感じた一抹の寂寥感は幻。
すぐに吹き散らされてしまう、古い御役目の残り香に過ぎぬものであった。
ワルセィレの民が【血と涙】を捧げる儀式が、【闇世】の迷宮法則を模した【魔素】と【命素】による繋がりであるならば、それが【エイリアン使い】という迷宮のそのまた内側において独自に成長と結合と拡大を続ける『森』によって統合されることに、違和感は無い。
さも、羽を持って長い距離を飛んできた種子が、新たなる『森』に受け入れられ、その中で、その生態の一部となって加わり混ざり互いに拠って立つかのように。
ルルナは、そうしてはっと気づいたのだ。
彼女が【泉の貴婦人】から、ただの”小魚”が少し成長したに過ぎない『ピラ=ウルク』となって【エイリアン使い】の迷宮に合流したことそのものが、その寓意であったということに。
【泉の貴婦人】時代には持て余し、使いこなすことなどできていなかった【血と涙】の強大な力――それを狙って様々な者が動いたのだ――に、ただの小魚となった今、なんと本当の意味で触れて、接して、交わることができているのだということに。(つまり真なる迷宮領主の従徒として)
それは何らか、活動的で、活発的で、活力がみなぎるかのような『何者か』そのものであると、今この時こそ、実感させられていたのである。
――何故なら、まさに現在。
そのための小さな『祭り』が、もはや聖でもなんでもないウルシルラのただの泉にて、始まろうとしていたからだ。
既に【四季一繋ぎ】という形での繋がりは断たれている。
だが、そのさらに外側の、より大きな『森』という巡りの中において――『森と泉』に住まう民達から捧げられる、さも「信仰」が形となったかのような活力の奔流とでも呼ぶべきものが、【命素】と【魔素】と、そして『栄養』の繋がりの中での連関としか形容しようのないものを通して、森の精気のうねりと泉中の濁りの渦を通して、確かに確かに、今、ルルナの元まで暖かな波動となって届いていたのであった。
数刻も前には、従徒の仲間であるラシェット少年とマクハードから「もう直に”揃う”」という連絡を受けていたところである。
それは『森』のどこかを駆け回っていたであろうグウィースにも、ルルナと同時に届いている。
その故の、この待機である。
ルルナは――”演出ゅぴ家”を自称する『副脳蟲』達曰く、劇的かつ感動的かつロマンきゅぴックな「登場」をしなければならないのだという。
そのために、もう少しだけ、泉の下で悠々と自適ゅぴ状態でいてほしい、ということであったが――。
肉体も魔力も存在さえをも震わせるような”ざわめき”が、徐々に大きくなっていくのをルルナは感じていた。それは、単に今、水面に触れ伝わる『いのち』の数が多いというだけではない。
自らもこの『森と泉』の一部として、ルルナもまた――【空間】魔法によって生み出された”裂け目”を経由して、多くの『ワルセィレの民』がこの『森』を訪れ来たっていることを、その全身によって感じ取っていたのである。
知らず、物事を深く考えないからこそ深く考え込んでしまう彼女の本能をして、数百年間感じたことのなかった極大の高鳴りがその鼓動に呼応する。
――ただ、ただ、旧主【水源使い】にとって”特別な存在”であったと推定できる【エイリアン使い】オーマに、ある種のメッセージを伝えるためだけの伝令役に過ぎないと思っていた自分自身であった。
そのような自分に、まさか、【エイリアン使い】と遂に終に逢えたこと以上の、本当の『生』の実感が、まさかその後でこそ、真の意味において訪れようとは、想像だにせぬことであったのだ。
だが、だからこそ。
(でも――)
”知性種”に比肩するには、未だ、自他ともに純朴すぎると認ずるルルナは疑問に思うのであった。
(どうして、グウィースさん、なんでしょうね?)
***
【エイリアン使い】オーマが『ウルシルラ商会』として再編した【人世】での活動のための組織を通し、エリスに献策する形で成立させた『聖泉詣で』という”祭り”は、迅速に、そして混乱の隙間を縫うような形で準備されていった。
ヘレンセル村を始めとした旧ワルセィレ域内の村々からの”参拝客”達には、商会の下部組織として取り込まれることとなる【血と涙の団】を通して、このことが既に触れ回られていたのである。
彼らの大部分は、【冬】と【氷】が支配したあの戦場から生き残った瀕死の団員達である――つまり寄生小蟲やその進化系統のエイリアン=パラサイト達によって、少々、気持ちばかりその記憶と”印象”をいじられた者達。
オーマは「まだそこまでする必要は無い」という判断から、彼らの人格の根本部分に手を付けるような実験までは行っていない。人間の集団やある地域(この場合はナーレフと旧ワルセィレ)全体に、ある種の意識変化か、あるいは世論工作とでも呼べるものを行う上では「これで十分」とする思いからのものである。
あるいは、それは、自らの目的は「探索」であって「征服や支配」ではない、と心の底で自己規定するかつての「■■■ マ■■」という名前の青年としての、心理的なバランスを取るという意味における倫理の”置きどころ”としての判断基準であったか。
ともあれ、その故に、新団長サンクレットを始めとした【血と涙の団】の若い世代を中心に、彼らの”血気”にささやかな『方向転換』が行われることとなったのである。
元々【血と涙の団】の”外”の戦士団は、ハイドリィが支配するいくつもの商団や密輸団と抗争して、ワルセィレ全体にネットワークを持つ組織であった。
加えて、前執政ハイドリィが聖山ウルシルラへの進軍の直前。
父の死に際し、あえてナーレフに乗り込んだ新エスルテーリ指差爵エリスが、ナーレフの代官邸前広場においてハイドリィと舌戦した結果の一つとして、ナーレフの”内側”の指導者やその周辺の者達のヘレンセル村への退避が成されていた。
これは、【四季】の力を我が物とした後に、むしろ旧ワルセィレの民の反抗者達が自ら各村に集まるという状況は、一掃するに好都合、というハイドリィの考えによって認められたものである。
――そして、そのハイドリィが消えた今、『木陰の白馬亭』という酒場の女店主ベネリーら”内側”の幹部達の手腕により、村々の連携が復活しつつある折であった。
突如、【空間】魔法によって作られた、まさにその名の通りに【空間】を歪めて”扉”が、旧ワルセィレを形成する各村に出現。
すわ魔物の出現であるか? と警戒し、驚く何も知らない旧ワルセィレの民達に対し。
そこから現れたのは、今は亡きトマイル老翁の後を継いで【血と涙の団】の後見人となり、憎きハイドリィ=ロンドールに取り入って村々を巡って行商を行う、マクハード=ラグラセイレという男であったのだ。
そして、そのような外法――【空間】魔法であるため、旧ワルセィレの民からすれば、憎き【魔導国】の技術――によって突如の登場を果たした男の口から語られたのは、彼の”罪”について。
前団長アルグも、そして先のハイドリィによるウルシルラ進軍で多くの戦士達が死んだのも、それは彼の思惑によってのものだったという。
若かりしには旧ワルセィレ地域を飛び出して『次兄国』を巡り、そこで学んだ知見を引っ提げて、ナーレフに座するロンドール家の圧政下であえて「手駒」として入り込むことで、村々に必要物資を届けることで永らえさせる行商ネットワークを作り上げたマクハードは、この意味では彼らにとっては恩人であった。
その十数年の間に、マクハードが個人という面でも、各村の者達と様々な信頼関係を築いていたこと。そして、それがこの罪の告白によって、どのような人間関係上の小さな寸劇が様々に渦巻いたかについては、割愛するとしよう。
このような、抵抗運動の長年の実質的な重要人物による告白と。
それに続く、彼の更なる重大な発言。
すなわち、今まさに彼が村に忽然と現れることができた【空間】魔法の”裂け目”――正確にはそれは【エイリアン使い】が模倣した『ゴブ皮』による方のものであるが――によって、直ちに、今すぐに『聖山』に赴くことができる。
そして、そこで【泉の貴婦人】に、20年ぶりに詣でることができるばかりか、地上に姿を現した彼女を直接見えることができる。
――斯様なる重大な伝達によって、もはや、ヘレンセル村を始めとした各地の旧ワルセィレの民達は、困惑と興奮が入り乱れて冷めやらぬ日々を「迎え」が来る時まで過ごしていたのである。
ちょうど、マクハードが現れる少し前に、【血と涙の団】に先導された『ウルシルラ商会』から、とある珍妙な浅黒い”小鬼”としか呼べないような……亜人とも思えず魔物とも言い切れない、不可解で醜い生物を「雪解け後の労働力」として押し付けられ、家畜小屋でとりあえず働かせている……ということなど誰も気づかず、ほとんど意識から追いやってしまったのであった。
要するに【エイリアン使い】オーマは、あえて、陳腐化しつつあって『ゴブ皮』由来の――【人世】に進出し【人攫い教団】と争った際に新たに会得した初期の【空間転移】技術を、この参拝で在庫整理することとしたのである。
【騙し絵】のイセンネッシャ家という【空間】魔法の本家の陰謀と侵入に対して痛撃を与えて撃退はしたものの、”私生児”ツェリマを取り逃しており、一定の情報を持ち帰られていることを考慮しなければならないという事情も大きい。
少なくとも【騙し絵】家との戦いが終結し、さらには迷宮領主に対して潜在的に強力な「分析者」となる実力を秘めた『長女国』に対するより効果的な対応ができるようになるまでは、オーマは【人世】での【エイリアン使い】としての能力や迷宮領主の権能の乱用は控え、出方を窺う方針としたということである。
だが――【騙し絵】家が跡継ぎの死亡と”私生児”が瀕死になって帰還したという混乱に見舞われていること。そして関所街ナーレフを、当初想定していたよりもずっと理想的な形で影響下に置くことができそうであるという戦略的判断から、ここで、『ゴブ皮』式の空間転移魔法陣を一気呵成に利用しつつ、地域全体の支持を『ウルシルラ商会』に集中させる一手として、このことをマクハードらに指示していたのであった。
――決して、旧ワルセィレを救うための力を得るためにその力に溺れかけて利用され、同胞達の多くを自らの意思で死なせたマクハードに、ちゃんと己の罪と向き合わせて禊がせようと無理をした……ということではない。マ■■本人は、そのような自認識である。
斯くして、場面は再び旧【泉の貴婦人】であった半魚半人の従徒の元に繋がることとなる。





