0236 喰われし記憶は自由と自在の代償か
ただ憶えてさえいれば、喪われることはなく、あなたの心に生き続けている。
――Nothing is ever really lost to us as long as we remember it.
(L.M.モンゴメリ)
「あのね、せんせ。夢の中ではね、私は何にでもなれるんだよ?」
ある時は胎盤の欠片をまとう、生まれたての子山羊として。
またある時は、綿毛を散らしながら木々を飛び移る駒鳥として。
そのまたある時は、傷一つ無い鱗を小川の清流に滑らせながら、岩陰に潜む鮎として。
イノリという少女が見る”夢”は、決まって、人間ではない何かになる――そしてその何かになって、人間とは違うその「いきもの」の在り方を全身で謳歌する――そんな夢だった。
『学び舎』がただのフリースクールなどではない、ということを、俺が思い出したのは、先生になって最初の授業の時であった。
積極的であるか否かは別として、"夢"というのは『学舎』では重要な意味を持つ必修科目だったからだ。
”夢解き”と呼ばれる、道徳や倫理や修身の代替のような科目では、俺はむしろ「先生」というよりはカウンセラーのような役割を期待され、そして任された。だから、このようなやり取りは、別にイノリという古株に限ったものではない。
俺は生徒達が語る様々な”夢”を通して、内側に込められていたであろう、様々な抑圧された何かを解く役割を与えられていたのだ。
「せんせも、昔はここの”生徒”だったんでしょ」
ただ垣間見る、などというものではない。
丁重にであるが、彼らに”夢日記”をつけさせ、それを読み合わせて解釈をし――またそれが翌日以降にどう変化するのか。一般的な小学校での学習進度に追いつかせるための最低限の授業の合間に、そんなことを繰り返していたのだ。
あるいは、それは年端もいかぬ子供達に対する、欧米諸国流の集団カウンセリングと日本流の”研修”的な自己否定型総括の中間的な"洗脳"プログラムであった……とでも今更言うべきか。
だが、洗脳という意味でならば、俺もまたその一部であることは彼ら彼女らと出会う以前から既に定められていたことだったろう。
――『学舎』の卒業生として。
「せんせは、一体、どんな”夢”を見ていたの?」
あそこがどういう組織であるのかを、本当は気づいていたのだ。
でも、だったら、どうして俺はずっとそれを忘れてしまっていたのだろうか。
――違和感があったのだ。
喉に引っかかった、というよりは、頭の奥の方がずきずきするような痛みを伴った違和感があったのだ。
大学生活を経て、XXX先輩とのちょっとした日々があって、K教授のゼミに入って『学び舎』に再び帰ってくるまでの間のことだ。
俺は――『学び舎』に戻るまで『学び舎』のことをずっと忘れていた――ということを、今更ながらに、思い出していた。
――どうして今なのか? などとは今更問うまい。
この違和感の正体に俺は既に薄々勘付いていたからだ。
ただ単に、それが、俺がかつてイ■■としてしか認識できていなかった、その真名が「イノリ」であるという少女を探す理由であるとも、どこかで察しつつあった。それを、まだ、正面からは認めたくないだけであった。
「マ■■せんせは、なりたいものに、なれた?」
――どうして俺は俺の真名を思い出せないのだろう。
――どうして、XXX先輩や、K教授や、A県C市のような形でしか、俺は元の世界のことを憶えていないのだろうか?
幻影ではない、記憶の中で、彼女との日々の一コマのどこかで確かにそう言われていた言には、彼我の距離感を示唆するかのような、そんな哀しげな寓意が含まれていた。
そのことに気づかぬ俺ではなかった。
「あのさ。これは、全部お前の仕業なんだろ? この悪ガキめ。本当は、全部お見通しなんだよ」
***
時間にすれば数秒しかなかっただろう。
ウーヌスの≪造物主様覚醒往ふきゅぴびんたぁ!≫などという、その姫タンクドーザー的な図体からは可愛らしいなどというものを通り越した実に質量的な一撃でぶん殴られそうになる、とかいうイメージを眷属心話によって伝達させられ――俺の記憶から秋の味覚を拾得する技術の応用とのこと――俺は記憶をたどる白昼夢から現世に意識を戻した。
戻したが……余韻には浸らせてほしい、という気持ちで思考を続ける。
イノリが成り、そして、俺もまた成ってしまった存在について思いを馳せたからだ。
なるほど、この世界における【迷宮領主】ほど、変化に富んでいてしかも自由自在な存在は、ないだろうよ。
その権能は、俺がいた元の世界では御伽話でのみ市井には語られる「魔法」という概念を以ってしてさえも、さらにその外側の超常と捉えられるべき有り様なのだから。
ひとたび己の在り方を認識してしまえば――【◯◯使い】として表現されるその権能は、小さな異世界の創世に等しい。
無論、それでも迷宮の力には「共通ルール」としての制約・縛られるべき法則は存在しており、超越することのできない範囲というものが存在しているが……【水源使い】は、この世界の創造神【全き黒と静寂の神】が定めたる、その軛すらも打ち破ろうとしたか。
――かつて『学び舎』を、そして元の世界の法則を乗り越え――多くを巻き添えに――た時と同じように。
(お前こそ、お前が本当になりたいものには、なれたのかよ?)
【人世】に出て、初め、画狂イセンネッシャによって討たれたと聞いた時は、きっと俺は自分で感じていた以上に絶望していたのかもしれない、と今更ながらに自覚していた。この自在なる世界においてさえ、彼女は、その変容の望みを叶えることなく潰えたのか? という想いが、オーマとしてではなく、かつて「マ■■先生」であった頃の俺としての思考を埋め尽くしたからだ。
……まぁ、存外に楽しく暴れていたらしい彼女の軌跡が――俺の知る『学び舎』での気丈な様子からは随分とはっちゃけた――どこか小気味良く感じられる。それは、生きているかもしれないという希望が生じたことへの安堵だろうか。それともかつての関係性からの強い贔屓目から来る苦笑だろうか。はたまた、迷宮領主としての「苦労」を理解できる今の身だからこその共感だろうか。
ともあれ、俺だけでなくその擾乱の相手もまたイノリの生存を疑い、こうして俺に接触してきていることを考えるならば。
彼女を探すということはその軌跡を追うことであり、そして迷宮領主としての彼女が、最終的に何を目指していたのかを明かす旅路となることに他ならない。
すなわち 【闇世】の秩序に亀裂を与えた、ということの意味である。
この点については、最初にルルナからは【擾乱譚】という大戦争のあらましと、その終盤におけるイノリの死(の偽装)を聞いていた。だが、いかにルルナが”特殊な役目”を与えられた存在であったとて、眷属としては非常に新しい存在であったことから、情報量には限界があった。
それでも、この交渉に向けた備えとして、つい先ごろにヒュド吉から【擾乱譚】の更なる具体的な推移を聞き出せたところであったが――。
ヒュド吉の本体であるところのブァランフォティマ。
このイノリの”元部下”が、なんと、200年前の【擾乱の姫君】の特に【人世】での活動の痕跡について『語ることを禁じられている』ということがわかったのであった。
俺は、特に眷属心話技術の観点から、ヒュド吉を調べるように副脳蟲達に命じていた。
迷宮領主が自らの眷属達と通信するもっとも基本的な権能にして技能であるが、たとえば副脳蟲どもの【共鳴心域】のように、迷宮領主ごとにその拡張系が存在する形で、通信の秘匿性は迷宮ごとにその独自性を得る。多頭竜蛇が、その多頭同士で思考を同調させることで、最終的に1個の人格を持った存在として統合される仕組みは、もちろん眷属心話とは異なるが――イノリと通信できていたから俺の迷宮の回線にも接続できた(ルルナと同じように)ならば、何らかの「互換性」があった、またはかつて与えられていた、と俺は考えたのだ。
ちょうど、俺がエイリアン=パラサイト系統を利用して、眷属外の生物とも通信できるようになったのと似たような形である。
故に、特に【楽師蟲】アインスの力によって、「エイリアン」達や従徒達、寄生小蟲経由による非眷属である生物のグループを様々に組み換え、ヒュド吉とルルナが俺の迷宮の眷属心話ネットワークに「同調」できる範囲を調べさせたというわけであった。その結果――。
≪そうそう……それで、ヒュド吉は、ある種の「エラー個体」さんだってことが……わかったんだよね……≫
≪だからあんなに大食いだったのかな~≫
≪なわけねぇきゅぴ。ヒュド吉食うヒュドゆえにきゅぴちぴちぴちなのだきゅぴ≫
≪い、意味がわからないよ……!?≫
結論から言えば、ヒュド吉は確かに、本体である多頭竜蛇ブァランフォティマといくらか同等の記憶を持っていた。イノリの【擾乱譚】についても、それなりに詳しいことまで知っていたことが判明した。
然してその一方で、本体に科せられていた「禁」に関しては、どうも、ヒュド吉が別人格であるとされて働いていなかった――ということまでわかったのである。
……わかったのであるが、彼は単に、自らがかつての『竜主』の末裔という誇りによって、強制されるならば自害するという強い覚悟をこの俺に示してまで「言わない」という態度を示したのであった。
流石に、そこまで宣言されるならば、貴重な情報源であるヒュド吉をここで失うリスクを冒す意味は俺にはない。
≪あはは! でも、固有名詞さんとかは全然だったけどねぇ。そういうところやっぱりヒュド吉ぴちぴちって感じだよ、あははは、ウーヌスが伝染った≫
――成果が無かった、ということではないからだ。
実のところ、この「イノリの【人世】での活動を語ることを禁じられていた」という事実そのものが、ぷるきゅぴ式誘導尋問によって引き出すことのできた最重要情報と言える。
ヒュド吉の示唆によるところ、漏洩をしようとした場合、ブァランフォティマは”自壊”することになるというかなり強い『呪詛』をかけられているらしい。だが――ヒュド吉本人はブァランフォティマとは別の人格であるため、少々、俺に漏らす程度ではただちに多頭竜蛇の生首リゾットになるということは無かった……というわけであった。
この事実は、色々な可能性を示唆している。
端的には、今まさにそうなっているが、多頭竜蛇が【擾乱の姫君】が消えた後に界巫閥の手によって討たれるなり捕獲されるなりした際に、イノリの活動に関する情報が漏れることを防ぐ保険である。
彼女はよほど【闇世】の迷宮領主達には、自らの【人世】での活動を知られたくなかったのだろう。敗死するにせよ(その可能性は無いと俺は確信しているが)、一時撤退という意味で雲隠れするにせよ(おそらくこっちである)、多頭竜蛇が討伐または捕獲される可能性を想定していたのだと思われる。
すると、そもそも大事な元部下であったならば、何故イノリはルルナと同じように多頭竜蛇を【人世】に逃さなかったのか、という疑問が生じる。
≪戻るための「道」が無かった、と考えるのが自然だろう。ルルナと違って図体がデカすぎる上に、基本的にその「道」は、迷宮領主達が抱える”裂け目”なんだからな≫
≪フトゥトゥあつあつお豆腐さんがお尋ね者さんだってことも考えると、簡単に会うこともできないのかもなのだきゅぴしねぇ≫
そしてそれ以上に、何らか、討たれるか捕縛されるかのリスクを負ってでも、ブァランフォティマには【闇世】に居続けねばならない理由があったか、である。
いくら、最強の大公とも”粛清者”とも謳われる【気象使い】ディルザーツが他の迷宮領主が【竜】に関わることを阻止せんと目を光らせているらしいとはいえ……そのような”理由”があるならば、十中八九イノリからの遺命であろう。
古の「竜」の末裔であるブァランフォティマが、元々は【人世】で何をしていたのか。そもそもどういう経緯でイノリと知り合ったのか。そしてその結果どのような展開で【闇世】に落ちることとなったのか。
そうした多頭竜蛇としての来歴の全てが、イノリの活動に関わることであったとするならば――まさにその記憶を共有するヒュド吉は、自身の来歴についても「言うことができない」のである。
間抜けなくせに誇りだけは立派なヒュド吉が、その覚悟に懸けて本体とイノリに対して行う義理立てなのである。
だから、それは俺のためにはならずとも、きっと何らかの形でイノリのための義理立てであると見込まれる以上、俺がこれ以上の強要をヒュド吉にするわけにはいかない。
≪きゅぴきゅぴ。そう言えば、ヒュド吉が「ぁあ、詳しいことはぅわぁ、言えないのでぁぁ~~るぅ!」とか言っていたことが、他にもあったきゅぴねぇ≫
≪なんだってぇ! ちょっとお姫ったら~! 何その歌舞伎役者さんみたいな言い方、変なの!≫
≪イェーデン、それを言うなら歌舞伎ゅぴ役者なのだきゅぴ、間違えちゃダメなんだからね! ぷんきゅぴぷんきゅぴ≫
≪あの……ヒュド吉はそんなこと言ってなくて、ちょっとだんまりさんだった……だけだったような……?≫
元々、多頭竜蛇と人魚という種族の関わりについては既に疑惑があるところであった。
この今でこそ”嗜好品”扱いの憂き目に遭っている悲劇の亜人種達は、かつて【人世】のネレデ内海に勢力を持っていた種族であった。そして【竜主国】という「竜が民を統治する国」が、神々の大戦と知性種達の勃興の時代の間に【人世】で各知性種達を囲い込んで君臨していたことを合わせて考えれば――そこにこそブァランフォティマとヒュド吉が口を噤む「来歴」を解き明かすヒントがあるはずなのである。
そして、それはそのままイノリの【人世】での活動の一端に繋がっている。
≪【深海使い】もイノリの元部下なら、ヒュド吉の”本体”と連携していると考えるのが自然。人魚達と何らかの関わりがあると考えるのが自然。だからその”お豆腐”野郎殿に関する情報も、当然、ヒュド吉は言うのを拒んだし、逆に言えばイノリの「やろうとしたこと」に一枚噛んでいると考えるのが、自然。そういうことになる≫
イノリの「目的」について問うた時に、ヒュド吉は、こう答えた。
『た、確かぁ~「私には、どうしてもやらないといけないことがあるんだ」とかなんとかぁ~……』
『それを教えてはくれなかったのか? 腐っても、高潔だった”竜”の末裔だろ、お前は』
『そうなのだ! なのだが……「君達には、まだちょっと教えるのは早いかなぁ」とか、なんとかぁ~……うぃーひっぐ』
――さて。
その「やりたいこと」に、俺は、かつて彼女の「せんせ」であったこの俺には、この俺にこそは、思い当たることが無ければならないだろう。
――自由と自在への「夢」を抱えながら、現実では、年齢に不相応なまでに潰されそうなほど責任感の強い少女だった。
――彼女の「夢」は、決まって、最後は肉食獣に食い殺されるか、ハンターに撃ち殺されるか、急変した環境の中で死んでしまう、そんな結末だったから。
『「私には”探しもの”があるから」とか、なんどが、言っていだのだぁ~あぁ~首の付け根の神経と血管を電気アンマでぐりぐりするのをやめでぐれえ゛え゛え゛え゛』
奇遇だな、と、俺はどこにいるのかいないのかもまだ定かではない少女の成長した姿を想像しながら、そんな言葉をかけたのであった。
奇遇だが……奇妙なのは、それについてはヒュド吉が抵抗せずに語っていたということである。彼女の最終的な目標について話すことを「禁」じられていないことの意味をどこまで深読みすべきか、はたまた、ヒュド吉が格好いい啖呵を切りつつやっぱり残念な情報漏洩生首であると決めつけるべきかだが、これについては今はいいだろう。
≪多頭竜蛇にせよ【深海使い】にせよ、そして【最果ての島】にせよ、やたら”海”に関係しているのは偶然だと思うか? 副脳蟲ども≫
≪えっとね、真面目さんなことを言うと【闇世】の【超大海】さんとか、すっごく気になるよね!≫
≪やったぁ! まだ見ぬ未知の世界、一体どうなってるんだろうね! 気になるよぉ!≫
その通り。
【闇世】Wikiの記述にもある通りだが、「気象」エネルギーというものが「海洋」から生じる巨大な潜熱輸送の惑星規模のシステムと考えれば――【闇世】において「海」とは大公ディルザーツの領域。そして【深海使い】は、そんな海の表層から海中に隠れてその隙を伺う存在である……と考えるのは穿った見方だろうか。
≪でも、イノリさんが【闇世】さんを相手にどばばーんとどんぱちしたなら、普通に戦ってるはずだきゅぴ≫
【闇世】において【竜】にちょっかいをかけることは禁忌である。
それは単に、【気象使い】がかつて【闇世】と【竜主国】が全面戦争を行った際の”英雄”であるが故の行動であるのかもしれないが……奇しくも多頭竜蛇という「竜」を通して、イノリの行動とは接点があるようにも見ることができる。
まだ、偶然、でも説明できる範疇かもしれないが。
だが、現時点で得られる情報の中では、有力すぎる仮説ではあったのだ。
そして、その線で俺が次に調べる選択肢が2つあったわけだ。
【氷凱竜ヴルックゥトラ】と、そしてデウマリッドの出身である【北方氷海】の兵民――”名喰い”の力を持つ者達の領域たる【北方氷海】へ赴くか。
人魚の繋がりから多頭竜蛇の出身地であると強く推定される【ネレデ内海】を目指して【次兄国】へ手を伸ばすか。
どちらも有望で、重要である。だが、例えばソルファイドに接触してきたギュルトーマ家の係累が吹き込んだ【拝竜会】という信仰団体の情報、そして極めつけに――グウィースから非常に気になる報告が俺に対してだけあったこともあり、それで、俺は【ネレデ内海】ルートを優先させる方に判断の天秤を傾けた。
この意味では、今回、ヒュド吉から引き出した「イノリの”隠したい”【人世】での活動について、特に多頭竜蛇や人魚との関わりが強かった可能性が高い」という情報は、こちらの選択が正しかったことの強烈な補強材料となるだろう。
そして、ここからが本題。
このことを、界巫閥や、今俺の眼の前にいる交渉相手たるフェネスという醜男がどこまで想定しているのか、または、知っているのか、ということ。
これを推し量る上で、とてもとても興味深い事実が――否、ここまで情報が積み重なったならば、おかしいと思わぬ方がおかしい明々白々なる「違和感」が存在していたのである。
***
「時に、フェネス殿。未だ『副伯』の身ではありますが……秘された知識について、ご寛恕いただけるのであれば知りたいことが一つ」
父娘漫才の如き寸劇を辞めながら、その眼差し(音響による幻覚だが)が変わるも、空気までもが変わる前に間髪入れずに続ける。
「”裂け目移動”という技について、どうしても教えていただきたく。【人世】での効率的な活動のために――」
言った瞬間に、あぁなんだそんなことか、という態度を醸しながら、フェネスがにやにや笑って【闇世】Wikiに毛が生えた程度のことを語って聞かせてくる。その話は、基本的な移動が可能となる『伯爵』となるための”功績”を積むことに――要するに、フェネスが俺にさせようとしている何かへの含みへと誘導される。
だが、彼は今の俺の「質問」を「調子に乗って上位者からあれこれ情報を聞き出そうと見せかけている出自秘匿者」の文脈で聞いていたはずだ。
だから、気づかないだろう。
俺もそうだという確信をもって、ダメ押しで確認しただけだったが。
――結論を言えば。
この俺目線では”ほぼ確”である『【最果ての島】の迷宮核がイノリの”拠点”であった』という事実を、界巫の懐刀を自称するトリックスターフェネス殿が、おそらくだが気づいていないのだ。
そのことを確かめるために、俺は、わざとこの俺の”裂け目”を連想する問いを投げかけた。だが、そもそもフェネスが「イノリの拠点」であることを知ってたなら、俺がここまで神経使ってギリギリの誘導をするまでもなく、もっと濃厚なる縁者と断定されて今のような行動の自由は無かったはず。
――現に、それがイノリが”前任者”として残していった様々な仕掛けが俺の迷宮領主としての行動に影響を与えた。それほどまでに【最果ての島】には”痕跡”があった以上、【闇世】はおろか創造神が定めた法則すらをも巡って【擾乱の姫君】と激しく争った界巫閥が、その「最後の拠点」の1つや2つ、把握していない方がおかしい。
だというのに、フェネスが打ってきた手は、自分の手駒である【人体使い】テルミトとその元部下であった【樹木使い】リッケルに競争させる形で奪い合わせる、というものであった。
いいや、いいや。
そもそもそんな最重要な様々な”痕跡”が濃厚に残った場所を、200年も放置するものかよ。
よしんば、島が大規模空間魔法だかによって200年間隔離されていたとかであったとしても、それをわざわざ「この俺」に引き渡すとは到底思えない。
――とても奇妙なことなのだ。どうしてフェネスには【最果ての島】がイノリの拠点であったこの確信が何故か無いのであろうか。
無論、疑義は抱いているだろう。薄々、可能性が低くないと感じてはいるんだろう。
だが、空振りに終わったとしてもお荷物にならないように手駒に取らせる……という行動を取っている時点で、確信に至っていないことは明白。
――となれば、むしろその「可能性」も探りたがっているフェネスが逆に俺に問うてくるはず。
『時に、うくく、お返しにこちらからも「時に」って奴だがオーマクン。君は我らが偉大なる界巫サマに授けられるありがたぁ~い【黒き神】サマからのご神託については、どれくらい知っているのかな?』
「【人世】から【闇世】へ世界の構成要素を呼吸することは、我らが雄大なる【闇世】存続の要。彼の忌々しき”英雄王”の力によって消されてしまった”裂け目”は、再び生まれ変わって現れる――その守護者をいと高き【黒き神】は選り抜かれる」
『感心感心! 今日び、君みたいに【闇世】の”大典”をちゃんと読み込む若者も少ないからねぇ。いいかい? 我らが界巫こと【霊長使い】ギルシェンクンはねぇ』
上司への割と毒の入った愚痴を吐いてから、急にその舌鋒を転じて曰く。
【人世】に持ち去られるようなイレギュラーが起きても、この作用は働くのだ、という【闇世】Wikiにも書かれていない上位者のみが知る秘密の情報(有用度は低い)を俺に囁くフェネス。それで我慢しろ、と表面的にあしらった形を作ったとも言えるが――。
だからオーマクン、君は何か知っていないかなぁ? という、探りを奥底に秘めた態度をフェネスは隠す気がない。
思うに、界巫やフェネスには、イノリの「最後の拠点」が、あったはずにも関わらず消えた――かのように見えたのではないか。
だが、確かにあったはず……という認識はある。あるにも関わらず、それがどこであったかを認識できていない。
繰り返すが、たとえ迷宮核を失ったとて、かつて彼女の拠点であった【最果ての島】にこそは、数多くの痕跡があったはずなのだ。
死を偽装する際にそのすべてを片付けた可能性ももちろんあるが、それでも、重要な場所として界巫の直轄地のように封鎖され200年間調べられ続けてもおかしくはないだろう。それほどのことを【擾乱の姫君】がやらかした、というならば。
故に、テルミトとリッケルに争わせ、異世界転移したこの俺がかっさらっていった【最果ての島】の迷宮核がそれであると疑いつつ、同時に、どこか別の場所で消えたものが【闇世】の”呼吸”作用によってたまたまこの【最果ての島】に生じさせた……という疑念を、フェネスは、界巫ギルシェンは否定しきれないのだと俺は読んでいた。
――繰り返すが、俺には確信があったからだ。
≪『名喰い』だ。イノリは【名喰いの民】と接触が、あった。そしてその『名喰い』の力を【最果ての島】全体に使ったんだ。それが、多分イノリの切り札だったに違いない≫
よもや【闇世】という異界にまで及ぶとは、想像していたよりもその影響力を重く考えなければならない力と言えた。その意味においても、確かに【北方氷海】もまた重要で魅力的な”目的地”の一つではあるわけである。
≪待ってください、オーマ様。そうすると……【禁域】の森は、まさか……!?≫
ルクがたまらずといった具合で口を挟んできた。
結果から言えば、デウマリッドへの”尋問”では、強引なやり方を禁じていたこともあって十分な成果を得られたとは言えなかった。特に、ルクとミシェールにとっては、陥落した侯邸から逃された場所が【最果ての島】に通じる”裂け目”が封じられた【禁域】の森だったわけである。
……そして当初は”裂け目”封じを生業とする『末子国』の僧兵部隊による神威【忘れな草の霧】によって封じられていた地だと思っていたところ――果たしてそれが『長女国』の魔導貴族達にとってはヴェールに包まれていた【北方氷海】の兵民達の超常的な技能『名喰い』によるものである可能性が濃厚となり、しかも、それが【闇世】で200年前に大乱を起こしたるイノリという名前の迷宮領主の差し金である可能性があり。
≪ルク兄様。イノリ様こそは、我が君の”探し人”にあらせられます。我らのことについてお考えいただくのは、今はあまりに、差し出がましいですよ……我が君、我が兄にして夫のご無礼を、どうぞお許しください≫
≪気にするな。だが、後回しにしてくれる申し出は素直にありがたい――どっちにせよ、わかってくることだ。全部、繋がってやがるんだろうからなぁ≫
≪……何がなんだか。”新入り”の俺にはまだよくわからんことも多いが、まぁなるほどな? オーマ青年。それが、お前があのデカ物をフェネス殿に合わせなかった理由てわけか? あの暴れん坊にどうしてわざわざ無駄に暴れる場をやったかと思ってたんだが≫
端的に、フェネスには『名喰い』について話題にしたくはない。
イノリにとっての200年前の切り札であった可能性が高いこの【種族技能】について、彼が絶対に知らないとまでは断定はしないが……やぶ蛇は避けるに越したことはない。既に、俺がフェネスに対してしたかった”誘導”は成功していたのだから。
一方的に戦友として金魚のフンのようにくっついて行動しようとする”デカ物”デウマリッドから、ヒスコフだけを引き離すには、相応の餌を与えて追っ払っておく必要があったというわけである。
……さて。
どうして、俺が『名喰い』というまだよくわかってもいない力について、ここまで確信的に確信しきっているかって?
しかも、それをイノリが、元の世界のイノリかどうかもわからないこの異世界の迷宮領主としてのイノリが「やった」と、疑いもなく大前提として思考しているか、だって?
そんな自問は、あんまりすぎるほどの愚問だ。
俺はそう俺に対して自嘲の失笑を向けた。
――俺が俺に、である。
XXX先輩。K教授。A県のC市。
■■ イノリ。■■ ■ヅ■。■■ ■■■。■■ ■■。■■ ■ナ。■■■ チ■■。■■ ■ム■。■■■ ■■ト。■■ ■■。
複合大企業■■■■■。
この俺、■■■ マ■■。
漢字で書けば、■■■ ■■。
……この世界に来た時から。
いいや、来てしまったその直前から。
いろんな名前や、固有名詞や、記憶が、既に、とっくのとうに、まるで虫食いのように喰われて思い出せなかったのだ。
最初から、俺は、俺やいろいろな名前を喰われていたのだ。
――私ね。せんせのこと、守ってあげるから。そう決めたんだよ。
まるで、誰かの途方もないお節介であるかのように。





