0235 旅路に連れ立つも詭道と険道の多し
・8/18 …… 跳躍茸を拡張茸に修正 (ミス)
この俺の迷宮【報いを揺藍する異星窟】の深部に隔離された一室。
【闇世】における重要な客人を迎える「応接室」の役割を与えられた小部屋であるとも言えるが――不快に嘶く金属生命体の如き『鉄鐸』から放たれてきたのは、酷く侵襲的で敵対的な気配、否、迷宮の”力”そのものであった。
迷宮核が「侵入」への警戒を促すようにシステム音を脳内に響き渡らせる。
【魔素】と【命素】は、迷宮の根源を成すエネルギーの単位としては元来中立的なものである。だが、まるでそれすらも悪意を持った波動であるかのように、【異星窟】の中に楔が穿たれそこから波紋が染み出るような”異物感”が、一挙に「応接室」たる小部屋に充満する。
『――やぁやぁ、久しいねぇ、オーマクン! 君の活躍を思わなかった事なんて、あの日から一秒たりとも無かったとも!』
金属を爪で引っ掻くような不協和音をそのまま声帯に植え付けたかのような醜男【鉄使い】フェネスの哄笑。
鼓膜だけではなく全身の皮膚に対して、ビリビリ、ザザザと、まるで肌にヤスリを掛けられるかのような「音波」は、嫌に立体的かつ音響的であった。
それまでの数度のやり取りとは、明らかに異なる機序に基づいて、その「音」が、ありありと、下手をすれば生々しくとすら言っても良いほどのリアルさを伴ってそこに居た。
――『因子:振響』を再定義。解析率67.7%に上昇――
迷宮核からのシステム音に「解析」が発動された形跡が加わる。
『あら、あら。ふむ、ふむ……なるほど。予想通りに警戒心全振りの立派な”応接室”ですね』
『……ちぇーっ! 【領域】的にも【情報】的にも、【空間】的にも隔離されてるじゃないっすかぁ。せっかく気合いを入れて準備してきたってのにぃ』
浮浪者のようなボロを身にまといつつ、火男を彷彿とさせる潰れたギョロ眼と、一目見ただけでその悪意込みの満面の笑みを忘れることのなかろう、【闇世】におけるトリックスターとされる上級伯フェネス。
父のその「ギョロ眼」を複製してそのまま右目に移植したかのようなおぞましい眼光をギョロギョロとせわしなく回転させている……以外は、やや男装趣味であることを除けば、腰まで届くウェーブがかった長髪といい、慈愛にすら満ちた左目といい、蝶よ花よと愛でられて育てられたる深窓の令嬢といっても差し支えのない柔和さを備えたる「次女」ラフィネル。
しかし、その薄められた細眼に、底冷えするような怜悧さを隠そうともしていない様子は、こちらを舐めてかかっているのか、はたまたその逆であるか。
そしてもう一人、醜男の反対側の脇を固めるのは――これまでの情報からすれば「五女」と推定できる人物。
オーバーオールのような全身を包む作業着を、着ている、というよりは、着られている、ですらなく……包まれている、とすら言っても良いほどのアンバランスな格好をした小娘であった。
視線を隠す意図なのかはわからないが、まるでジョークのような「ぐるぐる眼鏡」越しに、小さな体に似合わないほどのギラギラとした眼光を秘めている。全身作業着に何十と備え付けられた大小の「ポケット」の一つから、謎の装置にも見える物体を取り出し、カチャカチャと右手で高速で操作をしようとしていることを、これまた隠そうともしない。
――という三者三様の形状をした"音波の塊"が『鉄鐸』から出現。
するのと前後して、敵対的な迷宮法則、要するに異物の侵入を感知して、予め「応接室」を岩壁1枚隔てた「余剰空間」に配置していた次元拡張茸達が発動。ぐるぐるメガネが何やら悔しがって言及した【空間】的な断絶を作り出し、『鉄鐸』から出現した3体の「音波で形成した」としか思えないような人型どもを隔離して拘束したのであった。
『結構、結構じゃないか! この程度の”お遊び”もあしらってくれないと、僕もオーマクンへの評価をちょいとばかし減点せざるを得なかったからねぇ!』
『うぎーーーっっ! 成長早すぎるっすよ、本当にまだ数ヶ月しか経ってない副伯なんすかぁ? ちょおっとした「台風」で驚かせたかったのになぁ、残念っすわぁ』
……などと芝居がかったやり取りを演じながらも、父娘三様にこちらを観察する「視線」を、それぞれに送ってくる音波の人型。
正直いって「これ」は予想外であり、自分のことを棚に上げつつ「迷宮の力」の”何でも有り”加減に警戒心を強める俺だったが――『迎撃』そのものは成功したことに、一旦の安堵はしておくこととする。
「お戯れを、叡智の泉をその”瞳”に宿す上級伯【鉄使い】フェネス殿。僭越ながら、若輩とはいえ迷宮領主同士の闘争の本質というものを、例の【樹木使い】から学ばせていただいた身。予想と対策は、しておりました」
『そうだろう、そうだろうとも、心配しすぎだったようだねぇ? ラフィネルさん。この程度、僕らのような存在にとっては基本だからねぇ。理解してくれていて僕も満足だが――それでも! 僕の2番目に賢いグウェンエットさんの”特製”は、流石にキミの度肝を抜けたんじゃないかい? オーマクン、そうだろう? そうだといえあいたぁ!?』
『うふふ、失礼を、副伯【エイリアン使い】オーマ様。父は私達のこととなると、いつもいつでも目が無くなるものですから……ほら、グウェンもいつまでも膨れてないの』
かつてリッケルが、板切れに文字通りの”種”を仕込んで迷宮領主の基本能力である【情報閲覧】を回避し、その戦力の大部分を【最果ての島】に上陸させてきた事実を俺は忘れていない。
彼らがこの世界の根底に存在する様々な法則を、果たして俺と同じような形で”認識”できているかどうかは別として――少なくとも彼らはその知識を確かに有している。そしてそれを有していることを前提として、さらに「メタ」的にそれを上書きか裏書きするように打通する手法を、それぞれの【◯◯使い】という権能からの創意工夫と想像力の具現によって成すことに余念が無いことが見て取れる。
――どうして【鉄使い】と呼ばれるフェネスが、単に金属を操る能力だけしか持っていない、などと決めてかかることができようか。
『いやぁ僕達も暇じゃないんだけどね? それでも道具と部下に関しては、鮮度も活きも良い状態を保っておくのが常識ってもんだろう? 錆びた鋏にも使い道はまぁあるんだけど、錆びてない鋏にだって使い道があるんだからね! ――キミが冴え冴えと磨き上げられているなら僕も嬉しい! 中にはキミがそのまま【人世】にトンズラしてしまう……だなんて邪推をする手合いもいたもんだからねぇ、はっはっは、気を悪くしないでくれたまえよ』
当初から、フェネスからのお土産である通信装置たる『鉄鐸』を隔離していた理由の一つもまたこれであった。
……そろそろ仕掛けて来ると思ってはいたが、それでも俺の予想よりも随分と性急な”奇襲”である。
実際のところ「応接室」を取り囲んでいたのは次元拡張茸だけではない。超覚腫や各属性の属性障壁茸達であり――ご丁寧に【人世】の「十六属性論」に対応したこの魔法感知・妨害種のエイリアン能力に対してまで、五女「グウェンエット」が考案したらしい”何か”は相殺のエネルギーを送ってきていたのである。
「音波でできた人型」などという存在の出現までは予測はしていなかったが……例えば金属の周波数だか共鳴だかによる”振動”攻撃のようなものが来る可能性は予測の範囲内にあった。
それを【空間】属性によって物理的に遮断する体制を当初から整えており、次元拡張茸が誕生してからは彼らにもその役割を一部担わせた、という意味では、最も肝心の部分での「防御」能力があることを示すことができる形とはなったわけであった。
『まぁ、これくらい【空間】の力を”理解”されているようでしたら、確かに、お父様の言う通りに【破廊誓】の方々と連携……もとい”ご紹介”するには及第点かもしれませんね』
『はっはっは、だがまぁそれもオーマクンの【人世】での”成果”次第さ! 僕達の本題もそこなんだから、ほれほれ2番目に執念深いグウェンエットさん。もうオーマクンを「試す」のは終わりだからその物騒な操縦装置を閉まってしまいなさいほれほれ』
おそるべきかな。
念の為のつもりで、次元拡張茸の一つの内側に隠し込んでいた黒瞳茸までもが【精神】属性による何らかの”干渉”を迎撃したという報告が副脳蟲どもから入ってきている。
しかし、【空間】属性に関する俺の対応能力については露骨に調べていることを明らかにしつつも、それ以外についてはおくびにも口にも態度にも出さず――フェネスとその娘達の「音の像」は、何か椅子のようなものに腰掛けるようにして座り込んでくつろいだ様子を見せつけてくるのであった。
≪おいおい、オーマ青年。こいつは、ちょっと面食らうよなぁ≫
それまでずっと俺の傍らで沈黙を保ち、表面上は今も沈黙を保っており――「音波像」3名の視線を受けながら――ヒスコフが眷属心話で語りかけてきた。
なお【眷属心話】とは言っても、副脳蟲達の【共鳴心域】を経由して「エイリアンネットワーク」によって暗号化された内容である。流石に【闇世】の実力者の一人であるとはいえ、これを、”生身”がこの場にいないにも関わらずに初見で”傍受”されるとは思っていない。
≪裏で何種類の【属性】同士でやり合ってたんだ? こんな多彩な「魔法戦」を、まさか【闇世】で見させられることになるなんてな≫
≪同感ですね。少なくとも、麗しき【長女国】の”魔法”は、十分に研究されて対策されている可能性が高いでしょう≫
≪もちろん「教科書通りの」魔法はって意味だけどね!≫
≪……まぁ、俺はつい先程までその「研究」と「対策」を全身で体感、いや、搾り取られていたようなものだから、まだショックは薄いんだが≫
≪でもそれを言うならリュグルソゥム家は、おと……当主様とお母様が初手からオーマ様に全部献上したようなものだし≫
≪「研究」というなら、基礎部分を全部すっ飛ばして差し上げたようなものだねー≫
≪いや、その物言いは何に対抗しているのかわからないんだが、リュグルソゥムのガキども≫
そのやり取りが呼び水となったか。『止まり木』から次々にルクとミシェールと子供達が現世側にやってきたようであり、喧々諤々な議論を開始する。
だが、込み入った部分については”専門家”達に一任しつつ――俺はヒスコフに目線を向けて頷き合った。
今俺は「成果報告」という名の交渉……という皮を被された【情報戦】の只中にいるのであるから。
『それで……そこにいる「彼」が、私達のお父様に紹介したいオーマ様の”成果”というわけですね?』
何を言っているかわからないと思うが、視覚ではなく聴覚と触覚をビリビリと震わせることで、擬似的に視えている存在を象った音波の塊の一つ――「次女」ラフィネルがギョロ眼をヒスコフに凝視させるように顔を向けてきた。
【空間】魔法によって物理的に断絶されており、直ちに危害を加えられる様子は無いが、会話という意味での「声」だけがいかなる原理かによって直接俺の鼓膜に届けられてきていた。
「色々と”教育”は済んでいます、それと選別も。【鉄使い】の皆様方のお戯れを目で見て理解することができる程度には、有能で辛辣な男ですよ」
『【魔導の国】から部隊単位で引き抜いた……というわけだね? まぁ生物系を操ってるオーマクンのことだ、いい具合に調教と躾は当然してくれているとして、あちらの今世の標準的な戦力をまんまと持ってきてくれたものだねぇ』
『まさか、まさか、裏切ることはありませんよね? ふふふ、愚問でしょうか』
クスクス、という小笑いさえも、まるで空気をこそばゆく震わせる様まで再現する「音波」の像は如何なる原理であるか。
不可思議な力の応酬ではあるが……思わぬところで因子『振響』をさらに解析させることができた、と、せめて内心で強がらせてもらうこととしよう。
「賢くたおやかなるラフィネル様。この私の迷宮【報いを揺藍する異星窟】では、望みを得んとする者に、対価と引き換えに相応の応報を与えることを旨としています。この男は、この世界の真実と文字通りの裏側に関する知識を求め――そして我が力の前で生き残ったのです」
≪……まぁ、物は言いようだな。よく回る舌だと呆れるぞ、オーマ青年≫
≪丸っ切り外れてるわけでもないだろ? ヒスコフさんよ。デウマリッドに触発されたかは知らないが、あんたは「旅」がしたかった。自分で設けてしまった「限度」の影で、ずっとそんな気持ちもあったんだろ?≫
≪――あぁ、まぁそうだな。そのせいであのクソデカ物を体よく押し付けられたんだったか。名前を忘れさせられた昔の上司みたいな男にな? そうさ。冒険するには、生まれ持ってしまった慎重さが過ぎていたようなものだったんだ≫
≪今までのあんたは、な≫
『なるほど、なるほど。”知”を求める【魔導の国】の精神を宿す熟練の戦士、というわけですね。いくつかの意味で、安易に使い潰してしまっては、あまりにももったいない……ですね?』
『【人世】側の現在進行系の魔法の力と、それを用いた集団の戦闘って奴には僕も興味があったところだねぇ。”試験戦力”としては、ちょうどいいんじゃないのかな? この200……いや、数百年の間にどう変化したんだろうねぇ。退化かな? 変化かな? それとも先祖返りかな? それはそれで良い題材じゃないか、うくくく』
『何かあってもオーマ様がきっちり責任を取ってくださるのなら、お話のとっかかりとしては、丁度良いのではないかと思いますね』
【人世】への進出前に、俺がフェネスと【宿主使い】ロズロッシィと【励界派】へ披露した”構想”。
それは【人世】からの侵入者を継続的に呼び込むことで、味方となった迷宮の成長を促進させるというものである。
これが当たれば、長期的には敵対する勢力を凌駕する戦力的な優位性を涵養する仕組みを整えられるわけであるが――もっと踏み込んで言ってしまえば、送り込む侵入者の量を少し間違えるだけで、受け入れる側を「攻略」してしまいかねない劇薬と化することもできるということ。
その辺りの戦略的あるいは謀略的な皮算用をさせてやるためには、【人世】の”標準的”な戦力を用意しなければ、売り込むことなどままならない。
関所街ナーレフにおける【四季】を巡る混乱の中で、ヒスコフらを得ることができたのは僥倖か、はたまたある種の縁の収束というものだろう。無論、仕組んだのもまたこの俺ではあるが、予定と想定を何段も早足に駆け上がることができた展開である。
何故なら――。
「その通りです、ラフィネル様。そして、この男ヒスコフの価値はそれだけではありません。慎重にして怜悧、私の迷宮領主としての未知だっただろう力に対しても、能う限りの観察と忌憚の無い分析を仕掛けてきた。生き意地と、そして運を持っていますよ」
侵入者を斃すことは、迷宮領主を大きく成長させる『経験点』となる。だが、別に殺さずとも、撃退するだけでも『経験点』は得られるのである。
≪だからといって絶対でもないがな。死地に行く時になったら、肚は決めろよ?≫
≪あのラフィネルとかいう女は、説明されるまでもなく危ないな。まるで【破約】派の頭顱侯家のご令嬢でも相手にしているようだ。もしかしなくても、俺が下手を打った時には切り捨てるつもりのくせにな、ははは≫
≪その時は、精々、俺が腕利きの食材ハンターだってことを証明しながら恨んで死んでいってくれ≫
≪拾わされた命だから文句は多くはないさ。任せておけ、青年≫
”試験戦力”とは、つまりそういう意味であった。
そしてその意味でならば、早々に最前線に放り込まれて磨り減らされることも無いだろう。
ラフィネルが、まるで定食屋のアルバイトを採用でもするかのような、一見どうでもいい質問をヒスコフに投げかけ始める。そこで答えてまずいことを言わされてしまうヒスコフでもないが、時折、俺もまた口を挟んで軌道を逸らしながら、会話の流れを誘導する。
斯くの如く、成果報告としてはごく無難な話題からスタートさせたわけであるが――ヒスコフをこの場に連れてきたのは、当然、そのためだけではない。
「――頼りになりますよ、ヒスコフの【軍師】としての能力は、この私が嫌というほど味わったので」
まずは、一当て。
会話の流れを作り、ヒスコフの特徴を紹介する中で、俺は【軍師】という単語を紛れ込ませた。
――どちらにでも受け取れる文脈として、だ。
一般名詞としても、あるいは『称号』として現れる語としても。
これに対し、醜男フェネスがひょいと眉を上げギョロ眼を輝かせて「へええ優秀なんだねぇヒスコフクンは!」などと反応する様は――『一般名詞』に対するものと見える。
やはり、迷宮領主の上位者としての知識がどの程度まで「世界法則」に及んでいるのかを、安々と悟らせてくれることはないということか。
しかし、もしもフェネスがそれについて「知っている」ことを隠しているならば、むしろ俺のこの誘い水は、彼の眼には少々露骨に見えたことだろう。
さも、迷宮領主として己が知る「世界の裏側」が、【闇世】の迷宮領主界隈においてはどの程度の知的アドバンテージであるのかを探ろうとしてきた様に映ったかもしれない。
まるでそんなこの俺の意気に応えるかのように、いつしかラフィネルから面接官役を交代して【人世】の鍛冶職人の世代交代事情などというニッチな話題を適当にぶつけてきていたフェネスが――ギョロリと顔面を叩きつけて来るばかりの勢いで俺を向く。(そう視えたように感じるような肌のビリ付き具合で)
『それで、オーマクン! 君の素敵な贈り物括弧予定括弧閉じの、このヒスコフクンが率いることになる部隊は……一体どういう”名前”なんだい? ――まさか、無いということは、ないよねぇ?』
フェネスの問いかけもまた、会話の流れから文脈的にはどちらにも捉えられるニュアンスであった。
純粋に今後の活用における識別符号としての「名称」を求められているとも取れる。
しかし、お互いに迷宮領主という、この世界における認識と意味と超常の関係と機序を知る者からすれば――「定義」がなされることで何が起きるのかを知る者からの、一種の暗示とも受け取ることができた。
そして重要なこととして、かつて【樹木使い】リッケルの討滅後に、並み居る迷宮領主達のうちテルミト伯が代表して俺に『名』を問うたことを、フェネスが忘れているはずは無い。
つまり、俺に対して「お前の知りたいことは知っている」という暗黙の回答である。
【闇世】Wikiや迷宮核における爵位制限のことも加味すれば、最低でもフェネスクラスの上位層は「世界法則」について何らかの形で知識を有し、認識しているのだ、と俺は確信する。
『不遜な”名”には不遜な運命が宿る。常識ですね』
『おお、ラフィ姉こわっ……! でも、まぁその通り。”名前”はとっても、とーっても、大事なものっすからねぇ~』
第一段階の通過を感じ取り、俺は予め用意していた通りに、こう受け応えた。
「彼らの”名”は『伴星旅団』としました。それが、この私【エイリアン使い】に魅入られて導かれて、【人世】を飛び出してしまった愉快な旅人達の在り様」
瞬間、ヒスコフが何か違和感を感じたように表情を歪める、と同時に、彼に新たな『称号』が生えたことが、心臓の位置からシステム音を脳内に鳴らしてくれた迷宮核の働きによってわかる。
何故か、その様子に気付いたとも気づいていないとも取れる満足げな様子を示すフェネスとラフィネルであったが――。
≪よし。なんとか誘導できたな≫
心の声とほとんど一体化している【眷属心話】によって、俺はそう内心で、一つ息を吐いた。
『至尊の【闇の神】がおわす”大夜空”を称させるとは――また大きく出たねぇ! まぁそれを言うなら君の迷宮の真名もまたそうだったけれども……ねぇ! 僕ぁそういう趣向は嫌いじゃないとも』
――フェネスは、俺が何らかの形で【闇世】の知識のうち、爵位権限を破っている存在であると考えただろう。
ただの副伯という身の丈には合わぬ野心と大胆な思考の裏には、分不相応な知識へのアクセスを可能とした「何か」がある……とまで考えた上で、この場で俺からわざわざ「成果報告」などを率先して行ったことに、一旦の納得ができたはずだ。
≪この若人は、自分が持っている知識がどれだけのアドバンテージなのか、不遜にもこの自分から探り出そうとしている……とか思わせたかったということか?≫
この場で俺に同席し、気分によって俺の命運を左右しうる強大な存在に相対しているのがヒスコフであるからこそ、彼のある種開き直った気安い反応をル・ベリやルク達も許しているのであろう。
だが、俺はヒスコフの嘆息には答えない。
精神と思考を集中させる。
正念場は、まさにここからだったからだ。
『これは素朴な疑問なんだが、オーマクン。君は「夜空」や「星」の類に何か特別な拘りでもあるのだろうか? 例えば、そうだねぇ、何か面白い伝承でも知ってたりするかい?』
「そこに興味を持たれますとは。しかし、大したことなんてありませんよ。大望を抱いた蛍が月を目指して飛び立って、あのきらめきの帳の中に捕まっただとか……蠍と蟹に刺し殺された古の戦士の魂を安んずるために、その英姿が天に投影されただとか。母親が我が子に寝物語を話すようなものくらい」
『わぁお、なんて興味深い”伝承”なんだろうねぇ! この場にグエスベェレ君でも招いてやりたい、興味深い知識だ!』
お返しとばかりに、2つ3つ、【闇世】Wikiにも書かれないレベルでの【闇世】における「星」にまつわるおとぎ話が次女ラフィネルと五女グウェンエットの掛け合いという形で返される。
一見すると雑談であり、また表面的には大公最大の勢力者【幻獣使い】グエスベェレに関する”探り”のようでもあるが――違う。
俺の反応、言葉遣い、表現の全てを二対の異形のギョロ眼が観察していた。
そのまま話題はさらに流転し「旅」に移ろう。
ヒスコフを紹介するに当たって俺は「旅団」という語をイメージしながら、口からはオルゼンシア語(ルフェアの共通語)によって表現したが――その意が、果たしてどのようなニュアンスで【鉄使い】側に受け取られたかまでについては想像をすることしかできない。
だが、フェネスとその娘達は、ヒスコフに【人世】の文物を問いかけるやり取りの中に、俺に聞かせるようにして、この俺の知識や感性や反応を試すかのような他愛の無い語句を織り交ぜてきていた。
――この俺の出身地について、わずかでも多くの【情報】を探り出そうとしているのだろう。
――そして俺は、それにあえて乗っていた。否、それこそが俺が持っていきたい「話題」だったからだ。
それも、この俺からではなく、【闇世】の最高司祭【界巫】の”懐刀”にして陰謀家を自認する、このフェネスという醜男から言わせる形で、である。
どうしても、俺が誘導したと悟られることなく、フェネスが「ついでにこのことも確かめてやろうか」と、自分で思いついてこの話題にしたという形に持って行く必要があったのだ。
そこまでする、この俺の目的が何かだって?
そんなものは、最初の最初、当初の当初からずっと一貫している。
「イノリ」という名前の少女の行方を探すこと。
そのための勢力を早急に作り上げることである。
――俺は既に、多頭竜蛇ブァランフォティマの記憶を引き継いだ「ヒュド吉」というアホのお調子者から、200年前に「イノリ」という名前の迷宮領主がやらかしたことの大要を聞き出すことに成功したばかりであった。
一言でいえばそれは「無茶苦茶」であったわけだが――詳細の分析はここでは改めよう。
重要なのは、その『戦記』を聞いて、俺は改めて「イノリ」という名の迷宮領主の”生存”を確信したということであった。
彼女はあまりに多くの【闇世】の勢力を敵に回しすぎた。
そして、【闇世】の秩序の根幹に関わる部分にまで亀裂を生じさせたらしい――例えば【黒き神】が望んでいたとされる、両界における永遠の膠着状態の破壊など。
【闇世】の上位者達からすれば、そのような”都合の悪い”存在というのは、もし完全に滅ぼすことができたならば、むしろ、安堵とともに【闇世】Wikiから一切の情報は抹消していてもおかしくはないはずなのである。例えば、その事跡に影響を受けた信奉者のような存在などが後から現れても、面倒なだけであろう。
……しかし、例えば「フトゥートゥフ」のような、本来は秘されるべき上位の迷宮領主が「大罪者」として晒されている。この俺のような”新人”でさえも容易にアクセスできる情報として、である。
――まるで、彼女について知る何者かがこの情報にたどり着くことを期待していたかの如く。
このことからも「イノリ」という名の【擾乱の姫君】は完全に消滅してはいない可能性が示唆される。
ヒュド吉やユートゥ=ルルナという痕跡からしても、彼女が残した何らかの爪痕が、今も【闇世】の上位者達には意識されているのではないか。
そして、もしも【闇世】Wikiの情報が”釣り餌”だった場合。
【擾乱の姫君】の最大の敵対者、もとい被害者だったと推定される【界巫】閥にとって、彼女は、最低でも「生存可能性の探索及び生存時の追討」と「その影響力の完全な排除」のターゲットとなっている……というのが現時点でのこの俺の仮定であった。
……当然ながらそれだけの力を持っていた大逆者であるならば、イノリは「自身の出身地」などという些細なことをこの俺ほどには慎重に隠していたとも思えない。隠していたとしても、有り余るほどの多様なる【情報戦】での物量攻撃の前に、「出自不明」の存在であるなどあっさりと明らかとなったことだろう。
こうしたことを前提とすると。
この俺という、これまた「出自不明」「素性不明」なる爵位権限に見合わぬ知識・権能を有している可能性を持った「気鋭の新人」な迷宮領主がポッと出たという事実は、自らを【界巫】の”懐刀”と自称するフィクサー気取りの醜男フェネスの眼にはどのように映るであろうか。
≪最低でも、マスター=イノリのご同郷じゃないか、と発想しそうですね~≫
……まだこのことを他の従徒達に共有するのは早い、という意味で、俺は眷属心話をぷるきゅぴどもとルルナにのみ絞った回線に切り替えていた。
ルルナの正直な反応をある種の道しるべにしつつ、構想にかこつけて、リュグルソゥム一族に”考案”させた【人世】での偽装の身分(今後、嘘を真にするつもりだが)について、白々しくフェネスに語って聞かせてやる。
だが、その裏でフェネスが俺の本当の出自と素性について、興味を隠していないことを態度と言の葉の端々に乗せてきているのがはっきりとわかっていた。
≪奴はこう考えるだろう。仮に「イノリ」の”同郷者”ならば、その関係性は? 影響は? 裏で繋がりがあったのか、なかったのか……あるとすればそれはどの程度か? 目的は? 「オーマ」という男は、かの【擾乱の姫君】の”駒”なのか――とかな≫
もしもフェネスが、この俺を【擾乱の姫君】の縁者であると最初から確信していたならば、もっと直接的な形でこの俺に圧力をかけてきていただろう。
それこそ【界巫】の忠臣であるならば、より露骨な形で俺を捕らえるか、引き込むか、強制的に連れて行くなど、やろうと思えばできたに違いない。
少なくとも今の俺は、かつての【擾乱の姫君】と違って、まだ【闇世】全体を相手に戦えるような迷宮にまで成長できてなどいないのだから。
≪だが、フェネスはこの俺とヒュド吉の接触を見ても行動を起こさなかった。阻止しなかったんだ、俺が何かをやろうとすることをな≫
最初からフェネスが俺とイノリの関係を知っていたならば、それこそ、シースーアに迷い込んだ時点で詰みだったかもしれない。
どうして【最果ての島】がイノリの元拠点であった可能性を、まるでフェネスもテルミト伯もリッケルも、ロズロッシィも全く知らないように振る舞っているのかという、俺にとって最大の幸運であると同時に大きな謎もまたあるが――”謎”を解く鍵を俺は既に持っているが――フェネスが【界巫】閥としてイノリと交戦した経験でも過去にあるならば、多頭竜蛇の「記憶共有」という性質を知っていたとしてもおかしくはないだろう。
――だとすれば、フェネスには【界巫】の派閥とは異なる独自の目的が、ある。
この俺を泳がせることで、彼の利益に繋がる何かが、あるのである。
その背景が何であるかはわからないが、俺はほぼそう断定していた。
――ならば、その思惑を逆手に取るべし。
ただし、この俺の「目的」が「イノリという名の少女」の探索であることを、絶対に悟られてはならない。フェネスの目的がどうあれ、俺を操るための最大の急所を知られてしまうことになる。
その意味で、俺から「出自」を匂わせるような話や、まして「イノリ」に通じるような話題を出すわけには絶対にいかなかった。
≪なぁるほどぉ~それで、この世界の”法則”について、迷宮領主さん達が隠しているかもしれない「知識」を求めているような姿勢を見せつけたんですね~≫
歓楽的な意味での旅行計画を気軽に話し合うかのようなノリで、しかし、その裏で俺はフェネスと壮絶なる情報のラリーを続けていた。
相手の急所を狙ったり、奇襲を仕掛けるような闘争的な打ち合いではない。むしろその逆で、一見、予定調和かのような、回答が互いに予想された場所へ打ち込まれ、予想された通りに球を打ち返すラリーである。
ただし、互いにそこで狙っていたのは、相手のわずかな「ミス」や挙動からコールドリーディング的な周辺情報の探り取りだ。
極論、俺は一言たりとも「イノリとの関係性」を悟らせなければ負けはない――現時点では。
『――しかしねぇ、【人世】出身の迷宮領主なんてそれこそ……200年ぶりのことだからね? あんまり、オーマクンのその迫真過ぎる「仮の出自」って奴を大々的に吹聴するってのも、ほら! 色々と意地のよろしくない方々を刺激しちゃうからさぁ!』
「だからこそ、私には実績と後ろ盾が必要だというわけです。実力の証明のために、色々と無理難題を背負ってるんですから、そこは公平に見極めてほしいですね」
『意気は当然買っているともさ? 君のその「伴星旅団」は――うくくく、何となればあの【宿主使い】の小娘に興味を抱かせることで、そっちに転がりこむ奇貨にだってするつもりなんだろう? やるな、とは言わないけれど、テルミトクンとかにしつこく聞かれたらそこは教えてあげないと、それこそ不公平かもしれないよねぇ!』
――この【情報戦】において、逆に、俺がフェネスから狙っている「情報」。
それは、独自目的で動いていることが濃厚なるフェネスが、この俺をどのように利用しようとしているのかという、その「利用法」そのものであった。
『順調に進んでいるようで結構、重畳、苦しゅうないって奴だねぇ! くくっ、期限ゆるっゆるなんだから別にまとめて報告してくれたってよかったのに、予想を裏切ってマメな連絡を入れてくれたオーマクンに僕もサービスして、少し早めに【破廊誓】の情報を共有してあげようじゃないか』
『わぁお! 親方ぱぴー、さすが太っ腹! 【闇世】じゃ命と同じぐらい大事な【情報】を、そ、そんなに豪快にオーマクンに切り売りしてしまうなんて【破廊誓】のみんなが一斉に裏切るかもっすよぉ!?』
『いいのいいの、それでもあの連中は……僕らに頼るしか無いんだからさぁ? 【回廊使い】殿への大いなる反逆のためにって奴だねぇ!』
『「太っ腹」……ふむ、ふむ、確かにグウェンの言う通りにお父様は最近少々お腹が……不摂生は、いけませんね? そうですか、つまりもうそろそろ、シェイプアップをして搾り上げなければいけない時期ということ――』
『ちょっと待ちなさい、ラフィネルさん! 1番目に健康にうるさい君が、一体全体どうしてダイエットに「ネジ切り」が必要だなどと……あいだだだだだっ!?』
本当の意味での「素性」を知られるわけにはいかない俺は、現時点で”勝ち”に行く必要は無い。
しかし、今”負け”ないことが、将来もまた”負け”ないことを保証するということは無い。
何故ならば、フェネスがこの俺に利用価値を見出しているというのは、要するに「利用しようとしている【擾乱の姫君】の縁者であるかもしれない」という思惑によってである。
言い換えれば、この俺を利用することによって「イノリ」に対して何らかを仕掛けようとしている……という可能性こそが現状濃厚だったからだ。
だから、俺は例えばフェネスにもっと己の真実を明かして、全面的に「イノリ」の情報を教えてもらうような、そんな選択を取るわけにはいかない。
”親しい”仲だ、などと疑われたが最後。
逆の立場なら、俺は「オーマ」を捕らえて「イノリ」に対する人質とするだろう。そして潜伏しているその隠れ家から飛び出させるための生き餌とすることだろう。
――その程度の信頼関係は、彼女とは築けていた……などと、この【情報戦】の下では自慢にも何もならないが。
それだけではない。
もっと悪い「利用法」だって、ある。
≪「イノリ」と敵対させられるようなルートだって、俺にとっては”負け”だよ≫
どんな形であれ、生きていて、そして元気にしているのならば、まぁ言ってやりたいことは正直山ほどあったのだ。
だが、それをこんな分けのわからない異世界の超常存在的現地勢力の土豪どもの、理解も共感もしてやりたくない思惑によって台無しにされる気など、さらさら無かった。
――故に、俺は「フェネスから見た、オーマの態度」をどう見せるかに徹底的にこだわり、ぷるきゅぴどもやリュグルソゥム一族と綿密に打ち合わせ、ル・ベリやソルファイドなどを相手に模擬面接を行ってこの”報告”に臨んだ。
イノリとの繋がりがある可能性を匂わせつつ。
それを、物を知らない新人が大胆にも上位者に対して彼らが秘匿しているであろう「世界法則」に関する知識を引き出そうとしている――という態度で、糊塗しようと試みている、とフェネスに思わせるためのギリギリのバランスを見せつけたのであった。
全く繋がりが無いと思わせてしまえば、最悪、この俺がイノリと敵対させられるだろう。それは俺にとって避けなければならない将来の最悪の”負け”筋だ。
逆に、繋がりが強いと見抜かれてしまえば、フェネスとてその情報を握り潰し続けることはできず、俺は「生き餌」とされてしまう。これもまた受け入れられない最低の”負け”筋だ。
――ちょうどその間を泳ぐことで、俺は、フェネスに「中間的な利用法」を選択するように誘導を仕掛けたつもりであった。
直接【擾乱の姫君】に仕掛ける線ではなく、ギリギリ、その目的の補攻となるような線において、かつて称号【客人】を与えられていたこの俺というこの世界への闖入者の「効果的な」利用法を検討する発想となるように。
もう一度、この全身が火に焚べられるかのような全霊を賭した一念で以て。
俺は、フェネスが「イノリ」という名の200年前の迷宮領主について、どういうことを知っていて、どういうことを知らないのか、をわずかでも読み取ろうと試みたのであった。
この醜男の考える【エイリアン使い】の「利用法」がどのようなものになるのか、を通して。





