0234 旅に伴わるべきは異質への気付き[視点:その他]
坑道を元素系の数種の属性魔法が乱れ飛ぶ。
【火】と【雷】と【光】といった元素系の属性魔法によって、水流と地動によって削り出された鍾乳洞の天然たる岩肌がぬらりと照らし出され――そして次の瞬間には、その光景がふっと掻き消される。
見る者によってはそれを妨害魔法か対抗魔法によるものだと受け止めるだろう。
だが、それは魔法であって魔法ではないある種の「力場」によって生み出されたものであった。
更に、入り乱れているのは魔法とその近縁の力だけではない。
力の波動と激流の合間に、人のものによる号令と掛け声が混じる……かと思うや、声帯をねじり上げたかのような【おぞましき】咆哮が放たれて鬨とぶつかり合う。
鍔迫り合いが演ぜられるのは叫喚の領域のみならず、金属と骨肉と、魔導と超常――迷宮の眷属の力――同士が激しく打ち鳴らし合う光景が、掻き消されたる魔法の残滓の中に幾つもの軌跡と影を映し出していた。
赤い鮮血が弾け飛びる。あるいは砕かれた肉か、緑色の体液が飛び散る。
肉迫し、肉弾し、肉撃肉削し、しかし両者の数は一や二や三ではない。最低でも十と二十を1単位とし、十重二十重の人対異形の殺陣となりて、剣戟と爪牙と魔導と超常同士の衝突をも、飛沫のように飛び散らせている。
さながら、雷光によって洞穴の壁に断絶的に照らし出される影絵芝居のように、互いに小集団となって組み打つ有り様が、投影されていた。
――そして、その「壁」は半径数十メートルに及ぶ球形である。
ふと、まるで高周波の鈴がなったかのように――唐突に【おぞましき】異形の凶獣達がその剥き出しの野生にも似た闘志を一斉に静まり返らせた。
まるで内臓が一体となって蠕動するかのように、その球形空間の中、いずれの凶獣もが同時に同じ方向を向きつつ……それぞれに大きな一歩を飛び退いて闘争の乱舞が打ち切られる。
爪ある者も、牙ある者も、翼ある者も鎧ある者も、触手ある者もヒレある者も。
おそらくはその「神の似姿」とは異なる感覚器官において、実際にひれ伏してはいないが―― 一様に傅いたのだ。
そのような”変化”を、「人」の側の小集団を率いていた元ナーレフ魔導部隊長ヒスコフ=グリュンエスは気付き至った。
否。
眼窩をどろりぞわりと蠢く極めて肉感的な感触の直後に、神経を焼くように脳裏に送り込まれてきた「刺激」としか言いようのない、要するに自分のものではないある種の興奮が思考回路にねじ込まれるかのような感覚と共に――否応なしに気付か”された”のだ、と言っても過言ではないだろう。
そしてその感覚を受け止めたのは、周囲で先程まで異形達と切り結んでいた仲間達もまた同じであったらしい。
「なんだぁッッ!? 休憩には……まだ小一時間は早かったろうがよッッ!!」
……約1名、そうした違和感に気づくことと無縁の巨漢が、玩具を取り上げられた子どものような抗議を咆えたが。
既に巨漢の間合いは凶獣達には知られており、追いすがってもその槌は彼らの皮膚や鱗をかすりもできない距離にまで、凶獣達は退いているのである。
『苦虫顔』による静止でも、『仏頂面』による停止命令でも、『手巻き飴』、要するにリュグルソゥム家による無茶振りでもない。
これはそのいずれでもなく――ヒスコフとその仲間達が囚われたこの迷宮における上位者たる彼らの、その最上位に位置する存在が現れたことによる「反応」に違いない。
ヒスコフが直観的にそう悟った。いや、悟らされたと言うべきである。
己が眼窩に埋め込まれた”同居人”が、その鼓動通して語りかけてきたようなものなのであるから。
――この迷宮における至上の存在がこの場に到来したのだ、と。
「どうだ? ヒスコフ。馴染んだか?」
口の端に笑みを浮かべ、あえて露悪的な事を企んでいる風を装う異装の青年。
迷宮領主【エイリアン使い】ことオーマという名の青年が、周囲の凶獣どもの十数倍は凶悪な体躯・顔貌を備えた”札付き”の護衛を数体伴いながら、ツカツカとこの閉鎖空間に入り込んでくる。
彼が近づいてくる様子をじっと見据えながら、地面にぶっ刺した大盾を椅子代わりに腰掛けながら、ヒスコフは肩をすくめて見せた。
「それはこちらの台詞……と言いたいところだけどな。なるほど、ここ数日の間に迷宮全体が急激に活気づいたような気がしたのは――お前が目覚めたからだな?」
「”活気”と表現したそれは、魔法学的に、て意味じゃないだろう? だとしたら良い観察眼だな。さすがは【軍師】殿」
「嫌味か? 有り難くも頂戴した眼球の調子はすこぶる良好だな、今すぐにほじくり出して踏み潰したいところだが、コレが【闇世】での俺達のたった一つの”命綱”にもなってるわけだからなぁ」
「嫌味じゃあないさ。【軍師】って言葉には、ちょっとした特別な響きとロマンって奴を”認識”している。この俺はな」
――技能。職業。称号。経験点。
いずれも【人世】で、それなりに『魔法学』に実践的に触れてきたヒスコフにとって、にわかには受け入れがたい、生き方の前提の根底から裏返されるような『概念』であった。
【リュグルソゥムの仄窓】と【人世】風に冠名されたその宙に浮かぶ青白い情報の羅列が、いっそ、自らをあえて詐欺師のように胡散臭くみせようとしている青年が【光】魔法だか何だかによって生み出した詐術のための幻影、と疑った方がまだ気が楽であった。
だが……まさしくこの『練兵場』における「実戦」漬けの日々において。
そのことを意識すればするほど、単なる肉体の成長や技量の向上だけでは説明のつかない、小さな「熟達の飛躍」のような感覚があったこともまた真実であった。ヒスコフの中で、何かが一皮剥けるように―― 一気に理解が進んだかのような奇妙な爽快感すら味わったのだ、何度も。
そして、爽快感を感じたのは、残念ながらヒスコフ個人だけではない。彼と同じ「道」を選んだ仲間達もまた同様だったのである。
「おい、不敵に笑いやがる若人オーマ、豪胆な迷宮領主よッッ!! 今日こそは貴様のその”最精鋭”と試合わせてくれるのだろうなッッ!? 今の俺は既に親父殿の半分の実力にまで達した――ッッこの海帥が噴火の如き昂ぶりをどうしてそのままにしていられようか――ッッ!!」
本題の用件があって来たのであろう、オーマに腐れ縁の”巨漢”が絡む。
おいこの馬鹿やめろという感情を隠しもせず、ヒスコフはぎょっとした眼をデウマリッドに向けてやるが……【エイリアン使い】の青年は鷹揚な笑みを浮かべ、その背後に控える、デウマリッドよりも巨大で暴威の化身とすら思えるような捻れ膨れたミキミキと筋繊維が張り詰める様そのものが躍動するかのように脈打つ巨凶に目を配らせた。
是という意思表示であろう。
その呼吸だけで大気をバリバリと引き裂きそうな「圧」と「密」の違いを見せつける”札付き”が、ずいとただでさえの巨体をさらに見せつけるような軽い威を放つが、デウマリッドの高揚が冷めることは期待できそうにない。
「”呪歌”も使っていいぞ? 氷海の戦士デウマリッド。俺もエイリアンの連携でどれだけ【氷海の兵民】の、その力に対抗できるかテストしたいと思っていたところだ……だが、ちょっとここでおっぱじめてもらうのは邪魔だな」
そう呟くなり。
まるで、呟くと同時に既に主の意思を超高度な通信魔法によって受け止めて行動を開始していたかのように、ヒスコフと仲間とエイリアン達を隔離していた球状空間がぶるりと震えた。
――【空間】魔法である。
それも単なる【転移】や空間断裂の類ではなく、【騙し絵】家の「本家」の血縁者が扱うかのような、大規模な「空間そのもの」を生み出すかのような魔素と魔力の本流が壁の一点に集中。
魔力の流れを感じ取ることができるほどに鍛えた者であれば、そこに”渦”が現れたかのように感じることだろう。
【エイリアン】という、シースーアではどこの文化圏の言語であるとも断定できない不穏な響きの単語によって形容される凶獣達のうち、まさしくこの【空間】を生み出していた【次元拡張茸】とかいう名の存在がどこからともなくもう一基現れたのだ。
そして、その鉱物と生物を融合させたような形状から発される”力”によって【空間】属性が確かに生み出され、かき回され――その”渦”の先に新たな、おそらくは「この」球場空間と同じ程度の広さであろう領域が生み出されたのだ。
「アルファ」という名であるらしい巨凶が、ついてこいと言わんばかりに”渦”に向かい、その先へ【転移】する。ヒスコフと彼の仲間達――【長女国】の掌守伯が抱える魔導部隊としてもそれなりの一団ではあるはず――であっても相手にしたいとは思えないほどの動く”災厄”とも言えるそれを前に、しかし、真実を求めて【北方氷海】を飛び出してきた戦士デウマリッドは、怖気づくこともなく獰猛に犬歯を剥くのである。
そして【八柱神】のうち【海帥】を称える即興詩を口にして己を鼓舞し、高揚しながら、ズカズカと「アルファ」に続いて”渦”の先へ。
斯様な2体の”巨獣”どもの後を、何体もの「エイリアン」達がわらわらとついていく。
その中には、迷宮領主オーマが目覚めるまでのこの30日、ヒスコフらの「実力を測る」という名目で散々戦わされた「属性結晶」などというとんでもない代物を備えたエイリアンや、非常に高度な感知魔法そのものを現象として引き起こしているとしか思えない【超覚腫】とかいう名のエイリアンなどが――魔人ル・ベリが「運搬班」と呼んでいた、運ぶことに特化したような多脚の生きた台車型の蟲の如き労働階級によって運ばれていく姿も混じっていた。
「そうやって、わずかでも【人世】のあれやこれや異常や超常やらを学習して、解析してしまうんだな。それが、お前の迷宮の在り方ってことか?」
「どうせ逆の立場になる。どうせ、俺だって解析される側になる。【長女国】が魔術師の国だってことを俺は軽視していない。だったら、こっちから先んじないとな? 比較優位でも先行者利益でもどっちでもいいが、そのアドバンテージを活かし続けないと、こんな大それたことなんてできやしない」
「まぁ、その”大それたこと”に、俺達を良いように『活用』しようってんだから、本当に大それている。俺達がそのまま裏切って、お前に敵対する迷宮領主に鞍替えする可能性は……あぁ、うん、わかってるならいいか」
わずかな自虐を隠すような露悪的な口の端の笑みに「なんだ、それでも構わないぞ?」か、もしくは「そっちの方が面白いかもしれないよな」のどちらかが言外に込められていたように感じて、ヒスコフは意味のない質問を中断した。
――その気になれば【エイリアン使い】オーマは、ヒスコフと彼の仲間達を、きっと「処理」できてしまうのだ。
眼窩と眼底、骨と肉と神経の狭間で蠢く、自分の一部ではない異物の感触をヒスコフは意識していた。
【エイリアン】と一口に言っても、その「種」は恐ろしいまでに多種多様であることは、既に嫌というほど思い知らされている。デウマリッドがその闘争心を発揮した巨凶は言うに及ばず、一見すると何ができるか想像もできぬような触手をうねらせるもの、集団で一つの生き物のように群れる労働階級達。
……そして、非常に小さく、他の生物の体内に寄生することでその役割と存在意義を発揮するような類――たとえば、ヒスコフと彼の仲間達の頭の中に埋め込まれた【微脳小蟲】という寄生種など。
「我々が他の魔人……迷宮領主に身売りしても、そのまま間諜として有効活用できるってわけですからね。悪辣なことだな、オーマ殿」
「それだけ迷宮領主同士の”事情”ってやつが熾烈だからなんだろうがな」
「どこの国でも世界でも、”魔人”も”神の似姿”も同じ、ってことですかい」
生き延びた、あるいは一命を取り留めた――【エイリアン使い】の救助によって――元ナーレフ魔導部隊の仲間達が自重を込めながら軽口を立てている。それに合わせてヒスコフもまた、内心で次のように思った。
(オーマ青年の『構想』とやらからすれば、俺達が期待外れにも殺されてしまうとしても……それはそれで【人世】から経験点とかいうやつを【闇世】に引っ張り込むモデルケースになる、てわけか。慈善家ではないと、わかっちゃいるんだがな)
リュグルソゥム家などという存在を配下に収めている以上、【人世】と【長女国】の事情にも通じた危険な勢力として成長しつつあると見るべきであった。ましてや人間の意識や記憶というものが宿る器官である「脳」に干渉できる寄生生物などを埋め込まれては……彼の言も、その全てを信じることなどできはしないだろう。
【精神】属性など、思考を操る魔法もある。そうした驚異的な力を持つ魔獣もまた存在する。
ならば、どこからどこまでが、今自分が自分として思考した確かな信念であるかなど保証のできない状態であったが。
それでもヒスコフの中には、己が無念と無惨の死を迎えるよりは、たとえそれが新天地であろうとも生を掴むことを選んだ、という決断は、確からしい実感めいた感触として残っていたのだ。
引き換えに、【エイリアン使い】の”駒”として部隊ごと生かされるキッカケとなった、【人世】での「何か激しい戦い」に関する記憶は丸々奪われている。
だが、迷宮領主でありながら伝承に伝え聞く「魔人」らしからぬ異装の青年オーマは、まるでそのような決断をしたヒスコフに対価か報酬を与えるかのような上位者を意識するような態度で、この世界を取り巻く秘密の一端をあっさりと共有したのであった。
無論、与えてくれるばかりではないが。
命を救われたことに対する対価として【エイリアン使い】が提示したのは、魔導部隊としての実力を示すことであった。それも、【長女国】では最強の座を【魔剣】家と争っていたリュグルソゥム一族の監督の元に、ありとあらゆる「魔導部隊の戦い方」の再現と実践を命ぜられ――思いつく限りの、いや、余人に思いつく限りの場面・状況などを片っ端から想定した「状況」で、エイリアンの群れと戦わされたのである。
――彼らがそこから急速に、しかし着実に、重要な「学習」と「経験」を得ただろうことは疑いようがなかった。
明らかに【長女国】で今後、対魔導部隊や魔法使い達との集団戦を意識した『練兵』である。
確実に、自分達のこの行いにより、【長女国】は大きな災厄と災難に見舞われることとなるだろう。消された記憶の中にある「都市」への未練のようなものは薄いが、故郷の家族がせめてその災厄から少しでも遠ざかれたら良いな、と思うヒスコフではある。
物事には、抗えない流れが起きる時機というものが、あるのだから。
「ヒスコフ隊長についていけば簡単には死なない……そんな直感があったんですがねぇ。まさか神々から直々のお墨付きがあったとは、今でも信じられませんよほんと」
ヒスコフに向けられた軽口に、オーマが反応して言葉を返す。
「そうだろうな? そいつは随分と悪い冗談みたいだ、って顔をしているぞ? お前達の『隊長』様はな」
「――まるであんたが迷宮領主であることと同じような冗談、て奴か?」
どうしてこの青年は、その実直な性質を隠したがるかのように振る舞っているのか。
ヒスコフ達を”駒”とし、必要あらば使い捨てにできる立場にまんまと誘導しながら、しかし同時に【闇世】でうまく生き延びていくことができるような禁断の知識の援助を惜しまない、という姿勢が、どこかチグハグにも思えたからだった。
使い潰すなら、余計な知識は必要ないだろうに。
その故の、軽い調子にまじえた探りである。
果たして迷宮領主オーマはヒスコフの反応を愉快そうに受け止めたか。
「望んで”こう”なったわけじゃない、そうなろうと思って今の立場に辿り着いたってことも、お互い様かもしれないな? だが、あんたが『隊長』だったから、そして俺が忘れさせてやった元主人の側近の一人だったから、結果としてこれだけの部下達を救うことができたと言えるだろうな」
「一面を見ればな。なってしまった立場、据えられてしまった立場に嘆いたって仕方ない――意外だな、見た目通りに、青臭い人間の若造みたいなことを言うじゃないか」
「年長者、経験者、熟練技能者なんかには敬意を払うタイプだぞ? 俺はな」
ヒスコフもまたごく一般的な【長女国】の片田舎に生まれ育った男子として、【闇世】とその眷属たる魔獣・魔人に対する恐ろしさを言い聞かせられながら育った。長じて【魔法学】に実践と実戦で触れる機会を嫌というほどに持ちつつも、そうした幼心の印象が急激に変わるわけではなかった。
だからこそ、消し去られたらしい記憶の中の――【人世】側で今流布されては都合が悪い類のヒスコフの直近数年分の”経験”の――しかし、対話した当初からのオーマに対する消え得ぬ「印象」によって、この迷宮領主の青年に対する自身の関心の存在をヒスコフは自覚していた。
「まぁ、拾った命だしな。普通に生きてたらまず知ることのなかった『世界』で”巨漢”のお守りをしながら旅をすることが、あんたの何かの役に立つっていうのも、不思議で奇妙な縁の吹き回しだな」
軽口の中に探りを交えながら、互いに相手という人間を観察していながら――少なくとも同床異夢の「同床」という部分は共有できるかどうかを改めて見定め直すようなやり取りの中。
不意に、オーマが「着いたぞ」と言を発した。
最初、ヒスコフはその意味がわからなかったが――この球状の空間が【空間】魔法によってしつらえられた領域であることを思い出し、思わず、呆れるような気持ちで笑ってしまった。
どうやら球状空間ごと、オーマは雑談に興じながら、自分達を迷宮内のどこかに……おそらくは経路を覚えられたくないような、どこか秘密の場所に『運搬』していたのだろう。ヒスコフがそのことに気づくのに時間はさしてかからなかった。
「ついぞ、俺達をこの迷宮の中を自由に歩かせてくれる日は来そうにないな? 大した信頼関係だ」
「冗談はよしてくれ、【軍師】殿。理由なんて言わなくても一緒に気づいてくれているだろ? ――頭の中から色々と掘り返すことができるのは、俺だけじゃない。きっと、もっと上位の迷宮領主達の方がずっと”得意”なんだろうからな」
違いない、とヒスコフは肩をすくめて見せた。
【人世】の麗しき【長女国】においてさえ、【四元素】家に【騙し絵】家、【歪夢】家に【皆哲】家といった上位侯達が――”似た”ような技術か魔導の奥義を備えているという暗黙の認識は、魔導に関わるものであれば共有していたのだ。それらは、威圧も込みであろう、あえて公然の秘密のようにさらけ出されている実力の類と言える。
【闇世】に同類がいても驚くことはない。
――しかし、実際のところヒスコフは、【エイリアン使い】オーマが【長女国】でいうならば掌守伯にすら及ばぬ下級の爵位に甘んじているに過ぎないことについて、驚きを隠さなかった。
だが……【闇世】の事情や常識にまだまだ通じていないヒスコフではあったが、しかしそれでもこの若き迷宮領主の異質さから、読み取った事柄もまたあった。
背伸びして普通なら倒れてしまい、土にまみれて泥臭さを帯びる類の青臭さが、倒れることを許されずに立ち続けることを余儀なくされた、とでも呼ぶべきか。
ある種の年齢(見た目からの推測ではあれど)不相応の思惟深さを感じさせながら、同時に、脱ぎ捨てきれていない「若造」臭がこの青年には同居している。
無論、その考えや信念や思惑を押し付けるほどの力を有した異界の強大な実力者ではあることに違いはないが、しかし、生まれながらにそうした存在であったわけではない。
……本人が仄めかしているように、オーマという青年は「つい最近」迷宮領主になったのだ。
そうであるならば、彼は――ひいては彼の創造した【報いを揺藍する異星窟】という迷宮もまた、【闇世】の基準において酷く”異質”であるのかもしれない。
――そしてやたら【軍師】と己を持ち上げるように揶揄う態度から、オーマはヒスコフが、そんな己の微妙な立ち位置についてまでをも察すると期待しているかのような態度であった。
「まぁ、俺達が命を拾ったのも、こんなまたとない”旅”に出ることができたのも、迷宮領主たるお前が慈悲深くて計算高くて、どうしようもなく生真面目だからと思うことにしておいてやるよ」
力を示せず、運にも見放されて横死するならばそれはそれで糧として利用されるだろう。
だが、同時に、この何かとても大事な”探しもの”があるらしい青年は、言ってしまえば「味方」でも欲しているような。そんな「若造」特有の弱みがあるのだと……ヒスコフのような一回りか二回り上の年長者にあえてさらけ出している、とヒスコフは感じていた。
まぁ、本当に対等な意味での「庇護者」などを欲しているわけではないことは、記憶をいじられ、助けにもなるが同時に監視装置にもなる【エイリアン】を寄生させられていることからも窺えたが。
しかし、付き合ってやろう、という気にはさせられる態度だったとヒスコフは自分の中で納得する。
もしも【エイリアン使い】の全力が、それこそ【歪夢】家のおぞましき【精神】魔法の如き洗脳術を発揮することができるのであるとすれば――ヒスコフと彼に同行することを決めた仲間達を手駒にするために、ここまで回りくどい伝え方をしなくて良いのであるから。
だからこそ、ヒスコフには雑談にかこつけた探り合いがてらに、この球状空間ごと連れてこられた場所がどこであるかおおよその見当をつけることができた。
それは彼らが「戦闘部隊」として放り込まれる戦場であるか。
はたまた――。
球状空間から出るように促され、踵を返すオーマと彼に付き従うエイリアン達について、ヒスコフらも腰を上げ装備を担ぎ上げて【空間】魔法の渦から出ていく。
【人世】出身者にはムッと重たくのたつくように感ぜられる【魔素】と、そして【命素】というらしい”似た力”の粘ついた乱流をかき分けるようにして、辿り着かされたるは坑道の奥の慎重に封じられたような一区画。
そこには、周囲の岩盤から切り出されたであろう簡素な台座があり、その上には古ぼけた一枚の”鉄鐸”が安置されていたのであった。
「ひよっこの俺にはちょっと面倒くさい相手だからな、これから話す野郎は。ちょっと、年長者としての知恵と機転を貸してくれたらとても助かるな? ヒスコフさん」
「売り主のくせに”商品”に自分で説明と売り込みさせる気か。よほどお前の真の立場って奴が確固としている、と思えばいいんだな? 俺は」
――然もなくば、己という【闇世】にとっての明確な”異物”を当て馬として、その「買い主」の反応を測ることが目的であるのだろう。
真逆の認識を軽口としつつも、ヒスコフは冴えたような緊張感が漂ってきたことを知覚する。
震えれば震えるほど冴えるのがヒスコフの性質ではあったが、これほどの身震いは、上位の頭顱侯当人だかに対峙するかのような感覚であった。
あるいは本当に、この青年は自分を味方として素直に純粋にアテにしているだけであり、しかし迷宮領主という立場上、露悪的で上位者としての威圧を演じたような立ち位置からしか話をすることができなかった……のかもしれないと思う程度には。
そして、キィィンと金属を叩くような澄んだ音が、大気をびりびりと細かく痺れさせるような「震え」と共に鳴り響く。
”音”としては澄んでいたが、しかし”音程”としては酷く不協和にも聞こえる。
そんな”音”が鳴り響く震源は、件の安置――または隔離――されたる「鉄鐸」からであった。





