0233 昏(くら)より覗く眼を覗き返すための隔離と尋問
この世界の「世界法則」において、俺が初っ端から遭遇して思索を重ねていた”謎”に関して、未だ全容を見通すには至らない。
しかし、そのピースは一つ一つ、手に入っていた。
例えば、ル・ベリの【弔辞の魔眼】によって掬い上げられた、”痩身”サーグトルの今際の想いもまたその一片である。
諸神が「大いなる罠」を仕掛けていたというのならば――それは一体誰に、それとも何に対してであろうか。
【闇世Wiki】にも記録が残るかつての【神々の大戦】を考えるならば、それは【闇世】という存在そのものに対してであると言えるかもしれない。
【精霊】どもの「迷宮出身の存在を対消滅する」という特性など、そのためのものとしか思えない。【四元素】のサウラディ家のルーツが、かつて”大裂け目”を消し去った500年前の【英雄王】の血筋にあるのだとすれば、それはまさしく、のこのこと【人世】に進出した迷宮領主達に対する「罠」であろう。
――だが、サーグトルはあくまでも『長女国』の魔導師・魔導の研究者としての一生を邁進していた。
【闇世】が【人世】と隔絶され、封じられて追いやられて久しく、彼の主であったハイドリィが「泰平」と評したように、知性種達の陰謀と競争と闘争のエネルギーが同じ【人世】の中に向けられてきたことが想像に難くない今世を生きていたのである。
それはハイドリィの一味はおろか、ハイドリィを利用しようとしていた【騙し絵】家も【冬嵐】家も、【闇世】の尖兵とも言えるこの俺の介入を察知も対抗もできなかったことから明らかであった。
……そんなサーグトルが、諸神の意思をして【闇世】に対する”罠”などと喝破するのには、違和感がある。
むしろ、それがサーグトルという男の一生を取り巻いたであろう『16属性論』という名の支配的なる常識からの、一種の逆転的な閃きであったとすれば――諸神が”罠”を仕掛けていたのは、むしろその庇護を与えていたはずの『神の似姿』達だったのではないだろうか。
『長女国』において、社会の上から下までを貫く強固な階級・格差社会が構築されているその核心こそが「魔法の才」である。
それは、この聖なるウルシルラの泉を巡る戦いで斃れた――俺が命じて屠った――数百の者達の「今際」からも読み取ることができ、類推することのできる、閉塞感と焦燥感の入り混じった社会の空気のようなものである。
サーグトルもまたそれに振り回され、しかし学者肌の閃きと情熱を持って相対しており……その故に諸神の行いを”罠”というネガティブな表現で断じたのだ。
一見、この説もまた正しかろうと思われる。
だが、それでも俺はどこか引っかかりを覚えていた。
――とあることを思い出していたからだ。
【エイリアン使い】として、俺が俺自身の”認識”を操るために、己の過去を溶かし込んだような夢の世界で何度か曖昧に彷徨っていた最中のこと。
XXX先輩の姿を被り、俺の記憶と結びついた精神的なある種の旅路を覗いていた何者かが、いたではないか。
そしてその時に――【全き黒】なる存在が、つまり【黒き神】を体現する何かが、その何者かをまるで追い払うかのように食い散らかして追い散らかしたことを、俺は覚えていたのだ。
不快な、まるで迷宮領主をさらなる深淵から【情報閲覧】するかのようなおぞましい感触が、何ともこの俺の眷属のうち【黒瞳茸】という形で出現した事実を、どう受け止めれば良いだろうか。
≪ルルナ、居るな?≫
迷宮領主としての感性によって、意識の中から従徒との回線のうちの一つを手繰り寄せ、俺はユートゥ=ルルナとだけ繋がる専用の【眷属心話】を送った。
元【泉の貴婦人】という存在であった『逆さま人魚』ルルナは、お姫蟲ウーヌスのアイススケート的エスコートによっていつの間にか『大氷室』にまで連れ込まれていたようだ。かつて【冬ノ司】によって閉じ込められていた時代を思い起こさせるような扱い(多分ぷるきゅぴども的には洒落だろう)を受けつつ……ずぶとくもうたた寝をしていたようであったが、すぐにその意識の覚醒が伝わってくる。
≪ふわぁ~私、もう一生分はくるくる回ったと思います~≫
≪寝起きからハードな話題で申し訳ないが、頭を切り替えてくれ。ルルナ、諸神達は、一体、何と対峙していたんだ? ――イノリがどんなことを言っていたのか、他に思い出せることはないのか?≫
≪ちょ~っと、私達にはマスターのお考えは気宇壮大さん過ぎて……あらまぁ、私ったらウーヌスちゃんみたいな口癖が~うふふ≫
≪どういう文脈、場面で「それ」が出たんだ?≫
≪そうですねぇ~……決まってマスターが、難しく考え込んでいた時ですね~。『話しかけてはダメ』タイムと、みんなが言っていたことを覚えています≫
あぁ、確かに時折イノリはそういう沈思黙考モードに入ることがあった。
いつであったか、■■がそれを指摘したところ、曰く「せんせの真似だよ」ということであったが。
≪諸神の話題と関係ない場面でも、そういうことは何度かあったのか?≫
≪どうだったでしょうね~? 【泉の貴婦人】となって、マスターが言っていた「この世界の法則」というものに、私も初めて触れましたからね~≫
≪なら、本題に移ろうか。【精霊】とかいう奴らとその”何者か”との間には、何か関係がある、とお前は感じるか?≫
【精霊】の性質に関する情報が、少しでも俺には必要であった。
それは【人世】で活動するに当たってその”活動”の規模を左右しかねない、【闇世】Wikiからも、フェネスを始めとした”先輩”迷宮領主達からも、与えられず示唆もされなかった重大な情報だったからである。
浅瀬で海流に乗ってくるくると泳ぐような、軽い思考の渦と共にルルナが考え込む感覚が伝わってくる。今、俺が問うている相手は、かつて小さなピラ=ウルクの稚魚に過ぎなかった存在としての彼女ではない。
たとえその時にはわからなかったことであっても、当人が言うように【泉の貴婦人】として、迷宮システムもどきの核に座していた――それも【冬嵐】家の干渉を受けた身――として、気づくことがあるだろうと考えたからであった。
果たして、海藻のようなウェーブがかった髪をイメージの中で振りまきながら、はっと気づいたようにルルナがぽんと人身の両手を、そして魚身の前びれを同時に叩くイメージが心話によって伝達されてくる。
≪あります! あるかも? 知れませんね~≫
くりくりしたピラ=ウルクの双眸に、知性ある者であることを雄弁に語る好奇の気づきを秘めて、ユートゥ=ルルナの曰く。
彼女のかつての主が察知していたというその諸神とも異なる”何者か”は、決まって、迷宮に新しい存在が誕生した際にその「気配」を現していたのではないか――ということであった。
【闇世】の、ひいては迷宮の存在にその”何者か”が「反応」しているということは、俺が夢と現が認識の波間で混じり合う感覚の中で体験したことに符合はする。そしてそれは、【精霊】という存在が迷宮に対して敵対的であるという事実とも親和的だ、というのが俺の受け止め。
ならば【精霊】と、迷宮領主の勢力にとっての敵神である【白き御子】の一派の関係はどうであるか。
そこから切り込むことで、【精霊】と諸神と”何者か”、という3つのわけのわからない存在を、一絡げに理解していくことのできる端緒とすることができるかもしれない。
――だが、そこまで仮置きしていた俺の想定に対し、ルルナの【精霊】評は、少々の混乱をもたらすものであった。
≪【精霊】さん達は、多分その”何者か”さんに対しては、とてもとても攻撃的かもしれませんね~≫
≪……攻撃的、と来たか≫
一つ、そもそもの疑問があった。
ルルナは紛れもなく元イノリの部下であり、すなわち迷宮の力に属する存在である。
【精霊】が迷宮絶対殺す存在であったというならば、どうして、サーグトルやハンダルスに【精霊】が憑いていた折に、彼女や彼女の眷属であった【四季ノ司】達は被害を受けなかったのであろうか。
無論、これは【四季ノ司】自体は【人世】の存在だったからだ、と説明することはできるだろう。
もどきはもどきでしかない。サーグトルもハンダルスも直接ルルナにまで到達したわけではなく、【泉の貴婦人】という存在が元迷宮の眷属という「属性」から抜け出していたならば、積極的な標的となることはなかった――と言えるのかもしれない。
まぁ、純粋に「消滅」させられるのが迷宮の力であって、それ以外の部分、つまり迷宮と関係する前から存在していた部分――例えば従徒となる以前の”肉体”など――は影響を及ぼされない、のかもしれない。
……それでも副脳蟲どもの言によれば「迷宮領主当人」はただでは済まないのかもしれないが。
だが、その中で生み出された【四季ノ司】の誕生は迷宮で言う眷属的である。【精霊】の判定基準には引っかからなかったとしても……彼の”何者か”から見れば「新しい存在」とは言えないだろうか。
――という俺の指摘は、当たりであった。
【泉の貴婦人】という半超越者的な感覚であったとはいえ、イノリが残した「呪い」によって曖昧化していた時間間隔の中でたゆたっていた記憶の深みから、ルルナが改めて引っ張り出してきた自らの認識において。
今思えばそうだったかもしれない……と感じる程度ではあるが、確かに【四季ノ司】達が誕生した際に視られた感覚を確かに感じたのだという。
≪そこにサーグトルが現れてからは、それが消え失せた、ということなんだな?≫
≪そうそう、そういう感じです~。なんと言いますか、嫌がって逃げ出した、みたいな感じでしたね~≫
……どうも、諸神と”何者か”と【精霊】という3者の関係性は、俺が仮定していたよりも複雑なものであったらしい。
いや、神々が二派に別れていることを考えれば4者関係となるだろうか。
仮にこれらが同列の存在だとしても――例えば【白き神】の一派が【精霊】と一体である”何者か”を抑制または利用しようとして、2対1の構図を作り出そうとしている、というような単純な図式を当てはめることはできそうにない。
『嫌がって逃げ出した』というルルナの表現からは、さらに色々な構図や関係性のパターンを想定することができたのだ。だが、現時点では情報が不足しており、これといった有力な想定はまだ早いと考えるべきだろう。
――ただ、【精霊】に対して俺が感じた脅威度を一段階程度は下げて良いと思われた。
”痩身”サーグトルが【精霊】の運び手とされていたことは既に確定している。
もしも【四季ノ司】が迷宮の被造物に類すると判定されたならば、そもそもロンドール家の野望は、サーグトルが調査のために旧ワルセィレを訪れた当初の時点で、致命的に破綻していた可能性もあっただろうが、そうはならなかった。
”何者か”は【精霊】と連携しておらず、ここにも一つの対立関係があるかもしれない。
その場合、迷宮領主にとって想像を絶する脅威となる【精霊】の繰り手は神と同列にあるような強大な超常存在ではなく、単に、何らかの経緯によってそうした力を得た只人である魔導貴族の一族に過ぎないということになる。
少なくとも――【四元素】のサウラディ家の係累が、この俺の存在に気づき、この劇物を送り込んでくるという”手”を取らなければ、直接の被害を受けることとはならない。そして”手を打たれる”ということは、あらかじめその”手の内”を知っていれば、予備動作を察知できる限りはこちらからも対応ができるということ。
この点、【四元素】家がどこまで事態を把握したのか、その上でどのように相対してくるのか。特に【騙し絵】家の嗣子ツェリマを取り逃がして情報を持ち帰られたことの影響に関する分析と今後の対応策などについては、【精霊】を「感知」する術を編み出したリュグルソゥム家に任せているところである。
≪そもそも、イノリだって【人世】で活動していた可能性が高い。だったら、神だろうが精霊だろうが名前のわからない存在だろうが、そいつらがどれだけ恐ろしい存在だったとしても、抜け道がどこかにあるはずだろうよ≫
――では、次の本題だ。
≪本題がたくさんあるんですね~≫
≪きゅぴぃ、そのももの通り! 造物主様の脳みそのお皺さんにはいつも色々な考えが詰まっているのだきゅぴぃ。そう、それはまるで砂金をサラサラヘアーにする僕のフリフリさんをラッシュするが如く……≫
≪や、やめてよお姫~……きゅううん!≫
≪あははは! あははは!≫
≪僕はぁ、回転王になるぅぅぅ!≫
≪次のぐるぐるさんおいでぇええええ≫
――回線を開いた瞬間にコレである。
全身が脳みそのくせに脳震盪的現象、揺らされる、という衝撃でトリップすることが大好きな副脳蟲ども。
この眷属心話が【共鳴心域】によって拡張された「エイリアン=ネットワーク」界において、なんと、お姫蟲ウーヌスがその無駄に豪奢で豪快で豪胆なドリルロールを巨大水平豪速観覧車と化したアトラクションに振り回される、という”遊び”に他の5体とプラスアルファの部下きゅぴどもが興じていたのであった。
だが、いかに俺の記憶を元に構築された認識の世界であっても、リュグルソゥム家の『止まり木』のような無茶ができるわけではない。
本体はただの巨大幼児並サイズ脳みそに過ぎないウーヌスに、いかほどの回転能力があろう?
次の「本題」に参加させるために呼び込んだとはいえ……真面目な話に水を差すどころか脳汁をぶしゃあと浴びせかけるようなイメージを伝達してきた6馬鹿どもの、その「回転遊び」の軸とされていたのは……。
≪はぁ、どうしてわれがこんなことを……はぁッッ! その気配は、迷宮領主オーマ! どうしてここにいるのだ!?≫
≪ほ~らヒュド吉、これが特盛牡蠣フライ丼のタルタルソース漬けだよぉ~≫
≪うっま! う、うっまぁ! クリームのような芳醇さが……サクサクのふらいの中で溶け出して! こ、このれもんとかいう柑橘類の香りとともに、小醜鬼の臭みがわれの口腔内から浄化されて天にも登る心地なのだぁ~って、そうじゃない! おのれ脳みそども、われを謀ったなぁ!?≫
≪あらあら~、フォティマさん……じゃなくてヒュド吉さん。美味しそうですっかりお顔がとろけてますね~≫
≪ルルナお嬢さん、僕とまた一曲しゃるきゅぴぃだぁんす?≫
≪うふふ、それじゃあ今度はこっちでお相手いたしますね~≫
ユートゥ=ルルナは今でこそ俺の従徒だが、眷属心話自体はそうなる以前から、この俺と通じていた。
そして、それは元多頭竜蛇ブァランフォティマの一部から自律したヒュド吉もまた同じである。
このことは、彼女らの以前の主であった【水源使い】イノリが、迷宮を構えていた場所が【最果ての島】であったことと決して無関係ではないと俺は考えている。
迷宮領主となった者の認識を文字通りの「世界」に変換する迷宮システムの仕組みを考えれば、同じ環境下に座していた迷宮核を中心とした迷宮領域に、一種の共通性が宿ると考えた方がまだしっくりと来る。
加えて”異世界”という尺度から捉えれば、俺とイノリは時代と場所と文化はおろか「元の世界」さえも共有しており、さらに迷宮領主としての世界観という意味で言えば――彼女の動物・自然好きはこの俺が影響とキッカケを与えたようなものだろう。
果たして、偶然にも鍵のパターンが一致していたか、たまたま同じかかなり近い暗証番号を金庫に設定していたかのようなものであり――このイノリの元部下どもは、この俺の眷属心話ネットワークに入り込むことができた。
それを利用して、俺は副脳蟲どもも入れない(俺の記憶と通じている以上、ある意味で彼らにはそれは必要がない)ルルナとの「専用回線」を作っていたし、同じように、副脳蟲どももまたお気に入りのペットと化したヒュド吉を囲う「専用回線」を作っていたということである。
≪だらしない顔だな? ヒュド吉。現実世界と心話領域の両方で”餌付け”されては、さしもの竜種……いや、「竜主」としての誇りも鈍るか?≫
≪な、なにをぉ言うのであるか! われは決してぎゃく食竜のような痴れ者のように、食欲に負けたりなどはせぬぅううまぁぁぁいい! も、もう一切れこの「さしみ」というものをくれなのである!≫
≪……説得力に溢れる啖呵をどうもありがとう。伝説の【竜主国】に関する話も後日じっくりと聞かせて欲しいんだが、今日じっくりと聞かせて欲しいのは、そのことじゃあない≫
何をするのだ、という身じろぎをしつつも、食の誘惑に耐えられず、まるでインド亜大陸の怪しい笛吹によって操られる毒蛇のように、ふらふらと酔った様子の多頭竜蛇の生首ことヒュド吉。
それもそのはずであろう。他にも目的はあったが――このために、この妙なところで口の硬い生首を徹底的に”餌付け”する方向で、俺もまたウーヌス達の趣向に乗っかって彼らに好きにさせていたのだから。
十分に漬け込んで、仕上がってきた……とでも呼ぶべきだろうか。
みるみるうちにヒュド吉が、ろれつの回らない表情になっていく。
警戒心をあらわにして、いつもであれば例のだんまりモードになろうという局面であったが――残念ながら、ここは「エイリアン=ネットワーク」という一種の精神空間であった。
ちょうど現実の方、リュグルソゥム家風に言えば『現世』側では、運搬班の荷車労役蟲によって運ばれたヒュド吉が、豪勢なる「エイリアン酒」の風呂に放り込まれたところである。
――しかも、そこには黒瞳茸が設置され、ヒュド吉に【精神】属性の魔法じみた感応波を浴びせかけていた。
≪な゛、何をするた゛ぁ~≫
≪なに、ちょっとリュグルソゥム家の真似事をしてみただけさ≫
腐っても、かつては「主として人間を含めた数多の知性種を統べていた」存在の端くれではあると言うことか。
【歪夢】家の【精神】魔法は神の似姿にしか通用しないが――迷宮領主の眷属として誕生した【精神】属性の砲塔たる黒瞳茸ならば、その力が通用する相手は神の似姿には限られない。
たとえ黒瞳茸が、俺と直接接続されることが厳禁なら「モノ案件」、すなわち件の”何者か”の端末である疑いがあるとしても――こういう使い方ができるというのは、非常に有用なことであった。
そして、その手管は既に副脳蟲どもが(彼ら流ではあるが)リュグルソゥム家の”尋問”技術から学び取っている。【エイリアン使い】の力によって変化し、進化し、何事かを新たに会得しているのはリュグルソゥム家だけでもないのである。
――その力を使って、たとえかつてイノリの協力者であったとしても、未だ従徒でもない存在に、ただで飯を食わせてグルメ生活を堪能させていたわけではない。食わせた分だけ、色々と吐き出してもらわなければならない。
たとえ本人の言う通り本当に「知らない」のだとしても、その「知らない」ということが事実であるという確定を取らなければ、この生きた竜の生首を俺の迷宮においてどのような存在として受け入れるのかを決めかねる。
――ルルナのように従徒として知識を従徒献上させる手は、今はまだ取ることはできない。
【泉の貴婦人】として【人世】に切り離されていたルルナと異なり、分体とはいえ、ヒュド吉は様々な迷宮領主達の思惑と渡り合い何らかの関わりがあった多頭竜蛇ブァランフォティマであったのだから。
だが、副脳蟲達によって補強された「エイリアン=ネットワーク」ならば、擬似的な『止まり木』として、この領域で行われた尋問や審問が外に漏れることはない。
その精度を確かめる意味でも、あえてルルナとの「専用回線」を構築し、管理者である副脳蟲自体を排除できるか実験したのである。
――迷宮領主同士の【情報戦】という観点で、ただの眷属心話では、”何者か”を警戒する以前に、他の迷宮領主達なり『界巫』なりによって如何なる手管かによって覗き見され聞き耳を立てられる可能性が排除できない。
ヒュド吉が「シロ」と確定できないうちは、この分体が多頭竜蛇ブァランフォティマとその背後にいる迷宮領主(たとえば【深海使い】など)から送り込まれた”盗聴器”の役割を果たしていることも否定できなかった。
その故の、ル・ベリや眷属たるエイリアン達をすら排除した、この俺とイノリの元部下たる両名と、副脳蟲どものみを隔離した「専用回線」である。
その中で、俺がヒュド吉に改めて聞き出したいことなど、一つしかない。
≪改めて、お前の元主【水源使い】イノリについて、教えてくれないだろうか?≫
【闇世】を相手に戦ったという、その経歴の裏の部分までについて。
そして多頭竜蛇ブァランフォティマや、【深海使い】フトゥートゥフという迷宮領主や、”画狂”イセンネッシャという『ルフェアの血裔』の青年などがその配下であったことの意味や、経緯や関係性などについて。
特に【最果ての島】の近海における、多頭竜蛇と【深海使い】と人魚達の関係性、そしてこの半人半魚の身体を持つ種族の【人世】の『次兄国』における伝承との関わりを鑑みるに、ヒュド吉が持っているであろう多頭竜蛇ブァランフォティマとしての”記憶”に重要な手がかりがある。
――イノリが、この世界にどうして、どのようにやってきたのか。どのような力を与えられてしまって、そして、この世界で何をしようとしていたのかについて、など。
――もしも「どのように」という部分が分かれば、それは俺にとって、彼女だけでなく他の”生徒達”を探す大いなる手がかりになるが故に。
≪知らない、なら、知らない、で良いんだ。ただ、本当に知らないのか、意図して黙っているならその”意図”を、言えないならその”原因”を、俺は知りたいだけなんだ≫
――だが、イノリを探すために、よもや異世界転移して巨大な竜の生首を酒で酔わせて精神世界で尋問する邪悪な魔人を演じる羽目になるなどとは、人生何があるかわからないとはまさにこういうことだ。1年前なら想像することなど全く無かっただろう、いくら俺が夢想家なのだとしても。
思いもよらぬ想像の埒外の奇妙なる紆余曲折を経て、手元に手がかりが一つ一つ手繰り寄せられている実感が、少しずつ積み上がっていた。
繰り返すが、ヒュド吉が本当に「知らない」ということを確定させるだけでも意味のある”尋問”である。もしも、ヒュド吉が”本体”ブァランフォティマと何の繋がりもない「シロ」であったならば――それはそれで当初想定していたように、この食道楽を組み込むことができるのだから。
【闇世】の大中小の迷宮領主達から課された、多頭竜蛇討伐という任務に。





