0229 竜禍の主(しゅ)は何処より転ずる[視点:竜牙]
銀色の結晶が大小の暴風を為す。
その小さき"粒"は嵐に煽られて、粉か霧か、果ては活火山から舞い上がる朦々たる噴煙――を銀白色に変えたかのように巻き上がり、沸き起こり、あらゆる生物から視覚を奪わんとするまでに傲慢に一帯を埋め尽くそうとする。
その大なる"粒"は嵐に軽々と持ち上げられて、飛礫の如く地上と天空の間を物理的な乱気流と化して降り注ぎ叩きつけ、或いは跳ね上がって穿ち通し、横殴りに襲いかからんとする。
見渡す限りの大氷原である。
しかし緻密な観察眼を持つ者が見れば――その大小の銀雪の粒子によって覆われた曇灰の如き領域が、森も、野原も、荒野も、多少の大地の起伏も、果ては入江から海岸海上に至るまでをも等しく『氷原』の下に押し込め押し固めた代物であることがわかるだろう。
元は森であった、元は小川が流れていた、あるいは元は知性ある種族の集落であったかもしれない『痕跡』もまた、その下に等しく覆い固められ、永遠とも思える眠りの中に停止させられていたが故に。
この意味で、『氷原』の上を覆う圧倒的なまでの力は、"寒気"と呼ぶには、あまりにも暴虐過ぎるものであったが……同時に、停止的・停滞的である『氷雪』という自然現象への認識を大いに改めることを知性種に迫るものでもある。
それらは躍動する銀雪であったのだ。
何千年か、はたまた何万年か、それ以上の時をかけて――諸神による創世の以前から彼の地に確かに存在していた――火と雨と風によって育まれたであろう大地の形すらをも削り取るような傲慢さにさえ溢れたる『氷原』。
他のあらゆる生命が"熱"によって活動するというならば、それらを統べて停めて見せん。
そのように凱くかのような意思すら込められたが如き、銀に渦まける雪禍の只中――無限の銀白・灰氷という"濃淡"の中央に座するは巨大な影である。
数キロに渡って見渡すことのできぬ、もはや分厚い空間的な"層"と化した風雪に覆われた真っ只中にあって、その巨体は遠近感さえ乏しい。かろうじて、ただの生命であれば一踏みで潰してしまえる程、鱗の一枚が知性種達の勇士の盾ほどにも大きいということがわかる程度。
【氷原に凱く】が如きと称されし竜ヴルックゥトラである。
或いは、彼に敵する者達からはこうも呼ばれている。
――【十六翼の禍】における最左の翼を為す竜である、と。
【氷凱竜】がその頭をもたげる。
と同時に、まるで海面で波紋が拡がるかのように、彼の周囲で停滞していたかに思えた氷塊達が震える。
ざわりと、まるで大地に生えた産毛がぞわりと逆立つかのように――生命や知性種達を模したる"命無き"命たる【氷凱竜】の眷属である『氷獄の守護鬼』達が一斉に立ち上がり、激しくその身を震わせる。
それは警戒行動であり威嚇行動であった――ピシピシと周囲の氷が割れ砕けていくかのような、圧倒的な"敵意"に対しての。
次の瞬間。
銀雪と一体化してどこまでが氷原に覆われた大地との境目であるかも判然としなかった曇氷の天空を、まるで隕石のような、否。煌々と炎上する無数の巨塔が、燃え上がりばらばらとなった浮遊都市が文字通り崩落してくるかのように、莫大な火焔が竜巻となって『氷原』を穿ち抜いた。
ただその「一撃」だけで数百もの氷獄の守護鬼が蒸し飛ばされ、さらに数十倍もの領域の『銀雪』が蒸発し、茶け痩せた荒原が焦熱の突風と共に剥き出しとなる。
次いで、獄炎と共に天空を数キロに渡って割るかのような咆哮と共に、炎上せる巨塔の中でも最も雄大なる長駆を誇る"影"が、否、橙色の火焔旋風をまとった竜が襲来。
【塔の如き焔】と称されし竜ギルクォースである。
零度に至る冷気を吐き出す竜首を高くもたげたばかりの【氷凱竜】の眼前めがけ、【塔焔竜】は斜め一直線に吶喊すると同時にその口を開く。数個の火山を瞬間的に重ね合わされたかのような巨大な熱気が収束、ギルクォースの口腔内で小さな太陽が現れたが如き閃光となって輝いた次の瞬間。
ありとあらゆる冷気も氷雪も曇天も撫ぜ飛ばすかの如き【塔焔の息吹】が吐き出され――"先触れ"として降り注いだ『塔焔』の竜巻達の十数倍もの【火】力で――【氷凱竜】を直撃したのであった。
だが――。
『"寝起き"にいきなりとは、随分な"挨拶"じゃあないか、兄弟』
幾千の氷塊が割れ砕けるような"竜言"である。
氷山の一つ程度ならば数刻と経たずに融かし尽くしてしまうかのような灼熱の中で――ぱきぱきと、剥き出しになったはずの荒野が再び霜に覆われていく。銀雪を司り、あまつさえそのものの化身たる権能を持つ【氷凱竜】の足元から。
だらりとその全身を覆う【氷気】を溶かされながら、鱗を炙り焦がされながら、その圧力によって氷原に押さえつけられながらも、しかし焼き尽くされず滅ぼされることもなく【塔焔】を受け止め――ヴルックゥトラが竜首を再び振り上げる。
その口から【氷凱の息吹】を吐き出しながら。
ギルクォースのそれが"活火山"を押し固めたと称すならば、ヴルックゥトラのそれは幾本もの"氷河"を束ねた、と描写すべきであろうか。きらきらと焔が発す光を受けて輝く息吹は、銀雪の濃淡を気体と液体と個体の中間的な「流体」の状態と化したかの如く。
【氷】という現象そのものが吐き出された。
それが【塔の如き焔】を押し返し、極寒の地に焦熱を前触れもなく、まるで神による創世記を児戯となしたかのような『環境』と『環境』が、『現象』と『現象』がぶつかり合う有様が劫々と繰り広げられるに至る。
『ヴルク……――このッッ痴れ竜めがッッ!! その冷血の一滴、鱗の一欠片まで焼き尽くしてくれよう――ッッッ!!』
激怒。激憤。激情。激昂。
放たれる【竜火】が憤怒と比例しているならば、それこそが世界をして焦土に変えるであろう、渦巻く閃光と灼熱が竜言と共に『世界』を変転させる。
激しく相殺し合う【塔焔】と【氷凱】の衝突は、爆発的な水蒸気と痛烈に凍てつく冷気が互いの手を繋いで狂い踊り合いながら切り結ぶが如く「銀白」の濃淡をより複雑なものとさせていた。
片や、彼奴を消し炭の一片まで滅ぼさんとし。
片や、彼奴を骨髄の一滴まで凍て停めんとし。
ただその"一吹き"だけで幾百幾千もの「生命」も「環境」も激変させるほどの強大な権能の塊たる【竜の息吹】をぶつけ合うがままに、灼熱と氷獄の兄弟竜がその巨躯同士を衝突させ、竜翼で、竜尾で叩きつけ合い、激しく組み付く竜格闘に移行する。
その有様を号砲とするかのように、数瞬も遅れて、業火によって切り裂かれた曇天の向こう側から【火】を纏う者達が――下位竜種を代表とする【塔焔竜】ギルクォースの眷属達が次々に飛来。
焦熱と凍嵐が喰らい合い潰し合う煉獄に巻き込まれない範囲で、しかし、彼らの『竜主』を妨げんと津波のように周囲から押し寄せてくる氷獄の守護鬼達と斬り結び始めたのであった。
『高潔にして偉大なる2代目の竜主よ? あぁ、「竜人」に憧れちまったお前の、なんとなんと――なんとか弱きことか』
それは確かに巨大な『塔』の如く。
都市を丸ごと灯りに変えたかの如く、煌々、などという生易しい擬音語ではなく、轟々と呼ぶべき巨大な火焔の集団であった。
瞬間的な熱量だけであれば――"熱"の極みとして"冷"の極みたる【氷凱竜】が支配する環境にすらも比肩しうる、それだけの巨大な竜言で圧倒していながら。
しかし、さらに大きな大きな天空の視座から見下ろしたならば――巨塔が並び立つが如き豪炎の柱達でさえもが、まるで大海原に投げ落とされた幾本かの松明の如く頼りない。
それほどまでに、周囲一帯を覆い尽くす銀と曇の世界は果てがない。
――後に【北方氷海】と呼ばれることとなるその領域は、星として見たこの世界の表面積の実に10%をも占めていたのであるから。
『【虐食竜】の信奉竜、裏切り竜よ……ッッ生ける大いなる禍の翼よ――……ッッ! このようなことは、貴様の行いは、決して竜達に赦されたことなどでは――――ッッ!!』
『裏切るも何も――これが私達だろうに、ねぇ? "竜言"無くば何事も成し得ない。お前の「友」だった【贖罪竜】だって『似姿』を食っちまったんだ、その事実は変えられないよ? 理解っているだろうに』
『貴様ッッ! その腐れ崩れた竜顎から我が唯一の"竜主"とその巫女を侮辱するかッッ!!』
『まことの真実を語っているだけ……今や、この私もまた「竜主」なのだよ? あの"弱虫"の"泣き虫"野郎でさえもが竜主になんかなれちまったんだ、兄弟。でもそれが私達の役割で存在意義なんだから、仕方ないだろう、えぇ?』
いかにギルクォースがその火勢によって制圧しようとも。
抗うヴルックゥトラを組み伏せ、打ち倒し続け、融かし続けようとも。
一枚ずつ皮を剥がれていくかのように、ギルクォースを取り巻く眷属達の円陣が崩されていく。
360度全方位から押し寄せる氷獄の守護鬼達の大波に突き崩され――命無き『氷原』に掲げられた篝火は、むしろ火勢が弱まるほどに強く強く燃え盛るのである。
まるで消え入る前の最後の輝きであるかのように。
――地力に歴然とした"差"が開いていたのだ。
そしてその"違い"が何に由来するかは、明々白々なる事であった。
『今からでも「似姿」どもを食いたまえよ、兄弟?』
『断るッッ! 代わりに貴様を焼き滅ぼして屠り食らってくれよう――……ッッ!』
『【虐食竜】じゃああるまいに。困ったねぇ』
噴焔だけによりて、その絶対的な"熱量"を覆すことができるのであれば――如何にこの"竜主"たる「兄弟」同士の力比べはわかりやすかったことであろうか。
だが、そこにあるのは二翼の竜そのものではなかったのだ。
片やが喰らい、片やが喰らわなかった、数多生命の多寡が巨大な"差"となっていたのであった。
――――――。
――――。
――。
……。
***
「【竜】は『神の似姿』を喰らうことで巨大な力を得ていた。初代竜主であった【贖罪竜】メレスウィリケは――」
その"音感"を自ら口にして、ソルファイドは一瞬だけ言を止めた。
己の身に再た、どこか言いしれ様のない「力」のようなものが込み上げてくるのを感じて、困惑が勝ったからである。
【氷凱竜】――の"分体"たる存在――が残した【血】をル・ベリの【弔辞の魔眼】によって"遺骸"に見立てることで、まるで【原初の記憶】に深く潜っていくかのように、ソルファイドは今一度【竜の時代】を垣間見ていた。
そしてその故に、己の身に起きたその"違和感"の正体を察した。
「メレスウィリケが、その最初の【竜】だったのだ。だが、それはメレスウィリケが望んで食ったことでは無かった」
「……元々は神々が争う"兵器"で、その神々が消えてからは、有り余る巨大な力で世界を支配したのが【竜】という種族。だが、ヒュド吉が言っていたあの青臭い台詞が真実なら――【竜】達は、少なくとも【贖罪竜】と【塔焔竜】は、優れた支配者や統治者たろうとしてはいたのかもしれないな?」
支配する異種族を『民』と、少なくともヒュド吉は呼んでいた。
「みだりに『神の似姿』どもを、少なくとも"竜言"のためだけに片っ端から食い殺して回るということは無かった……ということですな、御方様」
「そもそもそんな高潔な御心を持っていたらしい【贖罪竜】様が、どうして"食う"必要に迫られたかはわからないが――現れたんだろ、手っ取り早く同じかそれ以上の力を手に入れようとした輩が」
「それが【虐食竜】。そしてその行いに続いた【十六翼の禍】と呼ばれる者達であった、と」
ソルファイドの【心眼】が、ひそひそと吸血種に絡んで話しかける【遺灰】家の青年サイドゥラを捉える。
主オーマの最も古い従徒同士として、この【竜】に関する話題はル・ベリとも共有されたものであったが、【人世】の知識しか持たなかった者達には、当たり前のように繰り広げられ披露される【闇世】の知識は「世界の裏側」と言っても過言ではない情報の爆弾めいたものであるのかもしれない。
この意味では、『司令室』に遅れて合流したメルドットとゼイモントに対しても、自身の"出身"を改めて自らの口から語るのはソルファイドにとっては初めてであったか、夢追う二人は普段主オーマに対して向けているきっぷの良いほどの賛辞的な相槌を打つでもなく、神妙に考え込むような様子で聞き入っている。
だが、主オーマが迷宮領主として【闇世】の共有知識――「うぃきぺでぃあ」なるソルファイドには意味も由来も知らぬ言葉で表現されるもの――に触れられる存在ならば、【人世】の"知識"を引き継ぐ魔導の大家たる矜持をささやかに示すのがリュグルソゥム家であったか。
ルク=フェルフ・リュグルソゥム曰く。
【竜】による『神の似姿』の"捕食"は、【魔獣】が人間を好んで襲う有様を連想する――と。
「オーマ様の"新"分類でいうと『荒廃型』でしたか。あれらが人間を襲うのは、瘴気に、【闇世】の自然法則に中てられてしまったから……でしたよね?」
「【竜】もまた同じ、ということか?」
「戦争のための兵器であったなら、どちらが最初に生み出したのかはわかりませんが【闇世】でだって製造されていたんじゃないかと」
リュグルソゥム家が指摘するのが【竜】と【魔獣】の類似性であった。
確かに、その特徴としても強大に発達しやすい――竜人もまた『種族技能』によってそれを引き継いでいることが主によって知らされた――【竜尾】や【竜角】、【竜牙】や【竜翼】といった身体部位は、極めて【異形】的である。
【異形】という器官を与えられて【闇世】に適応した生物が、その【異形】を発達させたならば、その発達そのものを「兵器」としての生物に至るまで強靭化された存在として【竜】が生み出された――という説は、「人間を喰らう」という行為の外形的な近似性を思えば、単なる偶然とも考えにくい符合であったのだ。
「俺の分類的には【魔法適応生物】的でもあるっちゃあるがな。だが、話としてはわかりやすい。【竜】が操る『竜言術』は、要するに食った人間何百人だか何千人だかの分の"魔力"によって発動されている……そう考えることもできるのかもしれないな?」
「えーっと、別に『神の似姿』を食べないで自前でその力を振るえたなら、それもそうかもしれませんね」
それを拒んで、【下天竜】は『竜人』となった。
そして『2代目』の竜主となった【塔焔竜】ギルクォースもまた、戦いに敗れて深傷を負う中で、闘争による逆転を諦め、メレスウィリケの弟であったともされる【下天竜】クルグドゥウードに合流して、彼の竜と同じく"下天"し、竜人達の最も重要な始祖の一翼となったのだ。
「正直、ヒュド吉はともかく【氷凱竜】は――あいつの知性も知能も、悪意までも『知性種』並かそれ以上だった、と俺は感じている。互いに"言葉"すら交わすことができたんだったら、【竜の時代】ってのはただの異種族による食物連鎖的な支配とは別物。ヒュド吉の言う通り『王』と『民』の関係に近いかもしれない。だが、そうすると」
「【魔獣】と違って、【竜】は"喰う"ことを意識して禁忌となしていた――【虐食竜】とかいうのとその追従者達は、意識してその禁忌を破った――ってことかな? オーマ閣下」
"新参"者達のうち、まず状況と知識のギャップを整理して話に入ってきたのは、リュグルソゥム家と同格の頭顱侯家すなわち魔導の探求の一族の一つであるナーズ=ワイネン家の"捕虜"サイドゥラであった。主オーマによれば『放蕩者』であるらしかったが……その瞳には、数多の知識と伝承を口伝によって継承していた【ウヴルスの里】の年老いた"里巫女"に似た深慮の輝きが宿っていた。
「そこだ。俺が【竜】と、そしてソルファイドの所属する竜人という存在を不思議に思っているのはそこなんだよ。圧倒的な"力"を持っていて、人間なんてただの捕食対象としていてもいいはずなのに」
「あはは、まるで『アスラヒム皇国』がやってるみたいに?」
「――おい!? サイドゥラさん!?」
「あはは、冗談。オーマ閣下の仰る通りだよね? むしろ【竜】は――良くて家畜みたいに囲っておけば十分だったはずの人間なんかになることを選んだ。一体、どういう心境だったんだろうねぇ」
「……あの血に飢え切った凶暴な連中が、なぁ。今までそんな目で見たことなんて全く無かった。ソルファイドさんにしたって、本当に竜人と同種なのか疑わしいぐらい大人しいしさ」
リュグルソゥム家からも、彼らの合流初期に聞かされていたこととして。
随分と『長女国』『次兄国』側の、つまり西の竜人達は"血腥い"らしいことがソルファイドにとってはある意味では"楽しみ"の一つであったのだ。
――【拝竜会】という組織について調べることと同じ程度には。
「『捨身せしエッサの如く我らも在れ』……ねぇ。ひょっとしてそれが、ソルファイドが言った"巫女"を指していたりするんだろうか?」
「まぁ、千年前も同じだったかはわかりませんけど『語学』的には女性名ですかね」
リュグルソゥム家が侯都グルトリアス=レリアに潜入して本格的な情報収集と、そして多少の工作活動を行ったついでに【拝竜会】のことも、ついでにであるが調べてきていたのだ。
その『聖句』の一つが、今しがた主オーマが述べたものであったが……それは【魔導大学】の『歴史学』の分野の貴重な蔵書にも記されていない怪説の類であるという。同様に主オーマの【闇世】の共有知識においても、このことを示すほどの情報は無く、真偽はわからないという。
だが、リュグルソゥム家が調べてきた限りでは――【拝竜会】の"説法"によれば、彼らは今は世界からは"隠れた"竜種を「救世」の存在であるとする。そして、かつて【竜主国】において「人と竜を繋ぐ」という重要な役割を担った【奉竜教団】なる集団の"使命"を今世に復活させ、この荒れ果てた【人世】の全ての生命を救うことを教義としている、というものであった。
【氷凱竜】の"記憶"を垣間見たソルファイドにとって、符合はするのである。
その"記憶"の中のやり取りでは――あの後、どのようにして【氷凱竜】が討たれ、しかし死なずに"眠り"につくようになったのかまではわからなかったが――ソルファイドの祖先たる【塔の如き焔】たる竜主ギルクォースは、確かに、彼の「友」であった初代竜主と並べて"巫女"の存在に言及した。
両者を揶揄うような物言いをした【氷凱竜】の"本体"に対して、壮絶なまでの激憤を抱く程度には、"弱虫"にして"泣き虫"であったらしい【贖罪竜】と彼の"巫女"を慈しみ、懐かしみ、悲しみ、そして偲んでいたのである。
――何故、そこまでソルファイドにはわかったのか。
――彼が垣間見たのはあくまでも【氷凱竜】の"血"から呼び出された千年前の「記憶」であって、ギルクォース自身のものではなかったというのに。
その『答え』をソルファイドは既に悟っていた。
(【転霊】……か。生まれ変わりか)
かつて【竜】であった記憶と知識を口伝によって受け継ぐ竜人達――少なくとも【ウヴルスの里】において、【竜】を大戦のための"兵器"となした諸神は信奉の対象ではない。
同様に、世界を破滅させる"寸前"だった、という【竜】達の大罪について今ようやくその意味が朧気にわかってきたソルファイドであったが――すなわち【竜】という祖先もまた竜人達にとっては信奉の対象ではない。
およそ『神の似姿』やその他の亜人達のような「信仰」というものを持たない【ウヴルスの民】にとっては、言うなれば【竜】が犯した罪を雪ぐために隠れ生き続けることこそがある種の「信仰」のようなものであったが、そこには「死後」に関する教えというものは明確には存在しておらず、また必要ともされなかった。
【ウヴルスの里】は、小さな小さな、竜人達の"隠れ里"だったのである。
しかしその中にあって、【転霊童子】という特異な存在の正体に迫らんとする主オーマとリュグルソゥム家とサイドゥラの議論を聞く中で――ソルファイドはどうしてもこの【転霊】つまり「生まれ変わり」として説明される『現象』が引っかかった。
(それがル・ベリの【魔眼】の力だと俺は素朴に考えていた。だが……"記憶"が蘇るのが「生まれ変わり」だというのなら、俺が記憶を見てきたことが意味するのは――)
【炎竜ガズァハ】と【火竜レレイフ】、そして【氷凱竜】という"他人"を通してに過ぎないというのに。
ソルファイドは、己の遥かなる祖先でしかないはずの"祖先"たる【塔焔竜】ギルクォースの"想い"が痛いほど全身を貫いているのをもはや偶然や気の所為だと見過ごしてなどいなかった。
『メレスウィリケ』という単語に、これほどまでに心の奥底からうねりのような感情が沸き起こってくることが、もはや、偶然とは思えなかったのである。
(俺はギルクォースの「生まれ変わり」なのか? だが、そうすると――)
違和感への根源とその正体への"気付き"は、新たな違和感を惹起する。
不意に思い出されるのは、今回、氷獄と熱獄を同時に味わったかのような苦痛と共に垣間見たものとは違う別のソルファイド自身の記憶。少し前にウルシルラの戦いで対峙した、【氷凱竜】の劣化意識体であるという存在の"物言い"であった。
【冬嵐】のデューエラン家という"人間"の「秘匿技術」なんぞとして利用されるにまで零落していた彼の"分体"は、謎掛けと称して、こう言っていたではないか。
『――お前の"主"だって、きっと気になっているはずだねぇ?――』
と。
あの時【氷凱竜】は、一見、ヒュド吉という、ブァランフォティマという名の『多頭竜蛇』のこれまた"分体"の出自の奇妙性についてソルファイドに謎を掛けていた。
だが、そこであえて「主」と書いて「しゅ」と読ませ、ソルファイドにとって現在の主である迷宮領主オーマの存在を意識させたのは――ただのもったいぶった意味深めかせた混乱させることだけを目的とした"物言い"だったとでもいうのであろうか。
――否である。
とソルファイドは【心眼】によって閉じたことで逆にクリアに見える感覚の中で沈思黙考する。
彼は思い出していたのだ。
自らが『竜神様の使徒』などという、竜人の来歴と宿命を思えば、今や悪い冗談としか思えないものに成り下がっていた折。死に場所求めて攻め込んだ迷宮にて、その支配者であった【エイリアン使い】オーマによって打ち倒され、再び【熱】を与えられたことで彼を「主」と呼ぶようになった――その大事な切っ掛けを。
ル・ベリより最初の【魔眼】を喰らって、最初に【竜の時代】という名の過去を旅して、そして現世に戻ってきたその時に。
――初代竜主の名を。
『メレスウィリケ』という名をうわ言のように呼んだことを思い出していた。
主オーマを視界に入れながら。





