0228 魔眼と仄窓の間(はざま)に紡がるる人の繋(けい)
【盟約暦514年 歌い鷲の月(6月) 第14日】
――あるいは【降臨暦2,693年 合鍵の月(6月)第14日】(145日目)
斯くして、俺は数日をかけてこの一ヶ月間の『進化祭り』によって得た【エイリアン使い】としての新たな"力"や、迷宮全体の進化と方向性の確認を行った。
だが、ここまで時間とエネルギーと集中力とそして精神力を投入するのは、それが俺の武器であるから。それを使わねば生き抜くことができない、しかし使えば使うほど【闇世】のしがらみの深みの中にハマっていくことを避けられない両刃の綱渡りである。
故に、どこでどのような「刃」が向いているのか。
その「刃」をどのように避け、あるいはいなしていくのか、可能な限り選択肢を増やすための"情報"の重要性は変わることは一切無いのである。
俺の迷宮の頭脳である『司令室』は、当初は小学校の教室程度の広さしか無かった。ル・ベリとソルファイドと、後はグウィースを座らせて、追加で将来的な人員増を見込んだ数人分が座ることのできる『円卓』として設置したものであったか。
それが今や、部屋は3周ほど広げられている。今や複数の亜種に分かれた労役蟲達が――裁縫労役蟲やら捏練労役蟲やら――それぞれの作業に特化した『前腕部』によって、ただ拡張されるだけではなく、リュグルソゥム家の監修の元で俺の"記憶"から副脳蟲どもが拝借したバロックもどきな「文様」やら「図案」やらが細密に描き出されている。
それはなんと呼ぶべきであろう。
そうした緻密な構造さえもが――その裏側で臓漿の半固体・半液体的な"構造"性と相まった、人の生み出したる芸術観を取り繕っているかのような、模倣しているかのような。
ガワだけバロックだかアルカイックスマイルだかの様式を真似つつ、その目に見えない裏側では細胞がみちゃあと分裂している肉塊が固化したかの如き『エイリアン構造』が隠れ、いわゆる人類の建物における構造物計算とは全く異なる原理によって成り立たせられている。そんな文字通りの"裏側"を知る身としては、不気味の谷めいた違和が孕んでいることを知っているわけであったが……「これはこれでまぁ」とルク"当主"も、そして俺自身も納得しているのだから仕方がない。
生成型AIによって感情の宿らぬ"掛け合わせ"が機械的に生み出されたのでは無し。
そこにエイリアン達の共鳴的な同調を利用してはいようとも――人間のものとは違うだけで、意思が混じっているならば、それは"芸術"とは呼ぶべきものなのだろう。機能美であるだとかそちら側の類ではあったが。
『円卓』自体も、俺の従徒となったメンバーの増加を反映して既に十数席。
『エイリアン建材』による円柱型の座の上に『エイリアン糸』による"背もたれ"や"クッション"さえも配置されており、また一段文明レベルが向上していたが……。
「で、それがリュグルソゥム家の新しい"作品"というわけか?」
「そうです、渾身のアイディアです……! いい仕事しましたぁ」
そんな風にキラキラ目を輝かせ、椅子から身を乗り出さんばかりに手を挙げて自己主張したのはダリドである。目を細くした以外は父であるルクによく似た表情は、キルメが称号的にも『破天荒』であることを保証されていることもあり、胃痛を噛みしめるようなものが多かったが――今浮かべているのはなんと年相応の楽しそうな表情であることか。
新しい"趣味"を見つけたな、と嘆息しつつ俺はダリドの作品を改めて見る。
一見すると『司令室』を壁から天井の走狗蟲用の隠し通路まで覆う『エイリアン芸術』の中に埋もれるように、壁に掛けられた「彫像」の数々であった。
いずれも職業『彫刻操像士』ダリドによる作で、主に『長女国』の貴人や、魔法使い、兵士などを模した像が6~7体並んでいる。
各々の服装の皺や襞に至るまで再現しており、表情の豊かさなどと相まって、リュグルソゥム家が『止まり木』で費やすことのできる有り余るほどの精神的な「時間」の長さが垣間見えるような心地である。現世での"制作"時間自体はものの数時間で終わってしまっているのだから、完成形そのものは『止まり木』にあるというわけだが―― 実はこれらの彫像の材料は。
――臓漿である。
一部『エイリアン建材』や粘壌と流壌なども混ぜられてはいるが、基本的に、今や俺の迷宮の最も基礎的な「動脈」と化したこのある意味万能な物質を丹念に削って磨いて固めた『彫像』どもであり――。
ダリドがその十指から、精密な魔力操作による魔法の"糸"を繰り出すや。
称号『異星窟の揺り籠』による【迷宮生まれ】系列の技能群によって高められたエイリアン達との同調・連携能力により、複数の『臓漿彫像』どもを、ぬるぬると動かして見せたのであった。
≪臓漿さん自身の自律性さんを活用してるんだね!≫
言うまでもなく、臓漿もまた生きた「エイリアン」的存在である。
ダリドはそれを彫像の中に練り込み、さらにその跳ね方や循環の仕方などをも計算に入れて――『止まり木』でいくらでも分析する時間があったろう――本家である【像刻】のアイゼンヘイレ家の如き完全自律の彫像兵は無理でも、抽象化された刺激による半自律的な「彫像」の制作に成功していたのだ。
無防備にはなるが、"操作"に専念すれば――この6~7体を同時に動かして、野生動物程度ならば、まるでリアルな盤上遊戯のように追い込んで捕獲することも可能であるとのこと。
「アイゼンヘイレ家の『彫像兵』の秘密は、もう正直、機会を見つけて捕らえるしか無いと思っています」
「"森"をあそこまで大きくしたグウィースちゃんでも空振りだったことを考えると……"苔"という言葉は、何かの比喩とかなのかもしれませんから!」
というのはダリドとキルメの言。
この世界の裏側に厳然として存在する世界法則のうち、職業システムを"悪用"することで、一族の仇である「13頭顱侯」の秘匿技術の正体を暴くために、新生リュグルソゥム家の嗣子達はそれぞれの職業を定めていた。
その中でも、現時点で最もその機序が謎に包まれていたのがアイゼンヘイレ家の『彫像兵』技術であったわけだが――少なくともその「アイディア」には、こうして迫ること自体はできていた。
――案外。
「それが答えなのかもしれないな?」
『彫刻操像士』の技能には【思念○○】というものも多くあり、そしてそれらを操作しつつ、さらには【偽装】したり【隠滅】したりするという構成であった。
換言すれば――【思念】を持つ"何者か"の存在を【掣肘】したり【束縛】することで成り立つ技術である、ということ。それがただの岩塊から創り出される彫像であるという"材質"面での謎もあるにはあるが……。
「御方様の技術に近い、ということでしょうか? 例えばその彫像どもの内部に、寄生虫のようなものがいるとか」
「多分ですけどそれが『苔』なんだとは思うんですよねー。まぁ、ずっと動かしやすくなったんで、これはこれで初見殺し性は高められてますから僕としてはひとまず満足」
「何ならもう少し大型化して、中に『オーマ様の眷属』を仕込んでもいいもんねー! ……最初はどうなることやらと思ったけれど、まぁ、使える技術にはなりそうじゃない?」
短命化させられ、もはや俺の迷宮と"共生"することでしか次代へ繋ぐことの困難な『疾時ノ咒笛』という呪詛を受けた新生リュグルソゥム家である。
だが、それでも自ら職業選択を他家の秘密を暴くための「試料」と化すというのは――次代の礎となるということ、つまり自らの代だけでは呪詛が解けない可能性が高いことを覚悟していることの顕れでもあろう。
「僕らは――オーマ様の元で生まれ変わったリュグルソゥム家だ。何も、自分達だけの力でやる必要は無い。そうだろ?」
「そうだね、にーさんとねーさんの言う通りだよ」
そしてそれは"次子"の双子たるアーリュスとティリーエもまた同じ。
……俺が今後【人世】で『長女国』と、そして『四兄弟国』全体と対峙していく中で、またこの世界のシステムについての解明も進めていく中で、呪詛についてもヒントを得ていくことができればと思うばかりでは、ある。
肝心の次代らは既にそのように割り切り、受け止めている様子が見受けられるものの――ルクはルクで複雑そうな表情をしており、ミシェールはこれまた、意図のわからぬ優しげな眼差しを娘達に送っていた。
まぁ、ダリドの件で"寄り道"をしたが、新生リュグルソゥムからの各種の「報告」は後である。俺の迷宮の庇護下に降って戦力を整え――この30日間、彼らはかつてのリュグルソゥム家の所領に、元侯都グルトリアス=レリアに潜入していたのである。
だが、まだ【闇世】に合流していない他のメンバー ――【人世】組にも招集を掛けており、迎えはユーリルである――もあるため、今は"別件"からの確認と共有を先としていた。
それはル・ベリの【弔辞の魔眼】と、リュグルソゥム家が【精神】魔法をベースに構築した尋問術『桃割り』を組み合わせたことによって引き出すことのできた、種々の"情報"の吟味である。
まず、ル・ベリの【弔いの魔眼】が技能と共に進化した【弔辞の魔眼】の効果は、次の通りとなっていた。
<弔辞の魔眼の効果>
1.効果の発動には「遺骸」が必要となる。
ただし、「遺骸」と「死因」との関連性が薄いと効果が弱まるという制限が緩和されている。
2.「遺骸」を媒介に、魔眼を見た者に対してその「苦痛」と「死に際の想い」を追体験させる。
これもまた【弔いの魔眼】においては"苦痛"に限定されていたものが緩和された形である。"記憶"そのものとまではいかないが、得られることのできる情報は格段に増えた。
3.「遺骸」は与えた"苦痛"の強度に比例して損耗する。
この点については【弔いの魔眼】とほとんど変わらない。無制限に"苦痛"を「死に際の想い」を対象に与え続けることが可能なわけではなく、ル・ベリ自身の「保有魔素(内なる魔素)」によっても、その威力と持続時間が決まる。
この際、ほとんどの場合は「遺骸」は消耗し、損耗し、ソルファイドの『火竜骨の双剣』のようなごくごく僅かな例外を除けば、一発で使い物にならなくなる。
4."苦痛"と「想起」の効果はその「遺骸」と「同種の生物」でなければ落ちる。
種族としてかけ離れていれば途端に効果は落ちる。例えば【闇世】の野生動物のそれは小醜鬼に対しては一切の効果を及ぼすことはない。
だが、逆に言えば――『人間』の遺骸は、小醜鬼にも十分に影響を与えることができ、そしてそこから様々な情報を引き出すことができるのである。
例えば、ウルシルラへの介入戦を通して、ナーレフの兵士やエスルテーリ家の兵士や『血と涙の団』の団員達などの全てが生き残ったわけではない。むしろこうした"送還組"は少数であり……多くの遺骸を俺は積極的に確保していたのは、このためであった。
ル・ベリの【弔辞の魔眼】によって引き出す、それぞれの兵士達の一人の「人間」としての今際の想いだけではない。
デェイールや、彼が呼び出したイセンネッシャ家の本家に仕える尖兵達の遺骸を解析することで――その"脳"の弄られ具合から『記憶』に関して、一定程度、引きずり出すという「技」を新生リュグルソゥム家は学習していたのである。
――『記憶』が宿っていると思しき"脳"の一定の部位を小醜鬼に植え付け、それを引きずり出すという外法じみた「技」によって。
それをエイリアン=パラサイト『共覚小蟲』を植え付けた小醜鬼を通して、ル・ベリの【魔眼】と同時に発動させることで、相当程度、個人としての人間関係から関所街等における立ち位置や役割などが情報の断片として獲得可能と相成る。
加えて、ハイドリィとレストルトを中心に行われた新生リュグルソゥム家の『桃割り』――まるで桃から種を取り出すように、グウィースがポラゴの実を握り潰してからその果汁を吸うように――によって容赦なく"情報"が搾り取られ、さらに、その結果できあがったいくつかの遺骸がさらに【弔辞の魔眼】と『記憶』の引きずり出しの道具となっていた。
そこから、関所街の施政に関する各種の情報や【紋章】家の動きと内情に関する情報を得ることができただけではなく、ハイドリィが陰に陽に関わっていた様々な勢力(例えば他家の"走狗"など)の動向に関する情報もまたもたらされていた。
――それは簡単に言えば『誰がどこと繋がっているか』という"人の繋がり"に関する情報である。
旧ワルセィレの【四季一繋ぎ】システムを悪用して【四季ノ司】達を使役可能な強力な魔獣と化する、という【奏獣】の力によって頭顱侯に一挙に登りつめんとしていたハイドリィは、その先を見据えて、各頭顱侯家との"渡り"をつけるために、むしろ積極的にこうした諸勢力の「先触れ」や「支部」や「物見」を勃興著しい関所街ナーレフに招き入れており、伝手にしようとしていたのである。
それらは『長女国』に対峙せんとするこの俺や、復讐のために動かんとする新生リュグルソゥム家にとっては貴重な「芋づる」であるとも言え――こうした"大物"達から引きずり出した"情報"を中核として、いわば抜け落ちたパズルのピースの「穴埋め」とする形で、ル・ベリの【魔眼】によって取り出された"遺骸"達の想いが活用されたのだ。
結果、出来上がったのは関所街ナーレフを基点とした巨大な『人物相関図』と『組織相関図』であった。
ただ今しがた、ルクが【リュグルソゥムの仄窓】によって呼び出したのは、こうして手に入れた情報を元に副脳蟲どもに作らせた代物。さながら十数人でプレイ可能な超大型のボードゲームを彷彿とさせるような、数百名単位の実線と破線と単方向・双方向の矢印が相互交互且つ複雑に入り乱れた、巨大な盤面なのである。
「うわぁ、こうして見ると、すんごくえっぐいよねぇ……」
斯様な『人物相関図』の中の、ちょうど【遺灰】のナーズ=ワイネン家を表す箇所。
ぼんやりと青い仄光に浮かんでいた「人物像」の輪郭に重なるようにして、まるでそこから"実体"が出てきたかのように彼が姿を表す。
漂う『灰』の気配と共に現れ、気だるげな癖にどこか楽しそうな声色を発したのは、ナーズ=ワイネン家の侯子【放蕩息子】サイドゥラ=ナーズ=ワイネンであった。
じゃらりと、その灰色の装束に一点ものの如くアクセントを与えている小洒落た装身具の数々が互いに打ち合う音色を鳴り響かせる。
「生きていたんだな? サイドゥラ青年。だが、思った以上にリュグルソゥム家と仲良くなったみたいだな」
「死に損ない続けてるだけさ、偉大なる迷宮の長たるオーマ閣下」
サイドゥラが身につけているのは装身具だけではない。
その両手首は臓漿製の特殊な『魔法封じ』の手枷によって戒められている。それだけではなく、脳髄に近い位置に共覚小蟲が、それも魔素や魔法の感知に特化させた超覚腫と連携・同調させた特別な監視用の個体を埋め込んでおり――敵対的な魔法の発動を感知した瞬間に抹殺できる措置が採られている。
……それでも彼の周囲の湧き出てくる『灰』は、この意味ではもはや厳密には魔法とは別物の超常であったが。
この30日の間に彼は既に虜囚の身ではなくなっていた。
ただ単にこうして俺の迷宮内を自由に行動することができるだけではない。
サイドゥラは、リュグルソゥム一家の旧侯都グルトリアス=レリア行きにも同行した――と、俺は報告を受けていたのである。
「それにしても、あの恐ろしい"尋問"の成果をこうして見させられると、色々と考えさせられるね」
「『長女国』の"走狗"同士の複雑な関係性について、かな? 確かに、一見して、世間で思われているのとは裏腹に――相当、走狗同士は裏で情報交換をして連帯しているようにも見えるな」
「や、それもそうなんだけどね、オーマ閣下。この情報を"図"として、こんな風に短時間で【光】魔法だかで構築してしまう情報処理能力に僕ぁ戦慄しているよ」
「……我らリュグルソゥム家にとっては別に普通のことでしたよ」
「だから、君達は危険だと恐れられたのかも? ――憶測はさておき、【遺灰】家にとって"情報"というのは隠すか、燃やして消してしまうのが普通だったからねぇ」
「後は……そうだなぁ、指向性の問題ってやつかもよ? サイドゥラさん。僕達には『止まり木』があったし、オーマ様には――『エイリアン=ネットワーク』があるからさ」
「まぁ、確かに本来は側近レベルで整理されている生の情報でも、組織の上の者に一望できるようになれば、そこでの伝達時の誤解の可能性は減らせるってことだろうけど……まぁ、そんな大層なことじゃなくて。この中に僕やハイドリィ君の幸運な元部下達から引きずり出された"情報"もあるんだなぁ、と思ったんだよ」
つまり「わかりやすい見せ方」って大事だよね、というのがサイドゥラの言。
この『灰被り』な青年が呟いた通り、"送還組"を含めた「生還者」達はリュグルソゥム家による『桃割り』だけで開放されており――その意味では"遺骸"と化して『記憶』やら想いやらを搾り取り尽くされたわけでは、ない。
だが、それらもまた断片という意味では十分にこの『相関図』の中の破線の1本となっており、仄光で表現されたる"人との繋がり"という巨大な蜘蛛の巣は、少なくとも、関所街ナーレフをその裏側まで掬い取るには既に十分すぎるほどの強度となっていたのである。
畢竟、ナーレフのある兵士が誰にどんな借金を負っているのであるだとか、とある組織に所属していながらその実はダブルスパイ寸前的に他のまた別の組織と情報を交換しているか……といったことまで、俺は情報として掌握することに成功。
"送還組"と共に送り込んだ大量の寄生小蟲達をばら撒くに当たっても、この巨大な『相関図』を基にしており――今この瞬間も、母胎蟲"3女神"を通して【人世】から送られてくる情報により、図の詳細が更新されつつある。
無論、『長女国』の頭顱侯達も、"謀略の獣"という異称の通りに日々呼吸のように敵対派閥と暗闘をし、陰謀を巡らせ、また足元からの裏切りを防止するために傘下の魔導貴族や走狗達に対する粛清や内偵活動をそれぞれの流儀で行ってきたのだろう。
だが、この手の【情報戦】には、偽情報による撹乱なども付き物である。
こうした撹乱を凌駕するためには、複数の情報を突き合わせて共通点や矛盾点そのものの定性的な側面からさえも背景を読み取るという分析眼が必要となるが――その大前提となるのが、そもそもの組織としての一体性である。
「――どれだけ優秀な諜報集団抱えてても、一族内で互いに争っていたら、意味無いからねぇ」
死体や、何となれば生きている人間からさえも情報を引きずり出すことができるだけではない。【情報閲覧】という世界法則に裏打ちされた実力をも行使するこの俺の諜報能力は、既に『長女国』の最上位為政層に属するはずの青年をして驚嘆せしめんものであった。
それは、【遺灰】家がその本質――かつて粛清されたはずのルルグムラ家が姿と経歴を偽って永らえた存在――からして、サイドゥラの述べる通り、情報をむしろ隠滅する側であるという志向を備えるという点を差っ引いても、特異と呼べるほどのものであったろう。
だが、だとすれば、俺と同じことは他の迷宮領主達にもできる、と考えなければなるまい。
「ますます500年前はどうやって迷宮領主達を退けたのか気になるところ……いや、それ以上に、」
「その時のノウハウがどうして"失伝"してしまっているのか、ですね? ち……当主様」
ミシェールの代わりにキルメが繋いだ言葉に、ルクが眉間に皺を寄せ首肯く。
"新参"であったから、ということで【皆哲】のリュグルソゥム家が知らされていなかった、というならばともかく。
【遺灰】家という、元ルルグムラ家という意味では確実に200年前の【大粛清】以前から続いていたはずの――下手をするとサウラディ家の次に"古い"一族であるサイドゥラも、俺が『魔人』であることは理解しつつ、例えば【情報閲覧】への隠された対抗技術であるだとかは、特に知らない様子なのであった。
もっとも、これに関しては元ルルグムラ家であることを、つまり一族の情報をまるで葬るかのように隠し通し続けてきたナーズ=ワイネン家の独特な閉鎖性の影響もあることかもしれないが。
その意味での鍵は、やはり【大粛清】の事件にあろう。
――イノリと呼ばれた存在が活動していた期間に起きた蓋然性が非常に高い事件である。
対『長女国』においては個々の頭顱侯家の秘匿技術を解き明かして対策を練っていくことも重要である。だが、俺自身の目的にも通じることとしては、まさにこの「200年前の事件」について調べていくこともまた――隠されていた『全体像』を把握していく上で重要だと思われた。
……リュグルソゥム家の誕生然り。
……『画狂』の活動とそれを引き金とした【大粛清】然り。
……『次兄国』において、"海との結婚"という風習が終焉した原因であるとされているらしい【人魚】達との大きな戦や、フォンピオーという都市の「消滅」事件然り。
一見、それぞれは単に別々の出来事であるかもしれない。
だが、逆に、まさに今円卓の上で【リュグルソゥムの仄窓】によって描き出されている『人物』や『組織』達のように、これらの出来事は全て繋がっているのではないか。そしてこの出来事の同士の間での、1つの大きな『相関図』が描かれるのではないか――と、俺は強く疑っていたのだ。
そしてそうであるならば、それは、確実に『長女国』の秘密にも関わっている。それがリュグルソゥム一家の意見でもあった。
なお、その視点で例のグストルフという青年――【転霊童子】という存在について、変形した【死霊術】を扱う存在であるサイドゥラにも聞いているが、芳しい情報は得られなかったことを付言しておく。
それでも、俺から【転霊童子】という"単語"を聞いて、サイドゥラはどこか酷く納得したような様子を見せていたが。
どうにも、このリリエ=トール家の侯子にして"若造"であったはずの青年は、その出自や来歴から想像される分を遥かに越えた「知りすぎている」レベルの知識量を有しており――誰にも話したことの無いはずのサイドゥラの"事情"さえ知っていた――特異な存在であった。
しかし、少なくとも【遺灰】家の「元【九相】家」としての知識をもってしても、己の人格と記憶を保ったまま新しい肉体に宿るという技術は聞いたことが無いものであるという。
……そうであるならば、最低でも彼の【転霊童子】は下手をすれば『長女国』よりも古い存在である可能性すらあった。
あまりに、リュグルソゥム家の得意技である『詰み手』にすら精通していたことを訝ったルクとミシェールが二人だけで「精査」したところ――【転霊童子】は、かつてリュグルソゥム家にさえも生まれたことがある可能性が生じた、という報告すら俺は受け取っていたのである。
あまりにも"謎"が多い「指し手」である。
だが、逆説的に、それほどまでに長く暗躍してきたというのであれば――200年前に起きた出来事が広範であればあるほど、【転霊童子】もまたそれに関わっている可能性が高い、と言えるかもしれない。
「まぁ、僕だって【死霊術】の全てを知っているわけじゃないんだけどね……あれの本家本元は【生命の紅き皇国】の【遺念術】だからさ」
「【アスラヒム皇国】の"死霊術伯"が率いる軍勢は、対西方【懲罰戦争】での最悪の大敵の一人ですからね」
それだけではない。
どこまで関係があるか現時点では不明であったが、俺が知る限り、他にも「死霊」を冠する者がいた。
「『励界派』のジャクシャソンだな? 主殿。あれも、確かに【死霊使い】だったな」
現時点では、単なる"特殊能力"の収斂だか偶然の一致だかはわからない。
だが、相手が【霊】すなわち【魂】という領域に片足どころか全身浸かっているような存在であるとすれば――【死霊術】がそのものズバリではなかったとしても、近縁の超常であり、その正体を探る上でのヒントになると期待することはできるだろう。
もっとも、話を【闇世】の迷宮領主達の世界観との符合にまで広げてしまえば、例えば他にも【像刻】のアイゼンヘイレ家と【傀儡使い】レェパ=マーラックの関係性だって疑い出すことができるだろうが……現時点では、頭の片隅に入れておいても損そのものは無いであろう。
何より、次の目的地の一つである、実質的な【皇国】の勢力下である欲望の商都『シャンドル=グーム』は【放蕩】者であるサイドゥラ青年の"隠れ家"でもある、ということがわかっていた。
彼が今後も協力的であるという前提だが「案内役」とする線もある。その意味でも、復讐者としてのリュグルソゥム家の目から見て信頼できるのかどうかを見極めさせているところである。
――だが、もう少しだけ話をル・ベリの【弔辞の魔眼】に戻そう。
そのためにソルファイドを呼んだのだから。
「準備は、いいな? ソルファイド」
既にソルファイドはル・ベリの【弔辞の魔眼】により、『火竜骨の双剣』を通して、再び、彼の祖先であった『火竜レレイフ』と『炎竜ガズァハ』の"死の間際の想い"を辿っている。そこでも、十全以上の情報を得ることができていたが――古の【竜の時代】を知るための"遺骸"を、俺達は、もう一つ手に入れていた。
ことり、と俺は金属瓶を取り出して円卓の上に乗せる。
ソルファイドが眼帯越しに、そのあらゆる集中力を金属瓶に向けており――【竜火】の気配すら微かに沸き起こり、『火竜骨の双剣』がかたかたと震えていることがその場にいる皆に伝わっている。
それだけ、ソルファイドが金属瓶の"中身"に対して、強く強く警戒しているのである。
ル・ベリは既に用意ができているようであり、【魔眼】を発動する準備を終えて、俺とソルファイドの合図を待っているところ。
渦巻く火気が、まるでその余勢が形取ったかのように。
【伴火】としてソルファイドの内に宿る"火馬"クレオンが、その輪郭をうっすら出現させた辺りで、ソルファイドが意を決して頷くや、俺もまたル・ベリに目線で合図を送る。
果たしてル・ベリが、ソルファイドに「新しい記憶」を得させるために手に取った、その金属瓶の中にあるもの。
――それは、マクハードという男が、かつて【冬嵐】家の工作員ハンダルスの甘言に乗せられ与えられた代物。
ハイドリィの【奏獣】という野心の成果を奪い取るための"切り札"であり、ソルファイドが数日かけてようやっと浄火してその体内から抽出したばかりの――【氷原に凱く】が如き竜主『ヴルックゥトラ』の"血"であり、【冬嵐】家の秘技術の秘密たる呪物の燃え殻であった。





