0226 母なる船は銀雲の内に駆らるか(1)
『最果ての島』は狭い。
必ずしも【領域】だけが爵位権限を上昇させる要素ではないとわかってはいるが――八丈島ほどの大きさの一帯を押さえてなお、俺はやっと【樹木使い】リッケルに並んで『副伯』に至ったに過ぎない。
その上で養うことのできる眷属達が、グウィースという実質リッケルの生まれ変わりのような補完者込みの迷宮経済を構築してなお、戦闘型に限れば1,200~1,300体というのが現時点での戦力である。
だが、これは飛行型に海中型、触肢茸の小系統も加えた数であり、一度にその全てを投入できるというものではない。
今後、『次元結晶茸』や『大氷室』が稼働してここからまだまだ強化されていく余地は大いにあるとはいえ、単純な個体数だけで純粋な戦力や【相性戦】の比較はできない以上、より高位の爵位を持つ迷宮領主達はさらに桁が1つか下手をすれば2つ多い眷属の軍勢を擁しているだろう。
――もしくは、そうした「量」を効率よく殲滅することのできる"迷宮法則"を有しているか。
だからこそ、俺は俺の目的に近づいていくために活用し続けなければならない、今与えられている【エイリアン使い】という力を拡大・拡張させることを止めることだけは、するわけにはいかなかった。
他者の思惑に隷属されぬよう、抗うための勢力をこの手に持つためにおいて。
この意味で、古き存在である多頭竜蛇『ブァランフォティマ』を討ち取るための力を蓄えることは、必ずしも『最果ての島』に引きこもったままでいる、ということを意味しない。
【闇世】を統べる"界巫"の使いである【鉄使い】フェネスにせよ。
その"界巫"の首を掻かんとする実力と権勢を備えた"大公"の娘である【宿主使い】ロズロッシィにせよ。
強大なる最上級爵位の迷宮領主達の間で「団結」して独自の理想と野心を掲げる"中小爵の連合"勢力を率いる者の一人である【人体使い】テルミト伯にせよ。
今のところ彼らの思惑が、多くの『ルフェアの血裔』の民が極限の環境の中で暮らし、また迷宮領主達が鎬を削る「大陸」へ俺を呼び込むことであるという点では一致しており、その試金石が多頭竜蛇の討伐であるならば――俺が誰の駒としても扱われないことを示すには、彼らの予想を越え続けるしかないのである。
その故の『母船』計画であった。
ただ単に、多頭竜蛇『ブァランフォティマ』を討伐するためだけではない。
その先まで見据えた戦略を、せめて、行動の自由と選択肢を広く確保できる体制を作ろうとした場合の帰結がこれであった。
「『次兄国』の"要塞船団都市"のようなものですか」
リュグルソゥム家の【人世】知識に曰く。
海運と交易の諸都市連合国家である『次兄国』には「土地を持たぬ都市」たる半自立的な国家内勢力が複数存在しているという。
どこまでが魔導の力によるもので、またどこまでが古代帝国【黄昏の帝国】から発掘された技術に由来するかは不明とされているが、何十何百もの大小の舟と船と艘が一つに集合して形成する動く"海上都市"だというのである。
「逆に言えば、それほどまでに密集しなければ"海魔"からは身を守れない、ということでもあるようですが……」
「イメージはそれに近いかもしれない。ルク当主やユーリル君は信じてくれないかもしれないが――まだ走狗蟲や労役蟲を全身から魔力をひねり出してやっと何体か生み出すのが精一杯だった貧弱な頃のこの俺には不可能だったが、今、ここまで俺の想像を遥かに越えて進化分岐してくれた【エイリアン使い】の力ならば、できるし、やるべきだ」
そのための最も重要なピースと見込んでいた2つの要素が、揃ったからであった。
あえて『母船』などと名付けようとするほどの"規模"に込めた俺の思いは、伊達ではない。
俺はただ単に、エイリアンを数体だか数十体だかを空に飛ばして遠方へ送り込むような「小船」なんぞを作り出そうとしているのではない。
「イータ殿やウプシロン殿らが率いる『飛行班』も編成されております。鶴翼茸や揚翼茸らも既に御方様の手元にはおりますからな」
「どうせ補給に戻ってくるならば、その大小はあまり関係が無いというところか。確かに細かく交代させるには、海上には障害が無さ過ぎる。そして『大陸』までの距離もありすぎる上に、主殿と俺達の主敵は多頭竜蛇だからな」
迷宮領主は"裂け目"を護るために生み出された存在である。
そんな"裂け目"から、あまり長期間遠く離れることができないような制約がシステム的に構築されており、それが個々の迷宮領主の戦略にも影響を与えていることは想像に難くない。
この意味では俺は例え多頭竜蛇『ブァランフォティマ』を討伐することができたとしても、『最果ての島』という遠方の本拠地を――【深海使い】や【気象使い】のような存在が当然のようにいる【闇世】において――抱えたまま、『大陸』における迷宮領主達の遊戯に加わらざるを得ない。
それは有利ともなるだろうが、不利ともなる。
だが何よりも――【人世】においても同じ条件により、この俺自身が遠出できない、ということが最大の問題であった。
それは俺の「人探し」という目的に対する、大きな大きな障害だった。
しかし同時にその目的を押し通すための戦力の維持と拡張を並立するために、俺は第一方策も第二方策も採らず『"裂け目"の移動』という第三方策を主軸としたわけである。
ただ、この方策であっても迷宮領主自身の通常の権能では遅々として進まないように「設計」されており、しかも莫大な魔素と命素を代償とするのが『"裂け目"そのもの移動』である。
――その意味では、まだまだ【人世】で『長女国』を始めとした諸勢力からその超常の力の根源を探り、取り込みながら解消策を構築していくという意味で時間がかかると思っていたのだが。
「それが『画狂』イセンネッシャの技、というわけですか! それがオーマ様のおっしゃっていた『使うアテ』てやつですね」
「あー、うん大体わかりました。高速で移動して場所を変える『大氾濫』の入り口ってだけでも大災厄だって言うのに、しかもそれが迷宮ごと……うわぁ」
リュグルソゥム家の"長子"のうち、女子の方であるキルメが栗色の巻き毛を揺らしながら声を上げる。その言を引き継ぐように――このような喋り方はリュグルソゥム家の兄妹の世代を越えた特徴であるようだ――目の細さを除けばルクによく似た"長子"のうち、男子の方であるダリドがもう一度「うわぁ」と言葉を途切れさせた。
何のことはない。
俺の探しものを殺した(とされている)"力"が、まるでそれが、この俺がこの世界に迷い込む以前からの宿命であったかのように――解決策を与えてくれたのである。
俺は『"裂け目"そのものを移動』させる上で、他の迷宮領主と異なり――独自の"裏技"を持っている者が他にいてもおかしくはないが、少なくともそのような情報は【闇世】Wikiには載らないだろう――現実的な資源消費のみで、通常手段と比べれば月とスッポンはおろか砂粒を比べる程度には「高速化」させることができるようになったのであった。
「移動する――迷宮!!」
「空を飛ぶ――巨大船ですとな!?」
≪きゅほほほ! これからは造物主様をキャぷるテンと呼ぶのだきゅぴぃ!≫
「オ ー マ た ま きゃ ぷる て ん !!」
何の琴線に触れたのかわからないが、いつの間にか波嵐鮫シータに『騎乗』していたグウィースがその蔓や枝などで形成された両腕をわぁぁと広げながらすいすいと飛行。
何故か【雨の友】と【風の友】の技能がシータが呼び出すちょっとした浮遊のためのプチ嵐にゼイモントとメルドットと姫重機ウーヌスを巻き込むとかいう無駄に豪勢なシナジーを見せつつ、彼らをそのまま複座式戦闘機の後部座席に乗せるかのように『同乗』させるようにして拉致し、『搬入区画』内に軽い風雨を巻き起こしながらどこかへと出航……いや、出荷されていく――迷宮内を水浸しにしながら――様子を見なかったことにしつつ。
天井の暗がりに避難していたが容赦なくずぶ濡れになった吸血種ユーリル少年や、無言で余計な水分を焼き飛ばした竜人ソルファイドがまだピンとしていない表情をしていたため、俺は実演によって説明するために【領域転移】を諳んずる。
辿り着いたる"異界の裂け目"の【闇世】側出口では、この検証のため、周囲を十数メートルほど削った「空間」となっている。
その中央に、地上からも浮いて、まるで空間に固定されたように漂いたゆたいたるは、銀色の切れ目のような水面である。この最も根源的であろう原初そのもの――魔法学的な意味で言うならばきっと【闇】でも【光】でも【空間】でも、そして【重力】でもない、しかし同時にであるとも言えるだろう存在――が放つ淡い靄のような仄光の煌めきに向け、俺はレクティカから立ち上がる。
レクティカは自然に、立ち上がる俺の足を支え上げる。足元からぐぐぐと、この『エイリアン神輿』を構成する触肢茸達がまるではしご車のように押し上げてくる力を感じながら、俺は目線を"銀色の水面"と合わせた。
そして骨刃茸の刃で軽く切った指から"血"を――迷宮領主たるこの俺「本人」を構成する主要素を――垂らしたまま、"裂け目"に突き込むように掌で触れる。
瞬間に【領域転移】を発動。
と同時に【騙し絵】式を発動――ただし『画狂』ではなくこの俺の"絵の具"によって。
すると、まるで放られた円盤が空中でするりと滑るが如く。
氷上で石盤がつーと転がるが如く。
微量の"絵の具"と、【騙し絵】式を発動した際の魔素消費数十回分に相当する消耗のみによって―― 一方向からはレンズを縮小させたかのように、"裂け目"を織りなす銀面銀靄が、俺から数秒もせぬうちに検証部屋の反対側の岩壁まで流れていったのであった。
なお、そのまま出来の悪い3Dゲームの"壁抜け"バグのように、そのまま岩壁の奥にまで一切の抵抗無くめり込んで消えてしまったものだから、苦笑しながら俺は逆向きの【騙し絵】式を発動して、また"裂け目"を「元の位置」にまで戻したが。
これらは全て、俺が自分自身の血液を"絵の具"という名の触媒として【騙し絵】式【空間】魔法を引き起こし――その「座標情報」が【領域転移】の機序と入り混じり、"裂け目"の【闇世】側出口のあるべき位置に接ぎ木された結果、引き起こされた現象である。
「本来なら主殿が【転移】しようとした地点に、"裂け目"を飛ばした、ということか」
「だけど、オーマさん。それだと『画狂』の"血肉"を使った場合とどう違うんだ?」
「忘れたか? ユーリル。【騙し絵】式の場合は、俺達は既に連中がここだと決めた後の場所にしか、飛ばせなかっただろ」
「そしてその"場所"のリストを強引に増やすために、小醜鬼達に直接目で見て記憶させる必要があったわけで……そこそこ苦労しましたしね」
「だが、このやり方ならば座標はこの俺自身の意思で決まる。俺が【転移】したい場所に"裂け目"を飛ばすことができる。連続的にな」
ただ【騙し絵】式によって座標情報を上書きするだけであれば、距離による消費の多寡はあれど、どれも「一時的」なものでしかない。
だが、俺は既に何度か"球形魔法陣"を活用する中で、「一時的」な"裂け目"の位置を「永続的」な位置とする方法に気づいていた。
【騙し絵】家の姉弟が率いる部隊を【闇世】へ拉致した際に。
あるいは聖なる泉ウルシルラの上空に数十体単位のエイリアン達を同時に出現させた際に。
"裂け目"の中で【騙し絵】式を発動する(例えば『人皮魔法陣』をほどくなど)際に「変形」させると、通常の爵位権限ではまず不可能なほどにまで、銀の水面そのものを膨張させることができた。
無論、これだけでは単なる「変形」で終わる。「変形」し通常の十数倍にもその体積を広げて巨大化した"裂け目"の銀光は――元の大きさにまで縮小していくだろう。元々の「座標」に向かって。
では、その戻る際の「座標」の位置を変更することができれば、どうであろうか。
それも連続的に。
具体的に述べよう。
通常時は半径50センチ程度も無い"裂け目"を、半径1メートルにまで膨張させる。
そしてその間に「中心」の座標を、この伸びた半径1メートルのギリギリ内側に入るように、大体98センチほどの場所に"接ぎ木"したならば――その新たな「中心」に向けて"裂け目"は収縮する。
結果的に、元の位置から98センチ、"裂け目"は移動しているのであった。
「つまり、"裂け目"の銀色の範囲内だったら自由に動かすことができる……ってことか」
ユーリルの言葉に補足するならば、"裂け目"の範囲内であれば「中心点」の座標を接ぎ木することは、世界法則によって"一時的"とは解されていないことがわかったのである。
いくつかの検証を重ねた結果、より詳細な"裂け目"そのもの移動のルールは、次の通りであった。
<"裂け目"移動のルール("接ぎ木"方式版)>
1."裂け目"はある程度まで自在に変形可能だが「中心座標」がある。
銀色部分は「中心座標」から一定範囲内にそれぞれの座標を持つ。
※現在の俺の爵位権限では半径1メートルが限界
2.迷宮領主の爵位権限による「"裂け目"移動」とは、
(1)「中心座標」を変更すること → 莫大な消費がかかる
(2)「銀色部分」を範囲内で変更する → ほぼ消費が無い
※これが事実上の「"裂け目"の変形」効果
3.「中心座標」を変更せずに「銀色部分」を範囲外へ変形することはできない
4."接ぎ木"は「中心座標」を【騙し絵】式の中の「座標」に移動させるが、
(1)この座標が「銀色部分」の範囲外 → 終了後、元の「中心座標」に戻る
(2)この座標が「銀色部分」の範囲内 → そこが新たな「中心座標」となる
≪きゅぴぃ。つまり造物主様の【領域転移】さんを昆虫さんさせて【転移事故】さんを意図的に引き起こして、"裂け目"さんをぐにょーんどばばぷるるーんきゅさせるってことなのだきゅぴぃ≫
≪じ、事故とは言うけれど……造物主様同士だからね……ぶつからないように拡がる【領域転移】さんの、元々の機能さんを借りてるって……ことかな?≫
思い出されたい。
【領域転移】はある意味では、【闇の神】によって与えられた迷宮領主に対する「安全装置」であったということを。
それはタイムラグ無しの転移によって「石の中にいる」という悲劇を回避するために、あらかじめ、転移先に"銀の靄"が現れて、転移者がそこに転移することのできる十分な空間があるかどうかを空間を走査してから――その後で実際の【転移】を引き起こす作用だったのだ。
それを【騙し絵】式による強引な【転移】効果と共に"裂け目"の内側に重ねるように叩き込むことで、"裂け目"がまるで暴発したように膨張。迷宮領主の爵位権限で制約された半径以上に「変形」させることができ、それを利用したのが3度に渡って活用した"球形魔法陣"だったわけである。
もっとも、その時の規模で"裂け目"を、つまり十数メートル単位で「銀色部分」を拡大させる必要は無い。
「我が君は【領域転移】の御力により、【領域】の中であれば御身をどこへでも【転移】させることができますね」
「100メートル飛ぶために、無理して"裂け目"を半径15メートルに爆発させて6回"接ぎ木"しなくても、別に、今の爵位権限でできる半径1メートルを100回繰り返すだけで良いわけですから……うん、あの『皮』ども、もう全部要らないんじゃないですか?」
「と、とーさん、じゃなくて当主様。流石にあれらも色々と有用ですよ、まだまだ」
迷宮領主として【領域定義】を行うことができるこの俺が、自ら"絵の具"を供給する限りにおいて、接ぎ木はどれだけ細切れな座標であろうが、それが【領域】内であれば全て連続してほとんどタイムラグ無しに使用することができる。
"銀の水面"の拡大と「中心座標」の変更と縮小を1工程とすると、俺がやるのは血を垂らした指を突っ込みながら【騙し絵】式と【領域転移】を同時に発動し続けるだけであり――1秒の間に5回程度は可能。
つまり、現在の"素"の状態("銀色部分"の半径が約1メートル)であっても秒速約5メートルすなわち時速18キロ。自転車で全力疾走する程度の速度で、シームレスに"裂け目"を押し流していくことができるようになったのであった。
当然、通常手段であれば最も魔素と命素を食う原因だった「中心座標の移動」を接ぎ木によってすっ飛ばしているのであるから、その分の消費を完全に回避することができている。
これで――少なくとも『船』と自称して良い最低限度の"速度"と経済性は、得られたと言っても過言ではないだろう。
【勁絡辮】によって第四方策(リッケル式)の検討が前進していたが、これによって、第三方策が一挙に実現に向けて重要なピースを獲得、大幅に構想が進んだと言える。
「"裂け目"の近くにいなきゃならないのが迷宮領主なら、話は簡単だ。迷宮領主も、そして迷宮自体も、"裂け目"と一緒に移動すればいい。簡単な理屈だろう?」
故の『母船』化計画であった。
『母船』とは【報いを揺藍する異星窟】という名を冠するこの俺の迷宮そのものなのである。
あらゆる【領域】ごと。
あらゆる『施設』たる区画ごと。
あらゆる眷属ごと。
浮かせて、飛ばして、"裂け目"と共に全ての戦力を移動させるのである。
そのための重要な第2のピースである――【重力】属性についても、獲得できていたのだから。
迷宮領主として可能な限り離れないようにしなければならない、ということもそうであるが、"裂け目"と『母船』を分離すればどちらも守るために戦力を分散させるしかなくなるであろう。
ならば、どうせ「移動」の必要があるのであれば、一切合切をキャンピングカーに詰めて寝泊まりでもするかのように持っていってしまえば良いだけのこと。
――まぁ、流石にキャンピングカーなんぞは持っていなかったが、一時期、かつて「マ」の字の男として俺は、そんな風に逃げ隠れるように全国を巡っていた。その時の日々と今の日々とでは、きっと、本質的なところで大して変わってはいないかもしれない。
――でも、きっとキャンピングカーなんてあったらさ。
――せんせ、すごく楽しかったんじゃないかな?
「そしてその"要塞"を、ゆくゆくは【人世】にも……ということだな。なんとも壮大だな、主殿」
どこか呆れ気味に嘆息するソルファイドの言を聞いたリュグルソゥム一家が『止まり木』に入ったことがわかる。彼らなりの"実現性"や活用法について意見を戦わせているのだろうが――誰かが何かを言い出す前に、懸念を一つ表明してきたのはル・ベリであった。
「違いありませんな。ですが、御方様、愚考をお許しください。"裂け目"の位置が変わると【領域】が全て外れてしまう……という問題がありはしませんでしたか?」
「そこだ、そこが大事なところなんだ、ル・ベリ――気づかなかったか? 【領域】リセットされたんだとしたら、あのうるさい副脳蟲どもが残業だブラック迷宮だなんだと大騒ぎしているはずなのに、連中はギャフンとも言っていないじゃないか」
≪きゅぴぃ?≫×6
……。
俺の忠実なる従徒が思い出させてきたのは、"裂け目"そのもの移動の際の重要なルールである。
そもそも"異界の裂け目"とは【人世】から魔素と命素を、世界を超えて吸入する存在だ。故に、両界における"裂け目"の相互の位置関係が変わってしまうことは、"裂け目"を中心とした空間や土地のまさに「座標」ごとの魔素や命素の量や質が変化してしまうことと同義である。
そして迷宮核は、これらを【闇世】版の「魔素」と「命素」に変換する役割を持っており、【領域定義】を行うことで具体的に迷宮経済の収入となる【領域】からの基礎的な魔素・命素収入が定まる。
だが、"裂け目"移動はその大元を変動させてしまうため、定義された【領域】もまた強制的に解除されてしまうのである――通常であれば。
俺は検証と実演を兼ねた説明のために、"裂け目"を反対側の壁の向こう側まで10メートルほど飛ばしたが、数秒もかけることなくすぐに戻している。
――寸分違わぬ元の座標に。
「なるほど、元の位置にすぐに戻れば【領域】が解除されることはない、ということですな。小川を上流で少々せき止めたとしても、すぐに開放すれば、川の形が変わるほどの蛇行はしない……数秒程度であれば問題ない猶予はある、と」
「あれ、でもオーマさんさ。それだと『連続で移動させ続ける』っていう目的とは合わなくならないんじゃないのか? 『母船』作るのは、"裂け目"も含めて全戦力を一気に移動させるためだったんじゃないのか?」
「良いところに気づいたな、ユーリル。だから……言っただろ? 寸分違わずであれば良いって」
首をひねる吸血種の少年に、まだまだ【エイリアン使い】の"力"の本質を理解できていないなぁ、と俺はなんとなく苦笑しながら――口の端を歪めて笑みかけ、次のヒントを与えてやる。
「向こうの壁の、ちょっと欠けた"岩"があるだろ? 距離は12メートル38センチと9ミリだが、あの"岩"からは毎時魔素30産出されている……としようか。そんで、当然、こいつは【領域】内にある――いいか? 寸分違わなければ、いいんだよ」
ユーリルが首をひねるのを横目で観察しているダリドとキルメが瞠目する。
……"答え"に、ではないだろう。俺が構想するその「先」まで思い至ったに相違あるまいが、まずは、ユーリルの疑問からだ。
「"裂け目"を5メートル、俺から見て真正面に飛ばす。と同時にあの"岩"も、同じ角度と同じ向きで、"裂け目"からは12メートル38センチと9ミリを保って、同じ方向に5メートル真正面に動かしたら……どうなると思う?」
そこまで言えば、ユーリルには俺が言いたいことが伝わったようであった。
「ええっと、相対的な距離って奴で決まるのか? え、それってつまり――」
首肯しながら、俺は『樹冠大農園』の風光明媚さを思い出していた。
グウィースがヌシとして地上部森林の生態的多様性を深めたことによって、魔素と命素の【領域】からの収量が明白に増大していた。そしてそのことからも示唆されているのは――俺が考え理解していたよりももう少しだけ、魔素と命素が【人世】と【闇世】の間で変換される過程が複雑であったということである。
少なくとも、これらが迷宮核によって変換される際には――「地形」や「環境」のような様々なパラメータ群が参照されている可能性がほぼ確実。
そして、このパラメータ群には"裂け目"との相対的な距離が含まれていることもまた確認できていた。
故に、ユーリルが"第一段階"の答えに辿り着く。
「"裂け目"と完全に同じ向きと速さと角度でオーマさんの【領域】も、この島も動かせば……ほとんどノーリスクで移動させられる、ってことになるじゃないか!?」
例えば俺が新たに"裂け目"を中心とした半径10km四方の球状の【領域】を定義したとしよう。
その土中の半球部分に含まれるあらゆる岩盤やあらゆる堆積物やあらゆる「環境」さえをも、丸ごと、寸分の狂いも誤差も違いさえも極小化させた状態で「固定」でもさせたならば。
さながら、熱帯魚の水槽を一切水面を揺らさず内部のオブジェを一切ずれさせずに運ぶかのように――"裂け目"と完全に同期したように移動させることができれば、極論、【領域】はリセットされないのである。
まぁ、厳密には多少のずれや欠け程度では迷宮核に【領域】リセットまで判断されることは無いようであったが。12メートル先の"岩"は説明のための引き合いであり、実際にはこうしたパラメータ群を含む「空間」と【領域】の関係はもう少し複雑なものであるということがわかっていた。
「『最果ての島』ごと浮かべて飛ばす、か。当然、それはやらない」
俺の否定の言葉に「は? なんだよそりゃあ」とズッコケたユーリルに対し、両隣を挟んだダリドとキルメが「まぁやろうと思えばやれると思うんだけどさー」「消耗する労力に対してただの土や岩や木じゃ防衛力弱すぎだし?」などと耳打ちしているという微笑ましいやり取りを見やりつつ。
ル・ベリが苦虫顔で咳払いして続きを聞くよう促す。
「一体全体、誰が決めたんだ?」
意思を持たぬ木石によって構築された『枯山水』なんぞを、わざわざ【領域】の構成物として、崩さずに空輸して引っ越すかのような無理難題を取る必要は、無いのである。
例えば、意思を持つ存在によって構築された【領域】であれば――少なくとも自らの判断と能力によって、定められた「座標」を保とうとする。そうであろう?
――この俺のエイリアン神輿『レクティカ』のように。
「【領域定義】できる対象がただの土くれや岩盤だけだなんて決まっちゃいない」
「じゃないとグウィースちゃんのあれ、説明できないですしねー」
【樹木使い】リッケルとの【領域戦】で、そのあたりの"いろは"は一通り、実践の中で叩き込まれたつもりである。
眷属や己の迷宮法則によって「制圧」した地点もまた「一時領域」と呼ばれる状態になるが――そうであるというならば。
「臓漿嚢100基でこの洞窟を一杯に満たしたでかいでかいクソでかい臓漿の特大の"溜まり"だって【領域】にできるだろ。5,000体の触肢茸を編んで作った特大の高層ビルみたいな"昇降機"だって立派な地形みたいなものとして【領域】に、できるだろ」
そう言いながら、俺はきっととても心から無邪気で愉快そうな笑みを浮かべていたに違いない。
予想通り、と言った表情でダリドとキルメが隅の方にいた"次子"の双子――アーリュスとティリーエに、ほれ言った通りだろうと目で話しかけていたが、別に俺は何もおかしなことを言っているつもりはない。
「『母船』を全部"俺の眷属"で作り上げたって、何も問題は無い。そうだろう?」
むしろその方が、いろいろと好都合であるとすら言える。
例えば――。
次元歪曲茸なんかを組み込むことができれば、その【空間】属性の【歪曲】操作能力によって、この『母船』兼【領域】となるエイリアン構造物とでも呼ぶべきもの各部位の"裂け目"との相対的な距離を、限りなく正確な「座標」を保ったまま、がっちりと「固定」することができるようになる――という期待だって持てるのだ。
それこそが、この『母船』計画の"心臓"部分の核心部分であった。





