0225 その血肉を以て描くは母なる自在
1/30 …… 【空間】魔法の描写に関して小加筆
【騙し絵】家の"正嫡"として次の当主となるべき器であったデェイールは、リュグルソゥム家こそが迷宮の奥に潜んだ黒幕であると見誤った結果、万全の【騙し絵】家殺しで備えていたこの俺の【報いを揺藍する異星窟】に侵入し、そして死んだ。
なるほど、【空間】魔法を臓器移植手術にまで利用する術を研鑽した一族として、その外科技術の応用性は俺の予想を越え――"脳"の記憶を司る領域を的確に破壊することにまで及んでおり、その意味では情報を引き出すことはできなかった。
それはル・ベリの【魔眼】――遺骸からその死の間際の記憶を引き出す【弔辞の魔眼】――の力をもってしても、である。
デェイールから情報を引き出せなかった結果を受けて、小醜鬼で再現実験したところ……その「死の以前」に"脳"の海馬とそれに関連する大脳皮質の一定部分を破壊されてから脳死した生物の場合には、まるで擦り切れたビデオテープのように情報がぼろぼろに劣化してしまい、まとまった意味を成さない"ノイズ"のような状態になってしまうことが判明したのであった。
"記憶野"とでも呼ぶべきこの箇所を、脳の他の部分を傷つけずにまず破壊しなければならない、という意味では、それこそ【騙し絵】家クラスの技術力を持つ相手でなければ警戒する必要はないだろうが――今後ル・ベリの【魔眼】の力を尋問などに活用するに当たっての注意点とはしなければならないだろう。
だが、知識という意味では"情報"を抹消して俺に渡さないことにはなんとか成功したと言えるが――その身体に刻み込まれた【騙し絵】家の当主の、文字通りの器としての痕跡までを消し飛ばすことはできなかった。
そして、そこから俺は重要な知見を得ることとなる。
デェイールの『心臓』には、非常に特異的な特徴が発見されたのである。
再び『研究室』の『解剖区画』に場所を移した俺と随行する従徒達の眼前。
ル・ベリとリュグルソゥム一族が、氷漬けにしたデェイールの"標本"が安置された台の近傍に備えられた「解剖図面」を照らし合わせながら情報を共有する。
デェイールの『心臓』は、通常の人間のものからは大きく変形していた。
具体的にいえば卵の殻の中身がくり抜かれたかのような、全長の半分もの容積を占める"孔"が開いていたのである。全身に血液を送る臓器としては問題なく機能していたことが窺えるものの、その"孔"の内側では多数の毛細血管や心筋繊維が露出しており、何か別の生体器官がすっぽりと収まって血管ごと組織ごと接合するための「台座」のような形状となっていたのである。
当然、イセンネッシャ家に特異な遺伝形質があったとは思われない。
その心臓は、明らかに後天的な手術によって変形させられたものである、というのがル・ベリとリュグルソゥム家がそれぞれの医療知識を綜合しての分析であった。
加えてこの「台座心臓」には、いくつか、人体内では用途不明であるどこにも繋がっていない無駄な太い血管が十数本も伸びていることが観察されており――手術の痕跡と合わせて、無数の【空間】魔法によって加工されたとしか思えぬ魔法的な痕跡も発見されたということであった。
ここから、既にイセンネッシャ家が【闇世】から這い出した迷宮核の"強奪者"――迷宮領主にまで至っていたとは思われない――であることを知る俺達が出す結論は一つである。
「イセンネッシャ家は迷宮核を『一子相伝』していた、物理的な意味でな。【空間】魔法の力によって、随分とまぁ強引な方法で、な。当主の器というのは文字通りの"器"だったというわけだ」
そして次期当主に移植された迷宮核は元の心臓を乗っ取って取り込む形で新たな「心臓」となり――"血"を送り出す。
用途不明でありながら【空間】魔法の痕跡が発見された余剰の血管達へ。
「迷宮領主寸前の力が染み込んだ"血肉"を資源として【騙し絵】家は回収していた、てわけだ」
「疑問が一つ解消した思いですよ。【騙し絵】家当主ドリィドはかつて先代当主のシィル様と血みどろの決闘をしたことがあり、その際に父上は、連中の『歩法』を学び取りました。でも、どうしてもそれを他の一族が共有することができなかったのです」
「酷く、単純な話でしたね……父様は、先代様はそのあまりに激しすぎる決闘の際に、十分過ぎるほどにドリィドの『返り血』を――【騙し絵】式【空間】魔法の"絵の具"を浴びていた。ただそれだけのことだったわけですね」
このように回収されたる"絵の具"を素材として、イセンネッシャ家は【空間】の力を駆使したのである。
血族や『廃絵の具』といった戦士達であればそれを直接体内に。
精鋭の侯家の戦士達であればそれを練り込んだ魔導具を駆使する形で。
そして最下級の捨て駒であった【人攫い教団】の墨法師達には、皮膚に刻み込む魔法陣という形で。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ、オーマさん。それじゃあ【騙し絵】家が使っていた【空間】属性の正体っていうのは……迷宮領主の力そのものだった、てことか?」
「いいや、そのものの力じゃないからそこは安心してくれ、ユーリル少年。もしそれを引き出せていたら、『画狂』は大往生なんてできていない。どんな世界観になったかは知らんが【○○使い】にはなれていたはずなんだからな。その意味では、確かに【騙し絵】式は"オリジナル"な【空間】関係の超常だ」
「――しかしその由来は確かに迷宮を根としている。御方様のものと同じ【領域】の力を、というわけですか」
「俺も理解したぞ。あの【領域転移】の力が元になっている、そういうことだな? 主殿」
イセンネッシャ家という一族の自己認識や、何となれば彼らがテロ集団として劫掠の限りを尽くした『長女国』における"評判"の影響による魔法への機序面での変質は、あろう。
だが――【騙し絵】式の種の中の種が『画狂』の"血肉"であったならば、要するに、それは迷宮領主が【領域転移】によって、その「身体」を、己の迷宮の領域内で瞬間的に移動させる作用に他ならないのであった。
「原理としては、まさに今、我々が旦那様と共に地上から『研究室』へ【転移】したのと同じ……というこわけですか……!」
「全く、あの気色悪かった"入れ墨"にそんなカラクリが隠されていたとはなぁ。なぁゼイモント、俺達はそんなものを刻みつけられていたわけだ」
「今はもうすっかり無いがな、旦那様の【強酸】で焼き潰されてしまったわ」
「「はっはっはっはっは!」」
「えぇ……にーさん、ねーさん、この人達どうして笑ってるの?」
実に"元"墨法師としての実感がこもっていたわけであるが、おおよそ、夢追いコンビの述べた通りである。
要は、この俺が迷宮領主として【領域転移】によって俺の身と、そして連れていきたいと思って触れた配下達をまとめて【転移】させることと同じ。
【騙し絵】式においては――『画狂』そのものであるのか分身かはたまた残滓であるかはわからないが、少なくともその力の本質としては連綿と存在し続けていた迷宮核から吐き出された"血肉"を帯びた存在が【転移】していたということ。
そういう訳であった。
ただし、先にも述べたように魔法への『変異』そのものは確かに観察される。
まず、重要な点として"血肉"そのものに意思があるとは流石に思えない。
従ってこれは、魔法的な意味において超常の発動者が逆転される――【転移】効果を呼び出す主体が"絵の具"の本来の持ち主ではなく、その使用者となっていることである。例えば、副脳蟲どもが遠隔から俺を【領域転移】で呼び出すことはできない。
≪きゅぴぃ、そんなぁ。いつでもどこでも造物主様計画さんがぁ!≫
第2には、【転移】先の"座標"が迷宮システムの場合は、【領域定義】によって予め網羅的に覆われてからその範囲内で【領域転移】される、というものであったルールの変質である。おそらく機序的に最も大きく変化したのはここであって、"座標"を指定するプロセスが【領域】法則とは完全に切り離されたのだ。
そして第3に、原初の【空間】属性の"証拠"のような存在でもある『銀色』の霞なり靄なり水面なりが発生しないこともまた【領域転移】とは異なる点であった。
なお、これこそが、いわば【闇の神】が自らの尖兵である迷宮領主達が【転移事故】するのを防ぐための"安全装置"と俺は考えていたわけだが――逆に言えば、迷宮領主ではない存在による力の行使をも妨げる効果を発揮していたのではないだろうか。
「おそらくだが最初期は、つまり『画狂』イセンネッシャ当人は【領域転移】にほぼ近い力を使っていたんだ。『銀色』を外すだとかして、転移事故の危険性を受け入れると同時にな。確かにあの『銀色の膜』さえなければ、俺だってもっと早く【転移】できる可能性は高い。まぁ、それを迷宮核がどこまで許してくれるかは今はまだわからないがな?」
先にも述べた通り、イセンネッシャは【○○使い】には至っていない。
だが、逆にそのこと自体が、そもそも論としての「迷宮核の"持ち逃げ"問題」を「そういう【空間】魔法を駆使できる存在」だと認識した……という仮定を補強している。
イセンネッシャの後継者達は――迷宮領主もどきとしては『画狂』と同じようには駆使できなくなった【領域転移】を、完全なる【騙し絵】式【空間】魔法へと変化させていったのだ。
「え、オーマ様……それって、つまりこういうことですよね?」
「【騙し絵】式がそういう魔法だって『長女国』中に印象づけるために、あのド派手な暗殺とか破壊の嵐を引き起こした――ってこと!?」
「主目的ではなかったろうが、な。結果的にはこうなっている。『画狂』がそうなるように後継者達を誘導したのかも知れないが」
原初の【空間】属性魔法とも、迷宮領主の【領域】の力とも、そして【闇の神】が行使する【空間】の力とも微妙に異なる【騙し絵】式がこうであるというのは、何のことはない。鶏と卵を逆転させるような話であるが――そうであると確信され、信じられ、認識せられて人々の共通無意識の大海とでも呼ぶべき領域にまでそれが波及した結果、現実が変容したのだ。
……それがこの世界の根幹的な法則であるが故に。
これは『イセンネッシャの"血肉"』という魔導具である。
術式の途中工程における魔法的な機序に【領域】の力を流用しつつも、『人皮魔法陣』や『ゴブ皮魔法陣』を駆使した場合にしか俺達が【騙し絵】式を扱うことができなかったのは、そこに"絵の具"が有るか無いかの違いでしかなかったのは、つまりこういうことであった。
「魔法陣が、そのままの神の似姿の皮膚の上に直接描かれなければならない理由も、まぁ、それで推察がつきました。あれはイセンネッシャの"絵の具"を使って、擬似的に、墨法師達をイセンネッシャその人と化していた」
「血族や『廃絵の具』が体内に取り込んだ場合も、同じですね。全身の血流に乗って――同じように在りし日の『画狂』の輪郭を象っていた」
何のことはない。【騙し絵】式とは、術者を『画狂』イセンネッシャに見立て、【領域転移】もどきを本人が行っているかのように迷宮核に誤認させ、無理矢理に発動させていたものだったのである。
もっとも、その"誤認"が、今では"正しい手順"に変貌してしまっているところに「認識」システムのややこしさがあるわけであるが。
「おそらく、本当に最初期の最初期は――イセンネッシャの子供や孫や直弟子レベルの時代は、血肉だけでなく記憶さえも植え付けていたかもしれないな? 本人が自分の身体を【領域転移】させる、という形を取らないといけなかったんだろうから、な」
壮絶を極める【騙し絵】家と『長女国』の争いの中で、多くの知識が失伝したという意味では、きっとその人格をコピーしたレベルの存在はもはや存在していないだろう。
だが、時を経るごとに恐怖の存在として世間に認知されていくごとにイセンネッシャ家の力として【騙し絵】式【空間】魔法はますます変質していき、ついには"絵の具"が主体ではなく媒介になるという逆転現象が起きたのだ。
「そうすると、御方様。我らもその"絵の具"をこそ活用すれば、今まで以上に自由に【騙し絵】家めと同じ【転移】魔法を扱うことができるようになる、ということでしょうか?」
期待を込めたル・ベリに対し、俺は静止するように手を上げて軽く首を振って苦笑を見せてやる。
当初は俺も同じ期待を抱いていたが、一つ思い出さなければならない。
「【転移事故】るだろ、それだと。そもそもこいつは……発動できたところで、他所の迷宮領主の力ではあると俺の【領域】では判定されてしまう。それを散々、俺達は利用してきたからな」
【樹木使い】リッケルが俺の迷宮で、つまり己の支配下に無い【領域】にまで自由に【領域転移】できないのと同じ理屈であった。
いかに、当人が既に死につつ迷宮核もどきが子孫の心臓に寄生同化するとかいう執念じみた形で存続していても――迷宮領主のルールから見れば、この"絵の具"とは、俺の迷宮領域にとっては「他の迷宮領主」そのもの。
少なくとも【領域】内では自由に使えるものではないが、そもそもこのルールを利用して三度【転移事故】によって【騙し絵】家を叩き潰したのであるから。
そのような代物の正体を看破したからといって、「異物」のまま使用し続けることは、今度は俺が自分で自分の【領域】内で【転移事故】を引き起こしかねない。
それを避けるためには【領域定義】すら含めた膨大な"演算"を行う必要があるが――デェイールらを"拉致"した時のように――限定的とはいえ【領域】の一部をリセットする行為が迷宮経済を不安定化させるのは、これまでにも散々対処してきた通り。
だが、今回発見された"知見"により――そこまでする必要性自体が、もう無くなっていた。
「迷宮領主になれなかった『画狂』にできて、迷宮領主であるこの俺にできないわけが無いだろう? ――見てろ」
そう告げて俺はレクティカの骨刃茸に軽く人差し指を当ててすっと切り、己自身の"血"を垂らす。
直後、レクティカがもぞもぞとその「体内」に収納していた『黒穿』が出てくるのを見ながらそれを手に取り、握りしめ、俺の"血"がじわりとこの黒き槍の表面に刻まれた碑文に染み込んで浸透していく。
そして技能としての【領域転移】ではなく、かつて『ハンベルス鉱山支部』を攻め落とした際に、支部全体に仕掛けられていた【空間】魔法を"妨害"した時の感覚を思い出しながら――【騙し絵】式の【転移】を諳んじるや。
主観的にはごく一瞬だけ閃光が差し込み、と同時にまるで夢の中で劇場の場面が景色や大道具ごと切り替わる、あるいは映画のカメラが切り替わるかのように、俺はル・ベリ達のすぐ後ろにレクティカごと【転移】していたのであった。
「……とまぁ、これが【騙し絵】式というわけだな。本当に、即時だったなぁ」
「"銀の靄"が無かったな、確かに。だが、主殿の説明通りならば――もしも【転移】しようとした場所に障害物があったならば」
「当然転移事故ってたな?」
危ない真似をいきなりしないでください、御方様! と言わんばかりのル・ベリの焦り苦虫顔に、悪い悪いと肩を叩いて宥める。
結論から言えば、俺はこれをただちに多用するだとか、主力の戦術に組み込むというつもりは無かった。
だって、そうだろう?
使うのがイセンネッシャ家の"絵の具"からこの俺の"絵の具"に変わるというでは、安定的な供給のために俺は常時血を垂れ流さなければならないことになる。
俺は迷宮領主であり、迷宮を統べることこそがこの力と存在の根源であって――迷宮の資源となるような逆転現象を自ら選ぼうものならば、"認識"が支配するこの世界において、果たして【報いを揺藍する異星窟】において何が起きるか知れたものではない……というのが理由の一つ。
「大抵は【領域転移】でも事足りるからな。それに、これはあくまでも【騙し絵】式を俺の"血"で発動しただけだから、『長女国』で十分に研究された対【空間】魔法の術式が普通に効いてしまうだろ?」
「まぁ、オーマ様が余計な弱点を抱え込む必要は無いってことですね!」
いざという時の緊急避難の手としては、持っていても良いとは思うが。
それでも『長女国』中に既に張り巡らされている対【騙し絵】家の妨害魔法やら対抗魔法やらの魔法陣がある以上は、下手に引っかかっても余計な警戒と情報を与えるだけであろう。
逆に言えば、比較的【騙し絵】家の脅威に晒されていない『次兄国』など他の領域で活動する分には相対的に役に立つ度合いが高まるはずであったが。
「だけど……もし今後オーマさんが"血"を量産できる方法が見つかったら、俺達がそれを使って、安全に【騙し絵】式を使いこなすことができるようになれたりはしないのか?」
一瞬、ル・ベリが眉をぴくりと動かしてユーリルをじっと見るが、まさか本当に『御方様』を資源化することを支持する意図とかではないとすぐにわかったのか、目線を俺に戻す。
ユーリルの述べる通り、他の迷宮領主の"絵の具"であることが【異星窟】でそれを再活用する上での問題なのであるのだから、この俺自身の"絵の具"をもしもノーリスク・低コストで活用できるのであれば、単純な話、【魔法】を使うことのできる配下は全員が【騙し絵】家並の【空間】魔法能力を獲得できるに等しい。
それはそれで非常に戦術上の価値が高い魅力的な強化策であったが、一つ問題がある。
「そのためには、俺はもう一段階二段階なんてレベルじゃなく、完全に人間を辞めないといけなくなるだろうからなぁ……」
【領域転移】の本質は、あくまでも「迷宮領主による本人転移」なのである。
『画狂』は、その生命が滅び魂が消え去った後も、子々孫々の心臓に寄生する迷宮核もどきと化すことで、世間における恐怖と恐慌の共通認識さえをも借りて、そこを捻じ曲げたに過ぎない。
そうして完成された【騙し絵】式を、ではこの俺の"血肉"で行使しようと思うならば――最低でも俺もまた同じ状態にならねばならなくなってしまうだろう。
若しくは、【人世】でこの【騙し絵】式に関する一般的な"認識"を上書きするレベルで書き換えてしまうか、だ。当然のことながら、【領域転移】という正規の手段がある中で、そのことのためだけにそこまでのことをするにはちと支払う代償が、どちらにせよ大きすぎると言える。
最低でも、先にも述べたようにこの俺自身の"血液"をノーリスクかつ低コストで量産できる方策を得てからでなければ、検証を始めることも簡単ではないだろう。
≪紡腑茸さんは……駄目だよね……≫
≪そうそう~特定個人さんのクローンさんを作るわけじゃないよぉ~≫
「我が君は吸血種ではありませんから、流石に、取り込んだ"血"を同化させるなどという芸当もできませんね」
一応、多少であれば研究用に"血"を提供することはやぶさかではない。
だが、それも俺が拠点にいる間に、俺自身の迷宮領主としての集中力や働きが阻害されない最低限度の「採血」によらねばならないだろう。
――【騙し絵】式をそのまま活用する、というだけならば。俺にとっては、その程度の価値でしかない、現状は。
「まるで"他の目的"のために、ちょっと応用するなら、血を限界まで捧げてもいいように聞こえるんですけど……オーマ様。ちょっと、一体何を考えていらっしゃるんです?」
そもそもの話。
俺達は【騙し絵】式をそのまま活用など、していなかったではないか。
「最初に【騙し絵】式を俺達が利用したのは、どんなだったか覚えているか?」
「確か、"裂け目"の【人世】側出口を『ハンベルス鉱山支部』に出現させる、でしたな。『接ぎ木』と御方様は言っておりましたが」
【騙し絵】式が元【領域転移】である以上、転移させられる人物を転移させるための目的地としての「座標」が、術式には必ず含まれている。【騙し絵】家が【人世】で活動する勢力である以上、彼らがあらかじめ設定したり仕込んでいるこの「座標」とは、当然【人世】におけるどこかであり――それを"裂け目"に接ぎ木することで、俺は一時的な"裂け目"の【転移】を成していた。
これが「一時的」である所以は、元々"裂け目"自身に設定された、それぞれ【闇世】と【人世】における本来の「座標」があり、接ぎ木はそこに別の「座標」を混入させることでバグらせているに過ぎないわけである。
従って【魔法】としてのそれが消失すれば、覆い被せられていた混入座標は消え、元の座標に戻る。
そして、このオリジナルの座標位置は迷宮領主の「"裂け目"移動」の権能によってしか、本来的には変更することができないが――さて。
「オーマ様。待ってください、まさか」
「"裂け目"そのものは【領域】じゃないんだ。だから、【領域定義】の中に内包されている『座標』情報を直接"裂け目"の中にぶち込むことはできない。だが、俺の血液なら、ぶち込めるよな? 【騙し絵】式を呼び出す触媒として」
【騙し絵】式を利用するにあたり、俺達は既製品である『人皮魔法陣』やそれを転写・冗長化した『ゴブ皮魔法陣』をしか使うことはできなかった。それらには、あらかじめ魔法陣に術式として設定され仕込まれたものとしての、いわば「決められた座標」しか含まれておらず――つまり"裂け目"の接ぎ木はそのあらかじめ用意された特定の座標にしか飛ばせない、という意味で多用できるような代物ではない。
だが、そこにこの俺本人の身体の一部を、つまり、この俺自身の意思を載せた"血肉"を技能【領域転移】込みで注ぎ込んだとすれば、どうなるであろうか。
そしてそれだけではない。
絵の具を通して――"裂け目"移動をも諳んじれば、果たして、どうなるであろうか。
現状の既存の"皮製品"を利用する機序では"裂け目"を「連続で移動」させることは非常に困難であった。
『人』の方は元より、『ゴブ』の方を使うにしても――小醜鬼どもが「目で見た地点」を記憶させると同時に即座にその座標情報を魔法陣化して刻み込みつつ剥ぎ取った瞬間に発動して活用する、などという常時連続展開機構を作り上げるというのは、少々非現実的であるが故に。
ならば『ゴブ皮』は引き続き【騙し絵】式を転写した"燃料"として、アルファ達の【領域転移】速度を早めて呼び寄せる触媒などに利用し続ける方がマシであり、その場合は、そもそも"絵の具"として俺自身の血を使う必要自体薄かった。
まだ、どういうことかわからぬと頭を捻っているソルファイドや、ユーリルらを尻目に。
『止まり木』でルクの気づきを共有してそれぞれに唖然とした顔をするリュグルソゥム一族の次に、俺が何をしようとしているかに気づいたのは、ル・ベリであった。
当然であろう。
これは、この俺の第一の従徒たる"彼"の望みを叶えるための一手でもあったのだから。
「"裂け目"を【転移】させながら、同時に移動もさせられるな? 一時的じゃない、永続的な『座標』の位置変更になる上に――俺の予想通りなら、非常に、非常に、シームレスかつ高速で動かせるようになるはずだ」
「確かにそれが……最大の"課題"でしたな、御方様」
次元拡張茸を使って"裂け目"を動かすことができないか、という実験を俺は既に準備していた。仮にそれが想定を下回る結果であったとしても――今後、さらに次元跳躍茸の能力が予想通りであったならば、それらによって、ある程度解決させられる目処は立っていたのだ。
そしてそれが戦果として得た、デェイールという【騙し絵】家の貴公子の遺骸を解析したことで会得した、いわば【エイリアン使い】版の【騙し絵】式とでも呼ぶべき【空間】操作術に至ることで、より効率的かつ合理的に実現されようとしていたのである。
――【報いを揺藍する異星窟】そのものを、巨大な『母船』と化すことができれば、もはや『最果て島』に押し込められたままではなくより有利な形で多頭竜蛇と対峙することができるようになるだろう。
そうする上で最大の難点が、"裂け目"そのものの移動速度問題であった。
当然だろう。いくら『母船』が順風満帆に稼働したとしても、現時点で自由に【両界】を行き来することができるというこの俺の最大の強みの核たる『異界の裂け目』そのものを同じ速度で動かすことができなければ――ただの図体のでかい巨大な動く"的"に過ぎない。
であるならば、【闇世】側では『最果ての島』に引き続き引きこもって要塞化を進めてしまう方が、まだ生き永らえることができるだろう。
実は、既に俺の血の"量産手段"には腹案があった。
そしてこの利用法ならば、俺は俺以外を俺という「本人」に見立てて【領域転移】させる必要が無い。そのために俺自身を迷宮核型心臓寄生存在に認識的にも概念的にも変えてしまいかねない方策を取る必要はなく、あくまでも、母船計画を進めるに当たって問題となる「"裂け目"そのもの移動」の課題解決に活用する方が、遥かにコストパフォーマンスが高く、しかもハイリターンである。
それが、今後の【両界】での活動を睨んだ上での、【エイリアン使い】としてのこの俺の判断であった。





