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0223 命とは渦中に運ばれるもの(2)[視点:転身]

 【騙し絵】のイセンネッシャ家"私生児"ツェリマの生は、望まれたものであると同時に望まれぬものであった。

 累代の悲願を成すためにこそ共有されていた【空間】を操る技を、自らの情愛と情欲のために悪用した生母が血族内にもたらした不和の影響は根深い。


 仕える者達には文字通りに()()()()するまでの徹底的な忠勤と忠誠を求められるイセンネッシャ家である。

 かつて『廃絵の具』を中心に敵対者達との暗投と破壊工作に明け暮れていた時分はともかく、頭顱侯の2位という最上格にまで至った現在において。血腥い抗争を経て勝ち得てきた地位と権勢と権限に加え、『人攫い教団』をも傘下に収めて国内の鉱業を掌握して経済力をつけていったことは、この破壊集団の体制内組織への変革を促していくと同時に――そうした"権益"の保持を主な目的とする家内勢力を生み出した。


 端的に言えば、他家との激しい暗闘とは距離を置き、より穏健な形でイセンネッシャ家の傘の下で自らの権益を保とうとするという意味での、潜在的な日和見派・現状維持派がゆっくりと成長していったのである。


 単なるテロ集団であるならばいざ知らず。

 魔導貴族として【国母】ミューゼの事跡の後継者たる正統性を欲するならば、単なる破壊工作だけでは領内の統治はできない。派閥の領袖として複数の頭顱侯達を掌握することにおいても、また一頭顱侯として麾下の掌守伯達を指揮統率して『晶脈』を管理監督しながら『イセンネッシャ家』という集団を運営していくことにおいても、実務的な幕僚団の存在を無視することはできないからである。

 彼らは決して表立って結束して本家やイセンネッシャ家の評議会に対抗するようなことをしていたわけではなかったが、それぞれの担当分野における実情を把握する彼らを抜きに家政を回すこともできない。


 このような実務家集団と、侯家お抱えの商家と通じて【騙し絵】家と己の権益を保とうとする廷臣集団は、結果的に"良識派"として機能することとなる。

 彼らのいや増す存在感は、長い目で見れば、悲願を達成すべくための手足を自ら捥ぐ……要するに、短絡的な破壊工作集団への先祖返りを犯すことの愚を歴代の当主に思いとどまらせるという意味において、ある程度は、イセンネッシャ家の()()()に寄与していたとも言えよう。


 斯くして、イセンネッシャ家がその計画的な出産と後継者の育成による厳格なる一子相伝による家督継承制度を保つ限りにおいては――【四元素】のサウラディ家のように常に親子・兄弟姉妹で政争を繰り返している家と比べれば――こうした現状維持派あるいは現実主義派は、家内の少数勢力として、少数勢力なりに"やり過ぎない"ように動いてきたのである。


 故に、ツェリマが"私生児"でありながらも『長子』として生まれたことがもたらした波紋は決して小さなものではない。


 だが、イセンネッシャ家における「当主」の()()()役割を知らぬ者達からすれば――いや、中途半端にしか役割(それ)を知らぬ者達からすれば、ツェリマは本人が望むと望まざるとに関わらず、この"私生児"はこうした集団の「期待」を集めてしまい、そして担がれてしまう立ち位置に常にあるのであった。

 彼女のすぐ後に生まれた"正嫡"のデェイールの身に何かがあった際の第2位継承者として。

 また、そうはならずとも――齢100を既に越えている、イセンネッシャ家における「技」の全てを記憶し、かろうじてその失伝を防いでいる精神的な主柱たる"大婆様"の筆頭の後継者候補として。


 他家との抗争さえもが、かつてそうであったような「どちらかの息の根を止めるまで徹底的に殲滅する」などという精魂と凄絶を極めたものではなく、もっと穏便な(・・・)、むしろ走狗達が適度に死ぬことそのものが「利益」を産むような暗闘(ビジネス)と化していくことを望み、またそうなるように圧力を行使してきた実務家(現実主義者)達と経済屋(権益保持者)達にとって、ツェリマの存在は好機とも見えたわけである。


 故に彼女は当主ドリィドの実子でありながらも本家からは遠ざけられ、遠縁であるとはいえ血族である"生母"の"私生児"とされた。

 しかし血の宿命に抗うことはできず――『歩法(ネーヴェ)』の実力もそうであるが、次期「当主」として申し分のない【空間】魔法操作の"才能"を示したことで、暗部『廃絵の具』の指揮者として呼び戻され、素性を覆い隠されながら登用されるという複雑な扱いを受けてきたのであった。


 ……それでも、事情を知らぬ他家が望むような、イセンネッシャ家を割った内紛に至るようなことにまではなり得ない。

 精々が、ツェリマの元に集った烏合の反対派が一部過激化した際に、まとめて潰すための「旗頭」としてツェリマは利用されているに過ぎず――当主ドリィドが「後継者争い」を煽っているのもそのためである、と一部の長老や古参の家臣達は理解していた。


 そして当のツェリマもまた、自らが弟を下して「当主」となることを望んでなどはいない――むしろ、弟にして"正嫡"たるデェイールを哀れんですらいたのである。


 「当主」が()()()()存在であるかを、一応は"資格"を持つ者として、彼女もまた知っていたのであるから。

 ごく一部の長老や位階の高い者達以外は――「当主」こそが、イセンネッシャ家の歴史を引き継ぎ、その秘匿技術たる【空間】魔法の全てを知る恐るべき存在であると理解している。


 だが、それは真実ではない。

 少なくとも「魔法技術」そのものについてその役割を担っているのは、今世における"大婆様"のような存在であったのだ。


 イセンネッシャ家の「当主」とは、その血肉(・・)の内側に――。


   ***


 記憶にしかない母を夢に見たような心地でまどろみながら、次の瞬間、両腕から両肩を貫いて首から脳天に向けて貫くような激痛と共に、ツェリマ=トゥーツゥ・イセンネッシャは呻き声と共に目を覚ました。


 まるで神経の束をまとめて直接捻り千切ったかのような、陶器の欠片を無数に両腕に埋め込まれてそれが肉と血管の内側からズタズタに引き裂いてくるかのような鋭く敏感な激痛であったが――戦士としての本能によって周囲に目線を走らせる。

 そしてそこがイセンネッシャ家の侯都『グラン=イセンネリア』の侯邸であることがかろうじてわかるが、直後には【活性】魔法の気配と共に両腕の激痛が和らいでいく。


 "才無し"達の集合住宅の階一つ分丸ごと分もの広さがある、豪勢な寝室であった。

 その一つ一つに歴史的な来歴を秘めた大小の『絵画』が並んでいることが特徴的であるが――『廃絵の具』の部隊長として長期の潜入任務などにも自ら出張ってきたツェリマにとっては、どこか、居心地が悪くなるような重苦しい静謐さが漂っている。


 ――どうやら、そこは"生母"の部屋であったか。

 遠ざけられていたはずの侯邸に、自分のような「厄介者」を急遽運び込むのに相応しい寝室など……それぐらいしか思い浮かばない。そのような直感を抱きつつ、ツェリマは、寝台の側に控える者を視界の端に認めつつ息を吐いた。


「私は、生き残ったのか?」


「左様にございます。お嬢様――いいえ、継子(トゥロァ)様」


「セラノス医従長……貴公がどうしてここに? いや、今、私のことを」


 なんと呼んだ、と続けようとしてすぐにツェリマは頭を振って額を押さえる。

 文字通りに手痛い(・・・)目に遭いはしたが――状況を即座に判断できぬほどにまで衰えたつもりも、何があったのかをすぐに思い出せぬほど耄碌したつもりも、一切無かった。


「弟は、デェイールは死んだのか。他の者達も?」


「生きて帰ったのは、お嬢様だけでございます」


 驚いたことに看護役は、当主とその直系にのみ仕える【騙し絵】家隷下『医療魔術師団』の高位者にして、大婆様の主治医でもあるセラノスであった。

 【騙し絵】家に仕える5つの掌守伯家のうち最古参たるミースメイリ家の血族でもあり、"才無し"とは一線も二線も画す存在。何となれば、公式な権力においてはたかが"私生児"に過ぎぬツェリマなどよりもずっと格上の相手であり――故の「貴公」呼びである。


 だが、この初老の『医療魔術師』は、まるで、声をかけなければいつまでもこの重苦しい静謐さの中で絵画の下塗りの如く埃を被った花瓶であったかのように、控えているだけであったのだ。

 そして答えてきたのも、非常に淡々とした口調による要点のみ。

 それが彼の人となりを表しているが――およそツェリマと同じような意味で、貴人らしからぬ質実さである。


 だが、それは彼が自らの興味(・・)にしか関心が向かない類の人物であることを示している。

 『次兄国』産の珍しい単眼鏡(モノクル)を内側から己を覗く眼差しは――果たして継子(トゥロァ)を見ているのか、はたまた、彼の本来の役目の通りに数多の「臓物」を検分する眼差しであったか。

 "大婆様"に気に入られているツェリマとしては、知らぬ人物ではなかったため、今更その無機質さに驚きなどするものではないが――先ほどの激痛が薄れた手指を無意識に動かして、ここでようやく違和感(・・・)に気づいた。


 ハッとして自らの掌を眼前で大きく開いて、己のものであるはずの両手をまじまじと見つめたのである。


 ――【転移事故】によって、己の両腕が千切れ粉微塵に吹き飛んだ感覚が生々しく蘇ってきたからだ。


 そしてツェリマが何かを言うよりも早く、セラノスが単眼鏡(モノクル)を傾けながら、少しだけ興奮の乗った声で答えを告げる。


「良い"素材"でした。とても良い施術(仕事)を久しぶりにできましたよ、お嬢様。感謝申し上げます」


 これは誰の腕だ? などとは問うまい。

 痩身でやや骨張りながらも鋼線のような筋繊維に無駄なく覆われた、鍛え上げられた男性の(・・・)両腕である。加えて、まるで熱が灯ったような【光】属性の魔力が静かに腕の中を循環している感覚があるのであれば――もはや疑う余地は無い。


「グストルフか。あいつも、死んだのか」


 恐るべき【魔人】が現れた。

 『長女国』の内部で頭顱侯同士が政争と暗闘に明け暮れ、その本分たる"荒廃"の調律すらも怠り、ついにはそれを他家を圧迫する兵器とまでしようとする逆転現象がロンドール家という形を取って現れるまでに至ったその裏で――【闇世】より数百年単位の真なる危機が訪れたとすら言える。

 民草には500年もの昔というのは神話や伝承の時代の話であろうとも、魔導の大家として、そして実際に大氾濫(スタンピード)への対処も定期的に行ってきた頭顱侯家の血族としては、その脅威がいかほどのものであるのかはよくわかっているつもりであった。


 ――たとえ、イセンネッシャ家がその由来(ルーツ)を【闇世】に持つ存在であったとしても、ツェリマが推測混じりで理解している範囲では一族の悲願とは、【闇世】との()()を回復して失われた始祖たる『画狂』の記憶と技を取り戻すことでしかない。

 必ずしも、【闇世】に帰還するだとか与するだとかが定められているわけではない以上、先ずは『長女国』の最上位為政者としてこの脅威を捉えなければならない。


 そして、それでもイセンネッシャ家としての"悲願"を優先する決定が下されたとしても――あの異世界から呼び出されたと言われても全く驚くことのない恐るべき凶獣(化け物)を使役することに加えて、そこに【皆哲】とすら謳われたリュグルソゥム家の知識が吸収され、しかも、捕虜とされたであろう者達から現在の『長女国』とイセンネッシャ家の情報を引き出したであろう存在に対して、無警戒で臨むことは全くあり得ないことであった。


 故に"情報"だけでも本家に送って警告を発するつもりだったところを、リリエ=トール家の御曹司にして、己に妙な関心を寄せていたあの猫目の青年魔導師が阻止。自らの命を散らしてまで、【光】属性にそんな使い方があるなどと【空間】属性の大家たるイセンネッシャ家の自分すら知らなかった技によって【転移門】をこじ開け拡げ、しかも移植用の両腕(プレゼント)付きで生還させたのである。


 それは歪んだ慕情の類であったのか、はたまた新たな頭顱侯家としての責務に目覚めた結果、【人世】のための最善の行動を取ったのか。

 在りし日の奇矯な言動から、グストルフ()の真意がどちらであるかは非常に判断に悩むところではあったが……ツェリマという女は、今、ここに生きて帰還することができたという厳然たる事実が存在する。


 ならば、死んでいった者達、己の判断ミスによって死なせてしまった者達のためにも、初志を貫徹せねばならない。

 "元"とはいえ、それが部隊長の責務であり、また同時に魔導貴族たる誇りなのであるから。


「セラノス殿、私は何日眠っていたのだ?」


「30日ほど、ですね。奇跡的だったと言えるでしょう、その腕が無ければ失血死していた恐れもあります」


 告げられた日数が想像を越えていたため、ツェリマはやや閉口する。そして、各家の"厄介者"達だったとはいえ、それでも各頭顱侯家の係累または裏の手札たる者達が一斉に喪われ、そのままあの「オーマ」という名前の【魔人】の"情報"となったこと、そんな状態であの脅威の存在に一ヶ月近い時間が与えられたことの影響を頭の中で瞬時にあれこれ思考し――【騙し絵】家に降りかかる影響をいくつか想定する。


 【継戦派】という巨大派閥を調整してきた【紋章】家に訪れるであろう"災厄"に対して、イセンネッシャ家は頭顱侯としても対立派閥の領袖としても、無関係ではいられない。

 それが"私生児"ツェリマの印象であった。


「私が目覚めたことはもう伝えているな? 父上と大婆様に、急いでお伝えしなければならないことがある。すぐに――」


 心得てございます、とセラノス医従長が答え、手元の伝書を【空間】魔法で転移させる。宛先は【騙し絵】家の係累には言うまでもない。


 ツェリマは再び息を深く吐いた。

 デェイールには一族のあらゆる技の生き字引たる大婆様も支援を与えていた。つまりあの"裂け目"への攻撃は一族の総意を背負ったものであり――当然のこととして、自分達が逆襲を受けて壊滅したことなど半刻も経たずに侯邸中に知れ渡ったことであろう。

 そしてその壊滅が意味することを分析しようとする者や、利用しようとする者や、利用させまいとする者と、そして報復のための第二陣の派遣の計画を立てている者などが蠢いていることだろう。


 自分から直接話を聞かなければならないと考えている者など、家中には山ほどいる。

 それでも、生きて帰ったのが"継子(けいし)"たる自分だからこそ――煩わされることなく、一ヶ月もの間、安静に寝かされていたのだと言える。

 ――その気になれば、セラノスは【騙し絵】家に仕える『医療魔術師団』の高位者として、その「施術」を両腕に対してではなく(記憶)に対して行うこともできたはずなのであるから。


(少なくとも複数家で当たらなければ、()()は打ち倒せない。脅威などという次元ではないぞ、あの男は……オーマという男は「人間」の振りをして【人世(こちら)】に侵入してきていたのだ)


 大氾濫(スタンピード)の延長線上のような、ただ単なる力攻めではない。そこには明確な知性があり、戦略があり、方針と思惑と目的があり――それによってあれほどまでの魔獣の群れが統率されていることが問題である。

 そして明らかに、あの【魔人】オーマは、己の存在を秘匿することを第一に行動していた。


 グストルフの行動が予想外ではあったろうが、その意味では、それさえなければツェリマ含めて全滅させられており、わずかな情報しか本家に返すことはできなかったはずなのである。


(そこが勝機には、なるのか……?)


 圧倒的な実力があるのであれば、ああまで迂遠に行動してまで素性を隠そうとはしない、とツェリマは発想していた。そして、頭顱侯として『長女国』の為政層としての教育を受けた彼女の脳裏には、魔人とは侵略する存在である、という無意識の前提があったのである。

 故に、ツェリマは最終的な判断は当主たる父ドリィドがするものではありつつも、十中八九は数家での連合軍を形成し場合によっては『末子国』に通報してその戦力を駆り出してでも【魔人】オーマという災厄の芽を早期に摘むべきだという思考に傾いていた。


 "悲願"などは、その後に達成すれば良いのである。

 【魔人】か、最低でもその配下となったリュグルソゥム家なり他の知性ある者なりを捉えることができれば、それは【闇世(向こう)】の実情を知るという意味においては"裂け目"を確保する以上に大きな価値のある一手。

 イセンネッシャ家として確保すべき"裂け目"は――何も旧ワルセィレ地域のものでなくともよく、そもそも、今回の一件の本来の目的はリュグルソゥム家の追討という棚から落ちてきた堅菓子(かたがし)のようなものだったのであるから。


 そのことに本気になりすぎてデェイールと自分は失敗したとも言えたが、だからこそ、次は無い。堅実に、今度こそその裏まで調べ上げ対策し尽くしてあの【魔人】を次は屈服させてやる、そんな決意を新たにしつつ父と大婆様からの呼び出しを待つ――。


 ――そんな思考の最中のことであった。



そんな手(・・・・)じゃあ、つまらないんだよねぇ≫



 カッと目を見開き、眼差しだけでツェリマは周囲を素早く見回した。

 まるで脳みその中に直接反響させたかのような声が――。


 あの「イッヒヒ」という特徴的な嗤い声が鳴り響いたからだ。


 馬鹿な、という念と、グストルフだと? という念が心話(・・)となって脳裏に浮かぶ。

 するとその直後、まるでそのツェリマ自身にしか聞こえぬはずの独白的心話が、当然聞こえているぞと雄弁に仄めかすかのように――。


≪医従長さんには聞こえてないから安心してね。これは、ツェリマ姉さんの頭の中にだけ聞こえてる声だからさ? イッヒヒヒ、ああ、やっと起きてくれたよ。()()()()がいなくて、僕様とても寂しかったよ?≫


(一体、何をした!? これは、なんだ。お前は生きているのか? それとも死んでいる……? これは【死霊術】の類だとでもいうのか? お前は今どこに――)


 そこまで問うてから。

 ツェリマは自身の身体を覆う()()()()()()()()にようやく気づいたのであった。


 両腕が"男物"に置換されたせいで、ツェリマはすぐに気づいていなかったのだ。

 己の――体重を増減させる別の"変化"に。


≪あら、もう気づいちゃった? アッハハハ、そうさ、ここ(・・)にいるのさぁ!≫


 下腹部にほのかな温かみを感じる。

 意識せねば気付かないほどの、しかし、いざ意識してしまえばもはや意識の外に放り出すことのできぬ「暖かな」違和感。

 血潮が暖かく盛んにうねり、生命が躍動するかのような心地。いつの間に、という女の身に感じうるものとしては特大の気味の悪さと共に、ぞっとするような悪寒が背筋を駆け抜ける。


 下腹部に指で触れ、当然のように存在する数センチの「施術痕」の意味を理解して、ツェリマは思わずセラノスを見た。

 するとその意味を察したのか、これまた、無感動に生体標本を眺めるような眼差しで【騙し絵】家医従長が答えを返してくる。


「ああ、それですか。大婆様のご指示で、ついでにやっておきました。お嬢様とフルーピン様のご子息(・・・)ですよ、おめでとうございます」


「……いつから、いや、この"子"は、何ヶ月目だ?」


 ――それが【騙し絵】家の女の宿命なれば。


 【空間】魔法によって直接に男の精と女の卵を取り出し、掛け合わせて新たな胚とする技は、妊娠の負担から母体を解放する。この故に、【騙し絵】本家の血族は女であっても望めば他の女の(はら)に任せて(・・・・)前線に立ち続けることができるわけであったが、逆に言えば、明確に望まなければ、子を孕むための"袋"として侯邸の奥に仕舞い込まれる宿命にある。


「3ヶ月目となります。当主様と大婆様より、少し前から決められていたこととなります。お嬢様には養生も必要ですし……まぁ、丁度良いことかと」


 セラノスもセラノスで無感動かつ無神経な答えであったが、それに被せてくるように、ツェリマの脳裏でおぞましき"同居人"が哄笑を鳴り響かせる。


≪いやー、せっかく"脳"がまともに機能して言葉を思考でき(しゃべれ)るようになったと思ったら、母様(・・)ったらずーっっと眠りこけてるんだもの! アッハハハ!≫


 一瞬、この場で自害することすら本気で逡巡したツェリマである。

 ただただ、このグストルフと同じ喋り方と声色で頭の中に響き渡る音を発する"我が子(何者か)"への嫌悪感と得体の知れなさが脳裏には充満しており、しかし、かろうじて父と大婆様にありのまま事態を告げねばならないという理性が勝っていた。


 今、自害するわけにはいかないのである。

 しかしそんなツェリマの心を見透かしたように、"我が子(何者か)"が無自覚に嬲るように言を重ねる。


 それは肉体的にも精神的にも異物感以外の何物としても受け止められるものではなかった。


 わずかでさえ、こんな己が、一族の道具として"母"となったこと。己の生母とは異なり、さらに次代の継子(トゥロァ)となるべき存在を孕んだ以上は、本当に望まれて生まれてくるであろう存在が我が胎の中にあることの不思議さに思わず身体が熱くなるものを感じたというのに――その全てが不愉快でおぞましい哄笑によって、全て冷たいものへと成り果てていたのである。


 だからこそ、その吐き気すら催す強烈な不快感をわずかでも吐き捨てようと、ツェリマは己の(はら)に巣食うその"何物か(我が子)"に対して目的を問いただした。


(――貴様は……貴様は、一体"何"なんだ? よもや私の(はら)から生まれて、【騙し絵】家の継子(けいし)となることが目的――だったのか!? 全て、貴様が唆したことだったとでも言うのか!?)


 果たして。

 その、かつてグストルフだった"何者か"が脳裏に焼き付けてきた答えは、ツェリマの予想せぬものだった。



≪イッヒヒ……違う、違うんだよなぁ姉さん、いいや、母様。そのルート(・・・)はさぁ、あの【魔人】さんのおかげでもうポシャってるから、とっとと捨ててるんだよねぇ! そして、その代わりにさぁ!≫



 次の瞬間。

 衝撃も、予兆すらもなく、【闇】属性の感覚遮断魔法を一切の抵抗も耐性も無い状態で食らったかのように視界が曇黒に包まれ、あらゆる音が遮断され――ツェリマは呻き声すら上げることもできずにその意識の一才を暗転させられ、刈り取られてしまう。


 その脳裏に、グストルフの次のような心話(テレパス)を残して。


≪僕様の"腕"は返してもらうよ? あとついでにその他()()もらっておくからね? 可愛い可愛い()様の……おおっと、違った違った≫


 倒れ伏したツェリマを見て、何を思ったか、介抱することもなくセラノスが部屋を辞したことに気づくことももうできない。


 そして数分後。

 ツェリマの姿をしたその"何者か"が、ぐるりと白目に裏返った双眸を再びぐるりと戻しながら、糸の切れた人形のように崩れ落ちた状態を巻き戻すように再び起き上がらせながら。

 己の両手(・・・・)を眼前で握り、また広げ、その感触を確かめるように全身でくねくねと伸びをしながら。


「今日からは"女の子"だから()()()()様、さ……あぁ! ワタクシ様の可愛い可愛い……えっと確か名前は、"ギィマ"ちゃんだったかな? ウッフフ、ウッフフフフ」


 とても愛おしそうに、才有る魔術師も才無き民草であっても、およそ"母"たる者が等しくそうするように、優しく優しく己の手で、まだ膨らみの全く目立っていない(はら)を撫でながら、はっきりと声に出して、告げたのであった。


「7ヶ月後に、元気に産んであげるからね? また(・・)、会うのが楽しみだなぁ。アッハハ、ウッフフフフ」


 堅物とまで言われるほどに生真面目な『ツェリマ』であれば絶対にすることのないであろう、妖艶さと老獪さが無邪気さと入り混じった悪辣なる笑みに顔を歪めながら。

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― 新着の感想 ―
ここだけ急にホラーすぎて草
[良い点] 腹が空いてるからとかその辺の倫理のなさが趣味なので素晴らしい回だった
[良い点] 予想を良い意味で裏切られました!面白い展開ですし、このタイミングでこの話を持ってくる事によって、これからの人世側の動きを想像させてくれますね。 [気になる点] どうやって胎児を三ヶ月まで育…
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