0215 笛吹き男の記憶の断章(1)
「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない ―― 高杉晋作
日常が崩壊する、という感触は、ある日突然に訪れるもの――ではない。
何故ならば、既に壊れて崩れて滅茶苦茶の散り散りになった、ということを自覚して、受容して、困惑して、しかしそれをなんとか受け止めようと思っているという――そんな防衛機制と運命への対峙と、ささやかなる後悔に向けて覚悟が練り上げられていくという精神的な営みとは、全く別の角度から「非日常」は訪れるものだからだ。
姓は『■■■』、名は『マ■■』という青年――過去の俺の名前――にとって、それは、自分のそれまで積み上げてきた何もかもを嘲笑うかのように、足元を掬うような、想像の全く斜め下から訪れたものだったからだ。
始まりは、大学3回生の夏の終わりの事である。
終わりは、大学4回生の夏の終わりの事であった。
ちょうど1年という、短くて、しかし俺にとって色々なものが詰まっていたような長い時間――"時代"と言えるほどに濃密な時間であった。
当時、通っていた学部があるキャンパスからは、電車を乗り継いで30分ほど。
関東地方A県の政令指定都市であるC市にて、最寄りの駅からバスでさらに20分ほど移動した場所に――かつて俺自身がそこに通っていた一時期と変わらずに――『学び舎』はあった。そこで俺は、今度は教える立場で、何かを導く側の立場に立って、肩書きは「相談員のお兄さん」ということで彼女達のクラスを受け持つこととなった。
最初は週に2度。2ヶ月後には週に3度。
ちょうど、続けていた塾講師のバイトを辞めていたこともあり、関与を増やしたのだ。
学習教材偏重型のカリキュラム至上主義的な"大手"の悪弊にこれでもかとうんざりさせられ、また、当時勤務していた校舎で「常勤」――いわゆる社員の講師達と微妙に呼吸が合わず、何かが違うなという感触を感じていた折のことであった。
……そこで知り合った、個性豊かでそれぞれに細かなエピソードは、今は割愛しよう。
それは教育に関わる者の端くれとしては、危険な同情心であったろう。
きっと、あらゆる、世に「事件」だか「事案」だかいう形で表出したであろう教訓によって語られるのと同種の過ちを引き起こす――ある種の"根"だったのかもしれない。
だが、共通していたのは、かつて俺もまたそこにいたということから。
ほんの10年も満たない以前――それでも当時の感性からすれば人生の半分もの時間だが、だからこそ、その密度において――俺は自分があの9人の一員であるように感じてしまったんだ。
それは教職者の末席を汚す人間としては、愚かしい自己愛だったろう。
俺はまるで10年前、20年前の自分に戻ってしまったように感じてしまった。
それは決して、あの頃得られなかったもの、あの頃奪われたものを取り返そうだとかいうネガティブな感情や動機によるものではなかったのかもしれないが。
だが。そこに仲間の存在を求めたという心が顕れていなかったと言うならば、嘘になる。
スキーで初めて転んで、スキー板がつっかえて上手く立ち上がれずにいたことがあった。
一時的に板を足から外せば良いだけであることを知らず、そうしたら、まるでやり遂げるということを諦めたと強く強く叱責されると恐怖して、それによって竦んで動くことができなくなった状態であったように、どうしたら良いか途方に暮れ、その途方に暮れていた自分を見られること自体が強烈な恥によって存在と感情そのものを塗り潰されてしまうと感じていたかのように。
10にも満たぬ齢の俺は、未発達な精神性に対して、背負ったもの、背負わされたものの大きさに対してどのように臨めば良いのかすら知らなかった。
――だからずっと俺は"兄"が欲しかった。
自分よりほんの少しだけ前を進んでいて、この先にどんな障害があるのかを知っていて、そして、それをどう乗り越えれば良いのかを教えすぎず、しかし知っていて、時が来たら見守り、あるいは必要に応じて助けてくれる、そんな存在がずっと欲しかった。
――だから俺は、彼ら彼女らの先達になろうとした。
何のことはない。
あの頃の俺が引っかかっていて、つまづいて転んで立ち上がれずにいたのと同種のものに彼らもまた引っ掛かっていたのが視えてしまったから。それはそれは不器用なほど転んでしまって、しかし唇を噛み切ってきっと口中に血の味が滲んでいるほどに、痛みを我慢して、それを見せないようにしていたその心中がわかってしまったから。
それで俺は、まるで今の自分を以てあの頃の自分を救おうとするかのように。
些か、彼らにどっぷりと、深く深く深く、関わりすぎてしまったのだ。
『学び舎』に対してだけではない。
イノリを初めとした"特別学級"を構成していた彼女らと彼らの"事情"に対してだ。
それはきっと、単なる年長者の知識で助けることを望んだ道化の行為だったに違いない。
――だからこそ、イノリが文字通りに自らの見た「夢」による"事故"を引き起こして、それに巻き込まれつつも、まるで底の部分では彼女に同調していたかのように■■ルや■■と■ナ達が一斉に消え失せてしまった一件に俺は対峙するつもりでいた。
その責任の一端が、彼ら彼女らの事情に深く関わりながら、しかし『学び舎』という存在そのものには深く足を踏み入れようとしなかった俺自身の中途半端さにあると理解していたから。
俺にとっての『非日常』はそんな形で始まった――と思っていた。
■■■家の宿痾のように、いずれ何がしかに対峙するということを生まれ落ちた日から吸い続けてきた空気として取り込んで育ってきて――ついに戦いが訪れたのだと覚悟していたのだが。
何のことは無い。
蓋を開けてみれば、そこに待っていたのは、想像の斜め下をさらに下回るような下劣な何かであった。
最初の異変は、『学び舎』の"運営元"と話をつけるべく、施設で俺の上司であった人物に連絡を取ろうとしていたその時である。
……某国からミサイルが飛んできただとか、大地震の予兆が発生した時のような緊急アラートというほどではない。
しかし、テレビジョンを見ていた者には、その番組を問わない緊急テロップとして。
あるいはニュースリポーターの元へアシスタントディレクターが駆け寄って原稿を渡すように。
何がしかのニュースをスマートフォンのアプリケーションで受け取るように設定していた者達の視線の先に、手元の中で、"通知"の音と振動が一斉に乱打されるかのように乱舞して駆け巡ったのだ。
確か、大学のキャンパスで昼前の2限の授業がちょうど終わるタイミングであったか。
雑多な通知音と振動が。
まるで目には視えないネットワークによって裏で全て支配されて繋げられ、個々の端末という独立性が希釈されたが如き巨大で不協和な前奏を告げる機械仕掛けなる不気味の谷以前の無機質な"不気味さ"によって通知されたかのように、異様さが聴覚と触覚にその存在を堂々と示すのである。
――無論、そんなことよりも大事なことに意識を向けていた俺は、すぐには気づかない。
次なる異様は視覚という形を取り、周囲から突き刺さる視線となって現れることを。
授業を終えたばかりで白板を消していた教壇の講師でさえ、俺に訝るような眼差しを向けていた。その瞬間だけは――きっとその"通知"による異常の端緒は誰にも共有されたことであったから――大教室の皆が一斉に俺の方を視ていた。
単に同じ授業を受けていただけで、話したことも無いような他学年の学生達も、己の掌中のスマートフォンと俺を見比べながら。あるいは隣席の学生と肩を突き合うようにしてこちらをチラチラと視ながら。
時間にして数秒もなかったことだろう。
そして誰かがテレビジョンの放映機能でも起動したのだろう。
"緊急速報"が、ニュースアナウンサーの硬い口調によって読み上げられる音が響くのだ。
曰く、A県C市で。曰く、集団失踪が。曰く、課外活動から一夜明けても帰らない。曰く、引率役であった相談員が。曰く、引率に使用されたミニバンが山中に放棄され。
曰く、件の重要参考人である相談員の名前は『■■■ マ■■』であると。
――学友が俺を小突いて、己のスマートフォンの画面を俺に見せ、心底困惑しつつも心配と訝しみが入り交じる表情で問いかけてきたそのタイミングで、構内放送が、この俺を名指しで学生窓口の事務室へと呼び出す放送が響き渡る。
サァーっと全身から血の気が引く経験というのは、きっと、ああいう時のことを言うのだろう。
冷静に考えれば最悪のタイミングにして、だが、同時にその場を離れる口実としては測ったかのように、謀ったかのように最良のタイミングであったろう。
逃げる、という選択肢は当然無かったし、そんなことを考えつきもしなかった。
ただ、俺は頭の中を怒涛のような困惑に埋め尽くされながらも、少数の学友に促されるように学生窓口へ足早に去り――道中で何度、こちらを見てひそひそ話す学生達や、スマートフォンで撮影する連中の無遠慮どころか無垢なる悪意にすら至るフラッシュや、それこそ怒涛のように色々な人からのあらゆるアプリケーションを通した連絡による"通知"でひっきりなしに震え続ける自身のスマートフォンの振動を浴びながら目的地まで辿り着き。
そこでまるで取調室のような――実際は面接の練習用の個室であるが――部屋に閉じ込められ、そして、あの「緊急速報」とほとんど同タイミングでキャンパスに現れていたという"刑事さん"達に連れられることとなったのであった。
――そうして、留置所に匿われること一ヶ月。
小説やドラマで見るような怒声の取り調べなどは無かった。
警察行政の問題点を指摘するような記事や、週刊誌の告発されるような悪辣なる聴取もまた受けていない。ともすれば、困惑する俺を宥めるのが「お勤め」とすら思えるような"対応"に一層困惑を深めつつ。
スマートフォンの返還は当然認められなかったとして、新聞といった外部の情報に接する機会は奪われつつも、小説や学術書といった書籍の差し入れは認められていたため、ただひたすらに読んで過ごした、何もかもが微妙に重苦しい、ただただ困惑という字を繰り返すことによってしか表現し得ない"停滞"の中で、俺の最後の夏休みは過ぎていったのだ。
それは、『学び舎』で起きてしまったこと、それに対して俺が決意したことを困惑の二の字によって押し流して一時的にでも腐らせるには十分な非日常であった。
まるで最初から「一ヶ月拘束する」こと自体が目的であったかのような、あっさりとした解放――気が気ではなく寝付けない日も多く、自分がげっそりと痩せてしまったことを記憶しているが――された後。
返却されたスマートフォンの電源を求めて立ち寄ったコンビニで目にしたのが、週刊誌に踊る『現代のハーメルン』の文言なのであった。
――そこから始まった俺の"無茶"については、また、筆を改めるとしよう。
***
追憶から目覚める。
視界に映る肉質めいた鼓動と、その温かみと、その中に入り交じる魔素の青と命素の白なる仄光の明滅の中に包まれていた感覚によって急速に意識が鮮明となり――この「夢」が"幻影"の類ではなく「記憶」の追体験であると俺は悟る。
「帰ってきたのか」
数年は続いた"無茶"の果てである。
俺に「戦え」と言ったXXX先輩を巻き込んでしまい、そして喪った。
それでもその言葉に言祝がれるように――"兄"と慕っていた人が、俺よりもほんの少しだけ先を歩いていた人が「そうしろ」ということを信じたその果てに、焼け爛れ、潰えたと思って、この世界に迷い込んで、そして今俺はこうしていた。
まるで己自身が生体的なスーパーコンピューターにでもなったような心地であった。
全身の筋肉という筋肉が痺れ――まるで幾十幾百もの超再生を経たかのように――神経という神経が痺れ――まるで何億何兆もの莫大な情報が取り込まれ吐き出されまた取り込まれ整序されて吐き出されを繰り返して擦り切れ、焼き切れながら酷使されつつ、故に逆に太く強靭さを帯びたかのように。
時間も空間も記憶も、そして世界に対する認識すらも「マ」の字を繋いだ「オーマ」と「マ■■」という男の間で曖昧茫漠としたまま――しかし俺にとっての物理的な意味かつ概念的な意味での"眼前"の光景が。
【異形:勁絡辮】を通して。
迷宮核からの"通知音"を通して。
この俺の世界認識によって産み落とされ、そこに俺自身の当初の意思を越えたような形で樹状図を形成する『眷属』達が、その変異と進化と分化の"営み"によって織りなす、少々肉々しい奇観が――少なくとも今のこの俺が何者であるかを知らしめる。
異世界シースーアの【闇世】の迷宮【報いを揺藍する異星窟】の迷宮領主【エイリアン使い】オーマとして。
後頭部から伸びる神経の束たる【異形:勁絡辮】を接続させたまま、技能【巨大化】や【矮小化】を組み合わせた複数の触肢茸と骨刃茸と鞭網茸などから成る『エイリアン輿』に包まれたまま、俺は眠りについていたのだ。
無論、冬眠をしていただとか、胎内回帰願望のようなものを満たしていたわけではない。
――深く深く、この俺自身が産み落とした【異星窟】と繋がるためである。
「一晩で5年は若返った。そして直後に5年は老けたような心地だな。往復して合計3,652日分だから、まぁ、こっちで過ごした時間の方がむしろ"夢"に感じられるか」
誰に対するでもない嘆息を軽口のように吐き出す。
――今この瞬間もなお、俺の脳内には様々な情報が駆け巡っている。
【勁絡辮】――この俺が元の世界の人間の枠をさらに一歩踏み外して、この世界において特殊な役回りを引き受けることになった証――を通して、俺の【眷属心話】やそれを包む副脳蟲どもの【共鳴心域】の空間は、むしろエイリアン達の情報によって満たされているかのようであった。
例えるならそれは第三の開闢である。
まず迷宮領主として【眷属心話】を得た。そこで俺は『エイリアン語』という一つの思考と認識の大系に遭遇した。
次いで副脳蟲どもが誕生して【共鳴心域】の力によって『エイリアン語』との結びつきが強まる。彼らを介することで、俺は自分自身に理解できる言語や概念として【異星窟】や【エイリアン使い】そのものを俺自身の意思で動かすことができるようになった。
そして、今。
【勁絡辮】はそれを俺の身体感覚レベルにまで急激に引き上げたのであった。
かつて元の世界で、VR技術を利用して「人間を巨大な蜘蛛の体に宿す」という実験が行われたことがあるらしい。すると、最初は当然混乱していた被験者であったが、訓練を重ねるたびに、自身には本来存在しないはずの「蜘蛛の肢」を操作する"脳"力が急発達したという。
あるいはもっと卑近な事例で言えば、いわゆる「第3の親指」として、外部から接続する義肢で、本来人体には存在しない部位を接続したところ――実施はこの「第3の親指」は足の指で操作したらしいが――急速に脳による学習を促した。
さらに別の事例では「上下の光景が逆転する眼鏡」を装着して生活をするという実験でも――被験者は1週間足らずで適応し、自転車さえも難なく漕いで日常生活を送ることができるようになった。
其れらと同じことが起きた、と言えるだろう。
単なる副脳蟲による『エイリアン語』の翻訳とも異なるのだ。
俺は現在、『レクティカ』として新たな"名付き"とした――複数体のエイリアンの集合体を1つの個体として扱うという意味で試験的だが――『エイリアン輿』に【勁絡辮】で接続している。
さらに、レクティカの一部を成す維管茸によってその一部に接続されている『エイリアン杖』こと三ツ首雀カッパーとさえも接続している。
――彼らのその"身体感覚"が、そのまま俺の中にフィードバックされるのだ。
まるで、自律神経によって俺の意思とは別に心臓や胃腸が鼓動し蠕動しているのが感じられる、のと同程度に、絶えず触肢茸達が【内臓流動】させて俺にとって最も安定して快適となる"姿勢"を保つというその筋肉の運動や、維管茸を通したカッパーの【魔素覚】が俺自身の【魔素覚】と接続されたことによる――単なる"補助"に留まらぬ【魔素操作】の高まりとその精緻にして鋭敏なる感覚が、全身と全神経に接続されているのである。
……この異常な、じっとしていてもはっきりとわかる、全身の筋肉を何度断裂されたかもわからないほどの超再生は――おそらくだが副脳蟲どもがこの俺の「ブートキャンプ」にレクティカを活用した、というところか。
大した睡眠学習である――まだまだ"慣れ"と"訓練"は必要だが。
俺は激痛で痛む腕を動かすように、激痛で痛む神経を経由してレクティカを形成する骨刃茸を動かすように念じることができ、また同様に、カッパーの三ツ首雀としての【魔素覚】を通して、迷宮領主となって得たそれをさらに延伸させ延長させ、ありありとその青の仄かなるを感じ取れるようになっていた。
それこそ、小石を摘んでより分けられる能が、さらに、砂粒よりも小さな粒子を摘んでより分けることができるようになった――とでも呼ぶが如くに。
「十分に位階上昇させて色々な感知系の技能を取らせた超覚腫辺りに接続させてみたら、とんでもないことになりそうだな?」
――などと告げると、俺が言葉にするよりも早く"思考"を読み取られたか。
同じく維管茸によって『エイリアン輿』越しに、俺を中心に花弁の如く接続されている6体のエイリアン=スポアのうちの1体が警告を与えてくる。
≪きゅぴぃ、造物主様が不穏さんなことを言うからモノがぐずってるのだきゅぴぃ。こうなったモノは面倒くさいさんなのだいだだぎゅびびモノ噛みつかないで! 僕のぷるぷるさんがぶぎゅぶぎゅさんにぃいい!≫
≪お姫ぇ~眠い~起こさないで~≫
"噛みつく"ための口も牙も無いだろうがお前ら、という突っ込みすら野暮である。
なにせこの副脳蟲どもは――現在、その存在昇格のために、絶賛エイリアン=スポアの中でどろどろの生命のスープと化しているはずなのだから、二重三重の意味でそんな芸当などできるわけはないのだが、まぁ、いつものモノからの警告であろう。
超覚腫が持つ【八覚感知】という技能が指し示す「8番目の感覚」が何であるのかを、俺はまだ理解し得ない。
それは間接的には、【人世】の魔導大国『長女国』の最上位魔導貴族たる【四元素】のサウラディ家が関わり、あるいは操っている『精霊』とかいう――迷宮の被造物と対消滅を引き起こすとかいう代物を感知できるとかいう代物であることが判明したわけであるが、今の俺ではまだ……いや、むしろ【勁絡辮】を得た今の俺だからこそ危険であるかのように、俺の『警戒心』たるモノが進化のまどろみから目覚めつつ、ウーヌスを道連れに叩き起こす形で反応を示してきたわけである。
――最大の警戒を以て臨まねばならぬ相手であろう。
戦って殺されるというのですらなく消滅であるなどというのは、ある意味では『神威』よりも厄介な事象であると言えた。
だが、今は思考を【異星窟】そのものに戻そう。
この俺自身の"専念"と、そして迷宮領主技能の代行が可能な6体副脳蟲どもを補助装置と成し、新生リュグルソゥム家のキルメの助けも借りて――約2,000%増という処理速度を得た「手動進化」は順調に進んでいた。
アルファ以下の第4世代化を中心とした戦力の拡充。
ファンガル系統を含め、さらに多くの"亜種"を生み出して、それぞれの役割に特化させた第2、3世代達による迷宮経済の更なる拡充と拡張。そしてそれを支える、グウィースによる"生産"能力の大幅な底上げとの連携。
この間に『関所街』へ従徒達や帰還組の『オゼニク人』達を派遣して、趨勢を俺の望む方向へコントロールして動かしていく――ロンドール家が失墜したという事態を収拾しようとする【紋章】のディエスト家が本格的に手を打って来るまでの間に。
実際に【紋章】家がその頭顱侯としての精鋭の軍勢を率いて乗り込んで来る、という『緊急対応』が発生しない限りは――ユーリルを通して俺に宛てられたとしか思えない"梟"の「置き土産」によればそうなる可能性はかなり低いと見積もられていたが――俺は全てを新旧の配下達に任せ、最低でも上位の頭顱侯1家と殴り合っても殲滅されず撃退できる"戦力"を確保するために、女王アリよろしく、この過渡期にまとまったさらに強力な戦力の一心不乱の拡充に務めたのであった。
その期間は約4週間。
ユーリルからの情報や、投降者マクハードやヒスコフから引き出した情報、虜囚ハイドリィらから引き摺り出した情報などを踏まえ、あらゆるパターンをどの程度かかるかをリュグルソゥム一家に"計算"させたギリギリがこの日数である。
そして、一心不乱のエイリアン進化マシーンと化していたこの俺を"起こす"条件の一つとしていた事態が生じて――【勁絡辮】と【共鳴心域】という第二と第三の開闢から同時に訪れた"刺激"によって、俺は目を覚ましたというわけであった。
懐かしく、しかし、未だ痛みと辛苦を伴う追憶と共に。
「"代官"の派遣が正式に決まった、ということだったな? ルク」
≪仰せの通りに、オーマ様。吸血種ユーリル……君の"情報"を加味しなければ、流石のリュグルソゥム家でもこれを本命とするのに抵抗はありましたが、パターンAでした≫
「だとすれば、時間に余裕はある、といったところかな――俺が眠っていたのは31日か。思ったよりも、時間を稼げた方かな」
≪御方様にお越しいただくには、絶好の状況にまで詰めることができました≫
「その前に、ちょっと色々と迷宮の状況を確認したい。それぐらい待たせる時間はあるだろう――お前達も戻ってこい」
≪えっと母さんが……すいません何でもないです大丈夫です! 我が君たるオーマ様の仰せが絶対なのですぐに撤収して【異星窟】まで、我らリュグルソゥム家5名も合流して帰還しまぁす!≫
今の発言は、ダリドではない。
兄よりももう少しだけ、奔放で朗らかな方向にその精神を成長させた――ミシェールが新たに産み落とした2番目の双子の男子アーリュスである。
現在、パターンA――【紋章】家がナーレフに対して最も"消極的"な対応をするパターン――が採られる場合に新生リュグルソゥム家が打つ一手として、キルメを除く5名は、旧【皆哲】家侯都グルトリオス=レリアに潜入していたのであった。
だが、彼らがそう言うのであれば、一両日中には戻ってくるであろう。
――ならば、俺も、そして俺達も本格的に目覚めねばならぬ時間だ。
レクティカに支え起こされながら――まるで自分の右腕で自分の左腕を持ち上げるような奇妙な感覚と共に――俺は林立する臓木林のような、俺を取り囲むような6体のエイリアン=スポアどもを睥睨して。
さらにその外側にて、今まさに羽化の時を迎えんとする"名付き"どものエイリアン=スポアどもを1体ずつ見渡して、次のように覚醒めを呼びかけたのであった。
「さぁ、起きろ。副脳蟲どもに、"名付き"ども。お前達の威容を、【人世】でずっと超過勤務してきた従徒達に、その成果ですよ、と見せつけてやろうじゃないか」
皆様、明けましておめでとうございます。
いよいよ、第3章以降の開始となりました。
旧作との比較でいえば、まだ旧作の一部をここで描きつつという形とはなりますが、中盤から未踏の領域へようやっと進んでいくことができます。休筆してから5年か、6年でしたでしょうか。
やっとここまで、戻ってくることができました。
いつもお読みいただき、また誤字報告をいただき、ありがとうございます。
エイリアン迷宮を再びここから続けましょう。
気に入っていただけたら、是非とも「感想・いいね・★評価・Twitterフォロー」などしていただければ、今後のモチベーションが高まります!
■作者Twitter垢 @master_of_alien
読者の皆様に支えられながら本作は前へ進んでいます。
それが「連載」ということ、同じ時間を一緒に生きているということと信じます。
どうぞ、次回も一緒にお楽しみくださいね!





