0214 刃の踊り子の渡界奇譚(4)[視点:剣舞]
かつて【全き黒と静寂の神】が【闇世】を切り開いた折。
その恩寵を受けて生まれた迷宮領主達は、限定的であるとはいえその『世界創世』の力により、まさに【闇世】の"子世界"――シースーアの"孫世界"――としての、それぞれの【領域】を生み出していくことで、極端に振れやすい【闇世】の自然環境を切り開いた。
しかし【人世】との長き争いの果てに『九大神』と『八柱神』が相討ちとなって共に帰天。
英主として名高かった"初代界巫"クルジュナードもまた【人魔大戦】――【人世】における【英雄王戦記】――で敗死した後、迷宮領主同士が相争う停滞と下剋上の戦国時代が訪れる中で、迷宮を離れて生きる者達が現れる。
ある者達は【城郭使い】としてクルジュナードが残した『城郭』を。
またある者達は、迷宮出身の元従徒達といった、部分的な『迷宮』の力を借りながら、自然を調伏し、あるいは利用して共存して。
またあるいは――【人世】より逃れ落ちてきた古の竜種の遺骸を利用して。
【闇世】の各地に『自治都市』を作り上げていった。
現在の【闇世】では、変わらず"2代目界巫"と『5大公』『3公爵』を頂点に迷宮領主達が君臨し【闇世】で強大な影響力を誇っているものの――その権威と実力に服さず、距離を置いているこうした『自治都市』や、諸勢力が力を高めゆく過渡的な状況にあると言える。
――しかし、一歩でもこうした『自治都市』から外に出れば、そこは力無き者は容易に飲み込まれ打ち砕かれ塵に還るべき試練の大地である。
それでもこれらの『自治都市』や、各地に点々とする「人の住む領域」を結ぶだけの実力を持った者達が存在する。
彼らの多くに共通するのは、迷宮領主――現存するものであろうと既に滅びたものであろうと――の"元"従徒であることであり、主から与えられた力と権能の一部を、【闇世】の各地に散らばって懸命に生きる人々のために還元するという過酷な生き方をあえて選んだ酔狂者にして俠気者達である、ということ。
故に都市から都市へ、街から街へ、村から村へ。
そして時には辺境から辺境へと旅をして、そこに人と情報と物資と、そして技術的な交流をもたらす者達。
――かつて"初代界巫"に至ったクルジュナードが【闇世】の民にそう呼ばれたように、人は彼らのことを『旅侠』と呼ぶ。
「あの時の洟垂れ小僧が、先輩"旅侠"であるこの俺に、随分な口を利くようになったじゃないか、ええ? シヴ・ウール『代表』殿? グウィネイト殿から教わったのは、戦い方と生き延び方だけじゃぁないな。安売りしすぎたか――シシッ」
「あぁ……自分の命を狙う男への投資が、少なかったようだな? まさか……本当に『ダフィドネ』に顔を出すとはな……」
狐の目をした黒緑髪のターバン男キプシーが、しゃべるたびに【異形:先割れ舌】を揺らす。
その異形は、ものを喋る分には特定の音韻だけでも言いづらくしそうなものであったが――おそらくは「普通」に発音することができるように、相当な努力をしたのであろう。蛇の舌をした"人売り"の発話は流暢なものである。その"舌"を自由に泳がせては、きっと大抵の者はいいように言いくるめられてしまうだろう、という警戒心と、そしてある種の安心感を与えるような、なめらかな滑舌で舌を回す男であった――その笑い声以外は。
「へぇぇ! あんたが、噂の"人売り"さんってわけかい。親父の"仕事仲間"って聞いてたけど、どんな物好きか命知らずかと思ったら、負けず劣らずって感じだな! なぁ、ネフィ姉?」
「あぁ、そうだな。あの父さんが『用事が無ければ会うのを避けたい』てボヤくなんて、相当の相手だぞ、なんで殺されてないんだ?」
「そりゃあ、だって親父は単純だろ? あたしらとは価値基準がちいっと違う。使える人間は全部味方、使える存在は全部手駒、だったか?」
「確かに! 【人体使い】とかどう見たって隙あらば父さん殺そうとしているし! "敵"だよなぁ、普通の感覚だと……あたしらの"普通"が世間の普通と同じかはわからないけど。でも、父さんの基準からしたら『味方』なのかぁ、この細目のひょろいおっさんがなぁ」
男同士に如何なる因縁があるかなど頓着せず――その戦闘能力の故に――初めて出会う"人売り"の二つ名を持つ「大商人」を相手にネフェフィトとメレイネルが好きに言いたいことを言う。
その様子に、細い目をさらに細めつつ、キプシーは人懐こそうに笑った。
「シシシッ。会うなり失礼な小娘達なことだ、だが、太客中の太客であるフェネス殿の依頼なんだから仕方ないだろう? シヴ殿、それが理由だよ」
「あー……悪いな、ネフェフィトにメレイネル。俺は……この"人売り"に、個人的な用事があるんでな……悪いが二人きりで話させちゃ、くれないか?」
「あ? 駄目に決まってんだろそんなの」
「そうだぞ? ――その『鉄の杖』を今にもぶっ放そうとしてるじゃないか。せめてあたしが無事に【人世】に送ってもらった後にしてくれよ」
「うひひ、しかも――キプシーさんよぉ。あんたも抜け目無いな? 5人、いや、10人はいるよな?」
あるいは、それは数日数夜の"旅"の中で芽生えた一種の軽い共同意識のなせるものであったかもしれない。ネフェフィトもメレイネルも、共にシヴがキプシーを、事によると害すのではないかという懸念を理由としてはいた。
だが同時に、キプシーほどの"恨み"を買うことすら投資の一貫と考えているような人物が――だからこそある意味で【鉄使い】フェネスに気に入られたのかもしれないが――丸腰で無策で、自分に敵意を持っていることが明らかな存在の前に現れるはずがなく、そしてその読み通りに、周囲にはおそらく手下か『ダフィドネ』の自警戦力だかその連合部隊だかが包囲していることを看破していた。
――その意味において、この場を離れない、という二人の宣言は本質的にはキプシーではなくシヴを守るという意思表示として映る意味合いもある。当人達が気付いているかは定かではないが。
そしてまた同時に、ネフェフィトとメレイネルには純粋に、このシヴ・ウールという三白眼に大きな目の隈を組み合わせた凶相の年若い青年が、父フェネスとも取引のある今世に名の知られた"旅侠"とどのような因縁があるか、興味を惹かれずにはいられなかったのだ。
そんな"武闘派"姉妹の勝手を、それぞれ予想外に思ったのか否か。
キプシーとシヴが目を見合わせ、そこで無言の応酬と妥協があったか。
観念したようにシヴが、好きにしろ、と姉妹に吐き捨ててからキプシーに向き直る。
「どうして、また現れた……最近の"活動"っぷりはなんだ? お前を捕まえていろいろ吐かせたい奴なんて"売る"ほどいるぞ……俺みたいにな」
「【人世】が騒がしいからねぇ。フェネス殿からもいろいろ頼まれてしまってね? おちおち世を忍んでもいられなくなったのさ。シシシッ。ま、本題に入りなよ?」
「単刀直入に聞く……キプシー、てめぇは――『聖歌隊』の一件に……どこまで、関わっていやがる……?」
「まぁ、君が気になってるのはやっぱりそのことだよねぇ」
(なぁメリィ。"あのガキども"ってなんだ?)
(あ? あたしが知るかよ。わからなきゃ口挟んで聞けばいいだろーが、どうせもう馬鹿だってバレてんだからうひひひ)
――"人売り"キプシーはその名の通り、一言で言えば【闇世】を旅する『人材屋』である。
彼と彼が率いる旅商団『舌切バサミの団』は、各地を旅しながら「人を買い」あるいは「人を拾い」、そしてその者の適性を見出しながら育て、鍛え、そして彼らを必要とする場所まで連れて行ってから「売る」ことを生業としている。
現代の有力な"旅侠"の中で、これに近い生業を行っている者としては他に『口入れ屋』のズィルバ、『大親分』ジオッキオなどの名も上がるが――これらが"量"や"地元密着型"を売りにしているのに対し、キプシーは"質"と"手広さ"を売りにしているという違いがあった。
噂でしか姉妹とも聞いたことはないが、キプシーは――"裂け目"の向こう側――とも取引を行っている、らしい。
その意味では、なるほど、ネフェフィトを【人世】に送り届けるには実に妥当な人選であると言えただろう。
「やっぱり……何か知ってるんだな。そりゃそうだ、てめぇが関わっていないわけが……無い」
「なぁ、話し始めたばかりで悪いんだが、『あのガキども』ってなんなんだ? あたしにもわかるように教えてくれ」
歪めた表情で二の矢をシヴが告げようとしたところで、妹にそそのかされたネフェフィトが躊躇なく口を挟む。その様子に、こいつマジかよ、という形相で睨みつけるシヴと、その様子をニヤニヤと笑うキプシー。おい、この馬鹿姉本当に口挟んだようひゃひゃひゃ、と腹を抱えるメレイネル。
やっぱり追い払っておくべきだったか、と後悔しつつ、観念したシヴが手短に説明する。
――その集団の正式な名前は『アハルカーロの聖遷唱歌少年献戦隊』。
一言で言えば"テロ組織"である。
(なぁなぁメリィ)
(あ? 今度は何だよ)
(【闇世】で一番危険な"テロ集団"って『破廊誓』じゃなかったのか? 父さん曰く。アハルカーロなんてあたし初めて聞いたぞ?)
(だから、あたしが知るかよ! わからなきゃ聞け、そして野郎どもの困って我慢している顔をもっとあたしに見せろや、うっひひひっ、今日は晩飯だけで3杯いけそうだぜ)
(やーやめとく。『男が真剣な時ってのは月の下で想い人に花束を出す』みたいなもんらしいし? シヴ先生、ちょっと目がマジだったし……)
(マジで惜しいよな。あと5年でもっとあたし好みにギリギリ半歩踏み入れるかもって感じなのになぁ)
(うーん、うん、メリィの男の趣味は誰に似たんだろうなぁ)
この"テロ組織"には、とある特徴があった。
その構成者が――尽く子供であること。
しかも、ただの子供ではなく――いずれも『神の後援を受けし者』である、ということ。
そして、そんな【人世】で言うところの『加護者』に相当する彼ら「少年献戦隊」の掲げる大義とは――"あらゆる戦場と搾取からの子供の解放"であること。
そして極めつけである、その大量破壊の手段が――。
「【神威】を暴発させて、その身を文字通り吹き飛ばして周囲一帯を破壊させるだなんて、いやはや神をも恐れぬ所業だね、ほんと。術者は死ぬから使い捨ての大魔法か大超常みたいなものなのかな? そこのところ迷宮従徒としてどう? ……おほん、あのねぇ、シヴ殿。いくらこの俺が顔が広いからって、俺にだって"人売り"と呼ばれるだけの意地と義理があるんだ、そんなもったいないこと、するわけないじゃないか、馬鹿らしい」
「ほざけよ。てめぇには前科がある……この俺自身がその証人だって、てめぇ自身が知ってるはずだ……」
「シシシシッ。『少年征世軍』だろ? あれも大いなる"人材"の浪費だった、もったいないことだ。むしろシヴ殿みたいな拾いものができたのが、俺にとってはせめてもの収穫だったけどねぇ」
「答え方を間違えると……次に"収穫"されるのはてめぇの命だ……どうして、俺以外を……見捨てた……ッッ!」
『鉄杖』を構え、キプシーに照準を合わせるシヴ。
まずいかな、と考えたネフェフィトが止めようとするが――彼女の動きをメレイネルがにやけ顔で止める。軽口を叩きながら周囲のキプシーの手下達の様子を見ていたメレイネルであったが、まだ、触発ではないと見抜いているらしい。そういう危険察知能力に関しては、メレイネルの方が秀でていた。
「――やっぱり君はまだ"妹"を探しているんだねぇ。『ネバーラァル』を設立したのも、それが理由だろ? シシシシッ。この俺にはね、全部【お見通し】なんだよ、そんなことぐらい」
「『あの茶番』に関わっていたてめぇなら……当然、推測できることだ……」
シヴの言動にわずかに揺らぎが混じったことを、キプシーが察する。そしてもう一人、ネフェフィトが察していた。
そこにわずか、後悔の念とも罪の念とも取れる淀みが――戦場において戦士の手元を躊躇させる類のものが見え隠れしたことに、片や狐の観察力を持つ男が、片や本能的直感的な踊り子が気付いた。
「あのねぇ、シヴ殿。これは"旅侠"の先輩としての忠告だが、あんまり迷宮領主を敵に回しちゃいけないのだよ? ――そして、中途半端にそうしようとして、腹いせに同じ"旅侠"仲間に詰め寄るなんてのは、もっと愚かなことなのさ。俺達は、迷宮領主の前ではみんな面従腹背だ、そうするべきだし、そうじゃないと生き残れない。そうだろ?」
「……どういう意味だ」
「その歳で『自治都市』まで設立したくせに、まだ腹が据わっていないわけじゃないだろ? なぁシヴ殿、君は迷宮領主と敵対しようとしてるってことさ――はっきり言うが、破滅するぞ」
「はっ! 覚悟なら、とっくの昔に済ませてるさ……! 命乞いはそれで終わりかよ……?」
緊張が高まる。周囲から数名、キプシーの手下達が顔をのぞかせる。
都市の自警戦力と思しき者達も遠巻きに集まってきており、様子を窺っている。さらに遠巻きからは、『ダフィドネ』を形成する"褶曲"した大地にくり抜かれた住居の窓から、如何なる手段によってか、外れにあるその地を誰かに指し示されているかのように、大人も老人も子供達も様子を心配そうに見守っていた。
それは、ただ単に『ダフィドネ』における混乱の気配を嫌っただけではない。
"人売り"という悪名を馳せるキプシー=プージェラットという男もまた、"旅侠"としては、迷宮領主に頼らず距離を置く生き方を選んだ人々にとっては、亡くすには影響が大きすぎる存在なのである。
それも『ダフィドネ』のような、逃げてきた者達が集い集まる都市においては、ことさらに。
そのことをわかっているからこそ、シヴ=ウールもまたギリギリの駆け引きに文字通り指を掛けているのである。
「なぁ、シヴ先生」
――あわやシヴの【魔弾】が撃ち放たれ、"逃げ腰"の自治都市『ダフィドネ』で戦闘が勃発しようかという瞬間、その張り詰めた空気を壊したのは、またもネフェフィトであった。
「……今度は、何だ、何なんだ、一体」
「シヴ先生はその『聖歌隊』とかいうのを追いかけて、このキプシーって舌の長いおっさんを探していた。そんで、キプシーはあたしらの父さんの知り合いだ。じゃあ、シヴ先生は、あたしらの父さんのことも疑ってるのか?」
メレイネルが楽しそうに「あちゃー」とおでこを叩いて見せる。
――居ても立っても居られなかったであろう、"三女"ネフェフィトが場を収めようとした言い分が、よりにもよって「それ」であることに呆れたからであった。その目は「おいおいネフィ姉、火を消すためにぶっかけるのが液体なら何だっていいのかよ、うひゃひゃひゃ」とでも言いたげであった――が。
答え方で逡巡することとなったのはシヴであった、という点においては、つまりただ数瞬そのキプシーを害してでもという気勢を削ぐということのみに限れば、それは絶妙のタイミングではあったと言えた。
キプシーがその先の割れた舌を踊らせて笑い、表情を和らげて掌を叩く。
そしてシヴの警戒心の隙を突くように――熟練の商人らしく――最適の機に最適の提案を繰り出した。
「困ったね? シヴ殿、とても困った――君は"情報"を得るまで引き下がれないし、俺だってここで死ぬリスクはできれば避けたいし、『ダフィドネ』だって厄介事は避けたいはずでみんな気が気じゃない、俺は嫌われているからな? そしてフェネス殿からの"お届けもの"達だってとっとと『目的地』に行きたいはずだ」
だから、そんな君に、この俺から実に良い"提案"がある――と、キプシーがシヴとネフェフィト達を、自分を、そして周囲を指差し、1つ1つ言い含めるように指を立てていく。そして返事を待たず、シヴの表情の変化を――【異形:重瞳】のわずかな揺れからその心理の変化を推察するかのように狐の観察眼でたたみかける。
「君がこの俺とも、フェネス殿やその小娘殿達とも敵対せず、『ダフィドネ』から恨みも買わなくても良い、そんなまるっとこの場を収める良い手があるんだ」
続きを言え、と目で促すシヴに、キプシーがまるで透明の商品を紹介するかのような大仰な手振りで――遠目に様子を見守っている自治都市の住人達にも見えるように「提案」を続ける。
「この俺に無事に"三女"殿を【人世】に送り届けさせてくれれば、彼女がそこで――君の"妹"を探す手伝いをしてくれるだろう」
「え? は?」
「うっっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「……ちょっと待て。どういう意味だ」
予想外の展開にシヴが放っていた剣呑な空気は完全に水を差された。
【魔弾】を放つ武器たる『鉄筒状の杖』を傾け、シヴが訝る。その口は、思ったことをすぐに言わないだけの賢明さがあったが――。
「う、うちの馬鹿ネフィ姉に、ひ、人探しとか……! うっひひひひひ、うひゃひゃひゃ! あーおもしれぇキプシーのおっさん超おもしれぇ!」
「め、メリィ! お、怒るぞこの馬鹿! 馬鹿メリィ! 下品メリィ!」
始まる姉妹喧嘩に、すっかり毒気を抜かれたシヴが『鉄の杖』を完全に降ろして、キプシーに意図を問うた。
「おっと、言葉が足りなかったな、シシシシッ。正確には――"三女"殿の"監視対象"殿にご協力してもらおうじゃないか?」
「監視対象……だと?」
ネフェフィトの【人世】での"任務"までは聞かされていなかったシヴは、そこで明確に、自身の知らない思惑や要因がこの一件に関わっており――それは単なる一要素ではなく、ともすれば主要素であるかもしれない、とここで悟った。
「……ん? え? いいのか、それ?」
「それをどうにかするのが"三女"殿のお役目ってことさ、フェネス殿から聞いていないのかい? まぁ上手くやってくれよ、他でもないシヴ殿の大事な"妹"の捜索なんだ、君だって嫌な気はしないだろう――さて、これでシヴ殿はフェネス殿と敵対せずに済むね、よかったよかった」
「うひひひ、こ、このネフィ姉が、うちの不肖の姉が誰かに何かを頼むって、頼まされるって、うひひひ……あーおもしれー――でもさー。なぁ、キプシーのおっさん。それじゃ、シヴクンとあんたとの腐れ因縁が解消できてねーだろ? 誤魔化そうってのかよ?」
「無論だとも、"四女"殿! シシシシッ」
糸のように目を細めるキプシーが、あまりの展開に理解が追いついていないネフェフィトからメレイネルに顔を向けた。
「そのことだけどね、フェネス殿の了解はもう取ってあるから、ちょっとこの俺に護衛として雇われてほしいんだ、"四女"殿」
「……あ? いや、本当に親父を通してるっていうならいいけど、なんであたし? てーか、何処まで? あたし帰ったらヴィヴィ姉に髪の毛切ってもらうつもりだったんだけど」
何処まで、と問うメレイネルに対し表情で微笑みながらも――"人売り"キプシーは目だけシヴに向ける。その意図をシヴは即座に察したようであった。
「おい……"人売り"。てめぇまさか」
「『ネバーラァル』も何かと"入り用"じゃないのかい? 君が『共同代表』達に黙って、この俺にこうして直談判に来たことだって、シシシッ、言ったじゃないか、全部この俺には【お見通し】だよ」
キプシーが披露した"手打ち"の条件。
それは彼の率いる旅商団『舌切バサミの団』と、シヴが代表を務める『ネバーラァル』の間での通商協定の締結であった。そして、狐の目をした男の蛇の如き舌は、さらになめらかに踊る。
曰く、"手土産"として。
【アハルカーロの聖遷唱歌少年献戦隊】の狙う都市が、次とその次はどこなのかを教えてあげよう、と。
「ははぁ、あたしは"見届け人"ってことだな? でもそーするとキプシーのおっさん、随分とシヴクンのことを買ってるってことだな? 面白そうだし、ついていってやるわ! うひひひ、話聞いていると『ネバーラァル』ってとこ、なんか面白そうだし? 悪ぃなネフィ姉! うひゃひゃひゃ!」
「は? え? だって、付いてきてくれるって……嘘だったのか、メリィ! この薄情者!」
流石に、この条件を想定していたシヴではなかった。
彼の目的はあくまでも、久しぶりに表立った活動を開始していたキプシーと接触することであり――彼を通して『聖歌隊』の情報を、できればその裏で糸を引く何者かの正体を吐かせることであった。
――【鉄使い】フェネスの娘達は、その道中でお守りするだけの存在に過ぎなかった。あわよくば、フェネスが『聖歌隊』に関わっているかどうかを探れれば良い、ぐらいのものであったか。
だからこそ、己自身の"事情"にここまで深く彼女らが関わり、そして組み込まれてしまったこと。
――それをキプシーがフェネスと裏でまとめていたことに、さらにはそれが主である【魔弾使い】グウィネイトにまで話が通されていたことは間違いないことを悟り、言い知れようのない不安がよぎった。
だが、魅力的に過ぎる条件であったのだ。
特に――"妹"の捜索に関しては。
自治都市『花盛りのカルスポー』の"英雄"であった【樹木使い】リッケルは、公的に自称はしていないが、その経歴は"旅侠"のそれである。会ったことのない存在であったが、それでもその活躍は"旅侠"を経て迷宮領主となりながら――しかし"旅侠"の心を忘れぬものであると受け止めており、シヴにとって己の身を処すに当たって、参考としていた存在の一人であった。
――そんな【樹木使い】を完膚なきまでに打ちのめした"新人"の迷宮領主がいる、という噂が徐々に【励界派】の従徒達の間でも、広まりつつあった。
それほどの実力者が【人世】で――自分にとっての"忘れ形見"を、本当に探してくれるという。
【鉄使い】が、そうさせるという。
――彼の【闇世】の"界巫"の懐刀と、目の前の"人売り"には共通点がある。
それは、その言動は油断ならないものであるが――だが同時に、口にした約定は、あらゆる手段を使ってでも成し遂げるし、遂げさせる、そういう類のものであったからだ。実現できることしか、彼らは交渉の"条件"として口にすることは、無いのであるから。
例えその"実現"のために、どのような「付加条件」が下されたとしても。
既に『ネバーラァル』という守るべき場所を抱えてしまい、【人世】に赴くことなど夢であるシヴ。
【魔弾使い】のために働くことさえも、無理に無理を重ねた中での二足のわらじのようなものである。そんな、自由に動けないシヴにとって、その提案が含むのはどれほど魅力的な"条件"であろうか。
――たとえ『ネバーラァル』という雛鳥の巣に、この毒蛇のような男を招き入れることになったとしても。
「……なら、まずはその『次』の都市を言いやがれ……全部【お見通し】なんだろ?」
言った瞬間。
シヴは即座に違和感が膨れ上がり、後悔することとなる。
"人売り"キプシーが、楽しそうな、とても楽しそうな愉悦のこもった表情で、シヴの後ろの方――『ダフィドネ』の街の方を目で指したからだ。
「おい……おい、おいおい、まさか……!」
「シシシシッ。無駄話が過ぎたね、あと5秒も無いよ。じゃあ、お互いに生きてたら『ネバーラァル』で会おうか!」
弾かれたように振り返るシヴ。
その【異形:重瞳】が、外れで交渉していたシヴやキプシー達を遠くから見守っていたはずの住民のうち――窓から顔をのぞかせていた複数の子供達がいた辺りに向けられる。
だが、既にそこに"子供"達の姿は無い。
そして次の瞬間。
刹那いくばくか、大気がぴりぴりとひび割れるかのように震えた――かと思うや。
まるで【闇世】全体が悲鳴を上げ、苦しんで軋むかのような、全てを埋め尽くし貫くかのような【光】魔法による膨大莫大な閃光が、【黒き神】の宿敵たる【白き御子】がその片鱗の一欠片だけでもこの大地に顕現させ出現させたかのような巨大な【神威】の力が、文字通り周囲の全てを吹き飛ばし。
"逃げ腰と褶曲の"自治都市『ダフィドネ』が、その名を冠する防衛機構たる"大褶曲"現象をほぼ同時に発動させ、たちまちのうちに辺りを幾重もの土砂と瓦礫の大蛇の乱舞が覆い尽くしていく。
瞬く間にシヴはその中に取り残され――キプシーと、そしてネフェフィトとメレイネルを見失ってしまったのであった。
***
「あははーいつ見ても綺麗だよねーみなりん。【白き御子】さまの【神威】の顕現ってさー? ほんとこう、ぴかーってなってどばーってなってね、うんうん。それに比べたら、やっぱり【黒き神】ってちょっぴり陰気かなーってね」
「そうですね、可愛い姫様。ですが『九大神』の主神様へのご批判と受け取られるような物言いは、もうちょっとだけ抑えてくださいね? そう、お菓子を包む紙みたいに」
「はいはいーわかってるってばー。でもさーあったしほんと不思議なんだよねー。『聖歌隊』のあれって一体どーやってるんだろーってさーだって普通だったら【白き御子】様派の【神威】なんてさー? 【黒き神】様派に妨害されるわけじゃんーその仕組の腸解剖して引きずり出してやりたいって思わないー?」
そこは【闇世】の"大陸"の西部の何処か。
「まぁでもでもー? ぱぱがいずれぎるるん……じゃなくて"界巫"ちゃんをぶち殺したら、ぱぱが"界巫"になるからねーわかってるわかってるー順調にいけばその後ぱぱが死んだら? あたしが4代目とかになっちゃうから。400年後の重責の重さってやつはさー今のうちから理解してますよーだ」
甘ったるい、砂糖水か蜂蜜か、はたまたこの世のありとあらゆる甘露、甘味の類を常時滝か川のように流しでもしない限りは生み出せぬような、むっとする"芳香"で満ちた場所。
「でもいい気味だしー? ちょっとぐらいは"敵"方の神様ほめちゃってもいいでしょーだってあれで、あはは、れぇぱんの"仕込み"全部台無し。まとめてぶっ飛ばされたわけだしー、ふぇねちゃんのこういうところほんっと容赦無いよねー」
「本当にそうですね、可愛い姫様。あの醜男がどこから計算していたかはわかりませんが……【幼生使い】を追い込もうとしているのは、本当みたいですね……可愛い姫様へのお詫びという体で、【幼生使い】の"ネズミ"まで押し付けてきて……甘くするのに時間が掛かります。ですが、本当に、"2代目界巫"様も、ご配下同士の仲が悪くて気味が良うございます」
「ふぇねちゃんは超々腹黒いからねーお腹の中にー1匹や2匹じゃ効かないからね、あのタマはさー。ぎるるんにだって、面従腹背でしょーあれ絶対! でも、あはは、みなりん、『も』ってなにーもしかしてぜふ爺と自分のこと言っちゃってるわけー? あたし、ぜふ爺のこと結構好きなんだけどー」
「いけません、可愛い姫様! いいですか、忠誠心というものはですね、甘くとろやかに包み込むようなものでなくてはいけないのです。醜い嫉妬の炎や、可愛い姫様の表現を借りれば、お腹の中にどろどろと醜いものが詰まっていてはいけないのです。お腹を引き裂かれて、それでもキラキラとした、美味しいかろやかな甘菓子みたいなものが、詰まっていないといけないのですよ?」
「うんうん、そこまで言ってくれるのみなりんだけだねーほんと。だからあたしが一番信じてるのもみなりんだからねーそこは本当の本当。でもさー、あはは、あたしここまでふぇねちゃんが本気だなんて、実は疑ってたし予想してなかったんだよねー。何、ふぇねちゃん、本当の本気で【人世】にまで"捜索"の手を伸ばすつもりなのかな、あはは」
「【幼生使い】を追い込み始めたのは、つまり、そういうことでしょうからね……『聖歌隊』の子達も、かわいそうなことですね。まだ、この世界には甘くて美味しいものがたくさんあると、知って良い年端も行かない子供達だというのに……」
「こりゃあねーひょっとするとひょっとするよー、本当にひょっとするよー。おーま君だっけ? 彼の活躍にご注目ーってやつだよねー! ぱぱは未だにさー、ハルラーシにご執心だけどさーあたし的には賭けるなら断然おーま君だねー、ひょっとして本当に『聖歌隊』の秘密にたどり着いちゃうかもねー? ――そうなったらさー、あっはははは!」
――2代目界巫どうするんだろうねー、と【宿主使い】ロズロッシィ。
――それはそれは、とても楽しそうなことになりそうですね、と【甘露使い】カタリッミナ。
【幻獣使い】に仕え、その娘【宿主使い】を補佐するカタリッミナの迷宮領主としての権能は――【甘露使い】。
その声が糖度を増していく。それは、聞いている者によっては胸焼けがするほど甘ったるい声であったが――だが、同時に、"その部屋"には徐々に血と臓物のにおいが入り混じり始めていたのであった。
――ロズロッシィの好物である"腸菓子"が生成されているのである。
『ハルラーシ回廊』の動乱に際し、激化を強める【励界派】同士の争いと、介入を深める"界巫"閥に対し、未だ【幻獣使い】の勢力は余裕を見せつけるかのような静観を保っているのであった。





