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0213 刃の踊り子の渡界奇譚(3)[視点:剣舞]

 幼き日。

 お前は捨て子だ、拾い子だ、と言われ続けてきた日々をネフェフィトはおぼろげに覚えている。


 【闇世】に【黒き神】を奉じて撤退(・・)した、勇ましく敬虔なる『ルフェアの血裔』達の中に交じりながら、なぜ、彼女は――まるで【人世】に住まう"神の敵(エレ=セーナ)"達の一派のような容貌をしているのか、と。


 ――馬鹿らしい、とネフェフィトは、朝風を受けて流れるような髪を手で押さえ、はらう。


 前髪の生え際、額の央には……数年前に皮膚を突き破ったばかりの、まだ"生えたて"の『一本角』が、春の新芽のように顔をのぞかせていた。髪をかき分けなければわからないが、しかし、それでも確かにネフェフィトはその『一本角』を通して"世界の息吹"を感じている。


 【魔素】が。

 【命素】が。

 『ルフェアの血裔』を慈しんだ【黒き神】が、その身を削ってまで構築した、【人世】から"必要なもの"を吸入するための機構が吸い込んだ「生命の構成要素」とでも言うべき巨大な流れが――己の額を点穴の如く経由して、その命の息吹を全身のすみずみ、指先とつま先にまで満たしていく感覚を知る自分が、どうして『ルフェアの血裔』ではないと言えようか。


 【黒き神】より与えられし種族的恩寵たる【異形】が"生えた"時、ネフェフィトの出自を疑う者はいなくなった。

 しかし、それならば――"()"は、その"()"は、どうなのかと口さがない者達は、ただ視座を変えるだけであったのだ。


 だが、それも彼女にとっては限りなく遠い(・・)記憶である。

 ――【(くろがね)使い】フェネスの"娘"であると知らされ、護衛である武器系眷属(ファミリア)を無数に率いて、さながら育ったその街を攻め落とさんばかりの剣幕であった"姉"だと名乗る2人に迎え入れられ。


 ()()()()を捨てるように飛び出して【鉄舞う吹命の渓谷】に足を踏み入れた。

 あるいは、捨てられた(・・・)のはネフェフィトの方であったか。


 それはほとんど忘れていたような記憶だった。

 忘れていたということ自体を忘れていた、とすら言える、そんなどこか遠い記憶だった。


 だが、それは確かに在る記憶でもあったのだ。

 【闇世】において『"元"城郭都市』でもなければ『自治都市』でもない、力の弱い"街"は、たとえどれだけその見てくれが頑丈堅牢に見えても、実際のところ開拓村との差は毛が生えているか生えていないか程度でしかない。それほどまでに【闇世】の"自然法則"は、力の足りぬ者にとっては過酷である。

 その中で、弱者や異端者を見出して疎外することで心の平穏を得ようとするのもまた"人"の業であるか。


 ネフェフィトの心に灯ったのは、己が何者であるかについての根源的な"問い"だったのだ。

 そればかりは、例え、彼女を最もよく理解し、しかし、同時に最も嫉妬(・・)している妹メレイネルであっても――父に【人体使い】と取引させてまで、己と同じ(・・)"褐色"の肌を得た――決してわかるはずもなく、伝わるはずもない"問い"だろう。


 【闇世】において多くの敵を持つ存在たるフェネスの"娘"として、従徒(スクワイア)たるに求められる厳しい鍛錬を施された彼女であったが――わずかな暇を見つけ出しては迷宮(ダンジョン)中を駆け回り、眷属(ファミリア)や、よその地域から流れてきて父フェネスに仕えることとなった従徒(スクワイア)衆と語らうことが彼女の楽しみであったのだ。


 ――それだけではない。


 およそ【人世】にまつわる事物への彼女の好奇心は留まることを知らず。

 当時は下位の職業(クラス)であった【踊り子(ダンサー)】であったネフェフィトであるが、武器系の眷属達とともに"踊る"ことについては"五人娘"の中でも随一の適性を示して、父フェネス用の"大型の"【蓮座の円刃(ロータスチャクラム)】を盗み乗り飛ばして、やれ、何処(いずこ)迷宮(ダンジョン)に『落人(おちうど)』が現れただの、【人世】からの道具が"裂け目"から流れてきただのといったことに首を突っ込んでは、父や姉達によって捕らえられて連れ戻されることが日課となっていた。


 この頃から、自分と同じく"訓練"を終えて"四女"となった「メリィ」ことメレイネルと悪友の如くウマが合い、互いの背中に向かって敵を投げ飛ばし合うようなコンビネーションで暴れることも増えた。

 だが、その中でも、生涯でまだ1度しか遭遇していなかったが――【人世】からの『祈りを唱える襲撃者』達を迎撃する任務に派遣された際に、激戦の果てに捕らえた"捕虜"と交わした言葉は、衝撃的なものだった。


『その肌、髪、眼の色。お前は「砂国」の出身か? ――いや、よく見りゃ"魔人"か、角なんぞ生やしやがって。だが、"魔人"にしちゃ珍しい肌の色だな』


 興奮のあまり、その場で名を聞くことすら失念してしまった。

 "捕虜"がどうなるか、どうするか(・・・・・)など、いの一番に教えられたことの一つだったというのに。


 自分でもよくわからない感傷が激流のように溢れ、ありとあらゆる聞きたいことが溢れた。

 だが、その日はそれ以上の時間が与えられず――3日後に闇夜に紛れて牢を破ってその"捕虜"と話そうとした頃には、既に牢獄はもぬけの殻となって後悔した自分を、訳の分からないものを見るように遠巻きから、普段は決して見せない真顔で「メリィ」が見ていたことが記憶にこびりついている。


 その後は、父フェネスが【闇世】の各地への神出鬼没の「嫌がらせ」だけでなく、実際に迷宮(ダンジョン)の戦力を拡充した慢性的な小競り合いのような迷宮抗争(ダンジョンバトル)を各方面に対して始めるようになるや、次第にネフェフィトとメレイネルは『防衛』に追われるようになる。

 特にフェネスは、【破廊の志士の誓約連帯】に【叡智に仕え"界"の励起を資さんとする拙き徒達の小派】、そして【鏖殺の帰巣断行会】などといった"中小の爵位持ち"の連合グループとの関わりを強めていく。最後の【鏖巣会(おうそうかい)】という――(ビースト)系の生物や魔獣の類を眷属(ファミリア)とする迷宮領主(ダンジョンマスター)連合――などは、一体フェネスによってどのように煽られ倒されたのか、激しく襲来しては文字通り"錆"と化し、血肉を土に還して、新たな『金属』に転生するための「定期便」と化したのである。


 ……そんな最中のことであった。

 父から「面白い"新人"クンがいるぞ」と、声がかかったのは。


   ***


 【魔弾使い】の『精鋭狙撃手(エリートスナイパー)』シヴ・ウールの誘導により、屍人達の群れの土手っ腹を切り裂くようにしてその重囲から逃れ出たネフェフィト一行は、一路、自治都市『ダフィドネ』を目指した。


 自然法則が過酷なだけでなく、【闇世】には比喩でなく「世界創造」の力を持つと言っても過言ではない絶対存在である迷宮領主(ダンジョンマスター)達がそれぞれの縄張りを定めており、さらに相互に争ってもいる。そうしたなかで、ただの"街"が『都市』と呼ばれるにまで生き延びるには、身も蓋もない言い方をすれば、そうした脅威に対抗できるだけの「何か」が必要であるが――人に語られる時に"逃げ腰の"という枕詞を冠されることが、自治都市『ダフィドネ』の特徴の一つである。


「んーんー、んー。それで、シヴクン、ほんとーにこの道でいいのか? 間違ってたら食料が尽きてるからな、腹をくくって"魔獣狩り"と洒落込むしかないな、うひひひっ」


 なだらかなる『抉れ二荒(えぐれふたら)』の"上層"の荒原を旅すること数日と数夜。

 時に、その褶曲した大地の"切れ目"に潜り込んで追撃や野生の獣の目を避け、3人はハルラーシ回廊を北上。【死霊使い】が、陽動か本命かはわからないが、少なくとも大きな軍を起こしたことで、この地の主要な「街道」――"上層"と"下層"を貫く、大地の褶曲から安全に(・・・)たどれる道――では誰ともすれ違うことはなかった。

 迷宮で過ごす時間の長いネフェフィトとメレイネルにはあまりわからぬことであるが……シヴにとっては、この『ダフィドネ』に至る「街道」で数日数夜も誰かしらとすれ違わないことは、それなりに緊張状態が周辺一帯に広まっていることの証と見えている。


 故にこそ(・・・・・)、シヴは『ダフィドネ』が迷宮領主(ダンジョンマスター)達の干渉を排してきた『自治都市』としての――2つ目の"特徴"を、現在、絶賛に発揮中(・・・)であるとのあたりを既につけていた。


「あー……お前達、『ダフィドネ』がどういう街かってのは、知らないんだったか……?」


「クズと蛆虫と(やから)を煎じ詰めた鍋の底についた黒焦げた"錆"みたいなところだ、ってぇ親父殿は言っていたぜ、うひひ」


「なぁ、金属が入ってないのになんで"錆"なんて父さんは言ったんだろうなぁ?」


「あ? 知るかよ、いつものドヤ顔してやったり系の意味深発言じゃないのか? うひひっ」


 兜を脱ぎ、その精巧な人形を思わせるほど端正な顔貌を露悪的に歪ませながら、メレイネルが下卑たように笑う。その様子に呆れつつ、同時にこの数日間で慣れつつ(・・・・)、シヴはその初日からまったく変わらない隈だらけの目を細めてネフェフィトに目線をやる。


「ええっと、あれだろ? お日様、お日様、私はあなたの下ではあるけないのです。この上は『腐れ根』様の這い出す大地の裂け目から――」


「あぁ、うん……わかったから、もう詩作(それ)はいいわ……一生分の『神話』勉強できて嬉しいぜ全く……」


「うひゃひゃひゃ! シヴクン、保った方じゃねーの? だーから言ったじゃん、ネフィ姉の"お言葉"はみんな数日で慣れるんだってうひひひ!」


「……ふんだ! いつか、わかってくれる誰かが現れるんだ。あたしは諦めないぞ」


 (あお)りと(おだ)てが入り交じる。

 一見すると悪友同士が互いを馬鹿にしているようで、しかし、実はそうではなく、時に入れ替わるその関係性の根底には、単に姉妹であり戦友である以上の何かがある、というのが、この数日間のシヴの目から見たネフェフィトとメレイネルの関係性である――その不自然にまで似通った肌の色(・・・)まで含めて。


 年若いとはいえ、シヴとて、純真無垢に純粋培養されて迷宮(ダンジョン)の扉を叩いて従徒(スクワイア)となった身では、ない。

 それなりに――"旅侠"と呼ばれるに足る経験も重ねて――あの(・・)【鉄使い】の"娘"がどのような存在であるか、この任務(・・)を【魔弾使い】から提示された時には大いに腹を括ったものであった。一体どんな、人を食ったような存在が来るのか、と。

 それでも、合わせて提示された"見返り"が、シヴにとっては非常に重要な意味を持つ「機会」であったために、人生で何度目になるかわからない――それでもまだ数度であるが――虎口に身を投げ出すような心地で引き受けたのである。


 だが、蓋を開けてみれば、何のことはない。

 多少(・・)、対【死霊使い】ではどちらかというと悪手に近い手は取らされたが――想定していた"最悪"よりは、ずっとマシである。

 ネフェフィトもメレイネルも、その父親や"姉"達は別として、片や口が悪く片やセンスが悪いという点では頭が痛い存在であったが――だが、それでも、それだけであったのだから。


「話を、戻していいか……? 『ダフィドネ』は、まぁ言うなれば"お尋ね者"どもの街だ。どこかの『都市』で罪を犯したり、どこかの迷宮(ダンジョン)にいられなくなったような奴らが……集う場所だ。そんな連中が気にするのは、なんだと思う?」


 言い合っていた気炎はどこへやら。

 いつの間にか、シヴの静かな語りに聞き入るように、ふんふん、ふむふむ、と頷き、また顎や額に手を当てて考え始める二人の態度に、シヴは今度はため息や呆れの態度は見せない。

 ――彼の方が"年下"であるはずなのだが、まるで大きな「子供」の相手をしているような気分だ、と考えた時、心の底に得も言われぬあたたかな苦笑の念が浮かんできたからだ。


 シヴは語る。

 『ダフィドネ』は、その成り立ちという点では『自治都市』の中では特異な部類に入る。

 各地からの逃亡者などが集うようになった結果、自己責任による交渉、互いの領分や背景に深入りしすぎない、という暗黙のルールに支配されるようになったが――彼らには一点だけ共通項があり、そしてその共通項によって、ある一点に関しては都市全体が強固な「協力関係」を形成している。


「"お尋ね者"だから……な。古巣に戻れば、裁かれるか殺されるか、捧げ(・・)られでもするか……知らないが。あそこの連中は、いつ、古巣から追手がやってきて……連れ去られてしまうんじゃないか、と、ずっとどこかで怯えているんだよ……そんで」


 そろそろ時間だな、とシヴはできの悪い生徒に諭すように述べる。

 ぱらぱらと周囲で砂がこぼれ、土が盛り上がり始めたことにネフェフィトとメレイネルが気付いた。


「お、おい、おいおい! 話は後じゃないのか、シヴ先生! "大褶曲"が始まる――」


「うっひひひひ! あたしはわかったもんねーうひひひ! 一本取ったぜぇ、ネフィ姉の負け越しだざまーみろ、うひゃひゃ!」


 "地震"などという生易しいものではない。

 "地割れ"という言葉ですらその本質を表すには生ぬるい。


 かつて『生きている樹海』と評された"現象"があったように――【黒き神】が、かつて【白き御子】と共に作り上げた世界シースーアから、強引に一部の要素を切り離しつつ、しかしそれでも付き従った人々がなんとか生存していくことができるように"解釈"された【闇世】においては、大地もまた生きている(・・・・・)


 慌てるネフェフィトと、彼女の狼狽に感応して次々に起動する"空飛ぶ剣戟"達。

 対し、余裕綽綽といった様子で泰然とどっかと地面に座り込み、兜をくるくる指先で回す余裕すらあるメレイネル。

 そしてその様子を見ながら、どんよりとした眼差しを周囲に向け――シヴが糺す。


「あー……ネフェフィトさん。『街道』からは絶対に出るなよ……? 美味しそうな挽き肉になりたくなけりゃ、絶対に、な……」


 それは、小さな天地創世であった。

 さながら【黒き神】が「全き世界よ在れ」とでも戯れに語りかけでもしたというのか。

 大地が激しく隆起し、かと思えば陥没する。そこには方向性は無く、また直線的ですらない。

 何か異様な力場によって空間が歪められた、と説明する方がまだ納得できるかのように、"抉れ二荒"を構成する『上層』と『下層』が、絡み合う無数の巨大な大蛇の如くのたうつ(・・・・)


 土埃(つちぼこり)砂埃(すなぼこり)

 舞い散り礫の雨に、土砂の霧。

 目には見えない巨人が、それこそ粘土に対してそうするように、大地をちね(・・)り、ねじり、編みながら――飴細工のように岩盤が地表を巻き込んでめくれ上がらせながら坂巻く。地上に澎湃(ほうはい)を引き起こしたかのような劇的で、そして激しい褶曲(しゅうきょく)現象が一帯を覆い尽くす。


 その有様は、もはや巻き込まれれば"挽き肉"どころの騒ぎではないだろう。

 血の一滴、肉の一欠片まで粉々の粒子となり、大地の中に飲み込まれて混ぜ込まれてしまうことだろう。


 ――『街道』に身を伏せているものでなければ。


 さながら、竜巻(たつま)く大嵐の央に"凪"の領域があるように。

 無数の【土】の巨大蛇が乱舞するかのような"褶曲"現象、土砂と岩礫の大嵐という狂騒の中で――ただ一筋、ただ一本、シヴがそこまで案内し誘導し、その上を3人が辿ってきた『街道』と呼ばれる領域だけは、微動すらすることなく保たれていたのである。


「いつ見ても凄まじいな……流石は『モー』さん謹製の『街道』。あの人達、元気かなぁ……」


 【鏖巣会】の凶猛なる多種雑多な魔獣達を、それ以上に獰猛なる武器系眷属達を率いて逆に(みなごろし)にしてきた、武闘派の"フェネスの娘"にしては面白いほど狼狽し、泡を吹いて倒れるネフェフィトをそれを見て爆笑しているメレイネル。

 その様子を一瞥だけして――シヴは「安全」であることを確認し、『鉄杖』を支え棒のように抱えながら、クマだらけの目を久しぶりに閉じたのであった。


   ***


 最終的に【闇世】の"大地"が激しくのたうつ"大褶曲"現象は数刻で収まった。

 その頃には既にシヴは目覚めており、ネフェフィトもまた意識を回復して――そしてメレイネルと共に、周囲の様子(・・・・・)に驚愕し、はしゃぐ子供のようにあたりをぐるぐると歩いていた。


 ――"大褶曲"に『街道』ごと飲み込まれた後、3人が立っていたのは、広大なる地下都市(・・・・)の外れ。


 うねりのたうつ「土壁」や「岩壁」が、そのまま「家屋」となり「隠れ家」となり、あるいは「店」となり、果ては「会合場所」などとなった『褶曲の都市』の姿を、崖下に見下ろしていたからである。

 さながら、大地をして「生きている」と擬することのできる【土】の巨大蛇の"一本"また"一本"の内部に(・・・)人が居住し、あるいは生業を営む空間が構築されているのである。そしてそれが幾百本も、うねり集まり、衝突し、絡み合い、樹海の底の地の底の根の網に似た「構造」を成している。


 ――そしてそれらが"大褶曲"することで。

 常にその構造やネットワークは変転しており、昨日までのお隣さんは数日後には遠く離れた地点に移っているというのもまた当たり前のこと。


 それこそが"逃げ腰と褶曲(・・)の"自治都市『ダフィドネ』の、奇異なる特徴であった。


「すごい……なんか、すごいな。あたしも、いくつか『都市』に派遣されたり忍び込んだことはあったけれど、これはこれで、見たことが無かった」


「こりゃなんだぁ? うひひひ、まるで迷宮(ダンジョン)みたいじゃないか! ただの『自治都市』だっていうのに」


「あーまぁ……そういうことだ。この『都市』はよそ者が流れてくる場所だが、だからこそよそ者に厳しい。常にこうやって"変化"して、地理に明るくない奴から、いつでも逃げられるようにしてる……てわけだな……」


 本人的にはいくらか寝れたのであろうか、シヴの声から疲労の色は抜け落ちている。

 ……目の下のクマは全くその領域を縮小させてはいないが。

 そんなことに気付きつつ、ネフェフィトは、彼女なりに勘が働いた結果――より重要なことに気付いて声を上げた。


「え? 待って、じゃあシヴ先生は『ダフィドネ(ここ)』に前も来たことが、あるのか? あれ、だって【魔弾使い】の従徒(スクワイア)なんじゃ?」


「あー……まぁ、色々とな。とっても複雑で、訳ありなんだよ……俺もな」


 "半"従徒(スクワイア)にして、実質的には契約傭兵とその雇い主に近い、というのがシヴと【魔弾使い】グウィネイトの関係性である。

 ――たとえグウィネイトがシヴの才能を見出し、彼に生きるための技術と戦うための方法を教えた恩人であっても、しかし、シヴには彼女の従徒(スクワイア)として、迷宮(ダンジョン)【鷹目の恢々なる天岩宿(あまいわやど)】に殉ずることのできない、理由があったのだ。


 それを口にすべきかどうか、という念が脳裏を掠めたか。

 シヴは思わず、そういう思いが逡巡したこと自体が、ネフェフィトとメレイネルにほだされた部分があるなと感じて、目のクマを揺らすように苦笑して黙する――が。



「教えてあげようかい? シヴ君の"秘密"」



 不意にかけられる声。

 振り返れば、頭部にターバンのような布を巻いた、狐のように細い目をした黒緑髪の男が現れる。

 細身である。武装もしていないが、荒原の"嵐"から身を護ることを優先したような、丈も裾も長い衣を幾重にも巻き付けたような姿はどこか商人然としている。


 声をかけてきたその男は、犬歯を剥き出し、蛇のように長い先割れ舌(スプリット・タン)を伸ばした、愛想が良いとも攻撃であるとも取れる独特な"笑み"を3人に向け――そして狐のように獲物を見定める目のまま、シヴを見据えながら、次の瞬間にはシヴの秘密をこともなげに暴露したのであった。


「『ダフィドネ』へようこそ、フェネス殿の"娘"さん達。そして――"無垢にして無謀なる"自治都市『ネバーラァル』の代表者シヴ・ウール殿、とでも今は呼べば良いのかな? 今日は、そっちの(・・・・)立場でここに来たんだろう? この俺に会うために――シシシッ」


 『鉄杖』を握る指にわずかに力を込めつつ、シヴは冷静さを保って、その狐のような蛇のような男を睨み返した。


「気が早いな……まず(・・)は【魔弾使い】の従徒(スクワイア)の任務としての用事だ……【鉄使い】からのお届けもの(・・・・・)だ。"人売り"」


 シヴがその黒緑髪の男の"二つ名"を告げるや、ネフェフィトとメレイネルも状況をなんとなく掴んだようであった――彼女達にとっては、ここが、この小さな旅の終着点であり、新たな旅の始発点であるのだから。


 そしてそれはシヴにとっても、同じことであった。

 シヴ・ウールという青年もまた――【闇世】で名の知られた"旅侠"の一人にして、"人売り"たるその男キプシー=プージェラットに用事があったのであるから。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 好奇心で聞くんですけど蓮座の円刃って0045話でフェネスが乗ってた眷属ですか? [一言] ネフェフィトの詩はオーマなら理解してくれそう感がある
[一言] 〉人売り うわ出た()。この作品に出てくる道化を演じる奴らは大抵仮面をかぶって裏があるか、ろくでもない奴の二択の印象。
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