0211 吹命の炉中に謀りは滾る[視点:その他]
【闇世】の唯一大陸を時計台に喩えたとすると、そのおおよそ19時35分付近を指す"短針"を『西壁』、"長針"を『東壁』とする、大陸規模で抉れた広大な領域をハルラーシ回廊と呼ぶ。現在の【闇世】においては最大の人口密集地帯であると同時に――迷宮領主達の力が及びにくい『自治都市』が連なる、特異な伝統と歴史を積み重ねてきた領域でもある。
かつて【人魔大戦】の折り、世界を渡って衝突し合う【人世】と【闇世】の軍勢の闘争の余波により、唯一大陸の中央部から発せし巨大な"衝撃波"によって吹き飛ばされ、削り抉り飛ばされたことが、その興りである。
この際には力有る者も無き者も含めて数十もの迷宮が、そしてかつて存在した"楽園"とされる『生きている樹海』もまた巻き込まれて消し飛ばされたと伝えられている。
だが、それ故に"回廊"には大陸中から迷宮脱藩者や、迷宮には頼らぬ者、迷宮を持たぬ迷宮領主、はたまた迷宮に従わぬ者達が集うようになり、迷宮の法則や経済とは異なるダイナミズムを持つ『ルフェアの血裔』達の拠点や街が形成されるに至ったのである。
それらは、その類稀なるカリスマによって【闇世】を率いた"初代界巫"【城郭使い】クルジュナードが【闇世】の各地に残した『城郭都市』を巻き込む形で広義の『自治都市』と呼ばれるようになり、迷宮の領域外にて人々が暮らすことのできる領域・拠点の代名詞であった。
しかし、【闇世】の発展に力を捧げたはずの【城郭使い】の敗死後。
嘘か真か【黒き神】は【闇世】における迷宮領主同士の闘争による"昇華"を望んだとされる。
権謀術数と裏切りと下剋上と弱肉強食が当たり前となりつつあった「戦国」の世においては、それぞれの権能に従って広大な所領や"空間"を分け合う上級爵達とは異なり、中小の爵位持ちたる迷宮領主の中からは徒党を組む者達も現れる。
そして、その「徒党」の相手として、迷宮領主以外に目を向ける者達もまたあった。
これこそが【叡智に仕え"界"の励起を資さんとする拙き徒達の小派】という集まりの興りである。
主催者たる【傀儡使い】レェパ=マーラックと【人体使い】テルミト=アッカレイアは、【幻獣使い】と【美食使い】が激突していた【極点戦役】の間隙を縫う形で、ハルラーシ回廊の『自治都市』群を主な標的として、交渉と浸透の努力を深めてきていたのであった。
――だが、こうした『伯爵』達の文字通りに血反吐をぶちまけ、あるいは覆い隠すが如くの"営み"を、まるで高みからの一望によって監視せんとするかの如く。
ハルラーシ回廊の『東壁』の上側。
【人魔大戦】の災禍によって丸ごと消し飛ばされるという大災から、そのわずか鼻先を掠められたのみで、かろうじて崩壊せずに済んだ1つの"抉れ二荒"全体を【領域】と成し、そこから南北に回廊を見下ろす"渓谷"が座している。
其の名を【鉄舞う吹命の渓谷】。
【鉄使い】の迷宮の権能が遍く行き渡る、鉄と錆に覆われた領域であった。
"抉れ二荒"を含めた「渓谷」全体を占有しているということで、『上級伯』としては破格の領域を誇っているが――その大部分は、あくまでも"影響を受けて組み込まれた"だけの一時領域の面が強く、実際に【定義】された迷宮領域自体は渓谷の深部に地下城郭の如く構築された『鍛冶場』と『たたら場』を中心とした要塞部である。
しかし、フェネスを【鉄使い】として知らしめる"迷宮の仕掛け"が――この【領域】外にまで多大な影響を及ぼしていることから、世間においてはその渓谷全体こそが【鉄舞う吹命の渓谷】として知られている。
――それは輝くような白く明るい銀沢の洪水。
そしてそれを、まるで貪食なる蟲の群れが喰らい尽くすかのように斑に疎らに覆い侵す赤褐色の"錆び"から成る、巨大な縞模様である。
――それは、およそ"自然"の法則の中では存在しないはずの、鋳潰し、溶かし、不純物を分離した後でなければ生まれ得ないはずの玉鋼の如き光沢を放つ、【闇世】においても最上質の『鉱山』である。
フェネスの【鉄使い】としての世界観【鉄離ノ掟】という法則により、"抉れ二荒"をも含む広大な渓谷一帯は、その土中から高純度の金属が析出・遊離されて「習合」させられており――それだけに留まらず、【以土生金】という法則によって、ただの土塊でさえものが徐々に"金属"に析化していってしまう異生の土地でもある。
……しかも、それだけではない。
フェネスの支配する土地が、およそ鍛冶や冶金、人の世の文明における"道具"の重要性を知る者からすれば垂涎を通り越して低頭して欲望を爛れさせながら欲する「性質」であろうとも――「土から鉄」が生まれるという迷宮法則などは、そのサイクルの単なる一面に過ぎない。
【鉄舞う吹命の渓谷】では、これに加えて【以鉄化錆】の法則により――土中から生じた鉄や金属が急速に風化し、ぼろぼろに砕け灰よりも細かな"錆び"と化す。
この"錆び"は迷宮の『仕掛け』である【吹命の大鞴】によって引き起こされる広大な気流によって、わずか数日で渓谷全体を吹き巡り――【以錆転土】の法則によって、再びただの土塊に還るのである。
これこそが、玉鋼と"錆び"が巨大な縞模様に入り交じる奇観を織りなす「迷宮法則」の根源。
最高品質の「鉄」やその他の希少な金属を求めて【鉄舞う吹命の渓谷】に踏み込むことは、たとえどれほどそれを欲したとしても、最低でも迷宮領主クラスの後ろ盾の無い者にとっては命をドブに捨てる行為でしかない。
なぜなら、この"錆び"は――生物の体内の鉄分をも"侵す"からである。
適切な知識と対策無しでは、瞬く間に全身を内側から"錆び"に侵され、食い破られて――【以錆転土】によって分解・鉄分を析出され、別の意味でも"土に還る"こととなる他は無い。
以上が、フェネスの領域に容易には侵入者を近づけさせぬ迷宮仕掛けたる"錆び風"である。
これから身を護る術や、あるいは「安全な採掘方法」または「その時期」を知るのは【鉄舞う吹命の渓谷】に属する者達のみである。
――そんな"渓谷"の最奥に配された施設『鍛冶場』。
この【鉄使い】の迷宮の心臓部には、まるで神々の兵器たる竜の如き巨獣から腰骨を強引にもぎ取ったか如くそびえ立つ"炉"が轟々と煌めき熱気を逆巻かせている。
そこに、ツギハギの長衣を腕まくったフェネスが片膝を立てて座っていた。
彼の眼前では、"炉"から吐き出された煌々たる輝橙色の『熔鉄』が、どろりと吐き出されるところであった。それを湾曲した大きな火箸のような道具で、まるで巻き取るようにすくって受け止めたフェネスが、素早く鉄床へ移して、槌による一撃を加えていく。
打たれ、打たれて、整形され半流体状の『熔鉄』の形がおおまかに整えられていく。
しかしまだ冷えるには早すぎる。フェネスの片方だけ見開かれたギョロ目が、飛び散る火花がその目に入って血を迸らせることすらをも厭わずに状態を確かめ、確かめ、鍛冶用の火箸をまた異なる形状のものに持ち替えて再び"炉"へと差し込み、焦熱によって鉄塊を溶かしていく――そして頃合いを見計らって再び取り出し、槌の一撃を加えていくのである。
そこには【闇世】随一の"黒幕"であるだとか、"2代目界巫の懐刀"であるだとか、そのひと目見たら忘れられることは不可能であるとも言える「醜い」顔貌と相まって恐れられ、煙たがられる『道化』の姿は無い。
一人の、火と水を以て金属に命を吹き込むことを生業とした『火の男』が居るのであった。
――そして、それこそが【吹命の渓谷】たるの本質である。
焦熱の只中に身を置くが如き、数時間にも渡る"鍛造"の果て。
フェネスが生み出したのは、先端に向けて緩やかに反ったサーベル状の刀剣であったが――魔素の青と命素の白を文字通りに"叩きこまれ"たそれは、確かにこの迷宮において命を与えられ、生まれたばかりの眷属たる存在なのである。
「あらあら、調子いいっすねぇ、親方」
「グウェンエットさんかぁ。あのねぇ、いい加減、僕のことは"パパ"と呼べと言っているじゃあないか!」
掛けられた声に大仰に肩をすくめながら振り返るフェネス。
そこにいつの間にか現れていたのは、彼の補佐役である"五女"である。
巨人でも焼き殺すことができそうな焦熱の『鍛冶場』で、汗まみれになりながらそのギョロ目を動かして娘を見る父に対し、"五女"グウェンエットは汗一つかいていない――どころか、全身を覆うぶかぶかの作業衣のあちこちのポケットから様々な種類の道具がはみ出している、といった出で立ち。
最年少という年若さもあるが、下手をすれば丘の民かと見紛う低身長さからも、作業用コートに着られているという印象が拭えない。だが、その動きは機敏であり、フェネスが数度冷水に漬けて冷やし、最終的に固めた『刀剣』を薄い鉄板で覆われた厚手の手袋越しにうやうやしく受け取りながら、グウェンエットもまたその『刀剣』の状態を精査した――ポケットから乱雑に取り出した人の顔面ほどもある巨大すぎる「虫眼鏡」に接吻せんばかりに顔を近づけて。
「んー、んー、親方ぁ、ひっさしぶりなのにほんと調子いいっすねぇ! 稀鉄級にまで"昇華"してるじゃないっすかぁ! この子なら最低でも『団長』級……『副将』級か、いや、久しぶりの『将軍』級も狙えるんじゃないっすかぁ?」
「はっはっは! あの小童クン達がいい感じに踊ってくれているからねぇ。僕もすっかり健康的になっちゃって、ご飯も毎日3杯食べれるってもんさ! それと"パパ"って呼んでね、お願いだから」
「へぇへぇ、しつこいっすねぇほんとこの親方ぱぴーは――あー、そこの君タチ、『装飾の間』にその子ちゃんと運んでおいてね。久しぶりの白金クラスの『耐久試験』やっちゃうから。丁重にね? あ、そこの君は新人クン? 落っことしたりしたら駄目よー、ねーちゃん達の"試し斬り"になりたくはないでしょ? そのつもりでね!」
"炉"に「完成」の頃合いを見計らって現れたのはグウェンエットだけではない。
【鉄舞う吹命の渓谷】に仕える従徒集団のうち、"鍛冶師"の役割を与えられた者達が集っていた。
――実際のところ、【闇世】の各地を陰謀と嫌がらせとただの気まぐれによって飛び回るフェネス自身が槌を取って「吹命」を行うことは稀であったのだ。
だが、だからこそ、それだけにその"稀"な機会は『鍛冶師』たる従徒衆にとっても、多くの学びを得ることができる貴重な機会である。中には『たたら場』を担当しながら、『鍛冶師』への転属を志している者達もちらほらと混じっており、それだけ、フェネス自らが槌を取ることの珍しさが際立っている。
実際のところ、彼の【鉄使い】としての"権能"の力が及んでいるのは「土から鉄、鉄から錆び、錆びから土」というサイクルと、そして『熔鉄』に魔素と命素によって命を吹き込むという2点のみである。
「鍛造」自体は必ずしもフェネス自身がする必要は無く――同じ「力」を与えられている"長女"ヴィヴィエットが槌を握ることすら稀――それでもなお彼を『鍛冶師』として超一流たらしめているのは、純粋にその【秘奥】に達したとすら目される技量によってであった。
従徒という名の出世に貪欲な野次馬どもを追い返した後、グウェンエットが、虫眼鏡に顔面を押し付けたままフェネスに向き直る。
それは幾分、真面目な緊張感を称えたものだった。
――何故ならば、ちょうどつい先ほど"次女"ラフィネルより。
ハルラーシ回廊の"中ほど"の自治都市間の荒野を繋ぐ『千抉の二層荒原』で【魔弾使い】と【死霊使い】の手勢が衝突を極め、その渦中に『監軍』という名目で放り込まれていた"三女"と"四女"が――予定通り消息を絶った、という連絡が届いたためである。
そしてそれを、この迷宮領主にして親方にして父なる【闇世】の"黒幕"は、既に同じくラフィネルより【研磨反響の鉄鐸】を通して聞き知っていることだろう。
「ラフィねーちゃんの"読み"は相変わらずすげぇっすねぇ。誤差1秒以内ですもん、ありゃあたしでも真似できねーっす、ほんと。どうなってんだか」
「ラフィネルさんは、まぁ『巫女』の素質もあった子だからねぇ……でも『神』なんぞにくれてやるつもりは無いからね! 僕の可愛い"娘"達は僕のものさ、相手が何者だって渡してやったりはするものか! あああ、あの忌々しいぃぃぃ世界の"寄生虫"どもめ! もうこの僕から何物も! 奪うことは! 絶対に許されないし許さない!!」
「あー変なスイッチ踏んだわ、マジつれーっす。わかんねーっすよこの経歴不詳地雷親方……へい! ぱぴー、ぱぴー! ここにも"可愛い娘"のグウェンエットさんがいますっすよー、疑問に答えてほしいなーなななー!」
「ん……んんんっ!? はっはっはっは! なんとまぁ、そこにいるのは! 2番目に頭が良くて、1番目に察しが良くって、5番目に戦闘能力が高い、この僕の七代目の"五女"グウェンエットさんじゃあないかぁ! さぁ、このパパに何でも聞いてごらーん!」
およそ"黒幕"としてのフェネスばかり知る者にとっては、目玉が一次元の点に凝集されるかのような衝撃を受ける光景ではあろう。そして、次の瞬間、その者はフェネスという人物ならばそれもまたあり得る、と納得することだろう。
少々、タガの外れたような「接し方」でグウェンエットと会話するフェネスの姿は、その言動を含め、それこそ"娘"であるグウェンエット自身にとってさえ得体の知れない狂的な何かを孕んだものであった。
だが、正体はわからずとも――接し方は、既にグウェンエットもまたこの"父"との長い付き合いの中で心得たものである。
「いやーさすがに無茶じゃねっすか? ってまだあたし思ってるんで。『ロッシィちゃん』にバレたら、事っすよね? ほんとにほんとーーに、大丈夫なんすか? これ。いくら親方ぱぴーの"仕込み"つっても、あのネフィねーちゃんっすよ? 絶対どっかでボロ出しますってマジで!」
『最果ての島』に【樹木使い】リッケルを送り込んで力を蓄えさせ――その奇襲によって【人体使い】テルミト伯を窮地に陥れさせる。その"仲裁"を行うと共に、リッケルを「伯爵」に推挙して昇爵させ、【励界派】に強引に加入させることで【幻獣使い】グエスベェレ大公から掛けられた"粉"を吹き払う、というのがフェネスの当初の構想であった。
……しかし、それを根底から崩して破った者がいる。
どこから現れたとも知れない【えいりあん使い】なる副伯が最果ての島に陣取っていただけでも"事"であったが、大方の予想を裏切ってリッケルを撃退。敗死にまで至らしめたのである。
弱めるはずの【人体使い】の力が維持されたことは、フェネスにとっていくつかの計画の修正を強いるものである。
しかも、この【えいりあん使い】。
叩き上げらしく、カリスマ性はあれども権謀術数への嗅覚が弱かったリッケルとは異なり、自分自身を取り巻く【闇世】の迷宮領主達の思惑に対して即応的な理解力を発揮していた。利用するつもりなら同様に利用してやるとばかり、決して警戒心と、そして敬意を緩めないという……実に父フェネス好みの対応をあの場でしてのけたのである。
――さらにダメ押しとばかり、自らの"構想"を、それもまた、いかにも父フェネスが好みそうな形で、ぶち上げてきたのである。
というのがグウェンエットの理解するところ。
結果、父フェネスが取りまとめたのは、敵対する【幻獣使い】側の"愛娘"である【宿主使い】ロズロッシィとの一種共同での"監視"という案であった。
「やだなぁ、バカだなぁ、グウェンエットさん。この僕が、たとえ5番目に頭が良いネフェフィトさんであっても、可愛い"娘"を見捨てるなんてこと、あるわけがないじゃないか! ……まぁ、交渉でダシにして、ちょっと物理的な意味での貞操の危機に晒しちゃうスリルを与えるぐらいならギリギリ顔面セーフって思ってくれていいけれどね!」
それとも、とフェネスの声のトーンが不意に落ちる。
そのギョロ片目が細められ、無機物を見るような、刀剣を冷やすための冷水よりも冷たい温度に下がったように感じて、グウェンエットは今度は「ヤバいスイッチ」を父が自分から勝手に踏み抜きかけていやがると察し、慌てて先手を打つ。
「いや、さすがは親方っす! らぶぱぴーっす! あたし達を肌の色とか奇抜な趣味とか神の手籠めだとか、そーんな些細な事情で見捨てたりなんかしない、理想のぱぴー! 理想の家族! よっ! 理想の頼れる父親の中の父親!」
それぞれに個性のある"五人娘"であるが、ネフェフィトだけは、輪をかけて特別である理由が一つ存在していた。そのことをグウェンエットもまた、他の姉達から……特にネフェフィトの一番の理解者である四女から、よく聞かされていた。
その『ルフェアの血裔』らしからぬ、褐色の肌。
彼女は――正確には、彼女の母親は【人世】の出身であるらしい。
それが、あの馬鹿で、時折頭をぶつけたかのような訳の分からない「文学」を口走るネフェフィトが【人世】に強い憧憬を抱く理由であると、グウェンエットもまた知らされていたのである。
――てっきり。
この機会にネフェフィトを体よく【人世】に送り返しでもするのか、と勘ぐっていたのは事実である。
だが、それを見抜かれないように取り繕い、グウェンエットはフェネスとの会話を軌道修正することに成功した。
「あ、そう? はっはっは、わかってるねぇグウェンエットさん! はっはっはっは! ――で、なんだっけ、あの【幻獣使い】のところの"年齢詐欺小娘"クンの対処どうするのかだっけ? 簡単だよそんなもの、はっはっは」
【鉄使い】側から"監視"を出す。
その"監視要員"に対し、【宿主使い】側から"寄生"による二重監視を行う――という取り決めであったが、フェネスはわざとネフェフィトを戦場の中で消息不明にすることで、有耶無耶にしてしまったのである。
――しかもそのために【傀儡使い】レェパ=マーラック側からの"不意討ち"による奇襲的な襲撃に巻き込まれた、という形を取ってである。取り決めた【人世】行きができなくなったのは、そちらのせいだ、と強弁するためであり、そのために"長女"と"次女"が出払っていたのである。
まだ、大規模な戦闘が散発し始める段階ではない、というのが当初の【励界派】を含めた共通認識である。【人体使い】と【傀儡使い】【死霊使い】の間での、各『自治都市』や拠点における【情報戦】が先立つ。
そして『花盛りのカルスポー』で、リッケルの遺臣達を中心とした抵抗運動を抑えつけ、都市の支配を強めて自らの迷宮との融合を進展させた【蟲使い】が、そのまま南下して【人体使い】と協力関係にある『潮幽霊のアモアス』に圧力を加える……というはずであった。
しかし、そうした「予定」を目眩ましとして、【死霊使い】が攻勢に出るという情報をラフィネルが掴んだ。
元よりロズロッシィとの取り決めを守るつもりの無いフェネスは、これ幸いとそれを利用しつつ、しかし同時に不快感を強めるであろうロズロッシィを懐柔するための"方策"と当初から抱き合わせて計画立てていたわけである。
それが、今回ネフェフィトとメレイネルを"監軍"としてわざわざ【魔弾使い】が占領した地まで送り込んだ理由であったのだ。
なお、そのことについては当然であるが【魔弾使い】と打ち合わせ済。
彼女の配下が――どうせ好みの年若い男――サポートにつくこととなっており、そのまま戦場から行方をくらませ、『旅侠』としても有名なキプシーという名の"人売り"と合流させて【人世】へ送り込むという段取りである。
「どうせ"二重監視"のため、なんて小娘クンにとっちゃ口実。本命は、この僕の秘密を探りたくて仕方が無いってのはわかってるよ、あの詐欺娘クンは知りたがりの度がちょっと強いからねぇ……活きが良すぎて困る困る、てことで、ほら、さっきの"新人"クンを使おうよ、適当な生贄出して"寄生"させとけば溜飲下がるでしょ」
「え、マジっすか? それはそれで問題あるっすよ、親方忘れてないと思うんすけど――あの"新人"クンって、あの、えっと、【幼生使い】殿んところからの留学生っすよ? 預かりって建前あるっすよ? 泳がせとくんじゃなかったんすか?」
【宿主使い】に"寄生"された者がどうなるか。
――"娘"として、あるいは迷宮の『調達役』という立場として、"界巫"と大公なんぞの争いの渦中を見聞きする立場になってしまったグウェンエットは、嫌というほど聞き知っていた。
「何言ってるんだかねぇ、グウェンエットさん。だからじゃないか。ついでに【幼生使い】クンの反応も見れる良い機会だ。あのクズ、最近ちょっと動きが露骨で雑で怪しすぎるからねぇ?」
「あー、ヴィヴィねーちゃんでもラフィねーちゃんでもどっちでもいいから早く帰ってこないかなーあーあーあああー。あたしお目々が回りそうだなああーあああー」
「なんだい、グウェンエットさん、そんな心配なのかい? じゃしょうがないなぁ、『ロッシィちゃん』クンには、特別にオーマクンが事を成した暁には一番最初に配当を受け取る権利をあげようじゃないか。それなら納得するだろうさ、はっはっは」
こともなげに同僚――共に"2代目界巫"に仕える迷宮領主である【幼生使い】ジェチェリー ――を罵倒する父フェネスに、グウェンエットが天を仰ぐ。
しかし仰げども仰げども、ここは迷宮の最深部であり、"空"など広がってはいないことなど百も承知ではあるところだ。むしろ、久方ぶりに父が稼働させた巨竜の如き"炉"からは、まるで地獄の釜を開けたかのような焦熱の煌々たるや。
空気がまるで流水のように、歪められた蜃気楼となって、未来というものがあるのだとすればその先行きの不安定さをただただ、振盪させているのみなのであった。





