0209 四季という円環の始点と終点[第2章完結]
"捕虜"どもの大トリはマクハードであったが、今回の"仕置き"という名の戦後処理全体としては、『審問室』で最後に事情の聴取や情報の共有、認識のすり合わせを行う最後のトリが元【泉の貴婦人】こと、ユートゥ=ルルナである。
ルルは、在りし日のイクチオステガがきっとそうしていたであろうように、鰭で爬虫類のように這いながら部屋に入ってきた。その巨大淡水魚ピラ=ウルクの背中の上には、まるで蠍の毒尾が移動時は畳まれているかのように「人間部分」を仰向けに背負われている。
そしてその「人間部分」が、俺の姿を認めるなり、むくりと起き上がり――くるりと半身を180度ひねるようにして掲げられる。
生気が無い飾り玉のような目であるにも関わらず、無駄に表情の凝った腹話術人形のように微笑み、ピラ=ウルク部分の顔と連動しつつ優雅に一礼したのであった。
「ユートゥ=ルルナ、ただいま参上いたしました~、創造主様もご機嫌うるわしゅう」
「調子が良さそうだな?」
「はい~とても久しぶりの【闇世】の魔素と命素ですからね~」
それは重畳、と返しつつ俺はステータス画面を【リュグルソゥムの仄窓】によって、改めて従徒となったルルの【情報】を他の配下達にも視えるように可視化した。
【基本情報】
名称:ユートゥ=ルルナ ← NEW!!!
種族:逢魔のピラ=ウルク<【人世】生存型[疑似餌仕様]>
従徒職:応接係[異星窟] ← NEW!!!
位階:13
状態:半身離断
【技能一覧】(総技能点36点)
知性種と言って良いレベルで高度な知能を有していることや、グウィースが遭遇した『人魚』の存在もあったためよもやとも思ったが――仔細に技能テーブルを見る限りは、ルルは職業を持たない、いわゆる魔獣扱いである。
ただし、元々種族として持っていたのか、それとも「仕様」として調整された結果なのかまではわからないが【高度知性化】という技能によって、相当程度、意思疎通には遜色の無い水準にまで高められていたのである。
そしてその影響もあるのか、無事、俺自身の"認識"上は従徒として違和感なく受け止めることができ――従徒職『応接係』を付与することに成功していた。
なお、グウィースや今後この迷宮に出入りすることになろうラシェット少年などには目の毒となるであろう、その無駄に豊満な裸婦像的裸身については、グウィースが海岸で拾い集めた貝殻を編んだ即席の水着を作成することで文明化させている。
……なお、人間と意思疎通する肝心要の「人間部分」の正体は『振袖尾』――要はグッピーであるだとか、熱帯魚に特徴的な"飾り尾"と言い換えても差し支えない代物であった。
しかもそれが、ある種のアンコウなどのような『疑似餌』の役割を兼ね備えた結果、ほとんどそのものとしか言いようが無い生身の「人間」体となっていたわけであるが――ではそれが彼女の「以前の創造主様」によって"似せられた餌"とかいう「仕様」として調整されたと言うならば、その目的は何か、という話であった。
その謎を解くのが、次の情報。
――これは当初のルルの称号技能である。
ルルは俺の従徒となった瞬間に称号変化をしており――特に、元々は【呪詛】扱いで赤黒く表示されていた箇所が、その役割も意味合いも当然技能名もが反転したかのようになっていたのであった。
「旧ワルセィレ地域との約200年か……こう言っちゃなんだが、お前はとても『200歳』とは思えないな? 特に位階的な意味で」
「あ~、前の創造主様イノリ様もよく『レベルが~』とか『スキルが~』とかおっしゃってましたね~。私にはちょっと……難しいお話でしたけれど、今は、やっとわかるようになった気がします~」
ルルにとって、より正確に言えば【泉の貴婦人】であったこの【水源使い】イノリの眷属たる存在にとっては、200年という時間が――位階がわずか13になる程度の眷属生経験でしかなかったのだ。
つまり技能【成長停滞】により、そのように抑制されていたと見るべき。
――何のために?
その答えが、そこから上位派生している【領域定義:仮】である。
「【泉の貴婦人】だった頃のお前にとって――1日は1日として実感されていたか?」
俺の中の深い部分で同化して取り込まれた【春司】の残滓を意識しながら、そう問いかける。
果たして、ルルの答えはいつも以上に困ったような考え込むような、そしてそれを楽観主義者的適当さで、ぽんと手のひらを打ち合わせるようにあっけらかんと答えるもの。
「うーん、違っていたと思います~、まるで――」
曰く。
『ひととせ』と書いて、「一日」とも「一年」とも「春夏秋冬」とも文字が当てられるかのように、早送りで進んでいく中で自分自身だけが絵画のように浮き上がったかのよう。
入れ替わり、立ち代わり。
目まぐるしく人々が【血と涙】を供えつつ――唯一、そのような違う時間軸の中での慰みとして話し相手となったのが、旧ワルセィレの村々から選抜された【涙の番人】達だった、というわけである。
――何のことはない。
旧ワルセィレの民達の1年間の生活という意味での暦と結びつく形で、季節の巡りたる四季の遷ろいを擬似的な神性化して魔法適応生物の身体を借りて受肉させたる形で【四季ノ司】と成した『四季一繋ぎ』という法則は、その重要なシステムの根幹そのものが、ルルによって"仮"ではあっても【領域定義】されたことでもたらされたものなのであった。
……自身の迷宮の敗退と崩壊に際して、単なる位階10幾つに過ぎなかった淡水魚系の眷属を、わざわざ「人間」社会に溶け込むだけでなく一定の交流を持たせることを企図したかのように、その振り袖尾を『疑似餌』という形に調整までして【人世】に送り込んだ――【水源使い】によって、である。
果たして、そこに如何なる意図があったのであろうか。
そのことを検討するために、少し時系列を整理してみることとしよう。
1.「イノリ」と呼ばれる人物の"擾乱譚"
ルルから従徒献上によって――【成長停滞:超越】によって時間感覚が「ひととせ」化していた影響であるのか、まるで1年の映像を無理やり1日分のフィルムに押し込んだかのような200日分というかなり「虫食い」のものとなっていたが、そこからサルベージできる情報として――【水源使い】イノリは、少なくとも200年前の時点では【闇世】で大暴れしていたらしい。
【擾乱者】だとか【擾乱の姫君】と呼ばれる存在であったことは、"本体"から部分的に記憶を共有していたらしいヒュド吉も言っていたことだが……剛毅なことに、彼女とその仲間達は【闇世】のほぼ全域を相手取っていたらしい。
2.『イセンネッシャ』の裏切り
具体的には、【水源使い】イノリの元には『多頭竜蛇』ブァランフォティマ、【深海使い】フトゥートゥフなどが"仲間"であった。
そしてその中に、後に【人世】で『画狂』として功成り名遂げて一族を興す「イセンネッシャ」という従徒の青年がいたらしいが――【闇世】での激戦の中、この男が裏切ってイノリを襲撃。迷宮核を強奪し、【人世】へ遁走した、というのが、自身の予想混じりではあるがと前置きしつつのルルの言であった。
3.ユートゥ=ルルナの【人世】行き
この際、即死はせずに、崩壊しゆく迷宮の中から唯一【人世】に逃されたのが、未だ【高度知性化】も【魚人転身】もされる前の単なる「小魚」……いや、「小ピラルクー」に過ぎなかったルルであったという。
この意味において、ルルは「殺された」とは言っていたが――実態としては生死不明が正しいか。
迷宮領主にとって迷宮核を奪われることは死に等しいと俺はわかってはいるが……何せ【水源使い】以外に幾つもの"名"を持っていた存在。
【闇世】Wikiではルルが挙げたいずれの名称もヒットしなかった――【深海使い】のような"大罪人にして裏切り者"の烙印すら押されずに、その記録も履歴も完全に存在していないか抹消されている――ことと合わせて考えれば、どうにも、それが即死したことを表しているとは思えなかったのだ。
――あるいは、俺がそう思いたいだけなのかもしれないが。
4.【森と泉】の成立
イノリという存在の生死については一旦脇に置こう。
旧ワルセィレという共同体が成立したのもまたおおよそ200年前であるという意味では、全て符合していることである。
ルルは【人世】に送り出される前は、単なる「小魚」いや「小ピラルクー」に過ぎぬ存在として魚並みの知能しか持たず、多くを覚えていたわけではないらしい。だが、まさに【人世】に送り出されるその際に、位階13まで上げられ、そして興味深いことに俺と同じように「レベル」や「スキル」という語を日頃述べていた創造主様イノリによって、一連の技能を"点振り"されたのである。
――そして瞬く間に数十日……という名の数十年が流れるうちに、【四季一繋ぎ】によって暦づけられた旧ワルセィレという共同体が、彼女が住処とした小さな泉を中心に成立したのであった。
以上の情報を念頭に、まず、イセンネッシャ家について指摘したのはリュグルソゥム家の当主夫妻である。
「『画狂』は【九相】家に取り立てられる以前の経歴はまるっきり不明でした。初代兄妹様と同時代に頭角を表したある種の梟雄なので……記憶がまるで無いというのは不自然だとは、前から言われていましたが」
「我が君の迷宮の力の根源が、その奪われたという迷宮核だったならば……【空間】魔法の正体は、もはやそれで確定ですね」
「だが、実際に【領域】の力そのものを扱うことはできていなかったのだろう? ……いや、あのデェイールとかいう小僧は"侯子"だったか。あくまでも御方様と同種の力を持つのは、そのイセンネッシャ家めの"当主"であるか――」
「それとも、前にルク達が言っていたように"失伝"した、といったところか」
「ほぼほぼ"失伝"だと思っていますが……それを【魔法学】的に再現しようとした結果、」
「【空間】魔法という形で秘匿技術化していった。当時は【闇】属性と同一視されていた術式を、16属性の一角として分離・証明する形で――ということでしょうね。ル・ベリさん、ソルファイドさん」
"失伝"説については、俺もルク達の考えを支持する所である。
何故ならば、【騙し絵】家の悲願の一つには――『末子国』に邪魔されずに迷宮に通じる"裂け目"を確保しようとする、というものがあったからだ。故に、ヘレンセル村近郊で忘れられていた俺の迷宮に通じる"裂け目"に、彼らが興味を示したと考えられたのである。
俺にとって最悪のパターンであった「ハイドリィと共同で攻め込む」という調整を、しようと思えばできたのだろうが、しかし最優先とはしなかった、という辺りにもその想いの深さが現れていると見るべきか。
「それからもう一つ。たった今"解剖"の結果が伝わってきたが……」
≪きゅきゅぴぃ! デェイールさんの遺骸さん、造物主様の想像通りだったのだきゅぴ!≫
≪あはは、あはは。心臓さんの隣に、もう一個心臓さんを入れられそうな空洞さんがあったよ≫
【騙し絵】家がどうして【空間】魔法を"外科"手術に応用し、また、臓器移植という医療技術を独自に発展させているかの理由が、想像できようというもの。
その技術は【空間】魔法をある種の医療用具のように扱うという意味で精緻さを極めている。俺はデェイールの最後の一撃を【黒穿】によって迎撃し、【領域】の力によって迎撃したが――ごく限定された狭い領域における発動までは阻止できず、【緊急回避】の一種であったろう「記憶の抹消」までは阻止できなかったのであるから。
同様に、ウーヌス達が気づいたように――『画楽隊』と呼ばれた脳みそを繋ぎ合わせた存在を生み出す技術を持っていたことも頷ける。
イセンネッシャ家の【空間】魔法技術は、限界はまだわからないが、人間の"脳"をいじることをも可能とする領域に達しているのである。
もしも『画狂』が、イノリから奪った迷宮核を自らの心臓に融合させた迷宮領主擬きだとすれば、その"力"の継承は、とてもわかりやすい方法で行っていたに違いない。
つまり、臓器的な意味での迷宮核の受け渡しによって、である。
デェイールが"次期当主"として、予めその「準備」を施されていたとしても想像に難くない。
ル・ベリが施した基礎的な解剖を引き継いでいた、紡腑茸(助言役)を含む裁縫労役蟲達の班は、心臓周りだけでなく、多数の内臓や筋繊維や骨格部分などに渡る【空間】魔法による精緻な手術痕の存在を発見していたのであった。
なお、デェイールから鹵獲すべき戦果として最も期待していた、【騙し絵】家本家に通じる【空間】についてであったが――サイコロ型の首飾りの中にその魔法的な痕跡は発見されたものの、【転移門】の効果は既に消滅した後であることがわかっている。
おそらくは情報の流出を避けるために、これもまた自ら潰したのであろう。
話を戻そう。
そもそも迷宮核を移植までして世代間で受け継いでいたのであれば――後継者問題があったとはいえ、次期当主たるべき"正嫡"が【領域】の力についてあそこまで備え不足であったことが不可解である。その意味では、彼らが【魔人】や迷宮領主に関する正確な知識を保つことができておらず"失伝"した、と受け止める方がずっと自然であった。
「【騙し絵】家が【破約】を言い出してまで"裂け目"の獲得に拘っていたのは、きっと"それ"が理由でしょうね」
ミシェールの言う通りであろう。
だが、彼らが今回見定めた"裂け目"は――【騙し絵】家としてそこまで承知していたかどうかはわからないが、彼らにとって、非常に因縁深い"裂け目"だったのだ。
「イセンネッシャが【人世】へ逃走するのに使った"裂け目"も。お前がイノリから逃された際に通った"裂け目"も。どっちも、この俺の所の"裂け目"だったんじゃないのか? ルル」
俺は【客人】。異世界転移者だ。
俺がこの世界に現れた当初から【最果ての島】には"裂け目"も、そして迷宮核も、存在していたのだ。
『裂け目移動』という技術が存在する以上、まだ100%の断定はできない。
だが、それが『末子国』による神威によるものであれ、デウマリッドの出身である【北方氷海】の兵民達による"名喰い"によるものであれ、この俺の迷宮へ通じる"裂け目"が隠されていたことは示唆的なのである。
――そして、この考えの論理的帰結としては。
「【最果ての島】は、かつて【闇世】で擾乱したらしい【水源使い】イノリの"拠点"だった可能性が高い」
迷宮領主の寿命が元々の種族のそれを超越することを考えれば、200年などというのは「ちょっとした過去」に過ぎないだろう。
だが、【人体使い】も【鉄使い】も【宿主使い】も、彼らから情報を共有していた他の者達も――【最果ての島】をそういう目で見ている風には感じ取れなかった。
非常に巧妙に巧妙に察知させないようにしていただけ、かもしれないが。
だが、もしも本当に彼らもまた知らなかったのだとすれば――己の【領域】における限定的な全知を持つ迷宮領主に対してさえも隠しおおせる力というのは、少なくとも、【忘れな草の霧】と呼ばれる『末子国』の"裂け目"封印のための神威ではない。
【人世】側の諸神の神威が【闇世】では介入され妨害される以上、その力が【闇世】側の【領域】にまでに届くとは考えにくいからだ。
「わかったぞ。それで主殿は――あの"巨漢"デウマリッドに注意を払っていたのだな?」
「少なくとも【人世】側だけにしか効果がなさそうな神威じゃあ、説明がつかないだろうな。だから、俺は"名喰い"の方が本命の可能性が高いと思っている」
"名喰い"という【北方氷海】の兵民達が持つ力についても、現時点ではわからないことが多いのは事実である。
デウマリッド自身は【戦士】が本分である上に、その"名喰い"の加護からは弾き出された追放者であり、民族に伝わる"力"の詳細について説明できることまでは期待できなかった。
だが、この仮定が仮に事実であった場合、俺が探す「イノリ」という少女が【闇世】において、どのように立ち回り、そしてどのように動いたのかを推察する重要な手がかりにはなる。
何故ならば――。
「御方様の探し人たる『イノリ』殿と、その"名喰い"とかいう力を持つの民に繋がりがあったとすれば、少なくとも【人世】に顔を出していた、ということになりますな? ……今の我らのように」
それだけではない。
ルクとミシェールの兄妹が、侯邸に隠されていた魔法陣を起動させ――【空間】魔法ではない【転移】の力によって飛ばされた先が、この"裂け目"のある『禁域』の森だったという符合もまた見過ごすことはできない。
リュグルソゥム家の"初代兄妹"様とやらもまた「200年前」の人物である。
彼らとイノリの間に関わりがあったかどうかについて、一族の最も古い記憶を当たるように俺はリュグルソゥム家の4名に指示を出す。もしそこに痕跡が見つかれば、いよいよイノリは【人世】でも、顔を出すなどというレベルではない活動をしていた疑いが深まる。
≪ヒュド吉さんの"本体"さんも~【人世】出身だったんだよね~?≫
≪その可能性が高いってことだったよね!≫
片や"急進化"させられたピラ=ウルクに、片や"分断"されたヒュド吉であるため、両名の記憶には曖昧な部分が大きいため、断定できる情報ではない。
しかしこれらは【擾乱の姫君】と呼ばれた存在の"足取り"に関する重要な情報であった。
特に"名喰い"との関わりがあるのであれば、イノリは【北方氷海】も訪れている可能性が高い。
「オーマ様、もしかしてそちらにも行かれます? この辺りから、『長女国』のど真ん中を北に向かって縦断しないといけなくなりますが――あぁ! もしかして、そのための!」
「なるほど。"巨漢"を派遣することの意味を、そこにも持たせる、というわけか」
デウマリッドを『派遣組』として"傭兵"化して、これからの交渉次第だが、フェネスにでも他の誰かにでも売りつけることの意味が二つある。
第1に、"名喰い"の一族であるこの【戦士】を見た時のフェネスの反応を見ること。
それによって、この【界巫】の懐刀とされている食わせ者が――【擾乱の姫君】に対しては、何をどの程度まで知っているのか、もしくは、知らないのかを、どこまで悟らせようとしているのか、または悟らせまいとしているのかを測れれば御の字。
……もし俺の全ての想像が当たっているという最悪の場合には警戒を呼び起こす可能性があるが、しかし、あくまでも俺がデウマリッドとかいう"巨漢"と遭遇したのは偶然なのである。
この意味では、むしろ秘匿しておくべきはユートゥ=ルルナという存在だろう。
【闇世】全域を敵に回して擾乱したというならば当然【界巫】や、その配下達とも敵対していたはずなのであるから。
そして第2に、デウマリッドにヒスコフらをお供につけて【闇世】を旅させることによって――【北方氷海】に至る別ルートが、運が良ければ開拓されるかもしれない。運が悪かったとしても、【闇世】側で情報収集をする取っ掛かりとすることは、できるのであるから。
「それに、仮に【人世】で活動していたのなら、イノリの足取りが"北"よりはむしろ"南"にあり得る、というのは前にも言っていた通りだ。こっちが本命なのは、変わっていない」
「多頭竜蛇、ですな」
【闇世】で多頭竜蛇が『人魚』と関わりがあること。
『人魚』が【人世】においては『次兄国』の勢力圏である【ネレデ内海】に住まう種であるということ。
そして【竜主】は【人世】にありて、環境を操るが如き力によって、かつて支配種であったということ。
以上を基にすれば、擾乱者イノリの"仲間"であった多頭竜蛇ブァランフォティマが【闇世】落ちした"裂け目"は【ネレデ内海】側にある。そして、その"裂け目"は【深海使い】フトゥートゥフの迷宮に通じている可能性が高い――というのは、ヒュド吉を確保した際にも検討していた事ではあったのだ。
「その者は確か"大罪人"で、ヒュド吉めが言う『同僚』でしたな」
「そうだ。だからこそ、ナーレフを獲った後は『次兄国』側も窺っていく。近いところから、手をつけられるところからだ。そして――」
そこまで頻繁に【人世】に出入りしており、しかも、多頭竜蛇の【闇世】落ちに関与し、地域大国たる『長女国』の200年前の混乱期に"名喰い"の民とわざわざ関わったことがあるほど活動していたというのであれば――果たしてその【擾乱】は【闇世】にのみ留まるものなのであろうか。
この観点からも、彼女が【闇世】を引っ掻き回すために【人世】側で活動の拠点を持っていた可能性は高いと俺は考えていた。
そしてそうであるならば――"生死不明"の持つ意味が、その一文字目の漢字に偏っている可能性を考えてしまうのは、ただ単に俺の諦めが悪いからだけなのであろうか。
――これでルルが、イノリの"墓"なり、遺骨なり、そういうものでも持っていれば、俺もきっとすっぱり割り切ることができていただろうが。
……そういう観点から、この考察と検討の"当初"に戻ろう。
ルルという「【人世】での長期の潜入に特化」する"仕様"とした眷属を送り込んだ意味について、である。
そう、これは「長期」潜入なのである。
1日と1年を等価化する【ひととせ】という法則の根源に、ルルの【成長停滞】という【呪詛】が関わっていたというならば――彼女の役割とは、まさに「御役目が解かれる時まで待つ」ことのそのものだったのだ。
【森と泉】という土地の習俗と習合して土着化した民間信仰の中に覆い隠されるが如く、与えられた【領域】の中にただただ留め置かれていたのは、あるいは、この間、一切余計なことをさせることなく、また、その正体を暴かれることもないようにするために、であったかもしれない。
仮にイノリが俺と同じような「世界認識」によって、位階や技能システムを認識できていたのであれば、当然称号システムについても理解する切っ掛けは与えられていただろうから。
既に俺もまた検証していた通り、迷宮領主として、ある程度の指向性を与えかつ自分自身の"認識"によって、配下たる眷属に称号を与えることができるのである。
自身の迷宮に限定されているとはいえ、俺達は「創造主」なのであるから。
そして再掲するが、その【呪詛】が解けたルルの「変化した称号」が次の通り。
【領域中継】とは、まるで再びルルが迷宮領主の配下となることを見通していたかのような、誂えられた技能ではないか。
――ここまで状況証拠が揃っているのである。
イノリが実は……「死」から復活した後のための布石を打つような行動をしているのではないか、と思うのは、ただ単に俺が自分に都合よく情報を並べているだけであろうか。
――もしも俺の想像通りであるならば、ここでルルを"御役目から解放"してしまったのは、その思惑を妨害したことになりはしないか。
――だが、仮にそうだとしても、それが今後俺の道行きにどのような影響をもたらすことになるのかは、どうしてもわからなかった。
「それで、"知っている奴ら"に聞く、ということか。主殿、それで、それはどの"奴ら"なのだ?」
【強靭なる精神】を諳んじながら意識を無理やり現世に戻しつつ、俺はソルファイドが代表した皆の問いに応える。
「その1」は、【騙し絵】のイセンネッシャ家である。
ほぼ、彼らが迷宮領主能力を持った者の子孫または迷宮核を直接継承している者達であることが確定した以上、必ずや、"当主"かその最側近のみが知る情報、受け継いでいる知識などが存在することは確実である。
「例えば『画狂』イセンネッシャが【闇世】でどんな活動をしていたか、【擾乱の姫君】と共にどんな騒動を引き起こしてきたか、とかな」
無論、既に明確に敵対している勢力である。
「教えてくれ」などと言って軽々に教えてもらえるものではなく、当面は、生き延びたツェリマがもたらすであろうこの俺の情報によって、彼らや【破約派】がどのように動くのかを見極めていくところから始めなければならない。
そしてそのために、【紋章】家に可能なら接近するのである。
ミシェール達の復讐の想いを、彼らにとって最も大事であるはずの"時間"を消費させてまで、待たせることによって。
「我が君の御心遣いに深い感謝を。ですが、この情報は、武器となります」
「仮に【騙し絵】家がオーマ様を『【人世】に仇なす大敵』だとか言い出しても、こちらだって逆に『イセンネッシャ家こそが【人世】に送り込まれた【闇世】の尖兵』だって暴露できますからね!」
≪そうそう、例えば……『末子国』とかにね~!≫
リュグルソゥム家の第2世代達の言う通り。
もしも【騙し絵】家の指導層が、たとえ失伝したとはいえ、己らのルーツに自覚的ならば――いきなり俺に対する討伐軍を率先して他家を巻き込んで組織することはない。
それどころか、俺がどこまで知ってどこまで理解しているかを探ろうとしてくるはずである、と踏んでいた。そしてそこに、付け入る隙があろう。
かつて頭顱侯の一角を占めていた【九相】家が、イセンネッシャの叛逆によってその邪悪なる馬脚を現し、粛清された。それは『長女国』における歴史と記録の断絶たる【大粛清】の時代が到来する序曲となったのである。
どうして、同じことが【皆哲】家の誅滅を切っ掛けとして、起きないなどと言えようか。
最低でも【騙し絵】家と、そして【遺灰】家を次の大敵とする手札を、俺達は持っているのである。
そして繰り返すが、そういう状況下で、関所街ナーレフの掌握を通して【紋章】家に接近するのである。
たとえ最悪のパターン――【四元素】家と【騙し絵】家のどちらにも俺の詳細な情報が伝わっている――に陥っていたとしても、やりようはあると言えるだろう。
この方面から【騙し絵】家を追い詰めていけば、その始祖たる『画狂』のことについての情報を得ることができる機会は訪れ得る。
「後は……多頭竜蛇めと【深海使い】めですな」
ル・ベリが述べた通り、"知っている奴"の「その2」は、『ブァランフォティマ』というのがその"名前"であることがわかった多頭竜蛇の本体と、そして【深海使い】フトゥートゥフである。
だが、彼らは彼らで問題がある。
そもそも、先に検討したように、【深海使い】は【闇世】においては大罪人とされている。十中八九その理由は【擾乱の姫君】の仲間だったことであろうが。
【鉄使い】や【宿主使い】とかいう、【水源使い】イノリと敵対していた可能性が高い監視者どもの"眼"がある【闇世】において、堂々と【深海使い】と連絡を取ろうとすることなど危険の極みであった。
「多頭竜蛇の討伐」もまた、きな臭く思われる。
200年という時間を考えれば、かつて【闇世】に敵対した【擾乱の姫君】の一派である多頭竜蛇ブァランフォティマが文字通り泳がされていることの意味が気になったからだ。
【界巫】の配下たるフェネスが多頭竜蛇をあえてこれまで討たずに来たのは、例えば"大罪人"フトゥートゥフの尻尾を掴むためであったと考えることもできる……もしくはただ単に【最果ての島】の"裂け目"が再発見されたことの意味が相応に重視されたということか。
――何のことはない。
【人世】も【闇世】も、魑魅魍魎どもの巣窟なのだ。
――この俺が、イノリに纏わる陰謀や謀略に巻き込まれる訳にはいかないし、また、そんな暇も無いのであるから。
「【闇世】で動くのは、危険過ぎる。当初の方針通り、今はまだ【人世】で活動していくべきだ。そして――」
以上を総合しても、やはり、中期的には『次兄国』へ赴くべきであるという結論となるのであった。
イノリの200年前の【人世】における活動の痕跡を追いかけ探りつつ。
多頭竜蛇ブァランフォティマが【闇世】落ちした"裂け目"を探すために、【ネレデ内海】の沿岸で活発に活動する都市を探り、あるいは訪れるのである。
そのための策源地として『関所街』ナーレフを掌握して拠点を構え繋げ、【闇世】側においても容易には押されぬ"力"を蓄え、同時に対『長女国』のための情報収集と体制作りを進めていくこと。
それが、俺の「次」の方針である。
***
――やっと見つけた、ずっと見つけられなかった、そんな手がかりであった。
消え失せたことすら知らぬうちに消えてしまった少女を探す旅路の、本当の意味での始まりのその始まりであった。
――たとえ既に死んでいたのだとしても、ならば、どこで何を成してどう果てたのか、その足取りを追わねばならない。
何故なら、他の"生徒達"が全て消え失せた原因そのものは――イノリが生み出したということを、俺は知っていたから。
――だから、生死を問わずに、彼女を探し当てることでさえも、単なる始まりに過ぎない。
それでも俺は……どちらが良いかと問われれば「生」の方を望むけれど。
――焼け落ちて「死」ぬはずだった俺が、この世界に迷い込んだ意味が、そこにあるのだと思わずにはいられなかった。
まるで円の始点と終点を探すかのように、途方もない作業に挑むかのように、ずっと彼女を探してきた。
四季が終わりなく巡る日々をなぞるかのように、始まりと終わりの境目が融合して循環している只中を歩くかのように。
――始まりの始まりの、そのまた始まりの始まりから、探して探して、探し続けてきたのだ。
その一念が、あるいは縁を結んで呼び寄せたか。
彼女が開いたであろう【門】を、あの時、この俺も潜ってしまったのだろう。
爛れて、渇いて、餓えて、干乾びて。
水を求めて、赫灼たる焦熱の中に、それを欲して、あの日手を伸ばしたのだ。
――まるで【深き泉】に映り込んだ少女の追憶に幻されるように。
――――第2章・完――――
いつもお読みいただき、また誤字報告をいただき、ありがとうございます!
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■作者Twitter垢 @master_of_alien
読者の皆様に支えられながら本作は前へ進んでいます。
それが「連載」ということ、同じ時間を一緒に生きているということと信じます。
どうぞ、次回も一緒にお楽しみくださいね!





