0205 廃少女と神を捨てたる種(2)
俺の迷宮はいくつかの意味で、一度入った者をそのまま出すことはないし、出すわけにもいかない。
ただ単に【人世】の存在にとって【闇世】とは、神話と御伽噺と古来より続く学問の世界と信仰という各領域における"大敵"とされていることもそうだが――【エイリアン使い】などという、宇宙観念の未発達であろう異世界の文明における、極めて異質な力を迷宮領主としての"世界観"としているからだ。
それは二重に重ねられて、一種の化合を起こした"異質"さとも言える。
そんなことは、この俺自身が一番自覚している。
たまさか、俺は迷宮領主であるということや技能【強靭なる精神】や副脳蟲どもの補助を借りた認識によって折り合いをつけており、また、配下の者達とは迷宮領主と眷属との間の"繋がり"と『従徒献上』や『眷属下賜』によってそれを折り合わせているだけに過ぎない。
実質的な捕虜収容所となっている『客室』に併設された『審問所』の美術・調度レベルは『司令室』に近い水準であるが……それはつまり「不気味の谷」レベルもまた同じということ。
どれだけ、パーツ単位では「エイリアン的感性」によって細密な様式を模倣して正確に象ろうとも、まさにその「エイリアン的感性」によって、それらが裏の骨格部分では臓漿と『エイリアン建材』が入り混じったものによって立体的なクモの巣状の構造に支えられているのが見え隠れするのである。
決して最初から意図したわけでもないが――そこに3番目の"異質"さが現れていると見るべきか。
そして、俺は俺として「それでいい」と考えている。
別に新たな「エイリアン文明」を気取るつもりなどはない。
【異形】をその身に取り込み、触肢茸達を"装備"するル・ベリや、既にその子孫の繁栄を代胎嚢に依存せざるを得なくなったリュグルソゥム家を例に上げるまでもなく、この迷宮で生活と防衛と探索の拠点としての運用をする主体はこの俺とその眷属達であるのだから。
――いっそ、この未知の概念に対する生得的本能的な怖気や畏れの念を威嚇として活用するぐらいで、ちょうどよいのだろう。
だが……"仕置き"のために連れてこられた「一番手」は、そんな異様さなどどこ吹く風。
後ろ手に、魔法の発動を制限する臓漿製の【魔導具】で捕縛されながら、鼻歌を歌うような気楽さで灰ってきたのは、灰まみれの青年侯子サイドゥラ=ナーズ=ワイネンである。
『審問所』で"被告"の席に座らされた彼の背後にル・ベリがつき、左右からリュグルソゥム家の3名とソルファイドらがあるいは見張り、あるいは見守っている。差し詰め審問官のように、一段高い位置に『エイリアン輿』に座った状態で、俺は組んだ指先に顎を乗せながら、サイドゥラを観察した。
【水】属性で流しても流しても、どこからともなく彼の周囲に現れて纏い付く【灰】と同じような色の長髪をしており、今は没収しているが、多数の魔導の補助具を装身具として、その「白装束」ならぬ「灰装束」のワンポイントとしていた数寄者。
既にその実力は直接この目で視たところだ。
その【灰】魔法という特殊仕様をさらに制御するために、護衛として進化据え置き組である塵喰い蛆ラムダと瘴気走狗蟲達も配している。過剰警戒かもしれないが、頭顱侯もまた――"属性"というこの世界における「神に保証された」認識の外側に足を踏み出している存在なのだ、と俺は考えつつあった。
備えて、備えすぎることはない。
「やぁ、魔人さん……痛いって、はいはい。正式名称『ルフェアの血裔』さんだっけ?」
誰が喋って良いと言った、と告げるようにル・ベリの鞭の一撃が加えられる。
バッと灰が舞い散るが――即座に部屋内の【風】属性換装の一ツ目雀達によって、風の流れと共に排されていく。
「ようこそ、【報いを揺藍する異星窟】へ。あぁ、自己紹介はいらないぞ、全部見えてるからな」
【基本情報】
名称:サイドゥラ=ナーズ=ワイネン
種族:人族[オゼニク人]<支種:魔導の民系>
家系:ナーズ=ワイネン家<号:【遺灰】>
職業:灰被りの騎士
位階:24
【技能一覧】(技能点48/78点)
「……確かにぞっとしない感覚だね」
積極的にリュグルソゥム家の誅滅に携わった当人ではないとはいえ、彼は頭顱侯家の侯子であり、捕虜の中では最もその身分が高い存在である。
昇格したリリエ・トール家も含めた全13家が関わった陰謀である以上、その立場が故に、それなりの事情に詳しいであろうことが想像できる。
この場で、"放蕩"していた、というような言い訳などが効かないことはサイドゥラ自身もわかっているだろう。返答一つでは即座にリュグルソゥム家によって「灰」ならぬ「廃人」コース行きであるという自覚もあるはずであったが――この"眼"に俺は見覚えがあった。
……直近だと、ソルファイドである。
既に燃え尽きた灰となっているかのように、サイドゥラは自身の命であるだとか、運命であるだとかに対するこだわりや執着が非常に薄いと感じたのであった。それは決して、彼の称号技能にあるような【怠惰への誘い】だけによるものでは、ない。
だが、"死にたがり"とも少々違って見える。
「怠け者を気取るなよ、贖罪者の青年。一つ、教えてくれないか? どうして【人世】に生きるはずのナーズ=ワイネン家が――【魂引く銀琴の楽女】なんていう【闇世】の女神様を信奉しているんだ?」
「異形を統べる"血裔"さんの、怖いこと怖いこと。【遺灰】って、もともとそういう一族だからね。いくら"解釈"でそうだからって……【破邪と癒やしの乙女】様なんてガラじゃ、ないでしょ? たとえ姉妹神であらせられてもさ」
「【人世】で堂々と【闇世】の神なんて信奉できるのか?」
「もちろん"隠れ信仰"だよ。バレたら即討伐……はされないにしても『末子国』から厳し~い、難詰状が来ちゃうかもしれないなぁ」
浮世離れした態度を崩さない。あるいは、リュグルソゥム家や『魔人』の力ならば調べられていてもおかしくはなく、知られたとしても大差無いという態度であろうが、どうもそれが【忠孝】という称号に引っかかるものを感じた。
なにせ、彼の種族技能テーブルにおいては『ジンリ派』の神々の関心であることを表す【守護神】表記のままなのである。にも関わらず【銀の楽女】がサイドゥラに"注目"した理由を考えるならば――。
「お前は【闇世】に来たかったのか?」
「……どうかなぁ、それも選択肢として考えてはいた。だって、ほら、ここ。【火】が燃える時に、耳の奥で鐘の音がぼんやりとだけど、ごおおん、てする。ははは、『学説』の通りだね、感動しちゃうね」
「それはお前が操っていた、燃える灰でできた超高温の家族の亡霊と関係でもしているのか?」
対追討部隊迎撃戦で、サイドゥラが操っていた【灼灰の怨霊】は、子供の形をしていた。そして【遺灰】のナーズ=ワイネン家が、リュグルソゥム家と比較してまた別の意味で家族の絆が深い一族である――彼らは肉親の【遺灰】を己が超常とする――ことを考えれば、サイドゥラもまた、そうなのであろう。
だが、俺にとって問題なのは、望んでそうしたのか否か、ということであった。
彼らの一族の有り様そのものに容喙するつもりはないが、そのことに対して、サイドゥラという青年がどういう感性を持っているかを知りたかったのである。
果たして、サイドゥラの答えは飄々としたものであった。
「安らかに眠らせてあげたかったからね。【闇世】に来てからずっと、【銀の楽女】様に内心でお祈り捧げていたよ?」
「一族のやり方に反対しているのか? サイドゥラ青年」
「そりゃあ、こんな一族に生まれちゃあね。せめて僕が――弟と妹達に代わってあげたかったぐらいさ。だって」
続くサイドゥラの言葉に、ルクとミシェールが目を見合わせた。
『止まり木』に戻り、様々な事柄を確かめ、裏を取ってきたのであろう。
なぜならサイドゥラは、こう言ったからだ。
「【遺灰】家の正体って、【九相】のルルグムラ家の"隠れ蓑"だし、滅ぶべきなのは当たり前でしょ? ――あぁ、やっとルク君とミシェちゃんのその顔が見れたね、ははは。流石の【皆哲】も知らなかったみたいだねぇ」
【九相】のルルグムラ家。
200年前に【騙し絵】のイセンネッシャ家が台頭する以前の問題児であった古い頭顱侯家である。【死霊術】を操り、『長女国内』で様々な陰謀を引き起こして、最終的には台頭した『画狂』イセンネッシャとその弟子達に足元を掬われたことをキッカケに粛清され――歴史と記録の断絶である【大粛清】の原因を作った一族。
……【闇世】の神を信奉するどころではなく、それこそ、知られれば問答無用でリュグルソゥム家の次に殲滅されてもおかしくない存在であるという、最高機密中の最高機密を、事もなげにサイドゥラは俺達に聞かせたのであった。
「大した【忠孝】ぶりだ。その情報で一族が狩られることになる、と覚悟しての"投降"ということ、か?」
「一族の罪を自ら断罪する覚悟を我が君に示せば、それで生にしがみつける、と思っているのならば、私達も侮られたものです」
あるいは可能性の一つとして「家族を売る」行為をサイドゥラがしたようにでも捉えたか。硬く強張った声色で言を投げかける、リュグルソゥム家誅滅事件の"生き残り"の兄妹に、サイドゥラはしかしその調子を崩さずに、真っ直ぐに顔を向けて答えを返す。
「一族の連中が、迷惑をかけたね。どうせ君達の【精神】魔法の前では嘘はつけない――トリィシーちゃんの"技"をもう習得済みだろ? だって、君達は【皆哲】なんだから。当然、覚悟の上だよ。ただし、不遜にも条件をつけさせてもらうなら」
そして俺に向き直り、サイドゥラは、先に話した"願い"を今度は"頼み"という形で繰り返すのであった。
「弟と妹達を眠らせたいんだ。『黒き神の血裔』たる貴方なら、できるんじゃないかな? って思って。それまでは僕のことを「廃人」にしないでくれたら、僕は、それでいいや」
【報いを揺藍する異星窟】の主であるこの俺に対して、はっきりと、そんな要求を口にしたのであった。その直後に「本当は死んでも良かったんだけど」と小さく呟いたことも、聞き逃さなかった、と言っておく。
――サイドゥラの言の真偽や本意などというものは、まぁ、どうせこの後、判定されるだろう。
嘘や欺きの類が混じっていたのであれば、彼はただ単に、ルクとミシェールの逆鱗に触れたことによる死を迎えるのみである。
故に、俺はその身をリュグルソゥム兄妹のために拡張した『尋問室』送りとして、その結果を待つこととしたのであった。
***
続いて『審問室』に招き入れられたのは、吸血種ユーリルと"加護者"リシュリーである。この2名は捕虜ではなく、俺の"客人"扱いであり――目覚めたリシュリーと話し合って、決心が固まったか、共に俺の従徒となることを願い申し出てきたのであった。
元より、リシュリーを『末子国』から連れ出し、【四元素】家を経由しつつ、最終的にはリュグルソゥム家を頼ろうとしたのが【聖女攫い】ユーリルの行動なのであった。
その意味では、今やリュグルソゥム家が身を寄せているこの俺の迷宮以外に、彼らとして行き場は無いであろう。無論、リシュリーに限って言えば『末子国』に戻っても、生きていくことだけはできるであろうが――根本的な問題が一つある。
【人世】の諸神に仕え、しかも思い切りその特殊な駒であることが明らかな【聖女】などという存在が――【闇世】の使徒たる迷宮領主の従徒なんぞになってしまって、本当に平気か、ということである。
だから、副脳蟲どもが「きゅぴきゅぴ会議」で話題にしていたが、あらかじめ「実験」をすることにした。
現在は維管茸に繋いでエイリアン的な意味で"治療"中であるが――子供思いで【聖女】思いで、さらに『末子国』の"加護者集め"に違和感を抱いていた、気骨ある教父ナリッソに協力を仰いだのである。
リシュリーのためである、と彼を折伏してまず半強制的に俺の従徒と成し、【守護神】系統の技能や職業そのものが消滅したり、外れたりするようなことがないことを確認。
次に、幸い治療すべき怪我人が『客室』には事欠かない状態であったため、彼にそのまま"点振り"して多少なりとも本当に使えるようにさせてやった『癒やしの神威』を行使させたところ――次の通りの迷宮核のシステム音。
――上位介入を検知。識別個体は"乙女"――
――核権限により対抗介入を要請。個体検索を開始――
――"寵姫"へ要請。拒否――
――"隠者"へ要請。拒否――
――"悪童"へ要請。拒否――
――"夢子"より介入の申し出を検知。緊急受諾――
結果、かすり傷を治す程度に過ぎない、ごくごく微弱なはずのナリッソの『神威』は彼の全身からまばゆい金色の純たる魔素と命素が爆発する形で暴発。
壁の反対側まで吹き飛び、衝撃波によって全身がズタボロになるという結果をもたらしたのであった。
「オーマさん、無茶苦茶するよな……」
「本人は納得して協力してくれた。拒めない状況下だ、という反論もあるかもしれないが、自分の中で優先順位を決断してそうしたということに、俺は必ず報いるぞ」
少なくとも【闇世】で神威はご法度であり、禁止である、と知ることができたのは有用だ。
念のためフェネスへの連絡用の鏡や【闇世】Wikiの記述を監視させ、海上や天空その他を哨戒させていたが――現時点まで特に目立った不穏な動きは存在していない。それに、そもそも常時、その特殊過ぎて尖りまくっている『癒やしの力』を帯びているリシュリーを連れ込んだ時点で、【闇世】の神々に察知されるならば察知されているべきなのである。
――サイドゥラに【癒やしの乙女】の姉妹神である【銀の楽女】が付いたことの意味が、また別の形で受け止められる部分があるが……少なくとも【闇世】において、神々の力は【人世】よりも近しい位置にある。
【人世】で俺は当初、迷宮領主の力が通らないことを『ジンリ派』の神々の妨害だと思っていたのだ。
だが、それは実際には単に元【泉の貴婦人】だったルルが帯びていた、彼女の前の主の力を【領域】として保っていたことによる単なる【領域戦】であったに過ぎず――【人世】では実は迷宮領主の力が撃ち放題。
これらのことを合わせて考えると、あるいは、【黒き神】がこの俺にくれている「注視」や、次から次へと俺の配下や眷属達にその眷属神達が「注目」していることは、むしろこのことさえも予期したことであったのではないか、と思える。
繰り返すが、神と世界の距離が近しい。この俺が【闇世】に害なす存在であるならば、もっと直接的な警告や粛清の手が来ていてもおかしくはないのだから。
――だが、リシュリーを保護する上では、選択肢が限られているのも事実だった。
たとえ【人世】であっても、俺は【闇世】の力を行使して行かざるを得ず、その範疇に彼女を留め置くしかない。ユーリルが、より安全な場所を見つけられるまでは。
故に、来るならば来い、という啖呵たる一念を改めて心に抱いて、俺は二人とも従徒としたのであった。
リシュリーが顔を上げる。
物静かな印象通りであったが、飾らず、芯の強そうな眼差しは年に比べればずっと大人びたものであろう。深い翠色の眼差しには、ユーリルや、他のものを気遣う意思が見出だせる。
決して、宗教的な礼装のように【聖女】然に強調されたような衣装などではない。
それどころか、防寒着の下にケープを羽織った、町の娘のような出で立ちであったが――それが逆に、自然の中にあって自ら"加護"に芽生えたという気配を際立たせているようにも感じ取れた。
ただし、その顔色は――苦しそうに昏睡していた頃に比べれば随分血色はマシになっているが、それでも一般的な「健康」の基準からすれば、むしろ「ヴァンパイア」などと翻訳されている隣のユーリル少年の"種族"よりも、まだまだ青白いように映る。
【基本情報】
名称:リシュリー=ジーベリンゲル
種族:人族[オゼニク人]<支種:聖墓の民系>
職業:聖言巫(【破邪と癒やしの乙女】)
位階:16(技能点:残り0点)
状態:疲弊(大)~穢廃血(浸透度26%)
【技能一覧】(総技能点59点)
角度で誤魔化したか、それともユーリルが"手助け"をしたか、目の下に隈が溜まっている。それはそのまま彼女の【状態】から現れているものであるが――ユーリルがつきっきりで、日に多い時は3度"ろ過"作業を行ってなお、26%である。
明らかに、排出される傍から、新たに生み出され続けているとしか思えない。
【癒やしの乙女】の力を行使していないように見える、にも関わらず。
だから、端的に俺は顔合わせの挨拶として呼びかけがてら、その疑問をぶつけることとしたのであった。
「お初に、お目にかかります。【闇世】の"領主"様。養父はイセット、姓はジーベリンゲル、『末子国』が……元【聖女】であったリシュリー、です」
「ご機嫌よう、【癒やしの乙女】が"加護者"リシュリー=ジーベリンゲル。【人世】の神に仕える身でありながら、お前達が"魔人"などと呼ぶ【闇世】の存在の下に付くというのは……不本意かい?」
「いいえ。私は私として。たとえこの身がどこにあろうとも、傷ついた人も、獣も、その他の生命も【癒やしの乙女】様の御手となって引き受けることができます。【癒やしの乙女】様は、【闇世】との戦いを望まれません」
「それは君自身の言葉としてか、それとも、『聖言士』としてか?」
「……ナリッソ教父様がその身でお示しくださいましたように、【闇世】では、能いません。しかし、願わくば【人世】にて、変わらず私に天より与えられた使命を全うすることができるよう、お願い申し上げます」
「その『使命』とやらは、『末子国』や【聖墓教会】にいなくても、達することができるものなのか?」
首肯するリシュリー。
どうして"加護者"となってしまったのか、について本人の自由は無いのだろう。
そして同様に、一度"加護者"となれば、【四兄弟国】を結ぶ【盟約】により、『末子国』の預かりとなる。貴種に生まれたわけでもなく身寄りや後ろ盾があったわけでもない身ならば――例外扱いとなることもなく、そのまま、東オルゼを治める四国が定めるままに彼女は【聖墓教会】に身を置くようになったに過ぎないのだろう。
リシュリーにとって、己が天から与えられた【癒やしの乙女】の加護を振るうという使命感は、必ずしも教会組織と結びついたものではない、ということがわかったのは、一つ、彼女の人となりを知る情報である。あるいは、それもまたユーリルによる【聖女攫い】の原因であり、この二人の物語の始まりの一幕であるのかもしれないが……それについては、また後でナリッソにも確認することとしよう。
今、俺が気になるのは2点である。
「それでも君は【癒やし】の奇跡の反動に蝕まれ続けている。しばらくの間、ずっと昏睡していた、というのに。誰も癒やしていないのに、そんなことが、ありえるのか? 教えてもらうことは、できるだろうか」
ちらり、とリシュリーが伏した目を横に向けて、ユーリルと見つめ合った。
吸血種の少年は、最初に侵入してきた時の威勢が嘘のように大人しい。リシュリーを不測の事態から守ろうとする素振りは常に隠さないが、少なくとも、それは当初のような敵対的で剣呑で何者も信じないといった棘のある態度では既に無くなっていた。
「ご認識に、相違があります、【闇世】の領主様。私は、この憑坐たる身は――今も、癒やし続けているのです」
「……どういうことだ?」
「まさか――」
ソルファイドが首を傾げ、ルクが口に手を当ててミシェールが目を細めたのは同時。だが、極めて言いにくそうにしているリシュリーに代わって口を開いたのはユーリルであった。
「それが『末子国』の、どす黒くて汚い"裏側"なんだ。大金を払った金持ちども、不治の病や死病に冒された連中に、リシュリーの神威は、繋げられているんだ」
「なるほどな。ナリッソが飛ばされたのも……まぁ、それに気づきそうになったから、てところだったわけかな」
それこそがリシュリーが、見かけ上は何もしていないにも関わらず、絶えずその体内に【穢廃】のどす黒い傷病老苦の象徴の如き「血」が生み出され続けている理由。【人世】において、元来であれば【闇世】と戦うなり、神の意思に従って行使すべき神威が【聖墓教会】の"裏側"であるという。
……だが、ユーリルの視点だけを鵜呑みすることもできまい。
ただ単に、不治の病に冒された我が子や親族がいたとして、たまたま金持ちであったからそのコネクションを使って、この【癒やし】という名の超高額商品を買っただけの者も、あるだろう。元の世界における、某超資本主義支配国の医療制度のようなものだ。
金もコネも無い者が命の優先度を下げられているのは確かだが、【癒やし】の神威を享受していることそのものが罪であるとは、直ちには断じられないだろう。
そこに恣意と腐敗の臭いが漂っており、健全な組織であるかどうかには、疑問符が大きくついたところではあるが。まぁ、国家というものなど、少なくとも長く同じ体制が続いた巨大な組織というものなど、押し並べてそういうものであるのかもしれないが。
「是非はどうあれ、最低でもそのセクションを潰さないと、リシュリーの祝りは一時停止すらできないな? お前は、そうしたいのか? ユーリル」
――せめて、リシュリーが少しでも苦痛に耐える力を持てるように。
そしてこれ以上諸神が余計な"点振り"をしないようにするために【適者の意思】に振ってやってから、俺は吸血種の少年に問いかけた。
【基本情報】
名称:ユーリル
種族:吸血種[仕属種]<純系>
血系:カースケセリアン
職業:血の影法師
従徒職:主の影法師(所属:【エイリアン使い】) ← NEW!!!
位階:23
【技能一覧】(総技能点44/82点)
メルドットから入れ替わりで、シナジー狙いで与えた【主の影法師】であったが――ユーリル仕様の小技能群に変化しているのが非常に興味深い所である。
ルクとミシェール、ダリドとキルメの場合は「同じ」であったこととは違いが現れているわけだが、その件については、本格的に彼に"点振り"してやる時にまではちょっと置いておこう。
彼の最終目標と合わせて、吸血種という種族について問う良い機会だと思ったからだ。
「それでリシュリーが助かるなら。少なくとも――たかが神の使徒ってだけで、どうして、リシュリーがそいつらの傷も、病も、肩代わりしないといけないんだ。リシュリーが、そんなものじゃなかったら、死んでいたはずの連中に……」
「個人にとって、自分以外の他者の命に優先度があるのは当たり前だからな。だが、お前だって――『神の似姿』の【血】を吸わなければ生きていけないだろ? 『神を捨てた種』ユーリル。殺すお前と、生かすリシュリーは、存在だけを見たら相容れないな」
「そうさ、オーマさん。俺は顔の知らない重病人の誰かよりも、リシュリーに生きていてほしい。リシュリーが元気なうちは、俺だって、顔の知らない誰かの血を啜って生き続けていたい」
「まぁ、どの道、迷宮領主であるこの俺もまた【神聖譚】を引き継ぐ『末子国』とは相容れない存在だ。互いに、正面から遭遇したら『長女国』以上に殺し合うことは避けられないだろうが……今の時点で『末子国』に手を出す理由が、俺としては無いのもわかっているよな」
頷くユーリルは、自分もまたそうだ、という諦観の籠もった表情で唇を噛んでいた。
【闇世】Wikiには記されず、リュグルソゥム一族が知りうる程度の【人世】の記録ではその来歴が記されない、しかし確かに【四兄弟国】の成立以前の時代から存在してきた吸血種。
彼らが「神を捨てた」ことと、そしてその代わりに、全ての【生命紅】を統べる存在である最上位の皇血種階級の存在――現在は【生命の紅き皇国】女皇ササン・カミル=ナザミラ唯一人――を頂点とした、独特なる『使命統治』によって上意下達に階級支配されている有り様は、種族技能において【守護神】の代わりに【生命紅】が陣取っていることからも窺える。
そして、この【生命紅】なる存在の本性が「生命のスープ」のようなものを中心に、それがより濃い階級から薄い階級に下される命令、を媒介として。
被命令者の中に形成される『使命を遂行するためのもう一つの人格』を通した『使命統治』という、極めて独特な種族的かつ文化的支配形態を有するのが『神を捨てた種』なのであった。
語弊を恐れずに言えば、皇血種が吸血種全体の「神」として振る舞っているが――「大命」と呼ばれるその強制力は、【人世】の守護神と加護者のそれの比ではない。
ユーリルは、常に、己の中に宿っている「『長女国』に大乱をもたらせ」という大命を遂行しようとする『使命人格』と鬩ぎ合い――討論し、解釈をぶつけながら、なんとか行動の自由を確保しつつ、ここまで至ったのである。
今俺に従っているのは、彼の中の『使命人格』的に言えば、この俺が『長女国』を滅茶苦茶にすることができる存在であるから――ハイドリィ=ロンドール以上に――ということであるらしい。純粋に、俺に言うことを聞かせるだけの力をユーリルが持たない、ということもあるが。
「ふむ。御方様の実力を高く見込んだことは正しいか、貴様自身としては『末子国』に関わりたくても、そうさせてもらえない……御方様の傍にあって、なんとか『長女国』めを混乱させられるように誘導し続けるように駆り立てている、といったところか? 貴様の中のもう一人の貴様に」
「迷惑をかけてる自覚はあるよ。だから、俺は最悪、この状態でもまだなんとかなっている。これでも、リシュリーの【穢廃血】を安心して"ろ過"できる場所を用意してもらってるんだからな。それ以外にも、オーマさんの【影】にだって何だってなる、リシュリーを護ってもらえるならな」
「吸血種という種族に興味はあるし、ネイリーのことも放ってはおけないからな。すぐに働いてもらうことにはなると思うから、よく、リシュリーと話し合っておいてくれ」
無論、希望されたため覚悟して従徒として受け入れたが、元来リシュリーは"客"のつもりであり、庇護を与える対象であるつもりであった。
今も常時、顔も見ぬ何者かに【癒やし】の神威の力を垂れ流してなお、【人世】側で『使命』を果たしたい、と願う彼女の信念も大概ではあるが――それはそれとして、俺のために働くつもりであるならば、【異星窟】の主としては報いを返さなければならない。
故に、俺はこの場を借りてリシュリーにどうしても確かめたいことの2つ目を問いかけたのであった。
ルクとミシェールに目をやってから。
「さて、リシュリー。もう一つだけ、聞かせてくれ。そこのリュグルソゥム一族の【呪詛】の正体を、君は、わかるか?」
顔を伏したまま、リシュリーが【聖墓教会】の作法で一礼するように、痛ましげに、あるいは苦々しげな表情で彼女を見ているリュグルソゥム兄妹を、その翠の瞳を見開くように、じいっと視た。
神威の行使では、きっと、ギリギリ無いであろう。
【聖言士】たる彼女がそれを行使するためには「言葉」が必要であるのだから。
だが――凡そ人に宿る傷病老苦を【穢廃】という形に概念化してその身に写し取る特性ならば、寿命を害する【呪詛】もまた、その正体を見通し得るかもしれないと思ったからである。
そして同じことは、リュグルソゥム一族もまた考慮はしていただろう。
だが、そもそも、リシュリーの身柄を引き渡すという名目によって王都に呼び出され、「誅滅」の罠にかけられたのである。この、神だけではない様々な思惑の「憑坐」にされてしまった少女本人は、ただの"餌"に利用されたに過ぎないにせよ、リュグルソゥム家にとっては、一族の始祖が大恩を受けた存在の系譜の"加護者"に対して複雑な胸中が巡っているだろうと見て取れた。
少なくとも【四元素】家とどのような話が進んでいたのかを、ユーリルとリシュリーから、改めてルクらは聞きたいはずであろう。だが、今は兎にも角にも、【呪詛】について少しでも何かがわかればとの一念。
果たして、リシュリーがしばらく俯いてから、重くその口を開くには。
「これは神威でも、呪詛でも、ありません。私に、これの正体はわかりません……ですが」
一呼吸を置く。
次に発せられた一言は、リュグルソゥムの3名と、今は『大産卵室』できゅぴどもの補佐をしているキルメを含め、リシュリー自身をも苦悩させるに十分な"情報"となったのであった。
「――『末子国』で最も尊き御方。【聖守】様の御力が、感じ取れます」
いつもお読みいただき、また誤字報告をいただき、ありがとうございます!
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■作者Twitter垢 @master_of_alien
読者の皆様に支えられながら本作は前へ進んでいます。
それが「連載」ということ、同じ時間を一緒に生きているということと信じます。
どうぞ、次回も一緒にお楽しみくださいね!





