0200 ナーレフ騒乱介入戦~四季の還り(2)
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【四季】が解かれていく。
――無論、天変地異が起きたとか地軸がポールシフトを起こしただとか、星が恒星の軌道からずれたであるとか、そういう意味ではない。
この世界の『技能・位階システム』を核とし、その実は"認識"にまで広げられている「概念」としての【四季一繋ぎ】が――長きに渡り旧ワルセィレ地域において、【四季ノ司】達とこの地に住まう人々を超常法則的な側面から【暦】として繋いできた"力"としての【四季】が、還って往くという意味において、である。
それは、山から谷あいに吹き下ろすような颪に似ていた。
――『因子:均衡属性』を再定義。解析率13.7%に上昇――
あるいは『高気圧』的とでも呼ぶべきものだろうか。
更なる旧ワルセィレの周辺地域とは異なる世界法則……とまでは行かずとも"独自の地域法則"という形で、溜まりに溜まっていたものが――人々の集合無意識に宿り「願い」と成して概念として認識されていたもの――綻び、解け、遊離して、融けて往く。
そして俺は迷宮領主として、この、法則が解けた擬似的なエネルギーとしか呼ぶべくもないものが、その遊離して融けた先端部分が、大気中に膨大な魔素と命素として解き放たれていくことを、確かに【領域】の内側から感じ取っていた。
喩えるなら、一面のたんぽぽ畑から無数の綿毛が飛び立つように。
もしくは、コーヒーに落とした角砂糖が水分の染み込んだ先端から溶けていくように。
【四季一繋ぎ】というただの自然現象だけではなくそこに活動する人々の【暦】という"認識"をも取り込んでいた法則が、膨大な魔素と命素に還り――しかしその状態は長くは続かず。
まるでコーヒー中に溶け出た砂糖が、新たな結晶を生じさせるかのように16の属性に再編されていく様を、確かに視た。
――さらに俺の【因子解析】が反応して、未だ解析率100%に達していない【属性】どもが、微量ではあったが、解析率が上昇する。おまけで『因子:神威』も、である。
「ルク、念のために再確認だが、ナーレフの『晶脈石』はまだ起動されていないんだったよな?」
問いに対してする答えは"是"。
ただ単に、この地を覆って周囲からの『長女国』謹製の『晶脈ネットワーク』による"属性均し"に抗っていた地域法則が失せたことで、一気に周囲の都市に配置されているそれの影響が流れ込んできただけであるか――はたまた【魔法学】には諸神の後ろ盾があるという意味であるか。
……ただ単にこの世界が16属性である、と諸神に規定されているだけであることを如実に示す現象かもしれないが、しかし、【魔法学】がそれに乗っかっており一定の関わり合いがあるということに変わりは無いだろう。
ただし、その場合は『長女国』における"信仰心"の薄さが非常に気になるところではあるが。
この点を追求しようと思うならば、他の"兄弟国"を調べて、あるいはこの俺が実際に目で視なければ、わからない部分はあるだろう。
そのようなことを気に留めながらも、一旦は意識の片隅に置きつつ。
一切の【四季】の力が抜けて崩れ落ちたマクハードを、しかし彼の中にはまだ『氷竜』の"血"とやらが残存している可能性があるため、ソルファイドに監視させつつ。
かつて【泉の貴婦人】と呼ばれていた"逆さま人魚"たる存在――現時点で『亜人』なのか『魔獣』なのか判別しづらい――を鎧っていた『氷の柱』が昇華していく。
固体としての氷から水へ、ではなく。
その過程をすっ飛ばして、つまり、属性としての【冬】がそのままその存在を維持できずに解けるのと同じように、雲散霧消していく。
その有り様は、周囲を荒れほど灰白銀に、色だけでなく視界をも覆っていた氷雪の景色も同じであった。失せ、失せ、また失せ、散じて移ろい、超常が介せぬ場合そうであったろう本来の姿へと戻っていく。
まるで天に登るキラキラとした白銀の霧のようにあらゆる氷雪の粒子が上っていき、そして吹き消えて行く様は曇天もまた同じ。水に溶かした和紙のように、急速に割れ、千切れていく雲達の切れ間からは、日差しと晴天が幾重にも顔を覗かせ始めていたのであった。
「……グウィース、後でちょっとお仕事だ。この地に、後押しだけでいいから、"春"を呼び込んでやってくれ」
暦の上では5月である。既に新緑も新芽も十分に芽吹き、花咲いていなければならない時節。
あるいは自然の回復力というものを少々俺が侮っているだけであるかもしれないが、【春司】もまとめてそのお役目から解いたのだ。ならば、俺の力によって、この地に"春"の息吹きを呼び戻す少々の手助けをするのが道理だろう。
『長き冬』という形で表出したこの地の因縁の爆発を、俺の介入によって収束させ、そしてさらに先のことを見据えた俺自身のためのことでもあるが、【四季一繋ぎ】という旧ワルセィレの法則を終わらせたならば。
「オーマ様。【四季】の魔法類似……超常の力を放棄なさった、のですね。旧ワルセィレ一帯を糾合することができたかもしれない、旗印とできる力を」
「しかし"それ"では、そこの『商人』が思い描いたのと同じ構想の首をすげ替えただけ……より善い一手のためと我ら愚考します。どうか、我が君の御心のままに」
総取りとまではいかなかったが、それに近いレベルの戦果と成果は得た。
中期目標と長期目標については、これから元【貴婦人】に対して、聞きたいことを聞いてからの結果次第であるが――短期目標は変わらない。リュグルソゥム家が、きっと俺の意図について『止まり木』で喧々諤々と議論してきたであろう、議論して納得したという事実は俺と他の従徒達に示した上で、あえてこのように支持の意を伝達してきた意図は理解している。
――彼らにとっては忸怩だろう。
これから【紋章】家の傘下に付くことなど。
だが、見方を変えれば、さらに深く『長女国』の懐に潜り込みつつ、しかしその内側で俺の勢力を構築していくことのできる一手でもあった。そこから、そして『関所街ナーレフ』をどう"立て直し"ていくか次第ではあるが――方向性次第で、さらに多くの情報を集めることが、できるだろう。
リュグルソゥム家の誅滅という凶事の裏と真相について。
≪きゅぴぃ! "逆さま人魚"さんがお目覚めきゅぴよー!≫
≪いやっほう! 造物主様の大勝利だねっ≫
≪わ、わくわくかなー……?≫
副脳蟲どもの藹々とした【眷属心話】が鳴り響くが、眼前、氷の柱が融け失せて茶気た大地に倒れ込んでいた元貴婦人は労役蟲と触肢茸達によって助け起こされるように。
【火】の魔石によって氷点下まで冷えていた体温を物理的に温められており――この時点で『魔法適応生物』か、はたまた出自的には【闇世】の眷属である――急速にその頬に全身の肌に血色が戻りつつある様子。
そして、まるで何度も何度も惰眠を貪った挙げ句にようやっと惰性で開いたかのような、微睡むようにぼんやりと開かれた双眸は、エキゾチックな深緑色をしていた。
女神の裸婦像を思わせる白い柔肌の上体に、水分を含んだ海藻色の長い髪が枝垂れして伝い這う様は、画でも彫刻でも芸術家達の心を鷲掴んでもおかしくない容色であったが――"美人像"とまでするには、いささか難点が2つばかり。
まず、その深緑の双眸には、死んだ魚のように感情がこもっていない。
人形のように生気も光も込められておらず、ガラス玉を見つめているような、若干の不安さすら感じるようになる代物だったのである。
だが、その疑問は2つ目の難点と共に氷解する。
「ふわぁぁ、いい気持ちで寝てしまっていましたわぁ……おはようございます?」
≪おはようございまきゅぴぃ!≫
≪あはは、長い【冬眠】だったんだねー、おねーさん、あはは≫
≪急速にぽかぽか~≫
「あらあら~、何でしょうこの愛らしい脳みそさん達は~? ――あら?」
むくりと起き上がり、背伸びをして豊満な乳房を惜しげもなく晒す「人間半身」。
同時にむくりとこちらも起き上がる「ピラルクー半身」が、まるで大きなあくびをするように、その長大な前鰭を口の方へ伸ばして口元を抑えるようにしつつ、他の鰭達によって爬虫類のように「よっこらしょ」と身を起こし。
――そのピラルクーの口から流暢でソプラノボイスな『古オルゼンシア語』で喋ったのであった。
「え、ちょっと待ってそっちが"本体"なの!?」
思わず、近くにいたダリドが驚愕の声で突っ込んだ。
それなりに大きな声であったため、何かを言いかけた『半ピラルクー半人』が「うーん?」と指を顎に当てて首を傾げる仕草を――「人間部分」と「ピラルクー部分」で同時に行う。そして何かを思いついたかと思うや、おもむろに前鰭でピラルクー側の口を覆い隠して。
「ソンナコトナイデスヨー」
「ちょっと待って! 自前で腹話術!? どういう構造してるの、これ!」
「あらあら、バレてしまいましたか~」
明らかに前鰭の後ろでもぞもぞと動いている、のと同時に、蠍の尾よろしく持ち上げられた「人間半身」側の"口"がぱくぱくと流暢な話者の如くに動いたため、今度はキルメが叫んだ。
これが中継映像であればまんまと騙されたところであろうが――至近距離にいる以上、音源が下の方から聞こえてくるため意味が無い。
しかもこの「ピラルクー部分」、死んだ魚然とした「人間部分」とは打って変わったかのような、生き生きと喜怒哀楽と感情の輝きが籠もった眼差しなのである。キルメの驚きもまたもっともであるというところであるが――。
≪全く、魔法適応生物さんのセイタイさんは、摩訶不思議きゅぴねぇ≫
≪ち、チーフ……それって"生態"さんと"声帯"さんを、掛けたの?≫
≪なんだあはは、ウーヌスにしては考えたじゃないか!≫
≪ねー(~)!≫×3
副脳蟲どもの反応に対し、ものすごく困惑し呆れたような気配を出すルク。
具体的に言えば「お前らがそれを言うな」とでも言いたげな眼差しで、しかし、彼は当主であるのでいちいち過剰反応しないように自制した様子。
……まぁ、それが副脳蟲どもと付き合う上で大事ではある対応。
だが、これは、ちょっとこの連中に"お仲間"と書いて"混ぜるな危険"と読む存在が混じったような予感がしつつ――俺はもったいつけるように咳払いをした。
きゃっきゃきゅぴきゅぴと文字通り"脳"天気に、いつの間にか"裂け目"から這い出してわらわらと俺の輿の回りに這い集まってきていた脳みそ幼児どもとうんうんと頷き合いながら――ようやっと、マイペースな調子で2つの目線を俺に合わせてくるや。
「どうもお久しぶりです~。創造主様~200年ぶりくらいですね~……あら? あらら?」
――創造主様、だと?
≪きゅぴ?≫
≪ん~?≫
調子の狂うやや間延びした喋り方であるが、初めて、そこに緊張らしきものが宿った。人間部分とピラルクー部分の表情が、同時に、わずかばかりであるが強張る。
「……貴方はどちら様ですか~?」
そう言うなり、ピラルクー部分をぷいと後ろを向かせてまた前鰭で隠し、人間部分は腕を組む。
「いや、隠しても無駄だからな。だが――それよりも、お前、俺を誰と間違えたんだ?」
チラリと後方のヒュド吉を見やる。
俺の目線に気づいたのか、こちらもまたソルファイドの影に隠れ、頭隠して断面隠さずの状態となっており、まぁすぐにアテにはなりそうもない。
再び目線を元貴婦人に戻すや、指(鰭)を顎に当ててしばし考え込み、何故か人間部分とピラルクー部分で、つまり自分同士で目配せをしあってから、ぽんと手(鰭)を叩いたのであった。
「創造主様イノリ様が復活したかと間違えてしまいました~。ものすごく似た"力"でしたので~」
≪つまり、お前は『イノリ』という名前の迷宮領主に仕えていたんだな?≫
「はぁい~」
「……なんで当たり前のように俺の【眷属心話】届いてんだ?」
「とっても"力"が似ていたので~」
幻影の少女はいつの間にか、消えている。
彼女が俺の心象から構築された幻である以上――彼女本人かもしれない存在が、実物が、どうなったのかを改めて誰かに聞く、という行為がそれを失せてしまうものであるということを、理解はできる。
そして、元貴婦人たる"逆さま人魚"が【深海使い】その者ではないことは、改めて【情報閲覧】からも明らかとなっていた。
【基本情報】
名称:<喪失>
種族:逢魔のピラ=ウルク<【人世】生存型[疑似餌仕様]>
位階:13
状態:半身離断
【称号】
『泉憶の待ち人』
相手が本物の迷宮領主であるならば、容易くも【情報閲覧】が通るはずはないだろう。だが、同時にその『名称』と『状態』を見る限り、この名前を喪った『ピラ=ウルク』は、現時点では如何なる迷宮領主に属しているわけでもない"野良"というわけである。
称号は1つ有しており――これがどの程度「神に目をつけられている」ことを意味するのかはわからないが。
また、技能テーブルは――眷属タイプであり、つまり俺の眷属達と同じく『職業技能』が無いタイプである。
特筆すべきは【疑似餌発達】とかいう技能と【言語理解】を有していること。
――正直なところ、突っ込みたいところが3つか4つ増えた。
明らかに『翻訳』ではない、元の世界の言葉であるピラルクー、つまり『ピラ=ウルク』――原語の意味は「赤い斑のある淡水魚」とかいう意味だった気がするが――がそのまま『種族』名として掲載されていることもそうだが、『系統』名にある「【人世】生存型」というのもまた、どういう意味であろうか。
だが、今最も気になることの前には、それらは全て後の確認事柄。
「そんな風に俺にお前の創造主様のことを、ほいほいと答えて良いのか? あと"復活"ってどういうことだ? 迷宮領主『イノリ』は――」
「ご落命されました。その槍によって、貫かれて」
ぞわり、と頭の中で何かが崩れかけたように感じる。
だがそれは、俺の中のマ■■の部分が、である。
「この世界」もまた、彼女にとっては安住の地とはなり得なかったということか? そんな思いが深く深く脊髄に差し込むように去来するのだが――同時に【悲劇察知】が発動しないということも、【エイリアン使い】オーマとしての今の俺は感じ取っている。
だから、技能【強靭なる精神】を発動して、心に生じた業火のような焼け付く波紋を抑え込んだ。ここは、元の世界とは違う。ここは超常法則が当たり前のように存在する異世界であり――この『逢魔のピラ=ウルク』は"復活"と言う語も口にしていたのだ。
「――お前の創造主様を、この槍で貫いた奴は、誰なんだ?」
声にも、【黒穿】を握る掌にも、意識せずとも力がこもった。
俺の様子の変化を敏感に感じ取っている従徒達が、それぞれに、あるいは俺が万が一にも暴走したら抑え込むのか、あるいはなだめるのか、あるいは気を失いでもしたらすかさず支えようなどと、それぞれに微妙に身構えている気配が感じ取れた。
だから、そうした彼らの不安や、にじみ出てきた不穏さを俺自身が自ら吹き払うように、ゆっくりと息を吐くように俺は『ピラ=ウルク』に問うたのだ。彼女に聞くべきことは、まだまだ、多い。
「創造主様が最も信頼されていた従徒――"絵師"イセンネッシャの手によって」
俺はちらりと今度はルク達の方を見てから、視線を戻した。
「……心当たりのある名前だな。その『イセンネッシャ』という名前の"絵師"君は、どこへ?」
「【人世】へ」
「お前はそいつを追って【人世】へ来たのか?」
「いいえ。その時の私は、まだただの稚魚でした。崩壊してゆく創造主様の【領域】から、逃されたのです」
果たして俺の雰囲気が変わったことに気がついてか、それともその他の理由によってか。『ピラ=ウルク』の口調が間延びしたものではなく、元であるとはいえこの地に在り続けた神性に相応しいような、丁重な礼節に彩られたものに変わっていた。
俺はもう一度、ヒュド吉を見やる。
彼もまた、あるいは分体であるが故の中途半端な自身の記憶と照らし合わせるかのように難しい(ヒュド吉のくせに)表情で注視の眼差しを俺と『ピラ=ウルク』に向けてきている。
「他に逃げることができた者達は? 他に"同僚"はいたのか?」
「創造主様は、全てを予期されていました。直接の眷属のうち、【人世】へ逃されたのは、私のみです。他は全て死にました」
「イセンネッシャによって殺されたのか?」
「いいえ。【闇世】の迷宮領主達との戦いの中で――」
……【擾乱の姫君】とは、戦ったという意味なのであろうか。
謎が増えて深まっていくが、聞きたいことの芯は変わらない。
「どうして自分が選ばれたのか、その理由はわかるのか?」
「どうしてでしょう~」
「――おい」
不意に"素"に戻る『ピラ=ウルク』。
だが、しばし「人間部分」と目配せをし合い、やがて彼女は自らの考えを述べる。
「創造主様は常に、何手も先々まで見通されていました。きっと私がこうして――【四季ノ司】を助けるようになること、そして、今こうして"貴方様"と遭遇するまでここを守り続けることを、予期されていたのかもしれませんね~」
――【春司】から聞いていた、いつか役目を解かれる、という元【泉の貴婦人】としての"認識"と微妙に符合するのか食い違うのか判断に悩む回答である。
だが、既にこの『ピラ=ウルク』が「イノリ」という名前の存在と関わりがある"手がかり"である以上、俺にとって「確保する」以外の選択肢は無い。細かい部分はまたゆくゆくに確認することとして――俺は今この流れの中で最も聞きたいことをぶつけることとした。
「"復活"とやらも、その予期だか予言だかいう見通しに入っていたのか?」
「その通りですよ~。だって、創造主様は――『待っていて』と、仰って、私を送り出したのですから~。だから、私はこうしてお待ちし続けていたのです~」
俺をはっきりと見据えた2対の双眸には――人間部分は「死んだ目」であったはずだが――この時はっきりと、深い信頼の念が宿っているように見えた。
それは「目を見ればわかる」だとかいう事ではなく、彼女が「似ている」という、この俺の迷宮領主としての力の在り方、すなわち眷属や従徒との"繋がり"を通したある種の確信としてである。
……俺はまだ、この『ピラ=ウルク』を配下として正式に認めてはいないはずなのだが。
≪おい、ヒュド吉。これが、お前も俺の心話に接続することができた理由、だったわけだな?≫
≪う、う~……ほ、本体とちゃんと"同期"できていなかったから、あやふやなことは、言いたくなかったのである……多分、そうだと思う≫
≪あら~! 多頭竜蛇の『ブァランフォティマ』さん~お久しぶりです~。あら? ちょっとちっちゃくなっちゃいましたか~?≫
≪われはお前のことなど知らぬ! ……と断言できたら良いのだが。われすらも知らされておらぬ"本体"の名を知っているとは、見過ごせないのである≫
≪同窓会は後にしてくれ。それよりも、確かめたいことがある≫
副脳蟲に命じて、他の者達を遮断しつつ、俺は『ピラ=ウルク』とヒュド吉への問いを【眷属心話】上に切り替えた。
『イノリ』という迷宮領主の権能が、混線するレベルで俺と近しいのであったならば―― 一つ、素朴に気になることが、あったからだ。
≪イノリという迷宮領主は、"何使い"だったんだ?≫
そして顔を見合わせた『ピラ=ウルク』とヒュド吉。
しかしそれも束の間のことで、答えはすぐに返ってきた。
≪創造主様の力はとても特殊なもので、常にお名前を変えておられました。私には、どれが創造主様の"本質"かはわかりませんので、全部挙げさせていただきますね~≫
――予想外なことに、挙げられた"権能"名は次の通りの複数。
【累卵使い】。
【極境使い】。
【水源使い】。
【海流使い】。
そもそも迷宮領主として1つしか持てない"権能"を複数持っている、ようにも見える「複数名」の謎を置いておけば……。
確かに『水棲生物』が好きな少女ではあった。
【深海使い】とかいう侯爵や、海竜としての性質を持つ可能性が非常に高い多頭竜蛇を傘下としていたこと。
また、『ピラ=ウルク』と、そのまま元の世界の原語を種族名としているような眷属を、おそらくは迷宮領主としての世界認識から生み出してしまったということなどから――俺が最も気になった"権能"は、3番目の【水源】であった。
「水棲」でも「水族」でも「魚類」でもなく『水源』、という在り方は実に「生態系」的な側面の大きさが強調されたような世界認識と思えてならない。
その点を以て、この『ピラ=ウルク』の目線から俺とイノリが"近い"と見えたのであろうか。
あるいは、仮にイノリがかつて迷宮領主であった際に拠点としていた場所が『最果ての島』であったとすれば――『画狂』イセンネッシャによって暗殺され、迷宮領主としての力を奪われて、しかし"世界認識"の違いから、それが単に【空間】魔法という【領域】能力が矮小化されたような【騙し絵】家の秘技術の、その大本になったのだとして――迷宮核が「同じ場所の"裂け目"」で発生した、ということの影響であるのかもしれない。
話をイノリの"行方"に戻そう。
彼女はこの世界に俺と同じように、俺よりも200年ほど以前に迷い込んで迷宮領主となり……しかし裏切られて死に――しかし、しかし、そこで何らかの思惑を込めたか託したかして【人世】に放った眷属であるこの『ピラ=ウルク』に"いつか自分が戻ってくる"などという認識を持たせる、という、そんな意味深な行動を取った迷宮領主ということになる。
「"ご落命"と言ったな。だが、同時に"逃された"ともお前は言った。死んだところは、見ていないんだな?」
「その通りです~。ですが、創造主様の迷宮は……あ~その裂け目のですね~! もう崩落して跡も感じ取れません。そして、ご覧になられた通り私と創造主様との繋がりもまた、今は失われています」
「だが、お前は信じている、その"復活"を。そういうことだな?」
「はい~」
死んで二度と戻らない、というのではないのだという。
……ならば、俺の成すべきことは、何も変わらない。
「で、その"ご落命"されたという『イノリ』様の亡骸は、どこへ運ばれたか――お前達は知っているのか?」
「私はわかりません~最後にお会いしたのは、【人世】へ逃される時でしたので~」
≪わ、われにもわからんぞ! われは……"本体"は、正確にはあの方の配下ではなかったのだ≫
――まぁ、それはいいだろう。
彼らが知らないというのならば、知っているであろう"同僚"連中に、今後、話を聞きに行けば良いだけのことなのだから。
「――大まかにだが、中期目標が決まってきたかな……それで、元【泉の貴婦人】よ。お前は、これからどうするつもりだ?」
聴取の続きや、その他の後始末、そして次とその次とさらに先に向けた布石を打っていくのは、一旦全て"裂け目"の向こう側に撤収させてから。
その中には当然、この『イノリ』が遺した『ピラ=ウルク』や彼女が話した言葉から生じた数々の謎や情報も含まれる訳だが――既に【四季一繋ぎ】は俺の提案により、解かれ、世界法則そのものの中に融け消え失せていた。
「きっと、貴方様に出会うために創造主様から逃されていたのかもしれませんね~……"御役目"まで解いていただいたこの身。私も創造主様を待ちきれませんので、ぜひとも眷属にしていただければ~――あと、それにこの子も」
元貴婦人がそう告げるや。
不可思議なことに、まだ微かではあるが――しかし確かに【司】達の気配はうっすらとまだ留まっており、俺の周囲をゆらゆらと漂っていたのである。
既に彼らはそれぞれの【春夏秋冬】との関わりが希薄な、そのまま放置していればいつか、誰の"認識"からも消えてしまいそうな残滓のような存在であった。
だが、その中の一つ。
かつて【春司】だった存在が。
俺に対して「あなたの痛みを」などと言ってくれた存在が、他の3つの揺らめきよりもずっと力強く――再び俺の右の手の甲に戻ってきて、そのまま宿り眠る……だけではない。
右手の甲には以前のような『蝶』の紋様は残らなかった。
さらに深い部分まで――元は一つだった存在が『四季』に合わせて4つに分かれただけの、その一部が、確かに俺の魂とでも呼べる領域に"焼き付"いたのが、身体の芯の部分から沸き起こる暖かな「熱」と共に感じ取られたのであった。
――マクハードからは称号が消えたが、俺の称号【四季に客う者】が消えたり、あるいは元の【客人】に戻る、といった様子が無いのは、あるいはこのためであったか。
元【春司】がそうするのを見届けたように、他の3つのゆらめきは、ふっと天に上ってかき消えてしまうのであった。
「いいだろう。では、改めて名乗ろう。我が名はオーマ、【報いを揺藍する異星窟】の主たる【エイリアン使い】だ。そしてお前に――どうしてかはわからないが名前を<喪失>しているお前に、新しい"名前"をやろう」
目的が同じならば協力することはできる。
この『ピラ=ウルク』も、俺も、"探す"と"待つ"の違いはあれども、同じ方を向いている。
ヒュド吉が、何故か【深海使い】フトゥートゥフの力を彼女と誤解したことの意味、すなわち彼らの"関係性"もまた後の検討事項だが――それが俺の探し人に関わることならば、抱き込む以外の選択肢は最初から無いのである。
だが、"名付け"は、認識が力を持つこの世界においては大きな意味合いを持つ。
その性質を大きく変容させすぎず、しかし、同時に【異星窟】の一員として彼女を"再定義"するために――その『ピラ=ウルク』という俺の元の世界の語が種族名であることになぞらえて、古代ローマの神性から、少々もじって拝借することとする。
「以後、ユートゥ=ルルナ。愛称は『ルル』とでもしておこうか」
それまで、その【泉】に映り、そして遷ろうものは『四季』であった。
しかしそこに込められた含意が――映すことであったならば、なるほど、確かに俺は『イノリ』という消えた少女が、消えたその後にどのような軌跡を辿ったのかを水鏡のように映し出され、垣間見せられたようなものである。
だが、無論【泉】本人にその自覚は無いのだろう。
単なる自然現象、水の粒子と、光の反射と、そこに生じた情景に意味を与えてるのは、それを見た者によって変わるのであるから。
いつもお読みいただき、また誤字報告をいただき、ありがとうございます!
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■作者Twitter垢 @master_of_alien
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それが「連載」ということ、同じ時間を一緒に生きているということと信じます。
どうぞ、次回も一緒にお楽しみくださいね!





