0199 ナーレフ騒乱介入戦~四季の還り(1)[視点:マ■■]
或るところに『学び舎』と呼ばれる場所があった。
所在地の地区名を冠した正式な名前もあるにはあったが、通っていた者達も、関わっていた者達も、単にそこを『学び舎』と呼んでいた。
そこは場所であり、あるいは組織であり、あるいは単なる集まりであった。
文脈によって『学び』も『舎』も、微妙にその色と意味の合いを変えた。
そこはいわゆる「フリースクール」である。
多少制度的な専門話をするのであれば、明確な認可基準を保たない「民間教育施設」の一種として――様々な理由があって、公的な教育機関には行けぬ、あるいは行かぬ、行かれぬと三段に活用する内のどれかを"家庭の事情"とするような子供達が通う場であった。
ちょうど、大学1回生から学習塾でアルバイトをしていたという"縁"もあり。
『K』の字としてしか今の俺には認識できなかった恩師の紹介で、最初は大学のキャンパスがある県の隣県の小学校の『相談室』へ。
そして、そうした場所を2~3ヶ月起きに、何箇所か巡るうちに――俺は『学び舎』を紹介されたのであった。
――かつて、俺自身もまた世話になったその場所にて。
――"形"も"場所"も"名"すらをも変えてなお、『学び舎』は『学び舎』であると俺は思い知り、そして思い出したのだ。
そしてそこで、当時まだ8~11、2歳かそこらの少年少女達が集まる学級の"担任"となった。
■■ イノリ。
■■ ■ヅ■。
■■ ■■■。
■■ ■■。
■■ ■ナ。
■■■ チ■■。
■■ ■ム■。
■■■ ■■ト。
■■ ■■。
慣れない算数を小話を交えながら「後は教科書よんどいて」と教えた。
大学受験を一度落ちてようやく理解した国語を、どこか大人の邪悪さを揶揄する心地で教えた。
ずっと関心が深かった社会科の時間は、余計なことを交えていつまでも喋り続ける時間だった。
理科については、上記に準ず。算数的な奴は相応に処し、知識が体系となる系統は、そうした文脈の中で紐づけながら話題を広げて教えていった。
いつしか学業も塾のバイトも後回しにしながら、そこで多くの時間を使うようになったのだ。
――彼らの"保護者"として。
だが、俺が保護される側だったという立場がひっくり返ったのか、それとも立場が入れ替わったのか定かではない『学び舎』との因縁において……ただ一つ違っていたのは、俺が受け持ったのが特別な『学級』だったということだ。
K教授がそのことを知っていたのかどうかは、縁が途絶えてしまった今となってはわからない。
そして、そのことの裏側を知ろうとしたり、調べようと思うほどには、あの時の俺は疑り深くもなければ、個人の思いや個々人同士の間での日々の悲喜が交々るという日常を遥かに越えた、巨大な顔の無い重苦しい"意思"というものがある、ということを知らなかった。
『学び舎』がただのフリースクールなどではない、と知ったのは、どっぷりと俺の生活の一部となって、もう時計を巻き戻すことなどできない段階にまで針が進んでしまってからだったのだから。
だが、流石に薄々と勘付き始めていた時分においてさえ、俺は色々なことから目を逸していた。
■■と■ナの間の、受け止めるにはあまりにも重たすぎる罪業の架け橋――がせめてその重さで自壊しないように間を保ち続けるのに必死で、我が事のように心を砕いていた。
■■ルと、彼を呼び戻そうとする"実家"との間に立って、やんわりとお引き取りを願うために頭をぺこぺこと下げるようなことも幾度もあった。
■ム■と■■に至っては、それぞれに抱える因縁も事情も特殊中の特殊すぎて、果たして本当に俺の手に負えるかと何度も呆然としたような思いがあるが……それでもなんとかなったのだから、あの時間が続いたのだと言える。
■■■とチ■■については、今思えば明らかに■■■■機関の関係者であった分、彼らの"本当の保護者"達からしたら、きっと俺は保護者のつもりでいるだけの監視対象だったのかもしれない。
■■トは、そんな他の連中達と比べてしまえば……あの"特別学級"に紛れ込んでしまったのが不運なくらいの「一般人」であったか。『学び舎』の本来のフリースクール的な意味で言えば、十分な訳ありではあったが。
そして、イノリは、皆の中で一人だけ最年長の『お姉さん』。
俺をからかったかと思えば、俺が言いそうなことを皆に言って笑いを取ったり、手伝ったかと思えば邪魔をしたり、見守ったり見放したり、とかく、自分自身が我儘をすることは俺の記憶している限りは、少なくとも『学び舎』の敷地内では無い少女であったのだ。
――そして、そんな優等生だったイノリが唯一回だけ成した全力の"我儘"が『現代の集団誘拐劇』を引き起こす。
彼女含めた"特別学級"の9名、皆、一様に忽然と突風に霞が吹き払われたかのように消えてしまったのであった。
少なくとも、俺はその現場に立ち会うことは無かったし、できなかった。
だが、しかし、事故の責任をとって『学び舎』が閉鎖された後も、むしろその引き際が不気味なほどに鮮やかだったことへの下世話な好奇と合わせて、センセーショナルな見世物のように、"担任"であり、ただの「一般人」――■■■的な意味で――に過ぎなかった俺は、散々に追い回されることになる。
そうして、その日から、俺の「探す」ための旅が始まった。
留年までした大学生活の中盤と後半はおろか。
少なくとも俺が「被疑者」であるという疑惑が少しずつ風化していくまでに、20代の前半もまた、日々のささやかならざる辛苦と井戸の底の澱のように溜まり淀んだ疑念と共に、まるで幻のように過ぎ去っていったのであった。
――焔に焼け爛れて、この世界に転び移り客い来たることになる、あの日まで。
***
「――ま。御方様」
ル・ベリの『ルフェアの血裔』としての種族技能【力の言葉】が乗った"声"が届いて、俺は、いつの間にか陥っていた夢想から意識を現世に手繰り寄せた。
この【第一の従徒】だけの力ではない。
既に俺の手の甲から離れ――ソルファイドの伴であるクレオンからの"もらい火"によって一時的な姿形を成した【春司】が、あたたかな気配と共に、俺の頬を撫ぜながら、ただそこに在るようにしつつも、本来の自然法則であれば「そう」であるかの如く【春】として俺を中心に包み込むように佇んでいた。
「……微睡みの邪魔立てをお許しください」
「いや、構わない。"仕置き"の時間だな」
『氷竜』という不純物無き今。
"名付き"と魔法班によって文字通りにズタズタに寸断され、"名無し"達によって分割して制圧された【冬司】の残骸が発することのできる純粋なる【冬】の冷気は、今や陽光の前の朝露ほどに頼りないものであり、俺を中心とした周囲数メートルに拡がる【春】を侵すことはもはや不可能であった。
ソルファイドが油断なく眼帯越しに、【泉の貴婦人】の前から排除された【冬司】を見据えてはいるが、既にその圧倒的な【竜の火】の気配は失せている。
何やら妙な事態に遭遇して"裂け目"へ一時撤退していたらしいリュグルソゥム一家が「掃除」から戻ってきたユーリルともども合流してくるのを待ってから。
俺は、既に『雪崩れ大山羊』という形態すら保てなくなって融け崩れた【冬司】と、それにすがることすらできず青褪めて血色を失った四肢を広げて氷原に転がるマクハードを見やり、次に、【泉の貴婦人】と呼ばれる存在を見た。
「ヒュド吉。お前の"同僚"は――なんて言うか、随分と奇抜な見た目をしているな? 【海】繋がりだったとでもいうわけか? これは」
海藻のような深い黒緑色の長い髪は、氷漬けられた氷柱の中にあって、ぶち撒けられたかのように逆巻いている。
元の世界の島国出身の"平たい顔族"であった俺から見れば、童話にでも出てきそうなほどに端正でオリエンタルな顔立ちと肢体をした20~30ほどの年齢とも思える『人間』族の姿であるが――それは上半身のみ。
≪きゅぴぃ、人魚さんなのだきゅぴ。逆さま人魚さんなのだきゅぴぃ?≫
≪あはは、頭さんが上向きゃ頭さんが下向くって感じかな? あはは≫
――【泉の貴婦人】と呼ばれる、旧ワルセィレを覆う【領域】を司る主にして神性とも呼ぶべき存在。それがただの『魔獣』の類ではないと思ってはいたが……よもや『人魚(俺が知る"語句"的な意味で)』の上半身と『魚類』の上半身が合体した姿である、というのは、改めてこの世界が異世界なのだと思わされる。
しかし、まるで祈り何かを抱きしめるように、両手を胸の前でクロスさせた姿勢のまま、氷の中で眠る姿からは邪気も魔性も感じさせられない。
『人間』とも『魔獣』とも即断しかねるその神性は、しかし、その穏やかで皺一つ無い顔貌に現れた無垢さが、ある種の善性を体現しているようにも見える存在であった。
「念のため聞くが、グウィース。こいつは、お前が【闇世】の海で遭遇した【人魚】とは、違うよな?」
「グウィース! ち が う !」
『イリレティアの播種』の幼児が答えるのに合わせて、ルクとミシェールからも博学的な見地から「否」という回答がもたらされた。俺自身もまた氷越しに【情報閲覧】を通そうとしつつ、案の定それが弾かれたため――ヒュド吉に水を向けることとした。
「さて、ヒュド吉。待ちに待ったお前の"同僚"殿が、この【泉の貴婦人】だ――そうだよな?」
……よほど『氷竜』を恐れていたのであろう。
ソルファイドが戻るやゴロゴロと、誰に教わったのかも知れぬ"回転移動"によって駆け寄り、自身よりもずっと小さなその背中に隠れて辺りの【氷】属性に対して、鼻をすんすんと鳴らすように警戒を振りまきつつ――俺がここまでした"発端"である竜首が口を開く。
「い、いかにも……イノリ様に仕えたあいつの気配なのである。間違えるはずが、ないのである、ちょっとよわすぎる気もするのであるが――」
「ヒュド吉よ、"あいつ"とは誰なのだ? 御方様が聞きたいのはそこだ」
あまり秘密を語りたがらない、しかし、忘れているわけではなくちゃんと覚えているヒュド吉の口を割らせるためでもある。『氷竜』という不確定要素に対してぶつけたのは奇貨ではあったが、この場にこうしてこの竜首を召喚すること自体は、予定の内なのであった。
――そんな俺のここまでしたという意図を込めた眼差しに、観念したか。
ヒュド吉は、恐る恐る……まるでまだ「怖い者」が聞いていないか警戒するように、ぷるぷると震えて脂汗をいろいろなところから垂れ流しながらも、グウィースがエグド経由で飛び乗ってきて頭をいい子いい子と撫でるにあたり、大きく息を吐いたのであった。
「【深海使い】フトゥートゥフ、である」
「……おい、ちょっと待て。そいつは【人世】にはいないはず、じゃないのか?」
【深海使い】の"名前"はここで初めて聞くが、その迷宮領主としての号自体は【闇世】で幾度か因縁があった。
一度目は【闇世】Wikiの中にて――古代ローマめいた"記録抹殺刑"でも喰らったかのような『情報編集』を受けていたことが印象に残ったこととして。
二度目は、【樹木使い】リッケルとの闘争に前後して、ヒュド吉の"本体"である多頭竜蛇を――裏で操っている可能性がある存在と仮定して検討した段に。
≪嘘をついたら晩ごはんは~大好きな小醜鬼だよ~?≫
「た、たぶんちがう、かなー? あのフトゥートゥフが、こんなによわい訳はないのである。でも、この気配は……あいつの気配なのである! われは間違えぬ!」
「そもそもだが、お前は【深海使い】の姿を知っていたのか? ヒュド吉よ」
露骨に気まずそうに目を逸らすヒュド吉であったが、それが答えであろう。
流石にそれは、多頭を以て1個体と成す多頭竜蛇のうちのただ一つの首でしかない彼には、抜けてしまったか、あるいは当人曰く「同期されていない」記憶の内であったか。
……まぁ、仮に【泉の貴婦人】の正体が【深海使い】であるとしよう。
旧ワルセィレを覆う【領域】の謎は解けるが――だが、そもそも【深海】をその権能、すなわち迷宮領主としての"世界観"たる限定的全知性によって取り仕切る存在が、このような「森と泉と山」の地を【領域】とする、というのではチグハグが過ぎるように感じられてしまう。
"認識"によって存在が規定され法則が変容しうるこの世界において、【泉の貴婦人】は旧ワルセィレの民によって【四季】を司り【暦】を司る存在であったことからも、ますます【深海使い】その人とは思えない。
仮にも『侯爵』たる存在が、まさかこのような所で自らの眷属に捕らえられている、などという手の込んだ罠を張るものであろうか。
そしてヒュド吉もまた「やっぱり違う……でもにているし……われこまる」などとぶつくさ言っていることから、やはり【深海使い】当人ではなく、例えば関係者であろうか。
だが、もしそうであるとすれば、これまたそのものではなかったが、グウィースが遭遇した『人魚』の件もあるのである。
いかに【泉の貴婦人】が"逆さま人魚"という別種であっても、そしてその下半身の巨大魚が、まるで熱帯の密林の大河に住まうピラルクー的な長く突き出した大顎大頭の姿形をした淡水魚系であったとしても――そうした符号しないわけではない箇所を無視することもできないのであった。
「まぁ、それもこれも、当人に聞けば良いな。そのために、俺は、ここまで来たんだ」
現時点で、一旦聞きたいことは聞けた。
まだこれは始まりに過ぎないが―― 一旦は、介入戦の最終の始末をつける頃合いであろう。
俺は【領域】の力を『黒穿』に込め、その穂先を【泉の貴婦人】を閉じ込めている氷の柱に向けた。すると――。
――やめて。
まるで乞うように【冬司】が意思を伝えてくる。
心なしか程度であるが、【泉の貴婦人】を鎧う氷の柱が、1ミリかどうかという水準ではあったがピキピキとその"厚み"を増したように感じ取れる。
だが、既に【冬司】の周囲には、俺から離れた【春司】を含めた3体の【司】達が集っており、見張るようでいて、しかし同時に"兄弟"を労るように、なだめるように寄り添っていた。
「どうして、やめてほしいんだ? 【冬司】。既にお前達を、【泉の貴婦人】様を利用しようとした連中の横槍は全部折れた。お前の兄弟達も、こうして戻った。お前は……何に抗っているんだ?」
――貴婦人様を、連れて行かないで。
「どうこうするつもりは無い。ただ、俺の知りたいことを【泉の貴婦人】様が知っている、かもしれない。俺は、それを聞き出したいだけだよ」
――貴婦人様は、予言していた。いつか、自分が役目から解放される日が来るって。
――そうしたら、僕たちも、還ってしまう。
――【森と泉】が無くなってしまう。
あぁ、なんだ、と俺は理解した。
「この期に及んでしぶといな、マクハード。ル・ベリ、ちょっと黙らせろ」
目配せで合図をするや、ル・ベリは俺の意を心得たとばかり。
大蜘蛛の瞬歩の如く触手を振るって氷原に突っ伏しているマクハードの元まで襲撃する勢いで駆けより、その既に凍りついて切断するしか無くなった四肢をつかんで万歳状に吊り上げてから、みぞおちに容赦の無い拳を一撃。
ぐふぅ、とも、ぐげぇ、ともつかぬうめき声と共にマクハードが、ごふりとえづきながら【奏獣】の指揮棒の欠片を吐き出したのであった。
――どれだけ【情報閲覧】をしても、その【永遠の番人】という称号は、既に消え失せていた。
それがなんとなく用済みという意思表示に見えて、俺は不快な気分を感じつつ、改めて【司】達に語りかけた。
「【四季】が一繋ぎであることを証す"司"達よ、お前達は――何と共に在った? 【泉の貴婦人】という中心存在と共に、だったのか?」
"逆さま人魚"という姿。
そしてヒュド吉が嘯いた【深海使い】っぽいなどという言を得て、俺は一つの確信を得ていた。
「単なる気温や、日照時間や、気候や気圧や寒暖差の移り変わりじゃない。植生や、本能に生きる動物達の生活環だけでもない。お前達が――【四季】である、ということの意味は、一体なんだった?」
そんな俺の問いかけに、応えるように4体の【司】達は――"正気"に戻ったらしい【冬】も含めて――唱和を返しくる。
――【春】に芽吹く。ずっと準備してきた農作業が始まる。
――【夏】が風吹く。草花が伸びて、森と獣と人が交わる。
――【秋】が騒めく。実って、納屋や倉に蓄えられていく。
――【冬】が荒めく。疲れた子を眠らせて、次の始まりへ。
「お前達は【暦】の化身だ。お前達の存在は、この地の"人"と共にあった。一年の巡りの中に在って、だから、彼らから血と涙を受け取って、共に生きてきたんだ」
そうだ、という4つの"音"が、風の中から、あるいは漏れ出た日差しから、融けゆく氷晶から、大地のわずかな震えから、景色を透かしたその奥にある波動のような"域"から伝わってくる。
俺が言った事柄への、強い、まるで思い出したような強い肯定であった。
「かつてお前達は、今の形すら必要無かった。かつてお前達は4つに分かたれてすら、いなかった。かつてお前達は、ただこの地と共に在った。大昔に何があったのか、俺は知らない。だが、きっと"何か"があって、お前達は――迎え入れたんだろう? 【泉の貴婦人】を。彼女の、力を、自分達と入り混じらせて」
当初、俺は【四季ノ司】は極めて迷宮に近いおそらくはそこから派生した存在――たとえば従徒や眷属が一部権能を与えられたなど――であると仮定していた。
だが、ただの"逆さま人魚"が。
迷宮領主ですらない存在が――果たして【四季】の"中心"になどなり得るのだろうか。
――どのように想像力を飛躍させてみても。
――どのように俺自身の"認識"を変転させ、手繰ってみても。
旧ワルセィレの民の一年を通した暦そのものに通じる【四季】の中心に立つ存在として、【泉】という……単なる【森と泉】という地域性に由来する称号だけでは、ある種の力不足と役の小ささが感じられてならなかった。
それでも、例えば本当に【竜】であるだとか、【太陽】の化身であるだとか、そんな存在が【貴婦人】であったならば納得もできたであろうが――それであっても振るわれるのは、迷宮領主本人ではない、それには至らない従徒クラスの"力"でしかない。
だが、その"力"を媒介に、魔素と命素が【血と涙】に置き換えられ、不在である迷宮領主が行使すべき「認識」という名の限定的全知が、この地に住まう人々の集合的な無意識という形での「願い」によって代替されたならば――この【深海使い】と、そして■■ イノリと何らかの関係がある可能性が高い"逆さま人魚"がもたらしたのは、単なる器としてのシステムに過ぎない。
そこに、元々、きっと風光明媚であったろう「この地」に備わっていた【四季】信仰が概念となって、形を得て、そういう「世界観」として人々に願われて乗っかった――という解釈もまた成り立つのである。
【四季】が消えることはない、星が潰えて天が永遠に止まってしまわぬ限りは。
【四季】が失せることはない、この地のすべての森と泉が塵とならない限りは。
【四季】が散じることはない、人々が死に絶え彼方に消えてしまわない限りは。
【四季】が終わることはない、生まれ落ちたお前達がお前達であり続く限りは。
「だが――今までの通りに続くわけにもいかない。お前達の在り方を、己の欲望のために利用しようとする連中が、既に現れてしまったからな」
ここは【輝水晶王国】。
英雄王の"長女"が後継国家にして、魔導の大国である。
ロンドール家が気づき、【冬嵐】家が介入したならば――最上位の黒幕の一人であることはほぼ間違いないところの【四元素】家が、その【四元素】を【四季】に見立てていたことを否定はできないのである。
ハンダルスの死体に隠れていた、この俺の眷属と衝突して『対消滅』としか言えない現象を起こした、謎めいた"羽虫"どもの正体が『精霊』と呼ばれる存在であることはほぼ間違い無かった。
貴重な情報源を潰されたことの怒りもどこへやら。
――初めて『精霊』を、【四元素】家の秘中の秘の片鱗を、存在として【感知】できた、という快挙にルクとミシェールはこれまでにない高揚を見せていたのである。
「お前達が【四季】として在り続けるために、お前達は今の法則を捨てなければならない。故に、俺は【客う者】という称号に掛けて、お前達に"提案"する」
――【火】【風】【土】【氷】という属性に紐付けられた春夏秋冬の神性を、旧ワルセィレという土地と民に根ざす"集合意識"の力を以て振るい、王国内の他地域に属性バランスの乱れすなわち『荒廃』をもたらす災厄として操り、つまり、恫喝する。
その力をロンドール家に開発させ、掌中に収めようとしていたのが【四元素】のサウラディ家であるのだとすれば、今ここでただ単に【泉の貴婦人】を解放しても、伸ばされる食指が絶えることなどないであろう。
そして、"梟"に、【騙し絵】家に、【転霊童子】に、『氷竜』に、『精霊』。
まだ、誰がどれだけ……という確定はできないが、俺の存在を一定程度、知られてしまった。
この上、この地で彼らが再度活動しようとするための基盤を失わせなければ、俺はゆっくり"逆さま人魚"から聴取することも安心してできるものではない。
ならば、その価値を失わせるしかないだろう。
そしてそれは【泉の貴婦人】をただ単に"隠す"だけでは意味が無いのだ。それは次に新しい指揮棒が作り出された際に、渦巻く"願い"を【奏でる】誰かが、自分をその中心たる差配者の位置に置きやすくするだけのことでしかないのだから。
故に――。
「【泉の貴婦人】と、そしてお前達の役目を解く。賛成か、反対か。是か、否か」
ただし、と俺は付け加える。
「――かつて【泉の貴婦人】を必要として、今の法則を受容しなければならなくなったのと同じ何かが再び訪れた時には、【報いを揺籃する異星窟】の迷宮領主【エイリアン使い】オーマの名のもとに、この俺が"対処"することを誓う」
宣告する、と共に一陣の風がぶわりと、続け様に四度吹き抜けた。
――【春】は賛成する。貴方の痛みに、触れたから。
――【夏】も賛成しよう。貴方は兄弟を、助けてくれたから。
――【秋】も賛成だ。子らを、死なせすぎてしまった。
――【冬】も、賛成するよ。貴方が、歪みに立ち向かうと信じる。
「決は、採れたな」
小さく、どこかほっとした気持ちになる自分を意外に思いながら、俺は【黒穿】を構えて【領域】の力を込め、それを真っ直ぐに【泉の貴婦人】が閉じ込められている氷の柱に向けて突き立てたのであった。





