0197 ナーレフ騒乱介入戦~凍泉の三つ巴(7)
『雪崩れ大山羊』が"分裂"する性質を持つ魔獣であるということは、予めわかっていた。
『【人世】における【魔獣】』の定義でいえば、元【闇世生物】や、属性が不均衡を来たして発生した"荒廃"産の凶獣ではなく、『魔法適応生物』に該当することになる。
そしてそれは【冬司】だけではなく、他の3体についてもそうであった。
いずれもロンドール家がギュルトーマ家の力を利用して『長女国』の外から収集したものに強制的に宿らせたものであるが――本来の"器"であった『燃えるちょうちょう』『風乗りキツツキ』『のんびりモグラ』『雪うさぎ』から引き剥がすことそのものに意味もまたあったはずである。
単に【四季】システムから一定程度引き剥がしつつ介入の余地を生み出すだけではなく、その能力をも利用する、という意味において。
≪流石に【氷竜】なんてのは予定外だったがな。それでも、相手が分裂生物なら、必ず戦力を分断すると読んでいた≫
≪グウィース! さ ぶ い !≫
『イリレティアの播種』たる幼子が【眷属心話】を通して「へぶち」とくしゃみをするが――ル・ベリから同時に会敵の報告が上がっている。
俺の従徒にしてリッケルの"子"グウィースが率いるは宿り木樹精や若き樹精約40体と、数多の草花に扮しまた携えた小人の樹精達によって覆われた『樹巨人』エグドという樹木型魔獣の軍勢である。
雪道の中を先行し、吹雪にその身を晒しながら、ほとんど一塊の樹氷の行列と化して進行してきたわけであった。
現れたる"敵"は『雪崩れ大山羊』の力によって生み出された『雪羊』達であるが――鎧袖一触と言うべきか。全身を草花で覆っていた小人の樹精達がわらわらと散り散りになってその巨躯を露わにするや、丸太そのものである両腕を振るってまとめて薙ぎ払う。
ただそれだけで出現した『雪羊』達が列単位で砕き吹き飛ばされ、道が切り開かれていき、"樹氷"達の行進は止まらない。
【人世】産の木々で構成された彼らが「気づかれない」と踏んだ理由は、第1に旧ワルセィレの【四季】を形成していた【血と涙】の供給者ではないこと。
第2には、『魔法適応生物』たる『氷河の角山羊』に宿らされたことからも明らかなように【四季ノ司】達はロンドール家の支配と干渉という因縁により集中したであろうということ。
そして第3に、【春司】がまっすぐにヘレンセル村を訪れたことから、いささか【四季ノ司】達には一途な性質があると考えてのことである。
――ならば、"分裂生物"という同時に複数の戦線に対応できる潜在力を持った存在に宿った【冬司】は、【泉】を襲撃されれば必ずそちらに力を割くだろう、という想定であった。
彼はあくまでも【泉の貴婦人】を守護しているに過ぎないのだから。
そして迷宮経済もまたそうであるように、たとえ『魔法適応生物』であろうと、【四季】に紐付けられた地域独自の超常の法則であろうと、資源は有限である。
ハイドリィとヒスコフが一度奪い返した"力"を、今再び奪い返した【冬司】が、何を最優先としてその資源を振り分けるかは明白だ。
【永遠の番人】ことマクハードが"認識"した「季節」に取り込む形で、【夏秋冬】の一部として従属下においた【夏司】と【秋司】を殿として俺の眷属達を迎撃させ――明らかに【冬司】はその足を早めていた。
まるで青褪めた羊の大群のような、意思を持った雪崩れが凍った【泉】の上を逆走するように駆けるに飽き足らない。少しでもグウィース達を足止めしようと、その【領域】の内側に入った彼らを食い止めようと、氷雪の内側から『雪羊』達を生み出しているのである。
それだけではない。
一群となって雪崩れるように駆ける【冬司】の力が達したか、樹氷と化した樹精達の体表からも、その樹氷部分が『雪羊』を形成し始めたのである。
ル・ベリが触肢茸込みの8本の触手を次々と撃ち出して的確に『雪羊』達を叩き砕きながら、グウィースを担ぎ上げ、キャッキャと楽しむ"弟"を連れてエグドの頭上によじ登る。
そして≪なるほど、これがグウィースが見ていた光景……ふむ≫などと謎の兄弟共感を発揮しているが、護衛という役割そのものは的確に果たしている様子。
瞬く間に【泉】の反対側では、生ける樹木と生ける氷雪が互いを砕きあわんとする乱戦に至るが――ここまでは狙い通り。
――意識を眼前に戻せば、凍てついた【泉】の上。
そこには歪な三つ巴が鼎立していた。
【冬司】が【奏獣】の技に服しておらず、今更改めてマクハードの支配……というか"繋がり"を破るための新たな【血と涙】を確保することもできず。
だが、不意を討たれたとはいえ、伊達にこの修羅場をここまで生き延びてきた『魔法兵』達ではないと言うべきか。
ソルファイドと"名無し"達が『氷竜』を釘付けにしていることで、【竜の氷】による妨害を受けることがなくなり、【氷】属性に対する対抗魔法が発動できるようになっていたのである。
これによって【冬司】の干渉を跳ね除けて指揮棒を奪い返し――しかし、既に魔力も【紋章石】も尽きつつあるため、それを継続できずに【冬司】に指揮棒を奪い返され、が繰り返されたのである。
この影響をもろに受けたのが【夏司】たる『旋空イタチ蛇』と【秋司】たる『泥濘子守り蜘蛛』である。
ハイドリィの手に指揮棒が渡った際には、【冬司】の支配と拘束から完全に逃れようと『雪崩れ大山羊』を攻撃する。すると【冬司】の足が止まり――【泉】へひた駆ける"雪崩れ"の部分――そこに俺を含めて"名付き"達が追いついて攻撃を開始する。
だが、ロンドール家や【夏司】【秋司】から見れば、俺のエイリアン達もまた当然の脅威であり――【冬司】と協力してでも撃退しようとする。そうして膠着し、乱戦する度に"名付き"達も『イタチ蛇』も『子守り蜘蛛』も傷つき、ヒスコフの配下が数を減らしていくが、それによってこちらの攻勢が弱ったタイミングで【冬司】が再び指揮棒を奪い返して距離を開けようとする。
しかし、一刻も早く【泉】へ到達しようとする【冬司】にとって、ただでさえ『氷竜』に力の一部をごっそり奪われ、おまけにグウィース達の樹氷軍団を相手取るために資源の分裂を余儀なくされ――そのままでは【夏司】と【秋司】を撃破されかねない【冬司】あるいはその内側で眠るマクハードにとって、ハイドリィとヒスコフ隊は「補助戦力」として惜しかったらしい。
途中で捨てたり始末したりすることなく、むしろ俺と"名付き"達が追いついた際の「共闘者」として手元に置く判断をしているようであったが、そのために隙を突かれて指揮棒を奪い返され、同じことが繰り返されるのである。
斯くして、行進と激闘が断続的に入れ替わり、半刻の間に三つ巴の攻防が5度繰り返された。
ヒスコフの配下はもはや3名しか残らず、ハイドリィともども満身創痍。
『イタチ蛇』はその"竜巻の身体"を半減させ、『子守り蜘蛛』は半数の肢を失っている。俺の眷属たる"名付き"達も、イプシロンとニューとシータが激しい戦いの中で軽くない手傷を負ったため撤退させているが――【竜】同士の戦いで決着が近づいているか、『飛行班』と足の早いものを中心に徐々に"名無し"達が追いつきつつあった。
なるほど、【四季】を【冬】に固定していることから、待てば回復していくことができる……という意味では【冬司】にとってはこの"三つ巴"は都合が良く、勝者は彼であろう。
だが、それは俺にとっても同じこと。
ハイドリィ一行を誤って撃破しないように「温存」し、多少の反撃を甘受してでも"名付き"達に命じて『イタチ蛇』と『子守り蜘蛛』への攻撃を集中させるように采配したのもまた俺が判断したことだから。
結果として"名付き"達にも"名無し"達にも総力戦という名の消耗戦による被害が出て、迷宮経済が文字通り【火】の車になりつつあるが―― 一部のファンガル系統を「休眠」させるなどしつつ――その引き換えに距離を稼ぐことができたのであった。
――ついに【泉】の中心にまで、辿り着いたのである。
そして、思わぬことに。
"杖"代わりに振るっていた【黒穿】が、まるで鳴動するように、何かを俺に伝えようとするかのように震えていたのであった。
***
≪この風……この大地……あぁ! われは戻ってきた……! 祖先たちのあいしたこの世界よ、われは戻ってきたのであーる!!≫
という嫌に力と感慨の籠もった、しかしどこか間の抜けた宣言――【竜言術】による――がなされた直後。
≪げえっ! 【ひょー凱竜】!?≫
全く同じ【竜言】を成した者が、まるで這々の体で撤退する敗残の将が、出会ったら絶対に抹殺されること必定の宿敵に遭遇したかのような、目玉が飛び上がり喉仏でも吐き出さんという潰れた声で驚愕したのであった。
≪いやだ! われを帰せ! こんなところでまだ死にたくなぁい!≫
――などと喚いたところで、その多頭竜蛇の切り取られた生首こと『ヒュド吉』をまさに運搬してきた触肢茸や戦線獣達がそれを許すはずもなく。
ソルファイド=ギルクォースが"翻訳"してやるまでもなく、逃走の意図有りと判断した主オーマの眷属達が容赦なく袋叩きにし始める光景を、思わず自分も――そしてこの場にもう一体いる【竜言】が理解る者も、動きを止めて見やってしまってしまったことを不覚と見るべきか、あるいは油断への恥と見るべきか。
……だが、ソルファイドが思った以上に『氷竜』は愉快そうに嗤った。
≪おやおや、こいつは珍しいモノが見れた。その仔は、もしや【嘯潮竜】の裔かい? ――いや、ちょっと待て≫
主オーマに語りかけていた、マクハードを通して【冬司】を通した意志の伝達とは異なり、初めて自らが【竜】であることの片鱗を示すような【竜言】である。
その体表の上で、リュグルソゥム一家の少々容赦のない「支援」を受けた吸血種ユーリルが――攻撃魔法の巻き添えにされながら――【冬嵐】家のハンダルスとの間で血刃と氷刃を激しくぶつけ合っているという掻痒の如き"騒動"など意に介さず、さりとてソルファイドに対する"力試し"としての【竜の氷】を弱めることもせず、しかし、興味深そうに『氷竜』が目を丸くさせる。
≪お前、混じりだねぇ? そうかい、そうかい、そうなったのかい。それで色々察せれるよ、まさかこんなところで【嘯潮竜】がどうなったのか知るなんて≫
――多頭竜蛇の"分体"でありながら、重要な記憶については引き継いでいないか、何らかの制約が存在することで固く口を噤んでいるヒュド吉を出してみよ、というのが主オーマから下された指令の一つ。
それは【竜】と、【竜主】と【竜主国】と、竜人や、そして【調停】というものについての"答え"を欲するソルファイドにとっても重要な情報となるべきものであった。
【竜】としての血を、ただ鎮めることをその第一の教えとしてきた【ウヴルスの里】は既に滅んだ。あるいは『長兄国』に連れ去られた同胞達が、未だ虜囚として生きているかも知れず、いつか「あの戦い」の帰結と行く末を確かめねばならないという思いはあったが、今は【エイリアン使い】オーマの従徒として生まれ変わり、忠誠を捧げた身である。
それが『氷竜』による油断を誘う罠である可能性を警戒はしつつ、ソルファイドは【竜言】に耳を傾ける。
≪【闇世】に落ちていたんだねぇ、お前。これは好奇心なのだけれど――【闇世】に逃げ延びた他の連中は元気かい? 【撒餓竜】は? 【爛酸竜】は、今どうしているんだい? あいつもしかしてまだ【金套竜】と殺し合ってるんじゃないよねぇ?≫
≪じゅ、『十六翼』だったおまえ達のことなど、われは知らん! 知っててもこの口が裂けても絶対に言わんのである!≫
――ソルファイドの知らぬ【竜】達の名が次々に告げられる。
それもおそらくは【竜主国】の"内乱"の時代に、それぞれが【竜主】を称したとされる『十六翼』に連なる者達なのであろう。そんな思いを肯定するように『ガズァハの吐息』と『レレイフの眼光』が震えている。
≪おかしな仔だねぇ、口どころか首まで裂け落ちてるのに……うん? あぁ、もしかして、そこの【塔焔竜】の裔にやられたのかい?≫
≪ぎくっ!≫
『氷竜』がその意識と眼光を、氷壁の如き冷厳とした存在感を――ただただソルファイドと【竜】力をぶつけ合い、消耗されるにまかせて少しずつ縮小されていたその威容を、不意に蘇らせた。
同時に、【泉】の中央において、グウィースの部隊と挟撃する形で本格的に【冬司】と激突した主オーマから、【冬司】の力が再びごっそりと『氷竜』側の方に抜けたという連絡が来る。
じりじりとソルファイドを圧する『氷竜』は、まるで何かを思いついたように天を仰いだ。
その動作に揺さぶられたわけではあるまいだろうが、ハンダルスがユーリルによって『氷竜』の体表から叩き落される。子供二人がソルファイドの支援に回りつつ、ルクとミシェールが直接戦闘に切り込んで、ユーリルごとハンダルスの両腕を斬り潰すが、【氷凱竜】の劣化体は意に介さない。
ただただ、極寒をそこに現出させているだけで――言わば"生存試験"のように、その【竜主】を称する存在は「下位種」の価値をただそれだけで測っているかのようであった。
『気が変わったよ。"この私"は、この記憶をできたら"本体"に届けたくなってしまったねぇ』
「そうか。だが、ここから逃げ出すことができるだけの力がお前に、あの【冬司】に残されているのか?」
『邪魔するお前達を眠らせて、この地でも食らってしまおうか? ――だけど、そうだねぇ、もしお前が私を止められたら……面白いことを教えてあげるとしよう』
それは本気か否か。絶妙に真意を悟らせない"力加減"でソルファイドと【伴火】クレオンと、支援する【火】系エイリアン達を圧しつつ、謎掛けを投げかけるように『氷竜』が嗤う。
『そこの生首になっちまった仔の出自だ。気になるだろう? どうして【嘯潮竜】の子孫なのに――【混沌】の属性なんぞ持っているのか、お前の"主"だって、きっと気になっているはずだねぇ?』
「つまり、それもまた"力較べ"だと言うのだな?」
いやだ、しにたくない、助けてくれぇと喚くヒュド吉を『世話係』のエイリアン達に己の側まで運ばせつつ、ソルファイドはむんずとヒュド吉の顔面の鱗に適当に触れた。
既に『氷竜』は、生み出し繰り出し降り注がせる【氷】に異なる指向性を与えており――"圧"が弱まった、かと思われた次の瞬間。
千のひび割れ音と共に大地が氷割れ、剥がされ砕けて大中小の氷塊となりながらも――宙へ浮かぶ。
その総量としては溜め池を丸ごと凍らせたかの如き質量。
だが、ソルファイドには理解できる。それは例えば【重力】に逆らって氷礫を浮かせるような特異な力があるわけでは、ないのだ。
真なる氷獄において、ただ単に、荒れ狂う極寒の大気の中で降り注ぐ一条一条の雪片と同じなのである。涼々たる氷原に荒ぶ一片に、どうして雪だの氷だのという違いがあるのか、とでも言わんばかりの有り様であった。
だが、同時にそれが、少しずつ減少していた【竜の氷】の力を一挙に狭い範囲に押し固めて――密度を増した力であることもまた、ソルファイドも彼の主オーマも察すことはできている。
自らの竜の身体を構成する【氷】をも少しずつ砕けさせながら、渦巻く氷雪の竜巻となりゆく『氷竜』をただ見据えながら、ソルファイドは【竜火】の外側にて。
【エイリアン使い】の支援込みで【竜火】を逆巻かせるソルファイドに対抗するように、身一つで限界まで【呪歌】を放ちすぎて、片膝をつきながらも『氷竜』を向いて不敵に笑い、時折降ってくる氷塊を大槌で叩き払っていたデウマリッドに鋭く声をかける。
「お前も来るか? 【氷海】の戦士デウマリッドよ」
――そして【氷凱竜】が飛ぶ。
荒涼と拡がる極寒の氷原と化した一帯を【泉】の方に向けて、まるで凱くかのように、氷河が割れ砕けながら圧し進むかのような哄笑を轟かせながら、暴風の豪雪と化して一挙に距離を離してゆく、が。
「主殿、使わせてもらうぞ」
【呪歌の戦士】としての技能【氷海蹴り】によってソルファイドの下まで一息に跳んだデウマリッドを巻き込みながら、ソルファイドは、【エイリアン使い】より与えられていたリュグルソゥム一家謹製の『人皮魔法陣』による【転移】効果を発動したのであった。
***
「降参、降参、降参だぁって言ってんだろうがッッ!」
『氷竜』とソルファイドが飛び去った後。
死力でそれに着いていこうとして己の血すらも捧げようとしながら、それをユーリルの【血操術】によって妨害された結果、あっけなく振り落とされたハンダルスは、瞬く間にリュグルソゥム一家に絡め取られていた。
あるいは切り落とされあるいは潰された両腕を冷凍させることで痛覚ごと潰してはいるが――戦闘継続が不可能なほどの重傷を負ったことは誰の目にも明らか。
容赦なく組み伏せられ、継続的な魔法阻害効果をもたらす拘束用の妨害魔法を首と胴体と両脚に叩き込まれ、魔導棍も破壊された後であるが。しかし、己の存在が……正確には己の知る"情報"が、一応はリュグルソゥム家にとっては価値があるものだと理解しているが故のふてぶてしさでもある。
「このままここでお前の【精神】を"破壊"してやってもいいんだぞ?」
入念に"罠"が仕込まれていないかを走査するルクとダリド。
そして主オーマから派遣された超覚腫数基と共に、数メートルほど離れた位置からバックアップを行うミシェールとキルメ。
他の"名無し"達は、ユーリルと共に既に"裂け目"へ帰還しており――空を飛ぶことのできる者や"装備"のできる者は『氷竜』を追って【泉】の中央へ、他のエイリアン達は過ぎ去った戦場の掃除の段階に移っていた。
【冬司】と『氷竜』がそれぞれの望みと思惑のために、明らかにその"力"を使いすぎたのだ。
彼らがその場にいた際には荒れ狂っていた風雪も極寒も、こうしてわずかでも距離が離れてしまえば、何のことはない。【春】が訪れたわけではないが――【冬】と呼べるほどの寒気にも至らない、消耗しきって疲れたかのように乾燥した冷涼な風がびゅうびゅうと、乾いて土に吸収されていく雪や霜の上を吹き過ぎていく。
「やってみろ? 俺だって【盟約】派の下っ端のそのまた下っ端だからなぁ! 【破約】派式の拷問なんかにゃ耐性があ痛でだだだだッッ畜生がッッ!」
「切り取った足の指を舌から生やされて、それからまた切り落とされたくなかったら、一つ答えてくれないかな? その【盟約】派様が――あれの首謀者だったのか?」
淡々と告げながら、言い終わらぬうちにハンダルスの足の小指を魔導棍の柄で潰しつつ、ルクが核心から問う。縛り上げて"裂け目"の向こう側へ連れ込むまでの「準備」の時間を有効活用する意図からである。
ある意味において、ハンダルスを得たことは――【遺灰】家の侯子サイドゥラを虜囚にしたこと以上の価値があった。他の頭顱侯達とは異なり、【冬嵐】家は当主ゲルクトランが自ら、あの誅殺とかいう馬鹿げた襲撃に現れたのだ。
それも、父であった前当主シィル一行を襲撃した主力格として。
爆散したリリエ=トール家のグストルフという思わぬ強敵が長兄イリットを屠ったが、間違いなく、格という意味で言えば最も熱心にリュグルソゥム家を害するつもりであった者が【冬嵐】家であることに疑いは無い。
そして、【冬嵐】家がそうした、ということは――彼らの主である【四元素】のサウラディ家の意向が働いていたと想像するのが普通である。
「その舌が素直にならないなら、頭蓋を割ってしまいましょう、ルク兄様。まるで果実を割って"種"を取り出すように――我が君が生者に対して、どれだけ慈悲深いかを、是非とも彼に味わってもらわないといけませんね」
無論、ルクもミシェールも、【盟約】派だけでなく【破約】派も【継戦】派も共謀していたという事実がある以上、ひいては王家ブロイシュライト家――実質的な王権など皆無で、ただ『晶脈石』を生み出すためだけに頭顱侯達に飼われている一族であるが――さえもが関わっていると想定していた。
しかし、侵入した【騙し絵】家の侯子デェイールを捕らえることができず、彼の口や頭脳から直接情報を引き出せるような状態ではなかった以上、せめてハンダルスは、という気負いがあったのも事実である。
とても"暗部"にある者とは思えぬほど、つまり、捕らえられた末路がどうなるかを悟っているとは到底思えない態度で、生き汚く悪罵を放つハンダルスを痛めつけながら、ルクとミシェールは――はからずも、気が急いていた。
「ぐががァァッッ……わかった、わーかった、わかった!!」
――それも当然であろう。
周囲に怪しい、あるいは新しい生命や魔力の類は一切感知され得ないのだから。
『氷竜』という【竜】たる要素までもが遠ざかり、ヘレンセル村での【春司】迎撃の折から、何かの力を借りて罠を張って、と決して自分の力では――その"限界"は自覚していたように――働かなかったハンダルスである。
この最終局面において、他に何かがある、という警戒を緩めたつもりの無い二人ではあったが……しかし、それでもその"何か"が「不可知」の存在であったならば、たとえ『止まり木』による無尽蔵の精神的な時間を有していても、予め備える、ということも困難であったろう。
観念したようにハンダルスが獣のような大暴れの抵抗を止める。
そして、ルクとミシェールがさらに深く尋問を――【精神】魔法を発動させて完全にハンダルスの自由意志を奪おうとした、その瞬間のことだった。
ぞわり、と辺りの【領域】と"裂け目"が震えた、ことを感知したのは超覚腫のうち、唯一【八覚感知】まで開放されていた1基。
その超覚腫は迷宮の眷属として、リュグルソゥム家がその「魔法とは異なる」違和感に気づくよりも早く、その脅威と危機を【共鳴心域】を通して近くにいた戦線獣達に伝達し、自らを全力で投げさせた。
≪吹っ飛んじゃえ~~~!≫
≪バイバイ、『ルーファの使徒』ちゃんの眷属ちゃん!≫
≪ほ、本当は【闇世】でやるはずだったのに~≫
≪最低限の任務は完了~! みんな、また今度も仲良くしてね~!≫
その声を、リュグルソゥムの一家4人もまた【共鳴心域】を通して間接的に知覚するが早いか。数体の走狗蟲が全力疾走でルク達を体当たりして吹き飛ばす、と同時に、ニヤリとしてやったりの表情で笑ったハンダルスの眼前で――豪投された【八覚感知】の超覚腫がリュグルソゥム一家との間に割り込む、と同時に。
ハンダルスの頭部ごと【領域】が抉れた。
音も色も臭いすらも無い。
【空間】魔法のように景色や遠近や実在上の"座標"がズレて歪む、というのでもなく――ただただそこに透明な真空としか喩えることのできない「断絶」が、強いて言うならば、【闇世】と【人世】を分かつ"裂け目"の銀色の水面が【空間】に割り込むように存在している作用にも似た「隔絶」が4つ発生。
それが超覚腫と、ルクらを突き飛ばした走狗蟲3体にそれぞれ、まるで絡みつくように食らいつくように触れるや――。
魔素と命素が。
あるいはそれぞれ超覚腫と走狗蟲であった4体の【闇世】の迷宮の眷属を構成していた"何か"が、解かれたかのように、知覚することのできない何か透明な風とも残滓ともつかない、キラキラとした仄かな塵と錯覚し名残るかのような"後味"と化し、忽然と、突風にあおられたかのように消し失して飛ばされてしまった。
後に残されたリュグルソゥム一家4名は、思わず『止まり木』に飛ぶことすら失念して顔を見合わせ――それも数瞬のこと、すぐさま、たった今眼前で起きた現象を。その「不可視の何か」の正体について討議するために、更なる追撃を警戒しつつも、明らかな苦渋と憤怒に歪む表情をそれぞれに浮かべて、"裂け目"へ撤退するのであった。





