0195 ナーレフ騒乱介入戦~凍泉の三つ巴(5)
一般的な"兵士"としての練度で言えば、ロンドール家のそれは上位に属すると言える。
無論、兵士や軍隊というものの「実力」を測るには様々な尺度がある。
特に、個人が弩砲といった"兵器"の如き破壊力や高精度のセンサー並みの索敵能力を持ちうる【魔法】の存在があるため、純粋な「強さ」で言うならば様々な捉え方があるが――例えば【魔剣】家と【皆哲】家が『長女国』における最強の座を争ったように――【継戦】派はその名の通り、建国以来の宿是の一つである『西方への懲罰』の戦争を戦い抜くことを目的とした派閥である。
強大な殲滅力を有する最少数精鋭を実現する【魔剣】のフィーズケール家。
"才無し"達の前線兵力化によって最大兵力を誇る【聖戦】のラムゥダーイン家。
彫像兵を活用する【像刻】のアイゼンヘイレ家。
……などが名を連ねる中で、【紋章】のディエスト家は【紋章石】という独自の魔法陣技術による魔法の魔導具化・携帯化を成し得て派閥の領袖に至った存在。
保持する技術の特性上、他家の"良いとこ取り"をしやすい、という意味においてはその応用力もまた高い。
さらにリュグルソゥム一家が感知するところでは――おそらくは誅滅事件の際の"交流"によるものだろうが――例えば【悪喰】家のものなど、明らかに他家の秘匿技術に踏み込むものを【紋章石】に封じ込めた魔法を使用しており、つまりロンドール家がそれを一部横流しなどによって備えていることがわかった、とのことであった。
≪【紋章石】そのものの解析という課題はありますが、≫
≪それさえなんとかなれば"中身"の魔法だって解析できる……ますからね!≫
これらもまた、今回の介入において手に入れることができるべき戦果である。
【冬司】改め【氷凱竜】との闘争の中ではあるが、斃れ伏した魔法兵やその支援の兵士達が抱え落ちした【紋章石】もまた回収の対象であり、そのために脱皮労役蟲などからなる『回収班』なども動かしているところ。
――故に、この魔法兵達がただでは起きないことを、俺は既に察知していた。
『氷竜』がもたらす極寒の環境が戦場を塗り潰す中、遊拐小鳥や鶴翼茸によって運ばれて宙を舞う超覚腫達には、優先的に暖を補給してもいる。彼らの各種【感知】技能と『回収班』を経由して確認した情報を元に、である。
そして、俺は彼らのその"大博打"を阻止することはしない。
何故なら、彼らの"大博打"の相手が何者であるかなど、わかりきったことであったからだ。
――要は【春司】を【火】から分離してやったのと同じである。
現在の【冬司】と【氷凱竜】……の劣化意識体とかいうあの『氷竜』は、共にマクハードという依り代を共有している状態である。それぞれの目的も、思惑も、依り代当人を含めてすら異なっていることなど、推して量るべきことであった。
だから【竜の火】を、たとえ種族すら変容した末裔のそのまた末裔に過ぎない存在ではあっても、片鱗を見せた竜人ソルファイドを、あの【竜の氷】を謳う『氷竜』にぶつけた。
【竜主国】が、かつてその竜主同士の内乱によって潰えたというその遺恨を、己が『竜主』の一角であるなどと嘯く程度には当時の歴史を記憶している可能性が高い【氷凱竜】殿が――見過ごすはずがあろうか。
≪【冬嵐】家にとっては成功すれば利が大きいかもしれないものの、所詮は"余興"でしょう≫
≪であるならば、私達の見るところ、本気でサウラディ家に楯突くつもりまではないはず≫
しかし、ただの小間使いではないぞと牙を見せることはできる、ということ。
所詮、"雲"の上であろうが下であろうが、技術や知識が違うだけで、人の集まりである以上は行動の様式や態様は同じようなもの。
――となれば、『氷竜』が"余興"としてより興味を持つのはソルファイド。
だが、"悲願"に突き動かされているマクハードや【冬司】の側はどうであろうか。
それはグウィースとル・ベリが樹精の集団を率いて【泉】の反対側から現れたのを見た、マクハードやハンダルス、そして『氷竜』と【冬司】の反応を見れば明らかであった。
『氷獄の守護鬼』と『氷竜』の関係性そのものの詳細は未だわからない。
だが、この【北方氷海】沿岸域の"災厄"とされる「鬼」と翻訳される存在どもと【竜】との間に何らかの相補性があるのは明らかである。
『氷竜』は、広く散って一帯に生きる全てに対して攻撃させている『氷鬼』どもを喚び集める形で、彼らを使って、己の【竜】としての身体を構築し――【冬司】からほとんど分離しつつあったからだ。
≪さすがに『人形』や『彫刻』よりも、あっちの【竜】の身体……というか"器"の方が優先度高いみたいです! オーマ様!≫
ダリドが、ハンダルスの裏を掻いて撤退に追い込んだ職業【彫刻操像士】の使い手としての見解を伝えてくる。
それは状況を副脳蟲どもの【共鳴心域】によって把握していた俺としても全くの同感であり――少なくとも『氷獄の守護鬼』という存在が【竜】から生み出されたものである可能性すら示唆していた。
――故に、あいつを呼ぶよう"裂け目"の向こう側に指示を下したところである。
「全軍、攻撃と牽制を継続しつつ、副脳蟲どもと超覚腫からの"情報"に全神経を注げ。『魔法兵』達の乾坤一擲を成就させてやる、上手く避けて、巻き込まれないようにしろよ?」
***
『雲上人』達の事情や、ましてや駆け引きというものはヒスコフにはわからない。そういうものから用心して距離を取り、余計なことを知らないようにしていたのも彼の処世術ではあった……それでもロンドール家の"野心"には巻き込まれてしまった。
だが、戦場で叩き上げた『魔法兵』である以上、【冬司】に起きた異常事態と【冬嵐】のデューエラン家が結びついているという理解にはほとんど反射的に達していた。
そしてその故に――【冬司】と『氷竜』に起きた"異常"の意味を理解することができていた。"痩身"サーグトルの部下達と比べれば、少なくとも2番手程度には、旧ワルセィレにおける【四季一繋ぎ】という超常の自然法則を理解していたからである。
【雪】の雄山羊が苦しそうに呻いているのは、恐るべきことに壮絶な【魔法】による砲撃戦を異形の魔獣達との間で繰り広げていることによるものでは決してない。
『氷の鬼』達が集るように集まって次々に、まるで甘味に食いつく蟻の如く群がり食らいつきながら――雄山羊の顔面から、まるで癒着した仮面が強引に顔の皮膚ごと剥ぎ落とされるかのように、べりべりパキリパキリと剥がれつつ、その剥がれる側から、殺到した『氷の鬼』達がその氷体を変異させていく。
さながら、熱しに熱されたガラスや金属同士を接合させるかのように――突き抜けた寒さは痛覚を刺激するという意味で熱さに通じるというのはどこか皮肉な自然現象――その「角」と「牙」に相応しい【竜】としか見えぬような姿形で。
ヒスコフのような平民出には、お伽話でしか聞いたことがないような、恐ろしき凶貌の首から下を形成し始めようとしていた。
きっと、そのまま分離してしまえば――【冬司】の側は、また純粋な牡羊の顔面に戻ったことだろう。そのまま分離してしまっていたならば。
巨大な【雪】の羊面から【氷】の竜面が、まるで拷問のため顔の皮膚を切り取られるかのように蠢いて暴れ、もがいて這い伸びる。
丸ごと顔面をくり抜かれたかのように、元の雄山羊の頭部の前面が、陥没したか抉り取られた舐瓜の如く半空洞になり――断面がそれぞれ速やかに【雪】と【氷】に覆われて再構築されていくが――この瞬間、確かに、【冬司】と『氷竜』が入り交ざった巨大な魔獣の頭部の中にその身を沈みこませていた【血と涙の団】の"後見役"マクハードがその身を露わにしたのである。
ヒスコフが乾坤一擲の号令を掛けたのは、まさにその瞬間であった。
いくつもの【紋章石】が同時に鮮烈な魔力光を発し、瞬き数度の間に、実に多様な魔法が――属性理論に括られるものと括られないものとを問わずに――発動される。
【土】魔法が引き起こした地割れが大地ごと、ヒスコフらを戒める氷柱の檻を割り砕く。と同時に【風】魔法による突風が吹き荒れ、16名の魔法兵とナーレフ執政ハイドリィが次々に飛び出す。
即座、例の異形異質の魔獣達を率いる【魔人】が支配することがほぼ確定している異形の法則が【風】属性を潰しにかかるが――そのことは織り込み済み。
本命は【星詠み】のティレオペリル家から供与された【重力】魔法【星天讃歩】――の"過剰発動"である。
元々はある程度中長期的に輜重・物資輸送に活用できるよう、出力を極端に制限して長持ちできるようにしていた【紋章石】であったが、その制限機構を外しただけではなく暴走させ、蓄えられた魔力を一気に放出させたのである。
いかに、これまたお伽話の存在であった【闇世】の【魔人】――宙を翻るように高速で浮遊し浮上していくヒスコフと目が合った"彼"は、故郷の末弟が生きていればこれぐらいの年齢であったかというような「普通」の青年にしか見えない――が対抗魔法だか妨害魔法だかわからない恐るべき力を行使していたとしても。
氷柱の檻の中からとはいえ、感知魔法と、原始的な暗号通信術によって部下と共に必死で集めた情報からは――【魔人】が"消失"させることができるのは基礎的な属性のみであるということ。
例えば、最初から【重力】魔法とかいう頭顱侯の秘技術クラスの魔法を彼やその眷属の魔獣どもが扱うことができたならば、この「空からの襲撃」は、もっと"堅実"で確実な方法を取ることができたはずだ、というのがヒスコフの気づきであった。
故に、その裏を掻い潜り、『氷竜』との激しい魔法戦の間を飛び越える算段。
まるで空に向かって落ちるかのような放物線を描きながら、【星天讃歩】によってヒスコフ、ハイドリィ以下が【氷】の竜面と【雪】の羊面の間に飛び込んだ。
驚愕しつつも嗜虐的な笑みを浮かべたハンダルスが【氷礫の御手】を詠唱し、足元の『氷竜』そのものから生み出した十数もの氷の弾丸を、まるで殴るかのように振りかぶって迎撃してくる。
運悪く2名が撃ち落とされるが、ヒスコフは【星天讃歩】を隠し持っていた【紋章石】によって折り曲げることで――【重力】そのものの方向を変えることで、ハンダルスの生み出した氷礫を全て明後日の方向に落下させて回避。
次々に氷竜の頭上へ【魔法の剣:氷】によって、あえて癒合する形で強固に取り付いたのである。
「虫どもがよぉぉお! 【火】じゃなくて【氷】に飛び込むだと? 小洒落たって犬死には犬死になんだよ死ねやぁぁッッ!!」
――身体の再構築と、【魔人】率いる異形の軍勢との"魔法戦"に力を注ぎ込み過ぎているのであろう。『氷竜』の動きは鈍く、【冬司】もまた蜘蛛の糸から全力で逃れようとする大型虫の如く、分離しつつも癒合し覆い尽くそうとする【氷】の侵食に激しい抵抗を見せる。
そしてそんな相喰らう【雪】と【氷】の自食行為を助ける余裕も無しに【夏司】と【秋司】が、異質なる魔獣達の中でも特に動きの良い一群と天地を転げ回るように激しく打ち合っており――要するに千載一遇以外の何者でもない。
ハンダルスが氷竜の体表から複数の氷柱を生み出してさらに3名が刺し貫かれるが、彼らは伊達に精鋭ではない。
『魔法兵』が死を悟ったということは――身体への反動をもはや気にすることなく大魔法を放つということ、【紋章石】に生命が危険になるほどの魔力を注ぎ込むことができるようになるということであり、それで以て【魔力強化】の効果を大幅に上乗せした、【氷】属性への対抗魔法を展開したのである。
……無論、死という名の白羽矢が「誰」に落ちるかわからなかった以上、同じことはヒスコフを含めて16名の誰もが準備していたことではあったが。
ただし、相手はもはや自然環境そのものを振り回す暴威の存在。
いかに命を込めた魔法発動であるとはいえ、たかが人間3名分である。稼げてわずか数秒にも満たないことをハンダルスに嘲られるが……死兵にはその数秒さえあれば充分である。
さながら、鉄壁につけたわずかな傷にさらに刃を食い込ませ、文字通りに切り開くかの如く、小隊長のシェラザットと3名がハンダルスに挑んで、数秒の時を十数秒に変えた。
ここでようやっと『氷竜』がその意識を自分達に向けたのだろう。
一人が刹那の間に脳天まで凍結して砕け散り、ハンダルスの【氷】属性を帯びた魔導棍が2名の脳天を大腿を叩き割るが――残るシェラザットが半身を瞬間冷凍されながらも逆にハンダルスに組み付き、そこで【氷】属性魔法を最大出力、つまり命を捨てた足止めを敢行したのである。
「【氷】はこの【竜】の"力"なんだろ? 良かったなハンダルス、これでずっと一緒だ、そのまま一部になって頭を冷やしてろ」
こうしてヒスコフら決死隊は、竜面の上という氷雪が狂ったように斑めく最大の死地を乗り越える。
羊面の上に飛び乗る際に、さらに2名がハイドリィとヒスコフを庇って【竜の氷】に――本能的に、それが永劫の苦痛であると怖けさせられる――包み込まれるが、ハイドリィを加えた6人がついに、【雪】に覆われつつもその身を露出させた"元凶"マクハードに肉薄したのであった。
「……悪名を本当に実行する馬鹿がどこにいる、マクハードめ」
彼が「同胞の血肉を切り売りして」ロンドール家に取り入った、と特に『関所街』の"内側"の者達から言われていることは、当然、ヒスコフも知っていた。
だが、それでも彼の行動原理は、たとえそう思われようとも旧ワルセィレの同胞達を最後には救わんと悪を成すものだ――そう思っていたのであるが、まさか、このような形で本当に同胞達を「力」のために手にかける判断をしようとは。
苦い、どこか居心地が非常に悪く、胸糞が落ち着かない思いが脳裏を掠めるが、休憩の時間などではない。
マクハードは意識を失ったような状態でヒスコフの言を認識することもなく、まるで何かに操られているかのように、ハイドリィとサーグトルから奪った指揮棒を振るっていたが――足下で踏みつけている巨大な『雪崩れ大山羊』の双眸がギロリと上向いてヒスコフらを睨みつけるや、周囲で【魔人】の眷属達と「砲撃戦」を展開していた巨石の如き氷塊が、ヒスコフら目掛けて複数軌道を強引に捻じ曲げて飛来してくる。
「本当に手こずらせてくれたが、貴様との悪縁もこれで終いだ! 私のものを返してもらおう!」
『氷竜』のそれと比べてしまえば、まだどうとでも迎撃の余地がある。
――だが、予想よりも早く"氷漬け"のハンダルスがピキりと罅を生み出しており――そこからまるで細剣のように生み出された氷柱が高速でハイドリィを狙撃せんとする。進路と軌道からして自分以外に割って入ることができるものはいない、と判断したヒスコフであったが――。
哄笑と共にまるで空気の砲弾のように放たれた咆哮の如き【呪歌】がその氷柱を打ち砕く。それが"巨漢"デウマリッドの仕業であると悟り、眼下、吹雪に覆われて視界が白く霞む中に「クソデカ物」が見慣れた獰猛な笑みで槌を振っているような気がしながら。
「奏でろ! ハイドリィ! 【泉】まで一気にだッッそれしか俺達の生き残る芽は無いぞッッ!」
見れば、ハイドリィが無防備なマクハードから指揮棒を奪い取りつつ、さらに一撃を加えようとしていた。
その気持ちはわからないでもないヒスコフだったが――もはや1秒も無駄にできないこの状況下で、そのような無駄な行為をする意味はない。マクハードを殺したところで【冬司】が自律性を取り戻すだけのことでしかないのである。
「……! わかっている、わかっているぞ……おのれマクハードめ、おのれ【冬嵐】家め、おのれ【騙し絵】家め、おのれギュルトーマ家め、おのれエスルテーリ家め、おのれ【魔人】め……ッッ! 【3司】よ、私と共に征くのだッッ!」
――斯くして、ナーレフの騒乱に【エイリアン使い】が乗じた介入戦は、その最終局面へともつれ込んでいく。
***
簡単な任務であったはずだ、というのが【冬嵐】家『工作部隊長』ハンダルス=ギフォッセントの思いであった。
【騙し絵】家の"内紛"を揶揄って傍観し、適度にリュグルソゥム家という「餌」に食らいつかせて"私生児"と"正嫡"のどちらが勝者となるのかを品定めしつつ。
エスルテーリ家を利用してギュルトーマ家を嵌めようとしていたロンドール家をこそ利用して【紋章】家を嵌める、という【盟約】派の思惑の中で――ちょっとした、あわよくばという"実験"という名の"余興"の実行を忖度したに過ぎない。
その忖度が正しかったことは、自分のような存在が【冬嵐】家の秘である【氷竜の血】を持ち出せたことからも明らかである。
だが、それでもあくまでも自分は――【冬嵐】家は"傍観者"であったはずなのだ。
この実験が失敗しようが、逆に思わぬ成功をしようが、そもそもサウラディ家は【四季ノ司】に本当の意味で興味など持っていない。ナーレフ執政ハイドリィが苦心して構築した【奏獣】の力を手に入れられれば、それはそれで「なにかの役に立つ」と思っている程度の関心に過ぎない――だから、思いがけず【冬嵐】家が"奏獣"を掌中に収めてしまったとしても、どうせ、この一連の騒動と混乱の責任は全てはロンドール家と【紋章】家に被せることができる。
……というのが、ハンダルスが考えるデューエラン家の思考である。
彼と【冬嵐】侯ゲルクトランとの付き合いは、彼が侯子であった時代からの腐れ縁に近いものであり、遠からずというところではあろう。
元より、どこぞの愚かな掌守伯家のように、サウラディ家に本当の意味で逆らうつもりはデューエラン家には無いのだから。
幾度となくゲルクトランに追放されつつ、しかしいつの間にかその配下の末席に戻ってくる、という形で硬軟清濁を織り交ぜて立ち回っていたハンダルスは「頭を冷やしている」間、どこで歯車が狂ったのかを考えていた。
――直接の原因などは、わかりきっている。
【魔人】の出現などという数百年以来、建国以来の最凶の厄事に遭遇してしまったのは、己にとってでなくとも未曾有の災いである不運であるというのはわかりきっている。
そしてそんなものが――"裂け目"をこの地に【空間】魔法を使って召喚したことの意味も、理解できぬ彼ではなかった。
(信じられない……【騙し絵】家が敗れたってのかよ……ッッ!)
賊上がりではあっても、いや、むしろ、だからこそ、【皆哲】とまで謳われたリュグルソゥム家の残党が完全にあの【魔人】の青年に仕えていることの意味を、理解できぬ彼でもない。
だが――。
(こっちは【竜】なんだぞ……ッッ? おいおい、おいおいおいおい……こいつは、参ったなぁ……!)
失態の原因の一つは、デューエラン家が秘匿してきた【氷竜の血】が、予想外にもマクハードとこの旧ワルセィレという地の超常に適合しすぎたことであったろう。本家の血族以外の者が、ここまで力を引き出すことができる――という可能性にハンダルス自身もまた"要らぬ欲望"が疼いたのは自覚の上。
外からの傍観のつもりが、踏み込み過ぎたのは事実であった。
――だが、勝算を感じる程度には魅力的な"力"だったのだ。
だというのに、よもや【魔人】側にも【竜】が在ろうとは。
【竜】の力を失って亜人化した存在が竜人である……にも関わらずのこの展開は、予想外も良いところ。仮にこの情報を生きて持ち帰ることができたとしても、主家デューエラン家においても、流石にこれは同じ受け止めとなるだろう。
しかも、【冬嵐】家の秘密をこのような連中に知られたこともまた最悪であった。
(ネイリーの爺さんを説得して、ハイドリィもマクハードも【騙し絵】家と組ませてあの【魔人】のガキを倒す、が正解だったってのか……?)
無理である。
よしんば「追討部隊」をどうにか説得できたとしても、"梟"はそういう手管が通じる相手ではない。
侯の正式な軍勢を呼び寄せてなんとか、という程度であったかもしれないが……そもそも【魔人】という存在の出現そのものに対しては、ハンダルスとて実感自体は未だに薄く現実感が無い。
ただ、【冬】すらをも塗り潰す極寒に抗う力を見せつけられ、明らかに根底から何か存在意義そのものが異なる異形の、しかも魔法まで何故か使ってくる魔獣達が恐るべき連携により、【竜の火】込みで、劣化体であるとはいえ『氷竜』の力に対抗している様から、純粋なる戦力上の意味における脅威がひしひしと感ぜられる程度であり――要するに「実感」を伴って説得する図が未だ思い浮かばないのである。
(今からでも降るか……? ――あのおっかない"復讐者"どもが、五体満足で帰してくれるなんて期待はできないよなぁ)
己もまた、この国の最高権力者達の一角が抱える暗部に属してきた身である。
敵対勢力に捕らえられた際に何をされるかなど、何となれば、むしろハンダルス自身の方が「より上手に」啼かせることができるというものだ。
だが――いっそ洗いざらい啼いてしまえば、せめて最悪の場合には苦しまずに殺してもらうことも望めるだろうか?
そう肚の中で企んでいた、その時である。
≪こいつっ! 悪いこと考えてるっ!≫
≪やっぱり"監視対象"ちゃんは"監視対象"ちゃんだったのだぁ~≫
――まるで耳元で息を吹きかけられたように。
凛、と鈴が成るかのように、氷刹と鮮血と魔導の衝撃波が辺りを覆う「戦場」には酷く場違いな『声』が、確かにハンダルスの耳に聞こえたのであった。
「は……?」
『氷竜』の力を拝借して常時展開している感知魔法には、如何なる属性も、如何なる魔力も何も感知されない。生命すらも。
だが、確かにその"意思ある何か"の声だけが聞こえているのである。
「まさか……おいおい、おいおいおいおいおいおい」
≪お、お前の考えてることなんて~全部わかるんだぞぉ~≫
≪余計なことは考えないでね~≫
何故、ではない。
どうやって、という問いが渦巻き――ハンダルスは、さらに十数回もの「おいおい」の繰り返しとしばしの黙考の後に、答えに辿り着いた。
「くそッッ! サーグトルかよ……だってあいつ追放者だろ……!? そんな奴にまで――」
≪勝手に絶望していってねっ! そして確実にここで死んでいってねっ!≫
≪でもね"監視対象"ちゃん。『ルーファの使徒』ちゃんに~情報は、与えちゃダメだぞ~?≫
場違いなほどの、まるで子供が悪戯に興じている時のような明るい声である。
だが、従わねば、自分は死ぬよりも恐ろしいことになるだろう。
例えば、【竜】に喰らわれて【魂】を奪われる――ことに近い目に遭わされるだろう。
――【四元素】のサウラディ家によって。
不可視にして、生命でも魔法でもない、強いて言うなら"羽虫"のような、おそらくはサーグトルに憑いていたものが――噂で聞いたことがあるのみであり、それが実在するかどうかを確かめる術も機会もハンダルスには無かったが――今、こうして疫病神の如くに己に移り取り憑いてきた存在。
【精霊】と呼ばれる存在の警告に。
ハンダルスは己が既にどう足掻いても引き返せない位置にいることを思い知らされたのであった。





