0192 ナーレフ騒乱介入戦~凍泉の三つ巴(2)[視点:皆哲]
――かつて【森と泉】と呼ばれたその領域は、南西の赫陽山脈から流れ落ちる雪解け水が、水はけの悪い土壌から成る大地でところどころ沼や泉を形成する土地の上に経つ。
しかし、春から冬にかけて、四季が遷ろうに当たっては木々がその枝葉を成長させ、紅葉させて落葉し、泉もまた氷の貼った水面にその色合いと日差しの角度を変じさせる。
そこは【四季】の遷ろいを、世界が一繋ぎに巡ることを、最も身近な様々な自然の中の徴によって、この地に住まう民達に感じさせる土地であった。
【深き泉】が坐す聖山に、冬の終わりには『蛸』のようにも遠目には見える地形が――雪が引いた切れ間に現れると、それは"沼"の農場に『水蚯蚓』の幼生を放つのにちょうど良い時期であると経験的に知られており、旧ワルセィレ地域の暦を成すのである。
同様に、一つ一つの季節が終わり、次に移って、そしてまた戻ってくるようにして一年が過ぎる。そうして一年が巡り、積み重なって、幼子がやがて成年し壮年を経て老いて"沼"に還っていくというのもまた、ワルセィレの民にとっての一生の"暦"を成す。
その最中にあって――【深き泉】で【血と涙】を捧げれば、ささやかな"願い"が叶えられる、と知られて風習と化したのは、果たしていつからであったか。
"願い"とは言っても、大層なものではない。子宝に恵まれたいであるとか、健康を祈願するであるだとか、沼の農場での豊作であるだとか、村を出て旅立った我が子の息災を祈るようなものに過ぎない。
だが……実際にそれらの"願い"は、【泉】に集められて、【春】の暖かさと日差しや、【夏】のそよ風や風にのる何がしかや、【秋】の実りや【冬】の安息の中に、確かに旧ワルセィレの民達にとっては実感のできる形で叶えられてきたのである。
――【輝水晶王国】と【生命の紅き皇国】に挟まれながらも、その地形とこの独特の自然法則の存在にあって、長らく緩衝地帯のように周辺国と大きくは関わらずに、旧くからの暮らしがいつまでも続いていく……そう、無意識に信じていた幼少期の、なんと純朴であったことか。
【冬司】の内側のそのまた内側で佇むマクハードは、まるで遠い宝石の遠景のようにきらきらと輝く憧憬すら浮かぶ時代を想った。
かつて彼は【涙の番人】であった。
四季の恵みとささやかに――しかし触れ合いとしてのささやかさはその深き浅きと比例するものではない――生きてきたワルセィレの民にあって、選ばれて【深き泉】に趣き、数日という名の春夏秋冬を【泉の貴婦人】と共にする存在である。
『"貴婦人"様は、長いこと長いこと――待っていたんだよ』
それは歴代の【涙の番人】のみが知ることを許された一つの、それもまた"ささやかな"秘密。
『その御役目から解き放たれる日が来ることを、待っていた』
曰く。
遠い昔にとある人物との間で結んだ"約束"によって、彼女はこの地の【血と涙】を司る存在となり――いつの日にか、その"役目"から解き放たれる時まで、この地の民を見守り続けているのだという。それは、決して他の者に口外されることはなく、また元【涙の番人】同士であっても語り合うことの無い、直接【泉の貴婦人】と対話した者のみが共有する重大な秘密であった。
……無論、それは【森と泉】が"滅びる"、という意味ではない。
"ささやか"に過ぎない祈りの成就が仮に無くなったところで、本当にささやかなものであるのだから、貴婦人様と司様達を信ずる心があれば、変わらずに【森と泉】は続いていくのだから。
『そうであったら、どれだけ良かったんだかなぁ』
――その全てが終焉し、捻じ曲げられたのは、『長女国』による侵略によってであった。
生き残った元【涙の番人】は、己とトマイルのみ。
ワルセィレの民と【深き泉】の繋がりは、忌々しき『関所街』によって寸断され――本格稼働はしていないものの、配置されたる『晶脈石』の影響かはわからないが、この20年間、新たな【涙の番人】が選ばれることは無く。
【深き泉】へ詣で、1年の悲喜こもごもを【血と涙】と共に捧げる風習が途絶えさせられて幾星霜が過ぎたことか。
『"貴婦人"様を解放しなきゃあならないが……それは御役目からじゃあ、ないんだ』
――旧ワルセィレの土地をマクハードは誰よりも愛している自負があった。
春に新芽が芽吹く有り様を、夏に樹葉の勢いよく繁茂し、それがら秋に紅葉してから、冬には落葉して泉や沼の水面に混ざって土へ還っていくという一年の有り様を、その中で協力しあって生きていく親と兄弟と友と村の者達との絆を、誰よりも愛していた。
故に彼は『長女国』を、【紋章】家を、その走狗たるロンドール家を憎むものである。トマイル以上の情熱で以て、徹底的に旧ワルセィレを救う道を彼なりに、記憶の彼方の【涙の番人】であった頃の春夏秋冬を蘇らせるほどに千思万考した結果――あえて『関所街』を収めるロンドール家のそのまた走狗となる道を選んだのである。
――たとえ同胞の血肉を売って糊口を凌ぎ、敵の靴の先に喜んで口づけをする輩であると、同胞にも敵にも罵られる身に落ちようとも。死んでいった者達が残した思いさえも、商売道具とするような冒涜を成そうとも。
ただし、そうまでして彼が構想し、実現のために邁進してきた"復興"のためには、絶対に欠かせないものがあった。
再び【森と泉】の子らとしてまとまるための"象徴"である。
……元【涙の番人】であっても、貴婦人の"御役目"がいつ解かれるのかまでは、彼にはわからない。だが、この外なる強大な存在の侵略によって【深き泉】との繋がりが断たれたことが「解放」と見なされることだけは――絶対に避けなければならなかった。
少なくとも再び【森と泉】が自立し、真の安息を取り戻すその日までは――永遠に。
『"貴婦人"様には、いてもらわなきゃ、困るんだよ』
――"力"が必要だった。
圧倒的な"力"が。
変わらないでいるためにこそ、変わらなかった「あの頃」を取り戻すためにこそ、変わる必要があることをマクハードは悟っていた。
『次兄国』での修行と諸都市の探訪の中で見聞した【四兄弟国】の強大さを決して侮ることはなかったがために。
ただ単に、力でロンドール家を追い出したところで、それは更なる破壊をこの地に呼び込むだけ。であればむしろ――旧ワルセィレの"力"を独自の悲願に利用できないか、興味を持っているロンドール家を利用する方がずっと利口なのである。
そうして最大の好機が訪れたのが、3年前。
【春】から【冬】へ遷ろうその折に。
――【冬嵐】のデューエラン家のハンダルスという男が接触してきたのだ。
――とある、濁った青紫色の"液体"を携えて。
***
【冬嵐】家のハンダルス=ギフォッセント。
主オーマの【情報閲覧】によれば――特段の称号は有していない、ただの『工作部隊長』。【冬嵐】家当主ゲルクトランの"右腕"であると自ら吹聴していることと、その素行の悪さから多少知られてはいるが、魔法戦士としてみた場合の実力は、リュグルソゥム家の目から見れば決して卓越しているわけでもなければ、むしろかろうじて"並"の水準に過ぎない。
しかし、それでも"新生"リュグルソゥム一家の4名をして、この不良衛兵のような男を捕らえきれないのは――この場が完全に相手側に掌握された【領域】であるからだ。
【土】魔法【敵対的な土塊】を、主オーマの『土属性障壁茸』による属性阻害効果に合わせる形で共同詠唱し、【秋司】たる『泥濘子守り蜘蛛』が雪の下で密かに広げていた"泥"地の支配権に干渉したまでは良い。
だが、その鬩ぎ合いによって生じた泥土を伝うように【氷】が――否、【氷】ではない【氷】の力が地裂波の如く一気に【泉】の方角から侵食してきたかと思うや、防御陣全体の至るところから次々に四方八方に大小いびつな逆さ氷柱が突き出す。
そしてそこから何体もの『氷獄の守護鬼』達が出現。
群れ成してリュグルソゥム一家とハンダルスの間に割って入り、"鬼"と評される獰猛さのままに暴れて襲いかかってくるが――。
「やっぱり【氷】と【竜氷】を使い分けてきてるな、面倒くさい!」
「何らかの手段でマクハード、あの『半氷竜』と意思疎通して連携しているな」
「断ち切るのは……私達では、難しいですね。こちらも、我が君とさらに連携を」
【氷礫跳び】を駆使して、次々に"氷鬼"達の頭上を飛び移りながら、ハンダルスが【氷】属性の攻撃魔法を放ってくる。あるいは"氷鬼"そのものを巨大な氷柱に変化させ、あるいはその首や四肢を「離断」させたまま【魔法の矢】やら【魔法の槍】やらに転換して撃ち放ってくるのである。
無論、それだけならばリュグルソゥム家にとって対処は容易である。
問題は、対処可能なただの【氷】属性と、対処可能ではないもの――暫定的に【竜の氷】と名付けた属性を有したものが織り交ぜられていることであった。
「ダリド! そこの3体は内側が【竜氷】ぽいから! 溶解じゃなくて破砕系で対処!」
「わかってるって! 【土】魔法で丸ごと地面の中に引きずりこんでやる!」
ハンダルスは、実に数十から3桁にも及ぶ「2種類の【氷】」から成る"氷鬼"達という膨大なリソースを費やしてまでしてリュグルソゥム一家を足止めすることに成功していると言えた。
無論、【竜氷】といえども、たとえば4人がかりで本気で叩き潰そうと思えば――対抗魔法だろうが妨害魔法だろうが【火】魔法による属性相性的な干渉であろうが、その"融けない"という性質を凌駕することは、できる。しかし、それは瞬間的な魔法――迷宮で得た知識風に言えば、投射する魔素の量によって強引に"塗り潰す"という力技に等しく、全ての【竜氷】を相手にそのようなことをする魔力も【魔石】も無い。
そして逆に言えば、【竜氷】こそが"塗り潰す"力そのものであることの証左であった。
魔法は、【魔法学】の解釈においては確かに"属性"の影響を受けるものである。
それはただ単にそれを発動しようという意思だけではなく、例えば水場では【水】魔法が、風の強い環境にあっては【風】魔法がより楽に発動でき、逆に火気の無い場所で【火】魔法を引き起こすにはより多くの魔力あるいは魔素を必要とする。
これはすなわち、周囲の自然法則そのものが魔法の発動の"土台"となっていると言えるが――【竜氷】はそうした土台そのものを塗り潰しているとも言うことが、できる現象であった。
その力の及ぶ一帯が、まるで最初から極寒の地であったかのように作り変えられているのである。
それは、【四季ノ司】が【冬】や【春】という属性で、その地を覆う気候そのものを変化させている力よりもさらに強大で圧倒的であり――何より、酷く独善的で一方的な"意思"すら感じる力であった。
野草と野花が繁茂する平原で【火】を起こすのと、凍土の底の底から天空の雲の上の上まで全てが凍てついて凍りついた環境で【火】を起こすのとでは、どちらがより困難であるかは『火を見れないよりも明らか』とでも言うべきもの。
【竜氷】とは、もっと言ってしまえば――【竜】の力とは、つまり、そういうものなのである。
だが、リュグルソゥム家は高揚していた。
一筋縄では行かない"力"を前にしてはいたが――己等の"仇"が一角たる【冬嵐】家の力の秘密をついに知ることができたからだ。
かつてサウラディ家の分家に過ぎず、彼らの【四元素】のうち、単に【水】属性を任された測瞳爵家に過ぎなかったデューエラン家は、【北方氷海】の"災厄"たる『氷獄の守護鬼』を討伐して北部沿岸地帯から追い払った功績により、自立を認められて頭顱侯に至る。
だが、たかが【氷】属性という、既存の【魔法学】で属性分類された"基本的な"「技」しか持たない【冬嵐】家が、何故そこまで登りつめたかは一つの疑問であり――たとえ融けない氷という秘密と謎を有していても――特に他派閥から未だに「サウラディの犬」と軽んじて見下される所以であった。
≪"融けない氷"の力の秘密は――【竜】の力だった。召喚したのか、実は"鱗の無い"竜人とかいう意味で子孫なのか、それとも【血】でも飲んだのかはわからないがな? ……【魔法】と見せかけて、【竜】の力だかを引き出せるってことなら、色々と納得がいくな≫
主オーマが、迷宮領主として【闇世】の大典から引き出すことのできる知識には、直接的な言及は制約されているようであるが、こう読み取れるように記されているという。
【竜】とは"環境"を統べる力を持つ存在、であると。
……ならば、この、まるで魔法の成り立つ土台や大前提そのものを"塗り潰す"かのような、ただ極寒を強い、ただ氷獄を敷くことによって他の一切の属性を発動困難にまで陥れる暴虐なまでの【氷】が、他の属性による干渉や対抗や妨害を拒み跳ね返すのは当然であろう。
臓漿すらをも凍てつかせるその力は、正しく、かつての【竜公戦争】の如くに【闇世】の迷宮領主の権能にすら対抗し得るものである。
「"最強"争いの対抗馬だった【皆哲】家ったって、こんなもんだなぁ! ははははッおら、たっぷりと【氷】を食らってあの世に還れや、二度と【冬眠】から目覚めるんじゃねぇぞ?」
「雑兵が多少数の利で勝ったからと。声も動きも小五月蝿いな、全く」
「"種"は割れてるからね? 【冬嵐】家の本家筋でもない借り物の力しか使えないおじさん?」
――どれだけ挑発されようとも、『止まり木』でその意味や心理や狙いすらをも分析するリュグルソゥム家は、怒りに任せて罠にハマることとは、裏を掻く以外では無縁である。
既に『長女国』に仕える身ではなく……その故に彼らは魔法戦士であって魔法戦士ではない。
それはつまり。
「所詮は、数と連携で手数と時間を稼いでいただけでしたね、ご苦労様です」
「さぁ、【エイリアン】のみんな? 張り切って、元気いっぱいに行こうねー!」
――リュグルソゥム家はたった4人で戦っているのではない。
キルメが【狂化叫喚】の技能を発動させ、さらに【狂化煽術士】の力によって周囲の"命素"を――【魔法学】の信奉者達には未だに正確には理解されていない要素――渦巻かせる、と同時に、吹雪を突き破り凍土を踏み固め砕けた氷柱の合間を縫うように走狗蟲達が【おぞましき咆哮】と共に突っ込んでくる。
すかさずそこにダリドとミシェールが、戦闘の中で命を落とすか重傷を負って仮死状態となって死に瀕しているナーレフ軍魔法兵達から徴収した【紋章石】を利用し、広域の【耐寒】魔法を発動。
――それが"人間"に対しても効果を及ぼすのであれば、多少、術式をいじれば、同じように【エイリアン】達にも強化魔法は適用されるのである。
さらにルクが【アケロスの健脚】を走狗蟲達に、【カイルシアの剛健】を戦線獣達に次々に、順繰りに詠唱。たとえ【竜】の力をその裏に秘めた極寒の氷獄であっても、凶猛とすら言える闘争本能によってその身を駆けさせて"氷鬼"達に喰らいつき、連携による破砕を試みる。
と同時に次々に回り込み、【氷】から【氷】に飛び移るハンダルスの逃げ場を確実に潰していくが――。
「化け物どもめ、だが【冬嵐】家はよぉ、"化け物退治"なんてもんは慣れてるんだよォッッ!」
ハンダルスが手をかざす。周囲に【氷】と――その内側から【竜】なる極寒の気配が渦巻くや。
大雪崩れを避けるために集団詠唱によって隆起した【土】の高台が、侵食せる極寒の凍土と四方八方の氷柱によってあちこちが地割れ氷割れたその狭間に引っかかるように斃れていたナーレフ軍とエスルテーリ家の魔法兵の、その亡骸達がパキパキと凍てついてゆく。
体表もその内側も、そしてその体内の【魂】さえもが霜に覆われたかと思うや。
次の瞬間には、一切合切の血の気が抜けたる青灰色の――まるで幽鬼のような、凍った死体がそのまま動き出したかのように、ゆらりとぎこちない動作で次々に起き上がった。
「死霊術……ではないな」
「取り憑いたってこと? 『氷獄の守護鬼』達が……?」
「違う、キルメ! ――これが本来の『氷獄の守護鬼』なんだ!」
――『止まり木』における議論と結論が、そのまま現世における一家4名の顔つきを緊張に凍らせる。
「ただちょっと見た目がグロテスクで意味不明なだけで、頭顱侯様の右腕の魔法戦士様が! ビビるかってんだよぉおッッ!」
魔法兵達の亡骸は、ただ単に【血】と【魂】を――雄山羊に寄生した『半氷竜』に食らわれただけではない。そのガワを『氷獄の守護鬼』達に"再利用"されただけでもない。
当初の動きこそぎこちなかったが、それも十数秒ほどの間のこと。
まるで、元の力をそのまま蘇ったかのように――彼らは【魔法】を放ってきたのである。
火弾の斉射によって走狗蟲が燃え上がらされ、攻勢が挫かれる。
亡骸ではあっても実体としての"肉体"を得た氷の屍鬼達は、まるでかつてのよく訓練された精鋭・熟練兵の如くに隊列を組み、他の「素」のままの氷の鬼達と連携して、エイリアン達の連携に抵抗を開始したのであった。
剥き出しの氷体ではなく、曲がりなりにも兵装と鎧に覆われ、さらにそこに魔法による加護も備わる。さらに、砕かれても周囲の【氷】から再構成される無数の氷鬼を伴い、自らもまた砕かれようとも再生することのできる――精強なる魔法兵団がそこに出現したのであった。
エイリアンの群れに相対するに、このような、痛みを感じずに無機質に戦い続けることのできる幽鬼達は、相性戦という次元において決して不利ではない存在。
――だが、リュグルソゥム一家は、それぞれ微妙に感情は異なるものの、まるで彼らの主がそうするかのように、あるいは彼らの父祖達がそうしてきたかのように不敵に嗤った。
「自分が操っているわけでもない力で、本当によく吠えるなぁ」
「本当だねー。これぐらいなら、『止まり木』で戦り合った時の方がずっと多かったからね?」
「――我が君、ご心配されることの無きよう」
「"種"は、とっくに割れてますから……おや?」
それぞれに心話を口にも出すように呟きながら4名が散開、した次の瞬間。
深山の中腹から、用事を終えて全速全力で――赤々たる生命力そのものの象徴と呼ぶべき【血】を【虚空渡り】の反動によってその全身から撒き散らしながら―― 一陣の血風となって駆け上がってきた吸血種の少年が。
続いて、何十体もの表裏走狗蟲を引き連れた"夢追い"の2老人(半エイリアンまろび出し形態)が飛び込んできたのであった。
「引っ込んでてよユーリル。リュグルソゥム家の"見せ場"なんだからさ?」
「うるせぇよ、暴れ足りないんだ! ちょっとは俺にもっと戦わせろ――イライラして頭がどうにかなりそうで仕方が無いんだよッ!」
***
マクハードが、ハンダルスという、自称【冬嵐】家当主ゲルクトランの"右腕"から渡されたものは、まるで極北の氷海やら氷河やら一切の極寒を詰め込んだかのような青紫色の液体であり――曰く、特別な【血】であるという。
……それを飲むことで、【冬嵐】家の秘密の一端を示す特別なる力を得ることができる――という。
そしてもう一つ渡されたもの。
それが、まるで"鬼"のような――人間のようで人間よりもずっと凶悪な化け物の小さな氷像であった。それは常温でも溶けることがなく、触れれば今にも動き出しそうなほどにおどろおどろしい存在であったが、何のことはない、【北方氷海】の"災厄"たる「氷の鬼」と伝え聞く存在そのもの。
――【冬嵐】家が声をかけてきた時点で、彼らがどのようにこの【四季一繋ぎ】に干渉しようとしているのかを、マクハードは早々に見当がついていた。
折しも、ロンドール家が始動しようとしていた計画の概要を共有する身である。
自らの価値が【血と涙の団】をコントロールし、ハイドリィが望むタイミングで蜂起させるためのものであると熟知していたマクハードは、故に、ハイドリィの計画を狂わせるため――そして、自身の望みを成してロンドール家の軛から旧ワルセィレを解放した後に、せめて"交渉相手"を、もう一段上の存在とするべく、あえて【冬嵐】家の誘いに乗ったのであった。
その年に、【冬司】が宿るはずであった『雪うさぎ』を"氷の鬼"で冒し。
自らもまた、時が来た際に【氷竜の血】を飲み干すことで――全てを横から掻っ攫うために。
『手前は本当にツいてる。それを飲んで、本来の力を発揮できるのは普通は本家の方々だけなんだが――はっは、裏技みたいじゃねぇか? 【冬】っていう、デューエラン家の血筋以外の媒介が手に入れられれば、本当の本当に――喚び出せちまうかもなぁ?』
――ハンダルスの言葉を信じたわけではなかった。
また、ハンダルスが自分が成功すると信じていた……とも思わなかった。
何故ならば、【冬嵐】家の――もっと言えばロンドール家の悲願を利用しようとする者達にとっては。
むしろ【冬司】を暴走させてロンドール家が"無茶"をする、という状態に持っていくことさえできれば、そこで目的は9割達成できたも同然だと、マクハードは読み切っていたからである。
『エスルテーリ家の失態を利用してギュルトーマ家を追い落とす……その構図をそのままロンドール家と【紋章】家に適用する、てことこそが【盟約】派とか呼ばれている"雲上人"様方の狙いだった、てわけだよ――俺はそのダシだ。わかるだろ?』
【冬司】を屈服させようが、敗れ去ろうが、どちらでも良かったのである。
エスルテーリ家とギュルトーマ家を嵌めようとするあまり、ハイドリィが無茶をして、自らが目論んだ以上の被害を周囲一帯に出させることができれば、それをこそロンドール家の責任として――【継戦】派を率いる【紋章】家をこそ糾弾する。
それこそが、彼らの狙い。最初から、ロンドール家に悲願成就の目も、芽さえも無かった。
最初から標的は【紋章】家だったのであるから。
≪だから"梟"はこのタイミングで撤収した、てわけだな。だが、マクハードさんよ――どうして、それをわざわざ俺に聞かせた?≫
『聞かせたくて聞いてるんじゃない。お前が――』
だから、自分が、【冬嵐】家の"秘匿された力"に適合できるかどうかは……大いなる"余興"に過ぎない。それでも、それは紛れもなく天から与えられた絶好にして格好にして最大なる好機に他ならなかったが。
……だが、如何なる巡り合わせか。
"貴婦人"様と対話もできていない半端な【涙の番人】でありながら、しかしそれでも――【四季ノ司】の一角である【春司】をその身に宿した挙げ句、自分とは異なる構想をぶち上げてくれた存在が。
元【涙の番人】ではなく、商人として――【紋章】家による征服の日まで、旧ワルセィレで生きてきたのと同じ年月を生きてしまった、そんな自分の心をくすぐった青年が。
異形の魔獣どもを率いる【魔人】こそがその正体であった、全くの想定外にして全てを引っ掻き回し続け、凌駕し続けてくれている存在が、現れたのであった。
『勝手に聞いてやがるんだろうが? 聞こえちまうんだろうが? 半端な【涙の番人】がよ――だから、試してやるのさ? この俺が"先達"としてな』
無論、これはオーマに対する"罠"である。
マクハードは己の選択の結末を天に運に委ねたわけではない。あえて"裏話"をオーマに聞かせたのは――彼に、これが【四季一繋ぎ】の力を巡る決戦だと思わせるためである。
何故なら、あと1つだけ。
【春】の力をオーマから奪い返さねば、【四季】揃って【泉の貴婦人】に相対することはできないからである。
だからこそ、このように強調すれば――たとえどれほど異形にして異質な、見たことも聞いたこともない化け物どもを率いていても、それでもマクハードの視るところ確かに「人」であり「人間臭い」としか思えないこの青年は、必ずや、ハイドリィの【奏獣】を警戒してかずっと文字通りの奥の手の内側に隠したままの【春司】という札を切ることだろう。
そして、その時こそ、自分がハイドリィから奪い取ることに成功した【ロンドールの奏で唄】を指揮棒によって奏でる時なのである。
(ラシェ坊主にあそこまで肩入れした。あんたの人情深さはわかっているんだ――俺の"過去"が流れ込んだだろ? 俺の"願い"が、流れ込んだだろ? 自分がそれを凌駕できる、もっといい夢を本当に見せてやれる、と思い上がってくれ。そして俺を屈服させるために――あえて【四季ノ司】様達の領域で、この俺に挑め……!)
しかし、この時点でマクハードは、2つ読み違えていた。
一つは、オーマが既に【竜】について識っており、あまつさえ彼の手札には【竜の氷】に対抗できる者が居たこと。
そしてもう一つは――。





