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0190 ナーレフ騒乱介入戦~雪山の戦い(7)

 凍れる【泉】を窺う白雪と氷雪の境の上。

 双剣の【竜人剣士】と双(つい)の【呪歌戦士】が動いたのは、【冬司】の戒めが解かれたその瞬間であった。


「いと猛々しき海帥は強敵(とも)(たたか)う勇士を言祝ぐッッ! 老師が(ほむら)を照らす道理が海底(うなぞこ)を照らすに能うか問うものなりィィィイイアアアッッ!!」


 空間を揺さぶる、まるで爆音の汽笛を搔き鳴らしたかのような轟咆(ごうほう)

 舞い狂う粉雪とも異なる"蒸気"の塊を全身の防具の隙間から噴き出し、瞬間白煙に覆われた"巨漢"デウマリッドが、その巨体からは想像もできぬほどの豪速で突貫する。


 巨大な質量と暴力であるが――竜人(ドラグノス)ソルファイドは正眼にして心眼の構えを崩さず。(ふた)つの火刃を縦二文字に閃かせる。

 【息吹き斬り】が火竜剣の(ほむら)を纏い、赤熱した斬撃が雪煙を切り裂きながら、【呪歌】を伴った咆哮と共に迫るデウマリッドを迎撃する。だが、その瞬間に不可思議な現象が起きた。


 轟く咆哮から生み出された、空間そのものを揺さぶる衝撃波が【息吹き斬り】と触れた瞬間―― 一帯からおよそ【火】属性を含んだあらゆる"力"が散らされ(・・・・)たのである。当然、【息吹き斬り】に宿っていた【火】の気もまたかき消される。

 その余波たるや、離れた地で飛び舞う一ツ目雀(キクロスパロウ)やナーレフ軍の兵士達からすらも【火】属性を奪い去る衝撃波であったが――。


「【塔焔竜(ギルクォース)】の"名"はただの(・・・)【火】ではない」


「ははははぁあッッ! いいぞぉおオオッッ!!」


 【火】は散らされた。だがそれは――言わば【竜の火】に寄せられた(・・・・・)伴火(ばんか)の如きもの。

 『火竜骨』を成す【塔焔竜ギルクォース】の直系たる双剣『ガズァハの眼光』と『レレイフの吐息』の赤熱はいささかも衰えることなく、むしろその本来の(・・・)煌めきを取り戻したかのように紅蓮に赤熱し――氷を踏み割り、吹雪の砲弾もものともせず、まるで常温中に取り出した『万年雪』の如くに全身から潮気(しおけ)た蒸気を鎧った"巨漢"による破城の衝撃と激しい金属音を打ち鳴らすように正面衝突した。


 質量と、そしてデウマリッドを鎧う推力に任せた人外じみた突撃が、そのままソルファイドを十数メートルも後方に押し込むが――竜人(ドラグノス)の体術の根幹はその"尾"にある。先祖返りと呼ばれるレベルで発達した尾と、両足の3点の支えに裏打たれた強靭な体幹により、ソルファイドは押し込まれつつも一切姿勢を崩さない。


 そして眼帯越しにデウマリッドを捉える【心眼】が閃くや。

 【息吹き斬り】の効果が現れ、咆哮の如き【呪歌】を斬り(・・)祓ったのである。


 すると、『属性障壁茸(シールダー)』によるものを範囲でも威力でも遥かに上回る「散らし」の力そのものが失せ消え、散らされていたはずの【火】の魔素達が急速に巻き戻され――寄せ波の如く、さぁーと辺りに舞い戻ってくる。


「俺の【呪歌(うた)】を斬り捨てちまうだとッッ!? 竜人(ドラグノス)よッッ"力"だけじゃなく"技"も大したもんじゃあないかぁぁアッッ!」


 "巨漢"の陽気なまでの調子とは裏腹。

 白雪を焼き飛ばすかのように壮絶な火花が飛び散り、辺りには【雪】も【氷】も寄り付くことのできぬ凄まじい鍔迫(つばぜ)り合いが演じられている。【竜の火】だけではなく、咆哮が切り捨てられた影響によって、【火】属性が再び巻き戻り――ますます赤熱するソルファイドの双剣が放つ火気によって、足元の氷までもがみるみる融解していっているのである。

 ソルファイドは、あえて【息吹き(ブレス)】を吐かずに、腹の底に溜めてそのまま馬力に変えている――つまり【竜】力をも総動員して、ガリガリと押し込まんとするデウマリッドの剛力に対抗している。


 片や"巨漢"が構えた得物は無骨な鉄塊とでも言うべき双槌であったが、競り合う双剣の赤熱が徐々に伝ってその両手に大火傷をさせる様子が無い。

 むしろ、その熱気がデウマリッドに届いたかと思われるや――最初に突撃してきた際に全身の鎧の間から発された"潮気た"蒸気が、再度猛烈な勢いで噴き出した。


 手甲や籠手の合間だけではない。

 胸当てや肩当てといった防具の隙間という隙間から、強烈な"(いそ)"の香りがする白煙を噴き出しながら――オーマがもしこの場を直視していたならば『石炭を補給された暴走機関車』に喩えるが如く――ひと息、ふた息でソルファイドをさらに何メートルも押し込んでいってしまう。


 そして、ソルファイドの後方は【泉】である。

 このまま押し込まれ、厚さがどれほどであるかはわからないが――それでも双方これだけの火気と熱気と蒸気を噴出している状況では、凍れる【泉】の上にまで押し込まれて不利なのは己の方であろう。


 故に、ソルファイドは手札を切る。


「"力"ではお前の勝ちだな、"巨漢"。だが、これならどうだ? ――出でよ『焔眼馬(クレオン)』!」


 【竜火】とその伴火が入り交じる。

 ソルファイドの中で――およそ【人世】に【火】として知られる(・・・・)力が、それに分類される(・・・・・)力が、まるで内なる魔素と内なる命素から絞り出されるように練り上げられ、それは燃え盛る火焔の魔馬を象って、ぶわりと蒸気を吹き飛ばすように現出する。


「――霊獣(アヤード)ッッ? いやッッ違うなぁァアこれはッッ!」


 【火】によって形成され肉の生身を持たぬ『焔眼馬(イェン=イェン)』にソルファイドが名付けたるはクレオン=ウールヴ。

 招来され現世にねじ込まれた数百キロ分の質量と重量――を擬する【火】――のままに、クレオンがデウマリッドの腹に紅蓮の【蹄撃六連】を叩き込み、蒸気と腹当てに阻まれて致命打にはならないものの、怯ませることには成功。

 そこに生まれた隙を突き、ソルファイドが火剣で鉄塊の双槌を弾き飛ばす、と共に巧みに"尾"で衝撃をいなしながら反動を転換するように跳躍。苦し紛れにデウマリッドが放ったアームハンマーを蹴り飛ばしつつ、大きく飛び退いたクレオンの炎の(たてがみ)を素手で掴んで、軽快な体捌きでその背に跨って腹を一蹴り。


 引き絞られ放たれた矢のように、ひと息で十数メートルにも達する魔馬の跳躍。

 背後から、追いすがるような【呪歌(ほうこう)】がクレオン目掛けて叩きつけられるが――同じ手を二度は食わないとばかり、ソルファイドが、今度は完璧なタイミングで【息吹き斬り】を合わせたか。


 初撃とは異なり、【火】の魔力が吹き散らされる寸前に斬り捨てられる咆哮(じゅか)

 斯くや、妨害を回避したクレオンがそのまま雪上の氷上を、瞬きする間に何十メートルも跳び駆けて、潮臭い蒸気を噴き出す"巨漢"との距離を大きく引き離した。


 まさか逃げるのか? と一瞬怒りに震えそうになったデウマリッドであったが――すぐにソルファイドの意図を察したようであった。

 

 あたかも、ソルファイドが『攻守交代だ、次はお前が「突撃」を受け止めてみろ』と声にした幻聴を聞いたかの如く。闘志を燃やして爆裂の哄笑を上げ、両脚を広げて、大地にどっかりとのしかかり踏みしめるような大股の体勢で身構えた。


「海帥は互するを好むッッ! 海帥は向かう荒波にはだかる意思を好むッッ! かかってこいッッ!」


 その意気に応え、あるいは意気をぶつける心意気はソルファイドもまた同じ。

 故郷で、日々魔獣達を討伐してきたものとは異なる――武を(くら)べ合う心地よさを、かつての里の同胞達との快き日々をどこか思い出しながら――(きびす)をとって返す。


「それでこそ我が強敵(とも)に相応しいッッ!!」


「おおおおォォォオオオオおお!!」


 熱閃と咆哮。

 空景(くうけい)を歪めるほどの熱量と共に紅い残像を残しながら、【竜火】と【伴火】が相乗する灼熱の騎馬武者が"巨漢"の戦士に向かって重加速を成し、灼撃と蒸撃を以て最正面からの激突に至った。


   ***


 ナーレフ軍"本隊"の防衛陣が【冬司】と、そして異質の魔獣(エイリアン)と交戦し、またソルファイドとデウマリッドが激突した頃。


 雪山に至る中腹にて"夢追いコンビ"ことジェミニ=ゼイモントとヤヌス=メルドット率いる表裏走狗蟲(リバースランナー)の部隊もまた『氷獄の守護鬼(フロストガード)』との闘争を繰り広げていた。


 氷晶によって形成されたるその胴は人よりも硬く厚い。

 だが、概ね(・・)人の形を成し、二足歩行を前提とした大型の猿か人のような動きをしてはいるものの――身体の内側に内臓であるだとか、神経であるだとかを持たず純なる【氷】であるため、人が持つ急所そのものが、真の意味では存在していないことは打ち合う中ですぐにエイリアン達には理解される。


「わからんな、こいつらが"人形"……【像刻】家の彫像兵(ゴーレム)みたいなものだとして、どうしてイチモツ(・・・・)まで模している必要があるのだ?」


「俺がわかるわけないだろうが! ――試しに集中攻撃で砕いてみたようだが、悶絶した様子もないな。ダメだこれは」


そういう形(・・・・・)の【魔獣】と割り切った方が楽だな。砕く方が早い」


 足爪による【爪撃】から、強靭なる下腿による【蹴撃】。

 "十字"を成す牙による【咬撃】ではなく、全身を使って当て身の後、絡め取るように引き倒して叩き壊す。表裏走狗蟲(リバースランナー)達は【群体本能】で以て、交戦の開始から十数分経たずにこの"新敵"達に対応しており――。


「ほっ! はっ よっと……! はは、どうだメルドット!」


 ゼイモント=ジェミニが掛け声と共に――同時に走狗蟲(ランナー)部分の口から唸り声を発しながら――人体部分(・・・・)の手に持った(メイス)を振るって氷鬼の眉間を叩き割ったところであった。

 既に「半人半エイリアン」としての複雑な身体をほぼ乗りこなし(・・・・・)ており―― 一般的な走狗蟲(ランナー)が得意とする前方宙返りからの縦軸の回転の勢いを載せた頭上からの足爪による斬撃の軌道をその状態で(・・・・・)敢行。ぶらんぶらんと揺れる「半人」部分の上体が奇怪な遠心力のままに槌を振るうに任せての一撃である。


「無駄口を叩く暇があったら、とっととこいつらを"粉"に変えろ! これ(・・)が終われば我らも――旦那様に"新たな力"を、秘跡を授けてもらえるのだからな!」


 メルドット=ヤヌスもまた同じである。彼は「人体」部分の片手に大鉈、もう片方の手に短槍であったが――「走狗蟲(ランナー)」部分の飛び跳ねるような軌道に沿って、一見でたらめにそれらを突き出し、氷鬼の行動を掣肘。即座に側面から他の表裏走狗蟲(リバースランナー)の一撃が入る。


 ……そしてこの二人だけではない(・・・・・・)

 【群体本能】により、そして【共鳴心域】によってフィードバックされたその感覚が、その経験が、他の様々な森と山の野獣達に扮している他の表裏走狗蟲(リバースランナー)達に同じ戦法を取らせる。

 元より、生身の「エイリアン体」が、硬く冷たい氷の破片にぶつかれば貫かれ引き裂かれる"脆さ"であることは変わらないのである。ならばむしろ――「半獣半エイリアン」の如くに部位を、四肢を、爪を突起を角を骨をまろび(・・・)出させ、遠心の軌道によって四肢よりも多い四肢にて叩き打つことのできる部位を増やすべし。


 だが、ひとえにそれは"時間稼ぎ"である。

 幸運にも、ゼイモントとメルドット達の姿を見ないままに、極寒の中で眠って一種の仮死状態に陥ってしまった【血と涙の団】の団員達を「血を流させずに(・・・・・・・)回収せよ」という主オーマの指令を忠実に守ってのもの。


 押し包むように群がり襲い来る氷鬼達を、まるで数百の"(あし)"を持つ縦横と伸縮が自在の一個の生命として次々に(はた)(はら)うように寄せ付けず――そうする間に"第2陣"より1基の要害城壁獣(メガリスビースト)が飛来。

 したと認識された数秒後には、凄まじい轟音と辺りの小さな木々であればまとめてなぎ倒すかのような衝撃と共に雪山の中腹に着弾し――城壁獣(フォートビースト)が抱きかかえていた『氷属性障壁茸(アイスシールダー)』が一帯の【氷】属性を根こそぎ、一時的に阻害・消失させたのであった。


「……さて。旦那様は、ラシェ坊主がそっちに向かっているから回収して迎えろ、と仰せだが――」


「なぁ、おい。こいつは――」


「……あぁ。【血】の匂いだな?」


   ***


 自分は疫病神か、はたまた悪辣なる死神にでも魅入られたのだろう。

 執政ハイドリィの"懐刃"レストルト=ミレッセンは『猫骨亭』からの選抜部隊を引き連れ――飛来した"隕石"によって雪の中の肉塊と血の染みに変貌したミシュレンド(成れの果て)を尻目に、つまり見なかったことにして、ラシェットという名の貧民の少年(ガキ)を追っていた。


 ――あえて手出しをしたり、攫ったりするわけではない。

 何故ならば、エリス=エスルテーリ指差女爵がどこに消えたか(・・・・・・・)を、何としてでも彼の口から割り出さねばならなかったからである。


 【おぞましき咆哮】が、鳥とも獣とも猿ともつかぬ身の毛もよだつ叫喚が、まるで吹雪の中が異界に繋がったかのように響き渡っていることへの困惑は根深いが――それはそれ。

 【魔獣】の討伐は魔法使い(専門家)達の仕事であり、無理をする必要はないし、ましてやしてはならない(・・・・・・・)


 だからこそ"得意分野"にして"任された仕事"を着実に果たさねばならぬと考え、ラシェットを追ったミシュレンドを静かに追い、その最期を見届けつつも――沈着であれ、冷静であれと己を奮い立たせていた。


 数が多くないため、ここぞという場面でしか使うことを自分にも部下達にも許さなかった【イシェウーヴォの姿喰らい】という、隠密のための魔法が込められた【紋章石】を使用している。

 これは禁術である【闇】属性ではなく、【空間】属性でも【光】属性でもない、【活性】属性と【崩壊】属性の複合による特殊な術式。

 【悪喰】家のフィルフラッセ家から【紋章】家が買った(・・・)技であり、魔獣の鼻(・・・・)や知覚すらをも誤魔化すことができる。ヘレンセル村で【春司】の動向を監視する際に、その効果があの水準の魔獣に対しても効いていることが実証されたため――この場面でも、自分達は難を逃れることができる、とレストルトは判断しているのである。

 

 今こそ、予定通りではあったが、またとない、エスルテーリ家の"処分"の好機だったからである。

 予定外に生き延びてしまったエスルテーリ家軍を、【冬司】との争いのどさくさに紛れて亡きものとする。執政ハイドリィには、ミシュレンド辺りについては働き次第で取り込もうという考えもあったようだが……忠烈なるレストルトは内心で同意はしていない。

 その意味では、このどこから湧いて出てきたかもわからぬおぞましき魔獣達の存在は、それと争うように暴れる氷の"鬼"達の存在は、むしろ都合が良いというぐらいの感想しかない。


 エスルテーリ家は当主を喪って尚、この地の安寧のために勇敢に戦い、そして惜しくも魔獣達との壮絶な闘争の中で散った……それで"物語(口封じ)"としては完璧であるはず、完璧であるべき、なのである。


 ――ラシェットとかいう少年(ガキ)が【騙し絵】家の技としか思えぬ【転移】魔法を発動させ、エリス指差女爵を、何処かへかき消えさせてしまうまでは。


(【騙し絵】家の力を……あんな"枯れ井戸(才無し)"ガキが持っている、だと? 一体どういうことだ、それでは話が全く変わってしまう)


 全くその兆候など無かった。

 【騙し絵】家は、執政ハイドリィとの交渉と取引の結果、ヘレンセル村の『魔石鉱山』へ向かったはずであったが――密かに『眼』として"才無し"を利用していたか。


(『墨法師』どもの"入れ墨"に、騙されていたのか……? "入れ墨"無しでも"才無し"を【転移】魔法の基点に仕立て上げる技が開発されているとすると――)


 問題は、【春司】を巡るギュルトーマ家との駆け引きの中で、生贄にしたはずのエスルテーリ家……【奏獣】の裏事情(・・・)を知るエリス指差女爵を押さえられたことであった。


 確かに、事が成った暁にはロンドール家は【破約】派へ属するという約定ではあった。だが、それは【奏獣】がその性質上、『長女国』内の"荒廃"に影響を与えて他家への圧力とすべき力であることから、自ずと王家と結びつく体制側である【盟約】派と敵対せざるを得ない宿命のものであるということも大きい……仮に裏で取引をするとしても、それは充分に【盟約(彼ら)】派に自分達の存在を示してからであるべき。


 それ以前に証拠(・・)を押さえられてしまうなど――。


(最悪の場合は【紋章】家が……糾弾されるぞ? そうなれば、【紋章】家は自ら襟を正す(・・・・・・)ために――(しわ)を伸ばすだろう。クソが……!)


 無論、伸ばされて消される(・・・・)"(しわ)"が誰であるか、レストルトには今更言及する必要などない。

 彼は既に、ハイドリィ=ロンドールとその父の野心に、己の栄達を賭けた身であった。

 ――"堅実"ヒスコフのように、"才有り"でありながら自らを「一般人」であるなどと謙虚さを装い、戦場から逃げ帰って尚……他家に召し抱えられる「余裕」があるような者に、この渇きのような焦燥がわかるはずもあろうものか。


 ただでさえ、汚れ仕事をして鼻つまみの扱いを受けるような者が――ナーレフのような勃興しつつ思惑が渦巻く場では非常に"重宝"されるとしても――仕える家を次々に裏切りまがいに見切って見捨てて変えることなど、容易ではないのもまた一面の事実。

 望むと望まざると、持たざる者には、否、それどころか才も無ければコネも金も無かった者には、選択肢が最初から無い。レストルトは、結果的にエリスを取り逃しかけているという(あるいは既に遅きに失しているかもしれないが)ハイドリィ=ロンドールの尻拭いに邁進せざるを得ない。


 斯くして、せめてラシェットという"尻尾"だけでも掴み、せめて後の交渉を有利にすべく多少でも情報を吐き出させねば――と。


 ――そのように思考していたがために、レストルトは、氷の鬼達でも【冬司】の眷属でも、そして異質にして異形たる凶獣どもでもない、異なる感知能力(・・・・)を備えた存在が自身を監視していたことに気づかなかった。


 まるで何かに導かれるように、確信するように白吹雪の中を小さな身体で駆けるラシェット。

 その後背を捕らえ、舞い狂う氷雪の向こう側――おそらく【血と涙の団】が凶獣どもに襲われているであろう――にたどり着かぬうちに仕掛けることを企図する。だが。


「ッッ!」


 殺気と、むっと辺りに漂う【血】の気配に、ほとんど反射的に横に飛び退くレストルト。

 直後、彼がいた位置と、そして逃げ遅れた2名の部下を串刺し(・・・)にするかのように、音もなく頭上から高速で飛来・急降下してくる――。


「【血】の"杭"――! 吸血種(ヴァンパイア)……だと!?」


 呻くと同時にほとんど反射的に短剣を正面に(かざ)すや、激しい金属音と共に【血】の"投げナイフ"が弾かれる。衝撃でレストルトも右腕を短剣ごと弾かれるが、返すように左腕でも短剣を。

 次々に投げ放たれる【血刃】を死力を尽くして切り払い、凌ぐ。

 だが、そうこうしている間に、3名で四方から飛びかかった部下が――ユーリルの両肘と両膝から同時に突き出た【血】の"杭"によって刺し貫かれ、白雪の上に鮮血の泉を作らんばかりにぶち撒け垂れ流す。


 余計なことを、と内心で何度も悪態をつきながらも、レストルトは部下の命で贖った"距離"を取り、ついにその「正体」を表した要注意人物( 梟 の手下)を睨みつけた。


「へぇ……"才無し"の神の似姿(にすがた)にしては、めちゃくちゃやるな」


「――貴様まで現れるとはな」


 散った部下達と目配せ。

 元より"才無し"が、正面から上位の魔法使い――に相当する存在――を相手取ってまともに打ち合えるはずがない。そういう時にはあらゆる詐術を駆使して、誘い込み、騙し討ちとする他は無く……1対1などというのは競技か決闘の世界の"行儀の良い"流儀に過ぎない。

 だが、相手は"技"も"力"も備えた同類(・・)

 ……いや。それどころか、【姿喰らい】による隠密を、ただの"捕食対象"であるという【血】の臭いによって嗅ぎ分けることができるという意味では――れっきとした上位存在である。


「ハイドリィはとんでもない"外れ"だよな。せっかく、あんな力を手に入れたっていうのに――どれだけ足掻いたところで食われる相手が(・・・・・・・)変わるだけだろ?」


「妖怪"梟"の小間使いが、今度は正真正銘の化け物共の小間使いか。とうとう化けの皮が剥がれたな"人食い"め……貴様のことはずっと疑っていた。二度とナーレフに戻れると思うなよ?」


「疑うの遅いんじゃない? それに、元からそのつもりなんてない、こっちから願い下げだ……って言いたいところだけど。それは、俺の新しいご主人(・・・)次第かな」


 意図的な無駄口は、時間を稼ぐため。

 散開した5名の部下が、それぞれの位置につき【紋章石】を構えている。この難敵を相手取って、全員が生き延びるのは難しいだろうが――そんなこと(・・・・・)は暗部に生きる者など百も承知である。何も、吸血種(ヴァンパイア)だけ(・・)が、この闇の界隈で身を立てる者達にとって恐ろしい存在などではないのだから。


 そして、吸血種(化け物)ユーリルが、その突き出していた【血】を全身に回収しながら次の動きに移るのに合わせ――。


「あがあああぁぁぁあッッ!?」


「ぎゃ――ご、カはぁ……ッッ」


「なんだ!?」


 と、機先を制そうとしたその(・・)機先をこそ制されたレストルトが、驚愕する間も無い。

 眼前、合図を送りあった部下達が同時に動こうとしたその瞬間、彼らの足元(・・・・・)の【土】がぐにゃりと泥のようにぐずぐずに崩れ沼のように泥濘んだ――【秋司】の力はここにまでは届いていないはずであるにも関わらず――かと思うや、そこからずぞぉぉじゅぎゃあああという泥土が散るとも肉塊が崩れるともつかぬ「網」が。さながら巨獣の(はらわた)を引きずり出して血と肉の漿(しょう)にまみれさせたまま編んだ(・・・)かのような「肉の投網(・・・・)」としか言いようのないモノが、冒涜的な粘着音と共に、追い込んだ獣を宙吊りに捕らえる吊り罠(ブービートラップ)を臓物によって作ったとしか思えぬ形状と造形を地面から突き出させ、屹立し、次々に部下達を捕縛して絡め取って打ち据えるように戒め叩きつけ、その身を半身まで泥濘んだ土壌に引きずり込む。


 そしてレストルトが、思わず自身の足元(・・)を見下ろした次の瞬間。

 ――肉と臓物ではない(・・・・)、むっと立ち込めるような胃がせぐりあげるような【血】の臭いが吹き出すと共に、それが【血の投網】となって両足に膝に腰に絡みまとわりついて、そのまま彼を凄まじい力によって【土】中へ。


 半ば(・・)しか泥濘んでいない泥土の中にめきめきと、強引に引きずり込まれることで下半身が複雑に折り砕かれる激痛が神経を通って直に脳を突き上げるように直撃し、悲鳴すら上げられぬ振盪(しんとう)の中で彼自身もまた「く」の字に折れ曲がりながら、昏倒し、意識を刈り取られたのであった。


「ちっ……来るのが早すぎだ、裏表(・・)コンビ。もう少しだけ楽しみたかったってのに」


「はっはっは! いや、ユーリル殿、来てくれて助かったところだぞ?」


「旦那様からのご指示を達するには――少々人手(・・)が必要だったところだったからなぁ。お遊び(・・・)の時間が惜しいというわけだはっはっは」


 今まさに、カウンター狙いで全身から【血刃】を繰り出してレストルトを含む6名を諸共に"串刺し"にしようとしていた折である。このところ、文字通りの意味で"踏んだり蹴ったり"――いや、それ以上(・・・・)の目に遭わされていたのである。

 久々に……抹殺しても心の痛まない連中を相手に【血の渇き】に酔っても罰は当たらないだろうに、と思っていたその興を激しく削がれた形。


 ……だが、そのような自身の都合で抗議できる立場や状況でもない。

 深呼吸をしながら――"使命人格"と折り合いをつけながら――戦闘の昂りを鎮め、ユーリルは"夢追い"コンビが、満面の笑みで指し示す方角を見た。


「旦那様は『関所街』を手に入れられるおつもりのご様子だ、そうだろう? メルドット」


「そうだとも。そうでなければ、あの運良く(・・・)我らの姿を見る前に昏倒した連中を生かして使おうなどと思うわけがない!」


「――いや。元爺さん達、それだけじゃないぞ」


 息があるだけでも100名以上もいる【血と涙の団】の生き残り達を、凍死せぬようにここから安全な場所まで運ぶのも難事であったが――そのための(・・・・・)"珍獣売り"部隊の派遣ではあったが――ユーリルは【血】を権能とする吸血種(ヴァンパイア)として。

 とあることに気づき、その故に、オーマがそのように"夢追い"コンビに命じた理由を理解していた。


 今度はこっちが指し示す番だ、と言わんばかりにユーリルが、辺りで重傷を負い、あるいは絶命している『猫骨亭』の工作員達に次々と目線を投げる。それを見たゼイモントとメルドットが――「ほう」「むう」と同時に、顎と額に手をやった。


「血が……」


「これは、食われた(・・・・)、と解釈するべきなのか?亅


 吹雪く氷雪に覆われたのではない。

 ユーリルによって絶命させられた『猫骨亭』の工作員が――流しぶちまけたはずの鮮血の紅と血の気の一切を喪失(・・)したかのように、青白く、まるで木乃伊(ミイラ)の如く急激に痩せ枯れ絶えていたのである。

 その体内から、生気という生気を。

 ありとあらゆる生命力を――内なる魔素も命素も、一切の魂すらをも蒼白に染められたかの如く。


「だが、そうすると疑問があるぞ? ユーリル殿」


「――ユーリル殿の【血】は、食らわれて(・・・・・)いないようだが?」


 同じ疑問の答えを逡巡していたのだろう。

 ユーリルもまた腕を組んで難しい顔をしており――凶器として飛び散らせていた自身の【血】を回収しつつ――「あぁ、それが理由か」と得心するように呟いた。


「……吸血種(俺達)【血】(これ)は、【血】じゃなくて【生命紅(アスラヒム)】だからな」


「まぁ、まぁ、考えることは旦那様や外務卿殿達に任せよう!」


「そうだ、そうだ。そこの戦利品(捕虜)達の【血】だか生命力だかまで奪われ(・・・)ないうちに、さっさと持ち帰らなければな!」


 斯くして雪山中、中腹での交戦は区切られる。

 しかし【泉】を巡る戦いは未だ混迷を深めていく。

いつもお読みいただき、また誤字報告をいただき、ありがとうございます!


気に入っていただけたら、是非とも「感想・いいね・★評価・Twitterフォロー」などしていただければ、今後のモチベーションが高まります!


■作者Twitter垢 @master_of_alien


読者の皆様に支えられながら本作は前へ進んでいます。

それが「連載」ということ、同じ時間を一緒に生きているということと信じます。


どうぞ、次回も一緒にお楽しみくださいね!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 迫力ある戦闘と人物の描き分け。 冷血というか血も凍って砕け散るような凄惨さですね。
[気になる点] 〉イチモツ イ、イチモツが粉々に(ヒェッ) [一言] 肉の投網とからの引きづり込み…多分トロウラーを使ってるのだろうけど落とし穴という単純な罠に使うだけでここまで凶悪になるとは… …
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