0189 ナーレフ騒乱介入戦~雪山の戦い(6)
ハイドリィ=ロンドール。
特筆すべき称号は【栄達の渇望者】。
怜悧そうな切れ長の表情に、事前に評されていた「張り付いたような」ではない"笑み"を浮かべながら、まるで楽団の指揮者の如き指揮棒を振るう、現在の地位に満足すること無い野心ある貴族家当主代理である。
――ヘレンセル村を、関所街ナーレフを、そして旧【森と泉】地域を巡るこの一連の事態を引き起こすキッカケとなったのは、間違いなく彼とその父によるロンドール家の行いであろう。
旧ワルセィレの民を支配下に置き、20年という時をかけて【四季ノ司】達を、己等の兵器とするためにその法則を解き明かし――そして『実践』に至っている。
さしずめ、この【冬司】の討伐行はその総仕上げであり、これまでにばらまいてきた全ての伏線を回収して、【奏獣】の力として『長女国』において名乗り上げるための最後の一押しである。
「やぁ、初めまして。『関所街』のハイドリィ執政」
以前、俺自身の迷宮領主としての力を存分に活用するために、"認識"を弄ることを企図して代胎嚢に入ったこともあったが……臓漿に包まれて射出されるという経験もなかなかのものであった。
あるいはこの俺が、エイリアン達の"造物主"だからかもしれないが――それは胎児に戻ったような感覚と、そして巨大生物に丸呑みされて咀嚼されてその食道を通りながら分解されるような、そんな感覚が入り混じった体験であったからだ。
「――魔人、か。貴様のような、存在までもが……ッッ」
想像してみて欲しい。
見たことも想像したこともない、しかしその機能については否が応でも悪趣味な想像を掻き立てられる冒涜的な造形の、しかも異なる思想ではあれどそこに一定の一貫性が宿った――要するに異質さの"体系"から成るエイリアン達が天空より襲来し。
続け様に、まるでその巨大な"母胎"が曇雲の中に鎮座しており、そこから次々に産み落としたかのような、肉塊と臓物と漿液という固体と流体の混合物的なかたまりが、まるで数十という家畜の群れを丸ごとさらって天空で捏ねてからまとめて放り投げたかのように、次々とぐちゃあどちゃあべりぬちょずちゃあと着弾。
酸気を帯びた、胃液がひっくり返るような臭気をばら撒きながら――その内部から、予想に反して"人間"が出現したのである。
……だが、俺は別に転移装置の事故で蝿と合体していたわけでもない。
相互に接続されている限り、その一切れずつにまで擬似的な群体意識を有する臓漿達は、俺を"吐き出す"際に、装いの裾の切れ間に挟まったその欠片と滑りすらをも取り去るように「本体」側に回収しており――俺の身体には"塊"一つないどころか、むしろ入る前よりも全身が清潔になったような心地である。
そのような、臭気とおぞましき視聴覚と、しかし傷も汚れも無くかえって凛然と見えていたであろう【魔人】としてのこの俺の姿のミスマッチさを目の当たりにしながら、ハイドリィはむしろ、冷静に言葉を返してきたと言うべきものだろう。
ギュルトーマ家謹製の『封印葛籠』を即席の壁とし、指揮棒を操るハイドリィを守るは"痩身"サーグトルと"堅実"ヒスコフの部隊が合わせて30名ほど。
こちらに話す隙すらも与えまいと、熟練の魔法兵に恥じぬ速度で数名が即座に詠唱。
属性障壁茸による属性妨害を予め打ち消す"囮"となる、低消費広範囲系の魔法を先行。それらを"盾"とする形で【魔法の矢】なり【魔法の球】なりを打ち込んでくるが――俺の"護衛"達はその程度では全く止められることはない。
螺旋獣アルファが臓漿を炸裂させるように飛び出す、だけではない。魔法弾をその肉体で物理的に受け止め悪魔的筋力によって強引に掻き消す、と同時に、まだ半ばまで凍てついている臓漿を、体を螺旋にひねるように強引に引き寄せ――広大な投網をぶん投げるかのように、ハイドリィの指揮所目掛けて投げつけたのである。
「あれを近づけるな!」
"堅実"なるヒスコフ――特筆すべき称号は【沈着なる兵略家】と【軍師】。
……中流貴族家の平民出身の兵隊長としては、いささか過剰であり「高評価」とも言える印象を受ける。
だが、想像よりも有能な指揮官であったようだ。
事実、護衛役の城壁獣の数がボトルネックとなり、数と属性を絞って投入した属性障壁茸達であったが――魔法兵や魔法使い達に対する有効性が実証されたものの、同時に、対策を理解された際にその有効性が一気に減ずることもまた実証された。
当然だが、投入した20基で全ての属性を網羅したわけではないのである。
【冬司】の【氷】属性への対抗として【火】属性が、一般的な『長女国』の魔法兵が【西方】の"亜人"達との身体能力差を埋めるために【活性】属性などが多用されるというのはそもそも想定済であったが、それらを妨害しきろうと思った場合は当然、その比率に沿った属性障壁茸の編制としなければならない。
1つの属性障壁茸が1つの属性しか同時に"消失"させることができないことを考えると――しかも消失させる魔力量に対して発動される魔力量が上回れば、当然「溢れた」分が発動されることを考えると、20基には属性ごとに比重をかけなければならない。
【火】属性と【活性】属性が重点的に潰されている……だけではなく、上記の理由から他属性への障壁が薄いことまでもが、看破されるとしてもこの襲撃による混乱の僅かな時間の中でというのは、ヒスコフという指揮官の称号由来の非魔法的能力によるものとしか言えまい。
……だが、大きな問題は無い。
アルファがぶん投げて、まるで化け物のような巨大アメーバ型投網と化した臓漿を、"痩身"サーグトル――驚いたことに本当に称号には【追放されし学究者】と並んで【マイシュオスの再来】があった――の【風】魔法が炸裂して切り飛ばす勢いで臓漿を四分五裂させる。
だが、反撃の【風】魔法を詠唱しようとして、サーグトル以下の「学究者」たる魔法使い達はいずれも驚愕に顔をしかめた。
俺の"杖"たる三ツ首雀カッパーと、第3陣として空中を飛び回る一ツ目雀達による対抗魔法が発動したのである。
「……魔獣どもが【魔法】を……操りよるか……ふふふ!」
さらにサーグトルが【マイシュオスの熱砂風】を詠唱。
【火】属性との複合属性が押し包むようにこちらに吹き付けられようとするが――カッパーの2つ目の"首"が嘶き、これをも相殺する。
――何のことはない。
属性障壁茸の数が足りず、また"比率"の読みの優位が失われたならば、その間隙は"杖絡み"の一ツ目雀達で補えば良い。これを破るためには、物理的な実力で以てこれらの魔法系エイリアンを排除するしかないが……それをさせぬための襲撃であったわけである。
小集団ごとに固まり、決死にして凄まじい粘りを見せるナーレフ軍ではあったが、頭上を多数の超覚腫によって感知され押さえられている。集団指揮に長けたゼータに、飛空戦からの空対地にも対応可能な風斬り燕イータが合流していることで――小集団ごとはおろか、1名ごとに対するクラウドコントロールも比較的容易な状況にはあったのだ。
つまり、ナーレフ軍には現状、こちらの搦め手と魔法戦力を撃破するだけの集中的な白兵戦力の運用が妨げられた状態にある。
それでも殲滅しきれないのは――相手の"大駒"と、そして俺から見た"第二勢力"の存在が複雑に牽制しあっているからである。
ハイドリィの指揮棒が翻るたびに、【夏司】と【秋司】がその能力を発動して俺の眷属達に硬軟を織り交ぜた攻撃を仕掛けてくる。特に『泥濘子守り蜘蛛』の生物に対し眠りを惹起する"神経毒"を、泥顔パックよろしく、触れた皮膚から浸透させて「眠り」に陥らせてくる能力が厄介極まりなかった。
これによって十数体もの走狗蟲と戦線獣が無力化されたたために、総数で劣る【異星窟】の軍勢としては――強引な乱戦からヒット・アンド・アウェイを中心とした対抗に切り替えざるを得ない。
加えて【冬司】が――まだ完全に支配されたわけではないだろうが――ハイドリィの【奏獣】の力に影響を受けているかのように、少なくとも【氷】ではない部分が『雪羊』達を援護するように差し向けてきており、デルタやイオータら"名付き"中心に、予想を超える戦力を差し向ける他は無い。
だが、かと思えば『雪羊』達はハイドリィが他の【司】を奏でている間は、まるで正気に戻ったとでも言わんばかりにナーレフ軍に襲いかかっているのである。
当初の目論見では、第4陣と第5陣の着弾と同時に"名付き"達を一挙に招集して叩き潰すつもりであったが――【冬司】の挙動が、このように見込みと違う複雑さを呈していた。
……しかしそれでも、集団で魔法詠唱を前提として、組織だった行動を取ることのできる「軍勢」に、その軍勢としての集団戦闘をさせない、という最低限の目標を達することはできている。
「くそ……次から、次へと! まだ、来るというのかッッ! "肉塊"どもめ……」
"杖絡み"の雀達が繰り広げる魔法戦の応酬によって稼いだ時により。
アルファの威嚇によって文字通りに一掃された俺の周囲に、そしてハイドリィの"指揮所"の周囲に次々に"第4陣"の制圧部隊を含んだ大玉の如き臓漿が次々に叩きつけられる。
ぶちまけられ――落下の衝撃への"補強"として内部に組み込んでいた城壁獣の「鎧」や爆酸蝸の「殻」などもろとも――拡がると同時に出現するエイリアン達は、俺のように綺麗に現れなどしない。
出現と同時に【強酸】を、まとわりつき口腔内に含まれた臓漿ごと一斉に吐き出す噴酸蛆達。
同時に、アルファの隣に現れた投槍獣ミューが、限界まで射角を付けて引き絞るように首を引き――大地にへの壮絶な頭突きの如くに首を叩き振って【角槍】を豪投したのである。
程よく臓漿の"粘度"と混じった【強酸】が、その混じり具合に応じて空中で"バラけ"た。
しゅうしゅうと周囲の冬気を食い破る焼灼音と共に、粘度の低いものは速やかに、高いものは緩やかに……すなわち多層となって【強酸】が降り注いだのである。
――だが、そこでも"堅実"ヒスコフが即応した。
彼は、それこそまるで上空からの「空襲」には対応経験があるかのように、数秒もない中で最適の選択をした。
致命的な雨のように降り注ぐ"低粘度"の【強酸】に対しては【氷】魔法によって――【冬司】の力の干渉を受けることを厭わず――即席の盾を作り、生身が酷い霜焼けになることを承知で防いだのである。
それでも隙間から、頭から鎧の合間などから降り注いで流れ込んだ緑色の強酸が幾名かに激痛を被らせるが……詠唱中断には至らない。
続く"高粘度"の酸に対しては、防衛の中であらかじめ備えていたのであろう、【土】属性と思しき魔法陣を発動させて対抗してきたのである。雀達の個々レベルを対象とした対抗魔法では、たとえ【浸魔根】の杖によって強化されていても防ぎ切ることは難しく――数十名規模の魔力が渦巻き、指揮所の魔法兵達の足元から【土】の壁が出現、と同時にぬかるんだ【泥】と化して彼らの前面を覆った。
高粘度の【強酸】も、ミューの【角槍】もそれに粘りまとわりつかれるように絡め取られ、勢いを減殺されて防がれ、さらに臓漿が臓物の波のようにびちゃどちゃと辺りにぶち撒けられる。
――『泥濘子守り蜘蛛』の仕業である。
遠方からその八ツ肢の幾本かが、ハイドリィの指揮棒をなぞるかのように振るわせるのを見て、俺はこの【土】の魔獣の本質を改めて理解する。
【冬司】との交戦も含めて、この【泥】を操る大蜘蛛は時間をかけて……一帯の【雪】の下の【土】を、全て自身の操る【泥】の沼に作り替えていたのであった。
あるいは、たった今"掌握"が終わった、とでも言うべきであろうか。
【秋司】でもありハイドリィに操られるその大蜘蛛の魔獣は、指揮所だけではなく一帯の好きな箇所から【泥】を噴出させ、俺の眷属達も『雪羊』も妨害し、さらにはがっぷり4つに【冬雪】と【夏風】をぶつかり合わせる【夏司】を支援するように、『雪崩れ大山羊』の足元を広大な【泥】地に変えてその中に【氷】も【雪】も飲み込み沈める構えだったのである。
だが、この『泥濘子守り蜘蛛』との連携による【土】魔法の発動と、そしてそれをそのまま【泥】の領域に移行させることこそが彼らの迎撃の切り札と見て間違いはないだろう。
こちらの手札を全て見せぬうちに、相手の切り札を切らせたならば上々であった。
――俺がわざわざ"第4陣"に多数の噴酸蛆達を臓漿の中に含み、しかもそれを噴酸蛆達の口の中にも含ませたのは、衝撃対策のためだけではない。
「だが、それはこっちにとっちゃ都合が良いんだよな……出番だ、シータ」
固体であると同時に流体でもある肉塊臓物の"漿"たる臓漿が、第1陣から第5陣までの一連の「空爆」により、辺りを小規模ながらも覆い尽くすほどにぶちまけ広げられた。
しかも、この臓漿達の中には、今回の一件について、この俺の側からの「一石」であった【火の魔石】の粉末が混ぜ込まれており――【雪】と【氷】を祓い溶かすように泥濘ませている。
結果、【雪】と【肉】が入り混じったる即席の「プール」とでも呼ぶべきものが出現。
加えて『泥濘子守り蜘蛛』が一帯を泥沼と化させたことで――【冬】とは思えぬほどに泳ぎやすい状態と化していたのである。
そしてそこから、ぶちまけられた臓漿の中でただ一体、臓物塊の中に身を潜めてじっと息と気配を殺していた――"水棲型"である八肢鮫シータが咆哮。意思持つ生ける悪夢の魚雷となり、さながら潜水艇が意思を持って地上の人間に襲いかかるかのように、8つの触腕状の肢を暴れ泳がせながら猛然と指揮所に突っ込んだのである。
と同時に。
今度こそ充分に、時間は稼がれた。
遥か天空の曇雲の中に揚翼茸達によって描いた【魔法陣】によって【転移】させていた俺の迷宮への"裂け目"が――三度【転移】する。
さらにリュグルソゥム一家が。
分断寸断されたナーレフ軍の小集団を『雪羊』や【泥】の一撃と牽制しあいつつ、バラけていた"名付き"達が踵を返して殺到。
さらに大量の、まるでチューブ状に連結した悪夢の心太(エイリアンVer)の如く"裂け目"から躍り出てきた膨大な肉塊とその中を自在に泳ぐ剣歯鯆と突牙小魚らからなる「第6陣」が地上から上空に向けて逆巻き屹立しつつ。
ずずず、と崩れぶちまけ散らばり拡がり――第3の魔法阻害効果を発揮しながら、ナーレフ軍に降り注いだのであった。
***
これは悪夢だ、とヒスコフは呻いた。
もはや冷静な判断ではなく、ほとんど本能と……そして少しばかり周りよりも運が良かった、という程度の状況判断によって、必死に剣を振るい魔法を発動、させようとして何度も失敗して発動させて、を繰り返しているに過ぎない。
――生命という存在を根底から怖気させる異形の魔獣達の組織だった連携の波状攻撃だけではない。そこに魔法が加わっており、多種多様の凶爪と凶刃が影から襲い来るだけでもない。
それらがまるで一個の生命のように、指揮をする異装の青年――【魔人】と呼ばれるべき存在――を中心に動いているのである。
さながら、人間が物を掴む際に五指を動かすが如く。
人差し指から小指がごく当たり前にそれぞれの最適な位置を取って、当然のように各々の力加減が、事前の相談だとか軍議だとかそういったことすらも不要であると言わんばかりに蠢くが如くに。
ぶちまけられた臓物と泥が入り混じった汚濁の沼の中を高速で泳いで飛びかかってきた十数体の牙持ちが、瞬く間に数名の部下を刺し貫いた。より巨体を誇る――タコのようにうねる触肢だか触腕だかを後半身に備えた海の捕食獣の如き個体が、体当たりで【泥の壁】を突き破った直後のことである。
まるで食い破るように、こじ開けるように"牙持ち"達が殺到して突破し、空からは"羽持ち"達が次々に――"足爪"達を、こちらをあざ笑うかのように放り投げ落として来るのである。
剣と攻撃魔法と、使える者は【魔剣】を詠唱して――燃費が悪いなどと言ってはいられない――金属と魔導の剣戟で持って、この異形にして異質そのものを体現する魔獣達の肉と冒涜の爪牙と激しく打ち合う。
しかし、防御魔法を突き破ってくるかのような激しい衝撃に、一人また一人と打ち破られていく。
それでも奇跡的に即死者が出ていないのは、日々の訓練の賜物であるのか、はたまたなぶり殺されるべきであると何の因果か神々に呪われた結果であるかは知らないが……『泥濘子守り蜘蛛』が【泥】を噴射させて妨害をするも、根本的な解決には至らない。
――魔獣どもに入り混じって、恐るべき"復讐者"達が襲来したからである。
肉と臓物と凶刃、そしておぞましき咆哮が【冬】も【四季】も関係が無いかのように辺りを阿鼻叫喚に飲み込んだその中で、彼らの【魔法】は、いっそ清涼ですらあった。
「ご機嫌よう、ロンドール掌守伯」
「そして、さようなら……と言いたいところですけれど」
「知ってることを洗いざらい、教えてくれたら嬉しいなぁ!」
「できたら死なないように頑張ってちょーだいねー!」
例の『人間の魔法』を放ってくる空を飛ぶ"一ツ目の杖"のような奇怪な形状をした魔獣達と連携するように。
自らもまた【魔人】を取り巻く一群の一部となりながら、【活性】【風】【氷】と様々な属性の魔法を、周囲の魔力を吸う肉塊に妨害されることなく――つまりその一部であると雄弁に物語りながら―― 魔法の奔流そのものとなったかのように襲来してきたのであった。
「りゅ、リュグルソゥム……家……だとッッ……? な、何故――おのれッッ!」
たちまちのうちにリュグルソゥム家の4名が、ハイドリィを守るサーグトルの部隊と交戦状態に入る。だが、相手が高等戦闘魔道士であることを差し引いたとしても、この相手に有利な状況を全て押し付けられたに等しい"戦力差"は、あまりにも隔絶としていた。
――触れる度に、まるで腕萎えや足萎えの【呪詛】にかけられたかのように、魔力がごっそりと吸われていくのである、この肉塊とも臓物とも、はたまたそれでできた粘菌ともつかない蠢く流体は。
牙持つ魔獣も爪持つ魔獣も大概だが……この五臓六腑を1つの粘体に捏ね混ぜて流動させたかのような"それら"が、輪をかけて厄介極まりない存在であると直感したからこそ、絶対に寄せ付けぬようにヒスコフは指示を出していたわけであったが――【魔人】は当初から、"それ"でこの場を満たすことを狙っていたに相違ない。
(【魔人】なんてどう相手にしろと……!? "裂け目"を呼び出された時点で詰んでいる、どうすれば……!?)
数百名いたナーレフ軍はもはやまとまった組織的な抵抗をできていない。
確かにこの魔獣達は、それこそ地表を埋め尽くすほどの数ではない。だが、逆にそれは大氾濫という災害よりももっとタチの悪い事態であることの証左であり――【魔人】の本格的な攻撃などという数百年以来の大災厄――わずかに、周囲で必死に発動される魔法の軌跡や剣戟の気配から、どれほどが生き延びているかを伺う程度である。
だが、そんな状況把握すらも、もはや余裕は無い。
ハイドリィを守るヒスコフ直属と、なんとか血路を切り開いて合流してきた熟練の魔法兵達が相手どっていたのは、巨人とすら打ち合うことのできそうな、異形の四肢を――異様に捻じれた筋肉を――備えた凶獣と呼ぶに相応しい存在だったからだ。
魔剣を振るう部下に支援の魔法をかけつつ、自らも何度泥の中を飛び凌いだかわからない。それでも、その剛腕が振るわれる度に一人が吹き飛ばされて宙を舞い――"羽持ち"達に寄ってたかられて天空まで運ばれて墜死させられるか、"狙撃手"による凄まじい剛槍によって撃ち落とされるのである。
その他も、明らかに他の個体よりも――動きが精緻かつ大胆で暴力的でありながら、統率的である個体が何体もヒスコフの五覚を以て捉えられていたが、今まさに抹殺されるかもしれない中で、情報だけ己の知識に積み重ねることにどれだけの意味があろうか?
(こんなものは戦いではない……! 準備不足とかいう次元ですらない……! くそッ……!)
未知の性質を持つ魔獣が一種類や二種類、という騒ぎでは、ない。
それが十数種類連携しており――しかもそこにリュグルソゥム家という、一指揮官に過ぎない身であっても王都で何が起きたのかの噂は聞き知っていた……【人世】のことを熟知した存在が、『長女国』への復讐心に満ち満ちているであろうことは子供でも想像できる連中が、呼吸どころか鼓動と思考すら完璧に合わせて連携しているのである。
「……良い、良いぞ、リュグルソゥム家よ……! 『属性』に縛られぬ魔法戦とは、やはり……こうでなければぁ……!」
「――しぶといな、"痩身"。【魔導大学】の学者達は、戦場には出せない軟弱者ばかりだって思っていたけれど?」
意外なことに、サーグトルが善戦をしている。
伊達に自称しているわけではないマイシュオスの名の通り、その生涯に数十とも数百とも言われるらしい――正確な数が知りたければ魔導大学にでも通うべきであろう――【風】を中心とした複合属性の技でリュグルソゥム家の4名を部下達と共に相手取っている。
だが、恐るべきはそのいずれも、ヒスコフにとっては致命の技の数々である【風】に見せかけた魔法の数々を看破し、数秒も経たせぬうちに破るリュグルソゥム家の知識と対応力であった。
反撃を受けるたびに部下が散っていくが――サーグトルはそのことを意識しているのかいないのか。否、そんなことよりもまるで知りうる限りの魔法の数々を試すことに取り憑かれたように、理想的な「組み手相手」を見つけた武闘家のように、痩せぎすな表情にハイドリィのそれとは質の異なる凄みを湛えた笑みを浮かべて切り結んでいるのである。
だが……時間の問題であることは明らかであった。
つくづく、デウマリッドとかいうデカ物はどこで何をしているのか、といくつもの悪態をつくヒスコフ。あの漢がいれば、まだ、状況をひっくり返すことはできずとも――いくらかを逃すことができるかもしれない、というのに。
部下がまた一人眼の前でひしゃげ、特殊な護りによってそれなりに硬い『封印葛籠』を壁とした防衛陣が支えきれなくなる。
そうでなくとも、頭上から、群れて狂乱化して死肉漁りではなく死肉を作ることに目覚めた、血に飢えたカラスどものように――『関所街ナーレフ』の日常のように――飛びかかってくる"羽持ち"どもを牽制するために武器と魔法を振るわなければならないのである。
――もはや、限界の一言に尽きた。
ヒスコフは堪らず、最初に現れた時よりもさらに数倍の数の凶獣を取り巻きの如く侍らせ――まるで巨大な犀だか甲虫だかのような見た目をした、城壁すら突撃して崩せそうな衝車めいた巨獣の肩部に、いくつかの絡まり合った触手でできた"輿"に乗せられた高座からこちらを見下ろす【魔人】に声を投げかける。
「俺達を――見逃してくれる気は……無いのか? 【魔人】さんよぉ!」
驚いたことに、返答があった。
「残念だが、それは無理な相談だ、"堅実"なる【兵略家】ヒスコフ。俺はまだ、こいつらのことを知られるわけにはいかないからな」
――そこにわずかばかり、鏖殺という強い決意の中に入り交じる、その決断そのものへの"痛み"が見て取れたのは……果たしてヒスコフ自身の日頃の「勘の良さ」のせいであったのか、否か。
(【魔人】てのは、神の似姿の敵……じゃないのか? なんで、あいつはあんな眼をする……!?)
直後、ヒスコフを穿とうとする【剛槍】が、身を隠していた【泥】の壁を貫き、もう何度詠唱して生み出していたか知れない【氷の盾】を打ち砕いてヒスコフの右肩を脱臼させる。
苦悶に呻いてしゃがみ込みつつ――もう応急の治療術を掛けてくれる部下も僅か――「陥落」と「全滅」という2種4文字が脳裏をよぎり駆け巡って埋め尽くす。
それでもハイドリィが決死に指揮棒を振るう限り、【夏司】と【秋司】の援護が飛んでくるため、総攻撃を食らってはいなかったが……このままではハイドリィは、【冬司】を諦めるだけでは済まなくなるだろう。
既に【秋司】は、凶獣どもにその動きのパターンを読み取られてしまったのか(恐るべき分析速度である)、集中的に追い回され、ほとんど泥の中を這いずり回るように激しく移動しており――その道中道中で『雪羊』達の妨害まで受けて、肢の2本が折れ、1本は千切れかける状態にまでなっていたのである。
さらに支えるには、【冬司】をその竜巻の身体の中に閉じ込めて押さえつけている【夏司】を呼び戻すしかなくなるが……そうなっては、全ての破局であろう。
――しかし、ハイドリィは延命のための破局を選んだようであった。
少なくともヒスコフにはそう見えた。
「戻れ……【夏司】よッッ! 私を守るのだッッ! 【冬司】を解き放て、魔獣同士で喰らい合ってしまえッッ!!」
異形と魔術が交差して文字通りに互いを潰し制圧し合う地獄と化した防衛陣。
そのさらに"外側"で、激しく互いの【季節】を塗り潰し合っていた2体の魔獣が離れ――【冬】が解き放たれる。そして【夏】が、圧倒的な暴風の壁で以て指揮所まで、『封印葛籠』で囲まれたハイドリィの元まで戻ってくる――まさに、その瞬間のことであった。
――ゾクリ、と。
――ぞわり、と。
ヒスコフは凄まじい悪寒が全身を駆け巡り、肩の激痛すら忘れて息を呑んで、辺りを激しく見回す。そして、気づいて見れば【魔人】の青年もまた、ある一方向を――【泉】の方角を向いて、険しい表情をしていた。
――それは酷い"悪寒"であった。
――心胆寒からしめる、という言葉があるが……なお悪い。
この異形にして異質の、とても同じ世界に生きる生物の延長とは思えない、あまりにも異端な魔獣達に対して感じる怖気とも、その悪寒は異なっている。
前者が、未知にして不可解だが、しかしその生物的な特徴や形状の「意味と目的」がわかってしまうことに対する強烈なまでの気味の悪さに対する困惑であるとすれば――。
「ついに来たな、マクハード。それがお前の"取っておき"だった、てわけだ」
【魔人】の青年が向いた先で【氷】の気が、爆発的なまでに渦巻いている。
デウマリッドによって散らされ、撃退されたはずの『氷獄の守護鬼』達が次々に現れ――そしてまた砕けていく。
――その悪寒は。
――その強烈なまでの、外気ではなく人間の内側より生じる"寒さ"とは。
蛇に睨まれた蛙や、鷲に睨まれたウサギが感じる類のものだと、ヒスコフはやっと気づいたのであった。
すなわち、上位者が下位者に抱かせる、本能的な"寒さ"であるということに。
「確か、【火】では融かされない【氷】……だったか。そんでそれが、【冬嵐】家の秘密というわけだな?」
――嘗て、竜が人を支配する時代があったことを、ヒスコフは知らない。
しかし、氷の鬼達が消え、その先に【風】の戒めから解き放たれた【冬司】が。
その一季節限りの宿り先の身体たる『雪崩れ大山羊』であるはずの魔獣が、角を伸ばし、尾を伸ばし、牙を生やし、鱗を生やし――全て氷と氷晶と雪片により形成されている――ている姿を見て、思わず『竜』という語を呟いたのは、偶然ではなかった。





