0186 ナーレフ騒乱介入戦~雪山の戦い(3)[視点:その他]
【夏司】。
伝承では本来『啄木鳥』の姿を取る【夏】の神性が宿れる魔獣は、遥か東に『長兄国』を越え、北東に位置する"3辺境"が一角【浮き谷】より――『旋空イタチ蛇』。
大木の幹ほどもあろうかという太い胴を、緩慢な動作でのそりと這いずり出しつつ……周囲の吹雪の流れを、まるで【風】ごと引き寄せるかのように捻じ曲げ、しゅるしゅると蛇の舌が鳴らす音にも似た「小さな乱気流」をいくつも、胴体の周囲に発生させている。
【秋司】。
同じく元来は『モグラ』の姿を取る【秋】の神性が宿れる魔獣は、遥か西に『氏族連邦』も『黒き森』をも越え、西オルゼのそのまた西に拡がる広大なる【大泥原】より――『泥濘子守り蜘蛛』。
押し込められ随分と窮屈していたであろう、刷毛のように毛深い8本の肢を、縮められていた体勢を解き放つように飛び出してくる。そしてわさわさと、せわしなく8本肢を組み替えながら収まりの良い姿勢を取って屹立するや、足元の【氷】の内側から引きずり出すかのように茶色い【土】を隆起させ――足先から分泌する粘液に浸して「泥の糸」を形成し始める。
イタチ蛇は、その見上げるような大樹をそのまま横倒したような威圧感を周囲に放っており、子守り蜘蛛もまた年月を経た獣特有の老獪な眼光をその複眼に宿している。
それぞれの頭部と腹部には、キツツキとモグラを思わせる痣が刻印されたように焼き付いていることが、彼らがいずれもハイドリィとサーグトルが開発したる新術式――【ロンドールの奏で唄】の支配下にあることを悠然と物語っていた。
だが――2体とも、【春司】を封じていた【ハルギュア中央高原】の『焔眼馬』、【冬司】が現に宿っている『雪崩れ大山羊』と比べ並べたとしても遜色のない"災厄"である。大型種でこそないが、それでも討伐するには一級の魔法使いが何人も出張らなければならない、いずれ劣らぬ凶獣。
しかし、斯様な"荒廃"の象徴とでも呼ぶべき、神の似姿を襲う存在が、まさにその神の似姿達の集団の中に大人しく在り、共に共通の敵性存在に対峙しているということ自体が、『長女国』の常を思えば、あり得ない光景であった。
だからこそ、ハイドリィは「美しい」と呟いて、一時ではあるが"氷の鬼"達が迫る事態にも関わらず、この日とこの光景に至りたる己の努力の結晶に見惚れるのである。
無論、そのような感傷は長続きしない。
如何なる因果か。誰がどう考えても【冬嵐】家がおそるべく干渉を裏で行っていたとしか想像しようがない――【冬司】の内部から、まるで托卵されていた寄生型の鳥類が孵ったかのように湧いて出てきた『氷獄の守護鬼』どもの第二陣が迫っていたのである。
――だが、成り上がろうというのである。
様々な横槍が、如何なる想定の外の妨害が入ろうとも、ここでもはや止まる道は無いのである。
(デューエラン家め……! 私の成果を、父の成果を、ロンドール家の成果を悉く横から奪い去るつもりということだったか……ッッ! 断じて、そうはさせないッッッ)
「万事備えは完了……執政殿、やれるぞ?」
伊達に【風】魔法の大家の再来を自称する者ではないか。
この触発せる戦闘状態の中であっても、自らの興味事……『旋空イタチ蛇』がその身体の周囲に生み出す小さな乱気流を横目に観察しつつ、"痩身"サーグトルは本来の最重要目的を忘れてはいない。
『市衛』からの徴兵組に分けて運ばせていた金属箱を、配下の魔法使い達に検めさせ、下ろして中身を解き放ちつつ―― 一陣のつむじ【風】を巻き起こして、ハイドリィに人の腕の肘ほどの長さの"杖"を飛ばし寄越した。
それは、旧ワルセィレの地で育った最も古いとされる大樹から削り出した柄を備えた『稀銀』製の指揮棒。ただの魔導杖とは異なり、【ロンドールの奏で唄】のために最適化された特別製の焦点具である。
くるくると飛来するそれを宙に広げた五指で確かに受け取り、握りしめ、ハイドリィは己が『内なる魔素』を練り上げ――高揚と、そしてこの瞬間に向けて込み上げたる万感と、病に臥せった父のあまりにも弱々しい姿を脳裏によぎらせながら。
今この時、おそらくは彼の人生で初めて――母が殺されてから――張り付かせたのではない心からの凄絶なる"笑み"を浮かべ、氷海の悪鬼どもを睨めつけた。
「奏でられよ、ワルセィレの司どもよッッ! 私こそが、この地の【血と涙】の行き場を指揮する者だ――【夏】よ、【秋】よッッ! 諸共に、汝らが狂いし同胞をねじ伏せ鎮めよッッ!」
指揮棒の先端に、まるで無数の糸が巻き付くように、仄かな紅色の軌跡が渦を描いて撚り集められていく。
――【血】である。それは、本来はデウマリッドの部下である『市衛』から徴兵された者達が運んできた金属箱の中から取り出された、乾布で巻かれた赤黒い塊から、染み出し流れ出てきているもの。
乾いた赤黒い塊となりながら、しかし確かに――刑場の露と化した、名も記録され得ぬ旧ワルセィレの民の、しかし確かにこの地と絆を以て幾年かの命を生きた【血】が、風に舞う血となりまるで膨大な意思を持つ羽虫の"流れ"となるかのように指揮棒によりて渦巻かれ――純然たる【魔素】へと還りながら、ハイドリィが【ロンドールの奏で唄】と名付けた魔法という形の超常を織り成す。
そして、心身より全能感が溢れ出るままに、ハイドリィが数度大きく大きく大仰に、幾筋かの大字を描くや。
イタチ蛇と子守り蜘蛛に焼き付いたる、『キツツキ』と『モグラ』の紋様が、淡い薄緑色と茶黄色に輝き、彼らの双眸もまた同じ色に瞬いた。
そして、それが"始まり"の号砲であった。
長大な鞭を幾本も同時に大気に叩きつけたような烈風音と共に、【夏司】こと『旋空イタチ蛇』の胴の周囲を渦巻く乱気流の全てが人間の頭ほどの"空気塊"に膨張。
と同時に――その1つ1つの乱気流塊がイタチ蛇の胴を持ち上げ、イタチ蛇もまたそれらに身体を預けるように、ぐにゃりと長大な胴を滑らせたのである。
1つ1つの乱気流は正確には「乱れて」はいない。
そうであるように見えていずれも――射出方向に対して、押し出すように乱回転しているのである。イタチ蛇はそのような"旋毛"の気流達を複数同時に持ち上げられるように乗りこなし、それだけではなく高速回転する空気塊達の間を「縫う」ように体躯をくねらせることで、数秒経たずに最高速度にまで加速。
その身をあたかも、立体的な蛇行軌道を成す「螺旋形の槍」の如くと化し。
蛇行機動のまま豪速で"射出"。
千々の旋風を衝撃波と化して撒き散らしながら、【氷】を取り込みながら、最前列を再構築させようとしていた『氷獄の守護鬼』達に突っ込んだのである。
その柔軟に曲がりしなる弾力的な蛇体をこそ――豪速の槍と化して屹立させるかの如き一撃は、【西方】の丘の民達が繰り出す超大型の攻城弩にすら匹敵する威力。
魔法的な防護が無ければ、巨石や巨木の類はおろか城壁すら打ち砕く【風なる貫突】の一撃である。
果たして、再構築されて再形成途中の【氷】は脆くも砕け散るしかなく、氷鬼達の頭部だ胴体だ、四肢だといった"氷片"が大小様々に倒壊。だけではその勢いを殺しきれるはずもなく、余波は後列後陣にまで及んで瞬く間に数十が重たい雪を巻き込み回せるように――"旋毛"風に巻き込まれながら弾き飛ばされた。
――それだけではない。
イタチ蛇が雪片も氷片もごた混ぜに派手に噴き上げ舞わせながら【貫突】するその影に付き従うように、ずずず、と【秋司】こと『泥濘子守り蜘蛛』が大地を滑るように突き進んでいる。
氷上を滑っている、のではない。
その刷毛のような8ツ肢から放たれる魔力により、氷雪下に埋もれていた【土】が湧き出ており……まるで【秋】と【冬】の"温度差"によって、氷が融け混じって泥濘んだかのような【なみなみたる泥道】を形成。その上を、ある種の水上を滑る虫のように、子守り蜘蛛がずずずと一気にイタチ蛇に追いすがるかのように距離を詰める。
そして次の瞬間、子守り蜘蛛は8ツ肢のうち前方の4つを振り上げるや。
氷上に引きずり出され形成されていた【泥道】から、粘度の高い液体が細長い棒でかき回された後に「後を引く」かのような粘性の"糸"を紡ぎ出しており、前脚を振り上げる勢いと共に前方に繰り出したのである。
果たして、氷鬼達の陣中に飛び込んだイタチ蛇は、まるで周囲に生み出された無数の乱気流の上を次々に飛び移るが如く暴れ狂いながら次々に氷鬼達を破壊していたが、砕かれたりとはいえ鋭利なる氷片。
再形成されるのではなく、まだ動く氷鬼達は、その身を氷刃そのものと化して次々にイタチ蛇に突き立とうとしたところを――次々に【泥糸】によって絡め取られ、勢いを殺されてぼとぼとと落下して、そこまで広がってきた泥濘みにハマってしまうのである。
「"凍れ"の罪業深きは略々たる大海がうねりを止める事也ぃいあああああアァァァッッ!」
そして、完全に氷鬼達が、その破片までも動きを止めたところにデウマリッドの【呪歌】が叩きつけられ、粉々に砕け散る。
――緒戦は"完封"と言って良い。
【四季】の属性は互いを上書き合う。いかに【冬司】がその権能によって【冬】で辺りを制圧しようとも、同じ土地に複数の季節が同居することはできない。
特に、本来であれば今は【春】であり、【冬】は終わっていなければならない――もっとも優先順位が低い。この意味では【春司】を"奏でる"ことこそが最上ではあったが、最低限、勝手に暴れられるよりは「いないもの」である方が都合が良いと言えば良い。
――制圧することが、できている。
そしてハイドリィの"奥の手"であった……父グルーモフの「拾い物」の中でも、もっとも使い所を考えなければならなかったデウマリッドが、当初予想した以上の大活躍を見せていた。
(『名付け得ぬ』蛮族どもの中でも、『名を与えられた』とかいう、特級の"厄介者"――まさかここまで役に立ってくれるとは……父上め、貴方は、なんという慧眼だったのでしょうな。【冬嵐】家め、見たかッッこれが私の天命だッッ!)
単なる"はぐれ"を狩り、撃退しているに過ぎない【冬嵐】家とは根本から異なる。
【北方氷海】という領域で、自らを「兵民」と称するその蛮族達は、『長女国』が形成される遥か以前から――『氷獄の守護鬼』達と殺し合ってきたと伝え聞く。その力だけでも圧巻であるところ、この【氷】の悪鬼どもが拠り所として図々しくも寄生していた【冬】の領域を【夏司】と【秋司】が祓い続ける限りにおいて、彼らは手も足も出すことはできずに文字通りに最後の一欠片まで粉と砕かれる運命にある。
「ハイドリィ! ――来るぞ!」
応急処置が終わったのだろう、腹を押さえながらヒスコフが呻くように――斜め後ろ、【泉】を取り囲む"斜面"のうち、最もナーレフ軍に近い1つを指差した。
ギロリとその方に"笑み"を向け、ハイドリィが上半身だけでその方向を振り向き、指揮棒を向ける。その動きに合わせて、イタチ蛇と子守り蜘蛛もまたその方に緑と黄に輝く双眸を鋭く向ける。
「わかっていますとも……デウマリッドは『氷鬼』どもにトドメを! 『魔法兵』部隊から1班だけ護衛に出よ、ヒスコフは残りを指揮して私の周囲を護衛! 集団防御魔法であの"大雪崩れ"を減殺し、受け流すのだッッ! ここからが正念場ッッ!」
単に優先度が最低であるだけで、領域を奪い返すことができない、という意味ではない。
【夏】と【秋】に奪われたる領域を取り返すべく、また同時に更に強烈な【冬】をもたらすべく――【冬司】が大掛かりな攻勢を仕掛けてくることは、想定の内である。
ヒスコフが部下に命じて感知させているまでもなく、その程度はこの地の「願い」を吸ってきた"神性"の行動をハイドリィとて読むことができる。
(そのまま私の"願い"を叶える道具となるがいいッッ)
デウマリッドと魔法兵のうち足の早い数名が繰り出し、前線で暴れる"神性"2体と入れ替わるように、氷鬼達と最前線で交戦を始める。
その様子を尻目に、ヒスコフの号令下、エスルテーリ家から合流した者を含む百数十余名による集団詠唱――魔法の才が無い者達は【紋章石】を利用した【魔力増幅】【魔力制御】【魔力浸透】などの術式を織り交ぜながら――によって、まさに数十秒が叩きつけるように迫りくるであろう大雪崩への【対抗】術式を象り始めていた。
――斜面を、まるでずるりと、山ほどもある果実が熟れすぎてその皮がまろび破れえぐれ、中身がこぼれ出るかのように。
最前最下の際を破壊的に崩れ巻き込むように山上から爆降下してくる"大雪崩れ"ではあるが、備える時間は十二分。
だが――全てを濁流のような白と銀と灰と雪瀑布の重然たる"飛沫"の中に押し潰し包みながら破壊的に迫る大自然の脅威は、並の者はおろか、訓練を積んだ兵士や戦士であっても、己が身のちっぽけさを思い知るべきものであろう……『魔法兵』と呼ばれる者達を除いては。
「サーグトルよ、私の"痩身"よ、【血と涙】を守れッッ!」
「来るぞぉぉおおお! 備えろッッ!」
「「「応ッッ!」」」
雪華繚乱、などという言葉ではその破壊性を表現するには難しいと言えるほどの暴力的なる、山が崩れ丸ごと滝となって落とされてきたかのような長い衝撃が、横十数メートルにも及ぶ重雪の波濤となって叩きつけられる。
地響きが轟いたかと思うや、大量の氷雪が"大雪崩れ"を成し、周囲の木々も氷をなぎ倒し巻き込みながら、土砂石をも巻き込んだ質量の暴力となってナーレフ軍を巻き込まんと横合いから殺到してきた――その寸前。
大地からガツンとぶん殴られ、突き上げられ跳ね飛ばされるような衝撃が数百名の兵士達を襲う、が、彼らは既に【土】属性魔法【不倒の大地靴】を帯びており、転倒はおろかその足が大地から離れるわずか指先1つの隙間すらも離れることなくぴたりと付いたまま。
――ロンドール家及びエスルテーリ家の連合部隊の"陣地"全体が、重厚な衝撃と共に半径数十メートルに渡って揺れ、隆起したのである。
まるで、大地に潜っていた【巨亀】が、這い出て立ち上がると共にその甲羅を持ち上げたかのよう。
それはわずか数メートル分の【大地隆起】ではあったが――しかし、破壊的な氷雪の津波をやり過ごすには余りある。最も衝撃と巻き込みが深い箇所とは、大地とすれすれに接している地平面なのであり――しかも、ヒスコフは【氷】属性によって、この隆起した雪中の中島の如き"船"の先頭に「舳先」を形成させていたのである。
これが、斜面からの激しい落下によって流体めいた性質を帯びていた"大雪崩れ"の先端を切り裂いて左右に分け流し、衝突して滞留した荒れ狂う雪塊どもが「上側」へ流れようとしたことを阻止したのである。
――それは、さながら雪の洪水を受け止める堤か、大規模な分水嶺の如くか。
無論、こんなものは【冬司】からの挨拶であると誰もが承知している。
だが……数百名の集団詠唱を合理的に、効率的に、魔法の才の乏しい者すらも【紋章石】を使わせて術式の強化に折り込むことができれば、斯くの如し。
【魔剣】のフィーズケール家の殲滅兵器と比べても――多少劣る程度の大規模・広範囲の戦場魔法を現出させることが、できる。
これこそが【紋章石】という技術を、驕ることなく軍編成に取り込めば――ここまで成し得ることが、できるのである。
――おそらくは死を覚悟していたのだろう。
エスルテーリ家の面々、村長も従士長も新指差爵も、ロンドール家軍の魔法兵の練度がここまでと想像していなかったに違いない。急造の連携であっても、彼らの存在が邪魔になることすら無い。
元より、エスルテーリ家などはその気になれば討伐は容易であったのだ。
ただ、政治的にそれが厄介であったということと――ギュルトーマ家を釣り出すための"餌"としての価値が高かったために、彼らの望む通りに【深き泉】への道を守護らせていたに過ぎない。それが、彼らの立ち位置に過ぎない。
だが、今はエスルテーリ家の「処分」を考える場面ではない。
ハイドリィとヒスコフが承知しているように、【冬司】を打倒する戦いの"本番"はここからである。
「【大地靴】を解けッッ! 散開して、周囲から這い上がってくる魔獣どもを迎撃するのだッッ!」
双角に四つ足。
北国の童が雪をこねて作り出したかのような氷雪の体躯を、膨らむ綿毛のような雪でできた体毛に覆ったかの如き【氷】属性の魔物どもが、大も小も委細問わずに異彩の如く、ばらりばらりと周囲の雪景色の中から次々に湧き跳び出でてきたのである。
たちまちのうち、大雪崩れを避けるための"船"は、押し寄せる魔獣を迎撃するための「砦」にその役割を変える。
既に十分な強化魔法や補助魔法を事前に十分に受けていた兵士達の防御は堅い。
砕けたガラス片のように鋭利な双角を突き出して突入してくる"雪の羊"達に対し、魔導杖から生み出した【魔剣】によって逆に魔法の槍衾を浴びせ返した後に、内側で詠唱していた者達が【火】属性の各種攻撃魔法を連射して、押し寄せる第一陣を粉砕するように撃退する。
それでも、周囲の"雪崩れ"の全てが変化したかの如き無数の雪羊達は、まるで寄せては返す波のごとく、砕かれる側から【氷】の魔力をまとって再生……あまつさえ分裂しながら密度を増し圧迫してくる。
無論、この程度の単調な突撃だけならば、あと半日でも難なく持ちこたえられるだろう。
――だが、そうした雪崩れのような波状攻撃ですらも、時間稼ぎであろうとヒスコフは考えた。
押し寄せては粉砕される"雪羊"達の向こう側。
【泉】を挟んだ反対側で、急激に魔素と魔力の流れが渦巻き収束するや。
喩えるならば透明な巨人の童が、興奮しながら乱暴に雪だるまでも叩き作るかのような凄まじい勢いで、周囲の銀雪を根こそぎ練り込みながら、急速に膨張成長するように巨大化していく雪塊が出現。
明らかに存在感も、そして質感そのものすらも周囲の"子羊"達とは次元が異なっている「それ」は、徐々に湾曲した氷の双角を備えた雄山羊の姿を象っていくが――。
だが、そこでハイドリィの指揮棒が振られる。
豪にして轟。
瞬発的に膨張させた乱気流に乗って空中へ飛び上がっていた【夏司】と、その胴に【泥糸】を引っ掛けるようにして引き上げられることで"大雪崩れ"を回避した【秋司】の2体が、【ロンドールの奏で唄】に合わせて雄山羊に狙いを定めたのは、その瞬間のことである。
圧縮された空気を高速で回転させることによって発生する、凝集された瞬旋音をばちばちと爆ぜさせる、と共に再びその蛇身を「槍」となる【貫突】を敢行せんと、乱気流にいざなわれるように立体機動で以て雄山羊に自らを"射出"。
ずどん、と大地を穿つかのような衝撃と共に、形成されかけていた雄山羊の眉間に突き立ち、貫くが――。
「いけない、早すぎたか……!? 守れ、【秋司】よッッ」
ハイドリィとイタチ蛇が想像したよりも遥かにあっけなく、ぼろぼろと雪の塊となって砕けたるは、雄山羊――【冬司】の罠であったか。
あえて表面を【氷】のように透き通らせてみせながら、その内側はすべて、湿気を大量に含んだ重く粘度の高い【雪】の状態であり――蛇身の槍として【貫突】したイタチ蛇は、ずぼり、とその深度の深い【雪】の中にあまりにも深々とめり込み過ぎてしまったのである。
湿った重く分厚い【雪】に受け止められて吸収され、一時的にイタチ蛇の"勢い"が途切れたその瞬間。彼を包む周囲の雪という雪という雪という雪どもが、瞬時に硬化し――まるで【氷】の牙が無数に生え揃い並ぶ顎と化して、まさに噛み砕こうかという瞬間。
ハイドリィの指揮棒に従い、支援行動に出た子守り蜘蛛は既に【泥糸】をイタチ蛇の胴に絡みつけ。
微細なる【操糸術】により、その乱気流の勢いをも利用して、全身を大地ごとひねるように回転させることで、強引に【雪】の中から同胞を引きずり出したのであった。
やわく疎らなる【雪】の胴体の中に高密度の【氷】の牙を生やし、力任せに"噛む"という芸当を成した【冬司】こと"雄山羊"であったが、そのような無茶は当然、形成しかけの身体を再び雪と氷の砕けた塊に自壊させたのである。
それでも、周囲にありあまる氷雪から再び『雪崩れ大山羊』としての身体を再構築することは容易であったが――二度同じ手を食うことを許すような【夏司】たる『旋空イタチ蛇』では、ない。
体勢を立て直しつつ、イタチ蛇が、より強い"旋毛風"を数倍にも生み出して、その身に纏い始めたのである。しかし、彼が繰り出そうとしているのは【貫突】ではない。
対峙せる、雪塊と氷塊に砕けたはずの雄山羊は、まるで周囲の雪片と氷片の一個一個を"種"となして、それを急激に膨張させることで身体再生を図るが――対抗するように【風】の魔力を急激に蓄え始めたイタチ蛇を見て、ハイドリィがヒスコフに「一斉攻撃」の檄を飛ばす。
応じたヒスコフ麾下の魔法兵部隊が【魔法の矢:火】を斉射。
【冬司】の再生しかけていた氷雪の身体を実に3分の2も吹き飛ばしてのけるが、そこで、それまでは魔法兵達の陣取る「高台」に押し寄せていた雪の羊達が一斉に向きを変えたことに彼は気づいた。
雪の羊達が目指すは【冬司】。
飛びつくように、飛びかかるように、彼らは崩れた雄山羊の頭部に降り注ぎながら――あるいは互いに衝突し、あるいは集団で共食いするかのように、雪も氷も水分もが一つの塊に融合してゆく。それを阻止せんと、さらに魔法兵達が次々と属性魔法を打ち込んでいく。
「おい、執政! あいつら固まる気だぞ!」
「小癪なことだッッ! 消し飛ばせ【夏司】よッッ!」
果たして"時間稼ぎ"についてはナーレフ軍に軍配が上がる。
『旋空イタチ蛇』が、まるで風船と化したかのごとく、元の蛇体など見るべくもない膨張した「球体」にまで膨らんでおり、膨大な【風】を先に溜め込み終えたのだ。
そして――その蓄え押し固め圧縮して高圧下で限界まで溜められた力と魔力の全てを解き放つかのように、頭部から胴体の半分までもが血飛沫をぶち撒けながら"裂け"るほどの「大口」を開き、ありとあらゆる旋風と旋空と"旋毛"の【風】を解除。
その分の魔力をも注ぎ込んだ――【風】の波濤とでも呼ぶべき【颶風の吐息】を解き放ち吐き出したのであった。
それはもはや、【風】と【氷】の、【夏】と【冬】の全面衝突に等しい。
片やを"大雪崩れ"と呼称するならば、もう片やは"大風崩れ"とでも呼ぶべきであるか。
イタチ蛇の膨張しきった身体から吐き出されたる颶風は、一塊に再結合しつつあった雪羊達を突き破り叩き壊しまとめて捻り練り捻じり吹き飛ばしながら、幾条もの乱気流めいた破壊の嵐を屹立させ――体内の全ての【風】を吐き出したことで"イタチ"程度の大きさにまで縮んだ蛇が一匹。
まるで川を遊泳するウナギのごとく、竜巻の中に身を躍らせている。
だが、解き放たれた颶風は、ただ単に再び雪片や氷片を飛び散らせるのが目的ではない。
最初の失敗を繰り返す【夏司】ではなく、この颶風はわずかに水分と――そして【秋司】の【泥】と、さらには【冬司】の【雪】をも含んだ"粘り気のある風"として構成されていたのである。
斯様なる「颶風でできた大蛇」が、その中を移動する小さな"イタチ蛇"の意思に沿って――さらには指揮棒の振りに合わせて踊るように激しくのたうち回り、【冬司】の身体を構成していた雪塊と氷塊を内側に閉じ込めていた。
否、それだけではない。
いわば【風】の"檻"となり、閉じ込められた【冬司】を周囲と遮断。その分体である雪の羊どもを含めて、新たな氷雪の侵入の一切を跳ね除けて寄せ付けず、遠心力と颶風の暴威を以って、さらに細かな結晶にまで粉微塵に吹き砕いていく構えとなったのである。
「いいぞ……いいぞッッいいぞッッ! 【冬司】をこのまま弱らせろ、抵抗力を完全に奪うのだ……! このまま削りきれるぞッッ!」
「――ハイドリィ執政! まだだ、焦るな、まだ"雪崩れ"が来るぞッッ!」
「……ぐゥッッ!」
ヒスコフを含め、麾下の観測・感知役に徹している魔法兵達の表情は険しい。
彼らは皆、理解しているのである――このたった一度の"大雪崩れ"で、終わりではない、と。【冬司】を構成する氷雪は、ごく単純に……まだまだ、この"何倍"もあると考えて間違いがない、ということに。
【夏司】は、その全力を以てして、数分の1を拘束したに過ぎないのである。
その事実を思い知らされ、ハイドリィは歯を壮絶に食い縛るが……。
「馬鹿どもめ……"一部"でも、十分過ぎる……おい、ヒスコフ。貴様はやっぱり、まだまだよ……執政殿。構わず【奏で】てみろ……!」
――ピシピシと。
それは、最初の"大雪崩れ"などが単なる余震の類としか思えないほど大規模かつ広範囲に渡るものであった。
より離れた位置の斜面で発生している、無数の小枝をまとめて折るような、氷がひび割れるような音が、数千数万と輪唱の如く鳴り響き始めている。それら音が、こんな場所まで届いてきているのは、果たして【冬司】がその力を誇示してわざと聞かせているものであるのか否か。
だが、サーグトルは委細構わずこの状態で【ロンドールの奏で唄】を再度発動するようハイドリィに迫り――まだ完全なる【冬司】の屈服が成っていないというのに――逡巡するハイドリィを睨みながら、ヒスコフは数名の部下に、【泉】の方面で氷鬼達と戦っているであろうデウマリッドを呼び戻させる指示を下したばかり。
しかし、そうこうしている間にも、さらに強力な大雪崩が。
今度は左右から、挟み討ち潰すかの如く斜面を、白い飛沫を上げながら再び、三度と滝落としてくるのが見えた。
――そのそれぞれの雪崩の最前では、「雄山羊」の頭部が象られては、地面に巻き込まれて土石と綯い交ざって崩れて復活することが繰り返されながら、猛然と大波となって押し寄せくる――。





