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0184 ナーレフ騒乱介入戦~雪山の戦い(1)[視点:その他]

 【四季ノ(つかさ)】を巡るロンドール家の野心の始まりは、今より15年以上も過去のこと。


 【ゲーシュメイ魔導大学】の追放者サーグトルが前執政グルーモフに拾われて後に――【風】属性と思われる(・・・・・)不可思議な「魔獣」が発見されたことであった。


 一説には、その興りは古代の超帝国時代にまで遡るとされる『創始冠名ノ制』とは、新たな魔法の術式を生み出した者の名がその術式を表す言葉につけられる【魔法学】上の慣習であるが……【風】属性と他の属性の複合(・・)の研究で名を残した『マイシュオス』という【風】魔法使いがいた。

 このマイシュオスに深く傾倒し、その複合属性理論を淵源として『属性分類不要論』という"異端"に染まっていったのがサーグトルという"痩身"の魔法使いである。


 『風乗り啄木鳥(きつつき)』或いは『風呼び啄木鳥(キツツキ)』と呼ばれたこの小さな【風】属性を備えた魔獣が、旧ワルセィレ地域において決まって春から夏の移り変わりに現れることに着目したサーグトルが、寝食すらをも後回しにして研究に打ち込み。

 何年もの観察と調査と、そして旧ワルセィレの民を相手にした"実験"によって、確信を深めた一つの事実。


 それが、旧ワルセィレという領域における【四季ノ司】と【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】からなる"四季信仰"と呼ぶ民間信仰は「事実」である、ということであった。


 サーグトルにとって、あえて『属性分類論(教条主義者)』風に解釈してやるとすれば、【春】属性だとか【秋】属性だとしか言いようのない現象が、まるで泉の上で大気が移ろい、地域一帯に流れてくるが如くに、季節の移り変わりに応じて(うつ)ろうのである。

 そして、その年その年で微妙に変化することはあれども――決まってそのタイミングで、討伐対象にならないレベルの弱小な魔獣が、その季節に対応する属性を帯びた魔獣が到来するという事実と、旧ワルセィレの民間信仰で語られる一節一節の符合が確かめられたのであった。


 【春】にちょうちょう。【夏】にキツツキ。

 【秋】にはもぐらと、【冬】に踊るはゆきうさぎ。


 当時(・・)はまだ、掌守伯として真っ当にこの地域を治めようと――要するに『晶脈』のネットワークを旧ワルセィレに構築しようとしていたグルーモフであった。

 折しもロンドール家に対する締め付けの一環として主家【紋章】から放たれた陰謀により、彼の妻すなわちハイドリィの母が謀殺された翌年のこと。このサーグトルの"発見"から、旧ワルセィレにおける魔法類似(・・・・)の力……すなわち13頭顱侯に至る階梯が見出されたことが、父子(おやこ)の復讐心と野心に静かな火を灯したのである。


 時は流れ、成人したハイドリィに代替わりしたる関所街において。

 旧ワルセィレの民と【四季ノ司】の間における、魔法的な、魔法類似的な特別の繋がりが確信され実証され、その利用法(・・・・・)が検討される中で、関所街の地下に構築されていたブロイシュライト王家による『晶脈石』は起動されぬまま。


 まず【春司】が姿を消し、次に【夏】が、そして【秋】が姿を消した。

 ――そして【冬司】を捕縛しそこね、暴走させてしまったのが2年前のこと。


 これらの"封印"行為は、いずれも【紋章】家の下で長年争ってきたギュルトーマ家の【重封】の力を借りたものであったが……宿敵の力を借りたことは、ただ単に【四季ノ司】を支配するだけではない意味が込められている。

 封印は封印として、それとは別にギュルトーマ家をこの一件に関与させること。

 彼らと、【冬司】が逃げ込んだ【深き泉(ウルシルラ)】への道を塞ぐエスルテーリ家を結託するように仕向け、『ロンドール家の不正を暴く』という餌によって釣りだして、逆に追い落とすという罠だったのである。


 アイヴァン=エスルテーリ指差爵が反旗を翻したことで、計画の実行は5年ほど遅らされたものの。これは逆に、自らその地位を降りて()頭顱侯となったギュルトーマ家という難敵を攻略するための糸口を提供するキッカケとなったと言っても過言ではない。


 斯くして、自立後の派閥入りも見据えた【騙し絵】家との水面下での調整も進みゆく中で。

 【四季ノ司】を強大な魔獣(・・・・・)に宿らせ、それを旧ワルセィレの民からかき集めた「血と涙(ねがい)」の力によって操り。

 "均す"のではなく"崩す"という、『晶脈』ネットワークを通した逆向きの負荷をかけることで……『荒廃』現象をも奏でる(・・・)という、【国母】ミューゼの高弟達の継承者という起源に真っ向から反する行為によって、『長女国』の急所を押さえようとする【奏獣(そうじゅう)】の力の獲得が目指されたのである。


 なお、取り逃がした『雪うさぎ』が【深き泉(ウルシルラ)】まで逃げ延びて……宿り先として与えられた魔獣『氷河の角山羊(グラシアルゴート)』から、『荒廃』によって発生しうる魔獣の中でも【氷】属性の脅威として、100年に一度級の災害として知られる『雪崩れ大山羊(アバランシェゴート)』へと進化・変異したことについては、当初は"想定外"とされたものの――自らの上位存在たるはずの【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】を支配までしたことは、ロンドール家にとってはむしろ奇貨であった。


 【冬司】と【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】と、エスルテーリ家とギュルトーマ家と、そして【血と涙の団】という複数の問題を。

 さながら快刀乱麻を断つが如く、一挙に、一度に"解決"する方程式が成立したというわけである。


 ――ただし、この計画変更には重大な前提が存在する。

 それは【冬司】を、『雪崩れ大山羊(アバランシェゴート)』の"力"という強大な魔獣と入り混じった土着神性の"力"を、ロンドール家の力だけで御す必要があるのである。


 無論、ハイドリィと彼の配下達もまたそのことを重々に承知している。

 そのために(・・・・・)、必要十分な"戦力"を確保し、さらには【血と涙の団】という文字通りの「補給物資」までこの雪山(せつさん)に伴ってくることができるという望外の成果もあったわけであるが――。


 もしも、彼我の戦力の"測定"がその前提から覆っていたとすれば、どうであろうか。

 【冬司】が"今"宿っているのが、本当に(・・・)雪崩れ大山羊(アバランシェゴート)』であるなどと――あるいはだけである(・・・・・)などと、一体、誰が保証していたのであろうか。

 

   ***


 これは何の冗談だろうか。

 視界をも、そして頭の中をも覆う強烈な寒気の中、【血と涙の団】副団長ハーレインは必死に剣を振るっていた。


 弾丸のように降り注ぐ(あられ)が腕を身体を打ち付けて集中できない。

 突き刺さる抜き身の刃のような冷気と寒気が気力と集中力を奪う。

 ただただ吹き(すさ)ぶ冷気と寒気が、まるで【冬司】の恩寵がそのまま、【森と泉(ワルセィレ)】の子らであるはずの自分達を――呪うかのように反転・逆転して突き刺さってくる。


 ――そこにあるのは無機質で、拒絶されたかのような恐慌であった。

 何せ、その襲い来る"存在"達は、一言も発さず(・・・・・・)に群れを成して迫りくるのだから。


「マクハードさん……! 後見役(おやじ)殿! どこへ、どこへ行ったんだ……!?」


「畜生、なんだこいつら(・・・・)! 何なんだ、この【氷】の化け物(・・・)どもは!」


 周囲でも同じように団員達が得物を振るい、混乱しながらも、生きるため必死に戦っていたが――【四季ノ司】様達に自ら捧げるのではない、望まぬ【血】が奪われ続けるかのように次々と傷ついていく。

 隊列も隊形も、あったものではない。

 付近の雪の中から(・・・・・)、突如として逆さ氷柱(つらら)の如く突き出した人間大の氷の塊。その内側から(・・・・)、まるで雛鳥が殻を割るようにして、氷を割り砕いて現れたのは、人間……のような形(・・・・・)をした二臂二脚の"鬼"としか形容のできない存在だったからである。


 その体高は、おおよそ人間の1.2倍。

 異様に長く、そして盛り上がった両腕と両足。胴体。そして局部(・・)――とだけ表現すれば、まるで未知にして裸体の蛮族が現れたかと思うだろう。


 だが、この"鬼"達は皆、その指先から頭髪からつま先まで、全てが【氷】によって形成されているのである。

 さながら、彫刻家が、その妄想上の凶猛残忍な蛮族――"亜人"ですらない――を氷の中から削りだして出現させた、ただ単に1つ頭2つ腕2つ足があるという共通点を除けば、全く人間からはかけ離れた「化け物」の像どもが、意思を持ち、その視覚的に込められた残虐性のままに暴れ出したかのよう。


 距離にして4時間は先行していたナーレフ軍に置いていかれ、雪の山道の途中で自らのペースで進んでいた【血と涙の団】の団員達の()から、そして周囲(・・)から。

 この氷々(ひょうびょう)たる恐怖、身体活動と心臓の冷的な"停止"という死への恐怖を具現するかのような「鬼」達は、次々に出現したのである。


 10体や20体ではない。総数(・・)がいくらかもわからないが……若き団長サンクレットが「囲んで手足を壊せ!」と怒号を放っていることから、300名の【血と涙の団員】よりは少ない(・・・・・・)ことがかろうじてわかるのみであるか。


 だが、そんなものは希望的観測でしかない。

 【冬司】(雪うさぎ様)に見捨てられ放り出されたかのような、視界を白く塗り潰す吹雪の中で、濁った灰色のようなこの「氷鬼」達の影は――次々に吹雪の向こう側から、際限なく、そこに雪か氷さえあれば現れて(・・・)くるかのように思われたからである。


 幸いにして、それこそ、ハーレインは自分で何を喩えているのか意味がわからないが、この"鬼"達は「氷の彫刻のように」動きが緩慢であり、鈍重であり……まるで目に見えない幼子が人形の手足を無理矢理動かしているかのように、ギシギシと、ピキピキと、自身のその氷の身体をひび割れさせながら四肢を振るって殴りかかってくるのである。

 そのため、見た目に反して衝撃には弱い。

 剣を鈍器のように叩きつけ、あるいは"ひび割れ"を貫く要領で、ハーレインは周囲の団員達と互いの距離感をはかるために声を掛け合い、抵抗を続ける。


 ……だが、この戦場で、この修羅場で、マクハードがいつの間にか消え失せていたことが、ハーレイン達の恐怖を増大させていた。

 "氷鬼"達の襲撃の直後から、隊列の最前にサンクレットらと共にいたはずの彼の姿も、形も、声も様子も気配さえもが消え失せていたのである。

 

 あるいは不意の一撃で殺されてしまったのか。


 【血と涙の団】の団員達が、関所街を出入りする大小の密輸団や商団の隊商などを襲うことができ、また時には駐留軍の小さな分隊を有利に奇襲することができたのは、決してそれが、ハイドリィが差配する"餌"であったからだけではない。

 【四季】の恵みによって、ごくささやかではあるが、そのささやかさが生死を分かつ助けとなってきたからである――たとえば旧ワルセィレの領域内の雪道には足を取られない(・・・・・・・)など。


 その全てが失われた中で、ハーレイン達は、経験したことがないほどの戦いにくさを感じており、それがこの未知の敵に襲われているという恐怖を増大させている。


「だ、だめだ……! 【火】が効かない……なんでだ!」


 悲鳴と喘鳴が木霊する。

 "横流し品"の【紋章石】のうち、万が一にもナーレフ軍と【泉】で敵対して戦闘になった場合に備えていた「虎の子」が通用しないのである。

 一時的にでも周囲の【氷】も吹雪も吹き飛ばすこと、それを篝火となしてバラバラになった団員達を結集すること、この"鬼"どもをひるませることなどを企図した乾坤一擲であり、ハーレインにとっての一縷の望みでもあったが。


 ――確かに粗悪品であるため、魔力の暴発のようなものではあるものの。それでも、まさか【火】魔法を浴びたまま(・・・・・)溶けずにその氷体(ひょうたい)を保ちながら、襲いかかってくる【氷】の化け物など、想像の埒外であった。

 自然法則に反している、と誰しもの脳裏によぎっていた。

 【四季】を信仰して生きてきた旧ワルセィレの民であるからこそ、そう強く感じさせられたのである――これは(・・・)決して【冬司】の力ではない、と。


 だが、その正体が何者であるかを、彼らは知り得ない。

 知らぬ事物への困惑は恐怖を伝播させ、ほとんど生存本能と、そして周囲にかろうじて仲間がまだいる、という団結心から奮い立っているに過ぎない。


 しかし、そんななけなしのちっぽけな士気の目の前より。


 燃えながら(・・・・・)も水蒸気すら上げることすらなく【火】を急速に自鎮しながら(・・・・・・)迫りくる"鬼"達の圧巻は、灯火のような抵抗心をくじくには十分過ぎた。

 気圧され、慄いて腰を抜かした者や、"敵"となった雪や氷に足を取られて逃げ遅れた者から、氷の塊そのものである剛腕に殴り倒され、あるいは踏み潰され、あるいは中途半端に砕いたために鋭利な氷片となったその四肢に斬りつけられ、刺し貫かれ、団員達が氷雪に鮮血を散らしていく。


 砕けども、新たな"影"が吹雪の向こう側から現れる。

 1体を倒す間に数名の怪我人が出る。軽傷者が重傷者となり、重傷者が命を落とす。

 旧ワルセィレの民にとっての聖地たる【深き泉(ウルシルラ)】は、疎外されたかの如き"氷獄(ひょうごく)"の一端が現世に露出したかのような環境に変貌しつつあった。


 ――あるいは、マクハードは「この状況」になることを知っていたのか。

 知っていて、いつの間にか姿を消したのか。


「は、【春司】様……! 竜人(ドラグノス)殿は、ソルファイド殿は……!?」


 同様に(・・・)、【血と涙の団】がマクハードの説得に応じて、当初の計画を大幅に変更してまでこの【深き泉(ウルシルラ)】行きに変心した所以である存在――【春司】をその身に宿した竜人(ドラグノス)もまた、忽然と(・・・)その姿を消失させていたのである。


 頼るべきものが突如として全て喪失され、白雪と(あられ)と、"鬼"達の冷え冷えとした殺意すら感じない無機質な凶行が支配する場にある、という意味でも【血と涙の団】の団員達は取り残され(・・・・・)てしまっていたのであった。


 助けてくれ、という声にもならない声が雪に埋もれていく。

 迫りくる寒気は、体力と気力を奪うだけではないのである。


 疲労が加速され、熱を、活動性を、活力を奪われた生命は――眠りゆくのが【冬】なれば。


 隊列はとうに崩れ去り、乱戦の中でなんとか近くの仲間達で三々五々に固まりながら、撤退しながら、雪道を転げ落ちるように、しかし斃れた者を捨てざるを得ずに逃げ惑う。

 しかしそんな体力すらも急激に失われ、足腰を立たせることもできず……まるでしんしんと、しんしんと、吹き荒れている雪風すらもが相対的には穏やかで優しい(・・・)と錯覚するほどに。


 【血と涙の団】の団員達は、激しい戦いの中で半数以下にまで減らされた彼らは、次々に疲労の極みか、はたまた【冬】の誘いと慈しみによって、倒れ抗うことのできない凍えた眠りの中に落ち行く。


 ……だが。



「やれやれ、旦那様は【冬嵐】家が便乗し(しかけ)てくるとは言っていたが……」


「俺は自分の目を疑うぞ、ゼイモント。あれは――『氷獄の守護鬼(フロストガード)』じゃないのか?」



 ――びりびりと大気を震わせるような、吹雪の冷厳とした圧を切り裂くかのような【おぞましき】咆哮が、ちょうど"氷鬼"達が【血と涙の団】の団員達の周囲に現れたのをなぞるかのように、次々に出現したのであった。



「『氷河鉱山支部』からの報告でしか聞いたことがない。それも、十年以上も前だ。あんなもの(・・・・・)が実在するなんてなぁ」


「どうして【冬嵐】家が討伐するはず(・・・・・・)の存在が、こんなところまで出張って来てるんだかなぁ?」



 あるいは、それは本当に【冬司】による――"氷獄"に蝕まれながらも、能うる限りに放った慈悲であったかもしれない。


 何故ならば、彼ら(・・)とその"化け物"達がそこに現れたのは、怪我を重ねて斃れつつも、かろうじてまだ息のある旧ワルセィレの子らが、皆、【冬】の眠りという名の仮死状態に落ちた後のことであったからだ。


 "敵"が現れたと認めた氷の鬼――『氷獄の守護鬼(フロストガード)』と呼ばれる【北方氷海】に出現する災厄(・・)達と、およそ『荒廃』による魔獣の出現を常から経験している『長女国』の民であっても形容(・・)することの難しい、おぞましき十字に裂けた牙と顎を有した凶猛なる獣(エイリアン)達とが、壮絶に争い始める様を、見なくて(・・・・)済んだ。

 今、知ってしまう(・・・・・・)ことをせずに済んだのであるから。


   ***


 【深き泉(ウルシルラ)】へ至る雪道の中腹で、魔導の波動と【おぞましき咆哮】が"鬼"達に対する嚆矢を放つが如く闘争を開始したのと同時刻。


 山々の奥深く、囲まれた窪地にある当の【深き泉(ウルシルラ)】においてもまた【咆哮】が轟いていた。


氷峰(ひほう)統べる海帥は死と眠りの理外を許さずッ! 母なる海底(うなそこ)より貴様ら"(しば)れ"どもに鉄槌を下さんッ! 荒波を閉ざすが如き停滞の狼藉は決して許されることなくぅぅゥァアアッッ!!」


 "巨漢"の大喝と共に大気に激震が走り、ただそれだけで数体の氷の鬼が砕け散った。

 【血と涙の団】が数人がかりで苦労して破砕したものとは訳が異なる。


 まるで、存在そのものの急所を突かれたかのように――『氷獄の守護鬼(フロストガード)』達は存在そのものを拒絶され、粉雪よりも粉微塵な細かな氷沫(ひまつ)と化して文字通りに吹き飛ばされ、吹き荒ぶ吹雪の中にかき消されたのである。


 だが、"巨漢"はその手を緩めない。

 続けて、まるで呪術師(シャーマン)の祈りめいた句言を叫び放つと共に、両の手に握りしめた大鎚(おおづち)を銀氷の(とこ)となった大地に叩きつける。


 するや、呪力の込められたる大喝――【呪歌】の波動がその震威と共鳴するかのように、ただそれだけで辺りに放射状に四散し迸り、さらに数倍の数の氷鬼達がなすすべもなく割れ砕け去っていく。

 そしてそれが、形勢逆転(・・・・)の転機となった。


「よ、よくやった……! デウマリッド、我が配下よッッ! 我が"巨漢"よッッ! 全軍、立て直すのだ! 【氷】の魔獣どもを駆逐して【泉】までの道を切り開くのだッッ!」


 『封印葛籠』の影にサーグトルと共に隠れ、防御魔法を詠唱しながら飛び込んで盾となったヒスコフが逆茂木のように大地から突き出した逆さ氷柱に腕を貫かれて負傷する中、事態を飲み込めずにいたハイドリィが歓喜と興奮の叫びを上げる。


 互いに双方の状況を知る由も無いことではあったが、氷の鬼達による襲撃は【泉】に至ったナーレフ軍と、雪道の途中を赴いていた【血と涙の団】に対して同時に行われたのである。

 いずれも、彼らが「安全」であると認識していた、踏みしめる雪道のその【雪】の中から"逆さ氷柱"が突き出し、そこから次々に氷鬼達が現れるという意味での奇襲という形。


 だが、【冬司】の内側から文字通りに【冬】を貫いて純然たる【氷】の力として現れたそれ(・・)に対して――ヒスコフが稼いだ時間により、"鬼"以上の凶相に豪快酷薄な笑みを浮かべながら現れた"巨漢"デウマリッドが放った【呪歌】により、ナーレフ軍は致命打を喰らわずに済んだ。

 何せ、『封印葛籠』とそれを取り囲むハイドリィ以下の幹部連中のど真ん中に出現した逆さ氷柱と氷鬼達であったが、致命的な影響を被る前に、その全てがまとめて割れ砕け微塵に吹き飛ばされたのである。


 想像の埒外からの初手の奇襲さえ凌ぐことができれば、訓練された魔法兵達は即座に応ずる。

 瞬く間に無数の感知魔法が発動され、周囲に現れた『氷鬼』達の概数が把握される。おおよそ100ほどの敵性存在として、主に前方から迫りくる大きな一団が観測されるが、断続的に新手が出現していることがわかり、700名の魔法兵達は7人の隊長ごとに対応するように防御陣形を組んでいく。


 相手が【氷】属性であることを加味した、対【魔獣】の集団戦闘隊形である。

 その後ろ側へ、内側へとヒスコフを含めたいくらかの怪我人は出たものの、それぞれが周りに助け起こされ、速やかに【活性】属性による止血や怪我への応急処置がなされる。


 だが、その間にも牽制と、魔法に対する抵抗性を確かめるためのいくつかの魔法が放たれた後、【火】魔法よりも直接的な破壊が有効であると判断され、あえて(・・・)【魔法の矢:氷】が集団詠唱。束ね(・・)られて攻城弩(バリスタ)の如く長大となった巨大な氷の矢が10本横一列に斉射され、最前の『氷鬼』達に質量攻撃の如く叩きつけられる。

 数秒かと思われるほどの主観的時間感覚が経過する中、重量物同士が衝突した破砕音が響く。

 観測役の魔法兵が見たのは、それによって確かに『氷鬼』達が砕かれて足止めされる様子であった。


 ――ただし、次の瞬間には、放った【氷】の矢や砕かれた仲間の破片を取り込み合体しながら、その氷体(ひょうたい)修復(・・)していくのもまた知らされたわけであるが。


「どうしてこんなところに"(しば)れ"どもがいやがるッッ!? おいヒスコフッッ! お前は何か知らないのかアッッ!!」


「ぐ……傷に響くぞ、クソデカ声のクソデカ物め……! いいから、とにかく数を減らせ……!」


 周囲から湧き出し、挟撃するように迫る氷鬼達をデウマリッドが相手取る。遠方のものをまだ突き出した氷柱であるうちに【呪歌】によって、そして接近するものは直接に大鎚によって叩き壊しながら、彼はまるで生きた防御魔法陣の如き役割を担っていた。


 そしてその間に、立て直したハイドリィとサーグトルが『封印葛籠』に再び手をかける。

 予想外の奇襲は様々な疑念を生じさせるものであったが――【冬嵐】家の工作隊長が追討部隊の一員として【騙し絵】家と共にヘレンセル村へ向かったはずであるとか、ギュルトーマ家のレドゥアールが完全に難を逃れる絶妙のタイミングで去ったことであるとか――それでも、今やハイドリィにとって、精強なる魔法兵の軍勢は"支援戦力"でしかない。

 方針は、戦略は、変わらないのである。


「賽は投げられた……! 今こそ、我らの、ロンドール家の新たなる力を見せてここに知らしめる時! いでよ、【奏でられたる獣】どもよ! ロンドール家の敵を、【冬司】を引きずり斃してお前達の同胞(はらから)に取り戻すのだッッ!」


 元【重封】家謹製の【魔獣】をも封印する葛籠に施された『鍵』の術式が解呪される。

 そしてそこから、周囲を覆っていた不穏なる凍気を、それを孕んだ【冬】を塗り替えて吹き飛ばすかのような、まるで領域の魔法的な性質を属性ごと上書きしていくかのような2つの気配が――【夏】たる【風】と、【秋】たる【土】の属性が強大な魔力の奔流を伴って出現する。


 ――だが。


 ハイドリィ達は知らない。

 【泉】を囲む山々の頂きから、無数の、まるで氷床(ひょうしょう)が割れ砕けるかのような破砕音が、雪が崩れる(・・・・・)かのような幾千万雷の"振動"が鳴り響き始めたことに。


 ハイドリィ達は気づくこともない。

 その様子を(・・・・・)その趨勢を(・・・・・)その戦況を(・・・・・)、雪に覆われた遥か遥か天空から見下ろすいくつもの『眼』があるということに。

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― 新着の感想 ―
[一言] 重封の遣いが言ってたのって、貴族的な政治の話としてハイドリィが没落するってことかと思ってたけど、もしかしてもっと直接的に冬嵐家と四元素家が干渉してるからってことか? フロストガードってまさか…
[気になる点] >訓練された魔法兵達の即応は早い 即応は早い、って、即座に反応する&早い、という感じで、早い&早いが重なってないかな、と思いました。 普通に、反応は早い、な感じでいいのではないでし…
[良い点] 「氷峰統べる海帥は死と眠りの理外を許さずッ! 母なる海底より貴様ら"凍れ"どもに鉄槌を下さんッ! 荒波を閉ざすが如き停滞の狼藉は決して許されることなくぅぅゥァアアッッ!!」 ここすき
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