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0182 見立てられし深泉は白霞に濁る[視点:竜牙]

 レドゥアールと名乗った若い男に、自らが"ギュルトーマ家"の手の者であることを明かされ、ソルファイドが逡巡したのはわずかであった。


 辺境の辺村と異なり、魔法という名の"超常"――もっと言えば迷宮(ダンジョン)の力とは、魔素を元とするという意味では根を同じくするも、異なる法則に支配された摂理――を操る者達の「軍勢」の只中である。


 リュグルソゥム一族が共有精神空間『止まり木』に蓄えたるの知識も全能ではない。

 相手は「元」であるとはいえ、他家にその仕組みを容易には知られぬ"秘匿技術"を持つ『長女国』為政層たる「13頭顱侯」に名を連ねたこともある歴史ある一族である。

 想定には無い技や術や手管の類がある、ということをむしろ念頭に置いて活動すべし。


 そういう判断から、迷宮(ダンジョン)従徒(スクワイア)として己の脳裏に宿る主オーマとの繋がりである【眷属心話(ファミリアテレパス)】を意識的に閉じ(・・)、ソルファイドはレドゥアールに相対した。


「ロンドール家の部隊に、ギュルトーマ家がいるとは聞かされていなかった。仲が悪いと聞くが?」


「え? えぇ、まぁそういう()もありますからね、はは。何分、歴史があるとお互いに譲れない線ってあるじゃないですか。対立だってありますし、妥協だってありますから、ね、はは」


「ならばお前は、その妥協(・・)の"目付け"のようなものか。俺のような"部外者"に注意を引かれるほど、容易い任に過ぎないのか?」


「やだなぁ、はは、こちらの用事(・・)には、気づいていますでしょ? あ、お名前教えてくれません?」


「――ソルファイドだ」


 リュグルソゥムの"初代"兄妹からあらかじめ聞いていた話をソルファイドは反芻し、素直に、疑問を問いかける。


 ロンドール家とギュルトーマ家は、共に現頭顱侯【紋章】のディエスト家の傘下である。

 どちらもそれぞれ、それなりの(・・・・・)経緯(抗争)を経て屈服されたようであるが、歴代の"零落"した頭顱侯家(例えば粛清された【九相】家など)とは異なり、ギュルトーマ家は、今も元の【重封】という号の面目と影響力を保っている。


 具体的には王都ブロン=エーベルハイスを魔導的に守護する【封印結界】と、【封印書庫】を監督する権限を引き続き有し続けているのである。

 彼らは実質的にはただの掌守伯家ではなく、()頭顱侯とでも呼ぶべき勢力であり――ロンドール家とは折り合いが悪い存在であった。


「ヘレンセル村での一件は、あー……はは、実に"お見事"とでも立場上言わせていただきますよ? ソルファイドさん」


「……ふむ。【春司】を"返せ"、とわざわざギュルトーマ家の手の者に言わせに来るのも変か」


「ええ! そんな滅相もない、ないないない! だって、」


 ヘレンセル村に、旧ワルセィレの神性が一柱【春司】が進撃してきた一件。

 【春司】が「ちょうちょう」の代わりに依代(よりしろ)として選んだ(・・・・)焔眼馬(イェン=イェン)』を含め、【火】の魔獣達そのものは【騙し絵】家侯子デェイールの"趣向"によるオマケであったが――【春司】そのものは、ギュルトーマ家の【封印】技術によって護送されていたものであった。


 同様に――【風】混じりの【()】の気配を、【土】混じりの【()】の気配を放つ、ナーレフ駐留軍のうち兵士ではない純然たる魔法使い部隊によって牽引される『封印葛籠(つづら)』が存在している。

 ハイドリィ=ロンドールがギュルトーマ家と行った"妥協"は、彼の野心を思えばほとんど運命共同体に近いレベルであり……その意味ではレドゥアールのような連絡役が従軍していることそのものに違和感はない。


 ならば、ギュルトーマ家の遣いと嘯くレドゥアールには、ソルファイドが取り込んだ存在の"違い"がわかるのかもしれない。

 ――主オーマ風に言うのであれば、ギュルトーマ家の「封印」が、一体全体()を封印するものであるのかを、まだソルファイドは知らない。


 だが、それ以上に、これまでずっと水面下にいたものを、どうして「今」になってわざわざ姿を表したのかという訝しさを主オーマやリュグルソゥム家はきっと気にかけるだろう。


 そう考え、ソルファイドは実直に問答を続ける。


「【春司】をその身に『封じ込め』てなんかいない(・・・・・・)じゃないですか、ソルファイドさん。はは、いやー、やだなぁもう」


「それをハイドリィに明かすか? 【冬】の……いや、【氷】の気配がこんなにも近く、濃密だ。この場での俺の真贋など」


「待った待った、ソルファイドさん、違う違う違う! 違いますって。そんなこと、はは、考えてませんから。ないないないですから!」


 どうにも調子が狂うなぁ、と言わんばかりにため息を吐いたレドゥアールが、気を取り直すように単眼鏡を取り外してハンカチで拭き、かけ直す。

 【風】属性……と、さらに未知の(・・・)力を描くように魔素が流れ、自身とレドゥアールの会話が周囲から隔絶されているのを【心眼】越しに察知する。それもまた、ソルファイドが咄嗟に【眷属心話(ファミリアテレパス)】を、ただ単に不使用とするだけでは足りず、自分の意識から一時的に"閉じる"判断をした理由であった。


「ご懸念から先に払拭させていただきますと、【重封】家(うち)の売りも、興味も、はは、『封じる』ことそれだけなんです。中身(・・)に恋々となんて、しませんよ、どーでもいいです。ま、でも、ソルファイドさんがどうやってあの『火馬』を封じてるのかは、個人的には興味があるんですが……本日()別件ですから!」


 別件とは? そう鸚鵡返しのように問い返したソルファイドに、レドゥアールは、周囲への音の伝播を属性的な意味では多()的に()じているにも関わらず、耳元に顔を寄せてくるようにこう呟いてくる。


「ハイドリィさんは詰んで(・・・)ますんで。心中する意味なんてないですから、適当なタイミングで逃げちゃうことをおすすめしますよ、はい。はは」


 ――どうやら「運命共同体」ではない(・・・・)らしい。

 レドゥアールの言に宿る余裕をソルファイドはそのように理解した。

 【春司】のものも、そしてまだ空である(・・・・・・)【冬司】用のものを含めて4つもの『封印葛籠』をロンドール家に供給しておきながら、ギュルトーマ家はハイドリィの"詰み"による悪影響を自分達が被ることはない。

 そういう態度であるとソルファイドは受け止めた。


「狙いがわからないな。どうしてそれを、今俺にわざわざ言う?」


「ソルファイドさんは、どちらの(・・・・)ご出身です? それ教えてくれたら、はは、もっと"仲良く"なれるかもしれないのですけれどねー」


 ――なるほど、あくまでも竜人(ドラグノス)としての自分が目的である、とソルファイドは解釈した。確かに彼は、主オーマが示した『技能(スキル)テーブル』というこの世界の裏側の一つそのものと言っても過言ではない【情報】によっても裏付けられている通りの――先祖返り(・・・・)である。

 逆説的に、レドゥアールの言を捉えるならば、『長女国』が主に【西方】の戦場で相対しうる『竜人傭兵団』は、そういう者(・・・・・)が少ないかほとんどいないのであろう。


「逆にどこの出身だとお前は思うのだ?」


「はは! 嫌にこっちの言葉(・・・・・・)がお上手過ぎたんで、あれぇと思っていたんですけどね? その答えで、もうあらかた確信できたんで、大丈夫です大丈夫です……あ、すみません、そんな"眼"で見ないでください。えーと、なんと言うかな、【重封】家(うち)竜人(ドラグノス)西方系(・・・)とは別の一派がいるって"歴史"を知ってるだけなんです。詳細は、僕みたいな下っ端にはとてもとても」


「……では、ハイドリィが『朽ち木で建てた小屋』だとして、どうして俺と"仲良く"しようと思うのだ?」


「残念。まぁこんなお声掛けしたのも急だってわかってますし。まだ(・・)"仲良く"していただく気にならないのも、仕方ありませんねー。ですが、」


 レドゥアールが単眼鏡の奥で、すうっとその片目を薄く薄く細める。

 まるで、ソルファイドの望み(・・)を知っている、とでも言わんばかりに。


「【拝竜会】。この言葉を、そうですね、はは、『次兄国』でお調べになると良いんじゃないかなと思います。これ、ほんと親切心からですからね! ご参考に」


「それで俺が行き詰まったり、困った時が、改めて"仲良く"しにくる時機だ……と。回りくどいな、お前達、神の似姿(エレ=セーナ)は」


「ええ……それ言います? はは、だって竜人(あなた方)だってその皮……とあと"鱗"を一枚剥がしたら、結構同じようなもんだと個人的には思ってるんですけど、あ! すいません、喋りすぎましたね。これ以上は、もっと"仲良く"なってから、ということで一つ。よしなに」


 ――あるいは【眷属心話(ファミリアテレパス)】が繋がっていれば、主オーマか、あるいは【外務卿】を務めるリュグルソゥム兄妹の"助言"を受けながら、もう少しレドゥアールから情報を引き出すことができたかもしれない。


 だが、ソルファイドは己の直感を――主が信頼してくれているのと同様に信ずることとした。


 リュグルソゥム家の"知識"は、いわば減衰することのない親から子、家族から家族へ受け継がれてまとめられる「口伝」のようなものであるが――説明通りに受け取るならば、ギュルトーマ家という存在が知り、そして「封じて」きたものは『秘史』と呼ぶべき類のものである。


 【ウヴルスの里】という単語こそ、レドゥアールは出していない。

 だが、竜人(ドラグノス)達の中でも、独自の生き方(・・・・・・)を選んで他の者達とは袂を分かったはずの――それも大昔の大昔に―― 一派の存在を、詳細は知らされてはいなくとも、知っている、と伝えてきたことが気になったからだ。


 そして【拝竜会】という、どこか、身体の奥底から奇妙な拒絶感を感じるような()に、じんわりと奥歯から、生理的嫌悪めいたいやな感触が滲んできたことへの軽い困惑もあった。


(――俺を『次兄国』の竜人(ドラグノス)達と、接触させたいということか。それは俺でもわかる)


 元々、リュグルソゥム兄妹から、複数の『竜人傭兵団』なるものが『次兄国』で活動していると聞いており、彼らへの接触そのものは、ソルファイドとて自身の目的と問いからは望むところではあったのだ。彼らは何者で、何のために、竜人(ドラグノス)としての生をこれまで送ってきて、送っていくつもりで、そして、【竜】に対しては――また【調停】に対しては、どのような考えを持っているのかということを問うために。


 であるが故に、謎を抱えているであろうとはいえ、『長女国』の一貴族家に過ぎぬギュルトーマ家がこのこととどう関わっているかがわからず、今は、それ以上の問答を控えたのであった。

 もし、レドゥアールが"仲良く"しようと思っているならば、今しがた伝えられた情報についてこちら側が行き詰まるような頃合いに、再び接触を測ろうとしてくることも考えられたからである。


 レドゥアールは"真の"【春司】の行き先(・・・)には興味は持たなかったが、それは自分とは別にそれを「封じた」存在に気づいていないということをただちには意味するものではない。

 単眼鏡をまた拭いて掛け直しながら、レドゥアールが柔和な笑みを浮かべて去っていく背中を見送りながら、ソルファイドは完全に彼の、その「多層的」な独特の隔絶魔法の気配が消えるまで、【眷属心話(ファミリアテレパス)】を復活させることはしなかったのであった。


 ――疑念も信念も(いざない)い寄せる【泉】が、さらに近まっていく。


   ***


 【泉】が近づいている。

 エスルテーリ家によって邪魔をされ、5年ほど計画の実行を後回しにさせなければならなかったが――それでも来たるべき時が近づく中、ハイドリィ=ロンドールは静かな高揚が腹の内側から湧いてくる実感を抱いていた。


「用意はできていますね? 万全ですね? サーグトル、一切の手抜かりは許されない。許されないのですよ、事ここに至ったからには」


「……ぉお、問題ないぞ……? 執政殿。私の開発した【奏獣】で、ロンドール家を見事に……くく、この国で最も"雲上"の貴家に加えてやる……」


 ハイドリィは、かつて初めて父から引き合わされたサーグトルに抱いた悪印象はとうに捨てていた。己が探求すべきこと、学究すべきことに身を捧げ――だがそれ以上に、自らを追放(・・)した【魔導大学】への敵愾心に溢れすぎていたこの男は、その他の物事に関心が極端に薄かったからである。

 病的なまでに痩せており、いつ食事を取っているかもわからず、しかし、餓えた乞食よりもギラついたその眼光だけで人を食い殺してしまいそうなほどの執念を秘めた男であった。


 ――だが、『【四季】が4つの"属性"に対応している』というその見立て(・・・)は、ロンドール家をして、いささか蓄え(・・)過ぎた財力を【紋章】家によって削がれるために押し付けられたに過ぎなかったはずの、この征服地を、悲願を達成するための地に変えるほどの発見であった。


 旧ワルセィレの民の「血と涙」を制すれば、【四季ノ司】はおろか【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】をも支配し、この地を覆う『四季』すらをも操り奏で(・・)うる。


 その総仕上げの"鍵"の一つこそが、ハイドリィが執政の地位を襲ってからの「方針転換」であり――いわば、あの露骨なまでに民衆に対して晒すための『処刑場』とは、【深き泉ウルシルラ】に対抗し対応し対立するように見立て(・・・)られた、ロンドール家のための【泉】そのものなのであった。


 父グルーモフ時代の寛大な処置とは一転させ、多少でも強引に、そして冷酷さと"悲劇性"を演出し強調したような「処刑」を繰り返してきたのもまた、行き場の無い十二分なほどの「血と涙」を集め蓄えるため。

 その果実として2柱の【司】を掌中に収め、残る2柱と、そして何よりも重要である【泉の貴婦人】もまた、こうして王手をかけるところまでこぎつけていた。


 後は、それを取りに行くのみなのである。

 そしてこれにより"悲願"を達成するのは、ロンドール家だけではなく、サーグトルという男にとっても同じことであった。


「あなたの"学説"で【魔法学】界の全体も変えてみればよいのですよ。【魔導大学】の権威を引きずり落とすことは、【盟約】派――【四元素】家の力を引きずり落とすことと同じなのですからね、ふふふ、ふ、ふ」


「そうよ……そう、その通り……わかってきたではないか? 若殿、いや、執政殿よ……たかが『16属性』のみ(・・)で世界が成り立ってるわけが、ない……! たかが、初期諸神(・・・・)の『17柱』のみ(・・)が……まるで生物のように、その"頭数"だけで、世界の構成要素を分け合ったなどという単純なはず……ないではないか……!」


 数代前の父祖が【風】属性の魔法使いとして名を上げ、貴族には至らぬまでも、"痩身"サーグトルの家は代々【魔導大学】に関わってきた。

 だが、『長女国』の歴史上最も高名な【風】魔法使いであり、現代でも多くの魔法に冠名を遺す「マイシュオス」に深く傾倒し、ついには自らをその"再来"とまで自称するようになったサーグトルは――属性分類の狭間(・・)に強烈な関心を寄せ続けてきた。


 端的に言えば、彼は【魔法学】の最高権威である【ゲーシュメイ魔導大学】においては、最左の異端とされる属性分類否定論(・・・・・・・)に積極的に立ち、研究と活動を続けてきたのである。


 果たして、そこに【魔導大学】ないしその元締めである【四元素】家の暗部に触れるような何かがあるが故に、この学説は歴代変わらず異端とされ弾圧されたのか。はたまた、無自覚的に"敵"を作るサーグトルの人間性が大いに嫌われた結果であるのかはわからないが、彼は【魔導大学】より追放されることとなる。

 当人曰く、不正行為の濡れ衣を着せられたものであるとのことであるが――流浪し、グルーモフに拾われた彼は、ついに旧ワルセィレの地にて己の異端の説を実証するとしか思えない魔法類似の現象に遭遇したのであった。


 この故に、サーグトルは決して、ロンドール家の栄達だか悲願だかに殉じているわけではない。

 しかし、ハイドリィ=ロンドールが【奏獣】の力によって――狭間の属性(・・・・・)によって頭顱侯に至り己の後援となるならば、今一度再び、【魔導大学】に対峙することができるようになるのである。


 引き続き、両名の利害は一致し続けている。

 ハイドリィは、事が成ればサーグトルをロンドール家の筆頭魔導師に引き立て、ヒスコフを将に取り立てるつもりであり、時機が満ちるならば両名を一挙に掌守伯にすら叙するよう、魔導会議に働きかけるつもりでいたのだ。


 ――無論、たとえ魔法の"才有り"であるとしても、一介の平民を何段階もすっ飛ばして叙爵させるなどというのは、既得権益や利害関係が硬直化・棲み分け化が進んだ『長女国』においては、たとえ頭顱侯であっても容易に押し通せる横車ではない……これまでであれば(・・・・・・・・)


(リリエ=トール家が昇爵したではないか。ギュルトーマを差し置いて、な)

 

 ギュルトーマ家ほどの力を持った――秘技術だけではなく、利権と既得権益という意味においても――元頭顱侯家を差し置いてまで、リリエ=トール家などという新参が頭顱侯家になった理由を、【紋章】家の暗部を司ってきたロンドール家の当主たるハイドリィとしては……「リュグルソゥム家の討伐」での功績以外に他に思い当たらない。

 確かに、この亡命神官家の末裔の情報収集能力とその共有速度は【皆哲】のリュグルソゥム家に次ぐものであったが、ただそれを利用するだけならば、頭顱侯家とまで上り詰めさせる必要が無いのである……それまでの『長女国』の慣例からするならば。


 だが、もう少しだけ歴史に視座を広げるならば、別の見方のようなもの、ある流れのようなものが興っているとハイドリィは見ていた。

 それは200年前の【大粛清】と【九相】家の粛清、その後の【騙し絵】家の台頭に始まり、直近ではリュグルソゥム家という勢いのあった一族の頭顱侯への昇爵という流れ。


(あの【魔剣】家と「最強争い」をするほど"勢い"のあったリュグルソゥム家を、さらに勢いに乗ったリリエ=トール家が駆逐して良いなら。"勢い"さえあれば、実力さえあれば良いのなら――いつまでも【国母】ミューゼの弟子どもの後継者(・・・)という自認が必要である、などという暗黙の了解など、とっくに失われているではないか)


 強欲なるディエスト家に、ロンドール家は屈服させられ、汚れ仕事を一手に投げ渡される"日陰者"とされ続けてきた。

 忠臣(スパイ)を送り込まれ、一族同士が監視しあい、水面下でお互いを暗殺しようと試みるほどにまで分断され、猜疑心に満ちた日々を送らねばならないほどの境遇に追い込まれ――それでも、泥を啜り靴底を舐め回し這いつくばってへつらいながら"実"を取り続けた結果、ついに、この好機が訪れたのである。


 ――なんとしても事を成さねばならない。


 ただし、この状況は予想外の事態と奇貨の働きにより成り立っているという、予測のつかなさを孕んだものであるとハイドリィもまた認識はしている。

 確かに軍勢に組み込んで戦力の不足を補うことはできたものの、それでもエスルテーリ家を討滅し損ねたことは、正直、かなり痛いのだ。


 何故ならば……妥協という名の和睦・和解を目眩ましとし、ギュルトーマ家がエスルテーリ家と水面下で結びついていたことをハイドリィは知っていたからである。

 たとえロンドール家の悲願が成ったとしても、必ずや味方面をしつつ裏で暗躍するであろう、この【封印】の一族ギュルトーマ家を糾弾するためにこそ、エスルテーリ家には滅んでもらわねばならなかったのである――あのヘレンセル村への【春司】の襲撃によって。


 より直接的に言えば、「死人に口無し」となって証拠諸共焼滅したところで、エスルテーリ家の"叛逆(・・)"の責任をギュルトーマ家に着せ、一気に追い詰め追い落とすという計画だったのだが。


(小娘め、まさかこの私を糾弾するとはな……逆に言えば、それは暴発のようなもの。あれでは、ギュルトーマ家もまた、エスルテーリ家を通してこちらを糾弾する手は使えなくなった。まったく、エスルテーリ家が中途半端に生き残ったことが、こちらだけではなく連中の足枷でもあるというのは、歯がゆいが皮肉なことだ……)


 どういう思惑かはわからないが、ギュルトーマ家の連絡員が、マクハードが連れてきた例の【春司】の依代らしい赤髪の竜人(ドラグノス)に接触している辺り、今後の関係に関する警告と牽制を行おうとしていることはほぼ確実であろう。


 戯れにデウマリッド――思いがけない"拾い物"である(おとこ)の【呪歌】でもぶつけさせ、あの忌々しい澄ました【重封】の魔導結界を剥がして(・・・・)やろうかとも考えたハイドリィであったが、己の「奥の手」をこんなところで晒しても意味は薄い。

 真なる戦いは、【奏獣】を完全なものとし、頭顱侯の地位を確かに得てから始まるのであるから。


 用は済んだとばかり、【泉】に到着もしないうちに、自らの存在感を「封印」しながら誰にも悟られずに消えゆくレドゥアールを見据えながら。

 高揚と苛立ちの狭間にありながらも、ハイドリィは冷静さを保とうと己を叱咤し、影のように一定の距離で付かず離れず控えていたレストルトを呼びつけた――ヒスコフと、そしてマクハードを連れてくるように、と命じながら。


 広域の【視界確保】の魔法効果のすぐ外側では、あらゆる者を……特に"魔法"を激しく拒むかのように、山道を山ごと地域ごと環境ごと、真っ白に辺りを塗り覆うかのような【冬】と【氷】が押し潰している。


 ――だが、陰謀と狂気を醸して人を()てる【泉】は、もう、ほんのすぐそこまで迫っていたのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 頭顱公の交代という現象が掘り下げられて考察の余地が広がりますね 旧作だと晶脈は当時の第1位頭顱公【輝水晶】家の発明でギュルトーマ家は頭顱公だったはずだけど、今作では王家が晶脈の支配者でギ…
[一言] このぶんだとギュルトーマは実際には零落っていうか最適化のためにあえて頭顱侯やめたかもしれないのか >同様に――【風】混じりの【夏】の気配を、【土】混じりの【秋】の気配を放つ ギュルトーマが…
[一言] レドゥアールが出入りの商人のようで老練な外交官で面白いですね。 これも興味深い伏線「拝竜会」。 青幇ぽい響きですが先のお楽しみですね。
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