0172 対【騙し絵】家戦~【領域】の戦い(1)[視点:その他]
かつて【盟約】の破棄を掲げ、『長女国』において暗殺と破壊の嵐を吹き散らせたる【騙し絵】家。
【空間】魔法によって、あらゆる地理的・空間的・時間的条件が無視され、物理的な法則や一部の魔法によっては対抗し得ない神出の奇襲と破壊工作により、才の無き者達は元より、その井戸より才を溢れさせる者達にとっても、彼らは「恐怖」の代名詞であった。
そのような存在が、例え国母ミューゼの遺志と遺訓に服して"頭顱侯"の地位を受け継ぎ――粛清された【九相】家の後釜として――"味方"となったとしても、才能かはたまた胆力が並に過ぎない者は、行動を共にしていたとしても、刻み込まれた「恐怖」は拭えないであろう。
たとえ【騙し絵】家と彼らの尖兵たる『廃絵の具』達が、縄張りを守るためとはいえ、史上次の暗殺の嵐を『長女国』に引き起こした【血の影法師】達に対峙しようが、また、今般のリュグルソゥム家の誅滅作戦において技術提供を行って重要な役割を果たそうが、その恐怖は簡単に拭えるものではないのである。
この意味で言えば、まさにその【騙し絵】家の侯子と侯女に率いられた"本家"部隊と『廃絵の具』の連合に、しかも『長女国』のためではなく自家独自目的を持つ者達に進んで同行できるのは、恐怖を知らぬ豪胆さを持つか、恐怖を感じる感性を喪失した狂人か、【騙し絵】家の行動すらも自らのあるいは自家の利益に結びつけようとする策士であるか。
【魔剣】のフィーズケール家の【剣魔】侯子デウフォンは、その【魔眼】……にも喩えられる魔力の流れを見極める眼力を以て、岩肌が剥き出しとなった「坑道」の先の先の先まで見通しながら、押さえつつも自然に溢れ出る"剣気"を漂わせるかのように楚々と歩む。
【罪花】の"兵隊蜂"トリィシーは、煙管から気だるげに吐き出している紫煙を青煙に変じさせつつも、決して手を抜いているわけではなく【精神】魔法と各属性の"複合"の察知系魔法により、リュグルソゥム家の特殊かつ独特な"精神反応"を検出しようと身構え続け、その目に油断は決して宿らない。
【明鏡】のリリエ=トール家の"大道芸人"グストルフは、軽装となりがちな戦闘魔導師の中でも更に、無駄という無駄を削ぎ落として軽量化したかの如き超軽装の出で立ちで、飄々とした笑みを崩さず――この異質な洞窟を"私生児"ツェリマの隣が定位置であると主張するように、付き人の如く軽い足取りである。
だが、その猫目から放たれる眼光は、絶えずくるくると指先が回されるように灯し出される極小の【光】魔法により、彼の周囲にまるで蝶のように舞流れていく窓のような【鏡】をなぞり、右に左に上に下にと忙しない。
さながら、トリィシーが【精神】領域における"察知"を担当しているとすれば、物理的な視覚における"探知"を担当しているのがグストルフという塩梅である。
【遺灰】のナーズ=ワイネン家の"放蕩息子"サイドゥラは、この意味では、周囲に漂わせる【灰】によって気流や、場合によってはこのような隘路において非常な脅威となる【火】つまり"焼き討ち"といった罠に対する"警戒"を担当している、と言うべきか。
最先陣をデウフォンが肩で風を切るように突き進み、そのすぐ後ろにツェリマ、グストルフ、デェイール、トリィシーと続き殿を引き受けるサイドゥラではあったが――気だるげなそうな表情の中にあって、灰色に淀んだその両目には緊張の色もまた浮かんでいたからである。
「イッヒヒ……それにしても驚いたなぁ。まさかハンダルス殿が? 寸前で離脱とはね? 何考えてるんだろうねぇ、あの無精髭、アッハハ」
「【盟約】派は情報共有がなってないな。それとも、昇格したばかりの新参には、大事なことは何も伝えられていないのかな? その、咽そうになるほどの閉鎖性は、変わる気配すらないな」
――【冬嵐】家から追討部隊に参加していた、自称【冬嵐】侯の"右腕"であるところのハンダルスが、急用で呼び戻しがかかった、と言い出したのは一行が『関所街』から【転移】魔法によってヘレンセル村の外れの『禁域の森』へ向かう直前のこと。
工作だの特務だの隠密だのと表現は様々であるにせよ、各家でそれぞれ似たような役まわりであるという共通点も持つ"厄介者"達であったが、その中でも、暗に最も魔導師としては実力が格下であると見られていたハンダルスではあったため、戦力的な意味での影響は軽微である。
元より、ツェリマ自身に"彼ら"を命令に厳守させる権限があるわけではない。
勝手な都合、勝手な思惑、秘めた策動によって離脱することなど止めることができる立場には無く、この意味ではむしろ此処まで――未だ雪深い『禁域』の奥深く、【赫陽山脈】に向けて西に南に標高が高まり始める植相上の地理的境目とでも言える箇所に存在していた――"世界の罅"あるいは"異界の裂け目"あるいはただ単に"裂け目"と呼ばれる地点の、その「先」にまでついてきた4名が、むしろその腹の中にどれほどの思惑を秘めているかと疑うべきものである。
正味、ツェリマとしては最悪、弟と共に【騙し絵】家のみで討ち入ることも覚悟していたのであった。
――【騙し絵】家の行いは、明白なる【盟約】違反であるからだ。
この意味ではむしろ、その証拠を確認した段階でさっさと自家に報告にでも戻ったであろう、ハンダルスの動きが"常識的"であるとすら言える。
今頃、【冬嵐】家から【四元素】家へ報告がなされ、この件について【盟約】派として何か仕掛けてくるかもしれないが――そのリスクを背負ってでも、この踏破は成さねばならないのである。
「じゃあ、何かい? イセンネッシャ家の方が開放的だってかい? イッヒヒ、確かに色々、まるで"処刑前の晩餐"か何かって勢いでおたくらの秘技を立て続けで開示されてて、僕様も隣のサイドゥラ卿もびっくりだけどさぁ!」
「こんな影も幸も薄い男のどこ気に入ったんだろね。しれっと僕のこと混ぜないでよ、グストルフ君」
そんなサイドゥラのささやかな抗議を綺麗に聞き流しつつ、どうしてもこれだけは言いたいのだ、というような強引さでグストルフが言を続ける。
「その割に『廃絵の具』達を【空間】魔法の中に閉じ込めて持ち運ぶなんて、そんな運用この僕様でも思いつかなかったよ! ほんと【騙し絵】家って進んでるねぇ! イッヒヒ」
――まるで透明な2枚の板の間に水銀を垂れ流したかのような。
銀色にたゆたう、空間が切り取られたかのような、そこだけ歪にしかし美しく、異質に切断された断面の如く揺らめく水面。
その向こう側に侵入するにあたり、【騙し絵】家は惜しげもなくその"技"の一つを披露する。
侯子デェイールが、首飾りの一つ――サイコロの形をした細工品――の中に仕込んでいた、彼が個人として与えられていた【亜空】に『廃絵の具』の戦士達を次々に収納したのであった。
だが、それだけではない。
この専用の【亜空】それ自体は、【騙し絵】家の本拠地や、"正嫡"たるデェイールへの支援と指示を約した者達の私室や会合場所といった各所に通じる【転移門】が内部に束ねられているのである。
「わざわざ集団で敵地を進んで、罠で一網打尽になる馬鹿は要らないだろう?」
「流石にそんなところに隠れられちゃあ、うちの実家の【鏡】でも暴き出すのは難しいもんなぁ。イッヒヒ、そう簡単に? 【空間】と【闇】と【光】の3すくみってわけにはいかないのかねぇ」
――デェイールはあえて"他家"の者達には伝えなかったが、この【亜空】収納の真価は、ただ単に空間を越えて必要な物資も、人員も、情報すらも【騙し絵】家の血族に送り届けるだけではない。
「反則もいいところだよね、って"頭顱侯"家の僕が言っちゃダメだけど。その【亜空】とやらの中からも【空間】魔法なら発動できるって、ますます対処法限られるよね」
伝えられずとも、行為として隠す気が無かったため、この場の者達には早々に看破されあるいは悟られていたわけであるが。
デェイールが個人用の【亜空】に『廃絵の具』達を収納して"裂け目"へ持ち込んだことにはいくつかの意味がある。
第一には、隘路を多数で往って一網打尽にされる愚を避けること。
第二には、奥地で――おそらくはイセンネッシャ家が求める物を奪われまいと奥地で陣取っているリュグルソゥム家残党の2名との決戦に際し、彼らだけではなく、本家の支持者達を【亜空】を経由してこの場に出現させ参戦させる際の"誘導係"として。
第三には、"収納"された者が【空間】魔法の使い手であれば、【亜空】の内側から各種の【空間】魔法を発動することができるため――戦闘術と探知術と【空間】魔法による魔闘術を修めた『廃絵の具』を装備することは、このような危険な【領域】への強行的な潜入工作で多大な効果を発揮する、ということ。
非常に広義的に意味を解釈すれば「魔導具」的な働きをしていると言って差し支えない、デェイールの首飾りからは、絶えず【空間】魔法による種々の強化・補助その他様々な魔法が発されていた。
――という風に"厄介者"達には、思い込ませておくのがちょうどよい。
他家からすれば不気味なほどに【騙し絵】家が協力的に見えるのも、所詮は、一族の悲願を達するために必要な範囲で教えてやる情報、見せてやる情報、聞かせてやる情報をコントロールしているに過ぎない。
第一と第二の理由については、その通り『廃絵の具』その他を持ち運び可能な即戦力として合理的に取り扱っているわけであるが――。
「――来るぞ。構えろ、凡愚ども」
短く発される【剣魔】侯子の言。
それに先立つような気付けの如き"軽い"剣気が、軽口と牽制の中間的な足の踏み合いに興じていた凡愚達の意識を一気に引き締める。
まず聞こえたのは猿叫である。
人間に近い、強いて言うならば【西方】の『氏国』の戦亜達の氏族戦士どもが上げるような雄叫びの重唱が、眼前で三叉に枝分かれした坑道から一斉に圧の如く響いてくる――が。
「左右から来そうだよん?」
極小の気流の変化すらも捉える微粒なる"灰"の揺らめきに注目していた、最後尾のサイドゥラの言。
直後、洞窟の左右が轟と崩れて粉塵を巻き上げ――猿叫を間近に上書く獣叫が浴びせかけられる。
だが、追討者達の反応は素早くかつ慣れたものであった。
両手から【魔剣創成】によって【火】と【氷】の魔法剣を生み出し、黒い濁流のように出現した亜人達を見据えるデウフォンは最前列。
その後ろにて、ツェリマ以下は、それぞれの"流儀"によって緊急回避を行い――グストルフは【光】魔法を噴射して飛び退き、サイドゥラは【灰】に紛れ、【騙し絵】の姉弟は短距離を跳躍する――岩壁を崩落させながら出現した「野獣」達に対処する。
「でっかくて頑丈そうな"熊"さんだなぁ! アッハハ!」
出現したのは【人世】の種の2回りは巨大な"熊"である。
魔力は感じられないため「魔獣」とは断定できないが――体躯の割に強靭で太すぎると見える首と涎まみれで剥き出された頑丈なる"牙"は、噛まれれば大木の幹であっても砕き削りそうなほどに獰猛。同じく幹をへし折りそうなほどの"重い"骨格が、分厚い毛皮の裏側で強靭に発達しているであろう、轢かれればそのまま押し潰されそうなまでの巨体が同時に十数体。
薬物か何かによって眠らされ、そして目覚めさせられると共に狂乱状態のまま、暴れ踊るように突っ込んでくる、が――。
「舐められたものねぇ? 頭顱侯様方? ふふ」
――この場に集う者、いずれも『長女国』の頭顱侯の係累である。
その意味するところは、本性はどうあれ、その正統性においてはかつて【浄化譚】によって"荒廃"を鎮めたる国母ミューゼの高弟達の役割を引き継ぐ者達であるということ。
"荒廃"によって出現したものであれ、"裂け目"から『末子国』の打ち漏らしとして大氾濫という形を取って出現したものであれ、「魔獣狩り」こそは戦闘魔導師達の生業にして責務たるの一つであると言って良い。
「アッハハハ! 硬いもんは噛み砕けてもこいつは無理だろォッ?」
肘から、足裏から、腰から、次々に【光】を噴射して推力と成した高速機動でグストルフが"熊"達の間を乱舞する。そしてそのそれぞれに対するすれ違いざま、極限まで軽量化された戦闘魔導服の――わずかにひねった腕の付け根から、指先から、鎖骨から【光】の刃を瞬間的に生み出し、巨大熊達の魚頭のような"眼"を、涎まみれにあらん限りの力で開けられた口の中のステーキのように巨大な"舌"を次々に焼き切り裂いた。
いかな巨躯を誇ってはいても、それが魔法の力で歪められていないのであれば、生物である以上、すなわち柔い箇所があるのが自然の摂理である。
一見不規則で奇天烈ながらも、それが故に獣の反射神経をしても捉えられないグストルフの高速機動から繰り出される【光】の刃によって薙がれ、神経ごと焼き切られたかのような激痛に"巨大熊"達が、頑丈な顎すら自壊させんばかりにもんどり打って絶叫するが――そこで「狩り」が終わるはずがない。
すかさず、ぶわりとまるで意思を持った極小微粒の雲霞の群れの如き【灰】の渦が、うねり踊る無数の蛇のように気流に抗いながら、次々に巨大熊達の口腔内に飛び込んだのである。
「んー……【闇世】の"獣"ねぇ? "荒廃"の様子は多少感じられるけれど」
サイドゥラが発動した【遺灰】家の魔法【灰渦の蛇焼き蛇】は、ただの【灰】ではない。【火】魔法を封殺するほどにまでに熱された超高熱の【灰】の塊であり、巨大熊達の口腔内に飛び込んでいく。
そして口腔内を、気道を、若しくは食道に焼け付いて激しくえずかせ、むせさせる――というに留まらない甚大な被害を与える。巨体であれば巨体であるほど、一呼吸に要する呼気もまた大なるが故に。
数体が、それだけでもはや四足で立っていることすらできなくなるまでの呼吸困難と痙攣に追い込まれて昏倒する。その他は、獣の本能で危難を悟ったか、とっさに暴れたり、顔を背けたりすることで気道を焼き潰されることだけは回避できるが、顔面や身体に【灰渦蛇】が焼け巻き付く焦熱の激痛は分厚い毛皮を貫通する。
そして苦悶に喘いで決定的に動きが止まったところを。
「散れ」
「目障りだよ? 畜生ども」
超短距離転移と武術的縮地術が組み合わされた『歩法』により、文字通り【空間】を切り分け、ついでに獣の肉体をさながら水流の中を泳ぐ魚類の如き抵抗の無さで切り分けながら。
【騙し絵】家の姉弟が出現。
――ただし、巨大熊の胴体のど真ん中から、である。
ぶちまけられた鮮血と臓物片が飛び散り、ただそれだけで2体の巨大熊がなすすべなく絶命するのであった。
だが、この程度のことなどは、【空間】魔法を相手に対抗手段を持たない存在に対しては――普通のこと。
「アッハハハ! 魔獣? かは知らないけど、獣を操るなんて、リュグルソゥム家の連中いつの間にハイドリィ君の秘術カッコ予定カッコ閉じまで学んだってんだ、アッハハ!」
飛び回るままに高揚し哄笑するグストルフは、さらに全身から、さながらハリネズミの如く同時に幾本もの【光】の刃を創成。
崩れた岩壁の向こう側の空洞の奥から、彼に向けて投網のように射出された「糸」を切り刻み、ついでにそのまま飛び回ってサイドゥラ以下をも絡め取ろうとした「糸」をも尽く撃ち落とす。
次の瞬間には、ツェリマが立て続けに放った【歪みの魔法矢】が、正確に「糸」が来た方に空間をつんざいて次々に――「糸」を発した張本人である"大蜘蛛"達の頭部に突き立ち、その次の瞬間、内側から空間がまるでめくれ上がるように、巨人の肺活量によって息を吹き込まれたかのように弾けた。
「――こいつらは、【人世】の野獣だな?」
呟く頃には、ツェリマは既に"大蜘蛛"――旧ワルセィレの【深き泉】の周辺に生息していたはずの【痺れ大斑蜘蛛】に相違ない――の近くまで転移してその死骸を検分している。
他方、【魔剣】家侯子デウフォンが受け持った側でもまた一方的な蹂躙が繰り広げられた。
その有様は、衆寡敵せず、と語ることすら落ちる。
彼こそは『一人が一隊を屠り、一将が一軍を滅ぼす』と詠われしフィーズケール家の【剣魔】――【剣姫】【剣聖】【剣仙】【剣鬼】と並ぶ【五剣】が一角の名跡を襲う者――であるからである。
いかな、襲い来たのが【闇世】の未知なる"亜人"であろうとも。
それが、数十体で徒党を組んで狂乱せるままに群れ成して襲いかかり、引き倒そうとしてきても。
雑兵でも雑草でも雑魚でも雑種ですらなく、只なる「雑」の字を体現する有象無象の雑物を相手取るには、魔法の剣は過剰というものである。
一人で一軍を屠る彼を前に、足を一歩止める用を足すものですらない。
数十体掛かりで、ただの一太刀すら浴びせられることはなく、魔法の才ではなく剣術の技量のみによって圧倒する。これが襲撃であり、罠の類であるというならば、むしろデウフォンにとっては侮辱とすら感じ取られるレベルのものである。
「ちょっとデウフォン、1体は残してよぉ?」
口を咎めるは、己の出番は少し後であると心得る女術士トリィシー。
その呟きが耳に届いたか、デウフォンはその人間の子供ほどの体躯しか無く、しかし、ずんぐりと浅黒く筋肉の異様な盛り上がりが特徴的な"亜人"を1体――トリィシーの足元へ蹴り飛ばす。
終始、「それ」に対して虫の類に向けるのと変わらぬ眼差しを向けつつ――【精神】魔法の媒介となる青い煙を吐きかけたトリィシーは、その艷然とした表情を、露骨に不快そうに歪めた。
「なぁに、これぇ。【西方】の"亜人"達より、ずっと『人間』に近いんだけど?」
グストルフが全身の関節をゴキゴキ鳴らしながら。
サイドゥラが外套にまみれた"灰"を手でぱらぱらと払いながら。
そしてほとんど数分とかからずに"野獣"達の死骸を検め終えたツェリマとデェイールが、靴音を響かせながら、数十の肉塊と成り果て悪臭を放つだけの汚物と成り果てた"亜人"達を一瞥もすることなく佇むデウフォンの元に合流する。
「だから言っただろう、凡愚ども。リュグルソゥム家が【魔人】そのものになったか、近い何かになったかなど、大した問題ではない。現に、この獣どもを操ってけしかけてきたではないか」
「でも中途半端だよね。まとめて【転移】事故とやらを仕掛けてくるかな?と思ってたけど」
「小手調べのつもりか、制御しきれていないということだろう。デウフォン卿、言っておくが、【魔人】が操るのは【魔獣】だ。これらは……悩ましいな、"荒廃"の、『瘴気』の影響は確かに感じられるが……それでもまだ"野獣"の範疇にあるようにも感じ取れる」
サイドゥラが指摘するまでもなく、誰もが意図的に引き起こされる【転移】事故を予測していた。
それこそが、このような場所に引きこもってまで地の利を構築し、一行を誘い込まざるを得なくなったリュグルソゥム家側の逆転の目と予測されていたからである。此方がそう読んでいるからこそ、あえてそれをブラフとしている線も考えられないではないが――【騙し絵】家が主力である以上、対抗という意味でそれを織り込まないことそのものは考えにくい。
故に、あえて【空間】魔法を自重することなく堂々と使用して、早期に"野獣"の群れの撃滅を成したツェリマとデェイールであった。
デェイールが"初撃"を返した後は、一歩引いた位置から全体を俯瞰していたのは、【騙し絵】家の侯子たる貴種らしく超然としていたからではないのである。
今か、後かはわからぬが、【空間】魔法に【空間】魔法をぶつけてくることそのものは予期されており――これを「迎撃」するために【亜空】内と連絡を取り合いながら、即応できるよう状況と推移を見極めていたに過ぎない。
だが、文字通りに野獣を"犬死に"させたのがこちらの実力を図るための一当てであるならば……「本隊」はさらに多数と見るべきであるか。
「まさか怖気づいたとは思わないけど? 姉上ェェ……こんなもの、物の数にもならない。まだ、武器を持った雑兵どもが円陣組んで迫ってくる方が迫力が感じられるぐらいだ」
――彼方が苦し紛れに【闇世】と【人世】とを問わずに、野獣の類まで動員してきているというのであれば、それほどまでに窮しているということであるか。
仮に、仮に、万に一つのそのまた万に一つ、リュグルソゥム家が【魔獣】を操る力を大いなる誤りによって得ていたとしても……この野獣達を「そう」する時間が無かった、と考えることが妥当と思われた。
――そしてそれがさらに万に一つ、そう思わせる罠であったとしても、対処不可能な状況ではない。
「……小手のそのまた小手調べなら、この後も何度か"襲撃"が来るだろうな。そして楽に処理できる、とこちらにとって作業化したところで、本命の奇襲でもしてくる、といったところだろう」
「ものすごく微弱な【空間】魔法……もどき? がうっすーく張り巡らされているね。"鳴子"のつもりかな? ははは、この程度、『廃絵の具』どもに対処させるまでもなく僕自らが切り裂くことができる。この程度か? リュグルソゥムは」
あまり相手を下に見て油断するなよ、という念の込められた一瞥を受けたデェイールであったが、彼は彼でツェリマの本心が――自身の「首飾り」、その個人用の【亜空】を見ることであったと察している。
『廃絵の具』をそこにあえて入れられたことについて、悪い想像がよぎっているであろうこともまた察していた。
彼女には、聞かされていないだろう。
【騙し絵】家の直系ではあるものの、"私生児"に過ぎず、その実力が認められたのは直近に過ぎないのであるから。
デェイールの個人用の【亜空】の中に、現在収納されているものは――『廃絵の具』の隊員達だけではない。
彼にとって本当の意味での援軍は、後継者争いなどという一面では詰まらぬ動きにおける"支持者"という名の存在達ではない。
侵入した当初から、なるほどこれが【闇世】であるか、と思わされるほどの「属性バランスの不均衡」が辺りを押し包んでいることは、デェイールもまたまじまじと感じ取っていた。
同時に、この「薄く伸ばされたような【空間】魔法のような違和を感じずにはいられない魔力」もまた感じ取っていた。
強いて言うならばそれは【領域】とでも呼ぶべきものである。
だが、デェイールは、リュグルソゥム家による「学習」がただ単に模倣するだけではなく、既存の他の知識技術と高度に掛け合わされて「応用」されることを理解していたが故に、その場でその違和を突き詰めることはせず、一行に先を急ぐよう促すことを選んだ。
(マルドジェイミ家の"夢遊病"どもが言うように、リュグルソゥム家が気持ち悪い「精神融合」の一族だったとしても、関係がない。たった二人分の"思考力"で、太刀打ちするなんて、限度があるんだよ)
――イセンネッシャ家の「全ての術」を知る大婆様が、"援軍"として、己の【亜空】に特別に届けてくれた、いや、連れてきたと言うべき「それら」が、リュグルソゥム家残党に対する強力な「天敵」になる。そのように納得しており、「それら」こそは【騙し絵】家の中でも、深淵と呼ぶべき領域に属す類の力の、その一端であるという自負を心の底から抱いていたからである。
更なる約束された襲撃に怯むこともなく、ましてそれに煩わされることすらなく、討伐隊の一行は、うっすらと歪な魔力が流れる洞窟の奥へ歩を進めていくのであった。





