0171 命とは、渦中に運ばれるもの(1)[視点:転身]
人は、母の胎から生まれでてくるという。
市井の民を含めて、多くの者はそうやって生まれてくる。それは人だけではなく、獣も、鳥も、魚も、虫の類に至ってさえも、母の胎から卵が生まれ出づるという意味では、皆同類であると言えよう。
父なる精と、母なる卵が結びつく結果。
胎の中に、胚が生じて形成され、これが育って人や獣や鳥や魚の姿態と肢体を象り育ちゆくのである。
――"魔導大学"に連なる『学者』達や、『末子国』に属する"司祭"達は、それこそが自然であり当然の働きであると人の世に説いている。
だが、それならば――"私達の一族"の在り方は、自然であるや否や。
『長女国』第2位頭顱侯【騙し絵】のイセンネッシャ家。
その血に連なるツェリマ=トゥーツゥ・イセンネッシャにとっては、それこそが生まれながらの疑問であり、幼少期を経ても未だ尽きぬ、己の存在への疑念であり、無意識ながらも確信に満ちた反語であった。
なるほど、父なる精と母なる卵が結びつくことで、新たな子が宿るならば――。
その、普通であれば自然であるはずの"営み"においてさえ【空間】属性の【転移】魔法の術式を利用しているイセンネッシャ家は、きっと、極めて非「自然」的な一族であるに相違ない。
それが"私生児"ツェリマの長年の思いである。
たとえ【騙し絵】家が――少々、自然ではない方法で、精と卵を結びつける独特の営みを駆使しているとしても、それでもツェリマは「私生児」の烙印を押されているのだ。
彼女こそは、徹底的に管理された「継承」計画の中に生まれた非自然に他ならなかった。
(母様。なぜ、私を産むためなどに、あのようなことを)
何のことはない。
ツェリマの母もまた、イセンネッシャ家の血族に連なる女であったが――ほとんど血が薄れた分家の末であったが、彼女は、どうしてもツェリマとデェイールの父にして現当主ドリィドの"血"を欲したのである。
そうして、当事はまだ分家にも広く共有されていた【空間】魔法の術式を悪用し、【騙し絵】家の独特の"営み"を悪用し、ドリィドの精を盗み取って、自らの胎の中にそれを【転移】させたのであった。
だが、その"行為"こそは、当主の血筋にのみ許された禁忌でもあった。
すなわち【騙し絵】家の当主が、継承の儀を行う『唯一の嗣子』を産む時にのみ、行われる房中の営みが、まさに私の利欲のために悪用されたのであった。
予定されなかった嗣子。産まれてはならなかった長子。
異母弟にして"正嫡"たるデェイールが、ツェリマの存在を疎むと同時に、しかしまた脅威に思っているのは、そのためである。それでもツェリマが当主ドリィドの血を引く嗣子であると、「自然」的な意味では定義することができるために。
かの『画狂』から引き継いだ【空間】魔法に関する知識と力を受け継ぎ、イセンネッシャ家の『秘術』を受け継ぐに相応しい「器」であるがために。
その本来の「器」として帝王学を施されてきた"弟"からすれば、ツェリマの存在は、己の立ち位置を脅かす者以外の何者でもない。
現実に、現当主ドリィドが健在であるため表面化してはいないが、既に家中では分家筋・臣下筋を巻き込み、デェイールを支持する派閥と、劣勢ながらも決して小勢ではないツェリマを支持する派閥が形成されつつあったからだ。
――だが、今は、今だけは姉弟は共闘関係にある。
個人の些細な感傷や渇望の類というものなど、一族の悲願の前には投げ捨てねばならないが故に。
「さぁて、実家で分析の結果が出たよ、姉上ェェ……こいつは、どうも意図的に引き起こされた"転移事故"に違いないってさ?」
【紋章】家第一の走狗たるロンドール家が心血を注いで育て治める『関所街ナーレフ』。
その内に構築された「余剰空間」の隠れ家には、ツェリマとその"弟"デェイールだけではなく、グストルフ以下の「リュグルソゥム家残党追討部隊」の面々――珍しく【剣魔】デウフォンも――と、かつてツェリマが指揮し、育て、今は眼前の"弟"に奪われた『廃絵の具』の面々が居並ぶ。
ささやかな、しかし、一度でもイセンネッシャ家と関わった者にとっては、その後の人生を終えるまで見続けることになるであろう、ごくありふれた【空間】魔法によって、デェイールが「それ」を机上に呼び出す。
「うへぇ! 気ン持ち悪いなぁ、アッハハ」
それは、一見、どこか硬い岩盤の洞窟の剥離した岩片である。
何の変哲も無い無機物に過ぎない――人間の指が生えていることを除けば、であるが。
「【転移】事故ってぇと、あれか? おたくら【騙し絵】んところのおっかねぇおっかねぇ"技"が、暴発でもしたらそうなるってか?」
"新"指差女爵が処刑されるところを見たいと言ってぶらりと出かけつつ、珍しいことに放浪者のデウフォンを連れて会合の予定時刻通りに戻ってきた【冬嵐】家のハンダルスが、まじまじと、まるでイモムシのように未だ蠢く"指生え石"を凝視した。
【鹵獲魔獣】はおろか、転移事故についてまで【騙し絵】家の係累ではない者達に知らせることは異例中の異例であると言えるが――相手が相手である。
「本当にリュグルソゥム家には驚かされることばかりだ。とうとう、僕らの"秘術"の秘密にまで、王手をかけたようなものだからねぇ? 姉上ェェ?」
「取り逃がしたら"学習"されて復讐される。ほんと、ある種の『虫』よりもタチが悪い連中ねぇ、本当に」
【精神】魔法の大家である【歪夢】家――の走狗【罪花】の名代たる群青の女術士トリィシーが、加えた煙管、心底うんざりしたようなため息とともに紫煙を宙に吐き出した。
この場に、どうして【歪夢】のマルドジェイミ家を代表するのが"たかが走狗"に過ぎない【罪花】の術師であるかを問うほど物事を知らない者はいないが、あえてそれに答えたり反応したりする者はいない。
十三頭顱侯家はいずれもそれぞれの事情があって「リュグルソゥム家の誅滅」という大きな船に乗ったものであるとツェリマは了承しているが――その中でも、憎悪と嫌悪によって、真っ先に乗ったのがマルドジェイミ家である。
下手に刺激して、余計な"情念"の飛び火を受けてはたまらない、という程度のことは徹底されていると言えよう……約一名、猫のように目を細めてイヒヒと笑い、余計な一言を挟もうとする覗き趣味の馬鹿者を睨みつけて黙らせた。
「――おそらくは迷宮に潜り込んで、その先で"力"を得たか。連中は【魔人】に近い何かと化している可能性は、ある」
それが"私生児"と"正嫡"たる姉弟が至った、一つの推論であった。
然もなくば、ヘレンセル村で経験したあのような大規模な"魔法陣"を、たった2名で、それもこの短期間で――まして"長き冬"の災厄に覆われたこの地で構築できるはずはないからである。
「術式の原型は"例の誅殺の日"の襲撃で。そこに、実家の傘下の【教団】の連中を中途半端に使ってしまったものだから、丸ごと盗まれたってところかな」
「『ハンベルス鉱山支部』は、叛逆したにせよ陥落したにせよ、既にあちらの手中だ。私達を狙い撃ちにしたようだな、【転移】魔法を使えば暴発する。その結果は、ご覧の通り。そこの"下世話な利用法"がいくらでも想像できそうな下品な玩具の出来上がりだ――指だけで済む、とはこの場の誰も思わないな?」
――リュグルソゥム家を王都と西方の最前線で同時に屠った連携の核が【騙し絵】家の【空間】魔法である。
学習できれば非常に有用な"武器"としてその後も活用できるという意味では、復讐する側からはこの上もない、最初の標的、であろう。
「姉上ェェ……ひょっとすると、この僕に感謝をすべきなんじゃないかな? 無策で踏み込んでいたら、その麗しいお顔が岩肌剥き出しの洞窟を飾る痛快なオブジェになっていたろうに!」
これは惜しいことをした、と悪びれることなく述べるデェイール。
グストルフが意味深な、笑っていて決して笑っていない謎めいた眼光をちらとデェイールに向けるが――意外にも、会合の場でまで第2位の"正嫡"を相手に、昇格したばかりの末席に過ぎない家格でいきなり食ってかかることはしない分別があったか。
黙ったまま、今度はツェリマを向いて、言い返さないの? とでも言いたげなやけに熱のこもった眼差しを送ってくるのであった。
――リュグルソゥム家残党の思わぬ"攻撃"に撤退し、関所街ナーレフまで引き換えして情報収集に一旦専念していた折。
ツェリマにとっては「よもや」であったが、なんとグストルフは本当にツェリマに気がある素振りを伝えてきていたのであった。
曰く、「彼のアイゼンヘイレ家の"落とし子"グルカとフィーズケール家の"お転婆"『剣姫』ヴィッラの如く」とかなんとか。
曰く、「ツェリマ姉さんの胎の中に入りたいよ」とかなんとか、聞くものが聞けばとんでもない猟奇趣味に聞こえなくもない、幾分、過激過剰の類の猫撫で声ではあったが。
だが、前者にしても、そうして誕生した【纏衣】のグルカヴィッラ家の誕生、約100年ほど前であるが、それがアイゼンヘイレ家とフィーズケール家の大抗争に発展し、それが【破約】派と【継戦】派の全面的な抗争に発展したことをどう捉えているや否や。
……なるほど、"自然"な意味での「女」として求められること自体に、意外と悪い気がしたわけではない。"私生児"とはいえ、魔導貴族に連なる女として、ツェリマ自身もまた性に関する教育を受けており――無論、二度と間違っても「私生児」などを孕むことが無いよう、いかに【転移】魔法を使って適切に避妊をするかという房中術についてを、本家筋の女どもからであったが――少なくとも、父によって法的に一族の者と娶され、過程をすっ飛ばして懐妊させられることに比べれば、ずっとずっと、マシなことだろう。
だが、その"房中術"を使って、グストルフというこの軽薄な年下男の一物を飛ばしてやるのも面白いだろう、とツェリマはその時考えたものだ。
きっと、この軽薄を装う油断の無い青年は、それを予期しておりこちらが予想もつかない「技」を披露してくれる――かもしれない。各々の秘術を隠し持つ頭顱侯家の一角の"嗣子"たる弟デェイールをして、「大道芸人」と評される程度には、グストルフの技は予想外のものであったからだ。
リュグルソゥム家の直系男子を1対1で屠った、という意味では、その戦闘魔導師としての実力とセンスは、相も変わらず憮然とふんぞり返って座っている【剣魔】デウフォンに決して劣るものではない。
それだけに、リュグルソゥム家の残党2名にとっては、言わば自分達「追討部隊」は"仇"の実働部隊そのものなのである。
「イッヒヒ……でも、悲劇の侯子様と侯女様は、関所街では仕掛けてこなかった。この事実を、新しい『廃絵の具』の指導者様は、どう見やがりますかねぇ?」
「姦しいなぁ、ご自慢の【光】魔法で日銭稼ぐぐらいしかできなさそうなそこの大道芸人君は、本当に。まぁ、要するに連中にだって事態は"想定外"だった、てことだろう? 流石に旧ワルセィレの"事情"まで事前に知ってたら、そんな情報収集能力あったなら、彼らは易々と滅ぼされていたりはしないだろ」
デェイールはツェリマと同じく、リュグルソゥム家は"裂け目"の向こう側で何らかの――【闇世】に属する力を得たと見立てている。
だが、復讐がほぼ確実にその動機ではあるだろうが、隠れ潜んだ地に【血と涙の団】だの【四季ノ司】だの、おまけにロンドール家の【紋章】家に対する策謀だの、込み入った事情が拌酒のように絡み合い溶け合った土地であったとまでは、想定していなかったであろう。
――まず『関所街』に浸透するための"拠点"としようとしていたヘレンセルに、【春司】という化け物が襲来することは、想定外であったはずだ。そしてその混乱の中で、ツェリマ一行とデェイールを見て、彼らはやむなく隠していた力を見せつけて、迎撃撃退せざるを得なかった。
「本当は、もっと準備してから襲撃でもするつもりだったんじゃないのかな? ロンドール家が何をやろうとしているか把握できていて、そこを利用する準備が整っていたなら、あそこで襲撃しない手は無いんだから」
「逆に、何もかも準備不足で不十分ならば、私達に中途半端に己の存在を知らせるわけがない。"裂け目"で得た力が惜しいか、そこで守る何かがあるかはわからないが――どれだけの備えがあろうとも、種が割れれば恐れるものではない」
「逃げられないなら逃げられないで? 巣穴を枕にでもして、潔く討ち死にして欲しいものだね。こちとらその"巣穴"に用事があるわけだから、せいぜい、後腐れも後始末も無く綺麗に明け渡してほしいところだけれど……」
「イヒヒ。まぁ、森で仕掛けていた魔法陣の規模からすると、僕様が見立てなくたって、【闇世】でも相当悪辣な"罠"が張られてるって皆思ってただろうけれど――」
その"秘策"こそが【転移】事故だった、というわけである。
知らなかったならば、想像を絶する被害が出ていたに違いない。
――【転移】魔法を発動した瞬間に。
いや、その力によって【闇世】の向こう側に出現した瞬間、おそらくは【魔人】に比肩しうるだけの強大な魔力によって生み出された【空間】魔法をぶつけられ、歪みの術式そのものが歪まされ、計算を狂わされ、飛ぶべき地点に飛ぶべき者が、文字通りに飛び散ることとなっていたことであろう。
「だが、種が割れれば、イセンネッシャ家に通じることはない」
例え、盗み学ばれたとはいえ、【空間】魔法の大家たるはイセンネッシャ家なのである。
相手が【空間】魔法の性質を悪用できることに気づき、これこそがイセンネッシャ家の喉笛を食い破る奇策だ――と【転移】事故を切り札とし、これまでに【人攫い教団】を2度、そしておそらくは【鹵獲魔獣】をも撃破したのだとしても。
そのような舞い上がりが"本家本元"に敵う道理は無い。
単に、最初から干渉されぶつけられ暴発させられるためだけの【空間】魔法が仕掛けられていることを前提とした「計算」を行えば良いのであるから。
デェイールが用意してきた「本家からの援軍」とは、ただ単に、彼を支持する者達が合流してくるだけではなく、つまり、そういうものなのであった。
――ツェリマとて、声をかければ、同じように集う支持者達はあるだろう。
だが、"私生児"だの"正嫡"だのと周囲から比較され対比されてきた姉と弟ではあったが、彼女は決して、自身が次期当主の座を射止めたいというわけでもなかったのだ。
「だがよぉ、デェイールの旦那、いや、若旦那? あの【鹵獲魔獣】だっけか、あのイセンネッシャ家の"取っておき"があるんだろ、あれをもう一回放り込んで中で暴れさせりゃいいんじゃねぇのか? 罠なんてそれで全部、発動させちまえばいいだろう」
ハンダルスの言うことに一理が無いわけではない。
デェイールも、ツェリマも、"裂け目"の向こう側に――【鹵獲魔獣】75体と武装信徒数百名を丸ごと撃破してしまう"仕掛け"と備えがあることがわかっている以上、迎撃の罠や魔法陣群が再建される前に、改めて露払いとしてそれらを投入する手もあっただろう。
――だが、とある事情により、それは既にできない。
「なんだ、魔獣頼りなのか? それでも【盟約】派の端くれか、【冬嵐】家め。ははは! 【鹵獲魔獣】はあれで全て打ち止めだ、ご主人の"精霊狂い"どもには、領内であれを解き放たれるような心配はもうしなくていい、と報告しておけよ、痩せぎすで見ているだけで寒くなる犬野郎」
「はぁ? なんだそりゃ。"在庫処分"だってか? ……それで、大して隠しもせずに俺達みたいな"厄介者"にまで披露なさったってわけですかい、そーですかい」
表向きの理由をデェイールが発したであろうことを、ハンダルス以外の誰もが理解していたことだろう。
ツェリマもまた、"私生児"であるが故に、真の理由そのものは知らされていなかったが――デェイールから「共有」された情報としては、どうも、イセンネッシャ家が"悲願"の成就に向けて本格的に動き出すに当たり、【亜空】を空にしておけ、という父当主からの指示があったようである。
そうして一時的に"空"になった【亜空】を、デェイールは、2度ならず3度までも成功させた【転移】事故に味をしめているであろう、リュグルソゥム家残党の"罠"に対する痛烈な「返し」とするつもりであるようだった。
「おい、凡愚ども。揃いも揃って――厄介なことを、一つ、忘れてはいないだろうな?」
そこで珍しくも【剣魔】デウフォンが、このような会合の類を嫌う彼が――良く言えば一匹狼、悪く言えば独断専行の擬人化たる【魔剣】家の戦士らしくなく、非常に珍しくも"警告"を述べた。
「あれは"裂け目"だぞ? 『禁域』から戻った"イレギュラー"だかなんだか知らないが、魔獣が溢れ出る大氾濫の根源で、"荒廃"を吐き出す瘴気の門だ。あの"裂け目"の向こう側で待ち構えているのが、リュグルソゥム家の残党のみだと、どうして断定できるんだ?」
貴様らが自分で言っただろう、リュグルソゥム家の兄妹が【魔人】となった可能性がある、と。
そう鋭く指摘するデウフォンだったが、意外なことに――そして不可解なことに、即座に反論したのはグストルフであった。
「イッヒヒ。デウフォン卿が意外な心配性で僕様ちょっと驚き。まぁ、【騙し絵】家の【鹵獲魔獣】が、あっち側で盛大に潰し合ってくれたんじゃない? 大昔の神話の大戦争なんて、どこまでが真実で誇張か知れたもんじゃあないしね? ね? ツェリマ『部隊長』?」
トリィシーとハンダルス、そしてそれまでずっとまるで灰の中に隠れるようにして、席に座らず部屋の隅で、まるで廃人を演じるかのようにうずくまっていたサイドゥラが、ツェリマとデェイールを見た。
だが、姉と弟は沈黙と、しかし、不敵な眼差しと笑みで以て「解」とした。
「――まぁ、貴様らが魔獣の餌になろうが、俺には関係の無いことだがな。精々、つまらん死に方をするな」
無論、グストルフの指摘の通りでもある。
……いささか、まるで"裂け目"へ攻め込むという既定路線に対する慎重論を早々に潰したかったかとすら思えるほどに即座であった点が気になったツェリマであったが――グストルフが意味ありげに笑い、眼差しをあちこちに送り、またぶつぶつと呟いているのはいつものことだと意識を向けすぎないことを既に学習している。
話をデウフォンの「意外な心配性」に戻せば、デウフォンは「リュグルソゥム家残党が魔獣を操っていたら」という可能性を指摘したかったのだろうが――ツェリマは、彼の亡家の兄妹が【魔人】に近い存在に成り果てたとは言ったが、【魔人】になった、とは言っていないのであった。
侯子ルクと侯女ミシェールが、【魔獣】を操る存在にまでは至っていないと、【騙し絵】家だけは断言することができる。
『禁域』とされた"裂け目"とは【魔人】が討たれ、空となった"裂け目"である。それはすなわち「魔獣を生み出す力」を失った"裂け目"であるということ。
――【魔人】という存在の正確な、本当の意味での、『魔導大学』の学者達も、そして『末子国』の司祭達も知らない本当の正体を、【騙し絵】家だけは、正確には「継承の儀を受けた当主」だけは、知っているのである。
それもまた、イセンネッシャ家の"悲願"の根幹に関わる話ではあるが。
決して『長女国』と相容れぬ話であるため、そのような秘部についてまで、ペラペラとこの場の他家連中に情報を与えてやる理由は無かった。
「知っている」という結論だけを、本家の"大婆様"から伝達されたのみであり、肝心の「どうして」という部分についてはツェリマはおろか"正嫡"であるデェイールですら聞かされてはいなかったのではあるが。
しかし、少なくともこの一件については「本家」が、すなわち現当主たる父ドリィドが断言し保証した事柄であった。
表向きには「お家騒動」の片鱗すらも許さない厳しい姿勢を、この【騙し絵】家の「全て」を受け継ぎ、そして知っている父が示しており、表立ってデェイール派だツェリマ派だと標榜するような愚か者は家中にはいない。
だが、デェイールが集めた『本家』からの援軍は、従爵家の次男三男や若手の従士・侯軍兵などを中心に、既に戦力だけならば『廃絵の具』を上回る規模となることをツェリマは把握していた。
ツェリマにとっては「リュグルソゥム家の討伐」が功績の条件となるが、デェイールにとってはそうではない。それは"汚れ仕事"であるからこそ、彼女が『廃絵の具』を率いて王都でリュグルソゥム家当主一行を襲撃する主力を為した。
一方で、"正嫡"たるデェイールにとって、そして彼を支持する家中の者達にとっては、【騙し絵】家の悲願たる『末子国』に封印されていない"裂け目"の確保――という巨大な功績をその掌中に収める絶好にして絶対の機会なのである。
そこから導き出される結論は、『廃絵の具』は粛清――まではされずとも、その役割を終えたと判断され、解体される可能性があるということであった。
それが、手塩にかけて彼らを育て上げた、『部隊長』ツェリマの懸念である。
次期当主の座など、弟にくれてやればよい。
自分は、ただ、母がそこまでしてこの世に生み出した自分という存在の力が、正当に、能力と実績と功績によって、認められるべき範囲で認められればそれでよい。そのこと自体は、猜疑心の強いデェイールは決して信じはしないであろうが、一族の者との間に子を為すことを認められた、つまり、次代の【騙し絵】家の戦士を生む母胎として「認められた」ということによって、ほとんど達成に近づいていたのである。
――そうではなくて。
ツェリマは『廃絵の具』達の一人一人に、手柄を立てさせてやりたかったに過ぎないのであった。
自分と同じように、【人攫い教団】の信徒の女達の胎を借りて産み落とされた、この"私生児"達の部隊に。
ほどなくデェイールが【転移】魔法により、手紙や指示書などをあちこちへと送り、また受け取る作業を繰り返し始める。
いよいよ、彼の支持者達がそれぞれの準備を終えて、集うのだ。
"裂け目"の向こう側に潜んでいるであろうリュグルソゥム家残党との決戦が開始するのは、すぐのことである。
いつもお読みいただき、また誤字報告をいただき、ありがとうございます!
気に入っていただけたら、是非とも「感想・いいね・★評価・Twitterフォロー」などしていただければ、今後のモチベーションが高まります!
■作者Twitter垢 @master_of_alien
読者の皆様に支えられながら本作は前へ進んでいます。
それが「連載」ということ、同じ時間を一緒に生きているということと信じます。
どうぞ、次回も一緒にお楽しみくださいね!





