0170 台本から展開(シナリオ)を読み解くが如く
1/15 …… ラストの描写に加筆修正を入れました
父の死で"高貴なる責務"に目覚めて発奮したエリス嬢にラシェット少年をつけ、かつ、それをネタにマクハードを関所街に送り込む話をした、ちょうどその折。
ヘレンセル村で老トマイルもまた、静かに息を引き取ったことを俺は聞き知らされていた。
彼もまた、生き残っている元【涙の番人】の一人である。
あるいは、生きている間に再び【春】をその身に、少々過剰な形で浴びすぎたか。
はたまた、もはやただの単年の者ではない【四季に客う者】としての俺の存在を感じ取り、【血と涙の団】がついに蜂起したことに対することに、後は任せたという安堵の念にでも全身を包まれたか。
死に目に立ち会ったわけではないため、状況や知り得た情報からの推察とはなるが――そもそも、俺の【命素操作】を中心に施した"活性化"自体、いわば彼の命の灯火に対する最後の輝きを与えたようなものであったと言えるか。
このことから、俺は改めて『称号』に関する考察を行う。
振り返ってみれば、老翁トマイル氏という隠遁者の情報は、事前に忍び込ませ、文字通り「壁に耳あり」を地で行っていた寄生小蟲達の活躍もあり、ヘレンセル村に来た早い段階で既に把握していた。
何せ300人程度の確執を内在させた村である。この"長き冬"によって体調を崩していく者が多い中にあっては、老翁トマイルのような人物は、良くも悪くも距離を置かれつつも、人々の会話に上がる存在だったからだ。
それほどの"人物"であるならば、称号の1つや2つ有しているか、あるいはそれがこの俺と関わることで変化したり、はたまた増えたりしうるのではないか、とも思っていたわけだが――結論は「外れ」。
訪れるのが数日遅れただけで、老翁トマイルは保たずにあの時に既に往生していたろう。
ならば、逆説的に、俺の来訪を仮に「必然」だとして、そこに彼が生きた意味が生ずるならば。つまり、諸神にとって意味ある"駒"だと認識されれば、称号が新たに生えてきてもおかしくはなかったはず――ラシェットと同じように。
……そうした見立てであったのだが、こうしてその、少しばかり遅らされたに過ぎない"死"を聞くだに、どうも諸神のお眼鏡には適わなかったと見える。
少なくとも故トマイル老が関わった称号持ちである、この俺やマクハードにとって、彼はもはやあの時点で残されていた命の時間としては(多少延命はされたが)、もはや何か劇的に「活躍」する余地が少なかったのだ。
確かに、偶然か必然か、定命の者たるこの身には判然とはしないものの、俺と老翁トマイルの道は交わった。交わったのであるが……俺という新たな"称号持ち"と関わらせて、新たな何かの展開を生み出す"駒"とするには、老翁トマイルはあまりにも老いすぎていて、もはや使い途などなかったとでも言うべきか。
そう。
"展開"だ。
それぞれに異なる背景と、歴史と、思考と思惑を抱いた者同士が遭遇すると、そこに新しい何かが生まれたり、生まれなかったりする。
眼鏡の奥に、命と存在のやり取りを当たり前のように切り結んでいた時代の人間達が持っていたであろう、ある種の楽観的なまでの悟りを秘めた、"先輩"と呼ぶべき人がいた。
俺がそういうことを知った最初は、きっと、あの人との関わったことであるが……それをこの世界の法則風に解釈を試みるとすれば、果たして、どちらが称号を"生やされ"た側であったかな。
――意識を考察に戻そう。
"称号持ち"が"称号持ち"を呼び、惹かれ合い、あるいは生み出す。
展開と展開が巡り合い、そこに新たな展開が生まれ、あるいは変化する。
ラシェット少年に称号が"生えた"段階で、神々によるその姿も見えず声も聞こえぬ、しかし貼り付けられたような「視線」が垣間見える気配を感じながら、俺はそれを逆手に取ろうと考えていた。
≪オーマ様。黙って、お考えを拝聴していましたが、突っ込ませてください。オーマ様……あなた、まさか……!?≫
たまりかねてルク青年が、わざわざ眷属心話を副脳蟲どもに中継させながら、口を挟んできたな。
本当に、大概な奴だな。気になることがあったら、一言いわずにはどうしてもいられない。
そういう性分だということは知っているが。
≪オーマ様のおっしゃる「技能テーブル」見て苦笑しましたよ、本当に、まったく。だって、これでも信心深いつもりですしそれなりに英雄王様の手助けをした神々には敬意を払ってるつもりなんですよ? ……でも、あぁ、そうか。ただの敬意に過ぎないから、ダメってことなのか? 例の「経験点」のルール的には。うーん≫
こう考えれば良い。
神が"称号持ち"同士を導いて引き合わせ、それどころか必要があれば新しい"称号持ち"を発生させるということは――この世界に、あるいはその神自身で認識票付けした「お気に入りの"駒"」の周囲に、次に引き起こしたい出来事や現象、展開を引き起こそうとしていることと同義ではないだろうか。
そしてその次の「展開」の「内容」こそが。
これらの称号とその小技能テーブルに現れている。
――だったら、俺は逆に積極的にその"称号持ち"達を訪ねて、視て、称号を識れば良い。もしくは、俺と遭遇することで"生える"かどうかを見極めれば良い。
そうすることで、俺は、諸神がこれからこの先この世界と、そしてこの俺の周囲において、一体全体何をしでかそうとしているのかを――あらかじめ、先読みすることができるようになるのである。
≪神々の思惑を測り、決して侮ることなく、それどころか限りない警戒心という名の畏敬でもって接し……しかし、服さないからこそ、冷静に、冷徹にその引き起こそうとする人の因果を読み取ろうとする。恐ろしき、我が君≫
例えばラシェット少年の称号は、俺に一種の覚悟を強いるものだ。
技能【悲劇察知】に余計なお世話を受けるまでもなく、彼は今後、どこかのタイミングで"艱難"に見舞われるだろう。だが――それは「今」ではないはずである。
いつになるかはわからないが、この先、ラシェット少年と関わる形で"英雄"が現れうる。その存在とラシェットが遭遇して、"友"となるという"展開"が起きるまでは――。
≪そうか! そういうことだったんですね……オーマ様! どうしてラシェット君を死地にあえて送った……お送りになったかと思っていましたけど≫
≪主殿なりの"勝算"はあった、ということか≫
≪御方様が無策で何かを為すわけがないだろう? ――我ら一同、御方様と出会い、そして導かれてここに在る。御方様と出会うことがなかったならば、各々、どうなっていたかなど、自分自身がよくわかっていることだ≫
現に、俺はラシェットを気に入った。
幼蟲からの引き継ぎ技能【矮小化】によって特別にサイズを"調整"し、しかもその体内に「緊急回収」の術式を仕込んだ上で"猫"に化けさせた表裏走狗蟲をラシェットにつけ、あとついでにちょっと変わった"入れ墨"を織り込んだ防寒の上着を渡して「いざ」という時にはエリスを抱きしめてとある言葉を叫べと伝え、さらにダメ押しとばかりにユーリルもつけた。
無論、色々な意味を持たせたものであり、決してそのためだけではないが――これは、偶然であるのか必然であるのか。
――逆説的だが、ラシェットが簡単に死んでしまい、その運命を称号ごと喪失する可能性は、常人よりは低い。
この俺や、この世界に住まう者達の自由意志が神々によって侵されうるとまでは思わないが(そこまで強力な誘導ができるなら、そもそもこの中途半端なシステムは不要のはず)、影響は与えられている。
ならば、それを先読みすることで、少なくとも次の展開に備えたり、最低でも心構えをしておくことが、できるということだろう?
≪――それでマクハード、あの"商人"とあそこまで手打ちされたわけですね。改めて≫
≪か、神様達の思惑を……逆に利用して、死ぬ可能性が低いってんで"偵察"に放り投げこむ……キルメ。僕たちやっぱり、とんでもないところに、生まれてしまったよなぁ≫
次の展開は、読めている。
俺が知っている範囲では、それは、【獅腹を食い破る者】に相違ない。
可能ならば、例えば『執政』であるハイドリィ=ロンドール辺りを【情報閲覧】できればより確定できただろうが、マクハードが持っていた称号は、その意味でも象徴的だ。
死したる老トマイルより生前から後継者として【血と涙の団】の"後見役"を引き継ぎ、同胞達に疑われ煙たがられながらもロンドール家の下であえて泳がされてきた。
【春司】の一件で【血と涙の団】が蜂起した今、用済みの存在として、本来的には関所街に戻りなどすれば、真っ先に"縛り首"にされる危険性が一番高いのが彼なのである。
――だが、彼はまだ、何者の腹を食い破ってもいない。
たとえその称号が、俺と遭遇する前に獲得したもの、つまり既に展開が発生済みである可能性があるものだとしても、"獅子"と評されるべきものの腹を食い破ったのが事後ならば、彼は今このような立場に安住しているはずがないのである。
では、獅子とは……泥水を啜りながら使い走りに落ちながらも、与しているロンドール家か。
あるいは、利害の一致から共闘関係となり、自身の関所街行きを承諾しつつ、交換条件【深き泉】行きを要請した、この俺に対してか。
はたまた――【血と涙の団】と旧ワルセィレ。
ひいては、それらの核のシステムたる【泉の貴婦人】と【四季ノ司】達に対してのものであるか。
『長女国』においては魔法の"枯れ井戸"扱いではあっても、元【涙の番人】である。
魔法によらない超常についてまで、何らかの"隠し玉"がある可能性まで直ちに否定されるわけではなく――仮にそうした「食い破る」手立てがまだ彼の手の中にあるならば、それもまた警戒対象であった。
故に、ラシェットと同じ理由で、マクハードを『関所街ナーレフ』に送り込んだのである。彼の要請に従い、【深き泉】へと歩みを進める準備を、急ピッチで進めながら。
≪ロンドール家が成り上がりを狙うなら、ただ単に「秘匿技術」を得るだけでは足りません。成長する大都市と、その経済力を管理して、纏わる利権を吸い上げるための手足――自前の「走狗」集団がどうしたって必要になりますからね≫
≪エリス=エスルテーリも、そのことを理解したのでしょう。時宜を得た良いタイミングと思います、我が君。その中で公然と処刑など、できるわけがない≫
無論、「公然」とが難しいだけであり、その気になればエリスの激詰めをのらりくらりといなし、受け流し、些細な失言を言質を取ったことにして捕らえるか、続きは代官邸で、とでも促して軟禁であろう。そもそも、エスルテーリ家の従士達のうち、"裏切り者"も"忠誠者"も、どちらも事前に彼女を「保護」してしまったとしてもおかしくはない。
だからこそ、そこに【血と涙の団】の指導者格であるマクハードを同行させることによって、この"出頭"の意味合いが根底から変わることとなる。
≪内外から【血と涙の団】が呼応して挙兵、進撃。支配下の街が混乱に陥るのを、最も警戒していたのだろうな、ハイドリィは≫
≪故に、御方様の一手はそれを足踏みさせる一手となったわけですな。マクハードめにとって、何が最も重要であるか、を見越されて……≫
マクハードの、全てに通じて立ち回っているようで――どこか、本来の彼が属するべき集団である旧【森と泉】に対する距離感がどうしても気になったのである。
それは特に、俺が介入しなければ、【血と涙の団】もエスルテーリ家もロンドール家の思惑と【騙し絵】家の"気まぐれ"によって、ヘレンセル村ごと壊滅していたであろう事態にあっても――どこか飄々と超然と「それならそれで仕方ない」という態度を崩さなかったことに対して、である。
いっそ、本当に『長女国』に対して魂を売って、同胞達の血肉を生贄に彼自身がハイドリィの最も重要な「走狗」にでも成り下がろうとしているとすれば、物事は非常にシンプルなほどだ。
――だが、己の尊厳や命以上に大事なものがあるならば、ある種の人間は己自身をも、そして他者をも切り捨てることができるということを、俺は知っている。
そしてマクハードの場合、その切り捨てることができる存在が【血と涙の団】の実働部隊という、故トマイルから引き継いだ"後見"すべき者達であるならば――彼にとっての「大事」なものとは、何なのであろうか?
≪でもオーマ様! 各種の"感知"や"察知"には、何も怪しいものは引っかからなかったんですよね? マクハードさんは≫
無論、それはその通り。
だが、力や能というものは――『長女国』ではないが、魔法だけを指す概念ではないし、超常だけを指す概念でもない。例えば"人脈"などもその範疇と見るべき。
……いずれにせよ、彼の目的そのものに旧ワルセィレの法則が関わっている可能性は高い。ただ単に、その対象の中に【血と涙の団】や、下手をすれば、旧ワルセィレの民は入っていない――切り捨てることのできる対象にすぎない、ということを意識しなければならない。
何となれば、マクハードの行動は、ハイドリィ=ロンドールの悲願の成就を側面支援・援護射撃していると受け取ることもできるものでもあったからだ。その意味では、きっと、彼にとって「ロンドール家の勝利」は問題がない。
――そこから"掻っ攫う"見通しがあるのであれば。
≪同様に、我らの勝利もまた、そこから掻っ攫われる――ということだな? 主殿≫
心構えて、備えて、無策ではない状態を作らなければ、そうなるだろう。
不思議に思っていたのだ。
俺に【春司】が、一時的とはいえ宿り、ソルファイドにはその乗り物として酷使されて魔法的霊的存在となった元【焔眼馬】という魔獣が宿った。
ヘレンセル村に必要以上の長居をせず、早々に後にしたのは、迷宮に戻って"備え"をする目的もあったが――今この時点では、【四季ノ司】と結びついたという優位を宣伝活動に用いるわけにはいかなかったからだ。それでは、苦心してハイドリィの目を【深き泉】に向けさせようとしている意味が、無くなってしまう。
だというのに、そのような"事態"に際して、マクハードは俺にむしろ――【深き泉】に向かうように強く迫ってきた。
曰く、その"力"を確実に【泉の貴婦人】様に返してほしい、と。
≪正攻法ならば、象徴にでも仕立て上げて……実際オーマ様の指揮については対【春司】で理解したはずですから、檄文を各地に送りつけるとかしても良さそうなものですが。それか、ハイドリィにこれ以上奪われないように、姿を隠すように要請するか≫
只人であると侮るなかれ。
マクハードは、【騙し絵】家侯子デェイール、ユーリルを送り込んだ"梟"ネイリー、といった面々に並ぶ"指し手"である可能性を俺は意識していたのであった。
本人に直接的な力が無かったとしても、実際のところそれはさして問題ではない。
そういう力を持った者を呼び込む伝手さえ、保持していれば良いのだから。
同じレベルの盤面を見ている"指し手"同士が、少なくとも認識している者同士が、互いに連絡を取り合い、最低限の「ルール」について合意を持っているということなど、当たり前のことだろう?
ロンドール家とエスルテーリ家を一段飛び越えて、【騙し絵】家、"梟"のネイリーが気脈を通じ合っており、そこに【血と涙の団】の"後見役"マクハードが加わっていたとしても、おかしくはないのである。
それが、俺もまたハイドリィ=ロンドールと同じように、マクハードをこうして操り、また同時に泳がせた理由であった。
≪ハイドリィが考える「秘匿技術」の内容次第……まぁ、大方見当はついていますけれど、その性質次第で、マクハードにも「干渉可能」な余地があるでしょうね≫
≪彼にとっては、ハイドリィであろうと我が君であろうと、誰かが【泉の貴婦人】に至りさえすれば良い。そういうことだったのかもしれませんね≫
≪だが、御方様を動かすにはその望みを叶えなければならない。ハイドリィに【深き泉】へ早期に行くように唆すならば、ここが最後の機会だった、ということだな?≫
――そういう意味でもマクハードに「余計な考え」を起こさせないように、例えば俺の存在を『関所街』で暴露などすることがないよう監視させる意味も込めての、ラシェットとユーリルである。
そして万が一「余計な考え」を実行でもされた際に、ラシェットに持たせていたいくつかの「緊急回収」は……そのまま「対抗措置」に転化すべきものであったが、幸い、マクハードは見込んだ通りだったようだ。
結果、副脳蟲達からの報告により、目論見通り、マクハードがエリスとハイドリィの舌戦に介入。【深き泉】に向けて行動を開始し、この"長き冬の災厄"を終わらせ解決するための行動を取るという決断を、衆目の中、そしてツェリマ一行も見ているであろう中で宣言したとのことであった。
そこにエスルテーリ家軍を抱き込む形を取り、エリスとラシェットが【深き泉】まで連れて行かれることとなったのは、予定外ではあるが、想定外ではない。
同時に、ユーリルからは"梟"ネイリーからの「撤退」と吸血種達が治める商都『シャンドル=グーム』への招待を受けたという報告が続く。
主要な"指し手"と目していた一人であったが、彼にとっての「盤面」はここまで、ハイドリィを決起させることと……そして思惑は不明であるが、【闇世】の"魔人"と伝手を持つことまでできれば、後は高見の立場であるか。
だが、これで、ロンドール家の【深き泉】侵攻軍と、【騙し絵】家とリュグルソゥム家追討部隊の合同を阻止するか、最低でもそれを【深き泉】側で迎撃する重要な"仕込み"が完了した、と判断して良いだろう。
≪それで、主殿。どちらから、仕掛ける?≫
ハイドリィと【騙し絵】家の姉弟の連携可能性を潰すための手として、俺が切ったのはマクハードだけではない。
「リュグルソゥム家の残党の暗躍」というカードを切ったことで、【春司】戦に当たり、盛大に森の中で迎撃させてその"影"をチラつかせて脅威を与えつつ――向こうの立場からは予期されたことであろう「関所街」への侵入は行わないと認識させた。
その含意は、あくまでも『禁域の森』と、そこで見つけて拠点とした"裂け目"にて防御を固める、という立ち位置の印象付けなのである。
≪ハイドリィと【騙し絵】家。取引による共闘のメリットはありつつ、お互いの"悲願"に邪魔が入らないようにしたいという念もまた同じ。次の手がある、という認識が――最善手の実現への本気度を鈍らせる≫
≪滅ぼされる前の私達であれば、恐れながら、我が君の如き【魔人】が出現したと知れれば、派閥を越えて直ちに団結して、諸共に事に当たり、一気に殲滅したことでしょう。しかし、知らない、という前提でイセンネッシャ家の立場に立つならば――≫
≪ま! 先に動くのは【騙し絵】家の一味とそのオマケ達ってところでしょうね!≫
ロンドール家の助力が得られないならば、得られないで、他から援軍を持ってくれば良い。
例えば――【騙し絵】家の本家の部隊など。
【春司】に加え、【騙し絵】家によって【火】の魔獣群まで投入されてきたものを、あえて迎撃して撃破するという"賭け"の影響がここで現れたのだ。
ロンドール家の"悲願"も、【騙し絵】家の"悲願"も諸共に俺は邪魔をした。
エスルテーリ家の、そのままであれば謀殺され抹殺されていたであろう運命を変えたことで――きっとエリス嬢にもまた何らかの称号が生えていることだろうが、それを確認するのは今ではない――対抗関係を維持できたからこそ、既に賽を投げた者達は、損切りできず、新たな「決断」に強いられ駆り立てられ、更なる資材と人員と、そして何より「情報」を投入してくる。
そしてこの場合、軍勢として動くよりも、精鋭部隊・特殊部隊・特務部隊・工作部隊として動く者達の方が、行動も計画も、そして決断もずっと早いことだろう。
――つまり、先に動く可能性が高いのは【騙し絵】家と追討部隊である。
各個撃破の本質とは、方面や方角に対するものではない。ただ闇雲に分断すれば良いというものではない。そうした決断や、あるいは準備の速度差を突くものなのだ。
当然、デェイールとツェリマはお互いが収集した情報を突き合わせ、「リュグルソゥム家による"罠"」の存在は予期してはいるだろう。
たった2人に過ぎないはずの残党の仕掛けが、量においても複雑さと規模においても意外なほど強力すぎると訝っていることだろう。ヘレンセル村で見たソルファイドや俺の存在を【西方】と結びつけたり、【闇世】で何らかの力を得た等の検討程度はしているかもしれないが――発想はそこで止まる。
何故ならば、ネイリーが俺の性質については理解していても、本質について情報を持っているわけでは無かったからだ。
≪御方様の言う通り、当初から共有する盤上の"指し手"同士であれば、知っていたならば、情報を【騙し絵】家に渡していたはず、ということですな?≫
ユーリル曰く、「枯れ木のような老人」であるネイリーが真に【紋章】家に仕えているとしても――『長女国』自体の危機を避ける行動を取る気が無いのであれば、彼にとって、【騙し絵】家に俺の情報を共有するメリットは何も無い。
そして仮に共有していれば、デェイールがそもそもユーリルを【転移】爆弾として、俺の迷宮に突入させてくるなどという中途半端な手は打たなかったはずなのだ。
――500年の膠着状態の中で、大氾濫という"災厄"はありつつも、【闇世】側の本当の脅威に関する危機意識が「平和ボケ」して欠け落ちてしまった、というこの俺だけの優位条件は、未だ、生きている。
あくまでもリュグルソゥム兄妹を首魁と見なしている限りにおいて、【騙し絵】家の姉弟コンビは、ルクとミシェールが関所街まで追撃しなかったことを反撃の限界点と見なすだろう。あくまでも、リュグルソゥム家の残党は「守勢」である――と誤解してくれるだろう。
≪まぁそれどころか、仕込み中に予定外の災害のせいで、やむなく迎撃に出た、とすら思っていそうですよね≫
当然、『禁域の森』の中で派手に行われた「強力な」魔法戦を前提に、それに対しては万全を期し万難を排した"備え"で乗り込み、攻撃を仕掛けてくるつもりでいるのだろう。
好きなだけ魔法戦の準備をしてくるがいい。
"ジグソーパズル"の作業はそこそこに、何となればそこからも「要員」を抽出。
ツェリマ一行とデェイール率いる『廃絵の具』と、予見される【騙し絵】本家からの援軍を、生きて帰さぬための必殺の防衛体制の構築もまた、俺は優先してきた。
既にそのための「検証」は十二分に終えている。
だからこそ、それで終わりではない。
【騙し絵】家の勢力を嵌め殺すことを前提に、その返す刀こそが本命。
動き出したら一気呵成に事を、最後まで、迅雷の如く進めなければならない。
この『長女国』の最上位格の魔法使い集団を撃滅した後に――【報いを揺藍する異星窟】は、"裂け目"を一挙に【深き泉】にまで接ぎ木する予定であったのだから。





