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0169 幾重の双眸の中にて"新"を手繰る[視点:その他]

 物事は、立場によってその見え方というものが、大きく変わる。


 思い出せる限り古い記憶の中では、貧民通りの老夫が。

 また、ヘレンセル村外れの"野営地群"では、マクハードが。

 そして直近では――他の者達よりはもう一段だけ難解な表現であったが――オーマ「先生」が。


 ……ただ、ちょっと頑丈で打たれ強いだけの小僧に過ぎない自分を気にかけてくれた、人生というものの先達である大人達が、まるで判を押したように、同じように、そんなことを語っていたことの意味を、ラシェットは、この時、まざまざと知ることとなる。


 それは背景も抱える事情も異なる人の間で物の見方が変わる――ということではない(・・・・)

 それ以前の、もっと身近なこととして、自分自身(・・・・)が変化してしまった時に――例えば"背景"だとか、"事情"だとかが――初めて大きく変わる(・・・)ものであることを、ラシェットは今思い知っていた。


 場所はナーレフの南の関所。

 街の活気と熱気に溶かされたように湿気った雪の気配を押しのけるように立ち込める死臭と、処刑台の周りにあえて野ざらしにされている骨やずたずたに襤褸けた布地を、その切れ端にこびりついた血肉の一片を狙って遠巻きに羽ばたくカラスの群れの鳴き声。


 つい数時間ほど前に、この街の日常と化していた"処刑"が行われていたことを雄弁に物語る凶兆である。


 だが、常と異なり、死肉を狙うカラス達は舞い降りてはこず、遠巻きにまるで恨めしそうに、あるいは苛立っているかのように鳴き喚き立てるのみ。

 何故ならば、南の関所の検問前の『処刑』広場には――常とは異なり、いつもよりも多くの群衆が詰めかけていたからである。


 群衆だけではない。

 『市衛』の衛兵達と、『駐留軍』の兵士達が共同で簡易的かつ臨時的な"柵"まで構築し、必要以上にナーレフ市民達が検問まで――『執政』が、関所を通ろうとする者に、いくつかの質問を投げかけるための高座まで――押しかけることができないよう、厳戒態勢で目を光らせていた。


 物々しい気配である。

 何百、いいや、市衛や兵士達を含めれば千にも届こうというのかもしれない。

 それほどまでに多くの老若男女が、生業も、財貨の多寡も、"才"のある無しも問わずに群れなす。蠢く。


 ただ一様に、何百何千もの双眸が、自分達(・・・)に突き刺さる。

 ……少し前の、例えばヘレンセル村に出稼ぎに行く前までの自分ならば、圧倒されて目眩を起こしていたかもしれない。


「随分な歓迎だと思わないか? なぁ、ミシュレンドさんよぉ」


「……貴様があの"処刑台"で吊るされる所を見れば、皆、満足して散り散りになるだろうよ」


「――ミシュレンド。マクハードさん、いい加減に、ここまで来てもまだ嫌味を言い合うのをやめてはもらえませんか」


 だが、ラシェットはそれらに圧倒されてしまうことなく、静かにエリスの傍らに立ってじっとミシュレンドを見上げて目を合わせた。


 もはや色々なしがらみ(・・・・)を隠そうともせず、何となればエリスとマクハード一行を関所街に"連行"するかのような態度であった、エスルテーリ家の()従士長は、もはや古参従士であるセルバルカの止めを聞く様子もない。

 叱責するように仲裁したエリスに、露骨に二重の意味で見下ろすような眼光を放ってくるが、それをラシェットは見返したのである。


 いくつかの、ささやかではあるかもしれないが――魔獣の群れに直接対峙したオーマ先生の修羅場(それ)とは比べ物にならないかもしれないが――それでも乗り越えるべきものを乗り越えて生き残ることができた、とようやく自分自身の中で腑に落ちた感覚があったからだ。


 今更、ハイドリィ=ロンドールに「でかした」と褒めてもらえるとでも、この"裏切り者"は思っているのだろうか。

 仮にそうであれば、とっくに、衆目に晒されるこの場で共に留め置かれるのではなく、群衆を寄せ付けぬように動員されている兵士達や市衛に混じるか、もしくは、高座の審問席に先に来ている(・・・・・・)『執政』ハイドリィのいずれも悪名高い側近達の末席にでも加えてもらっていることであろう。


 ……口には出さないが、そんな念を込めて、強く睨み返してやるラシェットであった。


「ぶっ――おい、おいおい。おいおいおい! ベネリーまで来てやがるぞ。おい、ラシェ坊主」


 ミシュレンドを挑発する行為を封じられ、口が暇になったのだろう。

 高座の方も見飽きたのか、大げさに首を回しながら群衆を見ていたマクハードであったが、突如噴き出し、身をかがめてラシェットにそう耳打ちしてきたのであった。


(うっさいな……【血と涙の団】の大幹部、なんだっけ?)


(そうだ。関所街の"内"の元締めの鬼ババ……(ねえ)さんだ)


 出立の前。

 オーマから引き合わされ、そして色々な――関所街ナーレフであるだとか、それができる前に(・・・・・)この地域にあった【森と泉(ワルセィレ)】という共同体の話などを聞かされていたラシェットには、おぼろげながら、大まかな事情が掴めてきたところであった。


 ――マクハードもまた、ロンドール家の支配に抗う【血と涙の団】の関係者なのであるという。


 ならば、彼らにとって重要な存在である【春司】が――オーマ先生が"折伏"してしまったという、この地域に大昔から存在していた魔獣のような存在がヘレンセル村に現れて、それに引き寄せられるように【血と涙の団】が反乱を起こしたこの時に。

 マクハードを含めて、これまでずっと街の中に隠れてきた【血と涙の団】の関係者達が一箇所に集まるというのは、とても、とても危険なことだろう。


「一網打尽だな。同胞の血肉で肥え太った貴様も、とうとう、化けの皮を剥がされて料理される時が来たのだ。ロンドール家に逆らうなど、愚かなことを」


(ま、俺が呼び寄せたんだがな)


(……は?)


(幹部共は先に脱出しろ(・・・・)って言ったんだが? そんなに、俺は信用が無いのかねぇ)


(ごめん、マクハードさん。どういうことかわからないよ……)


 "新"指差爵エリスから「放逐」の宣告を受けたミシュレンドと彼に従う元従士達と、先代に続いて忠誠を誓った元村長セルバルカと彼に従う従士達は、幾度となく、一触即発となりかけていた。

 道中、マクハードと彼の商隊がその間に入って危うい仲裁をしてくれていたわけであるが――まるで駆り立てられるように、お貴族様の喋り方を無理してし始めたエリスの衝動的な出立に自分だけで付いていったならば、この場でこうして衆目を集め『執政』と直接相対することもなかったかもしれない。


 エリスはミシュレンドの手によってロンドール家に引き渡され、自分は、取るにつまらぬ存在として即決でカラスに啄まれる骨と化していたかもしれない。


 ――だが、今は、ラシェットはその立場(・・)が変わっていたのである。

 ――俺の"目"となり"耳"となって、ナーレフで何が起きるかを見てきてくれないか、と、オーマ先生に直々に頼まれたのである。


 予定では、もう少しこっそり忍び込んで、母に一目会っていろいろな自分の「状況」を伝えるつもりではあったのだが、こうも注目を集めている中ではそれは厳しいか。


 だが、そんなラシェットの、些細ではあるが重要な悩みはあっさりと解決されていた。


 ラシェットは出立前、妙に賢く従順な(・・・・・・・)「猫」をオーマから預けられており、この「猫」は道中ずっと大人しくラシェットの胸の中にいたのであったが――せめて母に金子(きんす)を渡してやりたいが難しいかなという夜半の愚痴を聞かれていたか。


 その「猫」は、関所街に着く半刻ほども前に、ラシェットから金子入りの小さな布袋を強奪。どうするつもりなのだと根気強く問うたラシェットに、まるで人間の子供がするような、首の縦振りと横振りで、明らかにこちらの言葉がわかっているような反応で受け答えし――なんと自分の代わりに母にそれを届けてくれると約してくれたのであった。


 あるいはそれもまた"珍獣売り"達を「手下」にしている、オーマ先生の力であるか。

 ただの学者でも、ましてただの治療師でもなければ、ただの魔法使いですらないのだろう。彼に、ついていきたい、と。己の中で日に日に大きくなっていくものを強く感じているラシェットであったが。


 オーマという人物が、ヘレンセル村はおろか、関所街ナーレフにすら長く留まるような存在ではない、ということをラシェットは薄ら薄ら感じ取っていた。

 だが、その道を選ぶということは――。


 ――広場の空気が、一層、重く張り詰めたような緊張と静寂に包まれる。

 冷え込んで冷え込んではち切れそうな、しかし、それが逆説的に何かが爆発しそうな気配であるようにも感じられる、そんな背筋に刃を這わされるような緊張が――広く広く、何百何千の双眸に映るか。


 群衆の目が、衆目の眼差しが、自分達を離れて高座に向いた。

 南の関所を見下ろすように建てられ、詰め所と監視塔を兼ねる小高い建物から張り出したバルコニーのような高座に――微笑みを張り付かせた、傷ひとつ皺一つ無く、髪の乱れ一つ、優雅にして壮麗なる礼服にほつれの一つとして無い出で立ちに身を包んだ、しかし眼光だけは、天を舞う餓えたカラス達のそれよりもギラギラとした光を秘める男。


 『執政』ハイドリィ=ロンドールがこの場に現れたのである。


 緊張と動悸が漲る。鼓動が早まる。

 彼の者が、その指先……いや、眼差し一つで合図をするだけで、エリスも、マクハードも、そしてついでに自分も、助かると何故か思い込んでいるミシュレンドもあっさりと"処刑"されてしまうのである。


 だが、横目に。

 高座のハイドリィを真っ直ぐに見据え、毅然とした眼差しを向けるエリスのうなじに小さな汗が浮かぶのを見て、ラシェットはそっとその手を握った。


 エリスは表情をいささか微塵たりとも動かさなかったが、一瞬だけびくりとその手が震え、しかし、すぐに強く握り返してきたのであった。


 ――オーマ先生の"道"に、エリスを連れて行くことはきっとできない。

 父親を失い、その役割を受け継がなければならなくなったエリスには、やらなければならないことが、あるのであるから。


 だが、そのことを心配するのは、今ではない。

 その前に、自分は、エリスを護らなければならない。


 かつて父が、誰かを護って、命を落としたのだと母から聞かされていたように。


   ***


「ロンドール掌守伯代行(・・)、ハイドリィ=ロンドールに、王国が"指"たるエスルテーリより問い糾します」


 ついに来やがった、そして始まったな、とマクハードは内心で震える戦慄(わなな)きを押さえながら、笑むのを止められなかった。

 これは怖気か、それとも武者震いであるか。


 ――少なくとも、ハイドリィの到来に合わせて、自身の「手柄」を声高に主張しようとしていたミシュレンドの妄言をぴしゃりと黙らせるほど、エリスが滔々朗々と、凛と響き渡らせた糾弾の一声が快く、良い気味であったからだ。


「その地位は"掌守"を役とするにも関わらず、あなたはこの地に――"荒廃"をあえてもたらそうとしているのですか!」


 そこそこの期間、付き合ってきた相手でもあるが、堅物のセルバルカが軽く目を見開いているのもまた快い。屋敷で大事に守り育てていた箱入り娘が、これほどの度胸を持っていたと知らなかったとは。

 一体全体、父の死への激昂をでも、真っ先にハイドリィに対してぶつけると思っていたのであるか。


(そんな感情的な行動をする娘じゃねぇよなぁ)


 『長女国』がどのような歴史を持つ国であるか。

 頭顱侯を筆頭とする魔導貴族達が、どのような大義と正統性によって君臨しているか、マクハードはよく学び、そして己の理解の中に咀嚼している。故に、エリスが真っ向から、ロンドール家のその"正統性"に()弾を投げかけたことの意味を、想像することができていた。


 ハイドリィの周囲を取り巻く"側近"達――"(ふくろう)"と呼ばれる隠密部隊を率いる存在の姿だけが見当たらないが――が、それぞれに反応を見せる。

 "懐刃"がハイドリィに常に何かを耳打ちし、"痩身"はつまらなさそうに眉を顰める。

 "堅実"が背後の兵士達と何事かを話し合いながら胃を抑える仕草をすれば、その背中を豪快に"巨漢"が叩いていた。


 ハイドリィだけは、その貼り付けたような微笑みを、姿を表した時からの表情を崩さない。


 だが、たとえ青二才の小娘であっても、国法においてエリスは推定"新"指差爵である。

 支配される側の、怒れる民衆による力なき遠吠えの如き訴えとは、重みも存在感も異なるものであった――この国における魔導貴族達が、単なる(・・・)魔導の学徒や"荒廃"の抑制者ではなく、"獣"たる者達が生き残ってきたことを知るのが『長女国』の民衆なればこそ。


「これは面白いことを仰りますねぇ、エリス=エスルテーリ爵女(・・)殿。お父上が、魔獣の襲撃から村を守ってご落命された報せを、私はたった今聞いたばかり。怒りをぶつける相手が違うのでは? 仮にも"指"の係累ならば、わかるでしょう?」


「王国法に照らし、指爵の継承は『指玉』の授受による爵家の専権です。私は"指"の貴家として、父とともにヘレンセル村に在りました! 私は見ました。【火】の災いが――このワルセィレ(・・・・・)の地で【春】と呼ばれる存在が、あなた達ロンドール家によって誘引されたことを!」


 魔導貴族としての資質を逆に問い返すハイドリィの細やかな挑発に、指差爵家の正統性を示す"指輪"を軽く見せつけていなし、エリスは踏み込み続ける。

 

「貴家の末席なれど、エスルテーリもまた魔導の学徒です。この地における【春】から【冬】がどのような意味を持つのか、20年もこの地を"掌握"してきたロンドール家が知らないはずがないと、私は知っています!」


 だからこそ(・・・・・)、エスルテーリ家は【深き泉(ウルシルラ)】を護り続けた。

 ロンドール家を近づけぬために、である。


 ――ここでハイドリィが、【冬】の災厄が起きていることを認めつつ、エスルテーリ家が道を塞いでいるからだと責任転嫁することは簡単である。

 だが、そうなればロンドール家こそ、エスルテーリ家による封鎖を妨害するために、まさにその【深き泉(ウルシルラ)】を基点に【冬】の災厄を引き起こしたのだ、とエリスは言い返すだろう。


 であれば(・・・・)、自分が出るまでもないのであるが……。

 マクハードの狙いは、まさしく、ロンドール家が早々と――【深き泉(ウルシルラ)】に出撃せざるを得ない状況に追い込むことであったからだ。そのために、このような危険を冒す覚悟を固めたのである。その覚悟で以て、掌守伯と指差爵の舌戦の趨勢を見守り続ける。


「……あぁ、なんと。そういうことですか? くく、エスルテーリ"新"指差爵、いや、エリス指差女爵殿。【春】の魔獣を討ったのだから、代わりに【冬】をロンドール家が討て、とでも頼み込んでいるわけですか? 戦力が足りない、と?」


「この地の"荒廃"があなた達の陰謀によるものでないのだと言うのなら、麗しき『長女国』の"掌"であることを証すことができるはずです!」


「実に素晴らしい忠誠心ですねぇ! 全ての魔導貴族、500年前から私達が引き継ぐ国母ミューゼの高弟達の気概そのものが宿っているかのようだ……ところで、エリス女爵。奇妙な報告が私の元にあるのですが、ヘレンセル村で【血と涙の団】が叛乱の蜂起を起こしたとのこと」


(ケッ……楽はできないか。人使いの荒い"闖入者"だぜ? 全く、オーマさんよぉ)


 にわかに、検問と高座を取り巻いて息を呑んでいた群衆の気配に、不穏なものが漂い始めた。


「当然、王国のもたらす安寧に仇為すこの不埒者どもを、【春】の災厄諸共に討ち果たしてくれたと考えても、よろしいのですよね?」


 そっち(・・・)で来たか、とマクハードは己の出番がすぐそこに近づいたことを悟って、ハイドリィに見えぬように軽く指を曲げ、伸ばし始めた。


 マクハードと彼の部下達は既に【夏風】によって把握済みであったが、"懐刃"レストルトが、【春司】をオーマに横取り(・・・)されてナーレフに戻るなり、かなり強引な「(ねずみ)狩り」を開始している。

 元より【春司】の到来と共に蜂起する計画であるため、相手からすれば当然と言えば当然の措置である。ナーレフ"内"の者達もそれに対する「逆襲」の準備もしていたわけであるが――この"流れ"は、むしろエスルテーリ家が叛逆者達と手を組んだと逆に糾弾する流れであった。


 曰く、ロンドール家を【深き泉】に赴かせて街が空になった隙に、叛乱軍と共に占拠するつもりなのであろう、と。


 ――オーマという名の"闖入者"に横から掻っ攫われなければ、【春司】を押さえた上で、ギュルトーマ家を巻き込んでロンドール家を糾弾して追い詰め、ハイドリィを起死回生のために【深き泉(ウルシルラ)】に出撃させるというのが本来の計画であった。


 それが【騙し絵】家の暴走によって掻き乱される中で、ギュルトーマ家との連絡が途絶した。その事自体は、マクハードにとっては、単にエスルテーリ家を見殺しにすることになるだけであり、致命的な事態ではなかったが――今のこの流れにおいては、そうではない。


 街中に散らばって潜んでいた【血と涙の団】の構成員や関係者達が、自分を含めて、南の関所前に一堂に会しているのである。誰かが一挙手一投足一呼吸でも間違えれば、全員が捕らえられて殺されるであろう。


 そしておそらく、そうしてしまうのが、ハイドリィ=ロンドールにとっては最も手っ取り早く「この状況」を収拾する手なのである。しかし、彼にとっては実に間の悪いことに、そしてマクハードにとっては幸運なことに――。


(……あちらさん(・・・・・)も、高みの見物してやがるな。どいつも、こいつも)


 見知った顔(・・・・・)が群衆の中に混じっているのをマクハードは見咎める。

 【冬嵐】家のハンダルス。【騙し絵】家の盛大な姉弟(きょうだい)喧嘩の片割れに与していた、リュグルソゥム家の追討部隊――としてツェリマが招集した男である。


 一触即発の空気の中を、まるでならず者の頭目のように、爆発してしまえとせせら笑う悪意的な笑いが遠目にもわかる。

 そして見られていることに気づいて、彼もまた気づき、まるで酒場で出会った悪友のように手を振ってくるが、マクハードはそれを無視した。


 ――ハンダルスがいるということは、その他の者達もいるだろう。

 そしてエスルテーリ家を気まぐれに追い詰めた【騙し絵】家の『廃絵の具』もまた、どこかでこの様子をじっと見ていることだろう。


 他家(・・)の目があり過ぎるのだ。

 序列が下であるとはいえ、隷下には無い貴家であるエリスを、確たる叛逆幇助の証拠も無しに処断するわけにはいくまい。


「私と、そしてこの街とこの地の者達に嘘は通じません、ハイドリィ=ロンドール! 【春】は旧ワルセィレの民達の訴えにより(・・・・・)、自ら鎮まったのです! 村が、誰かが放った(・・・・・・)【春】ではない【火】の魔獣達によって焼かれることなく永らえたことの生き証人が私なのです!」


「なんですか? つまり"蜂起"ではない、と? 肩を持ちたいようですが、苦しい言い訳ですねぇ、エリス=エスルテーリ殿。【血と涙の団】がどれだけの悪事を成してきたか、知らぬエスルテーリ家ではないでしょう?」


 ――ここだな。

 ミシュレンドとセルバルカが余計な口を開こうとしていたのを察知し、マクハードはそこでおもむろに立ち上がって前へ歩み出た。


 それに何よりも驚いていたのは、あるいはハイドリィであったか。

 普通、彼の立場のような存在が、裏で取引がいろいろ(・・・・)とあるとはいえ、進み出た自分のような存在を顔まで向けて凝視することなど無いであろうに。


 だが、納得のできることではある。

 動くべきか、動かぬべきか。

 ハイドリィが誰よりも"事情"を聞きたがっているのは、自分なのである――"闖入者"オーマにそう説破され、納得した上で、マクハードはこの危険な賭けに乗ることにしたのであるから。


   ***


「てっきり、リュグルソゥムが仕掛けてくると思ったんだがな」


 俺は直接見に行ってくるわ、とフラリと出ていったハンダルス。

 そしていつもの如くどこを「放浪」しているかわからぬデウフォンを除く『追討部隊』の4名は、グストルフが空間に編み出した【鏡】の光の中から、南の関所の各所を監視していた。

 ――彼らにとってはロンドール家に手を貸してやる義理などは何も無いことではあったが……単なる習慣として収集した"情報"と照らし合わせて把握していた、数百はくだらない、街中に長年潜み続けてきた【血と涙の団】の構成員という構成員が、そこに集結していたのである。


 その指導者格の一人と目される、マクハードという商人が、ここで蜂起の合図を出せば騒乱を作り出すことはできるだろう。

 無論、それだけならば鎮圧されてしまうだろうが――【歪夢】家ほどではないにせよ、【精神】魔法すらをも盗み学んで(・・・・・)いると目されるリュグルソゥム家の残党にとっては、騒乱を混沌にまで昇華させることは難しいことではない。


 特に、ツェリマは落ち延びた"兄妹(きょうだい)"の実力を完全に見誤っていたと自省している。

 デェイールとの一応の和解と共闘の合意が取れた後に、突如襲撃をしてきたリュグルソゥム家の残党2名――末子ルクと末娘ミシェール――であったが、二人の『高等戦闘魔導師(ハイ=バトルメイジ)』としての戦闘力は、諸家合同軍があの日討ち果たしたどのリュグルソゥム家よりも上の実力であったからだ。


 それどころか、たった2名で、それもこのわずかな期間で、森の中にあれほどまでに多数の大規模な(・・・・・・・)各属性各種の魔法陣を仕込んでいたというのは、人間業(・・・)とは思えない。

 その故に、一時関所街まで撤退して、再び『禁域の森』を窺いつつ――狩られる側が狩る側の油断を突くパターンをケアすべく警戒していたところ、今般のエスルテーリ家の新指差女爵と、【血と涙の団】の指導者の一人マクハードが、殺されに来たとしか思えないこのタイミングで関所街に来訪することを知ったのである。


 断じて、リュグルソゥム家の差金であり、彼らを囮に混沌と騒乱を引き起こすつもりであると待ち構えていたわけであったが――完全にそのアテが外れていた。


「一体全体、何が目的なんだろうねぇ……ふぅ」


吸血種(ヴァンパイア)君が"梟"の巣から出てきたね。イッヒヒ……彼も彼で、使い走り大変だねぇ」


 暇を持て余すあまり、グストルフ・リリエ=トールが今直接は関係ないことにまでその【鏡】を向け、自身の"覗き"趣味を満たし始めていたが、ツェリマは『執政』ハイドリィとエスルテーリ指差女爵の舌戦に意識を傾け続けていた。

 これはこれで、どちらに転ぶかによって、今後デェイールと彼に奪われた『廃絵の具』とどのように共闘して動いていくかが決まるからである。


 【鏡】に映し出される中、舌戦に割って入ったのはマクハードであった。

 彼がハイドリィ=ロンドールに語りかける様を、読唇するに、曰く。


「……『ナーレフにいる【血と涙の団】を全員、ヘレンセル村に退去させる』だと? 正気か? それとも馬鹿か? 自殺願望者だとは疑っていたが、組織も仲間も全て巻き込んで投身することに快感でも覚えているのか? こいつは」


「アッハハハ! ツェリマ姉さんの罵り、僕様すっごくぞくぞくするなぁ! もっと言ってくれないかな? ねぇサイドゥラ卿?」


「悪いけどどっかの"夢遊病"の一族と違って、僕には被虐趣味は無いからなぁ。誤解されがちだけど? 【遺灰】家ってすっごくこう、乾いてる(・・・・)んだよね」


「ちょっと。うちの主家様の方々を侮辱するのはやめてくれなぁい? これって外交問題よ、外交問題」


 既にそれぞれの秘術(・・)により、ツェリマやグストルフに確認するまでもなく、リュグルソゥム家との再戦が関所街(ここ)では行われないことを確認した「厄介者」どもである。


 『執政』ハイドリィが「どちらに」先に軍勢を動かすかの影響を強く受けるのは、彼らが潜む『禁域の森』の先にあることをデェイールが確認した――"裂け目"そのものに興味がある【騙し絵】家の係累としてのツェリマであった。

 それが【騙し絵】家の事情である以上、この「厄介者」どもは、それについてはむしろリュグルソゥム家と【騙し絵】家同士が潰し合って消耗すれば良い、という程度にしか思っていないことは、この場の誰もが承知していること。


 ――それが『長女国』の魔導貴族に座すことの意味ではある。

 だが、それにしても、マクハードが黙っていることはなく何かを仕掛けるだろうと思ってはいたが、その発言が完全に想像外であるどころか、目的がまるで読めなかったのだ。

 リュグルソゥム家と連動しないならば、何故、長年潜んでいた構成員達を市衛も魔法兵を含む駐屯兵達もうようよと集まっている関所前に集結させたのか、狙いが完全に謎であっただけに、ツェリマは愕然としていた。


 しかし彼女の困惑をよそに、マクハードの"提案"を受けて、ハイドリィは一挙に――おそらくそういう展開も想定していたのであろう――落とし所(・・・・)を提示する。


 曰く。


「なるほど、エスルテーリ家を帯同して【深き泉(ウルシルラ)】へ、か。民衆の面前での糾弾を切り抜けた、という意味では大勝利だな」


「あらぁ、あらぁ? でも、それってぇ。うふふふ」


「エスルテーリ家と協力姿勢構築してこの地を一挙に安定させるよ! って見せつけておいて、【深き泉】で始末してしま(やっちゃ)うってことだよね、イッヒヒ……可哀想な新指差女爵ちゃん。エスルテーリ家の歴史も、これでお終いかぁ、寂しいなぁ」


 ツェリマも、そしてこの場にいる誰もが――それぞれの"実家"の思惑は別として――ハイドリィ=ロンドールこそがまさに"叛逆"を考えていようが、それが成功しようが失敗しようが、自分自身には関係ないという立場ではあった。


 何故なら(・・・・)、どのような過程を描こうとも、それが失敗する運命にあると、この場の過半は知っていたからである。


 ただし、リュグルソゥム家残党の戦闘力と、【春司】が竜人(ドラグノス)に横から奪われたという2つの想定外から、ハイドリィとツェリマ及びデェイールには、それぞれの戦力を補い合うという意味での共闘関係を構築する余地自体は、あったのだ。


「ふぅ。よっぽど、僕ら(・・)に、何やらかすか知られるのがまずいって思ったのかもね。まぁ指差爵家の私軍を加えられるなら、足しにはなるんじゃないかな。それに賭けるなら、それは、それで、いいんじゃない?」


 事前に示し合わされていたのか。

 なんと、本当に――【血と涙の団】の指導者格のもう一人である"酒場のベネリー"が声を上げて己の存在を表す。そして、不服そうな"懐刃"の耳打ちを手で制し、ハイドリィが鷹揚に【血と涙の団】の退去を認めたのである。


 これで彼は――大一番(・・・)の前に、不安定な状況で『関所街』を空にするリスクを消すことができたと言える。


 確かに【血と涙の団】がヘレンセル村に集って、遠くないうちに攻勢を仕掛けてくることにはなるだろうが、そんなもの、ロンドール家がやらかそうとしている事が成った後には、幾らでも、容易く捻り潰すことができるだろう。


 道中で襲撃してヘレンセル村に辿り着く前に壊滅させる必要すら、無いのだ。

 いいや、むしろ"示威"のために、わざと合流させてから捻り潰す方が、箔もつく……そのような思考であろうか。

 ツェリマとデェイールの連名でのリュグルソゥム兄妹の追討への協力要請にせよ、ロンドール家からすれば、力を手に入れた後で受諾しても問題がないのであるから。


「【奏獣(・・)】ねぇ? 伊達に、ハイドリィ卿も頑張って"頭顱侯"に成り上がろうとしてるわけじゃ、ないね? イッヒヒ」


「うん。【明鏡】の(成り上がった)リリエ=トール家の君が言うと、それ、ものすっごい嫌味だよねぇ」


 だが、ハイドリィ=ロンドールが【奏獣(・・)】と称する力を手に入れてからでは、【騙し絵】家としては微妙に面倒なのである。

 彼がその力で"新"頭顱侯となったとして、『禁域の森』を含む旧ワルセィレ一帯の統御権を主張するとなると――リュグルソゥム家を排除した後の"裂け目"の取り扱いに難が現れる。


 何重もの裏取引があることなど『長女国』では常であった。

 仮に、ハイドリィ=ロンドールが激甚な幸運に見舞われ、彼の目的を最後まで達成できた場合には【破約】派へ加入する取り決めであったとしても――彼にはいつでも、情報を握って【盟約】派へ鞍替えする選択肢があるのであるから。


(本家からも援軍が来る手筈だ。デェイールがいて、私がいて、『廃絵の具』がある。そしてこの「厄介者」どももある。多少は驚かされたが、それでもたった二人だけ。あの竜人(ドラグノス)を通して【西方】とでも通じていれば、その時はそれこそ【継戦】派を動かすこともできる……か)


 【騙し絵】家の悲願は悲願として。

 デェイールと違い、自分はリュグルソゥム兄妹の捕殺によっても"功績"を得て、実力を本家に認めさせることはできるのである。


   ***


 斯くして。

 【エイリアン使い】オーマが、やや過保護なまでにラシェット少年に与えた"保険"は、関所街において発動(・・)されることはなく、この最重要の関門を通過することとなった。


 エスルテーリ家を【深き泉】攻略の尖兵(捨て駒)と化して、後にエリスごと始末しつつ、それまでは掌中に収め得なかった【春司】の戦力分の代わりとすることで――ハイドリィ=ロンドールは、五分の勝算を八分にまで高められたと判断した。


 彼の思考は目の前の大一番ではなく、その後の【騙し絵】家との交渉に向いた。必要以上の秘密の露見を阻止することを、共闘の利に優先させたのである。


 あたかも、秘密、秘匿、秘術、の深さこそが『長女国』の"頭顱侯"たる資質であると認めるかの如く。


 そしてその動きを見て、【騙し絵】家の"私生児"と"正嫡"たる姉弟もまた、独力でのリュグルソゥム家残党の捕殺及び"裂け目"の確保の実行を決断する。



 ――ここが、一つの分岐点であった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 考察回は続くと流れが遅くなるきらいがありますが、その分今回は一気に展開が進んだ感じがします。 [気になる点] 無能な代官の件や、懐刃以外の幹部などの掘り下げが今回あまりないんですね。ナーレ…
[良い点] イレギュラーの存在で、敵方の計画が崩れていくのワクワクしますね! 妙に賢い猫、そのうち名前貰えたりするのだろうか。 迷宮の眷属が、迷宮外の存在に名前や称号を貰うとどうなるのだろう? [一…
[一言] そろそろ主人公の言う「後半戦」突入ですかね…。遂に本腰入れてダンジョンアタックに来るであろう騙し絵との本格的な衝突が起きそうで楽しみですね。それと並行しておきるラシェット少年の英雄譚はどんな…
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