0168 廃少女と神を捨てたる種(1)[視点:命血]
関所街ナーレフの旧市街と新市街の狭間。
流民や食い詰めた者達など――要するに使い捨てにできる、貧民すれすれの肉体労働者達などが集められた区画のそのまた一画。
主亡き『肉屋』にユーリルは姿を現していた。
【血と涙の団】のナーレフ内組織を取りまとめる幹部の一人であるカインマンが殺されたこと。そして自身の上司たる"梟"のネイリーの姿が数日、見られていないという情報を『猫骨亭』の伝手から得ていたからである。
……だが、期待半分、諦め半分と言ったところか。
従業員という名の【血と涙の団】の構成員達もまた全員が殺されるか逮捕・連行されて無人となっていた『肉屋』の暗がりに、感覚遮断の【闇】属性魔法を複数自らに施して、いつもの待ち合わせ場所に忍び込み――。
「ほう、ほう。意外なことに、今回は常よりも早かったのぅ? ちょうど今、呼び出そうかと思っていたところじゃったというのに、ほう、ほう」
――枯れ木の如き細身に怪異の如き不気味さを凝縮させた、その凝縮そのものが濃密な圧力を放つ老人ネイリーが、当たり前のように、吊るすものの無い肉吊りフックの合間に不自然に置かれた椅子の一つに腰掛け、こちらに背を向けていた。
「数日間、行方知れずだったと聞いたんだけど? 梟」
「坊と同じように、儂にもやらなければならないことが、あるでの」
「カインマンが用済みになったのは、この街から撤収する準備か?」
「まぁ、やることはもうやったからのぅ。後はハイドリィの坊っちゃんが、どこまで頑張って己の意思を貫徹しきれるかじゃのぅ」
常の習慣の通り――ユーリルはネイリーを後方から襲撃することを想起した。
今の己は、少しだけ、それまでの己とは異なる。やや自嘲気味にそう念じながらの戦闘想起であったが……意外なことに、初撃だけはかろうじて食らわせることができる、そんな感覚がこれまでで初めて湧いていた。
無論、初撃を食らわせた直後の反撃で吸血種としての急所を、『心臓』を抉り貫かれるという悪寒を伴った想起がしきりに生存本能に訴えかけるため、実行まではしないが。
――短時間とはいえ、リュグルソゥム家との手合わせで得た経験は大きい。
そしてそんなユーリルの様子に背中越しに気づいたネイリーが、肩越しに振り返り、そのしわくちゃの皮が垂れたまぶたに隠れた猛禽のような眼光を愉しげに揺らせた。
「気になるなら教えてやろう。坊っちゃんへの最後の"お膳立て"をしてきたのよ。これでも"傅役"だったのでな? ほう、ほう」
「【紋章】家の動きを封じたか、情報を遮断した? どうして、そこまで……」
「つまらんことを問うなよ、坊。"血吸い"ならば、わかることじゃろうに! ほう、ほう」
【聖戦】家による徹底的な吸血種の「研究」が行われて以降、その"生態"と社会において『使命』というものが重要な構成要素であるということは、一部の魔法使いや『長女国』の関係者達には知られていることである。
その意味では、どれだけの時か想像もつかないほど長く、ネイリーが【紋章】家に仕えてきたのであれば、知っていても特段おかしなことではない。
だが――。
つまらない話題ではなく、もっと愉しい話をしようではないか、とでも目で訴えかけてくるかのごとく。その老成しすぎた余裕から、自身の観察する様々な物事を良くも悪くも愉しんで受け止める嫌いのある老爺であったが、それでも、ネイリーはこれまでに見たことがないほどに愉快そうであった。
しかし、その話題に移る前に、どうしても一点確認しなければならないことが、ユーリルにはあった。
「一つ、答えろ。"梟"。お前は……吸血種なのか?」
ユーリルの中にこれまで蓄積した疑念。
そして、状況が状況であるがために―― 一時的か、永続的にそうなるかはまだ彼自身の中の『使命人格』とも判断が付いていないが、【エイリアン使い】オーマの下に身を寄せなければならなくなった、その恩恵かはたまた副作用か。
リュグルソゥム家の少年ダリドが、言ったのだ。
『というか、そのお爺さん普通に吸血種ぽくない? ……ですか?』
【聖戦】家に逆に徹底的な解剖と解析を受けたとはいえ、元来、吸血種は『神の似姿』達を捕食する側にある。ユーリルのような半分のみしか『生命紅』を持たない【仕属種】であっても――"見分ける"力に関しては、吸血種の側に圧倒的に分があるはずであった。
――何故ならば、例え『神の似姿』達に対して隠すことはできても、同族に対して隠すことはまず不可能なのである。
「流石に疑うかのぅ? ……あぁ、それも入れ知恵ということか? ほう、ほう! 随分と馴染んだようじゃのぅ! 期待した以上だのぅ!」
吸血種が吸血種として生存し、存続するために絶対に必要な要素がその全ての構成要素でもある『生命紅』である。畢竟、これを補給するためにこそ、【生命の紅き皇国】は非常に効率的で完成された、原材料を産出し、そして搾り取るための国を築き上げてきたわけであるが――【血】を喰らうこと、【血】を己の内に吸い取り取り込んで『生命紅』に変換する過程は、酷く……臭うのである。
吸血種にとっての宿痾と言えるほど、生々しく、しかし生命の生命たるを想起せざるを得ない、体内に取り込まれて肉と骨と神経と臓物とに急激急速に変換されていくいっそ荒々しいまでの「活力」の嗅覚的な比喩とまで言えるほどの、強烈な臭いを発するのである。
それは同族にのみ嗅ぎ取れるものであった。【聖戦】家によって解析され、【腐れ血帳簿】という忌むべき魔法を生み出されるまでは。
だが、ネイリーはそのいずれの要素からも対極にあった。
【血】の臭いがしないことは元より、『生命紅』がその身体内で作用しているならば、絶対にあり得ることのない「老い」に覆われているからである。
――あるいはそれが、逆に吸血種であるが故のユーリルにとっての強固な先入観となっていたか。
遭遇した"初日"にネイリーに武力で屈服――"梟"曰く「折檻」――された際。
ユーリルを完封したのは「人の身」の技と技術であり、魔法すら無かったのであるから。
「答えろ……"梟"! あんたが知りたい情報を、知りたいならな」
「やれやれ、せっかちな。そうだのぅ。それは……否――とも然りとも言えるかのぅ」
ダリドとキルメから示されていた「想定問答」に無い反応に、ユーリルは声を詰まらせた。少なくとも、隷畜と吸血種の間の子――侍属種同士か、またはそれと隷畜の間に生まれた存在――という意味で言っているのではない、というのは雰囲気からわかったが。
完全に虚を突かれた思いで、それ以上、ユーリルは問い詰めるべき言葉を失った。
その様子にそれはそれで落胆していた様子を見せつつ……ネイリーは"本題"に意識を戻したようであった。
「それで? どうだったかのぅ。【聖女】の様子と、そして【魔人】殿のご様子は? ほう、ほう! この、こんな、このようなタイミングでマクハードの坊主と"新"指差女爵を差し向けるとは、面白い"指し手"だのぅ!」
目となりうる接近者や監視者達は、全てユーリルが隠密裏に眩ませたはず。
それが、【エイリアン使い】オーマからの"頼み"の一つであったが――ネイリーはまるで見てきたかのように、まさに現在、『関所街』の南西の"関所"で何が始まろうとしているのかを全て承知している様子であった。
なお、仮にネイリーにそれができるとして、ユーリルもまた……ちょっとした"仕掛け"により、同じことができている。
ラシェットとエリスを護り、万が一の際には回収してくれ、というのもまた【エイリアン使い】からの"頼み"である。
故に、ネイリーのことを探るという合意もあるが、最も不測で危険な存在であるこの老爺の動向を見極めるために、ユーリルはいの一番にカインマンの『肉屋』へ赴いたわけである。仮にネイリーが吸血種か、それに類する何かであれば、魔法という要素を込みにしたとしても――関所街で最も恐ろしい存在こそが、この老爺であったからだ。
「全部、あんたの……言う通りだったよ、梟。"ヘレンセル村"に、全ての核心と根源が、あった。俺はそれを見て、それに――遭った」
「そうして首尾よく【魔人】殿の下へ潜り込めた、ということだのぅ? ほう、ほう。意外にも人情家かのぅ? よもや、よもや、【聖女】を"保護"したとでもいうことかのぅ! ほう、ほう!」
「どういうことだ?」
「……なんじゃ、知らないのかのぅ? "里"での調練はそこそこのようじゃが、座学はからきし……いや、怠われているのやら」
まるで"保護"以外の選択肢が当たり前であるかのような、物言い。
うすら寒いものを感じて訝りつつ、ユーリルは問い質す。
「いずれも、相争う【黒き神】と【白き御子】の追従者どもじゃ。【聖人】の類なんぞ、【闇世】では抹殺対象……考えなくてもわからんかのぅ?」
「まさか……ッ! "梟"! あんた、あんた……わかってて往かせたのか……!?」
「喜べ、坊。お主は儂の期待を遥かに上回った。【聖女】を殺されて激昂し、【魔人】殿に返り討ちにでも遭って、戻らないと思っていたのだからのぅ?」
【血の刃】を生成してネイリーを貫きたくなる衝動を全力で抑える。
全身の血という血が、生命紅という生命紅が沸騰したかのような赫怒で煮えたぎっており――しかし、ユーリルの中で2つの人格は、その衝動を押さえ殺すことに合意していた。
本来の人格であるユーリルは、当然、今ここでネイリーと分の悪い死闘を演じることなく【エイリアン使い】の"頼み"を全うし、生きてリシュリーの下に帰るため。
使命人格としてのユーリルは、ネイリーという存在が大いに『大乱』に寄与する存在であると判断し、今この場でその使命を与えられた自分と殺し合わせるのは無益であるとして。
……己を"血吸い"と呼び、吸血種であるか否かが定かである存在であるというのであれば、ネイリーもまた『使命』についてはよくよく知っていることであろう。"里"に、まるで老いて引退した老教官かのような視点から苦言を呈したことといい、その素性をユーリルに隠そうという気は既に薄いようではあった。
まるで、『使命』との間でひどく鬩ぎ合う内的葛藤を熟知している、と言わんばかりの、見た目の年齢差だけを言えば曾孫を見守る老爺のような暖かな微笑みを、猛禽の眼光をしわくちゃのまぶたの裏に隠して向けてくる。
「あんたは、最初から【魔人】が動いていると、知っていた……俺を、体の良い矢玉にして突撃させて、刺激して……姿を表させる、そういうつもりだったんだな? ――リシュリーで、試すつもり、だったんだな?」
それは、如何なる運命の巡り合わせであることか。
山と積み重ねられた臓物の中から、たった一滴の血を掬い出すかのようなものであろう。
【エイリアン使い】の下でなければ、リシュリーは"抹殺"されていたのかもしれなかったのであるから。
「なんじゃ、仕掛けては来ないのか? つまらんのぅ。その体内に仕込んだ玩具の実力を――披露はしてくれんのかのぅ?」
想定通りに、ネイリーがユーリルの"ちょっとした仕掛け"を、見破ってくる。
それ自体は既に――確証は無いが、ネイリーには看破される可能性が高い。それはあんたの秘密が知られる可能性が高いってことだぞ?――と【エイリアン使い】に警告していたユーリルであり。
だが、【エイリアン使い】とリュグルソゥム家の考えは、別であった。
むしろ看破されるという事実が確認できれば、ネイリーは最低でも何らかの事情によって、【エイリアン使い】が活動していることを察知していたことがはっきりする、と言うのである。
問題は、何を、どこまで、どのように、いつ、察知したかということだ。
それを探るのもまた、ユーリル自身も望むところであった――【エイリアン使い】オーマからの"頼み"である。
――【エイリアン使い】オーマは、決してリシュリーを人質に取るような真似はしなかった。
何となれば彼は、他の配下どもの反対を押さえ、ユーリルに、リシュリーを連れて何処か安住の地へ去っても良いとさえ言ったのである。
無論、リュグルソゥム家を頼るつもりであったユーリルにとって、そのリュグルソゥム家が【エイリアン使い】の麾下に収まっている以上、最初からその選択肢は無く、それをわかった上での甘言だったかもしれないが――。
ユーリルにはわからなかった。
実力差で言うならば、問答無用で従わせることができたはずである。
むしろ、ユーリルの側から、リシュリーの身の安全と引き換えに奴隷の如く働かせてくれと懇願してもおかしくはない状況ですらあった。そして実際に、リシュリーの容態をひとまず安定させた後に、そのように伝えようともした。
だが、【エイリアン使い】は問うたのだ。
『"吸血種"とは何だ? 何故「神を捨て」たんだ?』
と。そしてさらにこう続けた。
『"仕属種"とは何なんだ? どうしてお前は――リシュリーを護りたいんだ?』
と。そうはっきりと、誰にも、ユーリル自身すらもが、自分で自分に問うことを避けていた問いをはっきりとぶつけてきたのであった。
だから、ユーリルは命令ではなく【エイリアン使い】の"頼み"として、今回の任務を引き受けた。
である以上、ユーリルは【エイリアン使い】の詳細について、ネイリーに知らせてやる理由を持たない。
『使命人格』もまた、僅差の判断ではあったようだが……この決断を支持する。
曰く、ネイリーと協力するよりも、明らかなる【四兄弟国】の"敵"たる【魔人】との信頼関係を醸成し、よりその勢力に深く入り込むことが、『大乱』のためには有益である、と。
「今なら、俺だって自分が吸血種もどきだって言われたら、信じてしまうかもな? あんたを八つ裂きにしてやりたいけど、それは"無益"だって、頭の中の声が言っている」
「ふうむ、見たところ血管を編んだ魔法陣。こりゃ【騙し絵】家の技じゃのぅ! いくら"血吸い"が死ににくいからといって、とんでもない無茶をしおるな、坊! ほう、ほう! そうかそうか、そういうことか! 【魔人】殿は……リュグルソゥム家の残党めすらも従えておるか、見込んだ通りじゃのぅ!」
それは【騙し絵】家のデェイールが、ユーリルを"裂け目"に突撃させる際に施した技の完全な意趣返しであった。流石に【騙し絵】家の如き、まるで【空間】魔法を高性能で非常に多用途の医術者が使う"刃"の如き施術とは異なるが――ある意味では「それ以上」である。
【エイリアン使い】の眷属たる、口にするのもはばかられる、生命紅がまるで本能的な恐怖と忌避と怖気を抱いているかのように全身がびりびりと震えるような、【おぞましき】魔獣達には、動かない種もあったのだ。
ネイリーとは違う、あまりにも生々しい意味での怪異じみた「それ」の中に放り込まれ、どろどろに、ばらばらにされながら――その間に、ダリドとキルメによって、それがリュグルソゥム家の【皆哲】という号の意味するところだと知識では知っていたが――ユーリルは体内にいくつもの魔法陣を仕込まれていたのである。
『ごめんね、ユーリル君! こんなの滅多に無い機会だからさ、ちょっと色々実験だ……痛いキルメ! おほん! 奮発しすぎちゃったよ、あはは?』
身体強化術式に各種の感知術式、そして感知や察知を阻害する術式。各属性の攻撃術式に防御術式と、さながら、思いつく限りの【魔法陣】が、まるで最初から何年もかけて研究ししかも練習した成果を再現するかのように、比較的、短時間の間にユーリルの体内の――"血管"で編まれ、効率的かつ合理的に魔導的な意味を持つ「陣」として形成され、構築された。
【騙し絵】家の"技"も大概であったが、げに恐ろしきはそれを学習し、昇華させ、オーマの従者である不気味な巨大脳みそ(触手付きで這いずる)曰く「魔改造さん」させたリュグルソゥム家である。
緊急用のものも含めて、現在、ユーリルの体内には十数もの『血管魔法陣』が詰め込まれていたのであった。
……あるいはネイリーには血管が視えているのか。
「グラァハムの"里"が知ったら、喜んで坊を解体・解剖して、学び取ろうとする"技"だのぅ……まさか、まさか、こんなものを拝めるとは! 長生きはしてみるものだのぅ、ほう、ほう!」
欠点もある。
それはユーリルが、仕属種であるとはいえ吸血種であるが故に――これらの『血管魔法陣』が使い捨てとなるということである。
吸血種は、直接戦闘において自らがばらばらにされることなど厭わない。
どころか、【血操術】に代表される"技"の数々はまさにばらばらになることを前提としたものであるが――この場合、ユーリルがばらばらになれば、体内に施された各種の『血管魔法陣』もまた「ばらばら」になることは自明。そこから肉体を再生しても、精巧に編まれた『血管魔法陣』が元に戻ることは無いのである。
逆に言えば、ばらばらになる前の奇襲などでは役立つとも言えるが。
特に、体内に仕込んできた『魔法陣』がどのようなものであるかなど、相手には事前に察知のしようがなく、また、状況に応じて――組み換えも比較的容易にできるため、「2見」をこそ殺すことができるという塩梅である。
――このような合力は、歴史的な経緯からも長く、深く対立し、憎み合っている吸血種と神の似姿の関係性からすれば、まずあり得ないことであったろう。
しかしそのあり得ないことが、あっさりと、【エイリアン使い】の下で起きてしまったのであった。
「その【魔人】殿が、どんな力を持っているか、だとかは、あんたはわかっていないようだな? 梟」
「ほう……? ほう、ほう! なるほど、それを見極めるのもまた【魔人】殿が坊を手下にした目的かのぅ。用心深く、慎重。しかし大胆で、意外な手の指し方というものを心得ておるのぅ!」
これについては、【エイリアン使い】とリュグルソゥム家の「想定」通り。
意趣返しは、一つだけではない。
頭の中の声もまた、一つだけではない。
ユーリルの頭骨の裏を引っ掻くように、もぞりと"それ"が蠢いた。
どうにも生命紅は――"それら"には、酷く居心地が良いらしい。
≪きゅっきゅぴぃ! こちらぷるリア51さん! 通信さんは良好だきゅぴぃ?≫
まだ、ユーリルは従徒になってはいない。
その意味でもこれは"頼み"を引き受けたに過ぎないのである。
しかし、ユーリルは同時に【エイリアン使い】からの"力"と、そして"監視"の目を自ら引き受けた。隷属して強制されるのではなく、リシュリーの現在の保護者としての彼に、自らの決意を表すために、である。
共覚小蟲という「種」であるらしい、【エイリアン使い】の【魔人】としての眷属が、『血管魔法陣』達の合間を縫うように、ユーリルの"脳"――生命紅により形成されたる――にへばりつくように埋め込まれていたのであった。
この小さな小さな、人間に寄生する力を持った迷宮の眷属が――恐るべきことに、【紋章】家の【紋章石】にもそういう魔法が封じ込まれていることを知ってはいたが、それ以上と思われる完璧な精度で、【エイリアン使い】に侍る巨大触手這いずり脳みそ達の"言葉"を、ユーリルの頭の中に直接伝達しているのであった。
それがユーリルが、ネイリーを監視しながらにして"関所"側をも監視できている秘密である。
こればかりは、万が一にもネイリーが知っているはずはない。仮に知っていたならば、全ての前提を根底から覆さなければならなくなる、とは【エイリアン使い】オーマの言。
そしてそこまでは至らずとも、看破されるか、されないか反応を確かめるだけで、【エイリアン使い】側としては、ネイリーが「何をどこまで」知っていたのかという範囲をそのまま絞り測ることができるのである。
――ユーリルの言を受け、そこまでは理解したのであろう。
ネイリーもまた【魔人】殿と呼んでいることから想像はついていたことであったが、何かに利用しようという意味ではありつつも、好意的な態度を崩していない。疑われ警戒されるよりは、開示できる情報を開示する判断に至ったようであった。
「【魔人】殿が『長女国』に手出しをしてくれるというのであれば、儂はその邪魔をするつもりはない。そう伝えてくれて構わんぞ? ほう、ほう」
そして、まるで大きな荷を、一時とはいえ、道中で降ろして休むことができた旅人であるかのように。ネイリーはほっと息をつき、一瞬だけ、油断丸出しのように宙をぼうっと見たことをユーリルは見逃さなかった。
「あんたには、聞きたいことが山ほどあるんだ……! "梟"。まだまだ、こんなもんじゃない。でも……ッ」
「わかっておるわい。そろそろ始まるのぅ? "関所"の方がうるさいのぅ」
吸血種を深く知り、恐れさせるにも関わらず、自らは吸血種であると厳密には言いかねると嘯く存在ネイリーは、長く息を吐くようにその梟に似た笑い声を部屋に響き渡らせた。
「『シャンドル=グーム』へ来い、坊。そこで、色々と稽古を付け直してやろう」
ユーリルの脳内で、共覚小蟲が中継する【眷属心話】によって、副脳蟲達より――"関所"側での動きが伝えられ、その「意味」を『使命人格』によって狭く解釈されぬよう、内なる抗いを重ねつつ。
文字通り全身全血を以て油断なくネイリーを向いたまま、後ろ歩き『肉屋』から退出していくユーリルに。
老爺は、【四兄弟国】と【生命の紅き皇国】の狭間、ネレデ内海に面する、欲望の商都として知られる大都市の名を口にし。
ふっと、音叉か木霊の如く遠のきゆく、梟の鳴き声にも似た笑い声をその場に反響させながら、風と共にその気配を消してしまったのであった。





