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0167 微笑みの皮裏に潜む怨念[視点:その他]

【盟約暦514年 飛天馬の月(5月) 第3日】

 ――あるいは【降臨暦2,693年 百眼の月(5月) 第3日】(104日目)


 【春司(はるつかさ)奪わるる(・・・・)

 その報せを持ち帰った、ロンドール家特務部隊『猫骨亭』の取りまとめ役たる『亭主』または"懐刃(かいじん)"とも呼ばれる青年レストルト=ミレッセンは困惑にうち震えていた。


 貧困に身をやつして駆けずる少年期に、生きるために大胆にも代官邸に盗みに入り、捕らえられたものの先代ロンドール掌守伯グルーモフに見出されて活路を得たことが、ロンドール家に仕えるようになったキッカケである。

 魔導の才能に恵まれていたわけではなく、"日陰者"のロンドール家の中でもそのまた"日陰者"として研鑽を積まねばならない身の上ではあったが――それでも彼は間諜(スパイ)として、また暗殺者として牙を研ぎ、さらに生き延び続けた。


 『長女国(この国)』の表街道(・・・)では、その内なる「井戸」から魔力が溢れんばかりの"才有り"どもが我が物顔で歩いているが……何のことはない。それは、ちょうど短剣や毒薬を扱うのと同じ技術の一つに過ぎないのだという実務的な確信を、レストルトは抱いている。


 己が手に握りしめた剣で、暗がりから襲撃してロンドール家にとって不要な"才有り"を、同じような"才無し"と別け隔てなく駆逐する度にその念は深まるばかりである。

 だが、レストルトがただ生き延びるだけではなく、井戸が枯れていながらにして、今の地位にまで上り詰めることができたのは、ただ単に隠形や殺しの技が優れていたことや、たまたま(・・・・)【紋章】家の走狗に仕える者として代替手段(魔法の道具)を手にする機会があったから、だけではない。


「――『亭主』様」


「"肉屋のカインマン"は既に亡き者となっていましたが、その他の者は、この通り」


 それは人を使う(・・・・)能であった。

 『亭主』として、レストルトはナーレフの市衛部隊とは別の隠密部隊を率いており、今般の――想定外(・・・)の悪影響を削減すべく、にわかに"外"との情報交換を活発化させようとしていた【血と涙の団】のシンパ達への締め付けを実行していたのである。


 ――この国は、餓えているにも関わらず(・・・・・・)人が溢れている。

 自身とほぼ同格の部下として現ロンドール家を率いるハイドリィ=ロンドールに仕える"学者崩れ"の病的なまでに痩せた【風】魔法使いのサーグトルがそう言っていたことがあるが――新興の都市や、栄えていたり好況に湧いてとかく"人手"が必要な都市・地域には『長女国』内の隅々から、食い詰めた貧民やら口減らしのために追い出された流民やら、果ては法を犯さざるを得なかったならず者達が流れ込んでくる。


 "魔法の才"さえあれば、すぐにでもどこぞの魔導貴族達に召し抱えられる道もあろうが、それすらも無い者達のうち、他の技も持たず、さらに運にも見放された者達には身一つしか無い。こうした者達は色々と問題(・・)も起こすが、同時に、ナーレフのような大きく成長し続けようとする街には必要な存在でもある。

 そうした者達に食と職を与え、街に住まわせつつ、内法に基づく正式な移民達が住まう区画と――被征服民たる旧ワルセィレの民を封じ込める区画との狭間に、緩衝地帯のように設けられたのが、ナーレフにおける「貧民街」の起源である。


 このままナーレフがロンドール家と共に成長を続け、他家の侯都か国内の名だたる諸都市に匹敵するまでに至るならば、それに反比例するように貧民窟(スラム)に至るべき区画と言える。


 ――そんな、成長に乗ることができずば飢え死にか、さもなくば成長する領域から"おこぼれ"を地べたを這い、貴人か幸運人の靴を舐めてでも生き残るかしかない領域の裏通りの一角。

 『猫骨亭』の"縄張り"には老若男女を問わず、6~7名の――「旧市街」つまり旧ワルセィレと通じる(ねずみ)達が、布袋を被らされ、後ろ手を縄で結ばれた状態で並ばされていた。


 うち半数は【血と涙の団】のナーレフ"内"組織の下っ端や下人達であり、時間をかけて『猫骨亭』で監視し泳がせていた者達である。

 そして残る半数は、執政ハイドリィによる即決と見せしめのための公開処断による恐怖統治を行いながらも、屈することなく抵抗を続ける【血と涙の団】ナーレフ"内"を取りまとめる大鼠(おおねずみ)たる幹部達であった。


 だが、並べられた"鼠"達を不快気に歪めた表情で見下ろしながらも、レストルトの機嫌はすこぶる悪い。仕掛けた罠に対する釣果(・・)が、想定の半分以下だったからである。何より、大物中の大物を取り逃がしていた。


「ベネリーはどうした?」


「事前にこちらの目と耳が見破られていました。"雲隠れ"したようです」


「捜索の手を"新市街"まで広げろ。泥の中を逃げ回ることに必死にさせて、余計な考えなど浮かばないようにさせてやれ」


 舌打ちをしつつ、それ以上部下を責めることをレストルトはしない。

 捕らえた者達を代官邸へ連行する要員を残し、集った部下達を散開させる。市衛の隊長と既に連携はできており、潜伏した【血と涙の団】の幹部達の関係先に対する示威と威圧によって、その行動を掣肘するのが二の矢であった。


「"仕立て屋"のウィルバートを追いますか? カインマンの"線"は、あれが引き継ぐはず」


「捨て置け。死んだ(・・・)ということは、"(ふくろう)"が手を下したということ。意外だが、あれ(・・)と敵対はするなよ? こちらが逆に抹殺されるぞ」


「そんな……いかに"梟"様と言えども、我々は執政様の直属」


「我々がロンドール家の直属なら、あれ(・・)はその上の直属だ――教育(・・)が足りていないぞ、愚か者めッ!」


 狼狽した新米(・・)にギロリと眉間の傷と鋭い眼光を刃のように突きつけつつ、レストルトは次に年長の配下に目を流して責めた。


 任務の失敗は状況に応じてやむを得ない部分がある。

 特に、ハイドリィに代替わりするまではロンドール家は意図的に【血と涙の団】を泳がせて成長(・・)させており、簡単に言えば『猫骨』であっても逆襲を受けて構成員が殺されたり、袋叩きにされて不具にされることがあるのである。

 無論、ロンドール家も馬鹿ではなく、あくまで御せる範囲でこの鼠どもを肥え太らせているわけであるが――それはロンドール家全体の力で御すという意味であって、『猫骨亭』単独で全てを抑制できるわけではない。


 故に、それぞれが異なる部隊や役割を持った集団を率いる、執政ハイドリィの配下間における"連携"が必要となる。例えば市衛を率いる"巨漢"は――騒乱と戦の気配が近づいていることに、呑気ながらもその危険な意味で(ほが)らかな闘志を漲らせており、ここ数年ではもっとも話を通しやすい様子であった。

 "痩身"サーグトルの率いる魔法使い部隊も、"堅実"なるヒスコフが率いる"魔法兵"を含むロンドール家のナーレフ駐留軍も――ロンドール家2代に渡って準備してきた事柄があるということ自体は知らずとも、立て続けに起きる動きの中から、「大仕事」の予感がひしひしと広まっているのか、ナーレフ全体に緊張感が満ちているのを、レストルトは感じ取っていた。


("梟"の子飼いの小僧が数日、姿を見せていない。あの妖怪も、何事かを企んでいるな……この嫌なタイミングで)


 特務部隊『猫骨亭』は魔法を使うこともできず、兵士となることもできなかった者達が、厳しい試験の中で死によって脱落していった者達の屍を踏み越えながら生き残ってきた者達から成る工作員集団である。

 それであっても【血と涙の団】の組織力に対しては、こうした直接の奇襲を仕掛けることは稀。

 ここ数年は特に、執政の名の下に支配下に組み込んだ元『密輸団』ども――商会や商団に衣替え(・・・)はさせているが――を実働部隊とし、それらを後ろから監督するという役割に徹してきたのであった。


 だが、少々肥え過ぎて、往年の気骨と武骨を失って本当に"商人"に変じてしまう兆しのあった『馬追いの老牢番』をこの機会に(・・・・・)粛清したことはともかく。

 『西に下る欠け月』が【春司】襲来の混乱の中で尽く行方知れずとなり。

 老成した老獪な老頭目たるヴィアッドが率いる『霜露の薬売り』が丸ごと、【血と涙の団】の動きをコントロールするためにロンドール家が泳がせていたマクハードの側に付く(・・・・)などという、"若気の至り"としか思えぬ大冒険をするという予想外にまで見舞われ、とにかく手が足りない(・・・・・・)苦境に陥っていたのである。


 ――何故ならば、使える(・・・)者達は皆、ナーレフ駐留軍の方に移すこととなったからである。


 そして本来であれば、レストルトも【春司】を護送(・・)してハイドリィの元まで持ち帰ることにより――『猫骨亭』の仕切りは部下に任せて、自身はその親衛として駐留軍の一部隊の指揮を得て、"日陰者"から脱却することができるはずであったのだ。

 しかし、それが"想定外"の事態に見舞われたことで、雲行きが怪しくなってしまった。

 ヘレンセル村から手ぶら(・・・)で引き返さざるを得なかったレストルトの心は憤慨に満ちていたのである。


姉弟(きょうだい)喧嘩など、他所でやればいいものを。全く、腹立たしい)


 ロンドール家が20年もかけて準備してきた計画である。

 自らのささやかな(・・・・・)野心を託した主たるハイドリィが失敗することだけは、何としても避けねばならない。


 故に、レストルトは多少の無理を承知で、本来の計画の一環であった【血と涙の団】のナーレフ"内"の構成員達の一斉摘発を急いでいたのである。

 その障害を排除すべく、"外"と活発に連絡を取り合おうと蠢く"内"の(ねずみ)どもを締め上げて粛清を徹底する意味でも、また自身の憤慨を叩きつけるという意味でも、そして功績の足しにするという意味でも。


 だが――熟練した工作員としての"勘"が告げていた。

 かき乱してくれた【騙し絵】家も、そして"梟"という監視役だか協力者だかいまいち判然としない不気味な存在を送り込んできている【紋章】家も、この土壇場に来て、奇妙な動きを見せていたのである。


 ――もしも、全てが裏で、ロンドール家抜き(・・)で繋がっていたとしたら?


 レストルトは、かつて自らが【紋章】家の直属であることを明かし、直接に自身を引き抜こうとしていた"梟"ネイリーの誘いを断ったことを、初めて後悔し……そのような念が浮かんだこと自体を恥じて、捕らえた【血と涙の団】構成員達を"処刑場"にまで連行していく――その道中でのこと。


「レストルト様! レストルト様!」


「何事だ? 騒々しい」


「け、検問に――」


   ***


 最も忠実にして怜悧なる"懐刃"の、当人のその(ふところ)のうちに邪な思いが、たとえわずかとはいえ浮かんだことを知ってか知らずか。

 病に倒れて口もきけない状態で昏睡する父グルーモフ=ロンドールに代わり、ロンドール家の悲願を成就すべく邁進する『関所街』ナーレフ執政ハイドリィ=ロンドールは、非常に厄介な"申し出"を前に、決断を迫られていた。


 全てはヘレンセル村での一件。

 20年かけて準備してきた"計画"が……予想も、想定も、ましてや予定すらもしていなかった埒外の結末に至らしめられたことの影響である。


 主にはギュルトーマ家との"裏取引"の証拠により、エスルテーリ家の釣り出しに成功したは良い。レストルトが村に派遣していた"目"からの報告では、アイヴァン=エスルテーリ指爵が負傷死したことはほぼ確実であった。

 これで長年、ロンドール家を悩ませ続けてきた障害が、旧ワルセィレの民が未だ抵抗を続ける心の拠り所たる存在【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】が、災厄の魔獣と化した【冬司】によって幽閉(・・)される【深き泉のウルシルラ】までの道を塞ぐ障害が、ついに消えたのである。


 ――だが、そもそもこの計画においてエスルテーリ家の排除など途中目標の一つに過ぎない。本来、アイヴァンの妨害が無ければ、もう5~6年は早く事を成し得ていたはずであったのだ。


(暴走した【冬司】の鎮圧のためには、どうしても()体の(つかさ)どもの力が、必要だと言うのに……おのれ、"私生児"ツェリマめ……! おのれ『廃絵の具』め! おのれ、リュグルソゥム家め!)


 ネイリーが数日間姿を見せておらず、いつ戻るとも伝えられていない。

 レストルト以下、配下の者達がそれぞれに"準備"を進めている中、火急で呼びつけない限りは執務室に入り込む者はいないが、それでもハイドリィは苛立ちを声に出すことは無かった。


 防音を始めとした各種の術式が込められた【紋章石】により護られた執務室であるが、それでも感情を口に出すことを用心しているのは――幼い頃に、さらに厳重な警備であった、ロンドール家本領の伯邸で母が父と自分を庇い、暗殺者の凶刃に斃れた経験に由来する。

 

 ――ロンドール家には100年の"怨念"があったのだ。


 それは魔導貴族達が、その筆頭たる頭顱侯達同士が凄惨な暗闘と華々しい社交を繰り広げるその影においては、ありふれた話であるのかもしれない。

 しかし、無理矢理に(・・・・・)その支配下に組み込まれたロンドール家にとって、【紋章】家に牙を抜かれた"走狗"として、他の掌守伯家からは露骨な格下扱いをされ、泥を啜りながらも日陰でその汚れ仕事と糞の後始末を続けてきたのは……ただひたすら雌伏して好機を待つためであった。


 そのためにハイドリィは、ネイリーという特殊で特別な存在を除き、父の側近や配下達を遠ざけてきた。

 "懐刃"レストルトに、"堅実"なるヒスコフ、"巨漢"デウマリッド、"痩身"のサーグトルといった癖のある連中を、わざわざ「あだ名」まで付けて存在感を示させたのは、既に【紋章】家の息が何重にも吐きかけられてきたロンドール家譜代の忠臣(スパイ)どもとの決別を示すためである。


 無論、父祖からの"怨み"を共有する父もこの点では共謀者。

 病に臥せる直前のこと、不意打ちにより、ロンドール家を監視してきたこの「忠臣」達を一斉に伯邸から追放することができたことは、僥倖とすら言って良いだろう――そこに【紋章】家に仕えているはずの存在であるネイリーの多大な協力があったことを除けば、であるが。


 斯くしてナーレフの実権を握り、計画通り、父の施策を転換させたハイドリィである。

 その積み重ねと甲斐があって、風は吹き始め――【冬司】こそ取り逃がして"災厄"化させてしまったものの、【夏司】と【秋司】を確保。後は、既にその時点で宿っていた"魔獣"を討伐し、魔法生命体とでも言える状態のまま「封印」していた【春司】を使って【血と涙の団】を激発させる、そのタイミングを待っていたのであった。


 そしてその最中での【火】の『魔石鉱山(・・・・)』の出現である。

 元頭顱侯【皆哲】のリュグルソゥム家が王都で誅殺された、その残党が落ち延びてきたという話ではあったが――【騙し絵】家の"私生児"ツェリマが暗部『廃絵の具』を率いて乗り込んできた。確かに、"梟"からの報告では、後から現れた【騙し絵】家侯子デェイールが『廃絵の具』を奪い取りはしたが、それはそれで、【騙し絵】家との"取引"は変わらない。

 事実、デェイールは大いに働いてくれ、また、ツェリマにしても、リュグルソゥム家討伐の際の「合同部隊」を再結成するかのように人を呼び戻し、リュグルソゥム家に相対してくれる――そのはず(・・)であった。


 仮にエスルテーリ家がヘレンセル村に集まった【血と涙の団】と合同。

 そこにリュグルソゥム家の残党が加わったとしても、まとめて【火】よろしく【春】の災厄とでも言うべきものの中に放り込んで、焼き尽くしてしまうことができるはずなのであった。


 ……そうでなくとも、エスルテーリ家を【深き泉(ウルシルラ)】から動かすことができればそれでよかったのである。リュグルソゥム家残党とツェリマ率いる追討部隊のどちらが勝つかなど、さしたる興味は無かったのだ。


 新たな、強力な【火】の魔獣に宿った【春司】をレストルトが回収する手はずであったから。

 ――その3体の【(つかさ)】の力を揃えて、災厄化した【冬司】を撃破して【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】を掌中に収める。

 それさえできれば、全て後からひっくり返すことができるのである。


 【泉の貴婦人】こそが、ロンドール家が成り上がる(・・・・・)ための鍵。

 ロンドール家としては既に父グルーモフの代で、旧ワルセィレを覆う"法則"について研究が進められていた。ハイドリィは、【四季ノ司】と呼ばれる存在達が、どのように(・・・・・)して活動しているのかを理解し、承知していた。


 ――だというのに。


(狂ったか、"私生児"め……"厄介者"どもめ……! よもや"弟"への復讐のために、村側に与して大氾濫(スタンピード)相手に戦う、だと……? 正気の沙汰ではない。なんという、迷惑なことを……!) 


 詳しい"方法"は知らない。

 しかし【騙し絵】家の【空間】魔法ならばできる(・・・)と納得した、充分な魔獣の戦力が送り込まれると聞かされていたのである。


 万に一つも村側に生き残る術は無いはずであったが――その「一つ」が起きてしまった。

 よもや、【春司】を撃退はおろか撃破して討ち取られるなどとは。


 ――しかもその"力"が。


 【騙し絵】家が【空間】魔法によって用意(・・)していた【火】属性の魔獣ではなく、伝え聞く話によれば、どうしてそんな存在が検問を通ることもなくこのような辺境に現れたかわからないが、竜人(ドラグノス)――方角的に『次兄国』経由ではなく【西方】から"山越え"をしてきた『竜人傭兵団(・・・・・)』の可能性有り――などに"宿る"とは、ハイドリィの理解を越えた展開であった。


 おそらくではあるが、リュグルソゥム家が呼び入れた可能性が高いだろう。

 祖国を追われる身となった者が、復讐のために外患を呼び込むなどというのは珍しい発想ではないが、それがよりにもよって、このような特殊な事態に至るとは。


 だが、それもこれも"私生児"ツェリマと"正嫡"デェイールの気まぐれな行動のせい。


(リュグルソゥム家を軽視しすぎたか? いや、だが、そもそも"私生児"がくだらない意地を張らなければ……おのれ、おのれ、おのれ……! その結果、本来の任務もこなせず、隠れ潜んでいたリュグルソゥム家に撃退(・・)されてきて、今また「弟」と手を組むだと? 恥も外聞もない"私生児"め……!)


 ――それが、現在、ハイドリィを重大な岐路に立たせている"申し出"である。


 あろうことか。

 【春司】の喪失などという想定外にして予定外の事態を引き起こす原因となる"姉弟(きょうだい)喧嘩"をしでかしておきながら。

 "私生児"ツェリマと"正嫡"デェイールが連名で、ヘレンセル村近郊の禁域(アジール)の森及びその先の『魔石鉱山』に潜み、【血と涙の団】と連動し、またエスルテーリ家の残党を籠絡して取り込みうると見込まれるリュグルソゥム家残党の討伐への助力を求めてきたのである。


 ――なんという厚顔。

 ――なんという面の皮であることか。


 微笑みを張り付かせ、丁重な言葉で、美辞麗句で飾り立てて遠回しにではあるが、その場での即答を避けたのは……ハイドリィにとって至極当然である。


 断る、という選択を即座にできない苦渋がそこにはあったのだ。

 正直なところ、【冬司】を押さえるための戦力としてだけ考えるならば、逆に【騙し絵】家の特務部隊の存在は、予定外に喪失した【春司】の充分すぎるほどの代替となるからである。


 しかし、悲願を成して【紋章】家の支配という(くびき)から脱却した後の関係構築まで取引関係にある【騙し絵】はともかく――ツェリマに付き合っている追討部隊(金魚のフン)という名のさらに数家の連合部隊にまで――ロンドール家の"悲願"を、今、この不安定化した状況下で知られることは大問題でもあった。


(何故……【冬嵐】家が、サウラディの犬が混じっているのだ!)


 国母ミューゼの13弟子に倣い、麗しき【輝水晶(クー・レイリオ)王国】では頭顱侯は13家までである。しかし、悲願が成れば、ロンドール家が手にする力(・・・・・)は――王国500年の歴史を以てしても"例外"を認めるに相応しい、また、そうすべきほどの代物。


 それを【破約】派に高く身売りすることを条件に、積年の仇敵であるギュルトーマ家とも秘密裏に和解して【騙し絵】家との秘密の取引を重ねてきた。

 だが、これは裏を返せば、【騙し絵】家と相対する最古の頭顱侯家【四元素】のサウラディ家に事が知られれば、粛清と攻撃のための絶好の材料を与えることに他ならない。


 このため、ハイドリィには2つの選択肢があった。


 悲願成就の前に、劇薬であることを承知で、この迷惑千万な"姉弟(きょうだい)"を【冬司】の撃破に助力させることと引き換えに、ヘレンセル村の一件を後始末する手伝いをするか。

 あるいは、単に行動の自由を許可してヘレンセル村に差し向け、気炎を上げているであろう"外"の【血と涙の団】の部隊もろとも撃滅させつつ、その間に乾坤一擲に出るか。


 ハイドリィは迷っていた。


 既に『巨漢』も『堅実』も部隊の動員を完了している。

 『痩身』は――【奏獣(・・)】の最終調整を完了している。

 『懐刃』もまた、この事態について、彼のせいではないが、自身の失態と捉えて奮起している。いずれにしても、例えナーレフを一時【血と涙の団】に占領されてでも、【深き泉】に兵を進めねばならないタイミングであったのだ。


 今更、【春司】を取り戻すために、素性も知れない未知の存在である竜人(ドラグノス)を捕殺するために、悠長に動いていることはできない。動員をした以上、【春司】を暴れさせ、【血と涙の団】を蜂起に追い込んだ以上、【紋章】家を始めとした周辺の魔導貴族達の耳目が既に集まりつつあったのであるから。


 ――そして。

 そのようなタイミングにあって、ハイドリィをさらに訝らせる事態が発生する。


 旗色が明らかになり、【血と涙の団】にこのまま合流すると思われた"後見役"マクハードが。

 アイヴァン=エスルテーリの娘であり法的にはエスルテーリ指差爵家を継いだエリス=エスルテーリを伴い、検問に現れたという緊急の報告がレストルトが送った部下から飛び込んできたのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ハイドリィの背景とか情念が前より濃いな 前はただのエリートって感じだったのが家の歴史を背負ってるとか出てくるとやっぱ重みを感じるわ
[一言] 悪党どもにもそれぞれの事情と物語があるのもわかりましたが、自分がライオンだと思っているドブネズミどもを早くオーマ先生に掃討してもらいたいものです。 ハメットの「マルタの鷹」のサム・スペードの…
[良い点] 執筆お疲れ様です!
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