0164 均衡と調停と渇望の三相補(1)
1/15 …… 樹巨人についてステータス一部変更。描写追加
片や、読み通り【命素】の存在を部分的に知り、それを【魔法】の力と称し結合させて威勢を誇る【聖戦】のラムゥダーイン家に対する、攻略と調略のためのいくつかの献策。
片や、不可思議なる"苔"と"思念"という語と概念が入り乱れ、少なくともその成している「人形や彫刻を兵士として自律機動」させる技の秘密の根源を探るキッカケを手に入れることはできた【像刻】のアイゼンヘイレ家に対する次なる一手。
リュグルソゥム一家が、俺の迷宮領主としての力を知り、そしてまたこの世界の裏側の秘密である「技能・位階システム」を解釈した上での"応用"は――彼らの覚悟の深さと結束力の高さそのものの証左であった。
だが、日に日に……いいや、俺の手の甲で"羽休め"をしている【春司】風に言えば、文字通り秒と秒の間に、ダリドとキルメが大人となっていく様子に気づかぬ俺ではない。
【リュグルソゥムの仄窓】などと、【魔法学】の伝統に従って一族の名前を冠した、たかが【情報閲覧】で俺だけが視ることのできるステータスウィンドウを模した「オリジナル」な魔法など編み出して――俺が積極的には言わなかった「何か」を垣間見たかなど、その純真無垢さの中に入り交じるようになった"憂い"を見れば、瞭然のこと。
……技能【悲劇察知】が疼く。
【悲劇察知】に言われなくても、そんなこと、俺は百も承知なのだ。
だが、今はできることを積み重ねるしかない。
特に、目の前の「すべきこと」として優先順位が高い事柄が2つある。
第一は、迷宮の防衛である。
ルクとミシェールが、地泳蚯蚓や臓漿や【人世】側の『擬装部隊』達の協力を得て構築した種々の魔法陣を派手に利用して追い払ったが――それ故に『ハンベルス魔石鉱山』もとい"裂け目"には、最低でもリュグルソゥム家が巣食っていることをツェリマ以下の追討部隊が察知した。
同時に、デェイールが送り込んできた種々の"魔獣"達と【人攫い教団】の大部隊は撃破したものの――【騙し絵】家暗部『廃絵の具』の本隊は侵入して来ず。つまり殲滅し損ねた。
数百名の武装信徒達の遺骸の3次元立体ジグソーパズルは現在も配下エイリアン達によって進行中だが、数名、不自然に「指の数が【空間】魔法によって切断されている」者が存在していたことから、これまで2度成功してきた【転移】事故による迎撃法の情報が漏出している可能性すら副脳蟲どもによって提唱されていた。
元『廃絵の具』の隊長ツェリマが妥協しさえすれば、そんな2者が今度は共闘関係を構築し、再び俺の迷宮に攻めてくるだろうことは想像に難くなかったのである。
だが、【人世】に出た当初に怪しまれたならばともかく、【春司】の撃退という意味で村の防衛にがっつりと関わった以上、今行方を眩ませて、迷宮で防衛を固めるか"裂け目"を雲隠れさせるかして、ただやり過ごすことに徹してさえいればいい――という状況でもない。
「全く、他に頼る相手がいなかったとはいえ、厄介な形で人を働かせてくれるもんだな? 【春司】様よ」
手の甲で、じんじんと暖かく疼く"燃えるちょうちょう"の紋様に向けて、俺はごく軽い悪態をこめたつもりであった。
――エスルテーリ指差爵が死んだ、という報せが届いたのは先程の事である。
可能な限り"引き伸ばす"措置は講じたが、それも無限ではない。ラシェットとエリスを伴い、マクハード商隊がエスルテーリ家の従士団と共に『関所街ナーレフ』に向けて発つ準備が村では慌ただしく進められているが、時間を稼ぐことはできたと言うべきだろう。
【春司】との"約束"を果たすという意味でも。
そして俺自身の目的に向けた大事な手がかりである【泉の貴婦人】を、エスルテーリ家の妨害が無くなりもはやいつでも手勢を差し向けて確保することができるようになったロンドール家に先に確保されてしまわないために、俺もまた一気に動く必要があった。
これが第2の「すべきこと」である。
そして、この際、最低でも「第1」と「第2」が合流し、連携することは阻止しなければならないのである。
そのために、エスルテーリ家を若くして継いでしまったエリスをダシにラシェットを動かし、さらにラシェットが動いたことをダシにマクハードを動かして時間を稼ぎ――俺は迷宮に戻り、その1とその2に対抗し対応していくための準備を進めていたわけであった。
――その一環が、グウィースの【人世】への派遣である。
俺が編成した『擬装部隊』は、【人世】の小動物達に「裏返る」ことができる表裏走狗蟲や脱皮労役蟲達から成り立っていたが――これとは指揮系統も、そして法則も異なる"第2班"をグウィースの力によって生み出すこと、それが目的であった。
【輝水晶王国】は南西。
征服されて今は滅びし共同体たる【森と泉】のそのまた南西にて、ヘレンセル村を"入り口"と捉えるならば、広大なる『禁域の森』は、その西と南と南西を三方から『赫陽山脈』に囲まれ、なだらかに西高東低、南高北低する地形で構成されている。
季節を通して――たとえ冬でさえ、まして現在の"長き冬"の現象下ではなおさら――雪解け水が多い上に、やや赤茶みを帯びた土壌は非常に水はけが悪く、『長女国』の統治下、魔導の叡智をもってしてもその農業生産性は期待されたほどには向上していない、そんな土地において。
"長き冬"が覆い、押さえつけていた中で――まだたった一陣であったとはいえ、訪れた"春"によって撫ぜられた大地の上に、俺の迷宮で芽生えそしてその力を花開かせつつあった【幼きヌシ】がいた。
「グウィース! みんな、元気! オーマたまの土で、み ん な ! と て も 元 気 !」
当初、俺の迷宮の"裂け目"が【人世】側出現した地点からは、さらに西方へ行った先の小さな盆地である。
『赫陽山脈』に向かって、なだらかに勾配が角度を増していく途中の地点であり、標高の高さに加えて"長き冬"の影響で雪深く、たとえ【氷】属性を使いこなす魔法使いの一団であってもあえて進むことを選ぶことのあり得ない難路である。
だが、それは所詮は人間の視点でのこと。
ル・ベリと共に、時に彼の【四肢触手】達の力を借りて辿り着いた「その場所」では。
グウィースが両手――根や枝や蔓を引き絞って形成された"樹身"――を、まるで大きく仰ぐかのように下から上へ何度も振り上げる。"大自然の子"然とした半裸――下半身もまた"樹身"だが――でしっかりと大地を踏みしめ、大きく屈伸運動をしながら、まるで全身を波打たせるように上下させながら、下から上へ、下から上へと両手をゆったりと、しかし力強く振り上げている。
その様は、さながら海辺で周囲の海水をかき集めてすくいあげて、高々と天に向かって掲げてから勢いよくばらまくような、そんな所作に最も近いか。
グウィースの周囲には海水も無ければ、雪をそのようにかき集めてばらまいていたわけでもない。
――だが、グウィースの凛とした眼と、どこか真剣みのある楽しげな表情の動きには、その「かき集めて、ばらまく」べき何かの流れがはっきりと視えているかのように俺には感じられた。
きっと、目には見えないその何か。
色すらも無い透明な流体のような、しかし"抵抗"があるかのような、その何かを――「ふぬぬぬ」と幼児らしくない踏ん張り声をあげながらかき集めていく。そしてそれが、どこかでその"抵抗"を越えた途端に、軽くなりでもしたのか。
グウィースが大きく胸を張り上げ、ばらりと両腕を構成する樹身を大きく大きく広げ、その身を以て満開を体現するかのように。「き ら き ら !」と、冬眠している鳥獣の耳にまで届かせんばかりの幼叫びで「ばらまく」のであった。
事情を知らぬ者が見れば、ほとんどの者がそれを奇行に思うだろう。
だが、ル・ベリも俺も、そして俺の眼を通して「グウィースちゃん見守り部」を結成している副脳蟲及び"名付き"どもも、ただただ息を呑んでいるだけであった。
……報告を受けた時は驚いた。
俺としては、ただ、ちょっと樹精達をさらに活用する必要があると感じて、グウィースに相談をしただけであったのだが。
この半人半樹の幼子は、そんな大自然の中での本能の発露か、はたまた超自然的な感性によって何かを感じ取った結果の儀式か判断が難しい所作を――30時間は継続していたのである。
『哨戒班』の走狗蟲達から状況を聞いて、始めは訝しんで止めようかとしたらしい"種"違いの兄ル・ベリであったが、すぐに俺に見せるべきだと考え直したようであり、この"視察"に繋がっている。
――当然、その場にいたのはグウィースだけではなかった。
【樹木使い】の権能の"残り香"が色濃い新種族『イリレティアの播種』でありながら。
同時に【エイリアン使い】の従徒でもある、言わば二重の迷宮の力を保持しているとも言えるグウィース。ル・ベリが【異形特化】の存在に変容したのと同じく、迷宮システム上の繋がりを通して「この俺」の権能が一部流れ込み、その影響で誕生したであろう存在たる『小人の樹精』達が、周囲に十数体は集っていたのである。
目が合った小人の樹精の数体に、俺は人差し指を立ててしぃっと口を作った。
グウィースに意識を戻した小人の樹精達もまた。
いずれもが同じように、目に見えない"何か"を、腰を深くかがめてかき集め、そして持ち上げて天に向かって、両足を突き立たせると同時にばらまく所作をシンクロさせていたのである。
――そして、厚く天地を覆う"長き冬"に、"春司"が穿った小さな小さな一穴が、少しだけ広げられる。手の甲にじんわりと浮かぶ"熱"から、俺は確かにそれを感じ取っていた。
「元気! 元気!」とグウィースが幼叫ぶ。
小人の樹精達が、「みー! みー!」と種々の音虫を思わせるような奇妙な鳴き声で歓声とコーラスと成す。
そんな、凍てついた大気の中で1日半ばかり続いた「かき集め、ばらまく」という儀式により。
グウィースが陣取った、半径わずか数十メートルにも満たない、自然の中の隠れ家としか言いようのない小さな盆地で、明らかな"変化"が起きる様に俺は立ち会うことができたのであった。
大地を覆っていた分厚い雪の層を、押しのけ、貫くように。
新緑、深緑、真緑、親緑、清緑、芯緑。
様々な種類の「緑」色の"芽"が、噴き出す噴水の如く勢いよく生え伸びてきたのである。
地中から地表を飛び越えて天に抗わんとする地槍の如く。
次々に"芽"が伸び、数十本伸び、繁茂し、群生し、叢生していく。
辺りを覆い尽くす広大な白と銀の雪の山林の中では、場違いなほどに「青々しい」若い"芽"達であったが――まるで押し込められていた鬱憤を晴らすかのように、本来であれば春の訪れと共に芽吹くことができていたはずだと言わんばかりに、雪の下に封じ込められていた時間を一気に取り戻そうとするかのように、【春司】が穿ち、この幼き叫びヌシが広げた"穴"のような場所から、先を争うように、生え伸び、生え抜き、若き芽が若き枝を形成していく――。
そしてグウィースが、ぱぁぁと。
天高く重く居座る曇雲に代わって、己が身に小さな天道様を担うかの如く、大輪の笑みを浮かべ、「みー! みー!」と鳴き叫ぶ小人の樹精達をぐるりと見渡すや。
「やっぱただの従徒じゃ、ないよなぁ」
続く光景に俺はただ感嘆せずにはいられない。
小人の樹精達が、その本能に従って散開。
それぞれに、たった今しがた、小さな天地の再生譚の如く、雪の重みを突き破って成長した"若枝"達に次々に取り付いていき――その"樹身"をばらけさせて、最初の勢いが衰えつつも、未だ数百倍もの速度で年輪を刻み天地に枝根を伸ばさんとする"若木"達の中に、その"樹身"を織り込んでいったのである。
その様子を、まるで祈るかのような敬虔さすら称えた笑みで、グウィースがどっかとあぐらをかく。全身にたまのように大粒の汗が熱気と共に、まるで蒸散しているかのような蒸気を伴って湯気となるレベルで浮かび、発散されているが――表情はどこまでもやわらかくそして楽しげ。
そのまま、この儀式に一体化したような心地で見守っていた俺とル・ベリと共に、見つめ見守ること、さらに数刻が過ぎていくのであった。
***
「白ナラさん!」
気持ち程度だが、他の木々達と比べればなるほど少し白っぽい樹皮である――『若き樹精』が4体、ぎしぎしとその樹身を軋ませて礼を取る。
「黒ブナさん!」
こちらもまた、なるほど気持ち程度だがやや黒っぽい樹皮である、これまた若き樹精が5体、ギシギシとその樹身を軋ませて礼を取る。
「あぶら松さん!」
"名前"からして想像がついていたが、樹液に油分をたっぷりと含んでおり潤滑性が良いのか、樹身を軋ませてもギシギシ音がほとんどしない3体の若き樹精が、やはり俺に向けて礼を取る。
「針かえでさん!」
そしてお次は、樹身を構成する全身から、サボテンを思わせるような非常に微細な、それこそ針のような"葉"を生やした若き樹精が、身をかがめる際に自分で自分のその針の葉をばりばりと砕きながらも礼を取る。
「そ し て! エグド!」
「グウィースよ……おぉ、グウィースよ……お前はどうして、そう、訳のわからぬ巨大生物にばかり懐かれるのだ。俺には、それが一番、訳がわからぬ」
ル・ベリ(褐色バージョン)がグウィースを見上げて嘆く。
そう。何を隠そう、俺も先程から同じように見上げており、"苔"のことについてグウィースに意見を聞きにこっそり代胎嚢から未成長肉体のまま抜け出してきて合流したため、後で父母に怒られることが確定しているダリド&キルメもまた、同じように見上げてぽかーんと口を開けていた。
"森"は"森"でも、一旦【闇世】に戻ってきて、その【最果ての島】地上部の"森"。
【人世】産の若き樹精達が【闇世】産の個体達と入り混じってグウィースを取り囲んでいる中。
そんな"取り巻き"どもの中でもひときわ巨大な、まるで大木がそのまま意思を持って歩き出したかのような存在の肩に、樹身をばらけさせた状態で器用に【軽騎手】らしく、グウィースは"騎乗"していたのであった。
「まぁ、うん、流石は俺の【農務卿】だ。俺の【エイリアン使い】の影響を受けた、いわばグウィースにとっての幼蟲がその小人の樹精で、でもきっちり多分ベースになった『宿り木樹精』の能力が残ってるから――そうして【人世】の樹木に宿り木って、そうなったってのはよくわかるぞ。だが、その"でっかい"新しいお友達については、別口なんだよなぁ」
≪え……えっと、補足さんすると、グウィースちゃんには『粘壌嚢』さん達が……ついていってたんだよ、ね?≫
≪きゅぴきゅぴ。正確さんには、『雪かき労役蟲』ちゃんが現地で"胞化"さんしたんだきゅぴ。根鳴らしさんの地回しさんって奴なのだきゅぴぃ≫
≪そうそう! それで、ソイルさんの【人世】さんでの実験さんも兼ねてたんだよね! でもまさか、グウィースちゃんと、こんな相乗効果さんを起こしちゃうだなんて≫
≪あはは、それが変なんだよねー。だって同じことは【闇世】さんでもやったのに、こっちでは"こう"はならなかったからね、あはは≫
「……おほん。御方様、それもまた――例の竜蛇頭めの"調停"の影響、なのでしょうか?」
流石にグウィースによじ登られる特権を奪われたことを悲しんでいるとかいうわけでもあるまい。気を取り直そうとしているル・ベリは、心得たもので、今俺達が先に優先して検討すべき内容に一旦意識を切り替えたようであった。
「よもや、とは思ったんだけどな。大当たりだったかな、これは」
「すべきこと」のその2への対処として、一番の問題となるのが、俺自身が迷宮核と融合している以上、"裂け目"から離れて行動する際に避けては通れない『不活性化』問題である。
――ただ単に迷宮から離れる程度であれば、おそらく俺に投資してくれている"大物(自称含む)"達は目をこぼすだろう。
だが、そこについて一旦目をつむることができたとしても……【領域】全体に対する迷宮経済の調整に関する問題から逃れることはできない。
その緩和策の一つとして、グウィースの派遣にはいくつかの意味を持たせていた。
臓漿と粘壌をさらに「経済的に」活用できないかの実験の一環であり、また、同時に、ヒュド吉の行為がキッカケとなったことが明らかである『調停』現象が、どれほどのものであるかを試す意味もあったわけだが。
能力的な意味でも【樹木使い】リッケルの"生まれ変わり"であるに違いない、この幼叫ぶ【イリレティアの播種】グウィース。
その本来のグウィースの役職であった【農務卿】を乗っ取った【幼きヌシ】という"称号"が、もはや、ただ単に周囲の樹木や樹木系眷属や樹木系生物に強化を与える……などというチャチなものではないことが明らかになりつつあった。
「ソルファイドも直接見ておくべきだったよなぁ。副脳蟲ども、後で共有してやっておいてくれよ」
まだまだ、分析や推測や考察の段階でしかないが。
俺は『竜による調停』という概念を理解する切り口としても、この、グウィースの【ヌシ】としての力に注目していた。
簡単に言えば、ある種の「生態均衡」を司る領域にまで、この幼き新種は片足の指一本か二本を既に突っ込んでいるとしか思えなかったのである。
ただ1つの植物においてでさえ、例えば温度、湿度、光や土中の圧力だの、水分量だの、養分の濃度なり空気の状態なり、ぱっと思いつくだけでもその発芽や成長に影響を与える「要素」が多数挙げられるが――"生態系"とは、ただ1種の生命によってのみ成り立つものではない。
果実を食べた動物が糞とともに遠方に種を運ぶ、などというのは極端にわかりやすい例だが、それこそ細菌を含めたレベルで、生態系とは多数の生物種や生命が、言わば互いに互いの「要素」として存在しあい、補い合い、あるいは競い合い、あるいは複合し合い、代替し合っているのである。
そしてそれは、そうした"観測者"が擬似的に認識する相互ネットワークのおぼろげなる像ではない。
より積極的な意味では――元の世界では、かつては汎神論的と批判された視点でもあったろうが、植物同士が根を絡ませて何らかの電気信号や化学物質を、自分達だけではなく菌類とすら走らせ合いやり取りし、1つの擬似的に思考する一体の何かとして「活動」しているという分析もまた存在する。
それは、まるで。
「個にして群」のようではないか。
【エイリアン使い】たるこの俺だからこそ、直感的にわかる感覚なのかもしれない。
ただ単に、俺の場合は――脳内でやかましい副脳蟲どもが"それ"を取り持ち、全体を管制しているに過ぎないのである。
そうした一個の"生態系"の中に、当然ながら一つの「生態均衡」というものが存在している。
極端な例を出せば、森の狼を全滅させたら鹿が大増殖して山が禿げたとか、畑の作物が全滅させられたとか、そういう寓話で語られるような事例だが――同じことが植物間や、キノコなどの胞子類や、そして細菌や、小動物やそうしたものと間で、より複雑すぎて下手をすれば人間の認知能力では理解できない次元で幾重にも多重に重層的な形で繰り広げられている。
――そして。
そういう一つの調和が備わった場所を、自然学ではなく概念的な意味においては、きっと「森」と呼ぶのだろう。
この意味においては、グウィースは「森の子」そのものとしか言いようがない。
ならば、称号【幼きヌシ】が、あえて「主」と書かずに「ヌシ」として俺に"認識"されているのもまた――グウィースの能力が、単純な強化たるのではなく、そうした次元から引き出した力であるとしか思えない。
漢字という、その語自身が独自の元の画としてのイメージを有する「主」という言葉では、決して体現し表現し得ない「ヌシ」という"音"そのものに、意味があるのであろうから。
だから、【闇世】のそれも迷宮領主の力の中から生まれたはずの『小人の樹精』を【人世】の植物と融合させた、更なる"新種"どもをも生み出してしまったのだろう。
【若き樹精】どもには――"未設定"だが、なんとステータス項目上は『職業』の概念が存在していたのであるから。
そんな、グウィースの"ヌシ"性を目の当たりにして、俺は一つの確信に至った。
どれだけ俺の【エイリアン使い】の影響を受け、一体としての繋がりに近似性と類似性が見られ相似的に比較することができた、としても。
それでも、しかし、グウィースの「森」と、この俺の「エイリアン」は、その存在原理の根本部分においては、相違のある別物なのである。
特に『因子』という法則に貫かれている俺の【異星窟】の迷宮システムでは、エイリアン達自身の連携はどこまでも群体的であり軍隊的でありながらも――生命の在り方としては、凶暴なまでに"役割"を求める容赦の無さ、そのものとしか言いようがない。
飢餓状態になった幼蟲がその振る舞いをどう変貌させるか、を思い出せば良い。
『因子』と、そしてそれによって得られる各種の"進化"とは、存在するという闘争における強固なまでの渇望そのものであり、触れるものを焼き尽くさんとする猛々しい獰猛さである。
だから、彼らは、本来ならば何十何百何千世代を経て至るべき"進化"を、わずか1個体のうちに重ねることができる。
一方で、グウィースとその周りに集う、リッケルの"置き土産"に由来する力達は、一見すると俺の【エイリアン使い】の影響を受けて、確かに"進化"じみた変貌をしてはいる。
だが、その力の本質は、むしろそうした凶暴な"進化"をする種すらも「要素」の一つとして取り込み――関係し合う諸「要素」の均衡を取る中で、その中から特定の方向に傾かせることで、一定の望んだ「成長」や「強化」を与える、そういう類のものなのだ。
使っている"道具"は、俺と近いものであるし、何となれば俺が与えたものである。
だが、その使い方が大きく異なっている、とでも言えば良いのか。
「おーまたまの"土"のお か げ !」
……まさか粘壌を"新種の創造"に使うとは、俺の想像も想定もぶち抜いていたわけだが。
グウィースにとっては――俺の「エイリアン」ですらも、その司るべき均衡の中の1要素に過ぎない、のかもしれない。
この意味において、俺個人としてはグウィースを通して植物に関する知識などを従徒献上されてはいるものの――俺の【エイリアン使い】能力に関しては、どうも、この「森」だとか「均衡」だとかいった力とは相性が悪いらしく、受け付けることが無かったのである。
故に、実はあれだけの儀式を見せられても、グウィースを通して新たな『因子』の情報はほとんど入ってきていない。それなりの認識は、【春】属性の近傍のような箇所で渦巻いてはいたが。
ただ同様に、エイリアン達が「植物」そのものには"進化"することがなく――ファンガル系統も、あくまでも「動かない動物型」である――根本の部分での違いを1つ感じさせられていたのであった。
不思議なのは、それが全く不快であるとか、エイリアン達とグウィースとの連携が上手く行かないだとかそんなものでは全く無い、ということであるが。
――むしろ、グウィースが近くにいると、エイリアン達まで俺の迷宮領主としての権能とは"別口"で均衡させられている嫌いもあるぐらいであるため、実利面では全く気になるものでもない。
ただ、俺自身のグウィースに対する年長者の眼差しとしては――どうして、このような力を【闇世】ではなく【人世】で開眼させたのか、が気になるところではある。
「ですが、御方様。例の『調停』にグウィースが参加したのは……【闇世】ではありませんでしたか?」
「思い出せ。ヒュド吉は、多頭竜蛇がどこから来たと言っていた? あいつは、【竜】は、元々【人世】の存在だろ」
「言われてみれば確かにそうですな。お許しください、元悍ましき半小醜鬼の身。"海憑き"の印象ばかり強く……」
良い、気にするな、と告げて俺は思索を考察を一旦切り上げ――この続きは後でヒュド吉に聞き出さねばならない――完全なるオマケに意識を向けた。
ステータス欄に移る名は『エグド』。
『樹巨人<主族:星灯りの森系>』という立派な種族であり、位階は『24』。
『異端の漂流者』に『ヌシ護りの誓約者』とかいう――これまた立派な称号を持つ存在であった。
「エグド、でっかい! あかあたまより高い! す ご い ! とおくまで見える! 兄たまも! 兄たまも!」
「………………」
来いとばかりに樹身をばらけさせた蔓やら蔦やらでル・ベリを招くグウィースだが、兄は困惑の苦虫顔で困ったように肩の触手をひらひらと振って誤魔化しているのみ。
≪この大樹さんぜんぜんしゃべってくれないのだきゅぴぃ、つまらないのだきゅぴぃ≫
≪あはは、グウィースちゃんたらすっごく目ざといよね! 例のジグソーパズルさんの中から生還したばかりだってのに、あはは≫
≪い……一応、グウィースちゃんの一挙手一投足さんに反応してるし、造物主様の話も理解はしているさんみたいだけど……≫
≪すっげぇ! 今までで一番でっけぇ、アルファさんやデルタさんよりもずっとでっけぇ!≫
ここぞとばかり、称号に「ヌシ」という語がある以上、もはや俺の中ではグウィースと遭遇させられるために諸神の意思によってこんな迂遠な形で誘導させられてきたとしか思えない存在であるが……グウィース曰く。
ヒュド吉が『未熟な調停』を始めた際に、助けを呼ばれたような気がした、とのこと。
はて。
確か、ソルファイドもまた『焔眼馬』に対して、似たようなことを言っていた気がするな?
そうした経緯も含めての、グウィースの【人世】派遣という手であった。
話を"エグド"とかいう【人世】の樹巨人に戻そう。
あの悪夢の75体魔獣"心太"の中に混じっていた以上、この「生物」――職業技能が無いため『知性種』とは思われない――もまた【騙し絵】家の【空間】の中に"魔獣"扱いされて囚われていた一体だったわけである。
そしてこの種族の由来については『止まり木』で復習してきたらしいダリドとキルメの曰く。
「樹巨人。西オルゼの【西方諸族連合】の領域では北方中部辺り、戦亜どもの【氏族連邦】を挟んでさらに西方ですね! そこに『星灯りの森』という夜のように漆黒の大森林が広がっているらしいんですけど、そこに住む"種族"の一つみたいです!」
「で、"問題"は?」
「えっと……そこに【星灯りの森林国】という、『黒森人』どもの国があるみたいなんですけど、樹巨人は彼らの『同盟者』とのこと! ふっつーになんでそんな種族が我々と行動を共にしているのか、疑問に思われますね!」
「まぁ視点を変えれば敵の敵は味方で接触しやすくなったってこともあるだろうがな」
簡単に言えば『長女国』に敵対する勢力の所属である。
恐らくは直近か、過去のいずれかの時点かはわからないが、【懲罰戦争】において【騙し絵】家と戦って囚えられたのであろう。
身長4~5メートルはあろうかという、この樹巨人エグドに俺自らも何度か問答は試みたのであるが……ご覧の通りの寡黙さであった。
ただし、グウィースがエグドの全身をまるで巨大な遊具のように動き回るのに合わせて微妙に体勢を変えたり、落ちてもすぐに受け止められるよう常に腕の位置を変えて静かに集中している様子が見て取れ、グウィースに関する言及には目元が動いたりするなど、俺達の言葉も反応しないだけで心は通じているように見受けられる。
というか、魔獣ジグソーパズルから生還した際、まだその樹身が回復していないうちに、グウィースの【人世】派遣についていこうとしていたほどグウィースに何かを感じ取っており、ル・ベリが微妙に過保護を発動しかけていたほどである。
はたして、『ヌシ』をキーワードとした、グウィースとの符合もあることに気づいていた。
片や【人世】の半樹の"魔獣"に分類されるような種族であり、片や【闇世】に生まれた"知性種"として誕生した存在であるが……あるいは森という領域においては、たかが世界が異なる程度のことは大きな影響を持たないということであろうか。
だが、今はこの"樹巨人"はグウィースに任せておくこととしよう。
【闇世】の森林――グウィースの"庭"に置いて快復を待たせていたが、戻るなり、互いに呼び合うかのようにグウィースが突撃。登攀、その古く太くねじれた樹冠のような頭部に騎乗して、今に至るのであった。
「エグド! い い 子! い い 子! 泣かないでね!」
「………………」
「え、泣いてるんだ……わかるんだ……グウィースちゃん……」
俺は、エグドのケアと"事情聴取"を一旦、グウィースに任せておくこととした。
ダリドとキルメも、グウィースに"苔"について聞こうとしているという意味では、ある意味丁度良いだろう。
当初の目的であった『擬装部隊』の第2班という意味でいえば、想定をいちいち越えた部分はあったが、そのまま【人世】の若き樹精達をほぼその核とすることができる。
俺にとっては、こうして【人世】の森の中に、【人世】の樹木の姿をしたグウィースの手駒を増やしていくことができることを確認できたということが重要。
――「すべきこと」のその1とその2に一挙に対処する方策として。
ヘレンセル村の近郊、『禁域の森』の、さらにその外側まで遠征し、探索させることのできる"手駒"として、俺はこの樹精部隊を活用するつもりなのであった。





