0161 癒しは祝り、破邪とは屠り(2)[視点:命血]
8/15 …… スキルテーブルのミスを修正しました
俺の視点からの事の発端は、【騙し絵】家の傘下である"走狗"組織【人攫い教団】によるヘレンセル村外れの禁域の森への侵入であった。
それが今の"野営地群"が形成されるキッカケとなり、俺による「一石を投じる」アイディアの元ともなったわけだが……【騙し絵】家との抗争がもはや不可避となることが予想され――現に今そうなりつつある――先制し撹乱するつもりで『ハンベルス鉱山支部』を急襲。
元は【幽玄教団】という名でありつつ、半ば強制的に与えられた【空間】魔法の力によって「人攫い」の教団へと変貌した彼らへの攻撃は、その名の通りに生業としている「人攫い」の拉致候補者リスト――潜在的な【四兄弟国】の一定範囲における有力者などとのツテとするネタの確保も副目標として狙ったものである。
その結果として、俺は"加護者"リシュリーに、太古の超帝国の遺構に。
そしてそれらに加えて、ハンベルス鉱山支部の元支部長ゼイモントと、元副支部長メルドットであった……今は表裏走狗蟲ジェミニとヤヌスと化した眷属にして従徒たる存在を得たのであった。
彼らの知識も、記憶も、元ゼイモントと元メルドットのものである。
だが、元々ジェミニとヤヌスに融合されていた若い墨法師の肉体と融合し――また、俺の眷属と精神が合一されたことで、人格については別物となりつつある。それが、ヘレンセル村で"珍獣売り"として働かせその適性を見極めながらも、裏で副脳蟲や他の"名付き"達に「エイリアン=ネットワーク」での2名の挙動を監視させている中で、現時点で至った結論であった。
なるほど、母体は元ゼイモントと元メルドットのものであろうことは間違いない。当人達も、記憶の連続性という観点からは、そのことを特に疑うこともないだろう。
だが、同時に彼らは今や【エイリアン使い】であるこの俺に仕える「エイリアン=シンビオンサー」という人間からは半歩か3分の2歩ほど逸脱した種族であり、記憶が連続しようとも、そこに覆うことのできない確かな断裂が存在しているのである。
――元より、二人ともいうなれば【幽玄教団】の2世信者の身の上。
『長女国』の貧民窟の出であり、親兄弟を含めて地域のコミュニティごとこの新興宗教に飲み込まれていく中で、出世のために他に選択肢は無かったのであろう。そしてその中で、権力闘争や、恐ろしき上位者である魔導貴族達の間の謀略を泳ぎながら生き残ってきた中で、封印してしまったかつてのものもあったろう。
2名に共通する称号【夢追う老爺】の技能【童心復古】などはまさしくそんな物語を伺うことのできるもの。
であるならば、あの【転移】事故によってジェミニとヤヌスと融合したこの"夢追い"コンビは、ただ単に肉体が変容するだけでなく――その精神までもが"童の遊び心"として、一度かき回されて、ただただ連続した記憶だけをむしろ核に再構築されたような存在であるとも言えた。
きっと、そうした様々な要素が組み合わさった結果なのだ。
だから、今となっては二人の元の職業が何であったのかはわからないが、少なくとも、今の職業だったわけではないだろう、という確信は俺の中にあった。
そんなことを思いながら、俺は改めてステータス画面を呼び出し、青と白の燐光の中にこの"夢追い"コンビの現状を確認する。
【基本情報】
名称:ジェミニ
系統:融化走狗蟲
種族:エイリアン=シンビオンサー(共有:ゼイモント)
従徒職:諜報隊長
位階:11 ← UP!!!
状態:身体共有 (ゼイモント)
残り技能点:0点
【基本情報】
名称:ゼイモント=アンヌソン
種族:エイリアン=シンビオンサー(共有:ジェミニ)
職業:神秘探究士
位階:38 ← UP!!!
状態:身体共有 (ジェミニ)
残り技能点:0点
【基本情報】
名称:ヤヌス
系統:融化走狗蟲
種族:エイリアン=シンビオンサー(共有:メルドット)
従徒職:主の影法師
位階:11 ← UP!!!
状態:身体共有 (メルドット)
残り技能点:0点
【基本情報】
名称:メルドット=グシク・グシク
種族:エイリアン=シンビオンサー(共有:ヤヌス)
職業:遺跡探索士
位階:35 ← UP!!!
状態:身体共有 (ヤヌス)
残り技能点:0点
まだ、走狗蟲から先にどう進化させるかは定めていない。
それは、副脳蟲どもの「報告書その3」でも言及があったが――現状、因子の獲得においていくつかの「チョークポイント」のような、七並べで言えば「止められている」ものがあり、先に進まない系統がいくつかあると俺自身気付いていたからである。
例えばの話、三ツ首雀カッパーのような「第4世代」の進化先が……エイリアン=ビースト系統における戦線獣の小系統で、まだ表示されていない、というのは、明らかにまだ俺が手に入れていない『因子』が影響していると考えるべきであったからだ。
それが、例の「立体シュレッダー復元パズル✕数十体」から抽出され、名前だけでも判明することを期待してはいるところであるが――いずれにせよ、今【人世】で"珍獣売り"として活用している通り、夢追いコンビに求めるのは純然たる戦闘力存在としてではない。
曲がりなりにも一組織内で、経済力を付けることでのし上がった新興支部の運営者であった手腕など、主に【人世】で構築していくべき「表」の勢力の運営要員としてである。
無論、魔法使いであるだとかではない只人の暴漢程度が相手であれば、裏側の走狗蟲としての姿でも十分に対応可能であろうが――故に進化先の選定を急いでおらず、また、【人世】での活動を見越して、技能点は全て「表側の」職業技能に振ることとしたというわけである。
なお、身体を共有し精神も半融合していることの影響か、ジェミニとヤヌスの側の位階上昇で獲得された技能点も、ゼイモントとメルドットの方に振ることができてしまったのは、少し意外と言えば意外であったが。
――あるいは、俺の認識、あるいは彼ら自身の認識次第であろうか。
このまま、この二人と二体は、さらに融合が進んでいく可能性だって否定できないわけではないのである。
ともあれ、話を戻せば、この振り方は今後今目の前の状況が落ち着き……最低でも【泉の貴婦人】と接触して、確認すべきことを確認し、【騙し絵】家などとの抗争とも一旦一応の安定を得ることができたならば、この世界そのものについての知識と知見を深めるために、『元ハンベルス支部』――今は「魔石鉱山」――の底で発見された、件の大遺跡の調査を見据えてのものである。
【魔法学】だけが、この世界における"超常"ではない。
たとえその起源が大昔の神々の争いの時代にあった大陸をまたぐとかいう超帝国にあったのだとしても、それは逆説的なこととして【魔法学】が生まれる土壌となった、数多種々の「超常」が存在し認知され、そして研究されていた可能性を示唆するものである。
この意味で、ゼイモントの『神秘探求士』は、そうした事跡を――リュグルソゥム家の『止まり木』の知識よりもさらに以前の知識や記録について学び、解釈し、先々で有益な知識と知見をもたらしてくれるだろう。
それはひいては……俺が何故この世界に迷い込んだのか、そしてそこにもしも、最低でも迷宮領主を生み出した存在たる【黒き神】の一派が関わっているのであれば、その思惑を測り、以て俺自身の立ち位置を定めるための大事な判断材料となるべきものなのだ。
≪きゅぴ。純水ごくごくさん的に、商人さんとしても役に立ちそうな技能が多いのだきゅぴ。思わぬ拾い物さんなのだきゅぴ!≫
≪あはは、創造主様のこの振り方なら、んーまぁー、まだ大丈夫かな? あはは≫
同様に、メルドットの『遺跡探索士』もまた、来る「遺跡」やら「遺構」やらについて本格的に知見を深めていく際には、頼りになるべき技能群であろう。
どうして、神代の、それほどまでの超帝国と言うべきものの遺跡が『ハンベルス鉱山支部』の地下の一箇所だけである、などと言えるだろうか? ――【四兄弟国】があるのは、オルゼ=ハルギュア大陸のうち西側のオルゼ地方のそのまた半分の「東オルゼ」という一地方に過ぎないのである。
――これは夢追いコンビに対する、俺の期待の現れでもあった。
現に、彼らは実績と実力を示してくれたのだから。
元『ハンベルス鉱山支部』の支部長・副支部長として、まぁ主には一方的にこちらから先制攻撃した側ではあったし、何となれば彼らの部下を殲滅した側ではあったが……それは、立場の違いがそうさせたものであり、さらには生まれ変わる前のこととして、何らこの俺や他の者達への隔意は生ずる気配すらも見られなかった。
故に、俺は彼らをさらに信じ、期待することとしたのである。
――"加護者"リシュリーの一件は、新たに迷宮に招いた「客人」を前にして、その試金石たる場としての意味合いも含んだものだった。
***
【生命の紅き皇国】の特務部隊である【血の影法師】として、ユーリルは主には「魔法使い」を相手取りつつも、色々な超常の力について学ぶ機会を与えられてきた。
何故ならば、西オルゼに割拠する【西方諸族連合】とは―― 一枚岩の存在ではない。"懲罰"という名の逆恨みによって実に500年にも渡り断続的に激しい攻勢を加えてくる【輝水晶王国】と対峙する際には合同作戦を取るが、そうでない平時は、常に相争っているのである。
例えば、アスラヒム皇国にとっては大事な"資源"である隷畜達を、隙あらば強奪しようと目論む【ウル=ベ=ガイム氏族連邦】の奴隷狩り共と。
例えば、"天空交易路"の覇権を巡って【イシル=ガイム至天国】の「羽付き」共、あるいは時折手出しを試みてくる【星灯りの森林国】の「鷲乗り」共と。
更に時には、その種族文化においては非常に重要な事項らしいが――"試練"を求めて、自ら死地に赴く習性があり――迷惑なことにアスラヒム皇国をその死地と勝手に見定めて襲来してくる【遍紋】の"巨人"共と。
要するに、【魔法】を絶対視する『長女国』の言葉で言う「魔法類似」の力を、西オルゼの"亜人種"―― 一応は吸血種もまたこれに含まれているらしい――の出身として、ユーリルは垣間見てきたわけである。
その故に、大抵のことでは驚かない自信はあったが……。
「……"人間"どもに化け物だって言われる吸血種のこの僕でさえ、こう言いたい気分だ。『この化け物ども』ってな。リシュリーと会わせてくれる、そういう約束のはずだ――魔人」
隣で小便を垂らしていた説教臭い教父様が「え……? ゔ、吸血種……?」とか呻いた気がするが、ユーリルにとって今は彼の相手は些事に過ぎない。まだ完全に信じたわけではないが――言動と言い、その"詰み手"と自称される恐るべき高度な戦術構築能力といい、ほぼ確実にリュグルソゥム家の係累と見て間違いない少年と少女に、己の身柄を預ける思いでユーリルは迷宮の虜囚となった。
大凡の"事情"は、ユーリル自身で想像している通りである。
『長女国』で発生したリュグルソゥム家の「族滅」事件で――生き残った兄妹が、いたのだ。
そして彼らは、あろうことか、【人世】のそれも【四兄弟国】にとっての大敵であるはずの迷宮に落ち延び、魔人の力に縋ったのだろう。
――然もなければ、リュグルソゥム家の討滅から数ヶ月も経っていないこの期間で、新たなる「子供」が2名も、生まれているはずが無いのである。
もしくは、ダリドとキルメという名前のあの幼子達は本国も掴んでいなかったリュグルソゥム家の"隠し子"ということになるが……ユーリルは見たのだ。
彼らが、まるで生まれた時から一緒に育ち、訓練し、連携し、意思を疎通させて阿吽の呼吸でも駆使するかのような次元で、この迷宮に巣食う、ユーリルがこれまで見たことのあるどんな獣とも蟲とも鳥とも魚とも、そして【魔獣】とも異なる、形容することのできない【おぞましい】姿態と口吻と爪牙を備えた『化け物』と呼吸を合わせた"詰み手"によって自身を追い詰め、多勢に無勢であったとはいえほとんど抵抗もさせずに虜囚と化したのだから。
それだけではない。
【騙し絵】家侯子デェイールが、自身の体内に仕込んでくれていた【転移】魔法――【イセンネッシャの画層捲り】――から吐き出された、あの悪夢の津波のような魔獣達やその後のダメ押しで制圧と拠点構築を担うはずだった【人攫い】教団の武装信徒数百名を、短時間で、あのようなやり方で無力化し――まるで"隷畜"を扱う本国の上位階級の吸血種達のように、資源化しようとしているのだから。
――そんな存在に、大切な存在であるリシュリーが捉えられていること。
しかし同時に、そんな存在に、そのリシュリーと共に身を預けようとしていたリュグルソゥム家の生き残りが身を寄せているということ。
眼前で、思ったよりは年若い見た目をしている――しかしどこの国の文化とも合致しない、機能性と幾ばくかの防刃性が強調されたかのような未知の素材のように見える"生地"に身を包み、不敵な笑みを口の端に浮かべて自分とナリッソを睥睨する【魔人】を睨めつけながら、ユーリルは、未だこの事態にどう対峙すべきかを測りかねていた。
「そうだとも、確かに俺は【人世】で"魔人"と呼ばれる存在。この迷宮の主で、名前はオーマだが……どうした? "魔人"を見るのは初めてなのか? ユーリル少年」
「大陸の他地域の迷宮事情はあまり詳しくわかってはいませんが、かつて英雄王が消し去った"大裂け目"が開いた地の上に【四兄弟国】は立っていますからね」
「それが【闇世】から【人世】への侵略のための橋頭堡だったのならば、細かな"裂け目"は、我らが【四兄弟国】にこそ多いという風には思いますね、我が君」
「リュグルソゥム家第4侯子ルク、第4侯女ミシェール……!」
「今はおと……当主様だってば! ユーリル君、訂正ね!」
円卓の部屋である。
最奥には自らを魔人と嘯くオーマという名の異装の青年が座り、その両脇を2名の側近が固めている。片方は一見して自分より少しだけ年上と思えるまだあどけなさの残る、苦い顔をした青年であるが――両肩と腰の当たりから触手が伸びており、わずかでも反抗すれば打ち据えられるか捕らえられて壁にでも叩きつけられるだろう剣呑さがあった。
また一名は……『長女国』の領域で出くわすとは思わなかったが、珍しいことに竜人である。いささか"先祖返り"の気が強く、ユーリルも知識としてしか知らない、相当程度に「竜の特徴」を備えたその大男は何故か両目を眼帯で覆っているものの、隠す気の無い【火】の気配を静かに湛えており、これまたわずかでも不穏な動きを取れば無呼吸の間に腰に佩いた剣で両断されるであろう一切の油断と容赦の無さが漂っていた。
……それだけではない。
魔人の背後や、部屋の中には無数の――筋肉で塗り固めたとしか思えぬ【魔獣】が番人のように控えており、ユーリルの体内の毛細血管の微細な流れにさえもじっと神経と注意を注いで監視しているかのようであったのだ。
物々しいことだな、とユーリルは苦笑する。
"血"を失いすぎて、今の自分にはまともに戦う力はそこまで多くは残っていない。虜囚の身にできるのは、ただ相手が望むものを上手に与えながら――なんとか、その狙いと思惑を理解して、それに自己の目的をうまく寄り添わせることなのである。
竜人のさらに隣に、現リュグルソゥム家の当主であるという、第4侯子と第4侯女と――その息子と娘であると自称する『化け物』と連携する二人が、絶対の主に仕える廷臣の如く静かに座っている。
彼らはまるで尋問官のように、ユーリルに対して険しい眼差しを投げかけてきている。
……当然のこととして、ユーリルは、その理由に心当たりが無いわけでは無かった。
「残念だけど吸血種君。私達は、君のことを知らない――君は、先代の当主様、私の父上と、どういう話をしていたんだ?」
言外に、お前は何を知っている? と問うニュアンスが混じっていることに気づかない"隠密"ではない。
"加護者"リシュリーの話に移るには、まず、この点で彼らを納得させなければならないことをユーリルは理解していた。
――約定は、約定なのだから。
"魔人"に、伝えられる歴史によればかつて吸血種を使い捨てにした、『長女国』の魔法使い達の次に忌むべき存在に仕えているとはいえ――ユーリルはリュグルソゥム家とかつて約した。願わくば、その心をこの団結の一族が引き継いでいることを願って、ユーリルは歯を食いしばり睨みつけながらも、しかし、どこか自分こそが縋りたいような気持ちで、言葉を絞り出した。
ユーリルが知るところは、次の通りである。
第一に、元は『長女国』に密偵として入り込む筈であったところ、とある事情から――それを今自分から積極的に話す気は無い――ユーリルは『末子国』で【聖女攫い】となった。
第二に、重罪の指名手配犯となり、追手の追撃に窮したユーリルに手を差し伸べたのは――どこからそのことを知られたのか全く見当もつかないが、潜入し撹乱する任務であったはずの『長女国』の大家【四元素】のサウラディ家だったのである。
「つまり、サウラディ家が、リュグルソゥム家を"紹介"したんだな? ユーリル少年。そしてそのことを口実に――王都へ呼び出した」
「父上があの日言っていたことは、この件だったのでしょうね……ルク兄様」
「母上と、あと"代行"として、ガウェロット叔父さんも知ってはいたのかもしれない。そうか……」
――いやに【魔人】が、悲運の一族の最後の生き残りの兄妹の"事情"を知っており、そして想像に反して気にかけているような物言いをして、ユーリルはわずかに困惑した。
だが、今は自身の知るところを続ける。
【四元素】家の手引で、【破邪と癒しの乙女】の【聖女】たるリシュリーを届けるために、ユーリルは安全に『長女国』に入り込むことができる。
……それはユーリルを縛る"大命"からいっても拒むことのできないユーリル自身の判断でもあったが、そうしてリシュリーを【四元素】家へ預けた後、一旦、先に『長女国』内に潜入していた前任者と接触するために【紋章】家へ向かったのである。
だが、そこでユーリルを迎え――否、捕らえたのは、吸血種ではない只の枯れ木のような老人に過ぎない、ネイリーという名前の人物なのであった。
彼には、何故かユーリルがアスラヒム本国の"里"で徹底的に仕込まれ、鍛え上げられてきた「技」の数々が通用せず、さらには如何なる手段によってか吸血種であることもまた遭遇した初日に看破されており――。
「それどころか"加護者"リシュリーのことまで、そのネイリーとかいう爺様は委細承知していた、と。そしてそのまま弱みの中の弱みを握られて、君は、その爺様のために働かされていた……てところか?」
円卓に両肘をつき、手指を絡めてその上に顎を乗せながら、"魔人"オーマが時折思案げな眼差しを宙に浮かべる。そのたびに魔素が辺りに渦巻き――【闇世】の"魔素"の何と濃密にして、ユーリルの体内を熱の如く駆け巡ることよ――ユーリルは、まるで体内の血管の一筋一筋のその中の血流の一滴一滴すらをも視られているという感覚に慄いていた。
……のだが、どうしても、ユーリルが知る「上位者」達の誰もが持っていたような、此方を同格の存在ではなく一定の相応しい"役割"を持った道具として無自覚に見るという「無自覚な嫌み」のようなものが、一切感じられないことが、また予想に反しており違和感となっていた。
「そうだ、"魔人"……オーマ。そんな中で、【四元素】家から連絡があったんだ――リシュリーが【騙し絵】家に攫われたって、な。それすらもあの爺は知っていやがったんだけれど」
「では、その続きは、我々から話しましょうか」
「ま、また……人間!?」
不意にかけられる声に、話が想像の彼方を越えていたのだろう、魂が抜けたように呆然と気配が抜け落ちていたナリッソが電流に打たれたようにぎょっと反応して煩い。
だが、見れば、今しがたこの「円卓部屋」に到着したばかりといった風体の……如何にも『次兄国』の航海者にして"武装商人"といった若い男が2名。
――驚くべきことに彼らは人間であった。
リュグルソゥム家と言い、よりにもよって【四兄弟国】の人間が魔人に仕えているなど、どういう状況か、それにこんな二人が、リシュリーが【騙し絵】家に拐かされた事情を知るとはどういうことかと訝るユーリルだったが……疑問はすぐに氷解させられる。
「申し遅れましたな、吸血種ユーリル殿。私の名はゼイモント、そしてこちらはメルドット――元『ハンベルス鉱山支部』の、まぁ【幽玄教団】の"墨法師"をやっていた者だよ、はっはっは」
調べた限りではゼイモントもメルドットも老獪な人物であったという話。
予想以上に若かったが――しかし、彼らが語った"裏事情"を聞いて、ユーリルは改めて戦慄の念を覚え、そしてそれを信じるしか、この状況を説明する術が無かったため、押し黙り込む。
「な、なぁ……少年! 吸血、種の……少年よ……!」
――隣で小便と鼻を垂らしている教父がやけに動揺している。
ユーリルは集中を切らしたくない思いでいっぱいであったが、あまりに突かれるので、小声でなんだよと悪態をつきながらナリッソの方を向く。
見れば、ナリッソはやたらとその「ゼイモント」と「メルドット」を名乗った2名を指差しながら――「あの者達は、む、村に現れた"珍獣売り"だ……! まさか、珍獣を売るのではなく魔獣の……手下、だったとはッッ……」などと天を仰ぐ様子。
その言そのものには、生煮えた適当な相槌を返してやったが――いよいよ、ユーリルは"魔人"オーマが非常に計画的に【人世】に、この地に手を出してきているのだな、という確信を強めていた。
リュグルソゥム家の"幼児"といい。
あるいは、この迷宮は「時間」を操る力か、生物を若返らせる超常の力でも備えている……とでもいうのであろうか。
老人であるはずの"珍獣売り"の2名が曰く。
【騙し絵】家が『廃絵の具』と【人攫い教団】に命じて、【四元素】のサウラディ家から――リシュリーが匿われていたはずの、サウラディ家内でも非常に特別で特殊な存在として"隠され"ていたはずの『愛し子』の別邸から拐かしたという。
そして、ゆくゆくはリシュリーを……詳細はわからぬが、何か"良からぬこと"に使うべく、一時的に『ハンベルス鉱山支部』に軟禁。
――そこを、今も部屋の内外を蠢く十字に裂けた口が共通の、まるで互いが猫と獅子の如く近縁種であることを嫌でも見せつけてくるかのような、この【おぞましき】魔獣達……ダリドが耳打ちしてくるには「えいりあん」という不穏な響きの、聞いたことのない種族名であるが……を率いて攻め落としたのだという。
「いよいよ【騙し絵】家に使い捨てにされて力を削がれる頃合いかな、と思ってはいましたがな! はっはっは」
「まぁ、あのまま【四元素】家か、いっそ『末子国』に聖じ……"加護者"様の身柄を引き渡すかお返しすると共に身売りしようかと本気で考えてましたからな。その意味でも、旦那様には、救っていただいたようなこの老骨、いや、元老骨ですわい、はははは」
斯くして、ここに関係者一同をして(約一名、何故この場にいるのかわからない小便垂れがいるが)、それぞれの知る断片が繋ぎ合わされ、状況と現状の認識が共有されたのであった。
……少なくとも、侵入者である自分をただちに抹殺せずにこうして事情聴取したのは、魔人オーマとしての情報収集に相違ない。特に、彼は今般のヘレンセル村での一件にかなり初期から関わっていたことがユーリルとしてもはっきりとしたわけであり――腹立たしいことに、全て、ネイリーが「渦の中心」と嘯いた通りであった――その意味でも、自分に対して聞きたいことはきっと色々あるだろう。
だから、ユーリルはここからが交渉の本番だと考えていたのである。
既に"血"の力の大半を、『関所街ナーレフ』まで戻る分すらも使い果たしていたユーリルにとって、抵抗する術は無いわけであったが。それでもせめて、一目、リシュリーの安否を確認できれば……そんな覚悟を固めながら、この数日間、何故か【虚空渡り】を使いこなすという訳のわからない魔獣達の中でも特級に訳のわからない魔獣に連日弄ばれながら、耐えてきたのであった。
――たとえ、リシュリーという存在が自分にとって、他の何者にも代えがたい、それこそ魔人オーマの言う「弱み中の弱み」であることを自ら晒したとしても。
誰かに使役される、という生き方は慣れているから。
それだけが、生きるということではないのだ、ということを知ったのが、まさにリシュリーとの出会いであったから。
組んだ手指を何度か組み替えながら、魔人オーマはあれこれと思案思索に耽っている。
円卓を囲む誰もが、その絶対にして恐怖と畏怖の対象であろう、支配者の顔色を窺っているようにユーリルの目には見えていた。
――およそ【魔人】という存在は、己の利益のために、ありとあらゆるものを引きずり込む存在である……と"里"では学んだ。だからこそ、『長女国』の今この場にそのような存在がいることを、ユーリルの中に植え付けられた"使命"のための人格は無視できない。
ここから行うべき"交渉"は、その意味では、実は魔人オーマとではない。
ユーリル自身の内なるもう一つの"人格"との戦いであり、抗いなのである。
いかに、リシュリーを誰にも、自分自身にさえも利用させないような話に、持っていくことができるか――。
「なぁ、あ「ところでユーリル少年」
口火を切ろうと、ユーリルが口を開いた瞬間であった。
それを見計らったかのように、魔人オーマが言葉を重ねて遮る。
面食らい、機先を制されたとほぞを噛みつつも――"交渉"が始まったことを、ユーリルは意識する。"使命人格"に抗う時は、いつだって、こうなのだ。
たとえ直接刃をかわすわけではなくとも、言葉の一つ一つが意味を持つ。そしてその意味が、己自身を縛って操り、さらには状況を――。
「教えてくれ。君は"これ"を、どうにかできるのか?」
ごとり、と。
魔人オーマが、いつの間にか部屋に入り込んでいた人間の子供ほどもの大きさのある巨大な蟲のような魔獣から杯を受け取り、それを円卓の上に置く。
「――ッッ!」
見紛うはずも、あるものか。
その――ありとあらゆる"死"を、"腐れ"を、およそ生ある者が感じ喘ぐであろう、一切の傷病老苦を凝縮させたかのような、色でも魔法の属性でもない意味における漆黒を体現する【血】。
真っ黒に、どろどろと濁り、今にも溢れ出て腐食させんとする【黒い血】。
この迷宮に侵入してから、その血の臭いばかりがしていたことから――逆説的に、赤い血をリシュリーが流しておらず、また死臭も漂わせていないことから、かろうじてまだ生きていると信じることができていた、そんな存在。
そんな「一杯」を円卓上に置き、やっと隣で吐き終わったナリッソがそれを見て何事かを悟ったように顔の色をさっと青白く、しかし険しくさせるのを興味深そうに一瞥しながら、魔人は、オーマという名の青年は、完全に、完膚なきまでに、一切のユーリルの、ユーリルの中でどのようにこの魔人をして『長女国』に大乱を起こさしめんと思考を巡らせていた"使命人格"の予想にさえも反して。
こう言ったのであった。
「ずっと、リシュリーと一緒にいたんだろう? 吸血種ユーリル。君ならば、この最高に胸糞の悪い糞っ垂れを、どうにかできるんじゃないのか? ――どうにか、し続けてきたんじゃ、ないのか?」
斯くも、魔人、いや、オーマという名のこの異邦人のような青年の言が予想外であったから。ユーリルは思わず、もう血が足りない……と呟いて、それを隣の盲目の竜人に読唇されたか。
そこで初めて、オーマは、ユーリルが当初予想していたような、いかにも"魔人"らしい邪悪な邪悪な笑みを浮かべ――改めてナリッソの方に、そのとても悪そうなことを考えていそうな満面の笑みを向けたのであった。
 





