0156 春疾火(はるはやひ)の乱(12)
1/11 …… 【空間】魔法に関する説明と描写を加筆修正
【騙し絵】家が"死体"に【転移】魔法を仕込み、そこから【魔獣】が呼び出される「奥の手」を使うことを俺は既に見ていた。
だが、よもやそれを吸血種という、ただ単にバラバラにするだけでは殺しきれない存在の体内に仕込んでぶっ放してきたというのは、いささか想定が甘かったか。
ダリドとキルメの分析によれば『血管を体内で魔法陣として編んだ』とかいう話であるが――吸血種の死ににくさと"臓器移植"すら可能な【騙し絵】家の技術であるならば、不可能ではない芸当であろう。
ただし、【騙し絵】家がこの"技"によって、例えば侵入と同時に「増援」を送ってくるというような手を必ず使ってくるだろうこと自体は想定はしていたのである。
ツェリマ一行と『廃絵の具』の戦いが、本気の殺し合いではないと察知した時点で、俺はすぐにル・ベリ、ソルファイドを伴って「防衛部隊」との合流とヘレンセル村への帰還を急いでいた。例え競争関係にあるとしても、一国の最高指導層のその中の最上位の一角である。
何らかの"手打ち"がなされる可能性があり――最悪、ツェリマ一行が『廃絵の具』と共に"裂け目"へ攻め込んでくる線も予期されたからだ。その場合は、流石に、俺達が戻らなければならないだろう。
しかし同時に、今この時点で俺が早々に村から姿を消してしまうことを知られるのも具合が悪い。まだ、『ルフェアの血裔』――【闇世】の【魔人】たる迷宮領主が蠢いたと知られないようにできるならば、それに越したことは無いからである。
リュグルソゥム兄妹の見立てから言っても、俺の考えから言っても、現時点で『廃絵の具』とツェリマ一行が【人攫い教団】の件の背後にいると強く疑う最有力候補は「リュグルソゥム家の残党」と見てほぼ間違い無い。
ならば、俺がすべきは『廃絵の具』を奪った憎きはずの弟に丸め込まれたかもしれないツェリマ一行に絡まれないように、忙しく戦後処理をしつつヘレンセル村へ撤収しつつ、マクハードやヴィアッドといった面々を先に抑えること。彼らが、今や『長女国』の追討対象である「リュグルソゥム家の残党」と、村に現れたうさんくさい"珍獣売り"の関係について余計なことを言わないように、更に更に乗りかかったこの船に強制乗船させてやることである。
だが、副脳蟲達の【共鳴心域】を通して迷宮での壮絶な闘争の様子も同時に伝わってきており――時にそれに対する判断や指令を俺は矢継ぎ早に下すことができていた。
別に【並列思考】系の技能に手を出したわけではない。
副脳蟲どもにルクとミシェールを助言役にさせ、まさに「戦後処理」のために俺がこの後すべき行動を予約させたのである。ウーヌスが≪僕こそはナギュビィゲーターさん!≫などと意味不明な供述をしていたが、それに近く、ヘレンセル村にいる側の「身体」については俺は提示される行動リストの通りに自分の体と口と表情を動かしたに過ぎない。
そしてその間、俺は自身の意識を【心話】によって、副脳蟲掌位回転陣経由でのタイムラグはあるものの――次々に更新される情報に向けて、全霊を傾けていたのである。
――出現した【魔獣】は、実に75体にも及んでいた。
≪各元素系属性に、【活性】やら【混沌】やら……よくもまぁこれだけ"溜め込んだ"と呆れ果てますよ、全く≫
"加護者"リシュリーの件で、個人としてもリュグルソゥム家のためにも俺の迷宮へ招待することを決めた吸血種の少年が爆発したのも頷ける。一瞬にして【大空洞】は、色も音も属性すらもが激しく傷つけ押しのけ合うレベルの混沌の坩堝と化した。
≪せめて出現させる順番とか考えなかったのか……植物系が【火】で焼かれて、その【火】が直後に【水】とか【氷】と相殺しあってるじゃないか。しかもその後に濡れた状態で【雷】の魔獣に電撃食らってるぞ、なんだこれは、フレンドリーファイアの見本市かよ≫
報告を受けた時こそ「やられた」と裏を掻かれた思いであったが、蓋を開ければ想像を斜めに下回るという意味での惨状である。【春司】がその迷宮的な性質で以て【火】属性の魔獣達を調伏して従えていたのとは打って変わり、統率も目的すらもない、ただそれぞれの苦悩と苦痛と本能と闘争心のままに荒れ狂う【魔獣】達が阿鼻叫喚と百鬼夜行を一つにまとめて圧縮して押し固めたかのような、管制している側からすれば最高にタチの悪い地獄絵図のような馬鹿騒ぎがそこに現出されていたのである。
≪……ただまぁ、"汚い爆弾"としてはこの上ないな。下手な街だったら余裕で壊滅させられるんじゃないか≫
≪御方様の実力を知らず、単なる【魔獣】の巣窟程度としか迷宮を理解していないのであれば、それで十分と思ったのでしょうな≫
無論、地獄絵図ではあっても"蠱毒"ではない。
呼び出された【魔獣】同士が互いに傷つけあっているのは、物理的に押し合いへし合いな状態だからであり――彼らの行動原理は、闘争と、そして苦悩からの逃避であることは変わらない。間もなくそれぞれの身体的特徴を駆使して【大空洞】からの離脱と、そして"邪魔者の排除"を試み始めたのである。
翼や羽がある個体は飛翔せんと。
牙と爪がある個体は崖をよじ登らんと。
魔法の力をまとった個体はその力を駆使して。
この世界においても、あらゆる生命体は「上」にこそ出口があると本能的に知るものであるのか。他を押し退けた者や、逆にいち早く逃げ出さんとする者から、属性も魔獣化する以前の生物種も問わず、究極の"機会の平等"がそこにあるかの如く、先を争うように【大空洞】の壁面を登り始めたのである。
……なお、この生物種も属性さえもバラバラな魔獣どもであったが――いずれも俺の眷属達よりは大きいという特徴は共通であった。
故にその帰結として、魔獣どもは狂乱のうちに死中活を求める生物として当然の権利の如く、道中に群体の意思の体現の如く集結していた俺の眷属達を「障害物」と見なし、壮絶な生存闘争を開始したのであった。
駆け上り来たる雷獣の咆哮が紫電となって走狗蟲達を焼かんとする。
それを防ぐかのように、洞窟の壁面に張り付いていた臓漿達が一斉に剥離。莫大なる投網と取り餅とブルーシートの中間的遮蔽装置と化して紫電を防ぎ、当初予想された被害を8割以下に抑え込む。
その間に駆けつけた螺旋獣デルタと切裂き蛇イオータが、こちらこそ先を争うようにむしろ活中死を求めるとすら言えるほどの獰猛さで切り込み、そしてそれに触肢茸やその上位世代たる骨刃茸などで"武装"した戦線獣の精鋭部隊、走狗蟲達が続いて突撃して乱戦が開始される。
走狗蟲が大鰐の大口に食いちぎられた直後に戦線獣の剛爪がその顎を打ち抜く。
戦線獣が大獅子の鬣に巻き付かれ締め上げられるやイオータの瞬速の斬撃とデルタの"裂け腕"が装備されたる特別製の骨刃茸ごと叩きつけられる。
デルタに組み付き、氷漬けにして動きを封じようとした5本腕に走狗蟲達が群がって凶爪でずたずたの滅多抉りにする。
――犠牲は覚悟の上で突撃させ、乱戦としたのである。
この状況。俺が最も恐れていたのは、逃走のための闘争として、生存本能によって魔獣達の指向性が結果的に「上」に向けて収束することであった。
喩えて言えば、出入り口が一つしかないトンネルの中腹に拳銃を持った群衆が詰め込まれている様を想像すればいい。火災だかが発生して……当然、全員がそれぞれ自分が助かりたいと一直線に同じ方向に向かうわけだが、そこに「障害物」があれば、どうなるか。
きっと全員が、示し合わせたわけではなく結果として同じ方向に向かって一斉に発砲するだろう。
その突破力を俺は恐れたのである。
特に、足の遅い属性砲撃茸やら属性障壁茸、噴酸蛆などが到達して抜本的な意味で「制圧」が成るまでは――この死に物狂いな魔獣達を収束させてはならない。
そんな意を受けて、次に動いたのは第二陣として【大空洞】に到来せる『三連星』ゼータ、イータ、シータらであった。
風斬り燕イータが『因子:豊毳』によって増幅された"風斬り羽"を次々と射出し、魔獣達の眼やら関節やら粘膜やらの柔い箇所を狙撃する。
絞首蛇ゼータと八肢鮫シータは上方に陣取り、遊拐小鳥達と連携して、走狗蟲の「足場」となることに徹しながらの支援を開始する。以上、打撃を与えることよりは魔獣どもの行動の群衆制御である。
そこに、遊拐小鳥あるいは臓漿の塊や瓦礫やら、転がってきた爆酸蝸達やら、ベータによって転がり移動を学習させられたガンマを始めとした一部城壁獣達を手当たり次第に掴んで放り投げ落とし――無論、群体本能的な連携によって乱戦部隊への誤爆は軽微、デルタがガンマに頭上から踏み潰されたような気がしたがきっと気の所為――この「いたずらっ子」どもはそれだけに飽き足らず。一部は走狗蟲達に混じってその邪魔をするかしないかのすれすれのひっつかみやら引っかきやらで魔獣達を掻痒せしめ始めたのである。
そしてそこに投槍獣ミューが豪投せる"投槍"による狙撃が加わり、可能な限り乱戦させて少しでも魔獣どもの「上」への突破を遅らせようとしたが……如何せん、75体というのは許容量がオーバーしていた。
さながら【大空洞】を鋳型にした邪悪且つ冒涜的なるガサついた心太の如く。【騙し絵】家が鹵獲していた魔獣の中に、ちょっとした小島を背負っているかのような【土】属性の亀――甲羅の直径が【大空洞】の直径の3分の2にも及ぶ――がいたことも影響し、どれだけ俺の眷属達の猛者が乱戦しようとも、その乱戦の中で屠った魔獣の死体を瞬時に消し去ることなど至難の業。生も死すらもが渾然一体の様相を呈して、ぎゅうぎゅうに詰まり、壁に押し付けられた外側の魔獣どもがその身を削られる苦痛で天然ものの【おぞましき咆哮】がぶちまけられながら、下からも激しく上へ上へと押し出されるように"塊"となってせり上がるのを止められないのである。
≪無茶苦茶過ぎる……後始末がとんでもない重労働になっちまうぞこれは。【騙し絵】家め、掃除代のツケは必ず払わせてやらないといかんな、これは≫
≪そんな時は僕達ハウスキュピーパーにお任せなのだきゅぴぃ! 掘り出しものさんを発掘さんするよ!≫
≪やったぁ! お宝さんは漢さんのロマンだね!≫
――しかも。
吸血種との戦闘で体力を使い果たし、一旦ガス欠したため走狗蟲の背で運ばせて戦線から離脱させていたリュグルソゥム家の暴れん坊な第2世代ダリドとキルメの報告の通り。
爆発した吸血種の少年のぶちまけられた血管やら臓物やら血飛沫やらが"第二"の魔法陣を形成したらしく。
魔獣達の只中に、見覚えのある装備をした、陶然とした表情で闘争だけを思考させられているかのような武装した集団――【人攫い教団】の武装信徒達が、まるで"泡"のような空色の胞衣のようにゆらめく【歪みの法衣】によって守られた状態で出現したのである。
これもまたリュグルソゥム家の知見には存在していなかった【騙し絵】家の奥の手であったか。なんと、魔獣達が押し合いひしめき合いしかもそこに俺の眷属達が乱戦乱打乱斬乱突する領域に出現していながらほとんど無傷。
副脳蟲達の観測を下にリュグルソゥム家が秒で分析し(無論、現世の時間ではだが)、胞衣の内部が拡張空間となって内側の存在を守りつつ、外部に対しては柔布の如く衝突や圧迫を受け流す性質であることはわかったが――【魔獣】達の大暴れを盾にし、足場にすらして、その属性やら爪牙やらからの害を避けつつ進撃してくる構成であることがわかった。
≪なるほど、合理的だな。暴れ狂う魔獣どもに破壊を任せて、制圧や虱潰しの攻撃は、その魔獣の攻撃を受けない兵士達が受け持つ。【空間】魔法を破らぬ限り、どうにもならないわけだ≫
≪そうだな、我が【武芸指南役】にしてこの世界から【火の調停者】を仰せつかったソルファイドよ? 本当に――その気になれば『長女国』の王都だって、他の強力な頭顱侯家だって、単独で奇襲で潰すことができていたかもしれない。それほどの戦力だな≫
――だが。
『画狂』イセンネッシャが、たとえかつて【闇世】で力を得た存在であり、それが【騙し絵】家のルーツにして【空間】魔法の力の根源であったのだとしても。
【絵画使い】とやらと何らかの関わりがあり、つまりその根源が迷宮に関わっている――【四季ノ司】という迷宮領主を持たない迷宮的領域という事例があることを俺は既に知った――のだとしても。
≪麗しき『長女国』の血塗られた謀略と暗闘の歴史の中で、イセンネッシャ家もまた多くの犠牲を出してきました。積み重ねてきた知識の"失伝"に悩まされてきた頭顱侯家もまた、多いのです、我が君≫
彼らの"悲願"の先。
肝心要の自分達の根源たる【領域】において、【空間】魔法がどう「作用」するのかを理解しておらず、想像できていなかったならば、世話は無い。【相性戦】という点において、俺は完全に【騙し絵】家の"絵画"を塗り潰し文字通りにぐちゃぐちゃにすることができる天敵関係にあった。
≪頃合いだ。やれ、ウーヌス≫
≪きゅぴぃ! ぱぱきゅぴ頑張っちゃうさんだぞきゅぴぃ!≫
"加護者"リシュリーの関係で、吸血種の少年はリュグルソゥム家に用がある様子であった。そしてきっと、【破邪と癒やしの乙女】に大恩あるリュグルソゥム家と敵対する意思は無かったのであろう。
ダリド曰く「なんかすっげえごめんなさい」という表情をしたらしいが、その時に"戦力を集中させろ"と、つまりこの後何が起きるのかをこの俺に向けて密告したことと同義であり――。
彼が血飛沫をぶちまけて「爆発」するまでの数秒は、リュグルソゥム家が「対策」を考案して副脳蟲達に伝達し共有して、最も重要な"初動"の指示を出すには十分過ぎる時間だったのだ。
そこで俺が下した指示は、【大空洞】底面の【領域】を外すことであった。
そして今、副脳蟲どもの首領……おいふざけるな一般名詞まで汚染するなこのぷるぷるどもめヤ行の小文字しか音が合ってないじゃないか何でも有りか貴様ら……たるウーヌス達に下した二の矢たる指示は、再びそこに【領域定義】を、この俺の"分身"として『代理行使』すること。
地泳蚯蚓が地中から。
6方向から岩盤を掘り進み、大空洞の底面へ【土】属性魔法によって軟化させた土中を、副脳蟲どもを背負ってどんぶらこと到達したところだったのである。
≪きゅくく……掌位回転陣さんは、僕達の部下きゅぴ達にすり替えておいたのだきゅぴぃ!≫
≪うーぬすしゃま!≫
≪がんばえー!≫
≪ドゥオ! トレース! 僕達の勇姿さんに融資さんしていってね! 今が買い時さんなのだきゅぴぃ≫
そして俺の「やれ」という命に従い、乱戦部隊が一斉に撤退。
遊拐小鳥やゼータによる"釣り"、この作業のためだけに暴れるのを我慢していたベータの【虚空渡り】による回収で瞬く間に回収されていき。
副脳蟲達によって再び【大空洞】の底面が――【歪みの法衣】によって、押し合いへし合う粗大臓物心太状態めいてせり上がってきていた魔獣達の間に挟まりへばりついてよじ登りながらも潰されずにいた【人攫い教団】の武装信徒数十名を巻き込んで――再び【報いを揺藍する異星窟】の【領域】に包み込まれる。
――そして【領域】と【騙し絵】式の【転移】魔法が干渉しあう。
互いの「座標」情報が上書きし合いされ合い、接ぎ木し合ってされ合って、そこに壮絶なる"暴発"が誘爆される。
その余波に巻き込まれる形で【人攫い教団】の信徒達の【歪みの法衣】もまたかき消された……だけではない。
胞衣のように四次元空間的な"クッション"として圧死から武装信徒達を保護していた【歪みの法衣】が剥がれ落ち、荒れ狂う魔獣達の間で、さながら複雑なる機械工場のラインに熟れすぎた果実が紛れ込んだかのようにぐちゃりと潰れる、が。
――この"尖兵"たる武装信徒達が単なる「運び手」に過ぎないことなど、予測済みであった。
案の定というべきか、彼らの"死"をトリガーとして。
【血と涙の団】の"団長"に仕込まれたのと同じ【転移】魔法が、おそらくはこの"踏破役"であった数十名を基点にして一斉に発動、と同時にさらに誘爆的に次々と暴発を繰り返したのである。
【領域】の力とは、ただ単に「座標指定」するだけではない。
その空間的な情報に紐ついた魔素や命素の収支をも含めて迷宮システムの中に取り込む力であり――いわば迷宮領主の"世界"自体に「取り込む」力と言って良い。
対して【騙し絵】式は、【虚空渡り】と似て非なる、しかしやはり近しい"技"として、ただ単に【転移】させるだけの超常だ。
ならば、あらかじめ両者の干渉や混入を排除する仕組みが無いのであれば――両者の「座標」が衝突して入り混じり、術式の構造的な意味で捻じ曲がり、術者が想定していないようなショートじみた"暴走"が起きるのは自明なのであった。
斯くして、後方のどこぞの拠点で待機していたであろう、生み出された【転移門】を通って俺の迷宮内に出現し、魔獣によって破壊され尽くされたであろう洞窟に乗り込んで制圧する目論見だったであろう「主力部隊」たる数百名もの武装信徒達が、もろともに【転移事故】に巻き込まれ、瞬時に原子と概念レベルでその身を細分化され砕かれ解かれ融かされて混ぜられて溶け合わされてぶち撒け撒き散らされた人間花火のように――。
≪あはははは! 創造主様、創造主様! ちょっとやりすぎちゃったかもぉ? あははははは!≫
≪ぎゅびぇぇぇええ! なんじゃこりゃぁさん!?≫
どうせマトリョーシカのように死体の中に【転移】魔法陣を仕込み、そこから送り込まれた部隊にも同じような術式が施され――人海戦術でこの俺の迷宮を虱潰しに調べ尽くそうとしていたことは想像に難くない。それを叩き潰すために、副脳蟲達によるこの俺の迷宮領主技能の「代理行使」という札を切ったわけだが、そこに現出されたるは、想像の斜め上の悪夢の顕現であった。
呼び出された「主力」の武装信徒達が吹っ飛んで生きた前衛芸術と化したのは、前回やってやったのと同じ結果である。そして、彼らの中に混じっていた【転移】魔法仕込みが即死と共にまた次の"波"の武装信徒数百名を喚び出し――前衛芸術がその"前衛性"と"領域"を一気に先鋭化させたのは、まだ良い。
問題は、それが数度リピートされた結果。
≪あぁ、うん。こりゃあ、完全にやっちまったなぁ≫
押し合いへし合い潰し合い密着を越えて「圧着」し合っていた数十体の魔獣達が。
生きている個体も死んでいる個体も、獣であると人であるを問わず。
歪み潰され暴発した【空間】と【領域】により。
"一個"に混ざりあがってしまったのであった。
――さしもの"名付き"達が絶句している感覚が伝わってきたのは、果たして彼らがたとえ冒涜的なる生命の暴虐であってもそれを「生命」と認め難かったという意味でドン引きしたのか、はたまた、絶対の創造主たるこの俺が絶句したという反応を先取りした一種の生物自然科学的忖度によるものか。
眼や耳が何対あるか知れたものではない。
腕から足が生えて口が生え歯に混じってびっしりと耳やら指やら皮やら鬣やら爪やらがむき出し。
さも接ぎ木するかのように腕から足が延び胴体に繋がってそこから舌やら尾やらむき出しの臓物やらがぶら下がって枝分かれしながら血も涎も尿も髄液も脳汁もありとあらゆるおよそ生命体の体内に存在すると思われる一切合切の液体という液体流体という流体がないまぜにかき混ぜられしかし完全には混じらない何層もの沈殿物めいた「しる」となってだらだらとその全身をぬめり。
だが、しかししかししかし、ただ単にそれらは【転移】事故によって言わばランダム化された"座標"において冗談のような3Dゲームの"バグ"であるかの如く部分部分が重なり、ただ3次元空間において重なったことの結果として癒合しているに過ぎず、つまり――それぞれの「脳みそ」と「感覚器官」と意識が統合されたわけでも融合したわけでも無し。
要するに数十体プラス数百人分の"思考"が、それぞれバラバラに混ざったまま、運動神経すらもぐちゃぐちゃに混線した状態で……元々が自分自身の腕か足か先端かすらもわからない状態で、がむしゃらに、増幅され集団ヒステリー化した「苦痛」と「恐怖」にだけは激しく突き動かされながら凄まじい俺の洞窟全体を揺るがすかのような、俺の眷属達ですらその規模で大気を震わせるには全霊で共鳴して実行せねばならない【おぞましき叫喚】を張り上げ、暴れ狂い、ずぞぞぞぞと肉やら「しる」やら臓物片やら骨片やら神経糸の切れ端やらを目玉やら軟骨やらをずりずりと壁に接着して「削れ」ていく面とともにその後に残して、擬似的に集合化された逃走本能に従って、みちみちぎちぎちとなおもせり上がってくるのであった。
≪ごめ……僕無理……うぇっぷ≫
≪ダリドきったない!≫
≪……なぁ、ゼイモント。旦那様からの迎撃の招集で勇んでやってきたんだが、なぁ≫
≪皆まで言うな、貴様の言いたいことなどわかってるわ。あれは凄まじいなぁ、そうとしか言えん≫
配下達もまた各々、総毛立って戦慄に竦んでいる様子が見て取れた。
確かに――これはいくらなんでも、やりすぎであった。
当然だが【騙し絵】家が意図したものではないだろう。
だが、完全に一個の存在に混じり合ったわけでもなく。さりとて群体として高度に共生共鳴したわけでもない。ただ単に物理的、とこの剣と魔法の世界で表現していいかはともかく、物理的現象の結果として、そこに何者かの意思すら介在しない無慈悲なるランダムの結果としてそうなったに過ぎない。
――それは巨大な、肉と臓物の"牢獄"に等しい存在と化していたと言えるだろう。
混沌の棺であり、鉄の処女めいた、死ぬことすらできずに恐怖されるべき哀れを通り越して戦慄をばら撒くだけの存在であった。
流石のこの俺も。
技能【強靭なる精神】を連発してなお。
それを、上手いこと俺自身の利益や目的のために利用したり、活用したりしよう、などとは思わない。
確かに彼らは俺の敵対者だが。
いささか"報い"としては、あまりにも過剰に過ぎた。
だから、俺は、すぐに楽にしてやれ、と命じようとした。
その時のことだった。
≪なんと! 哀れなっっっ!! あ、あまりにも哀れなのであるぅッッ! うぅうっうっ……!!≫
≪おいどの副脳蟲だ、この凄まじく胸糞の悪い"やらかし"の場に能天気な食欲ドラゴン生首を連れてきたのは。壮絶なお仕置きが必要だな?≫
≪グウィース! ぼ く だ よ ! オーマたま!≫
≪グウィース!? 貴様、地上で森を鎮めていたのではないのか、御方様のご指示が無かったにも関わらずそこで何をしているッッ!≫
≪濡れぎゅびぬなのだきゅぴ! 謝罪さんともがもごものやめて息ができゅぴ……ない……≫
≪チーフ死す~≫
あろうことか、その場に現れたのは、何がどうしてそういう判断になったかわからぬが、三連星が吊り上げていた海の幸が切れたのでまずいまずい文句を言いながら小醜鬼を食わせられていた、多頭竜蛇の切り取られた生首ヒュド吉だったのである。
これを連れてきたのが副脳蟲どもであったならば、俺は自分自身のこの"報い"のバランスを失したあんまりなやらかしへの自責の怒りを思わず彼らに生首仲間(中身だが)の刑に処する八つ当たりをかましていただろう。
だが――突飛な行動をするとはいえ、生命や、樹木とそれに纏わる生命達・生態そのものの調和を保つ力の片鱗を得つつある【幼きヌシ】グウィースが、独断でそうしたのである。
決して、悪ノリやふざけの類ではない。グウィースはそういう存在である、と俺自身が理解しているが故に……ヒュド吉などというウーヌスどものペットにして玩具すなわちふざけがち側の要員であり存在と認識されているこの生首奴をこの鎮痛が支配し一刻も早く慈悲の一撃が必要であると認識されるべき場に闖入させたこととの認知的不協和が、この俺自身の思考をも"混沌"に叩き込みかけていた。
≪あはは、まぁ創造主様、落ち着いてよ≫
と、モノが先程の爆笑はどこへやら、静かな口調で【心話】を俺にだけ送ってくる――と同時に【情報閲覧】をヒュド吉に「代理行使」するや。
≪た、たとえ、わ、我が民に在らずとも……! うっうっう……! このような、哀れな"混沌"に落ちた子羊を……ッッ! 救わずして、救けずして、何の【竜】であるのだぁぁぁッッッ!≫
ヒュド吉の称号に、確かに記されていたのだ。
――【未熟な調停者:混沌】と。
それを見た瞬間、俺の思考は一気に落ち着き、そして収束した。
≪行け、ソルファイド。ゴブ皮魔法陣で帰還しろ≫
≪良いのか? まだあのツェリマどもの目があるが≫
≪ルク、ミシェール。適当に目をそらせ、ギリギリの範囲で≫
≪かしこまりました。とりあえず、関所街まで一時撤退する判断をさせてご覧に入れましょう≫
≪ソルファイド。『竜による調停』のヒントが見られるかもしれない。お前は行くべきだ、こっちは適当に誤魔化す≫
グウィースは地泳蚯蚓が副脳蟲達を運ぶために掘った【大空洞】底面への坑道の一つを一気に進んできたのである。
ヒュド吉をその樹身の両腕にひた抱えて、水路を通って辿り着いたのであった。
そのグウィースが――ヒュド吉の生首を抱え上げ、哀れなる転移事故巨獣に向ける。
ヒュド吉は何やら『ルフェアの血裔』であるこの俺には意味が聞き取れず理解できない……しかし、どこかかつての多頭竜蛇が、小醜鬼達を支配していたあの『海鳴り』の歌のような響きを、喉の無い喉から発し始める。
それが【竜言術】である、と俺は察していた。
だが……ヒュド吉の様子は非常に苦しそうではあった。まるで爆発寸前のだるまみたいに顔面中に太い血管が浮き出させ、目玉が飛び出んほどに見開かれて血走り、苦悶にあえぐ。
しかし、そこにグウィースが「だ い じょ う ぶ !」と声を張り上げて――そこからは俺も直感的に感ぜられる。【幼きヌシ】の何がしかの力が、まるで俺の迷宮全体をさっと手で撫でるかのように触れたのである。右手の甲の【春】を表す蝶々の紋様が、ぞわりと震えたような気さえした。
そしてそこに緊急用のゴブ皮魔法陣を焼き切らせたソルファイドが文字通りの火急で駆けつけ。
ヒュド吉の『歌』のような【竜言術】を凝視し、火竜骨の双剣を握ったまま何事かをぶつぶつと呟き……いや、歌い始めたのである。
――果たして、現世の方ではヘレンセル村防衛部隊の生き残り達を取りまとめ、ひとまずできる限りの「後片付け」を終えて、マクハード達と合流したところであった。
森の奥、『廃絵の具』との会談を終えたツェリマ一行に対して、密かに出撃したルクとミシェールが何がしか、彼らを警戒させるような「大魔法」でも連鎖的に発動させたか。ざわざわと銀雪に覆われた森の空気が不穏にざわめいたが、首尾は上々との報告。
マクハードを言いくるめるための言葉を、まるで遠くから自分の体を遠隔操作装置か何かで操っているような不思議な感覚に囚われながら言わせながら――再び、意識を迷宮の方に戻してみれば。
≪なるほどな。それが『竜による調停』てわけか? ヒュド吉。お前の秘密主義にも、呆れたものだなぁ。どうして当たり前のようにさっき【眷属心話】に割り込んできたんだろうな? ……だが、まぁ、功労者だ。誰か連れ帰って安眠させておいてやれ≫
黙して語らず、まるで破裂した水風船のようにくたぁと萎んだヒュドラ生首。
しかし、この場に勇気だかクソ度胸だかを出して闖入してきただけのことはあったか。彼は確かに己の存在をこの俺に証明してみせたと言えるだろう。
再び、俺は従徒達が、眷属達が絶句している様を迷宮領主と迷宮の繋がりから副脳蟲達を通して全身で感じていた。
――数十の魔獣が。
――数百の武装信徒達が。
"混沌"の状態としてしか表現できない歪に混ざりあった状態から、そのそれぞれの「境界」の部分で分離し、数千数万の肉片となってばらばらと【大空洞】の底面にこぼれ崩れ落ちうず高く積み上がっていたのであった。
同じ"塊"ではある。
だが、圧縮され圧壊され圧着された悪夢の臓物心太状態ではない。
喩えるならば、シュレッダーの中身、である。1体1体の魔獣が、1人1人の武装信徒達が、千々にばらばらに分断され解体され千切りにされた「パーツ」の状態になってはいるが――混ざらずに折り重なっているに過ぎない。
……その気になれば、丹念に組み直して、それぞれ別々のジグソーパズルとして「元の形」に戻すことは、できるだろう。そう意識した瞬間、副脳蟲アンの指示で、既に多数の労役蟲達が動き出しているのが知覚された。
――つまり、その種、その生物、その個体としての何か尊厳のようなものが、あの悪夢の混沌から切り離され分離され、取り戻されたのであった。
当然、全て俺の迷宮に敵対した者として、死んではいる……と思ったのだが。
≪グウィース! グウィース! オーマたま! オーマたま! 兄たま、兄たま! ここに! ここに!≫
嫌にグウィースが興奮し、萎んだヒュド吉を放り捨ててソルファイドの頭によじ登って走らせ、うず高く積み上がり血も漿もぶちまけた塊の中をかき分けさせる。
そしてそこに、あれだけの魔獣融合と、その後のヒュド吉による生命が終了に至るほどの"分離"という名の『調停』から奇跡的に逃れられた存在が、いた。両腕と片脚を失った、立ち上がれば全長4メートルはあろうかという、全身を樹木で構築された『樹人』が、うめき声を上げながら、顔を上げてグウィースを見つめていたのであった。
≪あはは、えっと名前さんは……『エグド』だってさ、あはは!≫
≪あ、オーマ様。あの吸血種君野郎、こっそり再生して『聖じ……"加護者"リシュリー様のところに忍び込もうとしていたんでとっ捕まえておきました!≫
先程まで盛大に嘔吐してグロッキーになっていた様子はどこへやら。
働き者のリュグルソゥム家第2世代兄妹の報告を受けながら、俺は、この騒乱の前半のひとまずの終了を、ようやく実感したのであった。
≪こっちでも、そっちでも、また後片付けか。急がせておいてくれ、副脳蟲ども。予想以上の成果だが、予想以上な上に予定以上過ぎる。不測の事態も起きすぎた――ハイドリィが一気に動いてもおかしくないぞ。俺達もさっさと次の行動に移らないといけない。ルク、ミシェール、良いところで切り上げて撤収しろ≫
再び右手の甲が、まるで蝶の紋が羽ばたきたがっているかのように、何かを訴えるように疼く。
【春】は一旦、鎮めた――だが、この地の騒乱は、まだ終わってはいない。
移ろうべき【春】が擬似的な眠りについたことをまるで悟ったかのように。
心なしか、村を包み込むように辺りを舞い散る銀雪の欠片が、一番最初に見た頃よりも、二回りか三周りほど巨大化しているかのような気がして、俺は改めて【深き泉】の方を一目、見やったのであった。
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