0155 春疾火(はるはやひ)の乱(11)[視点:転身]
1/11 …… 【空間】魔法に関する説明と描写を加筆修正
【輝水晶王国】第2位頭顱侯【騙し絵】のイセンネッシャ家侯子デェイール・トゥロァ=イセンネッシャは、吸血種の血肉に仕込んでいた――どれだけ痛めつけても"死ににくい"身体であるからこそいくらでも試行錯誤して納得の行く形に血管を編んだ【転移】魔法陣に乗って、まさに『廃絵の具』を率いて"裂け目"へ乗り込むつもりであった。
だが、そんな彼が計画変更の決断をしたのには、3つの要因が絡み合っていた。
第一に、己が最も強力な競争相手である姉が、予測に反して直接攻撃を仕掛けてきたことである。
【空間】魔法と【空間】魔法がぶつかり合う。
【歪みの剣】と【歪みの盾】が衝突し――異なる【空間】同士が衝突して混ざり合い、【風】魔法の作用かと見紛う軽い衝撃波を渦巻かせて双方諸共に弾け飛ぶ。
だが、その"弾け"すらも計算に入れたイセンネッシャ家の"歩法"を繰り出す技量はツェリマが数段上。
突き出される蹴りは、瞬間的な【転移】により、まるで視界がぼやけたかのように同時に2、3地点にブレ重なって視えて迫りくる。それは実際に、およそ人間が視覚で認識できる速度を越えた超短縮された超短距離【転移】が連続したことで繰り出される幻楼の蹴撃である。
「あっはは! 本気も本気じゃないか、姉上ェェ!」
受けるデェイールもまた、【転移】と【歪み】を次々に繰り返しながら、【空間】魔法同士の"相殺"を試みるが、接近戦ではツェリマに分が傾く。2つ3つの微妙にブレてズレた像の如く超短距離【転移】によって生み出される幻楼の拳撃と蹴撃は、超短縮された時間であるとはいえ――言わば2、3回の【空間】魔法の発動に他ならない。
デェイールが身を護るために生み出す【歪みの盾】やら【歪みの鎖】やらは、言うなれば同じ速度で連続発動しない限りは、1つ目の「ブレ」で相殺され2つ目か3つ目の本命の一撃に貫通される前の再詠唱が間に合わないのである。
頬や、せっかく富裕なる"庶民"風に整えた姿格好が台無しだ、などと悪態をつきながらデェイールは【空間】魔法である【イセンネッシャの空色絵筆】を発動。当然のようにツェリマの【幻楼撃】によって打ち消されるが――威力ある魔法を放った分、生じた相殺の衝撃波が大きく、その勢いを借りてむしろ増幅させることで大きく距離を開けた。
当然、怒れる"姉"が短距離転移によって追いすがろうとしてくるが……デェイールは自身の懐に現れた――侯邸に控える部下達から【転移】で送り込ませた――魔法陣の刻まれた"釘"をばら撒いた。
それらは「対イセンネッシャ家の魔導具」とは異なり、単に簡易的な【空間】魔法が仕込まれているだけのものであるが、少なくとも短距離転移によって一気に接近されるのを防ぐにはちょうどよい代物。
【幻楼撃】は接近戦で相手の【空間】魔法を無力化させるには有効な技術であるが、このような場面では役に立たない。デェイールが距離を取った十数メートル、本来であればツェリマも同じかそれ以上を一息に詰めることができるが……発動に当たっての安価さが裏目となる。"相殺"現象により、ばら撒かれた【空間】魔法の一つ一つをまとめて飛び越えることなどできず、そもそも短距離転移自体が発動した瞬間、最初の1つ目にすらも阻まれるのである。
これがイセンネッシャ家の【空間】魔法における重要な制約である。
たとえ同じ術者であっても、ある箇所に対して発動した【空間】魔法の上に更に別の術式を重ね合わせるには、非常に高度な計算と技術が必要――とても1個の人間にできる計算ではない――なのである。
おそらく、存命するイセンネッシャ家の係累で、この"干渉"技術を駆使できる者は、父である当主ドリィドを除けば病没間近の大婆様しかおらず、ツェリマとてその域に達しているものではない。
それでもデェイールが稼ぐことのできる時間は十秒にも満たないが、【圧縮詠唱】や時には【無詠唱】などの技が入り乱れる戦闘魔導師同士の戦いにおいては、それで十分。
再度、侯邸の部下達から手元に【転移】させられた魔力増幅のための焦点具たる細身の杖剣を掲げ、デェイールは狂える"画家"が絵筆を振るうが如く、今度はより大規模に【イセンネッシャの空色絵筆】を発動。
ぐにゃりと、それこそまるで銀雪の景色そのものが、不完全な絵画に水を垂らしたが如く膨れて歪み、然してその歪んだ景色そのものがまるで巨大透明なサンショウウオの如く生きているかのように、不規則な波を描いてツェリマに襲いかかった。
同じ術者でさえ複数の術式を上書きできないというイセンネッシャ家の【空間】魔法同士が衝突した場合に、どちらかが"干渉"を成功させていない場合に起きるのが"相殺"である。
【空間】に対する「座標指定」か、はたまた「変形・拡張」といった立体的な"歪み"の指定という、魔法発動において実際に生じる現象を操作する最も重要な部分が相互に混ざり合い――どちらの術式も矛盾を抱え込むが如くに不成立状態に陥って、共に失せてしまうのである。
だが、この"相殺"現象にしても、ただ単に魔力の大小を考えずに【空間】魔法をぶつければ引き起こせる……というものでもない。
それはあくまで双方の【空間】魔法で釣り合いが取れた範囲に収まるのである。
つまり、100の魔力を込めた【空間】魔法に10の魔力をぶつけても、打ち消せるのは10まで(実際には術式同士の混ざり方などによる複雑な影響もあるため、必ずしもこうならない場合もあるのだが)。
従って、技量で勝る姉に対するデェイールの強みは"本家"の支持者達から様々な支援を受け取ることが可能なことであり――ツェリマが"相殺"を狙うならば、デェイールが狙うのはそれを魔力量によって押し潰すことである。
まさに、彼の手元に本家から転送されてきた焦点具の杖剣は、予め時間をかけて【空間】魔法に十分に浸らせていたものなのである。
故の二撃目の【空色絵筆】。
その発動の規模こそ一撃目と近い水準に偽装していたが――込められた【空間】魔法はその数倍に至る。
並の、ただ単に【空間】魔法を食らって生き延びたことがある程度の魔法使い――それで"間合い"を把握したと思い込んでいる連中――をこそ、次に仕留めるための罠なのである。
……だが、伊達に【空間】魔法を駆使した接近戦闘術のエキスパート集団である『廃絵の具』を鍛え上げたツェリマには、即座に看破されたか。中途半端な【空間】魔法で受けようものなら、【空色絵筆】の表面を1、2割は相殺できたかもしれないが、残る8割によって引き裂かれたはずであるところ、短距離転移によって数十メートルも大きく距離を取る。
そのまま、ツェリマが先程までいたはずの領域を巻き込んで【空色絵筆】が炸裂。
不可視の剣豪と不可視の拳豪が十数名がかりで手当たり次第、雪も木の幹も大地もそして景色そのものさえもズタズタに切り裂き分断し断層させ、さらにその上から無数の粉砕による陥没と雪片よりも細かく円形球形に千々に圧壊されたような破壊の嵐を吹き荒れさせたのであった。
――追撃の好機である。
のだが、デェイールは状況を把握して、歪んだ笑みのまま舌打ちをした。
本来であればこの機を逃さず『廃絵の具』達が四方から襲撃し、数の利で押すべきであったのだが。
己と姉が交戦していた半径100メートル四方のさらにその外側を、文字通り光速で飛び回る新頭顱侯の青年が視えた。
【光】属性に長けたる"亡命者"リリエ=トール家の大道芸人である。
あろうことか【光】魔法を柱か噴水のように両手両足両肘両膝から噴射し、放り投げられた円盤のように縦横斜めに複雑な回転を決めながら人外としか言いようのない軌道で、完全に『廃絵の具』達を翻弄していたのであった。
【西方】の空戦に最も長けた空亜達の『天雷衆』とも、あるいは【黒き森】の草喰み達の空兵が騎乗する大鷹とも異なる、ぐるぐると縦回転と横回転が組み合わさった、かと思えば尋常ではない反転が繰り返される"異常"な軌道であった。
「あっはははは! 噂でしか聞いていなかったが、お硬い姉上ェェがあの大道芸人に籠絡されたというのは、まさか本当だったのか? "婚約者"のフルーピンおじさんが泣いているなぁ!」
【騙し絵】家の者同士の会話で大声を張り上げる必要は無い。イセンネッシャ家では、【風】魔法の使い手どもが行うような"声を届ける術式"に頼ることすらなく、短距離であれば【歪みの声】によって双方の耳元に発声を自然に届けることが可能である。
だが、侮蔑の意味を込めていたためにデェイールはあえて声を大にしていた。
――と、視界の端の先でキラリとなにかが【光】る。
無意識に発動された【歪みの盾】が、一直線に飛来したる熱を帯びた"光線"を歪ませ、喉を直撃するはずだった軌道をそらしてすぐ側の銀雪の大地を穿った。
「その躾のなってないガキを、少し静かにさせてくれないか? 姉上ェェに良い知らせがあるんだよ」
「イヒヒ……"ガキ"ったって、そう僕様と年変わらないでしょ? デェイール君?」
皆まで言わないうちに、姉ツェリマが何事かを伝えたのだろう。
『廃絵の具』達の足止めを中断したリリエ=トール家の若造グストルフが彼女の隣に現れて悪態を返し、他方、デェイールの下には、衣服のところどころを例の光線に貫通されたのであろう、焦がされていた『廃絵の具』達が戻ってくる。
――彼女は既に、己の用件の「一つ」を今のやり取りで察しているはずであった。
「フルーピンと言えば、分家の"豚"か? 一体どういうことだ?」
「僕にとっては残念なことだけれども、姉上ェェの功績だけではなく技量の方も惜しまれたみたいでね。どうも父上は、姉上ェェを大婆様の後釜に育てたいらしい」
例え"豚"のような飼われているだけの巨漢であっても、イセンネッシャの血筋であることに違いはない。その者と子を成して、イセンネッシャ家の秘術の粋を保たせる価値はある、と判断されたようであった。
「心配するなよ? 大道芸のクソガキ君、"新"頭顱侯家になったお祝いに教えておいてやるが、別に姉上ェェが"豚"と直接交わる必要はないんだ。ちょっと"精"を拝借するだけ、あっははは!」
「雪解けにしちゃ随分と下世話な話がわかるセンス、僕様嫌いじゃあないぜ、イヒヒ」
「それはそれだ、その程度で『評議会』入りできるわけでもあるまいに。この"競争"を譲る気が貴様に無いのはわかっているぞ、弟よ。本題はなんだ?」
ツェリマが目線で合図を出していることがわかる。
周囲に、十分な距離を取りつつではあるが「追討部隊」どもの姿が見えた。言外に、迂闊に一族の機密を漏らせば厄介な立場になるのはお前だぞ、と見え透いた挑発をしてきているのがデェイールにはわかったが―― 一応は"次期当主"として色々なことを知れるデェイールとしては、別に問題ではない。
多少、父にとっての姉の価値が高まったのは業腹だが、それで何かが覆るわけではないのである。デェイールは「追討部隊」達を駆逐するために行動しているのではないし、むしろ、姉が予測外の……しかし想定内ではある突撃をこのタイミングでしてきてくれたこと自体は、渡りに船であった。
むしろ、聞かれたらまずいことを彼らに聞かせないようにするのはツェリマが勝手にやるだろうから。
そんな己の情報的な優位に笑みを歪ませつつ、望み通りに"本題"に移る。
デェイールは、まず、彼が"裂け目"へ侵入する計画を変更した第二の理由から触れた。
「隣りにいる"覗き見"趣味のクソガキから聞いているだろう? 【春司】が、まさか完全に鎮められてしまうなんて、想定外もいいところだ」
「お前以上に、ロンドール家のハイドリィは大いに愕然としているはず。相当に慌てている様子が目に浮かぶな」
旧ワルセィレという【紋章】家の征服領を巡る、ロンドール家とギュルトーマ家の暗闘が原因である――とされている今回の一件。
そのさらに"外側"を知る勢力の一つとして、【騙し絵】家は、【春司】の暴走自体は成就させてやるつもりだったのである。
「ハイドリィの本命の部隊は撤退したらしい。つい先程、連絡が来た――そりゃ、あんな状態の【春】の魔獣なんて、どう手中に収めたらいいかわからないだろうからな」
「それで? 奴が次にどう動くか、予測ぐらいはついているんだろう?」
ツェリマの問いに対し、デェイールは小馬鹿にしたように肩をすくめて見せた。
「もう、関係ないな。この地での【騙し絵】の"用事"を済ませる義理は、十分過ぎるほど果たしてやった。後はロンドール家とギュルトーマ家がどこまで頑張ることができるか、だな」
興味深い点が無いわけではない。
村に突如現れて防衛体制を構築した挙げ句、【火】の『鹵獲魔獣』達に抗い、ついには【春司】そのものを鎮めてしまった"旅人"オーマと――その【春司】の"宿り先"となってしまった竜人である。
ただ単に、あの【春】の魔獣が宿り先としていた【火】の魔獣達が打ち倒されただけであれば、どうとでもなったであろう。何なら、『鹵獲魔獣』から【火】属性のものをもう一体充てがってやるぐらいの「サービス」は、デェイールとしてするつもりではいたのである。
だが、【剣魔】デウフォンと競い合っているような戦闘の様子から、その竜人が【火】属性であるとわかってはいたが――よもや、【火】属性の"魔獣"として次の宿り先にその竜人が選ばれてしまうとは。
確かに、デェイールの知る『次兄国』の竜人達からは明らかに「竜の如き」外見が強烈なその【火】の竜人ではある。しかも、宿られた後も元の本人の意識を保ったままの様子であり、例のオーマという名の"旅人"と、その褐色の肌をした配下と共にヘレンセル村へ何食わぬ顔で戻ってしまったなどと。
正直、仮に自分自身がハイドリィの立場だったとして、どうすればよいかわからなかった。
果たして、【春】を取り戻すために、わざわざ部隊をヘレンセル村に送り込んであの魔獣すら屠る竜人を捕殺する、という危険を冒すことが最善手なのであろうか。
――これは言わば、それぞれがそれぞれの思惑で駒として誘導し動かしていた【春】の魔獣が、横から現れたどこの馬の骨とも知れない存在に掻っ攫われていったような、誰にとっても想定外の"事故"のようなものなのである。
……ただ、それはそれ。
ロンドール家もギュルトーマ家も大混乱しているだろうことは明白だが、【騙し絵】家として彼らに協力するのはここまでであり、後はどう転んでも構わないのだから。
たとえ、姉ツェリマがそちらに協力したのが大道芸人の誘導であれ、あるいは実は裏で繋がっていたのであれ――デェイールが"競争相手"としてではなく、「同じ悲願」を一応は共有する血族たる姉に伝えたいこととは、ロンドール家が引き起こすであろう「事」に【騙し絵】家が関わるのはここまで、という"本家"の意思であった。
"競争相手"とはいえ、それは家内の様々な者達がそれぞれの思惑によって「支持」だ「派閥」だと政争をしているに過ぎない。
無論、デェイール個人としてそれを気に入らず黙らせたいという誇り高さと心持ちもまた強くあることは事実であり、姉ツェリマもまた手塩にかけて育てた『廃絵の具』を奪われたことへの怒りはあろうが――そのような子供じみた感情よりも、一族の悲願が優先されるのは当然のことなのである。
故に、最低限の情報共有と互いの目的の織り合わせ、方向性のすり合わせは必要であった。
「さて……次に姉上ェェに聞いてみたいんだが、【皆哲】の残党に【騙し絵】家の秘密は、どこまで解き明かされていると思う?」
――ついに一族の念願である"裂け目"への侵入を目前として、デェイール含め【騙し絵】家が大いに警戒していた事象が一つ存在していた。
それは傘下である【人攫い教団】が今回のこの旧ワルセィレという征服地に関わるに当たり、始めはナーレフ支部その他、次には五大支部の一角であった『ハンベルス鉱山支部』において……仕込んでおいた「緊急回収」の術式が二度も作動しなかったことである。
一応は『長女国』の体制に服するようになりつつ、敵の多い【騙し絵】家にとって、【人攫い教団】はちょうどよい囮であった。
分割した【転移】魔法を刻み込んだ『墨法師』を教団の幹部として【空間】魔法の仕組みを一部開示したのは、もしこれが破られたり殺されたりした時に「緊急回収」によって死体を回収して分析。【騙し絵】家の秘密に触れようとする者を確実に抹殺するためである。
だが、当人達ではなく使役者である【騙し絵】家にとっての緊急回収の術式が一切作動しなかった、ということは、単なる『ハンベルス鉱山支部』の裏切りだけで説明することができるものではなかった。
この気鋭の『鉱山支部』が丸ごと交信が途絶したことはともかく――目撃情報によれば支部長と副支部長の「若い頃」によく似た商人が村にいたらしいのだが――第一回目のナーレフ支部とその他弱小支部から寄せ集めた信徒達の全てまでもが裏切っている、ということは有り得ない。
「緊急回収が無効化された、と言いたいのか? そんなことが可能なのは……まぁ、【皆哲】の残党どもなのだろうな」
「仮にだ、仮にだとしてだ、姉上ェェ。『ハンベルス鉱山支部』の裏切り者どもがその"残党"どもに籠絡されて手を組んだとしよう。支部を丸ごと包み込むような【転移】妨害術式をどうにかして張り巡らされた、としようじゃないか……緊急回収は、あの程度の妨害魔法など貫通するはずのものだ」
「野心家の多い支部だったが、それでも全員を籠絡するのは無理だろう。"口封じ"の術式もあったんだからな。それが、死体が一つも本家に転移していないというのなら――私達の【空間】魔法自体が、かなり深いレベルで解析されたことに他ならないな」
「例えば"こんなこと"だとか?」
笑みを浮かべて【歪みの魔法矢】をツェリマに放ち、それが問題なく彼女の【歪みの盾】と相殺したのを認めるデェイール。
「イヒヒ、どうして僕様達にも大事な秘密を聞かせたのか不思議だったんだけど……話が見えてきたなぁ? ちょいちょい、サイドゥラ君、こっからが面白そうなんだから帰ろうとしないでって!」
【空間】魔法同士が衝突した際に発生する"相殺"現象。
それは『長女国』において各所に施されている対抗魔法や妨害魔法とは異なり、【空間】魔法が「イセンネッシャ家の【空間】魔法であるが故に」、絶対に避けることはできない性質によるものであると知るのは、デェイールが"次期当主"であるからだが――。
どこまで【皆哲】によって学習され、解き明かされてしまっているのであろうか。
それに、そもそもリュグルソゥム家の末息子と末娘の脱出自体が、未知の【転移】術式もどきによるものであり、本家の魔導師達がその解析に頭を悩ませている――というのはデェイールもツェリマも承知しているところ。
「そういう前提で考えようじゃないか。仮に姉上ェェが『追討される』側の立場だとして、しかも、追討してくるのが【空間】魔法の使い手である『廃絵の具』だとわかっていれば、どんな罠を仕掛ける?」
「十分な準備期間があれば、【転移】の出現地点に大規模な【空間】魔法を仕込んでおけばいい。私達が互いにそうやって牽制しあっているように、な。それで初動を制限できる」
「当然、そうなるだろうな。だが、姉上ェェ……"妙"なことが起きたんだ、と言ったら興味を持つかな?」
「妙、とは?」
「"干渉"でも"相殺"でもなく、起きたのが……"暴発"だとしたら、姉上ェェはこれをどう解釈する?」
――それこそが、デェイールが計画変更を決断した第三にして決定的なる要因であった。
【人攫い教団】ナーレフ支部から上がってきた初期の報告から、デェイールと彼の支持者である【騙し絵】家の家人達は、リュグルソゥム家の残党が大胆不敵かつ命知らずにも"裂け目"に拠点を構築している可能性も疑っていた。
この短期間でそこに『ハンベルス鉱山支部』の叛逆が同時に実行されたことは驚愕すべきだが、あるいはそれもお得意の"解析"によってとうとう【歪夢】家の精神感応術式を秘密裏に解き明かしていたのだとすれば、決して不可能であるとは言えないのだろう。
であるとすれば、イセンネッシャ家が一族の悲願を達するためには。
「再活性化した禁域」などという、現在の【四兄弟国】間の【盟約】の解釈において、『末子国』でさえも想定していなかったはずの代物を、誰がどのように受け持つのかという公式の解釈が定まらないうちに――先んじて占拠するためには。
【闇世】という領域で何をどれだけ「学習」し「解析」してその力と成したか予測の難しいリュグルソゥム家の残党という邪魔者を排除しなければならない。
そういう論理的な帰結が導かれよう。
故に、デェイールは当初からヘレンセル村でハイドリィ=ロンドールが企てていた【春】の暴走事件に託けて、まさにリュグルソゥム家残党の動きをこそ観察していたのであった。
"血だるまの化け物"の少年ユーリルの「使い途」もまたそれである。
露骨に【空間】魔法をまとって侵入したならば、今ツェリマが言ったような「罠」が仕掛けられていれば、それによって発動を封じられ致命的な隙ができて痛打を受けていただろう。それを回避するための、我ながらの妙手として「血だるまの化け物の"血管"で魔法陣を編む」アイディアを採用して――【紋章】家に巣食う『梟』の提案を受け入れて――さらにその"罠"を踏ませるための生贄どもを『鹵獲魔獣』と共に送り込んだわけであるが。
「これ、意味不明じゃないか? さすがの姉上ェェでも初見かつ初耳のはずだ」
デェイールが隣の『廃絵の具』から受け取った物体を差し出してくる。
【歪みの眼】によって、接続されて省略された空間によりそれが姉ツェリマの眼前に映し出されるに――その顔が明らかに困惑に歪んだ。
それは【空間】魔法の"干渉"を察知してその痕跡をフィードバックするように組んだ緊急回収術式に乗って、かろうじて送還されてきた「一欠片」。
まるで石ころから指が生えたかのような、脈打つ血管と神経と肉と皮がただ単に貼り付けたのではなく根を張ったレベルで癒合し融合しているとしか思えない、しかもまだ生きてぴくぴくと動いている、そんな無機物だか有機物だかもわからない、有り得るはずのない生命の冒涜すら感じさせられるような物体だったのである。
「原理は予測できる。姉上ェェもだろう? 術者が――石でも壁の中にでも強引に、色々な制限を外して【転移】すれば、こうなる。それは、わかるんだが……なぁ」
「――まるで、族祖イセンネッシャの……"絵画"そのもの、だな? なんだ、これは。こんなものを、【皆哲】がやった……?」
「そうだとすると、父上も、大婆様も成功なさらなかった"失伝"の技だということに、なる……んだけれども、さてさて、姉上ェェ」
――デェイールの思惑通り、話が緊急回収を越えてより深い部分に及んだ直前で姉ツェリマ自らが、この"会話"を空間的に隔離し、『廃絵の具』を含めて他の者達には聞こえないようにさせていた。
当然そうするであろうと見越して、デェイールは改めて、身内に向けるにはあまりにも悪意と愉悦のこもった笑みを向けたのであった。
「それってさぁ。これを、"残党"どもが解き明かしたかもしれない、一族の失伝した技の秘密を手に入れられるかもしれない、そういうことになるだろうね? そうしたら――」
姉の功績は、この己をも飛び越える。
次期当主交代……までは行かずとも、これから腹に宿らされるだろう「息子」がその資格を得ることは有り得るかもしれない。
"愚かな母親"のせいで日陰者として、"私生児"と蔑まれ長らくドブ水を啜ってきたツェリマ・トゥーツゥ=イセンネッシャの苦労が、ついに、ようやくにして、報われるかもしれない。
そう、弟は姉に囁き、唆すのであった。
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