0151 春疾火(はるはやひ)の乱(7)[視点:命血]
11/11 …… "装備品"を追加。それに伴い戦闘描写を追加。
それはユーリルの身体に刻まれた感覚であるか。
あるいは――【仕属種】、つまり"人"と"吸血種"の混じり物の身に半分だけ宿る【生命の紅】によって引き起こされたる感覚か。
青と白の明滅が仄かに光り灯る。
微かなる霞が形を伴ったような薄暮が周囲の地勢を――想像以上に広大な空洞と、そして、上下左右のあちこちに通じた大小の"抜け道"を立体的に描き出す。
きっと"神の似姿"達が、あるいは【人世】の生物が迷い込んだら、そうした『視覚』に頼り、次にその他の感覚に、そして最後は『触覚』にも頼って歩を進めようとすることだろう。手元にまともな光源が無いのであれば、あるいは、光源を作るか確保しようとするのだろう。
だが、それは吸血種には必要ない。
【闇世】の迷宮に突入することの意味を、たとえ仕属種に過ぎないユーリルであっても、知ってはいた。知識の上で学び、学ばされ、学んではいた。
だが、それをこうして実感するのは、始めてである。
『視覚』は【濡れ潰す曇黒】で。
『聴覚』は【ガゥホーチィの耳無し術】で。
その他、いずれも「にんげん」に対して行使すれば、彼らの"感覚"を致命的に制限することのできる【闇】属性であるが――そんなものは正しい使い方などではないということを、どれだけの『長女国』の魔法使いどもが知っているであろうか。
"裂け目"に入り、【闇世】に侵入したその瞬間に、ユーリルは種々の【闇】魔法による感覚消去を自身に施していたのである。ただしそれは、周囲から知覚されることを消去する、という意味を指す。
――それはとても、とても暖かで温かく。
――深く柔らかく、己の身体を内なる根源的なる魔素の一滴一粒まで包み込まれるかのような。
油断すると意識すら『持っていかれ』そうになるほど、心地よい、夢すら見ないような深い深い眠りに落ちるのに近い、満ち満ちたる【闇】の抱擁であった。
だが、そこでそのまま眠りこけてしまうわけにはいかない。
それこそ下手をすれば、【使命】という名の吸血種の宿命すら、この空間内においては、眠らされてしまうかと錯覚するほどであったが……安眠も、安心も、今のユーリルにはむしろ決意と決心を鈍らせる"害"でしかない。
ここは"敵地"なのだ、と自らに言い聞かせ、奪われたリシュリーを想う。
……あの恐るべき"爪"を持つ、十字に裂けた口と牙を持つ異形の魔獣達の、その"爪"と体躯が――このような複雑に入り組んだ「洞窟」ではどれほどの脅威となるかを、ユーリルは嫌でも想像させられていたし、大いに予測することができていた。実際に、それで何度も全身を引き裂かれたのだから。
だから、突破するには――正面からの戦闘も目的達成のためにはこなすが、むしろ隠密に活動するための能力こそが主である【血の影法師】の力を存分に活用するしかない。
【夜の外套】は【闇】属性による感覚消去諸術式と非常に相性が良い。
ヘレンセル村外れの"森"を【虚空渡り】によって強引に突破したのとは打って変わり、ユーリルは慎重に、息どころか心臓の鼓動すらをも殺して――吸血種の「心臓」は、人間種のそれとは異なるものだが――しかし速やかに、ひしめく魔獣や大樹ほども太い巨大な触手の塊を避け、踏むと全身から魔力を少しずつ吸い取られるかのような違和感のある、ぶよぶよどろどろとした肉塊と汚泥の中間的"感触"を可能な限り避けながら、洞窟の深部へと進んでいく。
――【人世】のように暗がりから暗がりを移動する必要が無いのである。
――単純な話として……【闇世】には、その名の通り、【闇】がこんなにも満ち満ちているのだから。ユーリルはただ、その中に流れる一滴一粒の【闇】と同化すればよいだけなのである。
目的地ははっきりとしていた。
"神の似姿"という種族から【血】を奪うことでしか長らえていくことのできない吸血種は、特に【血】に関しては非常に遠くからでも嗅ぎ分けることができる。それこそ他者の顔を見分けることができる次元での"嗅ぎ分け"である。
その種族固有の能力で以て、ユーリルは、この尋常でないまでに行き先が分岐し回帰し、しかも下手をすれば壁に擬態していたかのようなあの肉塊汚泥が蠢いて新しい経路が現れたり塞がれたりする、想像の数倍以上は広大であった【迷宮】を進んでいった。
――リシュリーの『黒い血』の臭いを頼りに。
(『赤い血』の方は、臭わない。『死の臭い』も、だ……生きている。どうして【魔人】が【聖女】を生かしているかはわからないけれど、早く、見つけないと――ッッ)
『早く』という念にユーリルは様々な思いを込めていた。
リシュリーの無事を確かめねばならない気持ち。
己の行動を何らかの手段で監視しているであろう者達に対する焦り。
――そして、まるで全身が。身体の半分を占める【生命の紅】が、喩えるなら"故郷"にでも還ってきたかのようなその「感覚」に対する戸惑いである。
それは全身の血という血、骨という骨、肉という肉、神経という神経を騒めかせ、当初感じていた"安堵"を越えていっそ"歓喜"にすら変じつつあった。
故に、ユーリルは気づかなかった。
否、その"可能性"を捨象してしまった。
【おぞましき】迷宮の眷属達を慎重に回避しながら、リシュリーの元へと急ぐあまり。
――かつて【エイリアン使い】が【樹木使い】との死闘を繰り広げた結果、発生した大崩落によって形成された【大空洞】に通じる坑道にまで誘い込まれていたことに。
ここまで、ユーリルを肉体の構成要素はおろか存在の根源レベルで掻き抱いていた【闇】が牙を剥いたのは、その次の瞬間であった。
【闇】が歪む。空間が収束する。
――その"現象"の意味をユーリルは知っており、故に驚愕した。
「【虚空渡り】だと、そんな馬鹿な!?」
凝縮された【闇】の中から、まるで空間ごと「絞られ」たかのように、みちみちぎちぎちギシギシと肉や骨や腱が激しく軋む音が集約収束。しかしそれは"音"からしてもどう見ても「人」ではないことが明らかであり、その明らかさをユーリルの聴覚感覚の正しさを明らめるかのようにな……"新たな"姿形をした、ただしその独特の「十字牙」だけは他の眷属共と共通であるかのような、全身に細かくズタズタな切り傷の類を負った――恐らくは【虚空渡り】の副作用――魔獣が出現したのである。
――何故、如何して魔獣が【虚空渡り】などを? という疑問を口にする暇もない。
――同様に、【闇】属性の感覚遮断諸術式によって完璧に自分自身を覆い隠したはずであるのに、その魔獣が、まるで自分を明確に認識できているかのように、小馬鹿にするような、嘲笑っているかのように首を傾げてギチチチチと十字の牙を打ち鳴らした理由も、考える暇がない。
その魔獣は、ある種の"甲虫"を巨大化させたような姿形であるが、特徴的なのは背中に生えた捻じれ丸まった巨大な「殻」。その「殻」が、わずかにひび割れたように蠢いており……中から燐光じみた緑色が漏れており。
「クソがッッ!」
短く悪態を吐いたユーリルが【血操術】を展開するのと、嘲笑った魔獣が再び【虚空渡り】によって「巨大な殻」だけをごろりと残して消えたのはほぼ同時。
直後、大気を何層もまとめて焼き焦がすかのような激しい焼灼音と共に「巨大殻」が〚爆散〛。
と共にその内部から大量の煙く緑色の液体をぶちまけるのと、ユーリルの両腕から"古傷"が開いて大量の【血】が放出されみるみる固まって半身ほどの高さの"血晶"の「盾」を成したのもまたほぼ同時。
奇襲に即応したとはいえ、咄嗟の反射では十分な大きさの「盾」とすることは間に合わず。
横から下から上から回り込んできたその焼灼の緑色がユーリルを包んでいる【闇】の衣ごと黒装束ごと突き破って焼く。その激痛と共に、緑色の流液の正体が「強酸」であると理解したユーリルは、そのまま血を蹴って後方へ――【大空洞】の奈落へ真っ逆さまに繋がる"縁"まで追い詰められる。
それでも、それが液体である以上は"下"に向かって流れ落ちるべきもの。
【蝙蝠術】によって、まるで重力が逆転したかのような身軽さで隘路の「天井」に着地しつつ、「盾」で可能な限り身体をカバーするように角度を変えながら、ユーリルは押し寄せる強酸の残余が【大空洞】に流れ落ちるのを見やった。
――だが、目を「巨大殻」のあった位置に戻すなり、次なる驚愕と共に舌打ちせざるを得ない。
「なんでここに、彫刻兵がいるんだよ!? ここ【闇世】だろッッ!?」
大小の粗い石、滑らかな石を組み合わせた"箱"を思わせる人形である。
玉石混交を以て型を取り、如何なる『属性』の原理によっても説明することが困難たる――"石造り"の四肢を持つ意思無きはずの人形が、ぬらぬらとその表面を伝い落ちる強酸の緑色から、まるでその中にずっと浸かっていたのだと言わんばかりに産声を上げていた。
ユーリルが驚愕したのは、当然、それもまた「知識」として"里"で教えられていたからだ。
実際に相対するのは初めてであったが――それは紛うこと無き【像刻】のアイゼンヘイレ家の秘術によって生み出されたる彫刻兵。
いかに、最上位の【使命】、すなわち【大命】によって必要とされると判断される場合以外は、侵入することを禁じられている"裂け目"の先の光景とはいえ。
よもや、吸血種以外には扱えぬはずの秘術【虚空渡り】を何故か扱う魔獣の存在に加え、【人世】の魔法使い達が治める大国『長女国』の戦闘兵科まで目にするなど、ユーリルにとっては覚悟だとか決意だとか悲壮だとか、そういうものを通り越した純然たる混乱と驚愕でしかなかった。
――のだが、ユーリルの度肝が抜かれるのは、その次の瞬間なのである。
石造りの重厚さと共に彫刻兵が首を傾げ、その上体をユーリルへ向ける。
相手が"血肉"によって形成されていない、という意味では吸血種の技や力が通用しづらい「非常に硬い」難敵である。ただ体当たりをされるだけで、叩きつけられた果実のように自分は砕け散るであろう。
――そこをあの"強酸"で焼かれたら、【生命の紅】の恩恵があるとはいえ、どうなるかはユーリルにも想像がつかない。死ににくいことと死なないこととは、別の意味であるのであるから。
故に、今自分に必要なのは対衝撃性と判断。
「盾」を【血】に戻しながら――ユーリルはその構成を変転させていく。出し惜しみができるような状況ではなかった。
身体に触れ、血に触れ、一旦体内に回収されながら……【血晶】がまるで拘束具のように伸びて、ユーリルの四肢を、全身を、浮き出た血管が固まるかのように包んで、覆っていく。傍から見れば、森人達の【魔法】によって全身を木の枝と根で拘束されていくかのようであるが――それは吸血種の砕けやすい肉体を「補強」するためのものなのである。
ネイリーにも見せたことのない奥の手『血晶帷子』である。
――だが、それを見た彫刻兵が、再び首を傾げたその瞬間のこと。
何重もの破砕音と共にユーリルの眼前でそれが〚爆裂〛。
大小の砕けた石片となって散弾の如く、豪、と眼前に飛来して次々にユーリルに叩きつけられる。
両腕を顔の前で覆って咄嗟に防御するユーリルであったが――直後。
ぞわり、と【血の影法師】として鍛錬されたが故の、特有の【魔法】による攻撃を察知する直感が頭蓋を鋭く貫いた。
着地していた天井から両足を離しつつ、重力が戻る感覚と共に体をひねってほとんど反射的に両足を左右に蹴り出す。
と同時に【血刃】を生成。血晶が足の裏の皮膚を靴底ごと突き破って赤黒い"血の刃"が生成されて突き出され――ガキィィンという硬質な音と衝撃と共に、左は【氷】、右は【土】で形成された魔剣を蹴り切り打ち払ってユーリルはその勢いのまま後方の【大空洞】に背中から飛び降りたのであった。
「じゃじゃーーーーーん!! 『エイリアン』ベータさんの中身は彫刻兵だと思ったら実はその中身はこの僕たち痛ってええ!」
「こんの馬鹿っっダリドっっ! さっさと追うよ! ああもう、きゅぴちゃん達も馬鹿笑いしないで管制してよ!」
落下するユーリルの視界。
魔獣の「巨大殻」が爆散して強酸をぶちまけて出現した彫刻兵が爆裂して石礫をぶちまけて出現したまだ年端も行かぬ幼子が二人。両手から【魔剣創成】による複数属性それぞれの色彩を放つ魔力を放出しながら――。
後方から走駆してきたあの恐ろしく発達した湾曲した異形の"足爪"を備えた「十字牙」の魔獣2体にそれぞれ飛び乗って、まさにユーリルを追いかけ、遠ざかったはずの視界の向こうから容赦なく追撃するように、飛び込んできたのであった。
***
"新生"リュグルソゥム家の第2世代ダリドとキルメは、代胎嚢の中での「大人の身体」への成長が未だ途上だったが、それを中断しての出陣であった。
両親、特に母ミシェールの「信仰」の賜物か、危惧された形成不全化の兆候は一切見られない……8歳程度の体躯である。
――無論、幼児の身体でも、かつての【高等戦闘魔導師】と謳われたるその戦闘の勘は、いささかも揺らぐことはない。
激しい、また高速での戦闘に身体能力が足りぬならば――足りるようにすればいいのであるから。
落下せるユーリルの眼前。
幼き兄妹は【エイリアン使い】が眷属たる走狗蟲の背に飛び乗って、臆することなく自分達も【大空洞】へ飛び込んだのである。
なるほど、筋力や運動能力に限ればただの幼児並であろう。
ユーリルが蹴り払った"初撃"こそ、【彫刻操像士】を【職業】選択してダリドが生み出したるその石造りの巨体の中にキルメと共に潜み、そのキルメが【職業】選択していた【狂化煽術士】の職業技能によって強化されていた【活性】属性によって"溜め"ていた中で、二人が同時に放った不意打ち狙いの鋭い一撃であった。
しかし、リュグルソゥム家の真価たる"詰み手"の構築という意味では、彼と彼女は今やなんら父ルクと母ミシェールのそれに劣るものではない。
それどころか、副脳蟲達の【共鳴心域】と『止まり木』を連携して運用することにより、高度高効率の高速移動や高速運動をオーマの眷属達に実質的に「任せる」ことができるようになっていたのである。
わざわざ【大空洞】の最下まで墜落するかどうか、という駆け引き自体をする必要がない。
自身は魔法攻撃を放つ"砲台"と化し、ダリドとキルメが【魔法の矢】、【魔法の針】や【魔法球】などを各属性・計算された軌道で撃ち放っていく。
そんな二人の手に握られているのは――ユーリルにも見たことの無い"魔力"を湛えた不可思議な木の根と蔦で編んだ杖であった。
かつてオーマが、【人世】側から"裂け目"を通って【闇世】側に伸びてきたことで、魔素と命素を宿すようになった【浸魔根】と【浸命蔦】から編み上げた魔導の焦点具である。
それは【人世】の戦闘魔導師としての眼力を持つリュグルソゥム一家の目から見ても高品質の代物であり――その効用の検証の一貫として、グウィースの手によって成長が促進され、収穫した後に、双子の『魔導棍』として製作された代物であった。
ユーリルが、重力を無視して着地と移動を行う、吸血種の独特なる「体術」の一つである【蝙蝠術】による軌道でその全てを躱す、どころか壁を走って【大空洞】を下から上へ逆走。跳躍して手首や肘から生やした血刃によって反撃の構えを見せた。
――だが、リュグルソゥム家の第2世代が「移動や運動をエイリアン達に任せた」ことの意味がそこに発揮される。
【大空洞】に繋がる3桁に上る無数の穴やら道やらから何体もの走狗蟲や、誘拐小鳥、そして触肢茸達が出現。
次々に飛び込み、飛び降り――ダリドとキルメをこの巨大な吹き抜けの中で、その魔導棍ごと投げ渡し合うという集団大道芸を開始したのである。
もはや「掴む」ことや「飛び乗る」ことや「姿勢の維持」にすら意識を割くことなく、純然たる「固定砲台」と化したダリドとキルメがユーリルを翻弄。
さらにはこのような"舞台"において攻防一体を成す技術としてリュグルソゥム家が新生以前から重宝する【風】魔法【撃なる風】が、四方八方から飛びかかってくるエイリアン達の足場となったり、または彼ら自体を足場とすることをも想定した"詰み手"によって発動される魔法空中戦が展開。
ユーリルが繰り出す【血刃】の剣戟はいなされ、躱され、お返しとばかりの魔弾だけではなく魔力の込められた魔導棍の一撃が「盾」やら「帷子」の上から叩き込まれていく。
これに堪らぬユーリルは【虚空渡り】を発動。
触肢茸に投げられ、誘拐小鳥にキャッチされ、走狗蟲の背に飛び乗りあるいは蹴り跳んで回る二人の異様な幼子に対し、"空中戦"の運動能力で勝らんとする機動戦を仕掛けたのである。
何せ、どれだけ厄介な連携能力と魔法戦力を持とうとも、相手は見た目通りの幼児。魔法を無駄撃ちさせれば、体力は元より先に魔力がガス欠するはず――何故ならば、ユーリルが幾度も展開しようとする【闇】魔法による"感覚遮断"が常時妨害されていたからである。
ユーリルは、それは眼前の小さな魔法戦士2名が【対抗魔法】を駆使していると解釈した。
そのため、体力切れより先に魔力切れを狙ったわけであるが――空中から次々に青と白の仄光を放つ【魔石】が投げ落とされるに際して閉口する。自分が迷い込んだ場所が迷宮であることの意味を、その時、やっと理解しつつあったからだ。
実際に投げ渡されているのは【命石】を含んでいる。これらが、ダリドとキルメが手に握った【浸魔根】と【浸命蔦】で編まれた魔導棍を通し、魔素の補充だけではなく命素の補給となって、未だ成長不完全な身体能力を補っているのである。
空中機動戦の有利も、体力的魔力的な有利も、ユーリルはむしろ覆されつつあった。
さらにその中で、あの巨大甲虫のような、魔獣でありながら【虚空渡り】を扱うという吸血種の常識からすれば訳が分からないとしか言いようが無い迷宮の眷属が、相も変わらず小馬鹿にするような表情で出現。
ユーリルの【虚空渡り】にわざと【虚空渡り】状態で触れ、相殺して"解除"しにかかってきたのである。
後先など考えることができず、助けに来たはずの少女リシュリーを抱えてこの死地魔窟から抜け出すための最後の体力の温存すら考えられず、ユーリルは我武者羅になるしかなかった。
『血の刃』。『血の鎖』。『血の矢』。などなど、【血の影法師】として叩き込まれ駆使することができ、さらにそこに彼自身の戦闘センスによって思いつくあらゆる"技"を試し――あるいは試され――出し尽くしてなお、追い詰められていく。
何より、【大空洞】には次々と"増援"が集まりつつあったのだ。
ユーリルからすれば、次々と現れるこの獣だか蟲だかわからない、しかしおぞましい吠え声を遠くに近くに響き渡らせて【生命の紅】そのものを削りに掛かってくる存在が、対抗手段である【血操術】や【闇】魔法を的確に封じて潰しに掛かってくる意味不明な幼い戦闘魔導師と凄まじいほど高度に連携するなどという、魔獣の枠で説明などすることのできない存在そのものが異形たる存在が、果たしてこの迷宮に何百……いや、何千蠢いていることか。
そもそもこの迷宮がどこまで広く、広がっているのかさえも、ユーリルにはわからなかったのだ。
***
既にユーリルは"空中戦"から【大空洞】の底。
いくつもの大小の陥没とそれを覆い繋ぐような大小の"溜め池"と水路――そしてそれらの合間に、まるで森が倒壊したかのような樹木の残骸がうず高く積まれた箇所のある領域にまで追い込まれていた。
魔法が身体を焼き、穿つ。
襲い来る"爪"が身体をズタズタに引き裂く。
"魔力切れ"を狙う、という【人世】の定石など、【闇世】では浅知恵に過ぎないことをユーリルは全身に刻み込まれ思い知らされていた。
物言わぬ、目だけで会話している2人の幼子が――更なる武具を手にしていたからだ。
それは、まるで空を飛ぶ生きた杖とでも言うような、ただし例の「十字牙」を備えている一ツ目の"杖"。
それを新たに、例の翼の生えたギャアギャアと鬱陶しいほど騒々しいタイプの(これまた当然の権利のように「十字牙」)魔獣から、次々に投げ渡されていた。
驚愕すべきことに、この「生きた魔導具」型の魔獣、などという訳の分からない連中は――『属性』の魔力を1つずつ宿しているようであり。
雨あられのごとく"補給"される【魔石】と双子が最初から持っていた魔導棍が放つ魔力光の揺らめきと相まって、双子をしてその体力はおろか魔力の"威力"まで強化せしめている。
このような"備え"など、十分な準備無しに迷宮に放り込まれたユーリルには当然想定などしていなかったものである。そして、今度こそ、というタイミングで放たれた瞬撃の魔法格闘――二度食らってようやく【聖戦】家の『聖戦兵』の【狂化術】まで使われていると気付いたのは後の祭り――を捌き切れず、事ここに至るのであった。
――だが、敗北したユーリルに対して、魔獣も幼子達もどうしてだかトドメを刺さない。
ユーリルがバラバラになったらなったで……【生命の紅】の作用によって、身体が再び撚り合わされ、紡ぎ直され、継ぎ接がれるのをじっと魔獣達も、幼児達も待っているのである。
(『里』のクソ教官どもといい……『廃絵の具』の連中といい……こいつらも、かよ……ッッ)
何処から飛来する、まるで重騎兵が構える長大な「槍」のような螺旋にねじれた"杭"に穿たれるだけでなく壁際にまで縫い留められ、千切れた腰から下がずるずると、ゆっくり、確実に落ちている速度で"再生"しながら、ユーリルはこの無間をどう切り抜けるか必死に考えを巡らせていた。
――あるいは【血】が完全に、枯渇状態になるのを待っている、ということだろうか。
だが、そうだとすれば、彼らは、吸血種のことを――魔法使いのそれも最上位の存在レベルで理解している存在である、という恐ろしい想像が頭をよぎるわけであるが。
だから、ユーリルは己に架していた沈黙を破った。
リシュリーを拐かしたかもしれない相手に、話すことなど何もなかったはずであったのだが。
「"神の似姿"の、ガキ……ども……どうした? 吸血種の"殺し方"も……知らない、のか……ッッ」
"足爪"の魔獣の背に絡みついた"触手"の魔獣に器用に捕まりながら、いつでも短縮詠唱術による魔法弾を打ち込んでくる構えでユーリルを監視していた二人の幼子が、ここで始めて顔を見合わせる。
とても幼児とは思えない……老獪さすら垣間見える年輪を秘めた眼差しであった。
――悔しいが、自分は力が及ばなかったということか。
足掻いて、足掻いて、足掻いて、そうならないように必死に立ち回り死力を尽くしてきたが、それでも、『梟』ネイリーだか【騙し絵】家侯子デェイールであるか、あるいは名も顔も知らない運命とやらの擬人化された何者だかの"捨て駒"として、ここで果てるのか。
だが、そうなる前に、せめて、ユーリルにはどうしても一つだけ確かめなければならないことが、あった。
「リシュリー、は……【聖女】様は、あの子は……"無事"なのか……?」
汝には引き続き抵抗の意思が有るや否や。
まるでそう問いかけんばかりの【おぞましき】咆哮が、ユーリルを取り囲む"足爪"達から浴びせかけられる。だが、それをさらに数秒間、見つめ合い、何事か無言の会話をしていたような幼子2名が、静かに手で制して止めさせる。
――そして、今度こそ、ユーリルにとって、心臓が止まらんばかりの想定内かつ想定外であるに等しい、とんでもない言を返してきたのであった。
「……迷宮領主オーマ様が領域【報いを揺藍する異星窟】へ押し入った吸血種に、【皆哲】のリュグルソゥム家が次期当主ダリドが問う。あなたは、『末子国』が【聖女】リシュリー=ジーベリンゲル様の、何なんだ? 何故、あなたは【聖女】様を気遣うような言葉を使っているんだ?」
「"神の似姿"を『種の怨敵』とまで憎む吸血種の……"仕属種"、混じり物で、わたし達と同じように『にんげん』の血が半分は入っているはずの、あなたが」
あぁ、なんてことだ、とユーリルは己に押し寄せた、試練だか不運だかもはやその違いがわからなくなってしまった、底意地の悪い何かに弄ばれたとしか思えない運命を呪い嘆いた。
「そんな、馬鹿な……リュグルソゥム、家、だって……? 僕は、リュグルソゥム家と、戦っていた……のか……?」
――頼ろうとしていたはずの一族と。
リシュリーが攫われることと前後して、まるで逃げ道を先回りして叩き潰されるかのように、突如として「誅滅」されてしまった一族。
体中から力が抜けたのは、果たして絶望からか、それともある意味での"安堵"からなのか。
――それとも、この後に起きることが、自分にとっては全く意味合いが変わってしまったことへの戦慄であるか。
そんなユーリルの気を知らない、否、絶対に「それ」ばかりは察知していないであろう、幼子2名が何度か見つめ合い、そして非常に面倒くさそうな顔になって相好を崩して頭を掻いた。
「あーーーーもう! この喋り方すごく疲れるから、普通に話すよ! とりあえずだけどユーリル君、【聖女】様は無事! もう超絶に無事だから! オ……僕らの仕える御方が"保護"してるから!」
「もしかしてのもしかして、なんだけどさ。おと……当主様から『聞け』って言われたから聞くんだけど、【聖女】様を"亡命"させるための協力者って、えっと、君……だった? あ、あたしはキルメね」
ユーリルが頷かないうちに、あちゃあ、という顔になるどう見ても年相応の精神年齢には見えないリュグルソゥム家の"残党"たるダリドとキルメ。
……なるほど、彼らからしても自分の素性がわかっていれば、これほど"手荒"な歓迎をする必要など無かった、そういう意味で不幸なすれ違いにバツが悪い思いをしているということだろう。
確かに、ユーリルがかつて【四元素】家の手引で――リシュリーを逃す段取りを詰める際に接触したのは、リュグルソゥム家の"本家"の者ではなく、臣籍の者であった。何者であるかはおろか、吸血種であること自体が、リュグルソゥム家とはいえ想定外であった、ということだろうか。
――だが。
リュグルソゥム家が「この迷宮」に潜んでいること自体は、想定内だったのである……【騙し絵】家侯子デェイールの。
『わかっていれば、これほど"手荒"なことをする必要など無かった』だとか。
『そういう意味で不幸なすれ違い』だなどというのは。
むしろユーリルの台詞であった。
『バツが悪い』思いをこれからすることになるのは――むしろ彼なのだから。
「逃げ……ろ……ッッ……いや」
「「――なんて?」」
短く発した警告に、相好はおろか口調まで崩していたダリドとキルメの表情がさっと戦闘魔導師のそれに変わる。周囲の"爪"の魔獣どもが、再び、まるで一個の生命体の体内であるかのように殺気立っていく。
それを見て、ある意味、安心したユーリルは、こう言い直した。
「戦力を……集中させ……ッッ」
――直後。
【大空洞】の最深。
吸血種ユーリルが身体の内側から八つ裂きに〚爆発〛。
【転移】魔法の膨大な魔力の奔流が、血風となり盛大に弾け飛んだ血肉として生きたままぶちまけられたユーリルと共に、【エイリアン窟】を豪と渦巻き駆け抜けたのであった。
いつもお読みいただき、また誤字報告をいただき、ありがとうございます。
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