0149 春疾火(はるはやひ)の乱(5)
この世界は、魔素と命素という2つの要素から成っている――少なくとも、今俺が認識している限りは。
それを【魔法】と呼ぼうが、【魔法"類似"】と呼ぼうが、それは『長女国』における【魔法学】という切り口・視点・角度からの一つの解釈であるに過ぎず――根底にある「力」は同じである。
だが、人は先入観で物を見る。
そればっかりは、きっとどこのどんな世界のどんな人品であっても同じことだろう。
俺がマクハード達や、ラシェット少年とエリス嬢の件を通して、ヘレンセル村に関わる者達に与えた"先入観"とは……【魔法類似】の力を扱う存在であって、【魔法】使いそのものではない、ということだった。
――閃く剣戟で3名が弾き飛ばされる。
――翻る剣閃でさらに4名が気圧され押し退かされる。
金物と金物がぶつかる意味と、そしてそれを振るう赫い竜人が放つ剣気という意味との、2重の意味での"火花"が当たりに飛び散った。
「ぐっ……強すぎる……ッッ」
時は雪厚い曇天の正午。
場所はヘレンセル村、村長邸の2階最奥の部屋。
物々しく猛ったおおよそ30名あまりの、エスルテーリ家の家章が記された得物や防具・装身具を身に帯びた従士とその手下達が、廊下を踏み破り道中の扉という扉を蹴破る。何も事情を知らなかった"村長"側の従士達は10名にも満たないが、いずれも多勢に無勢、昏倒せられて縛り上げられている。
歴戦の戦士であろう、従士長ミシュレンド自ら剣を振るい、部下達に先制の『対抗魔法』や『妨害魔法』を仕掛けさせ、雄々しくも自ら先陣を切った"奇襲"である。
村に張り巡らせた監視の目からは、ちょうど、押し寄せる【春】の津波に飲み込まれまいと命からがら逃げてきた「第一陣」が、もう村まで50メートルも無い位置に見えた頃合い。
ミシュレンド以下が険しくも押し黙った形相で、村長セルバルカの寝室に突入した――まさに、その瞬間に間に合わせた"強襲"であった。
三ツ首雀カッパーが、その三ツ首にて同時に3つの魔法を詠唱完了させる。
1つ目の首には【氷】属性を装填していた。そこらに嫌というほど満ち満ちている雪を利用して、いくつもの大中小の【氷】の塊を土中に、そして大気中に生み出していく。
2つ目の首には【土】属性を装填していた。【屹立する岩槍】を発動させるが……並の【土】属性だけでは"本職"の魔法使いには及ばないことはわかっていた。
だから、これは1つ目の首が生み出した【氷】との"複合"魔法である。
言うなれば「凍土の階段」とでもいうべき勢いを成し、凸凹激しくとも村長邸を穿たんばかりの勢いで屹立して一気に2階まで――合図と共に自分で自分に【活性】属性で強化った俺は、村を突っ切って疾走する勢いのまま、それに飛び乗り突き上げられ放り上げられるように。
村の様子を一望できる、外気に開けた作りである村長邸2階の廊下の「空中」部分に突如出現する形で姿を晒す。
だが、本命はここから。
カッパーの3つ目の首に装填していたのは【風】属性であった。
そして詠唱し発動させたのは――空気塊を圧縮することで、衝撃を与えるだけでなく擬似的に「足場」としても活用できる【撃なる風】である。だが、これもまた"人間"の魔法使いではなく俺の眷属の身にて『属性』を扱うことができるようになったに過ぎない存在によるもの――首一ツ分では「足場」としては足りないのである、【風】単独では、。
しかし、紅に揺らめく2本の軌跡を描きながら――【火竜】の裔たるソルファイド=ギルクォースが、まるで見えない足場をいくつも蹴るかのように宙を蹴り、熱されて燃ゆる小さな彗星の如く、俺の後ろから弾丸となってミシュレンド派従士達の中央に突っ込んだのであった。
辺りには、急激に膨張した水蒸気が湯気の渦の如くうっすら立ち込めていた。
然もありなん。
ソルファイドは純然たる【撃なる風】を足場にしたのではない。
俺が足場とした【土】と【氷】の"複合"と同じく、1つ目の首が操る【氷】が大気中に生み出されそれを核とするかのように3つ目の首が操る【撃なる風】が"補強"される構図。
人間よりも遥かに筋密度も骨密度も高く見かけ以上に「重い」ソルファイドの、空中での全力跳躍――竜尾をも使った『3点直躍』――を受け止めるに十分な強度を成したのである。
そうして俺の存在に、決して遅すぎるわけではない反射速度でやっと気づいたミシュレンド達の眼前。即応して切りかかった優秀なる兵士達を、二剣の二振り四閃だけで7名吹き飛ばし、蹴破られたセルバルカの寝室の眼前で半径数十センチを寄せ付けぬ瞬間的な剣域を作り出す。
……だが、これで終わりではない。
目的は、この30人の裏切り者を撃滅することでは、ない。
カッパーの三ツ首が【氷】【土】【風】の3属性それぞれを担当していたならば。
同じように、俺もまた、ソルファイドの赤熱したる剣閃から発せられる――その【火】気に。【火】花に。【火】勢そのものに焦点を集中させていたのである。
カッパーがばらりと解ける。
その身体の中からぬらりと硬質かつ光質を放つ漆黒の槍『黒穿』が顔を覗かせ。
俺は最初から、言わばその"穂先"を4つ目の首の如く【火】属性を込めていた。そして、そこに職業【火葬槍術士】のゼロスキル【火々葬々】をも加えて、ソルファイドが生み出した"火花"をその場で何倍何十倍にも赤い熱線の閃光と成して爆散。
爆竹の如く激しい燃焼音と共に飛び散り、飛散して飛沫くように撒き散らされ、即席の『円陣』を成したのであった。
「貴様は"珍獣売り"……何故、我らのじゃ」
「村の者達に告ぐッッ! 村長セルバルカ殿も、そして従士長ミシュレンド殿も、全員無事だッッッ!!」
更なる追撃に備えるべく、対魔法使い・対魔法戦士の体制でも取ろうとしていたのだろう。
ミシュレンドが抗議するように投げかけてきた誰何を、俺はカッパーの【風】魔法による補助を通して村中に響かせた大喝によって、強引に覆い潰し隠した。
何事だ、と事態を掴み損ねつつ、寝室の奥で武器を手に身構えていたセルバルカとソルファイドの肩越しに目が合う。
今、この数瞬ばかりは、誰もかも何もかもが俺の一挙手一投足に注目していたことだろう。
数秒間の瞬間的な攻防の中で、マクハードのように始めからミシュレンドが動くと知っていたような者達も、急激でかつ派手な【魔法】騒ぎによって村長邸に目を向けた者達も、誰もが注目していた――この数瞬を勝ち取ることができた時点で、俺の勝ちである。
「ロンドール家の卑劣なる襲撃で負傷したアイヴァン=エスルテーリ指差爵殿と、厳に厳しくして厳かなりし【春司】様が、この村へ落ち延びて来られているぞッッ! 全員、直ちにお迎えに上がらないのかッッ!!」
――あぁ、喉が痛い。
こんな"無理"はできることなら、今後はほとんどせずにいたい。
迷宮領主であるこの俺の「できないこと」を任せるのが眷属達なのであって……自分自身の内なる命素も内なる魔素も全部はたいて、【おぞましき咆哮】を強引に真似なんて、するものじゃあない。
だが、ここでこの"咆哮"が、身体的な意味でどれだけ俺の眷属達に負担を与えるものであるか、ついでに俺自身で測っておく意味は、まぁあっただろう。
可能な限り全四方360度に声を張り上げんと、【風】属性による拡声――「きつつき」様の権能を"真似"した――を効果的に乗せて、村全体に行き届けんと、俺はぐるりと大きく頭を振り回す。肺を搾り震わせ、腹の底から、丹田の秘奥から、自分自身が音雷の門とでもなったように、体内に保有する命素を全て吐き出さんという勢いで俺は声を轟かせたのであった。
***
「やりやがったなぁ、オーマさんよ。まさか【魔法】も使えるたぁ、ますますどこの闖入者だか気になりやがる」
「……減らず口を叩くな。貴様が我が御方様に要求したことだろう? 手と足を動かせ。応えるのは次は貴様の番だ」
「へいへい。こりゃ本当に、あの恐ろしいお姿にされちまった【春司】様を、どうにかできてしまうかもしれないなぁ――なぁ、トマイルの爺さん」
短くも端的。
新参ながらよくよくヘレンセル村に在する者達の心情を"汲んだ"言の葉。
部下達を急かし、自らもまた"怪我人"達の収容と介抱に当たりながら、マクハードは嬉しいやら驚いたやら、そしてどこか悔しいやらといった感情が入り混じった声で『監視役』のル・ベリに軽口を返した。
元々、彼の手勢はミシュレンドと呼応してヘレンセル村の要所を武力によって押さえる手筈だったのである。だが、その機先を見事なまでに制されることとなった。
仮に"珍獣売り"オーマとその配下達が動くとしても、彼らは少数。
陽動として動かした『欠け月』に対処しつつ、ヘレンセル村で好き勝手はできない、と踏んでいた。
だが、蓋を開けてみればどうであろうか。
少数の人員をさらに3手に分け、「実はちゃんと【魔法】使いでした」という隠していた実力を遺憾なく発揮し、連絡が途絶えてあっさり壊滅されたであろう『欠け月』は元より、ヘレンセル村へ浸透するのが役割であった自分達【血と涙の団】を――トマイル老を保護することで、動きを封じたのである。
ミシュレンドの部隊で魔法戦闘ができる者が数名しかいなかったとはいえ。
魔導貴族の私兵とは、魔法の才が無い一兵士の戦力がただの戦士並であることを意味しない。彼らもまた、日頃から部隊の「魔法戦士」や「魔法兵」達との連携の中で働くように厳しい鍛錬を受けており、対魔法戦闘という意味では、その実力は決して"才有り"に一方的に引けを取るものではないのである。
だが……ほぼ確実に彼の部下であろう、あの双子のような男女の年若い魔法使いの力を借りることすらなく、即席であれだけ大きな魔法を生み出して見せたこと。
そして何よりも、動く機会が絶好であるとしか言いようが無かった。
マクハードが、ル・ベリによって"保護"されたトマイルと引き合わされ、商隊の部下達を通して行動開始の指示を下そうとした、まさにその数瞬分前のこと。
「きつつき」様を真似たとしか思えない【風】によく乗る大喝と共に、ぐるりと、何百メートルも先のはずの【氷】の"階段"の上から、オーマは確かにマクハードを一瞥したのであったから。
("計画"通りではあるさ、それ以外の部分ではな)
マクハードは委細を承知していた――ここまでは。
ギュルトーマ家の【封印葛籠】に封じ込められていた【春司】様を、解き放つのだ。当然、【冬司】様が未だに「移ろわず」に在り続けているが……【春司】様は、その異常と不正を正そうとするだろう。正そうとするためにこそ、その場にいる【血と涙の団】から、少々、過剰なまでに力を吸い取りになられる――いささか自分と折り合いの悪い連中から――そして更なる力を求めて、ここ、ヘレンセル村を目指すだろう。
無論、読み違えた部分もまたある。
【春司】様が、その御身を一時的に宿らせる肝心の「依代」についても、ギュルトーマ家が用意するものとマクハードは考えていた――【夏司】様や【秋司】様がそうされたように。
よもや【騙し絵】家が「魔獣を操る」手管を持っていたなど、自分のような一介の平民は元より、『長女国』の最高位の魔導貴族達ですら、おそらくは知らなかった隠し札であるに違いない。道理で、『廃絵の具』がこれほどまでに悠長に、しかし余裕綽々という様子で「寄り道」してきているはずであった。
――だが、それとて、予測よりも少々【春司】様が強力凶暴獰猛無比にお成りあそばされただけのこと。
しかし。
あるいはハイドリィ=ロンドールは、これを"奇襲"として自分やミシュレンドなどもこのまま巻き込まれて死んでしまうことを狙ったかもしれないが……往々にして"奇襲"とは、全く別角度から別のものが「闖入」し、鉢合わせをするものであるか。
オーマを試すように、そしてその行動を操り誘導せんと、情報の取引の場で非常に限定された情報を伝えたことをマクハードは、様々な意味で、少しではあるが後悔していた。
(村長殿にはご退場いただくはずだったんだが。その後、ミシュレンド殿を指差爵様もろともご退場いただくはず……だったんだがなぁ)
おそらくはこの場にいない"双子"を監視に回しているはず。
そうマクハードが読んでいる通り、オーマ達の行動は計算づくであったのだ。
赫怒によりて暴走なされたる【春司】様から、命からがら、敗残した者達が次々に村に駆け込んでくる。その中でも――最も物々しく護衛されながら、担架で担がれながら運ばれてきた、今のこの場では最重要の権力者であるアイヴァン=エスルテーリ指差爵に真っ先に駆け寄るオーマをマクハードは見つめていた。
(やるねぇ。ミシュレンド殿の"裏切り"を、有耶無耶にしちまった。"流れ"に巻き込んで、力を貸さざるを得ない立場に追い込んじまいやがったんだ)
重傷を負ったエスルテーリ指差爵が到来したことで、村にはさらに不安と混乱が伝播しつつあった。だが、そこにまるで控えさせるように、セルバルカもミシュレンドも、そして何故かこの場にいる『霜露の薬売り』の構成員達にも聞かせるように、オーマが、まるで「対処できる」と言わんばかりの"戦力分析"を披露し始めていたのである。
――だが、決して【春司】様を、討伐すべき魔獣であるかのような言い方はしない。あくまでも、その狂奔を如何に鎮めるかに搾り、憎いほど言葉を選んだ物言いである。
ちゃっかりトマイル老もその側に連れて行かれており、わざと質問を引き出すようにして……『合意』が形成されていく。まるで、マクハードが流浪した『次兄国』諸都市の「市議会」で行われる議論と討論、水面下での交渉の手管であるかのように。
【魔法】使いのような力を隠し持っていながら、オーマという人間はマクハードの見るところ、断じて魔法使いとは異なる視座と視覚から物事を俯瞰し、発想している"指し手"であった。
その静かなる騒めきの中、気配を消しながらマクハードの元に駆け寄る者があった。
「後見役殿――」
"副団長"のハーレインである。傷ついた腕を押さえており、決して無事な様子ではないが、生き延びてここまでたどり着いたようであった。
ル・ベリが隠しもせず、目を細めてその様子をじっと見ているが、マクハードはこの期に及んで中途半端に隠すことはしまいと笑顔で手を振り返す。
ハーレインは、最初からマクハードの部下であり……彼を"用済み"と見なす者達の中に紛れ込ませた手下である。
(……エスルテーリ指差爵を討ち取り損ねました。『廃絵の具』どもが、やりたい放題してくれました……読みきれず、申し訳ありません)
("雲上人"どもが絡んできたんだ、これでも狂わされなかった方だろうな。だが、予想以上に「戦力」が温存されたんだよなぁ。それに加えて、あの「闖入者」さんの"戦力"だろ? これは、ひょっとするかもなぁ)
「きつつき」様の風に乗せ、小声でハーレインと言葉を交わす。
全てが段取り通りでありながら、その一つ一つの要素が狂っており、結果として――この後に起きるであろう"事態"が大きく予定とズレる可能性をマクハードは意識していた。
(まさか! あの"裏切り者"どもを血と涙と化した【春司】様が、力を得られた【春司】様が……撃破されるとでも?)
(落ち着け。その"され方"によるんだよ。それ次第では――野心家の執政殿が大いに焦ってくれるかもしれない。そうだろう? 時間が無いのは、ロンドール家の方なんだからな。そして【春司】様が撃破されなければ、それはそれで予定通りなだけ)
(どちらに転んでも、我らの"利"にはなる、ということですか……)
そういうことだ、とマクハードが頷く。
そして彼は、今の速度からすれば、およそ数時間後に迫っているであろう――【春】の極めて暴力的な"到来"をどのように迎え撃つのか、という話に意識を戻すのであった。
***
――その一行は、【騙し絵】家侯子デェイールが【春司】を暴走させる一部始終を全て見ていた。
『廃絵の具』ではなく、【騙し絵】直系の男子が、他の頭顱侯家一切に秘匿していた"隠し札"であるはずの『鹵獲魔獣』をここで晒したことについて、程度に差はあれども、一行の誰もが驚きを持っていた。
「はっはっはっは! ご本家様も、とんでもねぇ力の入れようじゃあねぇか、ええ? ツェリマ隊長さんよォ!」
「イッヒヒ、相っ変わらずハンダルスさんは命知らずだなぁ、僕様そんなハンダルスさんのこと尊敬しちゃうなぁ! 性懲りもなく命も賭けてまで煽るのが好きなんだねぇ」
【空間】魔法を熟知しているだけではない。
自らが手塩にかけた部隊であるからこそ、その一行――リュグルソゥム家の残党追討部隊――を率いるツェリマ=トゥーツゥ・イセンネッシャは、彼らの『感知』範囲もまた熟知していた。
なんとなれば、『廃絵の具』の元部隊長として、ツェリマは幾重にも張り巡らせていた「緊急転移」の術式のうち……【騙し絵】家本家にも知らせていない独自に開発したものを残していたのである。
そのうち、デェイールに看破されて破壊されることなく残っていた、唯一の術式を用いて――『廃絵の具』の動きを監視し、そして大きな動きがあった今般、グストルフ以下の「追討部隊」を再招集。
敗残者達がヘレンセル村まで落ち延びるを観察しながら、その介入の機会を窺っていたのであった。
「どうだ? トリィシー殿」
馬鹿な男どもの戯言や露骨な煽りとその煽りを利用した煽りに興味を示すことなく、ツェリマは、切り取られた【空間】内に作った即席の監視所内で、青い煙を吐き出しつつ小声で詠唱を繰り返す女術士トリィシーに問いかけた。
【精神】魔法の大家たる【歪夢】のマルドジェイミ家……の一応の縁者であるトリィシーは、目を閉じて尚嫣然とした表情を崩しはしなかったが、数度首を傾げた後、大きく息を吐いて【空間】一帯を青霞に塗り潰し、つまらなさそうに返事をする。
「ぜ~んぜん、ダメね。【精神】魔法が発動された気配は無し。ついでにリュグルソゥム家の『高等戦闘魔導師』が動いた気配も無し。つまんなぁいわねぇ、本当に」
考え込むように顎に指を当てたツェリマとトリィシーを見比べながら、反応したのは【明鏡】のリリエ=トール家の青年魔導師グストルフであった。
「――へぇ、そいつは面白いね。じゃあ、あの"旅人"君は、自力であれだけの演説ぶっ放して人心掌握したってことでしょ? おっかないなぁ、僕様怖いなぁ! それで、どっちに仕掛けるのさ? このままじゃデウフォン卿がまた家出しちゃうよ、イッヒヒヒ」
ツェリマら「追討部隊」の目的は、あくまでも「リュグルソゥム家の残党」であった。
『廃絵の具』を相手取る場合、それはツェリマの私闘でしかなく、グストルフ達にとっては観戦対象ではあっても協力する筋合いのあるものでは、ない。
だが、【人攫い教団】の鉱山支部が一つ、"叛逆"によって離反したという事件。
ツェリマの見立てでは――これは「リュグルソゥム家の残党」が仕掛けた事態であり、ならば、ヘレンセル村で発生し進行していく事態を追いかけていれば必ず、その尾を掴むことができる。そして、優秀にして正統なる貴種たる弟デェイールもまた、同様に推測して行動しているはずであった。
だからこそ、今回の【火】の魔獣と【春】としか言えない"荒廃"の発生に際して、リュグルソゥム家が動くと見てトリィシーに探らせたのである。
万が一にも彼らが動き――その独特なる【精神】魔法が発動されたならば、それを妨害して動きを止めて狩るために。
『廃絵の具』とデェイールがここで仕掛けるならば、それに対する"両取り"をツェリマとしても仕掛けるつもりでいたのであった――どうせ【火】の魔獣の群れが、全てを焼き尽くしてしまうのであるから。
……その算段が覆る目が、みるみるうちに強まっていた。
「思わぬ伏兵だな。あの竜人といい、あんな【魔法】の使い方をする"旅人"といい、少なくとも私の情報網には上がっていない。何者だ? どこから湧いて出た? 『次兄国』あたりから来た工作員か? だが、それにしては……この地の事情に通じすぎているな」
「意外なところで【西】からの使者ってのはどうよ? ……おいおい、物騒だって冗談に決まってんだろうが」
「【春】真っ盛りの"お馬さん"はちょーっと未知数だけどさ? あの"戦力"なら、結構、いい線行くんじゃないの? あの"旅人"君がまだまだ力隠してなければだけどねー僕様にはそう見えるなー」
この男のこういう所が癪に障る、とツェリマはもう何度目かも数えることをやめた苛立ちからの嘆息を胸の中にしまい込んだ。
普段の軽薄な言動と裏腹に、要所要所で、まるで自分の思考を読んだかのように的確過ぎる「助言」をしてきたからである。自分が自分の全霊を賭して振り絞った知恵と判断と決断であるはずだったが、どこか、まるで常に先回りするこの軽薄な青年に操られているような気分にされるのであるから、たちが悪い。
――リュグルソゥム家も『廃絵の具』もその気配をヘレンセル村では現していない以上、ここで、ヘレンセル村に対して敵対的に仕掛ける意味などない。
むしろ、グストルフが【光】の加減によってこの隔離された【空間】内に拾いこんでくる、あの民衆反乱の扇動者かのような異装の青年の口上を読唇するに――その"戦力分析"は【聖戦】家の「軍師衆」ども顔負けそのもの。
この短期間で、自身の実力はおろか、エスルテーリ指差爵家の敗残戦力も含めて「最適」な配置を構築し、可能な限り最大効率を以て【春】の魔獣とそれが率いる【火】の『鹵獲魔獣』ども計17体を駆逐することができるような、戦術的観点からも理に適った配置を述べていたのである。
「微妙に、ビミョーに、"一手"が足りなくて、若干博打になってるところがあるんだけどさ! イッヒヒ……ね? ツェリマ姉さん?」
故に、ツェリマは決断する。
「"村"側に与するぞ。その『一手』に、なってやろうじゃないか――それであの"扇動者"と【皆哲】残党の関係も炙り出せるはずだ。そして、あるんだとすれば【西】なり『次兄国』なり……【盟約】派なりとの繋がりも、な」
「聞いたかい? デウフォン卿!『長女国』じゃ稀なる竜人の"剣士"との手合わせはお預けさ! 代わりに【騙し絵】家がこーーーっそり隠していた魔獣どもを、鬱憤晴らしに膾にでもしてやりなよ、イッヒヒヒ!」
ツェリマが手ずから生み出したこの隔離された【空間】には「追討部隊」の全員がいるわけではない。だが、何処かを"放浪"しているであろう2名のうちの片方、【魔剣】のフィーズケール家"剣魔"侯子デウフォンに連絡を取る術は存在しており、それを通してグストルフが連絡を送っているのである。
――口上で述べたこと以上の情報を、グストルフは伝えているとツェリマはわかっていた。
(もし、ヘレンセル村に【皆哲】の残党がいないことがデェイールにも予想外だったならば……)
展開によっては、先に『廃絵の具』とケリをつける機会が訪れるかも、しれない。「追討部隊」は思惑もまた一人一人バラバラで別々ではあったが、しかし、ツェリマを始めとした全員が、彼らもまた、ヘレンセル村を訪れ、そして実のところこの事態のキッカケを作った張本人である"旅人"に注目していたのであった。