0148 春疾火(はるはやひ)の乱(4)
『末子国』より派遣されしヘレンセル村教父ナリッソは、"野営地群"に残ったままでいた。
理由はいくつかある。だが、そのうち最も大きかった事柄としては、彼自身が【聖墳墓教】の教会組織において――"落ちこぼれ"であったことが挙げられる。
端的に、彼は【神威】への感受性が低かったのである……それが、教会組織で立身を重ね出世の階梯を登って行く上で、最も重要な素養であったにも関わらず。
例えば、"異教"との闘争の最前線である【西方】。
例えば、"旧教"との相克の最前線である【東方】。
そのいずれでもなく、『末子国』と【盟約】そのものに対する懐疑的な勢力が台頭し、不安定化している『長女国』の……そのまた「征服領」などという、いつ不穏が炸裂するともわからぬ火中の栗を拾わされるような場所は、実質、左遷人事であった。
故に、ナリッソは腐りつつ、自身の欲求に素直に生きる意思を強めつつ。例えば同期や同世代の生真面目すぎる連中のように、啓かれるかもわからぬ【神威】への感性を研ぎ澄ませるための――"苦行"を重ねることを怠った。
だが、人並みに酒色に溺れる生活はそれなりに彼の鬱屈を紛らわせる役には立った。
特に、腹に一物も二物も三物も抱えているような存在であるロンドール掌守伯家の手先達は、そうしたナリッソの「好み」を熟知しており、定期的にそれを与えてくれていたのであった。
それでも、ヘレンセル村では筋金入りの【盟約】派として、ある意味では息苦しくなるほど必要以上にナリッソに【聖墓教】"教父"としての役割を果たすことを期待し、また大いなるプレッシャーをかけてくるセルバルカ以下エスルテーリ家の関係者達があり。
不審死した前任者と入れ替わって、この地へ派遣されてきた小心者のナリッソにとっては、精神を蝕むような緊張の日々でもあったが――"野営地群"ができたことで、悩みの種が一つ、物理的な意味を含めて遠ざかったようなものであったのだ。
……あるいはそうした緊張の日々が、そのつもり無しに己にとっては"苦行"なり"試練"となり、それが、細やかなる諸神からの今更ながらの報いとして、セルバルカの傷を癒えさせたか。
街道の先に生じた、銀雪が春風に食われ始める異常の中においても、ナリッソは自らの小さな誰にも邪魔されぬ城たる『即席礼拝所』で、その時も赤ら顔で酒に浸っていたのである。
彼の同期の教会関係者達が見れば、せっかく遅咲きながらも【神威】への感覚を研ぎ澄ませる努力が実り始めるはずである機会が来たというのに――何をどうして、管を巻く自堕落の日々を続けているか、と見咎めることだろう。
だが、そもそも『末子国』にも、諸神にも、何も期待していないナリッソにとっては、大事なのは日々の己の心の平穏。世事の倦むような物事を忘れ、考えないようにすることのできる時間そのものなのであった。
――だが、その故に彼はヘレンセル村を、そして旧ワルセィレを覆う思惑に目を背けすぎていた。
たった今、自らが飲んでいた"酒"を差し入れたのが、関所街の"手先"達の中のうちでも珍しくも『欠け月』であることの意味など深く考えなかった。
……そしてその故に、彼は"酒"の中に仕込まれていた眠り薬が回ってあっさりと昏睡し。その様子を、礼拝所の外でじっと待っていた密輸団『西に下る欠け月』の暴漢達によって、拉致され、運び出されたのであった。
***
『長女国』という国は、魔導の恩恵によって、かつて"荒廃"を乗り越えた広大にして豊穣の平原に多数の農場が広がる農業の大国でもある。その食料生産は、急激な人口増大を引き起こし、農村からあぶれた者達は、王都や各頭顱侯家の侯都を始めとした都市に流入していく。
だが、未だ乗り越えきれない"荒廃"が、数年おきにどこかの地域で発生するのもまた、この国が直面する、決して消えることのない統治上の課題である。
そうして飢饉が起きるたびに、その地域からは通常の人口流出を遥かに越える流民集団が発生し――治安を悪化させるのである。
それが、賊となるのか、はたまた都市の最下層を膨らませるのか、騙されて鉱山や荒海といった過酷な場所に労働力として送り込まれるのか、あるいは運良くいずれかの頭顱侯に連なる『走狗』の下っ端のそのまた下っ端に属することとなるのか、といった違いはあるのだが。
ヘレンセル村に集まった者のうち、各『走狗』組織の紐がついていない食い詰め者達とは、つまりそうした者達である。だが、彼らが半ば公然と旧ワルセィレのさらに周辺地域から集められた者達である、というのもまた事実である。
曰く、"長き冬"の害を少しでも抑えるために、薪の代わりとして暖を取るために。
飢えだけでなく寒さと、そしてその年の不作が既に確定しつつあるというすぐ近い将来への不安にあえぐ者達が手配師達によって集められ、送り込まれ、そして使い捨てにされていくのが、人口大国たる【輝水晶王国】のもう一つの顔であった。
――だが。
寒害から家族を救うために【火】の魔石の鉱脈を探す、という謳い文句すらもが、実際のところは表向きの建前であると知る者は少ない。
【ゲーシュメイ魔導大学】を元締めとする、『長女国』各地の魔導の研究機関や探求者達の集いが、その『走狗』として持っている各地の"耳"から、この情報を掴んだからであった。
彼らは、非常に単純な動機として、魔導の研究開発の試料としてこの"現象"に興味を示したのである。
そして、その申し出を関所街ナーレフの執政ハイドリィは快諾しており――仮に本当に【火】の魔石の鉱脈が発見され、大量に採掘されたとしても、それが周辺を含む地域の下々に供給される道は、とうに断たれていたのであった。
そんな裏の事情を、知る者も、知らない者も入り乱れながら。
地域を掌握する掌守伯たるロンドール家が統治する『関所街ナーレフ』から、物資の運搬と開拓の調査などを仰せつかわされた"商団"を率いて、最初に入り込んできたのが『西に下る欠け月』と『霜露の薬売り』という2組織であった。
頭顱侯【紋章】のディエスト家は、『長女国』では主に物流の分野を取り仕切る"最富裕"の一族であるが――その金庫番たるロンドール家もまた物流に通じており、中でも【紋章】家の『秘術』により製作された特殊な極小魔法陣が刻印された魔道具である【紋章石】の取り扱いも許された一族である。
無論、そのような代物は流石に、たとえ粗悪品であっても下々に届けられることはないが――それでも、いささか質は劣るものの魔導の"灯り"によって光と熱を放つ程度の魔道具であれば、魔導の才が無い食い詰め者の取りまとめ役であっても、払い下げを手に入れる機会が訪れる。
そうした"暖"によって、しかも魔導の光熱によって寒害から身を守りつつ――商団にして"密輸団"であり"追い剥ぎ団"でもある『西に下る欠け月』のメンバーは、拉致した"重要人物"であるナリッソをズタ袋の中に封じて担ぎ、雪深い『禁域』の森を進んでいた。
「なぁ、お頭。本当に……"教父"様を、やっちまうってのか?」
「ついでだ、ついで。だが、一度ヘマをした俺達にもう選択肢はねぇだろ?」
「それはそうなんですがねぇ」
不安そうに声をくぐもらせるのは、禿頭のバイル。
正直、この"村"に来てからというもの、自分はツキに見放されたのではないかというほどに踏んだり蹴ったりな思いをしていた彼であったが――"団長"が自分を含めた全ての「指導役」を集め、新しく下した命令は、"新入り"ラシェットがさっさと乗り換えていった件の憎き「珍獣売り」への襲撃であった。
どこから流れてきたかもわからない、自称"砕けた大陸"帰りだという怪しい山師どもの"積み荷"を奪う、という話である。
それを聞いた時は、恩知らずの"ガキ"を誑し込んだであろう、あの、全てを見通しているぞとでも言わんばかりの癪に障る笑い方をする男の鼻を明かしてやろう、たっぷりお礼をしてやろう、という暗い欲求が湧き上がったものであったが――。
「【騙し絵】家の方達にも"恩"が売れる。使えると思ってもらえるなら、そっちに乗り換える目が繋がるかもしれねぇだろうが。おら、油断するなよ?」
バイルや、彼の不安が伝染したかのように口々にひそひそ話をするメンバーに、苛立ちを込めた返答を返すのは『西に下る欠け月』を率いる男。眼帯を結び直しながら、切り傷の生々しい跡を見せつけるように、そう大口でまくし立てる。
「どの道、"教父"様は用済みだったんだ。処分するのは俺達の仕事じゃあなかったが、渡りに船じゃねぇか」
――"珍獣商"が連れてきた、あの巨大な魔獣かと見紛う、少なくともこの近辺ではどこでも見たことはない巨獣や『亜人』達は"野営地群"に残されていたのである。流石に、そんなものを連れ込んで、村で引き起こされる混乱を嫌ったかマクハードが止めたという話。
だが、報復への警戒も怠ってはいないようであったのか、あの危険なる森の奥に"珍獣売り"の二人が連れて行ったという目撃が監視役に雇った食い詰め者達から報告されていた。
それもまた、バイル以下にとっては、獣の扱いならばお手の物である、とでも言いたげであって気に食わない。
「悪いことばかりじゃねぇのは、わかってるんですがねぇ」
「何だ? ようやく頭を使うことを覚えたようだな、バイルぅ……そうだとも。他の連中がみんな【春司】様とかいう化け物の方を向いてる間に、俺達が【魔石鉱山】までの道を確保しちまえばいいんだよ」
それもまた『西に下る欠け月』が、この情勢下で"野営地群"に残留した理由なのであった。
"お頭"は、マクハードとロンドール家の協力関係、マクハードとエスルテーリ家の取引関係がいつまでも続くとは全く信じていなかったからだ。早晩、脅威の前か後になるかは知らないが、村で同士討ちを始めてもろともにロンドール家の粛清部隊に一掃されると彼は踏んでいた。
その意味では、狡猾に生き延びてきた『薬売り』も自分と同じく"野営地群"に残ると読んでいたのであるが――婆々もついに耄碌したか、と鼻で笑うのみ。
「教父様のことだって、あの"珍獣売り"どもの仕業にしてしまえばいいんだよ。全く、"火事場"で一番要領が良いのは盗賊だってなぁ」
敵対する"商団"や、こうした荒事にはむしろ『長女国』の組織以上に過激で好戦的な血に飢えた『次兄国』の商人達を相手に渡り合うこととは、いささか訳が違う。
粗暴さで嫌われ、恐れられる『西に下る欠け月』という集団ではあったが――そういう嗅覚が備わっていたからこそ、ただの粗暴なだけの組織として、例えば【血と涙の団】への"餌"として使い捨てにされずにこの日まで永らえてきたのである。
「随分、近いじゃねぇか。構えろ、野郎ども。できたら傷つけるなよ、"学者"にも"人買い"どもにも高値で売れる」
開発の拠点として頑丈に作られている野営地群には、森の中から迫ってくる猛獣や魔獣の類に対する柵などの防備も備えられてはいるが、いささか窮屈であり、この寒さの中であれだけの、見るからに"大食らい"な「珍獣」を囲っておく場所など十分にあるはずがない。
まして、ひとたび魔導の灯りから離れれば、外は今なお雪深い山林の道なのである。
ここしばらく、報酬で釣って森の中に裸同然で放り込み、何か成果を持って帰ってくれば――その命ごと「教育料」として徴収してきた『西に下る欠け月』は、ある程度、森の内側の地形も把握を進めていた。
その中で"珍獣売り"が隠れ家を作りそうな、それなりに開けた場所の当たりをつけていたわけである。
――だが、結果は一番近い一番誰でも思いつきそうな場所。
あの鼻が曲がるほど酷い臭いを発する、長鼻長牙の巨獣と、丘小人と獣が獣姦して間の子でも作ったかのような、醜悪な見た目をした「亜人」達が……思ったよりは立派な「掘っ建て小屋」を作っているのが見えた。
だが、明らかに油断している様子である。
「かかれ! 抵抗するなら殺してしまえ! 死体でも金になる!」
まるで半月を描くように先行して散った数名が「音」による合図。
雪を蹴飛ばすように踏み分けて『西の欠け月』の構成員達が躍り出る。
各々に目深な目隠しと帽子、外套で素性を隠しつつ、得物となる刃物と獣捕縛用の頑丈な縄や網を手に手に。
"密輸"をする時のように用心深く、そして大胆に、悟られぬように。
"追い剥ぎ"をする時のように情け容赦無く、そして――何もかも奪い尽くすように。
彼らは、その時も、常に自分達が"奪う"側であると信じて疑わなかったのであった。
「ぐあぁぁ!? ゲホッゲホッなんだ、こりゃあ!?」
およそこの世の物とも思えぬ【おぞましき咆哮】が、まるで魔法使いによる魔法の爆発が目の前で炸裂したかのように爆散すると同時に、凄まじい薬味じみた「苦さ」と「辛さ」を、まるで調味料に使う香辛料とニガヨモギ、それに加えて、"薬売り"が取り扱うような酷く焼けるような薬液が混ぜられたような何かがそれこそ煎じ詰めて凝縮したかのような液体がぶちまけられ、異常な苦痛が目を鼻を耳を口腔内をありとあらゆる感覚器官という感覚器官と粘膜という粘膜に塗り込まれるかのような"煙たい"の衝撃と共に――。
***
「なぁ、ゼイモントよ。俺は酷く不思議な思いなんだがな。旦那様から"手が足りない"と連絡があったんで、おっとりここまで急行したのは良かったんだが」
銀雪の森に惨劇の血潮がぶちまけられる。
暴漢達が「暴逆を受ける」側に回る絶叫が響き渡る。
それを打ち消しかき消すかのように樹上の木々が騒々しく激しく揺れてざわめく。
「なんだ、出番が無かった、とでも言いたいのか? 安心しろ、すぐに何人かこっちに逃げてくるだろうよ。旦那様からいただいた我らの"力"を確かめる良い機会――」
「いや、そうじゃなくてだなぁ。なんというか、な」
亥象が咆哮と共に牙を鼻を振り回す。踏み潰す。
宿木樹精が雪を振り落としながら丸太のような腕を叩き下ろす。赤い果実のように中身がぶちまけられる。その周りから、樹上に潜んでいた葉隠狼達が――走狗蟲と戦線獣達が引き起こす【おぞましき】合唱の中で次々に引き裂いていく。
"珍獣"達がその暴威を振るう。
それは、暴力によって相対的弱者から奪ってきた相対的強者が、更なる暴虐によって自分達もまた相対的弱者と化すことを思い知らされる光景であった。
「若返ったくせに耄碌してないだろうな? 俺は、相手するのがまたこいつらだってことに呆れてるのだ。理由はわかるだろ?」
「あぁ、それはそうだ、全くだ……メルドットよ。こいつら、学習能力が無いんだろうよ。まさかラシェ坊主の時と全く"同じ手"に引っかかるなんてなぁ――お!」
命からがらと言った風体。
『西に下る欠け月』の中でも、今はゼイモントとメルドットが孫のように可愛がる少年を随分と甚振ってくれていた存在として――二人の元老人にして現従徒たる『ジェミニ』と『ヤヌス』でもあるその二人にして二体たる存在は、その禿頭頭を忘れてはいなかった。
バイルと、彼の肩に支えられた『欠け月』の"お頭"である。
そもそも彼らが"野営地群"に残った時点で、そうするだろうことが予期されていた用意周到なる待ち伏せの襲撃によって、既に大半の『西に下る欠け月』の構成員は奪われた側へと成り果てていたのであった。
――だが、なまじ危険への嗅覚があったばっかりに、この二人は……言わば、命はおろか人としての尊厳すらも奪われるような思いをすることとなる。
茶でも飲んでいるような気軽な調子で会話している『ジェミニ』と『ヤヌス』を見た二人は――目を血走るほど見開き、腰を抜かし、倒れ、かっかっ、と喉がつっかえて苦しく咳き込むかのような、叫び声にすらなることのできない悲鳴を……その全身で、「音」以外の態様によってしか、示すことしかできなかったからだ。
めくれた皮膚。
まろび出た内臓。
まるで人間の内側から、腸を食い破って何か、とてもおぞましいものが這い出したかのような――ではない。違うのだ、とその場にいた誰もが、べりべりと皮膚が裂けぐちょぐちゃと、内臓とも血漿とも、それと血肉の混合物ともつかない赤黒いどろりとした半固体状の物質がただれるように滴りずり落ちるのを見ながら、ただ「違う」と、『欠け月』の暴力性を象徴していたはずの二人は直感していた。
「いやぁ、はっはっは。これは、なぁゼイモント、なるほど、女子が"初陣"に出る時の気持ちとはこういうものだったか」
「あられも無い姿を見せて興奮するな、老いてますます、いや、若返ってますます訳のわからぬ"癖"に目覚めるなよ? 旦那様が呆れなさる」
――と、まるで「ジェミニ」と「ヤヌス」の人間の方の首が言っている。
ただ単に、千切れかけた生首がそう言っているのでは、ない。
まるで寒さ対策のためにバイル達が身につけてきた、分厚い外套を脱いだ時に――そのフードの部分に生々しく血濡れた人間の"顔"が存在しており、脱ぎ捨てられた無生物であるはずの外套が、実は全て人皮であり、しかもそれが生きている。
だらりと、垂れ下がりぶら下がった"生首"が、明らかに致命傷である癖に、まるで普通の人間の振りをしているかのように、そう口を動かして嘲笑っているのである。
バイルはかろうじて立っていた。だが、お頭はすっかり腰を抜かして今にも崩れそうであった。
そしてそれは、やっとの思いで"珍獣"達から逃れてきた、他の者達も同じこと。
……尿のにおいが雪の表面をほのかに溶かしている。
もちろん、バイルもお頭も含めて、誰もがその垂れ下がった"人の生首"を見ているのだが――彼らの意識は、さらにおぞましいものに向けられている。
まるで、さっきまで人間だったものを、人間だったもので作った"外套"を、それこそ一仕事を終えた男が自分の部屋でそれを脱いで、一服でもするかのように――視るもおぞましい、異常に盛り上がった筋肉と黒いびちびちとした筋肉が流動し躍動する異形の化け物が、その脱いだはずの外套と一部がひっついて張り付いて融合し、その融合した皮と肉の間に脈々と激しく鼓動する血管を無数にびっしりと張り巡らされた状態で癒合し、だらだらとよだれを垂らしながら、おぞましい"爪"を剥き出しにした姿で。
只人に過ぎず、その只人の中にあって、誰かから奪うことで、己を苛む何かをあがなってきた者達は。
斯くして、自らが奪われる側にあることを、今まで殺し襲い奪ってきた者達の瞳の中に映る己の凶相が、さらに凶悪な形と化したものによって、映る側と映される側が逆転することの意味を、遂に知るのである。
***
「『ジェミニ』と『ヤヌス』が処理を終えたみたいだな。読みどおり、パターンその1だったようだな」
「"教父"めを捨て駒どもに任せる、という方ですな」
【春司】が進撃してくる街道側と異なり、"裂け目"へ向かう森の奥は、既に地中雪中に【臓漿】を伸ばすなどして【眷属心話】を強化した側である。
以上、繰り広げられたる『ジェミニ』と『ヤヌス』のスプラッタ劇場を、俺はそれなりに詳細な描写によって伝達されて把握していた。
注視していたのは――そちらに『廃絵の具』の手の者が現れるかどうかである。
特に、例の「死体から【空間】属性魔法によって魔獣を呼び出す」技が使われるかどうか、の確認に全霊を注いでいた。
無論、最初から『欠け月』にそれを仕込んでいたのであれば、わざわざ【血と涙の団】の団長を血祭りに上げる必要などはない。だが、ナリッソと、そして"野営地群"及び【魔石鉱山】の側には――少なくともロンドール家やエスルテーリ家側が重点を振り向けていない、と確認する必要は、あった。
そして『廃絵の具』が、混乱に乗じて"裂け目"へ先走るか。
じっくりとヘレンセル村の様子を観察し、どの程度の戦力があるかを確かめるのか。
そのどちらを戦術的に選択するかを見極める必要が、あった。
――【春司】による"血と涙"の強制徴収から生き残った者達が、ヘレンセル村まで逃げ帰ってくる。その第一陣が、村外れを監視する見張り役達の眼に映るであろう、この前後しかない。
「動くぞ。ル・ベリはトマイル老を。他は俺と共に村長のお宅を"ご訪問"だ、今しかタイミングは無い」