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0146 春疾火(はるはやひ)の乱(2)[視点:その他]

 "雪払い"をも担う先駆けの兵士達から、感知系魔法によって【血と涙の団】が『馬走りの老牢番』と交戦を開始したという伝令が届く。それを受け、【輝水晶(クー・レイリオ)王国】指差爵アイヴァン=エスルテーリは、まさに麾下一同に行軍を早めよとの指示を出したばかりであった。

 

 相手が小勢とはいえ……これはロンドール家との本気の抗争の始まりの狼煙である。それが囮である可能性を否定することはできない。

 例えば、ロンドール家の粛清部隊が今か今かと潜んでおり、諸共に殲滅的な攻撃を仕掛けてこないとも限らなかったからである。


 ただ、攻撃自体は同じタイミングで行うことを【血と涙の団】の交渉担当とは約していたはず。だったのだが、失われた故郷を取り戻さんとする亡国の民の士気はこれほどまでに軒昂なものであったか。

 入念に事を進めていたつもりのアイヴァンは、未だ己の見積もりが甘かったかと苦笑する。

 ……無論、それならばそれで、せめて罠や伏兵が仕掛けられているとすれば、それもまた諸共に【血と涙の団】に引き受けてもらうばかりであるが。


 ――共同戦線を結んだ相手ではあっても、彼らは庇護や守護の対象などではない。


 たまさか、共通の敵を持ち利害が一致しているに過ぎないからであり、アイヴァンにとっては状況に応じて利用価値を冷徹に判断すべき存在でしかない。

 ただ、今共闘関係にある以上は、"同盟者"としてできうる限りの誠意は示すものでもあり……その故の急行であったが。


 果たして、続け様に届けられるのは凶報である。


「馬鹿な、『廃絵の具』と交戦中だと!? 何がどうしてそういうことになるのだッッ!?」


 エスルテーリ家とロンドール家の因縁は十数年に及ぶ。

 元より王家、そして『長女国』そのものへの忠誠を誓い、王国各所を2~3年おきに飛び回る「最も熱心」なる『指差爵』エスルテーリ家は、【紋章】家における譜代の序列関係にはない。実質、王家から送り込まれた目付けとしての性格を帯びており――ロンドール家による占領統治を抑制するために、関所街ナーレフの"守衛"と"市警"を担って自家の部隊を置いていたのである。


 しかし、旧【森と泉(ワルセィレ)】の叛逆組織である【血と涙の団】の活動が急激に活発化していく中で、彼らにとってより重要な聖地である【深き泉(ウルシルラ)】の鎮守役としてナーレフを離れ――栄転の建前で体良く追い出されつつ、同時に、アイヴァンは妻と娘を「人質」としてナーレフに残すことを飲まされたのであった。


 以来、ナーレフ守衛部隊の中でも特に献身的で義務心に溢れていた、とある部隊長(・・・)がその身を犠牲にしながらも二人を逃すまで10年間、アイヴァンは雌伏し続けてきたのである。

 ロンドール家の指示の下、旧ワルセィレの神性の中でもその央に位置する【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】を隔離し、封じ込め、非征服の民達には触れられぬようにしつつ――同時にそのロンドール家をも寄せ付けないできたのである。


 ――アイヴァンには確信があった。

 ロンドール家の野心とは、単に『関所街ナーレフ』を一大密輸拠点(・・・・)として私腹を肥やす……などという"ちゃち"なものではない。

 彼らこそが"叛逆"を考える輩であり、そのために【泉の貴婦人】や、その麾下にある旧【森と泉(ワルセィレ)】の神性達【四季ノ司】を利用しようとしているのである、と。


 だが、長らくその"証拠"を掴むことができず、膠着状態を過ごしてきたのである。

 そうして、ようやっと訪れた好機こそが、今般、ギュルトーマ家から秘密裏にもたらされた「ロンドールとの取引」の動きなのであった。


「これが"最後"の好機、かもしれないというのに……!」


 ロンドール家もまた、乾坤一擲、勝負に出ていることは相違無い。

 数年以内に地域一帯のいずれかで"(しるし)"が発生するだろう、とアイヴァン自身睨んでいたが――ヘレンセル村で【火】属性が現れたことは、象徴的だったのだ。


 ヘレンセル村にセルバルカを送り込んだように、アイヴァン=エスルテーリは数年をかけ、独自に部下達を各地に派遣して情報を収集していた。そしてその中で彼は――重要な一つの気づきを得ていたのである。


(『長き冬』は……(ちまた)で思われてるよりもさらに長い(・・・・・)ものだった、可能性があるのだ)


 麗しき【国母】ミューゼの意思を継ぎし「13弟子」達が打ち立てた【輝水晶(クー・レイリオ)王国】。

 旧ワルセィレは、そんな魔法の叡智の導きにまつろわぬ、蒙昧なる蛮族の魔法類似(まじない)の力が覆う土地ではあったが――仮に崩れたのが、彼らの伝承にある"四季"そのものである、とすれば。


(既にロンドール家の掌中に落ちている(・・・・・・・・)のは、もはや【春司】だけではない)


 アイヴァンは、たった今【血と涙の団】が確保していたであろう『封印葛籠(つづら)』の中身が――「ちょうちょう」様として知られる【春司】と呼ばれる存在そのものであることを、推論と積み上げた情報からほぼ確証していた。


 だが、それは果たして――【春司】は【四季ノ司】のうち、最初に(・・・)ハイドリィの手に落ちようとしているということであるのか。

 はたまた、『長き冬』を引き起こしているであろう【冬司(うさぎ様)】――【泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)】と共にエスルテーリ家が【深き泉(ウルシルラ)】に封じ込めている――を除いて、3番目(最後)に、その手に落ちようとしているということであるのか。


 『長き冬』の影響でほとんど意識されていなかった事実が1つ、存在する。

 昨年の旧ワルセィレの夏は"冷夏"だった。


 ……すなわち、その時から既に『長き冬』が始まっていたと言えるのかもしれないのであった。

 【夏司(きつつき様)】と【秋司(もぐら様)】が既にロンドール家によって(かどわ)かされているならば、もはや、彼らが行動を起こす前にその叛意を証すことができるのは――この最後(・・)の「取引」対象かもしれない【春司】が封印された『封印葛籠(つづら)』であるかもしれなかったのである。


 だからこそ、エスルテーリ家の動きを察知して、仕掛けてくる者があるとすればロンドール家か、はたまたギュルトーマ家が裏切るかのどちらかである、とアイヴァンや彼の部下達は警戒していた。


「奇貨居くべし、か。これほど、備えていて良かったと思うことがあるだろうか」


 【活性】属性の術式としては、最も『長女国』で浸透している魔法【アケロスの健脚】によって、寒中をものともしないほとんど走るような速度で、活動の証のような熱い呼気を蒸気の如くに雪道に揺らめかせながら行軍するエスルテーリ家の精鋭200名。


 アイヴァンの指示の下、彼らがそれぞれの懐から取り出したのは――幾何化されたような"円規(コンパス)"の意匠を思わせる【魔法陣】の描かれた"布"であった。まるで手ぬぐいやハンカチの類のように、丸めて懐や鎧の隙間やベルトなどに巻きつけられていたものを、素早い手付きで解いて広げていくエスルテーリ家の魔法戦士(バトルメイジ)達。

 次に、各々がその魔法陣"布"を鎧の胸や、肩や、腰などに「魔法陣」の箇所を押し当てながら――めいめいに詠唱。


 十数秒が経過する頃には、その"円規"をあしらった「魔法陣」が、兵士達が鎧に押し当てていたそれぞれの箇所に焼き付け(・・・・)られたのである。

 そしてそれぞれの主人の"内なる魔力"に反応したかのように――ほのかに淡い青い燐光をうっすらと脈のように巡らせ始めるのであった。


(『廃絵の具』どもの狙いは【魔石鉱山】のはず……我らと争う利など無いはずなのに、おのれ。【破約】派が【紋章】家と手を組んだ噂は、まさか、真実だったというのか……?)


 過日、王都及び西方の最前線で同時(・・)勃発した【皆哲】のリュグルソゥム家の誅滅事件。

 そこで大きな役割を果たしたのが【騙し絵】家であったわけだが――討ち漏らされたリュグルソゥム家の残党を追って、『廃絵の具』が国内各地をかなり強引なやり方で捜査(・・)していることは、アイヴァンもまた聞き及んでいた。

 そのため(・・・・)の備えとして、予期せぬ『廃絵の具』との遭遇に備えて、アイヴァンは倉庫に眠っていた貴重なる【紋章石】技術以前(・・)の対【空間】属性魔法の「魔法陣」を持ち出してきたのであった。


 ――今でこそ、独自の秘匿技術による精緻なる"封印"魔法を駆使していたギュルトーマ家を傘下に収めた【紋章】家が、その秘匿技術である【紋章石】によって対【空間】属性魔法を王国の各地で担うようになる以前の、文字通りの骨董品がこの"布"である。

 老練なるアイヴァンが、そんなものをわざわざこのために持ち出した理由は、ただ一つしかない。


 【紋章石】を信用することができなかったからである。

 上下の魔法使い達の情報ネットワークを経由して水面下で広まり始めていた"噂"話として――【騙し絵】家の【空間】魔法を阻止する魔法陣が組み込まれた【紋章石】によって巨大な利益を得ている【紋章】家が、なんと、当の【空間】属性による【転移】魔法をこそ組み込んだ【紋章石】を開発し、それを【騙し絵】家に提供しているというものが流れてきていたのである。


 『長女国』そのものに仕える在り方を自認するエスルテーリ家にとっては、【破約】派は当然のことながら、【盟約】派と【破約】派の間を蝙蝠(こうもり)のように行き来する【継戦】派もまた真の意味で【国母】の意思を継ぐ者とは言えない断罪対象そのもの。

 そうした強い警戒心から、『廃絵の具』の予期せぬ闖入への備えすらも【紋章】家の力など借りることなく、多少(・・)の負債を承知で対抗のための道具を用立てていた。


 ――果たして、急行の上からさらに急行を重ねたことで、"共闘者(盟友)"が、まるで一帯の全ての景色という景色を魚眼鏡の中に突っ込んだかと思うほどに揺らめく(・・・・)空間にまでエスルテーリ家の部隊が踏破到達。

 距離、およそ50メートルまで近づいた辺りで"雪払い"の先行部隊と合流しつつ、アイヴァンは自身の"杖持ち"による【風】と【活性】属性の補助魔法を受けながら、道の先の先までよく通らんばかりの大喝を響き渡らせた。


「エスルテーリ指差爵家が参じたり! そこの者に誰何(すいか)せん、貴様らは『廃絵の具』なりや!? 【紋章】家所領ロンドール家代理統治領にて狼藉働くことは、このアイヴァン=エスルテーリが許さぬぞッッ!」


 数瞬。

 それまで、まるでよく水に溶いた絵の具をキャンパスの白地の上にぶちまけていたかのように、色が移ろいたゆたい揺らめいて(・・・・・)いた風景が――固着したかのように【空間】ごと固まる。

 と同時に、数名の兵士達がうめき声を上げる、と同時に彼らの鎧に焼きつけられていた対【空間】属性の魔法陣が金属を焼くような焼きごてのような激しいしゅうううという焼夷音を立て、鼻につくわずかな煙を立ち込ませる。


 ――それは間違いなく、この骨董的な魔法陣に込められていた【空間】魔法に対する"対抗魔法(アンチマジック)"効果が発動したことを意味していた。


 まるで目玉がぐるりと裏返り返るかのような一瞬の眩暈が襲うが、部隊内唯一の【精神】属性を使うことのできる小隊長が【明晰なる精神(クリアマインド)】を矢継ぎ早に連続詠唱。

 結果、衝撃が過ぎ去った後には、澄んだガラスが割れ砕け、何枚ものシャンデリアをまとめて叩き落とすかのような幾重もの透明な破砕音が響き渡り――。


「はっはははは! やぁやぁ、こいつは興味深いぞ、なぁ"画材"ども? エスルテーリ家め、まさかそんな、自分達と同じくらい古臭くて埃臭い"骨董品"をこの場に持ち出してくるなんてなぁ! ぼ、僕が生まれる前に使われていたものじゃあないか、はははは!」


 【騙し絵】を孕むかのような、認識が認識となりえない歪みの空間と化していた周囲の風景が巻き戻されるかのように正常化(・・・)する。

 アイヴァン率いるエスルテーリ家が、【血と涙の団】が『馬走りの老牢番』を駆逐して確保したギュルトーマ家の『封印葛籠(つづら)』まで一息二息三息に跳びきるまでの間に――周囲一帯を掌握するために展開していた【空間】魔法を破られた『廃絵の具』達は、歩法「ネーヴェ」による短距離転移に行動パターンを切り替え。


 数秒もせぬうちに十数メートルの距離に散開し、それぞれに軽薄かつ不気味な笑いを仮面の向こう側からエスルテーリ家の魔法戦士(バトルメイジ)達に浴びせかける。

 中でも、頭と思しき仮面を付けていない琥珀色の髪をした若者――どう見ても【騙し絵】家直系としか思えない顔貌の貴公子――が、ひどく愉しそうに笑ったのであった。


「繰り返すぞ、【騙し絵】家がこの地に何の用だ! よもや、リュグルソゥム家の残党の追討……などという今更な口実を笠にするわけではないだろうな!?」


 ……部下達の動揺を嫌い、貴公子デェイールその人であることにはあえて言及せず、アイヴァンが再度大喝を叩きつけた。その様子に気づいてか、気づかずか、デェイールは自らの髪の毛を指でくるくると巻きながら、集中のあまり見開いていたその目でぐるりと辺りを見回す。


 何名もの【血と涙の団】の団員達が、傷つき倒れ伏していた。

 ――のだが、息が無い者は、ただ一人しかいなかった。いずれも「多少」の負傷を与えられ、昏倒させられただけであり、予想された最悪の事態には何故か(・・・)至っていなかったのである。


 だからこそ、ただちにも魔法弾を『廃絵の具』達の仮面にぶっ放してしまわんとしていた部下達を抑え、この恐るべき凶徒どもと相対する最前に身を挺して仁王立ちしつつ、アイヴァンは怒声の傍らで冷静に貴公子デェイールの"狙い"を見定めようとしていたのである。


「ハッ! 【四元素(サウラディ)】の犬ですらない(・・・・・)(めしい)た『愛国』者がよく吠える。情報の錯綜なんぞ全て知っているし、お前()がそれぞれどんな"絵図"を夢想していて、それでそれらを互いに絵合わせ(・・・・)てしまった現実ってやつにどれほど困惑してるのかも、全て想定済みなんだよ、"指差し"」


「……【騙し絵】家の直系、か。これは、ただの戯れの手慰みだとでも言うつもりなのか? 魔導貴族家が――最低でも『掌守伯』家が1つ吹き飛ぶかもしれない陰謀なのだぞ!? どういう腹積もりで介入してきている!」


 デェイールに一切、素性を隠す気が無いことに危機感と違和感を覚えつつ、アイヴァンは先手を打って部下達に相対する存在を報せることとした。


「"指差し"め。下駄を履かされて、指先をただちろちろと舐めるだけの下郎如きが、雲上の視野を理解できるなどと思い上がるなよ? ――だが、僕はお前達に"期待"してもいるんだ。是非とも、頑張ってくれ」


 ――無傷での(代償の無い)勝利など、()であろうとも、あってはならないことなのだから。


 そう薄く笑い、露骨に、まるで(なま)った身体をほどよく「運動」させられたとでも言わんばかりに『廃絵の具』達が肩を、腰を、足の腱を伸ばし、各部を屈伸させるかのような様子を取り――直後、彼らの周囲にだけ発生した極小の【転移】魔法の奔流と共に、まるで風に吹かれて舞い散らされる雪片と化したかのように、掻き消えてしまったのであった。


「アイヴァン様。あの者……『廃絵の具』達は、逃げた、模様です」


 部下の一人が警戒しつつも、恐る恐るといった口調で耳打ちをしてくる。

 アイヴァンは、自身の胸当てに焼き付けたままの【転移】阻害の魔法陣に手を当て、事が起きれば即座に再び対抗魔法(アンチマジック)を発動させん――と緊張を漲らせつつも、部下達に命じて、倒れ伏している【血と涙の団】の団員達の素早い介抱を命じたのであった。


   ***


 『廃絵の具』の"戯れ"による犠牲者は、ただ一人だけであった。

 ……だが、その「ただ一人」が問題であった。


 【血と涙の団】を率いる団長であり歴戦の古強者であったアルグであったのだ。

 かつて、アルグがまだ団長ではなく「若者」達を率いる勇士の切り込み隊長であった時に、ナーレフの守衛部隊を率いて幾度か交戦したことがあったアイヴァンは、この奇縁を不思議と惜しむ己の中の郷愁にやや戸惑いを覚えていた。

 あの時は、まさか、よもや、こうして彼と剣盾を並べて"共闘"することになる――などと想像もしていなかったのであったが。


「暫定的にですが、若い連中からも人望があるサンクレットを"仮"の団長にします。今、私達も分裂するわけにはいかないので」


 【空間】魔法による衝撃波によって揺さぶられ、昏倒していたと言う副団長ハーレインが、まだくらくらするのかその頭を抑えながらも、今この場にいる実質的な【血と涙の団】のリーダーとしてアイヴァンとの会談、情報共有に臨む。

 『廃絵の具』の撤退から半刻ほど。

 昏倒させられていた【血と涙の団】の団員達の介抱は一段落しており、アイヴァンの部下達が「新」団長であるサンクレットらと共に、ヘレンセル村へ進駐する際の段取りについて入念な最終のすり合わせをギリギリまで行っていた。


 『廃絵の具』が村で再び襲ってくる可能性があり、また、そこにロンドール家が現れないとは言い切れなかったからである。

 何より――ハイドリィ=ロンドールの狙いがアイヴァンの推測した通りならば、彼は必ず【春司】を最終的に手に入れなければならない。今、こうして自分達が『封印葛籠(つづら)』を確保していることは、後で取り返すために一時的に預けている類の事柄であると見るべきであった。


「エスルテーリ家に『廃絵の具』の参加が、伝わっていなかったのは……本当に遺憾ですが、うちの"後見役"を疑うしかありませんね。ロンドール家に泳がされる存在として、執政ハイドリィの手下どもから情報を抜いてくるのは、彼の役割だったはず、なのですが……マクハードめ……!」


 さも、【騙し絵】家の密やかなる闖入について、酷い情報の行き違いがあったかのように述べる様をアイヴァンは苦々しい気持ちで看破している。

 なんと白々しいことであるかという嘆きが彼の脳裏には去来しているが――この"交渉役"である副団長ハーレインが、【血と涙の団】の内部では筋金入りの"マクハード派"であることを、アイヴァンは既に裏取りしていたのである。


 だが、『廃絵の具』が独自目的の遂行のついで(・・・)に、この件に関わる「全勢力」に等しく"嫌がらせ"をしようと思っていたとして、それが【血と涙の団】にとっても予想外であることは信じても良いかもしれない。

 おそらく【騙し絵】家侯子デェイールが言う「無傷での勝利は許さない」とは――エスルテーリ家(自分達)にも、そしてロンドール家や【紋章】家に対しても言っている事柄なのであろう。


「――【頭顱】の方々は、同じ魔導貴族であるとはいえ、我々のような"下々"とは全く異なる価値基準で動かれている。巨大な利益を求めているように見えて、しかし、それすらもただの手段であり(あし)に過ぎない。思惑を無理に測ろうとしすぎること自体が、それこそ罠のようなものだ」


「つまり……エスルテーリ家は、この不測の事態に際しても、約定を違えずに共に遂行してくださる覚悟である、と理解しても?」


「元より、そのつもりだよ。妻と娘が生きて帰ってくることができたのも、死んだ元部下と、そしてたった今落命されたそこのアルグ殿のお陰。利害が一致した関係に過ぎないかもしれないが、その"借り"は、我らの目的のついでに返さねばエスルテーリの名も旗も陰るのだ」


 ――最悪の事態とは、ならなかった。

 わかりやすく気味悪く蠢く存在が一者、追加されただけのことである。

 『廃絵の具』を始めとした、この蠢く存在達は……少なくとも、自分がやろうとしていることそれ自体を邪魔する気は無いと思われた。


 何のことはない。

 ごく素直に考えるのであれば、ロンドール家に「手酷い」痛手を負わせることが不可能とならないように【血と涙の団】に対しては"多少"の出血にとどめ、エスルテーリ家に対しては"猶予"した、というところであろうか。


 何のことは、ないのである。

 このままヘレンセル村へ【血と涙の団】と共に乗り込み、既に展開しているであろうミシュレンド達と合流する。そしてハイドリィの企みを潰えさせ、【四季ノ司】が暴走しつつあるこの事態を収拾し――そのことを以て、ロンドール家の糾弾を王都へ訴えるのである。


 それで、今代のエスルテーリ家当主としての己の役割は一段落。

 老いに蝕まれつつある中で、後はエリスにまともな"才"のある婿を見繕って次代を任せる土台さえ築き上げれば――後は、父や祖父や、さらにそれ以前の先祖達の眠る墓へ入る準備をし始めることができるように、なるのである。


 去来せる念に、まだ早い感慨を押し留めながら、アイヴァンはハーレインと共にギュルトーマ家の『封印葛籠(つづら)』の前、双方複数の部下達と共に、その中に封じ込められているであろう【春司】を見つめていた。


 ……当然だが、今、この場で検めるのは悪手である。

 【四季ノ司】などという存在は、およそ魔導の叡智にまつろわぬ土地の恐るべき"まじない"の根源たる魔獣の類である。ロンドール家が手中に収めようとした「不正」の証拠ではあっても、せっかく、『長女国』において最高峰の【封印】魔法によって封じ込められているものを軽々に解き放って良いものではないのだから。

 何より、ここで逃してしまってはそれこそ元も子もあるものではない。


 ――だが、アイヴァンは違和感を感じていた。


 まるで全身の血管がざわめき、【活性】属性を浴びたわけでもないにも関わらず、妙に身体が火照ってくるような、そんな違和感であった。

 そして、これは何の気配による胸のざわめきであろう、と自ら感知魔法を発動させて、辺りを手繰る。


 果たして反応が行き着いたのは――隣で感慨深く『封印葛籠』の狂気じみたまでに精緻かつ緻密な、米粒に針で精密絵画を描き込むかの如くまでに異常にして異色なる【封印】属性の魔法陣をまじまじと観察しているハーレインの、その袖の中。


「ところでハーレイン殿。それは……"篝火"か? 待て、"篝火"だと――?」


 赤々と、橙々(とうとう)と、燃え盛る心臓であるかのように脈動する、そんな【火】属性を感知する――無論、本職の魔法使いの目から見れば劣悪で粗悪な代物ではあるが――ありふれた魔導具(禁制品)を注視して、アイヴァンはあることに気付いてしまった。

 そしてハーレインが答えるのを待たず、顔から血の気が失せたように、それに気付いたハーレインが怪訝な顔をする。


「――よく聞いてくれ。ギュルトーマ家の『封印葛籠』は――【属性】すらをも閉じ込める。【属性】が漏れ出て、感知魔法に掛かることなど、有り得ない、」



 (はず)



 そう告げようとした瞬間。

 胸から脊髄に向かって上半身を両断された(むくろ)と化しマントを被せられていたはずの【血と涙の団】の団長であったアルグの亡骸がもぞりと蠢いた(・・・・・・・)


 同時にギュルトーマ家謹製の『封印葛籠(つづら)』が、まるで何重という金属をこすり合わせるかのような耳に甲高い「合唱」を突如、その細密の中の細密を突き詰めたかのような【封印】魔法陣のあらゆる紋様を炸裂するかのように閃きと共に発光させて辺りを鋭く突き抜ける。



 誰もがその暖かな(・・・)衝撃に吹き飛ばされた。

 誰もがその血潮(・・)の熱々しさに包み込まれた。

 誰もがその柔らかな陽射しの如き穏やかさ(・・・・)と、あらゆる凍れる停止を溶かし融かしていくかのような激しさ(・・・)に打ち据えられた。


 ――亀裂と共に割れ砕け散った『封印葛籠』から【春】が。


 そして、【騙し絵】家の【歪みの剣】によって切り裂かれた団長アルグの"胸中"、より正確にはその中に植え付けられていた極小の【転移】魔法陣から――【人世】の(ことわり)を塗り替える超常の力、いと麗しき『長女国』においては"荒廃"と呼ばれる――捻じれた魔法類似(・・)の力を帯びたる【火】の気配が。


 およそ『長女国』の魔導貴族(責任ある者達)の誰もが警戒する「大氾濫(スタンピード)」によく似た――群れなす魔獣どもの血を求めて呻くような咆哮が。


 疾駆(はやが)ける風よりもさらに早く。

 燎原を疾駆(はやが)ける【火】の如く。


 一気に、急速に、激流と成って溢れて(みだ)れ出してきたのであった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 祝更新再開 [一言] 改稿お疲れ様でした そんじゃあ、次の目標は二章完結ですなっ!? 楽しみにしとりますきゅぴぃ
[気になる点] 前々から少し気になっていたけれど、もしかして一般兵士と魔法使いの戦力って、米軍歩兵一人と現代戦車位の戦力差ある? [一言] やった再開してる
[気になる点] 死んだのを確認してから寄生させていた眷属に仕込ませたのか?死体となると以前言及されていた混沌属性の寄生タイプのお披露目かね? [一言] 春といえば生命の芽生える時間。…グウィース君活躍…
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