0139 耳朶に奥鳴る響きのひととせ
1/11 …… 属性と瘴気の描写について加筆修正
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
「ありがとうよ、お若いの。あんたのその"技"は、まるでかつての『涙の番人』様達のようだわ」
ヘレンセル村の外れにひっそりと、かつてこの地が【森と泉】と呼ばれる時代を知る最も高齢の人物である老翁トマイルの家はあった。
髪の毛がほとんど抜け落ちてしまい、まるで『沼地蛸』のようにまるまるつるつるとした禿頭を揺すりながら、老翁トマイルが礼を告げる。
この老翁、【情報閲覧】する限りは、『水蚯蚓』を使い『沼地蛸』を捕らえるということに特化した、独特なる【農場漁師】という上位職業である。
80を優に越えてなお矍鑠とした長老格。
【森と泉のワルセィレ】に関する伝承にも詳しく、20年前の【紋章】家による征服よりもさらに以前の古い文化や知識を備えた数少ない生き残りであった。
「えい!」
「ふぉっふぉっふぉ」
まだ赤子から幼児に職業変更――もちろん比喩的な意味――したばかりとしか思えない、2~3歳ほどの幼児が、気合の掛け声とともに老翁トマイルの禿頭を叩いた。
ぺちん、と小気味の良い音が2度、3度と響き渡り、場になんとも言えない和んだような緩んだような空気が流れる。
老翁トマイルの曾孫娘にあたる、赤子である。
――20年前に息子夫婦を亡くしたトマイルであったが、今は成長して成人した孫娘の家族がその面倒を見ている。
「もう、すっかり元気になったようだ。その調子なら、専門の『医術師』にあえて診てもらう必要は無いだろう……御方様の施術が、身体の芯まで効いてるようだ」
「なに、なに。片足どころか両足首まで墓場の土の中に突っ込んでいたくたばり損ないよ。まさか、生きている内に再び『涙の番人』様の如き御業に触れる機会が得られるとはなぁ……」
臥せっている間にまた時の流れが早く、そしてゆっくりと感じるようになった、などとしみじみとした様子で呟くトマイルであったが……相変わらず、背中にぶら下がるようにしておぶさっている曾孫娘に禿頭をぺちぺち叩かれている。
然もありなんと言うべきか。
曾孫娘からすれば、この大好きな好々爺が長らく病に倒れており、父母から離されていて遊んでもらえなかった鬱憤をこれでもかと叩きつけているようなものだろう――ぺちん、ぺちん、と。
≪ぷるぼけや~≫
≪おててとおはげの≫
≪ぺちぺちさん!≫
≪じ、字余り……?≫
……せめて原型がわかるように改変しろ、侘び寂びを未だ解せぬ副脳蟲どもめ。
一見して深山の静かな岩清水――に偽装した巨大な蛙の化け物の舌に巻き取られ、丸呑みにされるという想像上の"記憶"を、彼奴らが普段俺にしでかしている覗き見漁りを逆流させる形で送り叩きつけ、副脳蟲どもを精神的な意味で押し流してから、俺は老翁トマイルに意識と表情を向き直らせる。
結局"治療"には半日ほどもかかった。
ヘレンセル村で一番、重篤な症状者であったと言ってよい。俺が来なければ、もって数日という風前の……いや、雪前の灯火だったであろう。
最終的には、ル・ベリがグウィースと共同で【闇世】はおろか【人世】の『禁域の森』からも採取してきた薬草・薬根・薬枝などを煎じて組み合わせた、青汁など可愛く見えるほどの、もはや木の根色に煎じ詰められた薬湯を飲ませて一時的に強壮・強心状態とし――それから、俺と三ツ首雀カッパーによる【命素操作】と【魔素操作】の併せ技によって、単なる冷気の害だけが原因ではない、トマイルの身体における全体的なバランスの乱れを整調する形となったのであった。
本腰を入れて迷宮領主の力を発揮するにあたり、周囲の安全を確認した上で、俺は【領域】をも展開していた。そして、老翁トマイルはもちろん眷属ではないが――ある種、彼を眷属に見立てる形で、その体内の【命素】の巡り――ヘレンセル村の信心深い民の場合はさらに【魔素】の巡りもここに加わる――を、つまり"内なる命素と魔素"の詰まりだとか淀みだとかを、荒療治の如く突破していくのである。
それが、俺の『治療師』と称する技の正体。
奇しくも、ル・ベリがエイリアン達を"助手"として小醜鬼で実験しまくっていたことや、それに加えて『人攫い教団』の信徒達の亡骸を、人皮魔法陣の切れ端の採集や【騙し絵】家の【空間】属性魔法陣の解読などのために、ルク青年が分析しまくっていたこと。
さらに加えて、現在は表裏走狗蟲として活躍するジェミニ&ゼイモントとヤヌス&メルドットの存在。
――意識ある"人間部分"を共生体としつつ、融化した走狗蟲部分の"感覚"を通して、その人間部分として機能する身体の感覚を含めた各種のデータが、エイリアン語、つまり俺の眷属達の"認識"によってではあるが、大いに副脳蟲どもへとフィードバックされ蓄積されていたのである。
そこにル・ベリとルク青年から元々従徒献上されていた医術や人体に関する知識が合わさり、統合され、そしてそう在る存在に進化したカッパーによる【魔素操作】と【命素操作】の補助。
今や俺は、下手な医術初学者の類よりも、少なくとも――「整える」ことに関しては、医術知識のあるル・ベリをしてその"効果"に太鼓判を押すほどのものとなっていたのであった。
まぁ、エイリアン達と副脳蟲どもが管理するネットワークとの接続を前提とした"力"であるが。
――視えるのだ。
エイリアンや、そして人間の身体の、それこそ元の世界では気脈だとか経絡だとかチャクラだとか、文化圏によって色々表現されていたであろうものが、この世界シースーアにおける「内なる魔素と命素」の流れとして迷宮領主能力的に把握し――それが淀んでいたり、不整脈のように堂々巡りとなっていたりするような箇所を【魔素操作】【命素操作】でどうにかする、ということである。
その結果が、この「奇跡の回復」であった。
……老翁トマイルは村民から一定の敬意は受けつつも、征服者である『長女国』側の村長に近い一派とは無論のこと、亡国ワルセィレの同胞であるはずの村民達とも距離を置いていたこともあり、不調の中でもなかなか助けてくれる者がいなかった――とある行商人を除いては。
既に歳が歳であることもあり、流石にこの"長き冬"を前に、ついに冬を越えられずに逝くか――と思われていた最中で、村に現れた俺達の噂を聞きつけた孫娘夫妻が、藁にもすがる様子でラシェット少年を尋ねた次第なのであった。
「それで、ご老公。その『涙の番人』様について、もう少し詳しく教えてはいただけませんか?」
「奇特な"旅人"さんよな……いや? "学究者"だったか? ……おぉ、ほれ、叩くな、ふぉっふぉ。この幼いマリューショの、おしめが取れるまでは生きながらえたいという老爺の望みを叶えておいて、望むのがそんな"昔話"とは」
「ご謙遜を。時の流れの中で受け継がれてきたもの、在り続けたものと、そしてその中に秘められた訓戒にこそ、人が生きる意味があると見出す夢想家ですよ、私などただの」
ただの夢想家か、と小さく呟きつつ、老翁トマイルが俺の左右に控えるル・ベリとソルファイドをちらりと見た。その目は何かを見定めているようであり――さながら、一見してまるで波の一つすら立たない、どろどろの沼地と化した農場に潜む『沼地蛸』の居所を射抜く眼光のようである。
しかし、それも熟練の【農場漁師】にとっては、わずか数秒のこと。
納得し、得心し、そしてどこか観念したように「まぁいいだろ」と咳を一つこぼした。
曰く。
【森と泉】において、『涙の番人』とは亡国ワルセィレの神性である【泉の貴婦人】の"恵み"を受けた幼子であるという。
今はヘレンセル村と呼ばれるその地を含めて、古きワルセィレの領域に住まう者達は、年に一度、貴婦人が住まうという聖地である【深き泉】まで参拝し、そこで己の"血"と"涙"を捧げることで1年の安全や豊作の祈願などを行っていたという。
そして実際に、この【泉の貴婦人】はその祈願を――ごくささやかではあるが"叶える"力を持っていた、というのは老翁トマイル以外の村民も口を揃えて言っていた。その多くは、ちょっとした幸運であるだとか、ご利益レベルのものであるような印象も受けたが。
おそらくだが信仰の力が集い高まることで、ある種の小さな超常が発生した……のかもしれない。
だが、時折、その中でも非常に強い幸運や健康の増進という形で強い"恵み"を受ける者が現れたという。特に、幼子に限って。
「そんな者を『涙の番人』と呼ぶ。だが、貴婦人様の『涙の番人』へのお恵みは"春夏秋冬"の一巡り限りでな。数年に一度、異なる者が恵みを受けるのよ……そして、同じ者が生涯に2度、恵みを受けることはない」
血と涙を泉に捧げることで、己が"貴婦人"と繋がり、ワルセィレに生きる者であるという絆を共有していた者達にとって、自然、この「その年の恵みを受けた者」は――ある種の生き神として捉えられるようになっていったようだ。
そのような存在である『涙の番人』は、皆を代表して【泉の貴婦人】の近くでその暇を慰めるべく――いわば1年限りの巫覡として、泉のそばに立つ小さな庵にこもって、貴婦人の側で過ごし暮らすのだという。
「春には蝶々様が。夏にはキツツキ様が。秋には潜鼠様が。冬にはウサギ様が。春夏秋冬の巡りを伝え、鳴らし合うのを『涙の番人』様が見届ける。そうして、我らと【泉の貴婦人】様の血は、心は、繋がってきたのだ」
閉ざされた地域の、閉ざされた法則。
どの住民に聞いても共通する、『四季』を司る存在と季節の移り変わり。
そして、そんなワルセィレの民と【泉の貴婦人】を繋ぐ『血と涙』の絆。
「……だが、それを破壊したのが、あの忌々しく禍々しい『結晶』の輩どもというわけだな」
深かった絆であるからこそ、その意図せぬ望まぬ破壊と喪失へのやるせなさと憎悪は、いかばかりか。
「えい、えい! えい!」
「ふぉっふぉっふぉ! マリューショ、やめんか、わしが悪かった。怖い顔をしてしまったなぁ」
老翁トマイル自身もまた、実はかつて『涙の番人』であったという。
その時に彼が体験した「1年」とは――まるで1日の中に太陽の生と死が凝縮されたかのような、不思議な時間の感覚であり間隔であったという。神隠しのように、気がついたら1年が経過していたかのような、しかしその一方で、その「1日」は、生気が輝かんばかりに燃えるような煌めきに満ちた、長い長い「四季」であった――という。
だが、そんなワルセィレの独特の秩序を、『長女国』の王家ブロイシュライト家の【晶脈】システムが機能不全に陥らせてしまったのだ。
『長女国』にもまた、独自の秩序がある。
【英雄王】アイケルの長女にして、『長女国』の民からは【国母】と呼ばれるミューゼ。
【闇世】から『魔王』の軍勢が「天地を引き裂いて」現れた折、その引き裂かれた天地――要するに"異界の裂け目"――から、とめどなく溢れ出る"瘴気"によって東オルゼの大地は"荒廃"した。
長兄と次兄が「外」へ人族の生存域を拡大しに旅立ち、末の妹が【闇世】に討ち入るという闘争を継続する中で、長女ミューゼは荒廃した東オルゼの大地を蘇らせるために13人の高弟達と共にその生涯を捧げたという。
これが【輝水晶王国】の始まりたるミューゼの【浄化譚】である。
そしてミューゼの死後、第一弟子であったブロイシュライトが"王"となり、第三弟子であったサウラディ――現第1位頭顱侯【四元素】のサウラディ家の始祖――を筆頭とした他の弟子達に助けられながら、ついには【晶脈】と呼ばれる仕組みを構築して『長女国』内の"荒廃"を均すことができるようになったのだ。
……だが、その"均す"ことの本質が、【浄化】と呼ぶには少々疑問符のつくものであると、ルク青年とミシェールから受け取った知識から、俺は既に理解している。
『長女国』において復興された『魔法学』における解釈では、【闇世】から流れ込む"瘴気"とは、諸神が司る世界構成要素にして魔法の構成要素たる諸々の「属性」のバランスが崩壊したことそのものである。
……魔法類似という都合の良い理論は裏に秘めつつも、それでも能う限りあらゆる自然法則と、そしてその他の超常法則すらをも16属性によって説明しようとする理論は――まさしく"瘴気"という超常の災厄をも「そのバランス」によって説明した。
言うなれば、ある地域で何がしかの災厄が起きるというのは、属性が乱れている――ある属性が欠乏していたり、逆に過剰な状態にあるということ。
そしてその故に、ミューゼ以来の解決策が、ある地域で過剰な属性をそれが欠乏している地域に送り込む――という「調整」の御業なのである。
この核となるものが、王家ブロイシュライト家にのみ生み出すことが可能とされる【晶脈石】という『結晶』状の、ある種の魔法エネルギーの通信装置のようなものであるらしいのだが――ル・ベリがあることに気づいた。
≪ちょっと待て、ルク、ミシェール。それは……まるで、ある地域の魔法属性の乱れとやらを、他の地域に押し付けるに等しいのでは、ないのか?≫
この視点で考えた場合、旧ワルセィレが征服されたことの意味が見えてくる。
例えば俺の元の世界の常識では、文明も都市も、交通の便や自然条件に沿った結果として、大河の流域であるだとかに発生しやすい傾向があったという歴史分析上の視点もあるが……【人世】の『長女国』においては「属性の均衡」を主軸に置いて領域を拡大したり、都市を――【晶脈石】の置き場所――建設していると言える。
当然、征服した相手が元々有していた文化であるだとか、独自の秩序などを意に介するものでもなかろう。
……そういうわけで、体内の「バランスの乱れ」を【魔素操作】をも駆使して整えてやったなどという真実を仮に伝えた場合、老翁トマイルをどんな気持ちにさせてしまうかは少々申し訳ない思いであったが。
ルク曰く、見かけは確かに【火】属性の欠如ぽいと強く疑われるが――それでも【火】属性単体が抜けているわけではないという意味で、少なくとも『魔法学』においては完全に魔法類似によって説明せざるを得ない状態なのだという。
≪だが、待て。ならばそれを主殿が癒やすことができた、というのは、一体どういうことなのだ?≫
≪グウィース! バ ラ ン ス !≫
ルクとミシェールの知識は【人世】において常識、主流的な学問である。
迷宮の従徒となったため、この魔導の探求者たる兄妹もまたその視点から脱却しつつあるが――そんな強固な体系的な知見から離れ、もっと【闇世】流に考えてみる。
難しいことではない。
16属性論に頼らずに――【因子の解析】という力を発動してみたのである。そうするのが【エイリアン使い】として、つまり迷宮領主としての"正答"だと俺は直感していた。
果たして、流れ込んでくるのは【森と泉】のイメージ。
――それが、言語や言説を越えた多次元的・多感覚的・共感覚的な「エイリアン語」をも包含したイメージの奔流となって俺の中で解釈され……それこそ、まるで俺自身が『涙の番人』にとっての360日を追体験したかのような、卒倒しそうな白昼夢のような走馬灯のような幻憶が炸裂する。
――そしてそんな1秒を経て。
結論から言えば、新しい【因子】は定義されなかった。
しかし、それは【エイリアン使い】の権能において使える何かが無かった、という意味での話。奔流のように流れきた四季の感覚のうち、この"長き冬"の害は「【火】属性の欠如」などというものではなく。
言わば【春】属性とでも言うべきものの欠如に由来する、というのが俺の直感的な理解なのであった。
≪んな無茶苦茶な……とは言えません、か。考えてもみれば"草食み"どもも森と共に四季に合わせて生活を変える。『二宮制』などという権力が分散するとしか思えない、訳の分からない統治システムも、まぁ連中の"魔法類似"の力に拠っていると言えば拠っているようなものなのでしょうが……≫
「おやおや、"旅人"さんよ。あんたもしかして……いや、聞くのはよしておこう、ふぉっふぉっふぉ」
――俺が感じた何かに気づいたとすれば、それは彼もまた元『涙の番人』であった、その感性と体験があったが故であるか。
1年は四季であり、故に1日にして1秒という形で、一繋ぎに巡るものであるのだから。
それがこの土地の本質ということか。
老翁トマイルが、曾孫娘マリューショに優しげな笑みを向けつつも、その眼差しには一筋の暗さと諦念が宿っており――『関所街ナーレフ』に向けられていることに気づいて、俺もそっと同じ方向に目を流すようにやった。
【晶脈】を押し付け、この地における超常を『魔法』によって上書きした【紋章】家から、直接旧ワルセィレの地の統治を預かったのは、その麾下にあるロンドール『掌守伯』家である。
『掌守伯』とはすなわち【晶脈】の守護者にして、周囲一帯の"掌握と鎮守"を任せられる魔導貴族位であり、当然、関所街ナーレフにも【晶脈】を成す結晶体が存在している、と老翁トマイルは睨んでいるのであった。
「トマイルの爺さん、生きてるか? 邪魔するぞ」
しばし、その場の誰もが自然に黙り込んでいた静寂を破ったのは、玄関の方から投げかけられた無遠慮さと親しみが同居したかのような声だった。
マクハードである。
商隊の部下達を置いてきたのか、はたまた抜け出してきたのか、供も連れずに単身にて。『次兄国』の【武装商人】の証のような幅広の刀身がやや短い剣を、この日は佩いておらず……随分と気心の知れた関係のような遠慮のなさでずかずかと踏み込んできたのであった。
「……ほぉ、こいつは……」
そして矍鑠さと生気を取り戻した老翁トマイルを見て、一瞬だけ目を見開かせて細め、顎に手をやる。何かを見定めようと感情を隠した眼差しで、孫娘夫妻に茶を持って来させるという体で曾孫娘を連れて行かせた老翁を何度も一瞥しながら――しみじみと、俺に向き直るマクハード。
「"学究者"様ね。オーマさんよ、あんたは『長女国』の魔法使いの学者先生とは、ちょっとばかりか、いや、相当に違っているようだなぁ?」
「……皆まで言うな、マク坊主。この若い方は、おそらく――」
「失礼。まず、誤解を正しておきましょうか。智慧深き【森と泉】の歴史と伝承を今世に引き継ぐお二方」
マクハードがラシェット少年への"治癒"という餌に食いついて俺をヘレンセル村へ行かせた、その理由の部分まではまだ推測でしかなかった。
だが、実際にヘレンセル村で……【火】属性ならぬ【春】属性の欠乏としか喩えられない患者達に遭遇したこと、つまり、俺が当初迷宮でリュグルソゥム一家やル・ベリらと積み重ねて作り上げた"治癒師"という【命素操作】の活用のみを前提としたカバーストーリーだけでは想定も対応もし得なかった事象に遭遇したこと。
そして、老翁トマイルを【情報閲覧】して、彼には何も『称号』が無く――しかしその詳細なステータス画面が俺にだけ見える青白いシステムウィンドウに浮かび上がる中で、その『継承技能』に、どう考えても彼の『種族』や『職業』からは連想し得ない【四季の残滓】とかいうものが存在していること。
――トドメに、今踏み込んできたマクハードにも同じ『継承技能』が存在していることが、まったく今し方、聞き知ってそのイメージすらをも共有した旧ワルセィレの伝承と重なりあい、一つ確信したことがあったのだ。
「確かに私は魔法の徒とは異なりますよ、そちらも多少の覚えはありますが。しかし、あなた達御二方が誤解しているような、御徴をもたらした者でもない……元『涙の番人』の御二方」
マクハードがじろりとトマイルを見た。
トマイルがゆっくりと首を振った。
《ふむ。あんたが言ったのか? いいや、わしではない、と言っているな、主殿》
……などと外出にあたり再び目隠しモードとしていたソルファイドが、読唇術をすっ飛ばして読心術を披露して見せてくれるが、まぁこの程度であれば、わざわざ読み取ってもらうまでもなく、わかるというもの。
「私はただの"学究者"。偏屈な魔法屋とは違って、もう一枚だけ、その外側の世界を。それこそこういうことを曇りなき眼で解釈し、探求しているだけの"流れ者"に過ぎませんよ」
再びマクハードとトマイルが顔を見合わせ、目と表情で何かを会話しているかのようであった。
それこそ、かつて同じ『1年』を経験した者同士の呼吸、とでもいう調子の合い様で。
難しい話では、ない。
最も【泉の貴婦人】への信心が深い『涙の番人』の経験者だからこそ、この二人は旧ワルセィレ地域を覆う【四季】の本質を、その身体と感性に刻み込まれる形で理解しているのである。だからこそ、魔法学からすれば噴飯物の【春】属性などとしか表現できないその感覚を理解できる。
――そしてその故に、それを「治癒」してのけた俺の異質さを理解できてしまうのである。
"長き冬"の厄災の正体とは、すなわち【春】の不在。
一繋ぎの循環が壊れ、春の来ない【冬】だけが空回りして垂れ流され続けているという意味での、旧ワルセィレを覆う独特な超常の狂いそのものなのである。
信心深い、つまり旧ワルセィレのシステムと深く結びついている民ほど、その影響を受けているのである――ということを俺が理解しているということをマクハードとトマイルは察しているに違いなかったのだ。
「そういう意味でも、オーマさんよ、あんたは新参者の闖入者ってわけか? ……どうしたものかなぁ」
「"あなた達"の邪魔をする気は、別に私にはないんですよ。足止め食ってるな、という思いは同じなんです。私にはちょっとした探し物があって……つまり目的地が、ありますから」
どこだ? と笑っていない目で問うマクハード。
彼に満面の笑みを作り、そして同じように笑っていない目を向け返して、俺は核心に触れる。
「ちょっと【深き泉】にまで、【泉の貴婦人】とお話をしに」
剣呑な空気が瞬間的に張り詰める――ように見せた振りをさっさと解いて、マクハードは疲れたような顔で乾いた笑いを上げ、降参したように両手を上げた。
何のことはない。その気がないとわかっていたが、もし、老翁トマイルの家を数名で取り囲んでいた商隊の荒事担当達がその気になったなら……数分もかからずに無力化できるということを、ソルファイドとル・ベリがその気配で、一寸アピールしてやっただけのことである。
「まさかとは思うが、前に村に来ていたあの気持ち悪いくらい息が合ってた魔法使いの"学者見習い"様達も、オーマさん、あんたの手下ってことはないよな?」
「ちょっとお説教をしたら懐かれてしまっただけですよ。悪い性分ですさ」
【眷属心話】越しにものすごい見開かれたジト目とかいう器用なイメージがほんのりとした胃痛の気配と共に伝達してきた気がしたが、きっと気のせいだろう。
マクハードは再び老翁トマイルと何事かを目で会話してから、疲れたような表情そのままに、質問を継続してくる。次の質問は――言わば、俺と彼らとの関わり方に関する本質的な問いであった。
「それで、オーマさんはこの類稀まれなる"学究"上の知見とやらを手土産に『関所街』を素通りする手筈かい?」
……要するにどちらに与するつもりなのか、と。
別段、珍しい話ではない。
『称号』こそ無かったが、立ち位置的にも人物的にも、動機や噂やその他諸々の情報からいっても、被征服地の文化伝承者の生き残りの最年長者たる老翁トマイルは『血と涙の団』の最有力の支援者か、影響力を持つ尊者に他ならなかった。たとえ直接の繋がりを示すような情報が、少なくとも俺が俺の力によって調べる範囲では出て来ずとも。
繰り返すが、『称号』こそ持っていないことがやや意外ではあったが――おそらく、その役割はマクハードに既に引き継がれているのだろう。そして老翁トマイル自身はまさに世を捨て、同胞の民達からも背を向けて距離を取り、隠居して隠遁と隠棲のうちにひっそりと逝こうとしていたに過ぎないのだろう。
――そして後を引き継いだ"お頭"のマクハードが、関所街によって分断されていながらも、旧ワルセィレ地域の物資の交流と水面下での一体性を保っていたのだろう。
そんな彼をして、機会を窺っていた彼とその支援する『血と涙の団』をして、俺が投げた一石が【春】を司る【ちょうちょう様】の恩寵だと誤認させてしまったわけである。
だが、もう彼にとっては誤認では済まされない。
事態はヘレンセル村「で」動き始めていたのだから。
慇懃な仮面を被っておくのも、まぁ、ここまでで良かろう。
これが交渉か、はたまた脅迫か、あるいは事情聴取か、それとも前向きな謀議となるかは、ここからであろう。





